ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編⑥ 水流のロジック

 裁判場は、沈黙していた。

 長く続いた学級裁判の果てに、全員が容疑者から外れてしまったからだ。

 

 犯行は、12時に【体験エリア】で行われた。『モノモノスイミンヤク』を使って蒼神をボートに眠らせ、川の水をバケツでボートに注ぎ込み殺害した。この時点で、クロはその時間帯に【体験エリア】にいた俺と城咲、大天の三人と、一人宿泊棟の外にいた七原に絞られる。

 また、蒼神とクロは、10時半に愉快犯によってアトリエに呼び出されており、クロはそこで蒼神を眠らせた。だから、軟禁されていた俺と、10時半に個室で大天の鳴らしたドアチャイムを聞いた七原は容疑者から外される。

 そして、クロは俺に罪をかぶせるため、12時に新家の個室のドアチャイムを鳴らし俺を叩き起こしている。しかしその時刻には、城咲は展望台に、大天は製作場にいたため、俺を叩き起こすのは不可能だった。だから、城咲も大天もクロではありえない。

 

 故に、容疑者は、いなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「何? もう終わり? じゃあ投票タイムにいこっか!」

 

 停滞した俺達の様子を見て、モノクマが高らかに叫ぶ。

 

「待ってください! まだ議論は終わっていません!」

 

 杉野の言う通り、議論はまだ終わってなんかいない。クロは未だ判明していないし、こんな状況で投票が始まれば『不正解』になるのは目に見えている。

 

「そうは言うけどさあ、時間は有限なワケ! オマエラの自主性を尊重してちょっとグダグダしてても自由にやらせてるけど、みーんな黙っちゃったら流石に終わらせないワケにはいかないの! 分かる?」

 

 お前の事情なんか知ったことじゃない、と言い返したいが、モノクマの機嫌を損ねて学級裁判が打ち切られてしまえば目も当てられない。

 

「まだ議論時間が欲しいとかそういうことは、せめて議論してから言えっての!」

「う……」

「だったら、議論させてもらうぞ」

 

 火ノ宮が口を開いた。

 

「気になることは残ってるからなァ」

「あっそ! じゃあ、とっとと結論出せよ!」

「言われるまでもねェ」

 

 モノクマにそう吐き捨てて、彼は中央を向く。

 

「気になることとは?」

「【モノクマファイル】に書いてあった、死亡時刻のことだ」

「ああ、それは僕も気になりました」

 

 『システム』を操作しながら、火ノ宮は語る。

 死亡時刻に関しては、確か杉野も言及していた。

 

「【モノクマファイル】に記載されていた死亡推定時刻は『深夜11:45~12:00前後』……妙に時間に幅がありました。モノクマの説明では、溺死のため死亡時刻の特定が難しいということでしたが」

「だとしても、この書き方はおかしいだろォが。オレ達が議論していた推理と決定的に食い違ってんだからなァ」

 

 決定的に食い違ってる?

 

「どういうことだ?」

「クロは、12時直前にてめー……平並を叩き起こして、その後【体験エリア】に移動して蒼神を殺害した。そういう推理だったよなァ」

「ああ。そして、それに該当する人物(キャラクター)がいなくなったんだ」

「だとしたら、『深夜11:45~12:00前後』なんて記述はどう考えてもおかしいだろォが。そんな時間に水が注がれてるワケねェんだからな」

「……あ」

 

 確かに、その通りだ。

 

「オレ達の推理通りなら、素直に『12時前後』って書けばよかったはずなんだ。そうじゃなくても、『12時~12:15前後』みてェな書き方になるはずだろ。けど、【モノクマファイル】はそうなってねェ」

「だとすると、蒼神さんのボートに水が注がれたのは11時45分か、その直前と考えるべきでしょうか」

「まってください! そのじこくには、すでにわたしは展望台におりました!」

「あァ、そうなると、クロは【体験エリア】から抜け出せねェ……それなのに、クロは宿泊棟で平並を叩き起こしている」

 

 ……一体、どういうことなんだ。

 

「オレ達は、何か致命的な勘違いをしてるんじゃねェのか」

「か、勘違いって、な、なんだよ……」

「それはまだ分からねェ。だから、それを議論してェんだ」

「……わかりました」

 

 火ノ宮のおかげで、再び議論は動き出す。

 

「僕達は、何を間違えたのでしょうか」

「し、城咲が、ちゃ、ちゃんと見張ってなかったっていうのは……?」

「わたしはきちんとみはっておりました! ……といいますか、あの展望台からは、中央広場も含めて【体験えりあ】がよくみえます。わたしはよびだし状の差出人をまっていましたし、誰かが通るのをみのがすなんてありえません」

「平並を叩き起こしたのが、クロでは無いのであろう。それこそ、愉快犯なのではないか?」

「いや、クロ以外に誰が俺をあんなタイミングで呼べるんだ。手紙の書き方もそうだし、蒼神の死んだタイミングや新家の『システム』のこともそうだ。俺を起こしたのはクロ以外ありえない」

「だったら、【モノクマファイル】に問題があるのよ。モノクマがアタシ達を混乱させるためにわざとああいう書き方をしたのね」

「そんな不公平なこと、ボクはしません! あれはね、ああ書くしか無かったんだよ!」

 

 皆が出した意見が、それぞれ反論されていく。

 じゃあ、なんだ? あとはどんな可能性がある?

 これまでの議論を思い出せ。なんでもいい。何か、違和感はなかったか。ほころびはなかったか――

 

 ――あ。

 

 一つ、違和感を、思い出した。

 もしもその違和感が突破口になるのなら。

 

「……蒼神の、殺害方法が違うんじゃないか?」

 

 そう口にした瞬間、真実の欠片に手が触れた気がした。

 

「何言ってるのよ、平並」

「クロは、バケツで蒼神の眠るボートに水を注いで溺死させた。俺達はそう推理したよな」

「そうよ。それが違うって言うの?」

「ああ」

「そんなの有り得ないわ。バケツにはホコリが積もって無かったし、雑巾も濡れていた。クロはバケツを使ったことがばれないように、バケツを雑巾で拭いたのよ。だからこそ、雑巾は濡れてたんじゃない」

 

 そう、それが東雲の語った推理だった。そして、俺が違和感を抱いたのは、それを聞いた時だったはずだ。

 

「だとしたら、雑巾が濡れすぎなんじゃないのか?」

「え?」

「使ったバケツの表面を拭いたっていうんだったら、片面が湿ってるくらいで十分のはずだろ。それなのに、どうして、あの雑巾はあんなしっかりと濡れていたんだ?」

「……オレはその雑巾を見てねェ。そォなのか、杉野」

「え、ええ。言われてみれば、確かに濡れすぎだったような気がしますが」

「……何が言いたいのよ」

 

 俺の質問に答えず、東雲は逆に俺に問いかけた。

 

「あの雑巾こそ、偽装だったんじゃないのか。『蒼神の殺害にバケツが使われた』――俺達にそう思わせるために、クロが濡らしたんじゃないのか?」

「ちょっと待ちなさいよ。だったら!」

「ああ。犯行に、バケツは使われてなかったんだよ。『クロはバケツを使ったことをごまかすために雑巾でバケツを拭いた』……そう俺達に推理させるために、わざと雑巾は濡らされたんだ!」

 

 これなら、あの雑巾の濡れ方も説明できる!

 

「雑巾と乾いたバケツをセットにすることで、そういう推理へ誘導することができるからな!」

「どうして、そんな回りくどい方法を取る必要があるのよ! だったら、桟橋のそばにバケツを置いておけばいいじゃない!」

「それだと()()()()()って考えたんだろ。露骨すぎて、疑われるかもしれない。逆に、答えを得るまでに何度か議論があれば、そこでたどり着いた答えで満足してしまう」

「……っ!」

 

 実際、俺達はそうだった。何度か反論を重ねたのだから、間違いはないだろうと、無意識に思ってしまったのかもしれない。

 

「それに、ただバケツを放置したんだったら、直前に水を汲んでないんだからバケツはカラカラに乾いてしまう。それだと、『バケツで水を注いだ』って思ってくれないだろ」

 

 犯行にバケツを使っていないのだから、バケツはどうしても乾いてしまう。そこからバケツが使われていないことがバレてしまうかもしれない。だから、濡らした雑巾をそばに置いておくことで、それでバケツを拭いたんだと俺達が推理するように誘導したんだ。

 

「そして何より。お前は言ったよな」

「……何をよ」

「お前がバケツと雑巾を見つけたあのロッカーの扉は、開いてたって」

 

 

――《「さっきここに入ってきた時に、ロッカーの扉が開いてたのよ。それでなにかと思って見てみたら、ほら、雑巾が濡れてたのよ」》

 

 

「クロは、その証拠を見つけてもらいたかったから、扉を開けてたんじゃないのか? 雑巾でバケツを拭くような慎重なヤツが、扉を閉め忘れるなんてことあるのか?」

「――っ!」

 

 そしてついに、東雲は黙り込んだ。

 

「つまり、東雲君が見つけたというバケツと雑巾は、クロによる偽装工作(ミスリード)だった。そういう話だったんだな」

「……ああ」

「じゃ、じゃあ、ど、どうやってクロは蒼神を殺したんだよ……そ、そんな偽装工作までして、く、クロは何を隠してるんだよ……!」

「それはわからない。だが、きっとクロは何か特別な殺し方をしたんだ。それが、あの死亡時刻の謎に繋がってるのかもしれない」

「そ、そんなこと言ったって……」

 

 その根岸の言葉を最後に、皆が沈黙する。

 俺達が暴いた蒼神の殺害方法が間違っていたことはわかった。けれども、結局の所蒼神はどのように殺されたのか。それに答えを出せる奴はいない。

 

 議論は再び停滞する。

 

「ねえ、まだ~?」

「うるせェ。議論の邪魔だ。黙ってやがれ」

「だから、そう言うなら議論しなって」

 

 退屈そうなモノクマに食って掛かる火ノ宮。早く議論を再開しないと、今すぐにでも学級裁判が終わってしまいそうだ。

 蒼神の殺し方じゃなくてもいい。なにかないか。

 そう考えて思い出すのは、やはり【言霊遣いの魔女】のことだ。この事件に一枚噛んでいる【魔女】。話したくはないが、話すしか無いのか。少なくとも、時間稼ぎにはなるだろうが。

 

 そう思って、再び七原を見て。ふと思い至る。

 

 七原は、【言霊遣いの魔女】のサインが書かれたカードをボートで見つけたと言っていた。それなのに、どうして俺はあのカードを見逃したのだろう。杉野にも言えることだが、俺達だって証拠探しのためにボートはよく調べたはずだ。

 

「……いや、関係ないか」

 

 小さく、そう結論を出す。きっと、七原はその幸運の力でカードを見つけたのかもしれない。七原も言っていたはずだ。

 

 

――《「これ、どこにっ!?」》

――《「ボートに入ってた水の中に、参考書が沈んでたよね」》

――《「ああ。二冊な」》

――《「うん、その参考書のところに何かはみ出てて、それで気になって手にとってみたら、それだったんだ」》

――《「しっかり沈んで水中になっちゃってたから、平並君は見落としちゃったのかも……」》

 

 

 水の中にあったのなら、水面のゆらぎか光の反射か、とにかく見逃す理由が存在しないわけじゃない。だったら見逃してもおかしくは――

 

 

「……ん?」

 

 

 その思考に、何か引っかかりを覚えた。ちょっと待てよ……。

 

「オイ平並。さっきから何をぶつぶつ言ってやがる。なんか気になることでもあんのか」

「あ、いや、大したことじゃなくて……」

「大したことじゃなくても構いません。少しでも気になることがあったのなら、教えてください」

 

 気になること、とすらまとまっていないのだが、この違和感はきっと本物だ。なぜだか、そんな確信がある。

 

「……七原、一つ聞いてもいいか」

「……? いいけど」

「蒼神が寝かされていたボートに、参考書が二冊あったよな。積み重ねられてさ」

「うん、そうだったよ」

「……それってさ、お前が言うには、たしか水に完全に沈んでたんだったよな。それって、全部水面の下にあったってことだよな」

「え?」

 

 どうしてそんな事を聞くの、と表情に出しながらも、七原は自分が見た光景を思い出そうと上を向く。

 

「えっと……うん、そうだよ。全部水に浸かってた」

「……そうか」

 

 その答えを受けて、俺もボートの参考書を思い出す。

 

 やっぱり、おかしい。

 

「……ん?」

 

 俺達の会話を聞いて、皆もその光景を思い出しているようだ。そして、その大半が、疑問の声を上げた。

 

「それがどうかしたの?」

「……今、七原が言った事は、おかしいんだ」

「おかしいって、何が?」

 

 疑問符を頭上に浮かべる七原。その彼女に、俺の違和感をぶつける。

 

「俺が見た時、参考書は、完全に水に沈んではいなかった。少しだけだが、水面より上にはみ出ていたはずだ」

 

 

――《ボートの中の水が溜まっているところに、四角いブロックのようなものが置いてあった。蒼神の頭があった位置だ。杉野がしゃがみ、それに手を伸ばす。よく見れば、それは二冊のハードカバーの本が重ねられているものだった。上に乗っている方の参考書の表紙の厚みの分だけ、なんとか水面から顔を出している。》

 

 

 あの状況を見て、『完全に水に沈んでる』とは言えないんじゃないのか。

 

「そうだったよな、杉野」

「ええ……確かにその通りです。全部水に浸かっていた、とはいい難いでしょう」

「なら、ナナハラが嘘をついてるってことか?」

「嘘なんかついてないよ!」

「そうよ、嘘ついてるのはアンタ達の方じゃないの?」

 

 一転、七原を擁護する声が上がる。東雲だ。

 

「嘘っていうか、勘違いだと思うけど。対岸を調べたあとにアタシも調べたけど、参考書はちゃんと水に沈んでたわよ」

「か、勘違いしてるのはそっちじゃないのか……? ぼ、ぼくも見たけど、し、しずんではいなかっただろ……」

「勘違いなんかしてないわよ」

「……正直、そんな細かいこと覚えてないんだけど。他に覚えている人はいる?」

 

 妙に食い違う双方の意見を聞きながら、大天が問いかける。

 

「わたしは……げんば全体のみはりをしていましたから、はっきりとは……」

「覚えてるやつならいるはずだろ。いつまでも言い合ってねェでソイツに答えを聞けばいい」

「明日川か」

 

 【超高校級の図書委員】である彼女は、完全記憶能力を有している。彼女に聞けば、この違和感を解消できるかもしれない。

 と、思ったのだが、件の彼女は話を振られて、

 

「……すまない」

 

 小さく謝った。

 

「あァ?」

「ボクは、火ノ宮君と共に検死(死に際の再読)を行った後、城咲君達に話を聞いてからボートの調査に向かったんだ。……だが、水位については断言できない」

「断言できないって、どういうことだ?」

「……記憶(物語)が、矛盾しているんだ」

 

 沈痛な面持ちで語られる明日川の台詞。

 

「そもそも、ボクは直接見ずとも視界に入りさえすればいつでも完璧に思い出せる(読み直せる)はずなんだ。だから、今の話題になった時から頭の中で読み返しているんだが、ボートを直接見た時、現場にたどり着いた時、裁判場に向かう時……それぞれの場面で、水位が変動しているように思えるんだ」

「変動?」

「ああ……おそらくは、死体(物語の残骸)をまじまじと調べた(読んだ)おかげで精神が参っているんじゃないかと、ボクは思っている」

「……チッ」

「力になれず、すまない」

 

 そんな台詞と共に、明日川はわざわざ頭を下げる。

 精神が参った……確かに、検死として蒼神に向き合っていたならそういうこともあるかもしれない。けれど、それだけで明日川の完全記憶能力が揺らぐっていうのか?

 

「そう気に病むことでも無いであろう。どうせ、川の流れや波によって水面が揺れていただけである」

「んー、まあそうなのかしら。イマイチ納得できないけど」

「でも、たかだかそれっぽっちのことが何になるっていうの? どうだって良くない?」

「……それはそうかも知れませんが」

 

 確かに、些細なことには違いない。けれど、何か引っかかる。

 

「いや、きっと、ちゃんと話し合ったほうがいいと思う」

 

 そんな中、収束に向かっていた議論を七原が止めた。

 

「この違和感は、無視しちゃいけない気がするんだ」

「そうもうされましても……」

 

 この違和感を解消する答えが、きっとあるはずなんだ。

 参考書が水に沈んていたと語った七原と東雲。どうして二人はそう思ったんだ? どうして二人『だけ』が、そう思ったんだ? 何か、二人に共通点が……。

 

「……あ」

 

 あるじゃないか、共通点なら。

 

「七原と東雲……参考書は水に沈んでたって言った二人には、共通点がある」

「きょ、共通点……?」

「ああ。二人とも、遅い時間に現場付近を……ボートを調べてるんだ」

 

 七原も東雲も、それぞれの理由で現場の捜査を後回しにしていた。七原は先に【体験エリア】の外を調べていたし、東雲は対岸を優先した。

 

「たしかに、おふたかたとも時間がたってから現場にいらっしゃいましたね」

「逆に言えば、水に沈んでなかったって言った人は皆先に現場を調べた人だ」

「それが何だと言うのであるか?」

 

 証言された水位。皆がボートを調べた時間。そして、矛盾した明日川の記憶。

 これらから導かれる答えは。

 

「明日川。さっき、水位が変動してるように思えるって言ったよな」

「……ああ」

 

 

「それってさ――水が、増えてたんじゃないのか?」

 

 

「増えてた?」

 

 驚きに満ちた、大天の声。

 

「どうなのですか、明日川さん」

「……あ、ああ、よくわかったな、平並君。確かに、わずかだが水は増えてたように思う。だが、先程(数十行前)遠城君が述べたようにボートは波に揺られているし、ボクの記憶違いの可能性もある」

「記憶違いなわけあるか!」

「ひ、平並?」

 

 明日川の台詞を聞いて、思わずそんな叫びが喉をついて出る。

 

「それがお前の才能だろ! 自分の記憶を信じろよ!」

「何熱くなってるのよ。そんな興奮することでもないでしょ」

「あ、いや、悪い……だが、水が増えていたんだったら、七原と東雲だけが参考書が沈んでたって証言した理由になるだろ」

「……それはそうだけど」

「いやしかし、それではなぜ水は増えたのでしょう。それこそ、バケツで注いだ人でもいるのでしょうか」

「そんなかたはいません!」

「ああ、そんな事をするヤツがいればオレ達が気づかないわけがない」

 

 杉野の言葉を、見張りをしていた城咲とスコットが否定する。

 

「では何か? 勝手に水が増えたとでも言うのであるか? やはり、東雲達の勘違いなのではなかろうか」

「そんなわけ無いだろ。明日川の記憶の中でだって、水は増えてるんだぞ」

「だから、本人の言う通り記憶違いであったのであろう。では、お主は水が増えた理由を説明できるのであるか?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる。その時。

 

「そ、そうか……!」

 

 顎に手を当てて思案していた根岸が、唐突に叫ぶ。

 

 

「あ、あのボートは、し、浸水してたんだよ……! だ、だから勝手に水が増えたんだ……!」

 

 

 浸水。根岸の言葉が、腑に落ちる。

 

「浸水……そうだ、浸水だ! それなら、現場で誰が見張ってても関係ない!」

「だから、私の意見と皆の意見が食い違ってたんだ」

「そう。勘違いでも記憶違いでもない。水は、本当に増えてたんだよ!」

 

 これなら、明日川の記憶についても説明がつけられる。明日川の視界の隅で、俺達が捜査をするそばで、ボートの水位はどんどん上昇していたんだ。

 

「それが何なの? 捜査中にボートの水が増えたからって、何にもならないじゃん」

「それは違うぞ、大天」

「え?」

 

 そう、あのボートが浸水していたのなら。

 蒼神がうつ伏せに寝かされていた、あのボートが水に沈んでいっていたのなら。

 

「この事実が、蒼神の殺害方法につながるんだからな」

 

 俺の言葉に次いで、息を飲む声がいくつも聞こえる。皆、気づいたのだ。

 

 

 

「蒼神は、ボートの浸水によって殺されたんだ! 浸水のせいでボートの水はどんどん増えていく! それが顔まで達したから、蒼神は溺死したんだ!」

 

 ようやく、『真実』に手が届いた。

 

 

 

「つまり、クロは直接手を下す事なく蒼神を殺したんだ。これなら、さっきの『モノクマファイル』の死亡時刻の事も納得がいく。蒼神が死んだのが『11:45』頃だとしても、そもそもクロは【体験エリア】にいる必要がないんだから、城咲に見つからずに俺を叩き起こす事は可能だ!」

「……それに、死亡時刻に幅があったのも解決しますね。蒼神さんは眠らされていました。傍から見ただけじゃ、水が顔まで達したかどうか、そしてそれで死に至ったかどうかは判断がつけづらいですから」

 

 杉野も、俺の意見に便乗する。

 

「だからこそ、モノクマは15分も余裕を持って書くしか無かったのです。そうですよね?」

「さあね~」

 

 大きな椅子に寝そべりながら、モノクマは生返事を返す。その真偽は分からないが、少なくとも、否定はされなかった。

 

「待った。本当にボートは浸水していたのか?」

 

 そんな俺達に、異を唱えたのはスコットだ。

 

「浸水した証拠は他にないのか? ここは、慎重になる場面だぞ」

「……証拠なら、ある」

 

 スコットの問に、火ノ宮が答える。

 

「なんだ、それは」

「蒼神の体は濡れていた……が、濡れていたのは前面、それもほとんど上半身だった。後頭部や背中は濡れちゃいねェ。そうだったよな、明日川」

「ああ。火ノ宮君の台詞通りだ。死体を発見した城咲君達にも問おうか」

 

 濡れ方か……言われてみれば、たしかにそうだった気がする。

 

 

――《間近で見る蒼神の体。ボートの中に水がたまっていて、そこに蒼神は顔を突っ伏している。乾いた背中は、波に揺られて静かに上下するだけだった。》

――《ボートは頭のほうに少しだけ傾いている。足の方はほとんど濡れていない。》

 

 

「はい、たしかにそのような濡れ方でした」

「だが、それがアオガミの殺害方法とどう関係があるんだ」

「水を注いで殺したんなら、もっと水は飛び散るもんだろォが。ただでさえ、犯行に使える時間は短かったはずだ。んな、後頭部や背中、足が濡れるのが気にして注ぐわけがない」

「バケツが使われていたという前提があった頃は、ずっと、クロはよほど慎重に水を注いだのかと思っていた(地の文をつけていた)。だが、そんな犯行方法(シナリオ)よりも浸水による水位の上昇で殺害したと考える方が状況的にもよっぽど自然だ」

「……そうか」

 

 二人の説明をうけて、納得した様子のスコット。それを見て、杉野が話し出す。

 

「他に、ボートの浸水について異論がある方はいらっしゃいますか?」

 

 声は、もう上がらない。

 

「それでは、蒼神さんはボートの浸水により殺されたとして議論を進めます。

 蒼神さんの殺害は、ボートの浸水を利用して自動的に行われました。つまり、12時に【体験エリア】に来なくとも犯行は可能ということになります。よって、容疑者は」

「そのことにかんして、わたしにいけんがあるのですが」

 

 杉野の声を制しながら、おもむろに城咲が手を挙げた。

 

「あァ? 今異論はねェってなったろォが」

「いえ、ぼーとの浸水にかんしては、なっとくいたしました。ただ、やはりクロは【体験えりあ】にやってきたのだとおもうのです」

「……なぜでしょうか」

「さきほどももうしました通り、わたしは製作場に入る前にぼーとをもくげきしていないのです」

 

 確かに、城咲はそんな証言をしていた。俺も大天もそうだ。

 

「ですから、わたしたち三人が製作場のなかにいるときに、くろがぼーとを流したはずなのです」

「だから、それはアンタが見逃しただけなんだって。最初からボートはあそこにあったのよ」

「みのがしてなど……!」

「……私は城咲さんの意見に賛成かな」

 

 そう口を開いたのは大天。

 

「見逃した可能性もあるかもしれないけど、私達を【体験エリア】に呼び出しておいてボートをそんな所に放置するのは、ちょっとリスクが高いんじゃないの」

 

 ……確かに。

 

「言われてみればそうだな。ボートの浸水で蒼神が死ぬ前に誰かに見つけられたら、計画がおじゃんだ」

「それどころか、蒼神君を見つけた誰かにクロの役を横取りされてしまう可能性(ストーリー)も考えられる」

「一理はあるけど」

「ですから、ぼーとはわたしたちが製作場にいたときにながされたのですよ。それまではどこか別のところにとめておきまして……」

「待ちやがれ。別のところってどこだ」

 

 城咲の言葉に、火ノ宮が口を挟む。

 

「それは、ええと……上流の、実験棟の前のさんばしではありませんか? あのあたりは、わたしはかくにんしておりませんから」

「いや、おかしいぞシロサキ。そこも結局見つかるリスクはある。人が横たわってるんだぞ。かなり目立つはずだ」

「そ、そんなこと言ったら、川の上だとどこに泊めても見つかっちゃうじゃないか……!」

 

 ……ボートは、どこにあったんだ?

 

「そ、そもそも、か、川の上にボートを隠せるところなんかないだろ……」

「いや、一箇所(一ページ)だけあるはずだ」

 

 そんな彼の反論を断ち切ったのは、明日川のそんな声。

 

「川の上で、ボートを隠せる場所なら――橋の下がある」

 

 ……あ!

 

「ボートは、橋の下にあったんだ。あそこなら橋の上からも見つからない(読まれることはない)し、街灯の光も橋で遮られて届かない。そこにボートがあると思って見なければ(精読しなければ)、見つけられるはずがない」

「そういうことか!」

「でしたら、やはりぼーとは隠されていたのです! そして、わたしたちに発見させるためにながしたのです!」

 

 息を吹き返すように、元気よく推理を述べる城咲。そうなると、クロはやはり【体験エリア】に来ていたのか?

 

「い、いや、それでもやっぱりおかしいだろ……そ、それって、せっかく蒼神を遠隔で殺したのに、わ、わざわざ自分の手で流したってことだろ……? そんなの、遠隔殺人の意味がないだろ……! し、城咲たちに見つかるリスクもある……!」

 

 そんな推理を切り捨てる、的を射た根岸の反論。

 

「ですが、これならわたしがぼーとを見なかった理由もせつめいできます」

「だが、根岸君の意見も無視できないだろう。せっかくの犯行計画(トリック)が台無しになるのだから」

「なら、それもトリックなんじゃないのか」

 

 彼女達の議論を聞いて、そんな発想に思い至る。

 

「とりっく、といいますと」

「自動で、ボートを流す仕掛けだよ。殺人すら遠隔で行ったんだ。それくらい仕掛けていてもおかしくないだろ。まさしく、クロが【体験エリア】に行ったのだと思わせるために」

 

 実際はそこまでの意図はないのかもしれない。けれど、蒼神が死ぬまでは見つからないように隠して、蒼神が死んでからは見つかりやすいように移動させたかった、とは十分に考えられる。

 

「……平並君の言う通りですね」

 

 杉野が賛同してくれた。

 

「なら、皆で考えるぞ。その、クロの仕掛けたトリックってヤツをな」

「そうですね。幸いにも、考えるための材料はありますから」

「ざいりょう、ですか?」

「ええ。ボートに残されていた異様な痕跡。それがそのトリックに関わっているのは明白です」

「異様な痕跡というのは、妙に削られた飾り棒とそれにくくりつけられていた黒い毛糸のことで間違いない(決定稿)か?」

「はい」

 

 明日川も目撃していたのだろう、スラスラと答えてくれた。

 ボートの先頭部分に突き出た四角い棒。その内側の一片が削られて斜めになっていた。さらに、そこに異様な長さの毛糸がくくりつけられていた。

 

「確か、毛糸は先が輪っかになってたわね」

 

 と、東雲は指で輪を作って示す。

 これらを利用した、トリックとは?

 

「で、でも、ど、どこから考えればいいんだよ……け、毛糸とか、つ、使おうと思えばどうとでも使えるだろ……」

「他に、何かヒントになるような痕跡は残ってなかったの?」

 

 その大天の声を聞いて考える。ヒント……毛糸……あ。

 

「痕跡なら、あった」

「……どんなやつ?」

「実験棟前の、桟橋。そこに立ってた杭の中で、一番川下に近い杭に毛糸のクズがついてたんだ。黒い毛糸のな」

「確かにありましたね」

「黒い毛糸って……じゃあ、もしかして」

 

 七原の言葉に反応するように、俺の頭に光景が浮かぶ。あそこに、毛糸のクズが付くのなら。

 

「あの輪っかを、あの杭に引っ掛けたんじゃないのか? だから、あんなところに毛糸のクズがついたんだよ」

「それは違うわ、平並。あの毛糸は長すぎるもの」

「……あ」

 

 言われて、毛糸は製作場から図書館までとどきそうなほどに長かったことを思い出した。それほどの長さがあるのなら、橋の下など簡単に越えてしまう。

 

「でも、杭に毛糸のクズがついてたんだったらその杭がトリックに関わってるのは間違いなさそうだよね」

 

 と、七原。

 

「それはそうでしょうけど。やっぱり、毛糸の長さが問題よ。橋の下に泊めたいのに、なんであんな長さにしたのかしら」

「……長さ」

 

 杉野がその言葉を反芻する。

 

「……あの長さなら…………もしそうなら……しかしどんな意味が……いや、そうか…………」

 

 ぶつぶつと、彼は何かを呟きながら考えていた。

 

「……そういうことですか」

 

 彼は最後にそう口にした。

 

「杉野君、分かったのか」

「ええ」

「……言ってみろ」

 

 火ノ宮にそう催促され、彼は語りだす。

 

「毛糸のクズが付いてたのなら、あの桟橋の杭に毛糸が引っ掛かったのは間違いないはずです。毛糸の長さは桟橋から橋までの距離のおよそ二倍でした……なら、毛糸を半分に折ってしまえばちょうど良くなりますよね」

「半分に折る?」

「はい。輪っかの部分は杭ではなくボートの先頭の飾り棒に引っ掛けて、折り曲げた方を杭に引っ掛けたのですよ」

 

 腕を曲げて、ジェスチャーと共に説明した。

 

「ええと……」

 

 毛糸に作られていた輪っかを飾り棒に引っ掛けることで、あの長い毛糸はボートを起点にして大きな輪になる。その大きな輪を、杭に引っ掛けたのだ。こうして毛糸を半分の長さにすることで、ボートを橋の下に泊めた、ということか。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そして、こうしてこそ完成するのです。自動でボートを流すトリックが」

 

 なんだって?

 

「こんな簡単な仕掛けで?」

「ええ。大事な事は、あのボートは浸水していたということ。そして、参考書などのせいで前に傾いてたと言うことなのです」

 

 再度ジェスチャーを交えながら、説明が始まる。

 

「先程申した通り、ボートは杭を介して、飾り棒に輪っかを引っ掛けて泊まっていたのです」

 

 杉野は人差し指を立て、そこにもう片方の手で作った輪を引っ掛ける。人差し指を横に引っ張るが、輪に引っかかって止まる。

 

「その状態で、時間が経過すると一体どうなるでしょう?」

「どうなるって、浸水すんだから、水が溜まってくに決まってんだろォが」

「そのとおりです。水が溜まって、大きく傾くことになります。参考書などのおかげで、水は前にばかり溜まりますからね。その結果」

 

 その言葉とともに、人差し指が傾いていく。水平に近づくに連れて、徐々に輪は滑り、そして。

 

「傾いたボートの飾り棒から、毛糸の輪が外れます」

 

 人差し指が、輪から抜けた。

 ああっ、と。皆から声が上がる。

 

「これで、自動的にボートは川の流れに乗って流されることになります。毛糸も端が外れたので、ボートに引っ張られて杭からも離れます。……こうして、城咲さん達が発見した状況が出来上がるのです」

「……そういう、ことだったのか」

 

 おもわず、そんな声が漏れる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「更に根拠を加えるとするなら、飾り棒が削られていたのもこのトリックのためでしょう。毛糸が引っかかる内側の一辺を斜めに削ることで、毛糸が外れるタイミングを調整したのではないでしょうか。そのままだと、かなりボートが傾かなければ毛糸が外れませんからね」

「なるほど……」

「ちょ、ちょっと待てよ……そ、それだったら、ぼ、ボートに毛糸をくくりつけなくても良いだろ……さ、最初から半分の長さにして、く、杭にくくりつければ済んだ話じゃないか……」

「ええ、確かにそれでもこのトリックは成立したでしょう。しかし、その場合毛糸はボートでなく杭に残ることになります。そうなると、その長さからボートを橋の下に隠した事は容易に想像がついてしまいますよね。

 クロは、そこに推理が至ってしまう事を忌避したのでしょう。クロが偽装したバケツを用いた殺害ならば、眠らせた蒼神さんを毛糸を使ってまでそんなところに隠す必要など無く、実験棟やアトリエの中に隠せばよいはずですから」

「そ、そうか……」

 

 さらなる杉野の補足を持って、その推理は完成する。

 

「……これ以上、異論はありませんね?」

「…………」

 

 誰からも声は上がらない。

 殺害方法は、暴かれた。

 

「つまり、こういうことになります。――誰にでも、どこにいても、蒼神さんの殺害及びボートの移動は可能だった、と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、容疑者の特定に参りましょう」

 

 静まった裁判場で、杉野が話し始める。

 

「蒼神さんが遠隔で殺害された以上、クロの条件として、あの時間帯に完璧なアリバイを持っていた事が挙げられます」

「それは間違いないはずだ。だからこそ、クロはあれほど呼び出し状を出したんだろうし」

 

 ここまでの流れを受けて、思いついたことがある。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「クロが出した呼び出し状は、全部アリバイ工作のためだったんだ。12時に俺や大天を製作場へ呼び出したのも、城咲を展望台に呼び出したのも、全部、クロが死亡時刻である12時に【体験エリア】に行っていないと証言してもらうためだったんだよ」

「ネギシやヒノミヤは? あの二人が呼び出されたのは11時半だっただろ」

「そ、それは多分、か、カモフラージュだったんじゃないかな……じゅ、12時だけに出すと怪しまれるから……」

「根岸君は前回その命を狙われているし、火ノ宮君は非常に真面目な性格をもつ人物(キャラクター)だ。どちらも呼び出しに応えそうにないからこそ、死亡時刻より早い11時半の『手紙』を出されたんだろうな」

「じゃあ、アタシは?」

 

 東雲が、自身に出された手紙を揺らしながら声を上げる。東雲は1時に自身の部屋にいるように指示されていた。

 

「東雲は多分、個室にとどめておきたかったんじゃないか? 東雲の行動は正直読めない。犯行を邪魔されないように、事件が露呈するまで個室にいてほしかったんだよ」

「何よ平並、人を幼稚園児みたいな言い方して」

 

 そんなかわいいもんじゃない。

 

「今の平並君の話も踏まえれば、アリバイを持った人物がクロであるのは間違いなさそうですね」

「あ、あえて、く、クロが自分のアリバイをなくした可能性は……?」

「ありえねェこともねェが、そもそもこいつらは全員それ以外の理由で容疑者から外れるだろ。殺害方法が変わろォが、10時半に蒼神とクロが呼び出されたのも、クロが12時に平並を叩き起こしたのも変わんねェからな。その四人は無実だ」

 

 さっきまで容疑者だった俺達四人が、今度は一転真っ先に容疑者から外された。

 

「七原さんと同様に大天さんのドアチャイムの音を聞いたという、露草さんと根岸君もクロではないでしょう」

「ねえ、ちょっと気になったんだけど」

 

 杉野の言葉を聞いて、大天が口を開く。

 

「私のドアチャイムを聞いたって理由で七原さん達が容疑者から外れるなら……私のドアチャイムを聞いていなかった明日川さんは、怪しいんじゃないの?」

 

 視線が、彼女に集中する。そうだ、大天は、明日川の個室のドアチャイムも鳴らしていた。

 

さっき(前話で)も伝えたはずだ。ボクは夢の物語を読んでいたと」

「そんなの、理由になんないじゃん。……本当は、蒼神さんを眠らせに行ってたから、聞こえなかったんじゃないの?」

「それは数ある物語の中の一つに過ぎない。キミの妄想だ」

 

 大天の追及をかわす明日川。そんな彼女に、更に追及が入る。

 

「……いや、クロは、アスガワだろ」

「どうしてだい?」

「思い出してみろ。今回のクロは、ヒラナミをクロに仕立て上げようとしただろ」

 

 学級裁判が始まってすぐ、俺はクロと断定された。クロの残した、偽の呼び出し状や睡眠薬の染み込んだハンカチによって。

 

「クロは、『モノモノスイミンヤク』を使用している……その上で、ヒラナミにクロを押し付けられるのは、ヒラナミが『モノモノスイミンヤク』を持っていると知っているヤツだけだ。アスガワ、お前はそれを知っていただろ」

 

 俺が蒼神に頼んで『モノモノスイミンヤク』を貰いに行ったあの時。明日川達と遭遇して、その事を確かに伝えた。

 

「……ボクじゃない」

 

 ポツリと、つぶやく。自分が劣勢にいると、気づいたのだ。

 

「ボクは蒼神君を殺して(蒼神君の物語を終わらせて)なんかいない! 本当に、ボクじゃないんだ!」

 

 いつぞやも聞いたような、その台詞。あの時は、明日川は本当の事を話していた。

 けれど、まさか、今度こそ。

 

「……っ!」

 

 顔を青ざめた明日川と、目が合う。

 ……今度こそ、明日川がクロなのか? それとも、明日川を信じていいのか?

 

 

――《「俺も、お前と友達でいたい」》

――《「……いい台詞だよ、平並君」》

 

 

 瞬間、いつか交わした会話を思い出す。

 ……信じるべきだ。明日川と友達でいたいなら!

 

「明日川、お前を信じる」

「平並君!」

「……アスガワをかばうのか?」

「かばうって言うが、俺が『モノモノスイミンヤク』を持っていたことを知ってるって理由で明日川を疑うなら、お前だって容疑者だろ」

「それくらい分かってる」

 

 さもなげにスコットは答える。

 

「だが、アスガワはオオゾラのドアチャイムを聞いていなかった。それはクロと思える大きな理由だろ」

「だから、明日川は寝てたって言ってるだろ? 寝てる人間の耳にドアチャイムの音が聞こえるわけがない」

「聞こえるだろ。だって、オマエ自身が言ったじゃないか。寝てたところをドアチャイムで叩き起こされたと」

「それは俺の眠りが浅かったからだろ。明日川は眠りが深い体質みたいだし、それならドアチャイムに気づかなくてもおかしくは……」

 

 自分の言葉に引っかかる。眠りが深ければ、ドアチャイムに気づかない。それはそうだ。なら、睡眠薬を飲んでいたら? その状況だってドアチャイムには気づかないはずだよな?

 だったら、だったら!

 

「どうした、ヒラナミ」

「わかったんだよ! やっぱり明日川はクロじゃない。お前の推理は、間違ってるんだ!」

 

 考えるべきは、明日川のことじゃなくて、俺のことだったんだ。

 

「……理由を、聞こうか」

「さっきお前は言ったよな。俺にクロを押し付けられるのは、俺が『モノモノスイミンヤク』を貰うことを知ってるやつだけだって」

「……ああ」

 

 いぶかしみながらも、肯定が返ってくる。

 

「逆なんだ。俺が『モノモノスイミンヤク』を貰うことを知ってるやつなら、俺にクロを押し付けようとするわけがないんだよ。だって、俺はこの夜中はずっと眠っているはずだったんだから!」

「っ!」

「クロは、俺を【体験エリア】に呼び出して、偽の呼び出し状まで用意して、俺をクロに仕立てあげた。でも、この計画は俺がドアチャイムで目を覚ます事が前提になってる。なら、俺が『モノモノスイミンヤク』で眠ることを知っていた明日川は、こんな計画を立てるわけがない!」

 

 俺が目を覚まさなければ、自分のためにやった呼び出し状のアリバイ工作がそっくりそのまま俺のアリバイになってしまう。

 

「べ、べつに、お、おまえが薬を持ってるからってそれを飲むとは限らないじゃないか……お、おまえが薬を飲んでないことに、く、クロは賭けたんじゃないのか……? お、起きてこなかったらおまえの事をほっとけばいいわけだし……」

「そうしたら、蒼神に持たせた偽の呼び出し状が何の効果も為さなくなる。俺にクロを押し付けたのは、完全に仕組まれたものだったはずだ。だから、クロは俺が『モノモノスイミンヤク』を貰ったことを知らない人物だ」

 

 クロがどの段階でこの計画を思い付いたのかは知らない。だが、蒼神を浸水するボートに乗せた時点で、俺をクロに仕立てあげる事は決定していたはずだ。つまり、俺が睡眠薬を飲んだことは全くの計画外だったということになる。

 

「平並君の薬の件を知っていた方は?」

「彼に薬を渡した根岸君は当然として、ボクとスコット君、そして岩国君だ。他にはいるか?」

「いや、いないはずだ」

「では、新たに三名が容疑者から外れますね」

「な、なあ……ちょ、ちょっといいか……?」

「あァ?」

「そ、そんな声出すなよ……」

 

 火ノ宮に怯えながら、根岸は語る。

 

「く、クロは平並をクロに仕立てあげようとしたけどさ……ぼ、ぼくから薬を貰わないと平並は薬を手に入れられないよな……?」

「ええ、平並君はずっと軟禁されていましたし、唯一平並君が自由になった今夜は根岸君がが薬を管理していましたからね」

「だ、だったら、ひ、平並が薬を貰ったことを知らないやつは、ひ、平並をクロに仕立てあげようなんて思わないんじゃないか……?」

「……確かに」

 

 クロは、わざわざ薬を染み込ませたハンカチを新家の個室に捨ててまで、『俺が薬を使って反抗に及んだ』と印象づけた。でも、俺には薬を得る手段なんかない。

 

「そ、そうなると、ほ、他のやつもクロじゃないってことに……」

「そうはならないはずよ」

 

 そこで異を唱えたのは東雲だ。

 

「だって、アタシはその薬の管理なんか知らなかったもの。化学室にあるもんだと思ってたわ。だから、アタシからしたら、『平並が化学室の薬を使って犯行に及んだ』ってシナリオは十分成立する話なのよ。それこそ、眠れないから夜中に蒼神と一緒に化学室に行った、とかね」

「東雲君の言うとおりだ。となると……確か、薬の管理を提案したのは火ノ宮君だったな」

「あァ」

「なら、容疑者から外せるのは彼だけだ」

「そうね」

 

 あの停滞が嘘のように、議論が進行していく。

 

「では……残る容疑者は東雲さんと遠城君、そして僕の三人になりますね」

 

 三人。大分少なくなってきた。

 

「ふふ……良いわね、真相に近づいて来た感じがするわ。あと少しね!」

「な、なんでそんな楽しそうなんだよ……お、おまえもまだ容疑者だろ……」

「だって、本当に楽しいんだもの! クロのミスリードにはまっちゃったのは癪だけど、次々と真実が明らかになっていくカタルシスは気持ちいいわね」

 

 微妙に答えが噛み合ってない。根岸は推理ゲームの感想を聞いたわけじゃないのだ。

 

「シノノメ、オマエに焦りはないのか? オマエがクロだとしてもそうでないとしても、この期に及んでまだ容疑者に含まれているのは望ましくないはずだが」

「焦りならあるわよ。それがいいんじゃない! だからこそ、アタシ達はどこまでも本気になれるんだから!」

 

 ……呆れた。

 

「では、あなたの無実を証明する方法はまだ無いと?」

「そうね、杉野。こんなことなら、もっとミステリを読んでおけばよかったわ。明日川、何かオススメない?」

「キミに物語を紹介するのは今度(次章)にしよう。今は学級裁判の時間(シーン)だ」

「それはそうね。じゃ、次は何について話す?」

「それではボクから議題(テーマ)を提案させてもらおうか」

 

 東雲をあしらったその口で、明日川が語り始める。

 

「平並君は、蒼神君が息絶える時刻に合わせて呼び出された。そうだったよな?」

「ええ、彼をクロは仕立て上げるために。それが同化されたのですか?」

「なぜ、クロは12時に蒼神君が死ぬと知っていたんだ?」

「え?」

「だって、その通りだろう? もしも12時よりずっと前に蒼神君が事切れる(蒼神君の終章)事があれば現場不在証明(アリバイ)や冤罪の偽装は成立しないし、逆にそれが遅れれば蒼神君の死亡(エンドロール)を迎える前に平並君が蒼神君を発見してしまう可能性も出てくる。クロが蒼神君の死亡時刻を把握していたのは間違いないんだよ」

「けどよォ、蒼神が死ぬ時刻の把握なんかできねェだろ。そん時には城咲が展望台にいたんだから、ボートをチェックしてるのは無理だろォしな」

「ああ。だからこそ、謎なんだ」

「そんなの、計算でもして予測してたんじゃないの?」

 

 と、大天は言うが、

 

「そ、そんなの、で、できるわけない……!」

 

 根岸が、ハッキリと否定する。

 

「じゃ、蛇口をひねってコップに水を溜めるのとは、わ、わけが違う……ど、どれくらいの速度で水がボートに入るかは、あ、圧力によって変わるから、ぼ、ボートの重さや蒼神の体重で変わってくるし……す、水位の上がり方だって、ボートの形や人体の形も影響してきそうだし……け、計算なんか無理だ……!」

「言われてみれば、さっきスギノが言った毛糸が外れる仕掛けだって、時間の予測は出来ないよな? 浸水スピードがわからない以上、どれほどの時間でボートがどれだけ傾くかもわかり得ない」

 

 それでも、クロは計画に蒼神の死を組み込んだ。クロは、何らかの方法で蒼神が死ぬタイミングを知っていたんだ。その方法は――?

 

「『練習』したのよ!」

 

 突如、嬉しそうに東雲が叫ぶ。

 

「クロは、殺人の『リハーサル』をしたから、浸水スピードがわかったのよ!」

「『リハーサル』?」

「そう! 実際に、試してやってみたから、水が溜まって蒼神が死ぬまで、そして、毛糸がボートの飾り棒から外れるまでの大体の時間を知ってたのよ。その証拠だってあるわ。そうよね、杉野に平並」

「……そうですね」

 

 東雲の言う、練習の証拠……きっと、【体験エリア】に残されていたアレのことだ。

 

「台車の跡、だよな」

「そうよ」

「……てめーらだけで納得してねェで、説明しやがれ」

「言われなくても。【体験エリア】の向こう側の岸に、台車の跡が何本もあったのよ。ちょうど、二つの桟橋を往復するようにね」

 

 皆は目で杉野や俺にその信憑性を尋ね、俺達のうなずきを見て本当であると理解する。

 

「クロは多分何回も練習したのよ。毛糸のトリックも一回でできるとは思えないし、浸水のスピードもせっかくなら何度か実験して調べたほうがいいし。その時に台車の跡がついたのね」

「でも、だいしゃなんて何につかったのですか?」

「上流にボートを上げるため……っていう可能性もあると思うけど、練習に使った道具があるから、それを運んだのかもしれないわ」

「ど、道具?」

「ええ、アトリエにあった、石材よ」

 

 そう切り出して、彼女は石材の事を説明しだした。いくつも斜めに水が染み込んでいたこと、そして、それらが明らかに隠される様に置かれていたことを。

 

「そう言えば、あの時お前は何か考えていることがあるって言ってたよな。それってなんだ?」

「あ、そんな事言ったわね。あれは嘘よ」

「は?」

「ワケわかんなかったけど、それを正直に言うのは癪だったし。でも、今は違うわ」

 

 困惑する俺をよそに、彼女はニヤリと笑う。

 

「さっき根岸もちらっと言ってたけど、ボートの沈むスピードは蒼神の体重も考慮擦る必要があるのよね。ただボートを浮かべただけじゃ実際に蒼神の死ぬ時間は分からない。ってことは、練習の時にはその蒼神の代わりが必要だったってことになるわ」

「それが、石材ってことか」

「ええ。蒼神の体重はわからないけど、石材は大体一つ10キロだから5個ぐらい積めばおおよそのシュミレーションはできたはずよ」

 

 それで大体50キロ……実際、女の子の体重ってどれくらいなんだろう。

 

「……だから、あの石材は濡れていたんですか」

「ええ。浸水するボートに乗せてたから濡れたのよ。ま、蒼神の死ぬ時間を測るなら石材じゃなくてクロ本人が乗ってもいいかもしれないけど、桟橋からボートをセットする練習もするなら石材を乗せてやったほうがいいわね」

「……で、でもそんなの、い、いつやったんだ……?」

「そんなの、今日の日中しかありえないわ。夜時間になってからじゃそんな時間はないし、今朝の時点でボートが浸水するようになってたら誰か気づくでしょう?」

「……ああ、確かに、今朝個室に閉じこもる前の時点では、ボートに異常はなかった」

 

 明日川が、記憶をたどってそう相槌を打つ。

 

「なら、やっぱり練習は日中に行われたのよ。今日の日中は皆個室に閉じ籠っていたんだし。クロは、人の目を気にすることなく思う存分練習できたんじゃないかしら」

「……ということは」

 

 静かに、杉野が呟く。

 

「事件を行わせないために個室へ閉じ籠ったのに、それが事件を起こしやすくしてしまった……そういうことですか」

「そうね」

 

 悔しそうな、杉野の表情。今回の閉じ籠もりを提案したのは、杉野だった。皆を助けるために出した自分の作戦が、逆にクロに利用されてしまったのだ。その苦しみは想像するに余りある。

 

「いえ、まってください」

「何よ、城咲」

「ひるのうちにくろは犯行のれんしゅうをした、とのことでしたが、そんなことはありえません!」

「ど、どうして……?」

「だって、にっちゅうは、だれも宿泊棟からでてはいませんから! わたしと蒼神さんがいた食事すぺーすはかべでなく鉄柵でかこまれていますから、宿泊棟のいりぐちも【自然えりあ】へつながるげーとが確認できます。もしだれかが宿泊棟からでてくれば、きづかないわけがありません!」

 

 声高に、城咲はそう主張する。

 今更彼女の証言を疑う必要はない。その場にはまだ蒼神もいたのだし、本当に誰も宿泊棟を抜け出さなかったのだろう。しかし、今日の日中にクロが【体験エリア】で犯行の練習をしたのも間違いはないはずだ。あの数々の痕跡を残せるのはその時間しかないんだから。

 となると、そこから導き出される結論は。

 

「クロは、個室に戻らなかったんだ」

 

 これしかない。

 

「もどらなかった……」

「クロは、【動機】が提示された時点で、記憶のヒントを見るまでもなく犯行を決意したんだ。多分、ボートの浸水を利用したトリックは前々から思いついていたんじゃないのか」

 

 思い返せば、古池もそうだった。元々思いついてたガラスの破片を利用したトリックを、明日川と新家の口論をきっかけに実行することに決めたのだから。

 

「解散になってから、隙を見て【体験エリア】に移動したんだろう。そして、俺達が【宿泊エリア】にいる間に、犯行の練習を始めたんだ」

「それだと、クロは最初から殺す気満々だったってことになるじゃん。【動機】とか関係なくさ」

「きっと、そうだったんだよ、大天さん。だって、そもそもクロは人知れず『モノモノスイミンヤク』を持ち出してたんだし」

「……そうだったね」

 

 真相が明るみになるに連れ、クロの殺意がより色濃く現れる。……今はそれを気にしてはいられない。なぜ殺意を抱いたかは、その正体を突き止めてから、本人に聞くしか無い。

 

「ま、待って……く、クロは蒼神と一緒にアトリエに呼び出されて、それで犯行に及んだんだろ……? こ、殺す気満々だったようにはおもえないけど……」

「……いや、どのみち、蒼神と城咲が食事スペースにいたんだから、クロが誰かを呼び出そうとしても夜時間までは宿泊棟に戻れない。夜時間になってようやく宿泊棟に戻った時に呼び出し状を見つけて、それを犯行に利用しようと考えたんだろ」

「…………」

 

 ともかく、クロが個室に戻らなかったというのなら、容疑者から外れる人間が、一人だけいる。

 

「なら、アタシは無実よね」

 

 俺が気づくと同時に、その人物が声を発した。

 

「ああ。東雲はクロじゃない。東雲はきちんと個室に戻ったはずだ。そうだよな、城咲」

「はい。かんぜんにみなさんがとじこもる直前、わたしと蒼神さんは東雲さんから焼却炉のかーどきーを預かるために個室を訪ねました。東雲さんはでてくださいましたよ」

「ああ、だから蒼神君がカードキーを持っていたのか」

「そうよ」

「…………個室に戻ったらドアは開けねェっつー約束だろォが」

「細かいことは良いじゃない。ああ、やっと容疑者から外れたわ。このまま無実を証明できなかったらどうしようかと思っちゃった」

「と、とにかく……の、残る容疑者は二人ってことになるのか……」

「ああ、そうだ」

 

 東雲が容疑者から外れたことで、容疑者は二人に絞られる。

 すなわち、杉野と、遠城だ。

 

「シロサキ……いや、他のヤツでもいい。この二人のどちらかが個室に入ったところを見たヤツはいるか?」

 

 スコットの呼びかけに答える声はない。確か、城咲も一度個室に戻ったはずだったし、宿泊棟に全員が戻ったかを確認はしていないだろう。誰かが個室に戻った杉野か遠城を見ていればその人物の無実が証明されるが、それはできなさそうだ。

 

「ならば、クロは杉野であろう。吾輩はクロではないのであるからな」

「僕だって蒼神さんを殺してなどいません。……遠城君がクロだと、思わざるを得ません」

 

 互いに相手がクロだと主張する。本人からすれば、そう言うしか無い。

 

「僕がクロなら、ここまで積極的に真相を明らかにするでしょうか? ボートの毛糸の仕掛けも、僕が暴いたんですよ」

「まさに今ここで、そう主張するための布石であったのであろう。吾輩に無実を証明する手立てが無いと踏んだ上でな」

 

 どっちなんだろう。正直な事を言えば、どちらもクロとは思えない。思いたくない。

 杉野は、蒼神とともに俺達をまとめてくれた。諍いが起きればそれを仲裁し、円滑に事が進むようにサポートしてくれた。【動機】が提示されるたびに、事件を防ごうと色々な案を出してくれたし、蒼神が死んでからは一人でリーダー役を担っていた。学級裁判だって、積極的に推理を披露してくれた。

 それに。

 

 

――《「平並君。僕はあなたを信じています」》

――《そんな俺に、杉野が声がかけた。》

――《「あの日、あなたは僕に【卒業】の意志はないと言ってくれました」》

――《いつだったか、たしかに俺はそう言った。そして、それは今でも変わらない。》

――《「まだ事件の全容がつかめているわけではありませんが、それでも、あなたのその言葉を信じたいと思います」》

 

 

 クロの策略により、限りなくクロとして疑わしくなってしまった俺を、杉野はそれでも信じてくれた。そんな彼の信頼を信じたい。

 

 しかし、遠城だって、殺人に及ぶようなやつとは思えない。

 杉野ほど一緒に過ごした時間があるわけではないが、その短い時間でも、彼が正義感に溢れた人間だということは理解できる。

 

 

――《「少なくとも、こんなどうでもいいところで協調性とか持ってらんないわよ」》

――《「どうでもよくなどないのである! モノクマに対抗するために一致団結せねばならぬ状況であるぞ! 大体、お主には倫理観というものが欠けているのである!」》

――《「そこらへんは個人の感性に依るところかしらね。人それぞれってやつよ」》

――《激情を飛ばす遠城に対し、あくまでマイペースに返事をする東雲。遠城の熱い正義感も含めて、とことん対照的な二人だ。》

 

 

 コロシアイを楽しむ東雲に怒りを抱き、それを真正面からぶつけることができる。殺人を忌避し、真っ当な倫理観を掲げている。そんな彼の激情を信じたい。

 

 

 信じたい、二人とも。

 本当に、この中にクロがいるのだろうか。いざ、クロを突き止める段階になって、不意にそんな事を考えてしまう。いないんじゃないのか。だって、二人とも間違いなくいいやつだ。消去法で、ここまで容疑者として残ってしまっただけで、そのどちらにも怪しいところなんか。

 

「――っ!」

 

 怪しいところなんかない、と判断しかけて、瞬間、あの会話を思い出す。捜査時間の時に交わしたあの会話。あの違和感。ただの気恥ずかしい失敗談が、まったく違う意味を持って蘇る。

 なぜアイツはあんな事をしたのか。その答えは――。

 

 待て、本当にそうか。目の前のわかりやすい真実に飛びついているだけじゃないのか。

 アイツを信じることは、出来ないのか。ちょっと怪しい事をしただけで、そんな結論を出してもいいのか。

 

「………………」

 

 悩む。

 

 それでも。

 

「なあ、皆」

 

 誰かが、口にしないといけない。

 

「あァ?」

「今回のクロは、アリバイトリックを成立させるために行動していたよな」

「あァ。わざわざ練習を繰り返して、クロは蒼神が死ぬまでの時間を確認して、それをトリックに組み込んでいた。12時に誰かを宿泊棟の外に呼び出して証人にすることで、犯行時刻に【体験エリア】には行けねェっつーアリバイを作り出したんだ」

「そうだ。だからこそ、クロはあんなに沢山呼び出し状を出したんだ。もしも、一人二人にだけ出して、そいつらが呼び出しに応えてくれなかったらアリバイにならないからな」

「そ、それがどうしたんだよ……」

「逆に言えば、クロはどうしてもアリバイを作る必要があった。何かのトラブルで……例えば、【体験エリア】に呼んだ三人が全員製作場に入ってしまうなんてことがあったとしても、アリバイを主張しなくちゃいけなかった」

 

 例えば、誰も呼び出しに応えなければ。

 例えば、自分の予期せぬ何かが起こってしまったら。

 

「だから、クロは何があってもアリバイが主張できるように、自分のアリバイだけは強固に作ったはずなんだ」

「そういうこと」

 

 東雲は、そう呟いてニヤリと笑う。

 

「クロは、自分の個室に他の人を呼んだのね。蒼神の死体が発見された時に何気ない顔で個室から出ていくことで、個室に呼んでずっとドアの前にいた相手をアリバイの証人にしたのよ」

「じゃあ、クロは……」

「そう! 遠城や露草を呼んでアリバイ工作を図った、杉野がクロ――」

 

「それは違うぞ!」

 

 推理を語った東雲に、大きな声でその言葉をぶつける。

 

「逆なんだよ。そうしたって結局、アリバイが成立するかは呼び出しに応えるかどうかにかかっている。実際、露草は杉野の個室に行ってないだろ」

 

 そう、それじゃ、100%のアリバイにならない。

 

「個室で待ってる方と、個室を訪ねる方。アリバイを確実に作れるのは、訪ねる方に決まってる」

 

 

 

 

「そうだよな、遠城」

 

 そして、俺は彼の顔を見据えた。

 

 

 

 

「…………ふはははは!」

 

 一瞬の沈黙の後に、彼は笑う。

 そして、すっと笑みを消し、

 

 

「……そのアイデア、実に滑稽であるぞ!」

 

 

 激情とともに反論した。

 

「滑稽なもんか。お前は、自分のアリバイを示すために自分宛てに呼び出し状を作り、杉野の個室を訪ねた。そうだろ」

「そんなもの、言いがかりであろう! お主の妄想であるぞ!」

 

 違う。遠城がクロであることは、きっと想像なんかじゃない。

 

「クロは、杉野である! 杉野は自分から動くのはリスクが高いと考えたのであろう。だから、吾輩や露草を利用してアリバイを作ろうと考えたのである」

「それは違うぞ。遠城」

「何?」

「お前がドアチャイムを鳴らした時、杉野は出てこなかった。そうだよな?」

「そうである。それがどうしたのであるか!」

 

 この事実が、杉野がクロでない証拠になる。

 

「もし杉野がクロなら、どうして個室から出てこなかったんだよ」

「どうしてって、そんなもの! ……ッ!?」

 

 失態に気づいたかのように、遠城は目を見開く。

 

「もしお前の言う通り杉野がお前を呼んだんだとしたら、杉野はすぐに個室から出てお前と合流するはずだ。そうしないと、アリバイが成立しないからな」

「いや、吾輩がドアの外にいたことで、杉野は個室の中にいてもアリバイが成立しているのであるぞ」

 

 遠城は間を開けることもなくすぐに反論のアイデアをひねり出す。ならそれを撃ち砕くだけだ。

 

「そんなの、お前がしばらくドアの前にいるってわかってないと成立しないだろ。一回ドアチャイムを鳴らしてお前がもし妙に思って個室に戻っちゃったらアリバイは成り立たなくなる」

「ぐ……」

 

 遠城が言葉に詰まる。畳み掛けるなら今だ。

 

「お前がなぜ何度もドアチャイムを鳴らしたのか……それこそ、アリバイ工作なんじゃないのか」

「言ったであろう! 吾輩は自分の才能を褒められて浮かれてしまったと。そこをほじくり返されてはかなわんぞ!」

「そういう言い訳ができるように、そういう文面にしたんだろ。浮かれていたとしても、流石に長過ぎるんじゃないのか」

「杉野が寝てると思ったからである! だから、ドアチャイムで起こそうとしただけであるぞ!」

「起こそうとした……そうだよな。だって、お前は杉野には起きてもらわないと困るんだからな」

「……っ!」

 

 図星のようだった。

 

「僕に起きてもらわないと困る……ですか?」

「ああ。そもそも遠城はどうアリバイを主張するつもりだったのか……杉野が個室から出てきたらそれでいいが、そうでないなら、誰も自分とは合流しない。そんな場合でもアリバイが主張できるように、遠城は何度も何度もドアチャイムを鳴らして杉野を起こしたんだ。

 そうすれば、杉野に『遠城は12時からずっと自分の個室のドアチャイムを鳴らしていた、だから犯行は無理だ』って、証言してもらえるからな」

「……なるほど」

「杉野に呼び出し状を出さなかったのは、杉野に部屋にいてもらわないと困るからだ。東雲みたいに手紙を出してもいいが、個室から逃げられる可能性もある。スコットと岩国に呼び出し状を出さなかったのは杉野のカモフラージュだ。違うか」

「…………」

 

 遠城は、無言のまま俺を睨んでいる。俺の推理が当たっているのか、それとも無実を信じてもらえず諦めたのか。

 

 そのどちらにしても、前に進むしか無い。

 凡人である俺でも蒼神の無念を晴らすことができるのなら、俺は足を止めたくない。

 

「事件のすべてを振り返る。もしも、そこに矛盾が無かったのなら、お前がクロであることを認めてくれ。それで、終わりにしよう」

 

 長い長い夜も、とっくに明けているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

「この事件は、モノクマによって【動機】を提示された直後から始まった。クロは、【動機】である記憶のヒントを見ることなく殺人計画を始動させた。きっと、前々から練っていた計画だったんだ。そして、今こそがそのチャンスだと感じ取って、実行に移ったんだ。

 人知れず体験エリアへ移動したクロは、ボートが浸水するように細工を施した。毛糸と桟橋の杭を利用してそのボートを橋の下に隠すことができるようにすると、クロは石材を利用して犯行のために練習を重ねた。

 ボートが浸水するスピード、そして仕掛けそのものがうまく作動するかどうかを、クロは日中の間の練習で全て把握したんだよ」

 

 そしてその練習は、誰にも邪魔されず、誰にも目撃されずにクロは存分に行うことが出来た。だって、他の皆は全員【宿泊エリア】にいたのだから。

 

「夜時間になり、蒼神達が個室に戻ったタイミングで自分も個室に戻る。きっと、その時に自分を10時半に呼び出す手紙を見つけ、その差出人をターゲットにしようと企んだんだ」

 

 当初は誰を殺すつもりだったのかはわからない。けれど、自分を誘い出す手紙は正に渡りに船だったのかもしれない。

 

「10時半、クロはアトリエに向かう。そして、アトリエにやってきた蒼神を差出人と思い、事前に手に入れていた『モノモノスイミンヤク』で蒼神を眠らせたんだ。……蒼神も何者かにアトリエに呼び出されたのだとは、夢にも思わずに。

 また、クロは偽の呼び出し状を用意していた。それは生首の正体に言及した、12時に蒼神を呼び出す呼び出し状だったが、これは生首の正体を知らなかった俺をクロに仕立て上げるものだったんだ。それを蒼神のポケットに入れておく。後の工作のために、新家の『システム』を持ち出すことも忘れずにな」

 

 それも、俺をクロに仕立て上げるための行動だ。

 

「蒼神を眠らせたクロは、彼女をうつ伏せにして浸水の仕掛けを施したボートに乗せる。そして、練習の通りに、ボートを橋の下に隠したんだ。たったこれだけのことで、クロは犯行を終えたんだ。

 後行うのは、クロを逃れるための工作だ。クロは物理室のバケツに使用した跡を残して雑巾を濡らしておく。犯行にバケツを使ったと、蒼神の死亡時刻に【体験エリア】にいた人物がクロだと、俺達に誤認させるために」

 

 クロが仕掛けた、大きな大きなワナ。

 

「その後、宿泊棟に戻ったクロは、倉庫から持ってきていたノートやルーズリーフで皆に手紙を書いた。それはアリバイ工作のために行われた。

 本命は、蒼神の死亡時刻である12時。展望台や製作場、集会室……そのどれもが、12時にクロが犯行現場に向かっていない事の証人を作るためだった。そして、自分の目的がバレてしまう事を危惧したクロは、カモフラージュとして呼び出しには応えるわけがない火ノ宮達に時間をずらした手紙を出したり、いろんな筆跡で手紙を書いたりしたんだ」

 

 他にも、行動の読めない東雲に対しては、個室から出てこないように仕向けていた。

 

「12時目前。クロの出した呼び出し状に応えて、大天が製作場の工作室に、城咲が展望台に、七原が宿泊棟の集会室にいたあの時間。

 川に浮かぶ蒼神の乗せられたボートでは、浸水が進んでいた。モノモノスイミンヤクで眠らされた蒼神は上昇する水面を避けることが出来ない。やがて彼女の顔は水で覆われ、そのまま水を吸い込んで、蒼神は溺死した。

 日中の練習によって、その蒼神が死ぬタイミングを把握していたクロは、それに合わせて俺のいた個室のカギを蒼神から奪い去った新家の『システム』で開け、俺をドアチャイムで叩き起こし【体験エリア】へと誘い出した。そして、その後個室に侵入し、新家の『システム』と犯行に使用した『モノモノスイミンヤク』の染み込んだハンカチをゴミ箱に捨てて、退室してドアを閉じる。全ては、俺がクロであると偽装するために」

 

 そしてその目論見は達成された。少なくとも、学級裁判が始まった時点では。

 

「そして、クロにまんまと誘い出された俺が大天に殺されかけ、城咲に助けられていた12時。あの裏で、犯行の最後の仕上げが行われていた。

 蒼神の乗ったボートは、浸水によって大きく傾いていた。それにより、飾り棒から毛糸が抜けてボートは勝手に川下へと流れた。まるで、誰かが【体験エリア】でボートを流したように。

 それと同時にクロは自分宛てに作った呼び出し状を持って、杉野の個室へと向かう。そして、自分が宿泊棟にいたままだと主張するため、何度も何度もドアチャイムを鳴らした。

 そうしているうちに、宿泊棟の外からもどって来た七原と合流する。これで、クロのアリバイは完成した。しかし、七原が来なくとも、個室の中にいた杉野がドアチャイムの音でクロのアリバイを証言しただろう」

 

 これが、この夜に起きた全ての真相だ。

 

「この一連の犯行を行ったクロは――その行動で自身の確固たるアリバイを作り、あんな絶望的なトリックを思い付いた、思い付けた人物は――」

 

 信じたくなどはない。

 その感情を押し殺して、俺はその名を告げる。

 

 

 

 

 

「――遠城冬真……お前なんだよな」

 

 アイデアを生み出し続ける、一人の天才の名を。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「ずいぶんな妄想であるな。その妄想こそ、お主の才能なのではないか?」

「認めて、くれないのか」

「認めるわけ無いであろう。そのような、トンチキな閃きをな!」

 

 もう、認めてほしかった。終わって欲しかった。誰かの罪を暴くなんて、そんな苦しいことを、まだ続けなくちゃいけないのか。

 

「じゃあ、反論があるっていうのか?」

「そもそも、蒼神が遠隔で殺されたということ自体、疑わしいのではないのか」

 

 遠城のその言葉は、反論になっているとは言い難い。それでも、遠城は無実を主張するためにアイデアを生み出す。

 

「蒼神はボートの浸水によって殺されたと言ったであるな。しかし、その証拠はあるのであるか? あれは各人の記憶の食い違いから導いただけであろう。明日川の完全記憶能力とやらも、どこまで信用できるか怪しいものである」

「そんなの散々話し合っただろ。蒼神の体の濡れ方から考えれば浸水したと考えるべきだ。だから、蒼神の体の背中側は全く濡れてなかったんだ」

「音を消すためにそっと注いだのであろう。であるからこそ、浸水したように見えたのである」

「じゃああの雑巾は? あれだけ濡れていたのならカモフラージュだって考えるべきだろ」

「それこそ、偽装である。掃除用のバケツなど、他の部屋にだってあるのであるからな」

 

 遠城の言葉に次々と反論していくが、遠城はのらりくらりと躱していく。

 

「だが、浸水したと考えれば、ボートが勝手に流れたことや長い毛糸や削られた飾り棒の意味、濡れた石材も俺に出した呼び出し状も、全部全部説明がつくんだぞ!」

「説明がつく、では根拠にならないであろう! もっと明確な証拠がなければ浸水は立証できないはずである! そんな記憶や妄想に頼ったものなどでなくな!」

「明確な証拠って……」

「そう、例えば、浸水したのならボートには穴が開いていたはずである! その穴を見つけた者はおるのか!」

 

 皆に問いかけられる。ざわつく彼らから、肯定する声は上がらない。

 

「どうであるか! 誰も穴を見つけていないのであるなら、浸水など起きていなかったのである! つまり、遠隔殺人などではないということであるぞ!」

「穴は発見できないようにしてただけだろ! 穴があっても見つけられない場所……そうだ、参考書の下だ! あの参考書は穴を隠すために置かれたんだよ!」

「違うのである! あれは蒼神の頭を上げるためのものであるからな! 穴はあの下になど無いのである!」

「参考書の下に無い? じゃあ、側面だ! 側面にうまく穴を開けて、上からは見えないように!」

 

 

「ありがとうございます、平並君」

 

 

「……えっ?」

 

 急に、杉野から礼を言われる。

 

「なんだよ、杉野」

「君のおかげで、クロが遠城君であると、確定いたしました」

 

 確定……?

 

「皆さんも、気づきましたよね?」

 

 杉野が周りにそう尋ねれば、全員ではないにしろ、その大半がうなずいた。

 

「気づいたって何に」

「今の遠城の言葉が決定的に遠城がクロであることを示しているのよ」

「わけのわからないことを……吾輩が、何を言ったと言うのであるか!」

 

 その遠城の怒鳴り声に向けて。

 

 

「『あれは蒼神の頭を上げるためのものであるからな』」

 

 

 明日川が、静かに台詞を放つ。

 

「キミは、参考書にたいしてこう言った」

「おかしいじゃねェか。どうして、参考書の置かれた理由を、そんなハッキリ断言できんだよ」

「じ、自分が置いたから……じゃ、じゃないのかよ……?」

「違う、あれは!」

「キミはこうも言った」

 

 狼狽する遠城に、明日川が更に台詞を突き刺す。

 

「『穴はあの下になど無いのである』と」

「まるで、参考書の下以外には穴があるような言い回しではありませんか?」

「……っ!」

「アンタは何かトリックを使って、浸水のための穴を見つからないようにしたんじゃないかしら。けど、そのトリックがあるという慢心のせいで、アンタは正に墓穴を掘ったのよ。違う?」

 

 皆が、遠城の言葉のほころびを一斉に攻撃する。

 

「違うに決まっているであろう! 今のはただの言葉の綾である! 些細な言い間違いの揚げ足をとっては、間違った推理まで真実に思えるであるぞ!」

「『言葉の綾』とは、『微妙な意味合いを表現する巧みな言い回し』を意味する。君が放った台詞には、もっと的確な表現が存在する(辞典に載っている)

 ――『口が滑る』だ。そうだろう?」

「…………ち、違うのである…………」

 

 遠城は、その言葉とともにかすかに息を漏らす。

 

「参考書の置かれた目的、そして浸水の穴がその下に存在しないこと。それを君がどうして断言できたのか。その答えを、『自分がクロだから』以外の理由で、果たして説明することができるのですか」

 

 怒りを込めて、杉野が遠城にトドメを刺す。

 

「……あ……ああ…………」

 

 そして、遠城は、力なくうなだれる。

 

 その反論のアイデアは、ようやく枯渇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

   【第ニ回学級裁判】

 

 

      閉 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




かくして、そのアイデアは撃ち崩された。
彼の犯行動機は、また次回で。

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