ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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(非)日常編⑤ 忘れがたき想い出

 《???》

 

『この夏開かれました全国中学校陸上選手権大会におきまして、我が校の一年生である月跳走矢(ツキトビソウヤ)君がたいへん優秀な成績を収めました』

 

 夏の暑さが残る9月の体育館に、スピーカー越しの教頭の声が反響する。それを俺は少し窮屈な体育座りをしながら聞き流していた。

 

『これを称しまして、表彰を行いたいと思います。月跳君、前へ』

「はい!」

 

 全校朝会で表彰が行われるのはいつものことだ。きびきびとした動きで壇上へと向かう月跳とかいう同級生も、この夏休みの間に大会に出て活躍したらしい。

 早く終われと思いながらボーっと前を眺める俺の耳に、近くの女子達のひそひそ声が聞こえてくる。

 

「ねえ、月跳君って、大会で優勝したらしいよ」

「本当? 三年生とかいるんでしょ?」

「それに、100mは大会記録でぶっちぎりだったって!」

「すごーい! やっぱりかっこいいなあ、月跳君!」

 

 少しずつ声が大きくなっていった二人だったが、近くにいた先生にとがめられてしぶしぶという風に黙り込んだ。

 そんな中でも朝会はつつがなく進行し、月跳が校長から賞状を受け取っていた。こちらを向いた月跳は晴れやかな笑顔で賞状を見せる。

 

 モノクロのような世界で、彼はとても色づいて見えた。

 きっと、彼のような人間が、いずれ【超高校級】の肩書きを冠することになるのだろう。

 

 

 

 やがて朝会が終わり喧騒とともに俺達は体育館を出て教室へと向かう。

 

「しっかし、すげえよな、月跳のやつ!」

 

 俺の右隣を歩む三島(ミシマ)がそう切り出した。

 

「一個の競技で全国に出るだけでもすげえのに、短距離走だけじゃなくて走り幅跳びとか槍投げでも全国行って入賞してるんだぜ? ほんと、同い年とは思えねえよ」

「あー、月跳君って将来は十種競技やりたいって言ってたからね」

 

 そう返したのは、俺の左隣の杉本だった。

 

「十種競技?」

「あれ、平並君は知らない? 短距離走とか砲丸投げとか、10種類の種目で総合得点を競うっていう競技だよ。当然色んな筋肉とか技術を使うから、優勝者はキング・オブ・アスリートって呼ばれてるんだってさ」

「ふうん……初めて聞いたな」

 

 俺が口を挟むと、杉本はぺらぺらとよどみなく教えてくれた。

 

「三島君は知ってるよね? 同じ陸上部だし」

「聞いたことがあるってだけで詳しくはねえけどな。大体、オレは長距離専門だし。クソ、オレも負けてらんねえな!」

 

 月跳の活躍に刺激されたのか、三島は両手で顔をバシッと叩いた。

 

「頑張れよ、三島。確か、もうすぐ駅伝のメンバー選考の部内戦があるって言ってたよな」

「ああ! ま、実際のところは厳しいだろうけどな。できるだけやってみるわ」

 

 気合を入れた握りこぶしを掲げたかと思えば、三島はすぐにそれを解いて下ろしてしまった。

 

「あれ、珍しく弱気だね、三島君」

「自分の実力だって分かってるからな。先輩方だってメンバー入りは当然狙ってるし、一年から活躍するなんてそうそうできることじゃねえ。……やっぱ、すげえよ。月跳は」

 

 そう言って、三島は少し前に視線をやる。そこには、賞状を手に歩く月跳の姿があった。後姿だからその表情までは読めないが、きっとにこやかに笑っていることだろう。

 

「ああいうのが天才って言うんだろうね」

 

 杉本がそう口にする。

 

「認めたくねえが、そうだろうな。もう希望ヶ空から声がかかってるんじゃねえのか?」

「え? 希望ヶ空学園って、スカウトするのは高校生だけだよ? 今は中一だから、あと三年もあるけど」

 

 月跳を見つめながら、三島と杉本が会話を重ねる。

 

「だから、もうツバつけてるってことだよ。ちょっとでも陸上をかじったことがあるヤツなら、月跳のやばさはすぐに分かる。【超高校級】にならねえわけがねえんだから、今のうちに希望ヶ空に入ってくれるように声かけててもおかしくねえよ」

「なるほどねえ……【超高校級】かあ、僕も何か【超高校級】に選ばれたりしたいなあ」

「……だな。オレも中学のうちに頑張って希望ヶ空からスカウトもらえるようになりてえわ」

 

 夢物語を追いかけるように、二人はそんな言葉を口にした。

 そんな二人の会話を聞いて、俺も少し考えた。

 

 【超高校級】。

 その称号をもらえたら、どんなに嬉しいことだろう。どれほど素敵なことだろう。それがどれほど難しいことなのかは想像するに余りあるものだが、皆それを夢見ている。それだけ、【超高校級】というのは強い憧れなのだ。

 けど、俺が憧れるのは【超高校級】だけじゃない。

 

「平並もそう思うよな?」

「ああ」

「だよねえ……」

 

 三島にそう問いかけられ、気の抜けた返事を返す。それに杉本が相槌を打った。そんな二人を眺めて、思う。

 さっき【超高校級】への羨望を口にしたこの二人にだって、俺は憧れている。

 

 三島は一年生のころから活躍する月跳を賞賛したが、その三島だってメンバー選考で先輩たちと椅子を争えるくらいには実力がある。それに何より、あの月跳に並ぶほどに努力を重ねている。放課後、学校に残って宿題を片付けていると、校庭を走り込む三島の姿が窓から見ることができる。家に帰ってからも自主練は絶やさないと前に言っていた。いずれ、ウチの陸上部の中枢を担うような、そんな選手になるはずだ。

 杉本もそうだ。自分も何か【超高校級】に選ばれてみたい、と杉本は言っていたが、彼は毎度の定期テストで上位に食い込むような秀才だ。ダントツの一位だなんてことはなくとも、学年一の優等生からライバル認定されているという話を聞いたことがある。杉本も、今度は必ず一位をとって見せると息巻いていた。そんな杉本の夢は学者になることらしく、それも決して絵空事とはいえないと思う。

 

 二人とも、月跳のように【超高校級】の称号がすぐに与えられるような存在というわけではない。それでも、その称号に手が届かないわけじゃない。自分が熱中して打ち込み、人生の軸にできる、誰かに誇ることができる確固たる【核】を二人は持っている。

 

 その【核】が、俺はどうしようもなくうらやましかった。

 

 

 気づけば、俺は自分の部屋に立っていた。そのすべてが、くすんだモノクロに見えた。

 

 

 部屋の棚には、漫画といくつかの小説が並ぶその端に、色んな教本が押し込められていた。水泳、サッカー、将棋、裁縫、ピアノ、工作、折り紙、テニス、英会話、そろばん……教本だけじゃない。さまざまな科目の参考書や、入門書だって色々ある。

 好奇心や興味が目移りしてるわけじゃない。無理矢理、色んなものにのめり込もうとしただけだ。何か極められるかもしれないと思って、まだ分からない才能を開花させることができると思って、色々手を出した。

 その結果、俺は何も手にすることができなかった。

 

 いつも、やりはじめる時は、うまく行った。教材の初めのほうは一発で理解することができたし、習い事に行っても通い始めは周りよりも飲み込みが早かった。これは俺に向いてるぞ、なんて事を、いつも思っていた。

 

 けど、それだけだった。

 

 少し時間がたてば、いつもどうしたらいいのか分からなくなってくる。水泳のタイムは後から入ってきたやつに抜かされるし、検定だって途中の級からめっきり合格できなくなる。勝負事だって、何度か繰り返せばコツをつかむのはいつも相手のほうだ。追い抜かれて、どん詰まって、いずれ負け倒す。所詮俺は人並みの能力しか持っていないと、毎度のように思い知らされる。

 

 俺が苦戦し伸び悩むその横を、ほとんどの人が抜き去っていく。長く続けても、それが華を咲かせることはない。

 

 そうして、いつも、諦める。

 

 なにくそと、そこで奮起できるような情熱もない。いつだって、一番になりたいという想いはある。何をやっていても、これを極めてみたいと常に想う。それでも、一向に上達しないままただ時間だけが過ぎていく。はたと気づいたときには、そんな気はどこかへ消え去ってしまっていた。

 どれだけ努力しても、これ以上の進歩はないのだと、理解してしまうのだ。

 そんなことを友達の柴田に愚痴った時は、

 

「平並君、僕より足が速いじゃん」

 

 なんてことを言われたが、そいつは格ゲーがクラスで一番強いことを俺は知っている。

 

「今度のテストで赤点回避しないとまずいんだよな……」

 

 なんて嘆いていた北村は、美術部で描いていた油絵がコンクールで入選したことを俺は知っている。

 

 何かが苦手だと哀しむ連中は、決まって何か得意なことがある。自分の才能に出会えないままもがき続ける俺とは違って、自分の道を歩んでいる。

 対して、俺はまだ、何も見つけられていない。何度も何度も挑戦して、結局俺の手には何も残っていない。残ったのは、夢の残骸と惨めに負けた記憶だけ。こんなもの、どうしようもない。

 

 俺は何にも手が届かない。

 【超高校級】なんて贅沢なことは言わない。

 少しでも、他人より優れていればそれでいい。

 他の全てが苦手でもいい。

 他に何もできなくて構わない。

 才能のかけらでもいいから、何かを手にしたい。

 天は二物を与えずなんて言葉があるのなら、一つくらい、俺に何かをくれてもいいはずだ。

 

 なにか、なにか一つ。

 たった一つでいいから、俺は生きる【核】が欲しい。

 

 誰か、教えてくれ。

 

 俺は、何ができるんだ。

 

 俺は、何をすればいいんだ。

 

 

 俺は。

 

 

 俺は。

 

 

 

 俺には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何があるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

「ッハァ!」

 

 奇妙な声を上げて、意識が覚醒する。ベッドの上に体を投げ出している。

 手足の付け根から指の先へ、少しずつ感覚が伝播していく。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 荒ぶる息を必死に整えて、ゆっくりと記憶を掘り起こす。確か……そうだ、俺は睡眠薬を飲んで、そのまま……。どうやら体勢をそのままにすぐに眠ってしまったらしい。あの睡眠薬は、本当に強烈なものだったということか。

 けど、そんなことより、今のは。

 

「夢……」

 

 眠っていたのだから、見ていたのは夢に違いない。肝心なのはそんなことではなく、その中身にあった。

 

「……嫌なことを思い出した」

 

 今のは、俺の記憶だった。あんなもの、とっくに忘れたと思っていた。

 モノクマに奪われた二年間の記憶じゃない。中学生のころの、俺が一番才能を追い焦がれていた時期の記憶だ。確かにあの時抱いていた、俺の偽りない感情だった。

 

「…………」

 

 結局、俺は何も掴めないまま中学校の三年間を終えた。そして俺に才能なんかなかったのだと悟った。

 今更こんなことを思い出したのは、きっとのあの【才能】の二文字のせいだろう。それとも、薬の副作用だろうか。……まあ、それはどうだっていいかもしれない。

 

「……もう、才能なんか諦めたはずだったのにな」

 

 ポツリと、本心がこぼれる。

 いや、そう思い込んでいただけだったか。

 才能を諦め切れなかったから、【超高校級の普通】なんていう不名誉な称号を受け入れてまで希望ヶ空にいくことにしたわけだし、だからこそモノクマが【才能】の二文字を俺に突きつけてきたのだ。実際、それに大きく心を揺さぶられた。

 

「……クソ」

 

 苛立ちが募る。もう手に入らないと思っていた才能を得ていたという甘言に、手を伸ばしてしまう自分が腹立たしい。あんなものは、悪い幻想だ。あれだけ散々求めて手にすることができなかった才能が、そう簡単に開花するはずないだろう。

 もう嫌だ。考えたくもない。才能を求めて、自分の【核】を見つけようともがいていたあの時期には戻りたくなんかない。

 俺は、なんにもできないただの凡人。それでいいんだ。俺に【核】があるとするのなら、その虚無こそが【核】なのだ。

 

「……もう、寝よう」

 

 また、思考がよどみかけている。寝て全部忘れてしまおう。

 窓からは星の淡い光が差し込んでいる。時計を見れば、おおよそ夜の7時。薬を飲んだ時間を考えると、大体10時間くらい寝ていたことになるのか。睡眠薬の効果はばっちりだ。今からもう一度薬を飲めば、十分に夜をやり過ごせるはずだ。

 薬による強烈な眠気を考えて、ベッドに入り込んでからペットボトルの水で薬を流し込む。即座にペットボトルを脇に置けば、思ったとおりすぐに眠気がやってきた。その睡魔に意識を預け、体をベッドのスプリングに投げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅう」

 

 うめき声とともに、音もなくまぶたが開く。体の隅々まで感覚がいきわたるのにはもう少し時間がかかりそうだったが、眠気は不思議と過ぎ去っていた。

 夢は、見なかった。

 

「もう、朝か……?」

 

 眠気がない、ということは睡眠薬の効果は切れているはずだ。何事もなく、朝を迎えたはず。

 そう思ったが、窓から差し込むのは眠る前と変わらず星の淡い光だけ。

 

「……あれ?」

 

 妙に思って時計を見ると、朝どころかまだ日をまたいでいなかった。時計は11時過ぎを示している。睡眠薬を飲んでから、まだ4時間程度しか経っていない。

 

「まだこんな時間なのか?」

「あー、それなんだけどねえ」

 

 誰に向けたわけでもない独り言だったのに、悪魔のだみ声が返ってきた。ビクリと肩を震わせながら声のした方に顔を向ければ、当然のようにモノクマが立っていた。

 

「勝手に人の部屋に入ってくるな」

「ん? 勝手に新家クンの部屋に入ってるのは平並クンの方じゃないの?」

「…………」

 

 何も言い返せない。

 

「別にオマエに何かする気はないから安心してよ。ボクはただ補足説明に来ただけなんだから」

「補足説明?」

「そ! 施設長たるもの、説明責任は果たさないといけないからね!」

 

 そういいながらモノクマは胸を張る。無言で話の続きを待っていると、モノクマはやれやれとでもいいたげにため息をついて、話し始めた。

 

「平並クンが飲んだ『モノモノスイミンヤク』なんだけど、説明書に書いてある通りの効果を得るためには一度に飲まないといけないんだよね」

「一度に……」

 

 確か、一錠で一晩、二錠で一日、三錠で三日だったか。

 

「それだけじゃなくて、連続で服用すると効果が弱くなっちゃうんだよ」

「ってことは、起きてすぐまた薬を飲んだから、今度はこんな中途半端な時間に目を覚ましたってことか?」

「そういうこと! 寝起きにしては冴えてるジャン!」

「……」

 

 冴えてるも何も、そこまで説明されれば誰だって見当がつく。

 

「本当はこんな制限つけたくなかったんだけど、副作用と効果のバランスを考えるとつけざるを得なかったんだよね、はあ、まったく難しいもんだよ」

「……そういうことは、きちんと前もって説明しておくべきことなんじゃないのか。ビンの説明欄に明記しておくとか」

 

 説明責任だなんていうのなら、なおさらだ。

 

「ボクがそこまでする必要はないと思うけど? ていうか、聞かれればその都度答えてあげてるし、必要な人にはこうしてわざわざ出向いて説明してるんだから、オマエラはボクにもっと感謝すべきなんだよ」

 

 押し付けがましい親切心。

 

「とにかく、話はもう終わったよ。オマエなんかにこれ以上かまってる暇はないし、ボクは自分の部屋に戻るから。平並クンも、いい夢見なよ! うぷぷぷ……」

 

 意地の悪い、嫌な笑い声を残してモノクマは消えてしまった。……話しているだけで、敵意がわいてくる。俺達に手間をかけてるような言い回しが多いが、そもそも俺達をこんなところに閉じ込めてコロシアイをさせてるのはあのモノクマ……更に言えば、それを操る黒幕だ。記憶を奪い去った張本人でもある。思い返すだけで腹が立ってきた。

 

「……寝なおそう」

 

 眠気はない。睡眠薬も手元にないし、いい夢どころか眠ることができるかすら怪しい。

 けれど、無理やり寝る決意をして、布団をガバリとかぶってベッドに寝転がる。目を閉じた暗闇に浮かんできたのはモノクマへの敵意だったが、次第にそれが【才能】を追い求めた記憶へと変わっていく。やがて、この宿泊棟で眠っているはずの【超高校級】の皆へと思考が及び、そして、死んでしまった新家と古池のことが脳裏によぎる。

 色んなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。考えても仕方ないと脳の外へ叩き出しても、すぐに元に戻ってくる。

 だんだんと、後悔、殺意、悲痛が混ざり始め、自分でもわけが分からなくなってきた。

 思考の混線が心地よくなってくる。

 じわじわと意識が睡魔に吸い取られていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、ドアチャイムが鳴った。

 

「…………え?」

 

 布団の中で、音もなくまぶたを開き、暗闇を見る。

 旅立ちかけた意識がすっと冷えて体の中に戻ってくる。

 今、確かに、ドアチャイムが──

 

 

 ──ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポーン

 

 

 ドアチャイムが何度も何度も鳴らされる。

 何だ、何だ、何だ。

 どうして、ドアチャイムを鳴らすんだ。

 何の用があるんだ。こんな時間に、何をしに来たんだ。

 

 俺が混乱に陥っている間に、いつの間にかドアチャイムの雨はやんでいた。静寂が個室に満たされている。

 恐る恐るかぶっていた布団から顔を出し、ドアのほうを見る。

 

 一体誰がドアチャイムを? 蒼神か? 蒼神しか考えられない。だって、他の人が来たところで、あのドアは決して開きやしない。

 ほら、ドアはしっかりと閉まって、

 

「──え」

 

 ない。

 ドアが、わずかに開いている。

 その隙間から個室の中に廊下の光が差し込んでいる。

 なんで、どうして。

 

 布団をどかし、ベッドから這い出てドアへと歩み寄る。少し開いたドアに手を伸ばした瞬間、蒼神の言葉が脳裏をよぎる。

 

 

──《「明日の朝まで、部屋の外へは絶対に出ないように」》

 

 

 部屋の外へは、出ない約束だ。

 けれど。

 

「……もう、異常事態だろ」

 

 自主的に部屋に篭る皆とは、状況が違う。この部屋の、カギがかかっていたはずの新屋の個室のドアが開いているということは、それだけで『何かが起こった』ということを意味している。

 伸ばした手でドアを押し開くと、隙間がどんどんと大きくなる。

 顔を出して廊下を覗き込めば、そこには完璧な静寂が広がっている。誰も、いない。ドアチャイムを鳴らしたヤツは、どこに消えた?

 

「ん?」

 

 と、そこで足元に一枚の紙が落ちていることに気がついた。メモ帳を破り取ったらしい。

 拾って文章を読む。

 

 

=============================

 

 平並君へ

 

  緊急事態です。製作場の工作室で待っています。

 

                     蒼神紫苑

 

=============================

 

 丁寧な字で書かれた、呼び出し状。

 

 罠だ、と、一瞬で察した。

 蒼神が本当に俺を呼ぶのなら、直接俺をゆすり起こすだろう。ドアチャイムを鳴らして放置なんて、蒼神らしくない。第一、そんなところへ俺を呼んで何をするというのか。

 だとすれば、これは俺を呼び出す罠だ。ちょうど、俺が根岸にそうしたように。古池が、新家にそうしたように。

 

 間違いない。蒼神の身に何かが起きている。

 その上で、俺は誘い出されている。

 

 どうする、どうする、どうする。

 

 蒼神は、もしかしたら、もう……。

 

「いや」

 

 俺が呼び出されたのなら、蒼神はまだ生きている可能性はある。そうでないなら、俺を呼び出す必要はない……そのはずだ。だって、ターゲットは一人で十分のはずだから。

 

 だったら、まだ間に合う。

 

 誰かと一緒に、すぐに工作室へ行って、手紙を出した人を……誰と? 誰がこの呼び出し状を書いたかも分からないのに?

 それに、誰がその助けに応えてくれるだろう。助けてくれといって手伝ってくれる人はいくらでもいるだろう。けれど、今夜に限ってそれは通用しない。皆を呼ぼうとしてドアチャイムを鳴らしても、今夜は部屋から外に出ない約束だ。それを破ってまで、誰がドアを開けてくれるだろうか。出てくれるまでドアチャイムを鳴らす……出てくれる保証もないのに、そんなことをしている時間があるのか。

 

「…………」

 

 けれど、助けが得られないからって、明らかに何かに巻き込まれている蒼神を放っておけるはずもない。罠だと分かっていても、行かないわけにはいかない。

 

「クソッ!」

 

 苛立ちとともにそう吐き捨てる。握り締めた紙をポケットに突っ込んで、俺は駆け出した。目指すは製作場。宿泊棟を飛び出るときに視界に入った時計は、12時になる寸前だった。

 頼むから生きていてくれと願いながら、足を進める。

 【宿泊エリア】から【自然エリア】へとつながるゲートの前で止まる。ゲートが自動で開くのを待つ時間すらもどかしく、数瞬の足踏みの後に再び走り出す。ドームをつなぐ薄暗い通路を駆けて、再びゲートで足止めを食らう。

 そうして【自然エリア】へ飛び込んで、更に前へと進む。中央広場にたどり着き、右前方に体の向きを変えたそのときだった。

 

 ──ズザッ

 

「うわっ!」

 

 全力で走った勢いそのままに、転んでしまった。

 

「いってえ……」

 

 何か石にでもつまずいたかと思ったが、特に何も見当たらない。木々のすれる音がするだけだ。周りを見ても目に入るのはぴたりと閉まった二つのゲート、そして偽の星と一本の街灯に照らされた緑だけ。

 寝起きで走ったからか、足を滑らせたのか。

 

「クソ……」

 

 幸い、とっさに伸ばした手がしびれるだけでたいした怪我はない。すぐに立ち上がって【体験エリア】を目指す。

 再びゲートの待ち時間と薄暗い通路を経て、【体験エリア】にやってきた。道に沿って橋のふもとまで向かう。川沿いに立つ何本かの街灯が、大きな川と両岸の道を照らしている。

 

「確か、製作場は左だったか?」

 

 念のため立て看板で場所を確かめ、(くだん)の製作場にたどり着いた。

 

「工作室……こっちか」

 

 製作場の中は工作室と手芸室の二つの部屋に分かれていた。俺が呼び出されたのは、工作室だ。入って左側の擦りガラスの嵌められた引き戸のそばに、『工作室』と書かれた札がかけられていた。擦りガラスの向こうは暗い。

 息を整え、大きく深呼吸して、その引き戸に手をかける。

 ……緊張しろ、これは罠なんだ。

 意を決して、腕に力をこめる。

 

 ──ガラリ

 

 わざと大きな音を立てて、すぐに扉からはなれて様子を伺う。

 

 音はしない。何の反応もない。

 誰も、いないのか?

 

 慎重に、警戒しながら工作室の入り口へと足を進める。顔を中にいれ、照明をつけようと近くの壁に手を這わせた。

 

 

 何かが俺の体に近づいてきたのは、その瞬間だった。

 

 

「──グェッ!」

 

 何も反応できない俺の鳩尾に、強い衝撃が入る。潰れたカエルの鳴き声のような、肺の空気が抜ける音を出した。蹴られたのか。ふらりと、体が廊下へとよろめく。

 その痛みを感じてすぐ、目の前に誰かが立ちふさがった。上げた両腕をクロスさせて、何かをしようとしている。

 

 製作場の照明は点灯していないが、外の街灯の光が差し込んで来る。その光は、俺に襲い来る人物の正体をはっきりと示していた。

 

 

 薄暗い建物の中で、淡い金色のポニーテールを揺らすその人物は。

 

「大、天……!」

 

 【超高校級の運び屋】、大天翔に違いなかった。

 

 

 満足に息もできない中搾り出した俺の声に大天は何も返さず、クロスさせた腕を広げ俺の背後に回る。それを防ごうと体をひねったが、痛みが邪魔をしてうまく動けない。

 瞬間、首が何かで締め付けられた。

 

 ──まずい。

 

 と、思った時は、すでに手遅れだった。大天がそれを巻きつけたのだと、ようやく気がついた。

 俺の首が、締め付けられていく。痛い。首に後ろへの強い負荷がかかる。何とかそれをはずそうと、首に指を這わせる。苦しい。掴めない。首をただ掻くだけ。首との隙間に指を挟みこむことすらできない。

 何とか振りほどこうと身をよじっても、熱い、状況は変わらない。体を振るう。引き戸にぶつかり、ガラスが割れる。それでも苦しみは終わらない。

 ぐいと、背中を押される。痛い。床に倒れ込む。ガラスの破片からは少し離れた。でも少し手が痛い。背中に重い衝撃。上に乗られたのか。苦しい。もがけどももがけども、それはつづく。

 首への負荷はより強くなる。止まる。首が引っ張られ、上体起こしのように体が反る。止まる。どうすればいいのかわからない。呼吸が止まる。大天の体を掴もうと腕を振るう。止まってしまう。腕は空を切る。何もつかめない。血が止まる。

 

 止まる、止まる、止まる。

 

 

 

 生が、止まる。

 

 

 

「ガ、あァぁ……!」

 

 声が出た。

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。

 

 やめろ、と口にすることもできない

 

   もう何も出てこない、どうしよう、誰か、何か

 首が絞まって、締まっていく、しまった、なんで、どうして、ああ、なんで

 

 からだが、 浮いて、 あ、あ、しびれてい熱い、

 

  痛 い焼け る 熱いあつ い 煮え え え

 

 

 首 が死まるしまって  なん

 

   で どう

 

          して、 いつも、  これで、        おわ り 

 

 

 俺は 俺  は  おれは   

 

 

   そ して   痛い 苦死い ぼ

 

 

 

  く は く  るし  あ、

 

 

 

 だ め   みえな   い  くら  い や だ

 

 

 

     や だ やみ   やだ   いや

 

 

   死  に       たく    な

 

 

 

 死

 

            し    

 

      止

 

 

 

 

 

 

 

   死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにをなさっているんですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カハッ! が、ハッ!」

 

 

 急に、生が体に戻ってくる。

 

 

 ふっ、と痛みが軽くなる。

 

 背中の重みも消える。

 

 乱れきった息で、急速に酸素を取り入れる。とっさに首に手を当てると、何かに触れる。ロープだった。これが俺の首を絞めていたのか。

 何が起こった、と体をねじって上を向こうとする俺の耳に、声が届いた。

 

「何するの、城咲さん!」

 

 大天の怒号。

 仰向けになった俺の視界の隅に映ったのは、大天を押さえつける城咲の姿だった。城咲が仰向けの大天に馬乗りになって、腕を掴んでいる。

 

「ばかなことはやめてください、大天さん!」

「バカなことなんかじゃない!」

 

 そう叫んだ大天は、城咲の手を払ってポケットに手を突っ込んだ。そして、何かを取り出す。

 ──凶器セットのナイフだ!

 

「私の邪魔をしないで!」

 

 大天が、城咲めがけてナイフを突き上げる。

 

「ッ! 城咲!」

 

 とっさにその名を叫ぶ。

 

 が。

 

 俺がそう口にする必要もなく、勝負は決していた。

 

「おちついてください!」

 

 城咲はそういいながら、ナイフをかわしながらその腕を掴む。そのまま勢いよくひねり、鮮やかな身のこなしで大天をうつぶせにさせ組み伏せる。

 気づけば、城咲は完全に大天を取り押さえていた。

 

「あきらめてください、大天さん」

「ぐぅ……」

 

 悔しそうに、大天が歯軋りをする。

 

「大丈夫ですか、平並さん」

「……あ、ああ」

 

 一通りの争いを眺めているうちに、体に少し痺れと痛みは残っているものの、乱れた呼吸は整っていた。

 ガラスの破片も、首が上に引っ張られていたせいで大きな怪我はない。手を少し切っただけだ。服についた破片を払う。

 そして、身動きの取れなくなった大天を見る。さっきの苦しみを思い出して、急に頭に血が上る。

 

「……大天! よくも……!」

 

 そんな言葉とともに立ち上がりかけた俺を、

 

「平並さん!」

 

 城咲が、俺の名を叫んで止めた。

 

「おちついてください。しんこきゅうしてください。苦しかったはずですし、怒るのもとうぜんです。ただ、どうか、今はこらえてください」

 

 その言葉を聞いて、目をつぶって、一つ深呼吸をした。

 大丈夫だ、俺は生きてる。

 落ち着け。

 間違っても、殺されかけても、殺意を抱こうとするな。

 

「ふう、ふう……」

 

 息遣いが妙になるが、何とかそれを押さえ込む。

 

「……ごめん、城咲」

「たいしたことではありません。それより、大天さん」

 

 大天を取り押さえたまま、城咲がたずねる。

 

「どうして、大天さんはこんなことを?」

「………………答える必要があるの?」

 

 たっぷりと間を取ってから、そう答える。その間も、大天は城咲の拘束を抜けようと睨みながら身を捩じらせ、それを城咲は押さえつけている。

 

「ないかもしれませんが……平並さんは、聞くけんりがあると思います」

 

 それを聞いて、大天が俺を見る。それでも、大天は黙っていた。

 

 大天に、殺されかけた。

 俺を殺そうとしたことを、許せはしない。本当に、死にかけたのだ。

 けど、殺意を抱いたことだけは、責められない。それを責めたら、俺は自分のことも許せなくなる。

 だから、大天の話を聞きたい。

 

「大天、教えてくれ。どうして、俺を殺そうとしたんだ」

「…………どの口がいうのよ」

 

 返ってきたのは、その一言だけ。すぐに大天は口をつぐむ。

 ……当然か。俺も、殺人未遂犯だ。

 そのやり取りを見て、城咲が口を開く。

 

「おそらく、あの記憶のひんとを見たのだとおもいますが……」

 

 それはそうだろう。このタイミングで犯行を起こすなら、原因はそれしかない。そのヒントを見て、記憶を取り戻したい、と思ったんだろう。

 となると。大天が、人を殺してでも取り戻したい記憶……心当たりが、一つだけある。

 

「もしかして、お姉さんのことか?」

「ッ!」

 

 大天がびくりと反応する。図星のようだ。

 このコロシアイ生活が始まったあの日、大天はモノクマの言葉に激しく反応していた。

 

 

 

──《すると、モノクマは大天の目の前に来て止まり、こう言った。》

 

──《「まあ、落ち着けないのもわかるけどねー。そんなんだとあっさり死んじゃうよ? 君のお姉さんみたいに」》

 

 

──《ガッ!!!》

 

 

──《その瞬間、大天はモノクマを蹴り飛ばしていた。》

 

──《「何で知ってるのよ!!! お姉ちゃんを知った風な口を利かないで!!」》

 

 

 

 

「覚えてたの?」

「……簡単に忘れられるもんじゃないだろ」

 

 その直後に、モノクマは規則違反として大天に槍を放った。そうそう忘れられる光景じゃない。

 とにかく、お姉さんのことは大天にとっての『地雷』のはずだ。俺にとっての【才能】がそうだったように。

 

「では、大天さんは、お姉さんとのおもいでを取り戻すために、はんこうにおよんだという事ですか?」

 

 城咲のその質問に、大天は、

 

「……………………」

 

 少しの間、考え込んだ。

 そして。

 

「……もう無理か」

 

 と呟いた。

 

「大天?」

「もう、クロになるのは無理みたいだから。城咲さん、全然力緩めてくれないし」

「あきらめてくださって、良かったです」

 

 その言葉の通り、大天は身をよじらせるのも、睨みつけるのもやめた。

 

「……私、二つ上のお姉ちゃんがいたの」

 

 そして、力なく語りだした。

 

「小さいころからよく二人で遊んでさ。両親が共働きだったから、お姉ちゃんが一番仲のいい家族だったんだ」

 

 その話の内容に反して、辛い想い出を語るような悲しげな目。

 

「運動神経抜群で、優しくてクラスの人気者で。私の自慢のお姉ちゃんだったんだよ」

 

 語る口調が、全て過去形であることに、おそらく城咲も気づいているだろう。

 だって、あのときのモノクマの言い方からすれば、きっと彼女はもう……。

 

「でも。私が小三のときに、学校で殺人事件が起きた」

「ッ……!」

「じゃあ、もしかして、大天さんのお姉さまは、その時に殺されて……」

「そうじゃないんだよ、城咲さん」

 

 城咲の台詞を大天がさえぎった。

 

「殺されたのは、お姉ちゃんのクラスメイトの女の子。事件が起こってしばらくは、下校中に通り魔に殺されたって噂されてた」

「…………」

「お姉ちゃんは、事件が起きてから学校に行かなくなったの。同級生が殺されて、ショックを受けてるんだと、その時はのんきにそう思ってた」

 

 一つ一つ、想い出を確かめるように大天は言葉を発していく。

 

「そして何日かして、ある日私が学校から帰ってきたら、お姉ちゃんがリビングで首を吊って自殺してた」

「「……え?」」

 

 声が、城咲とシンクロした。

 

「テーブルの上に、遺書が、置いてあって、そこに、自分が同級生を殺した犯人だって、ずっと後悔してて、命をもって償うって、書いてあって」

 

 ポツリポツリと、言葉が吐き出される。

 

「それで、結局それは本当で。警察が調べたけど、お姉ちゃんの机の中に、事件で使われた凶器があったんだって」

 

 自分の家族が、殺人事件の犯人。しかも、それを悔いて自殺してしまうだなんて、想像すら及ばない地獄に違いない。

 ……けれども。

 

「大天さんのお姉さまのことについては、分かりました。ですが、それが記憶を取り戻すこととどういった関係があるのですか?」

「……そうだ。失った記憶は個々最近の二年間の記憶。大天のお姉さんとの想い出は、もっと昔の小学生のころの話なんだよな?」

 

 大天に、犯行動機の核心を尋ねる。

 

「話は、まだ終わってないよ」

「つづきがあるのですか?」

「……うん」

 

 まだ、何かあるのか?

 

「ねえ」

 

 と、そこで大天が話を区切って俺達に尋ねる。

 

「二人は、【言霊遣いの魔女】って知ってる?」

「……え?」

 

 どうして。

 どうして、その名前が出てくるんだ。

 

「わたしは……ぞんじませんね」

「そう。平並君は?」

「……聞いたことはある」

 

 いつか七原と話したときに上がった名だ。このコロシアイ生活の黒幕なんじゃないかと、七原が推測した殺人鬼だ。

 

「周囲の人間を巧みに操って、殺人を起こさせる。そういう殺人鬼……って認識で合ってるか」

「そうだけど……よく知ってるね」

「……たまたまだ」

 

 と、答えてから思い至る。

 

「ちょっと待ってくれ。だったら……まさか」

「……お姉ちゃんは、【言霊遣いの魔女】に狙われたんだ」

 

 俺が言おうとした言葉を、大天が先に告げた。

 

「お姉ちゃんの遺品を整理してるときに、かばんの中から一枚のカードを見つけたんだ。その時はなんだろうって思ったけど、何年か経ってから偶然それが【言霊遣いの魔女】の犯行の印だって知ったの」

 

 カード。

 

「トランプのジョーカーに、【言霊遣いの魔女(Witch Of Word-Soul Handler)】のサイン。それが、【言霊遣いの魔女】の、犯行の証明なんだ」

 

 ……確かに、そんなことがあの報告書に書いてあった。犯行現場に、サインを記したカードを残していくと。

 

「それから、ずっと【言霊遣いの魔女】を探してる。【超高校級の運び屋】なんて肩書きをもらったけど、運び屋を始めたのもそれが目的なんだ」

「運び屋が?」

「そう。運び屋の仕事で情報を運ぶなんていう情報屋みたいなこともしたし、足がついたらヤバそうな人からも依頼を受けたりした。そうやって、表裏問わずコネを作って、必死に【言霊遣いの魔女】のことを調べたの。おかげで、今は現役の高校生だって事までは分かったけど、それ以上のことは分からなかった」

 

 現役の高校生……そうか、【言霊遣いの魔女】を希望ヶ空学園が【超高校級の心理学者】としてスカウトしようとしたのなら、そいつは高校生ということになるんだ。

 

「お姉ちゃんの人生をめちゃくちゃにしておいて、【言霊使いの魔女】はのうのうと生きてるなんて、そんなの、許せない。一刻でも早く、こんなところから出たかった」

「……だから、お前は早くここから出せってモノクマに啖呵を切ったのか」

 

 それこそ、あの日。モノクマがこのコロシアイ生活を宣言したとき、誰よりもそれに反抗したのは大天だった。

 

 

 

──《「もういや! ふざけないでよ!」》

 

──《大天が悲痛な叫び声を上げる。》

 

──《「ん? どうしたの?」》

──《「私を早く外に出してよ! 私は……こんなところにいる暇なんてないんだから!」》

 

 

 

「……そういえば、大天さんが図書館で熱心に調べごとをしていたと明日川さんが仰っていました。ころしあいのことについて調べているとききましたが、もしかして、調べていたのはその【ことだまつかいのまじょ】についてのことだったのですか?」

 

 大天の上に乗ったままの城咲がたずねた。

 

「……そうだよ。結局、何も収穫はなかったけどね」

「では、約束をやぶって記憶のひんとを見たのも、情報収集のためですか?」

「当然でしょ。少しでも情報が得られるなら、見たほうが良いに決まってるから。……目立ちたくなかったから、約束を守る振りをしたけど」

 

 言われてみれば、大天はことごとく【動機】を見るのに賛成していた気がする。

 けれど、ここにいたってまだ気になることがある。

 

「……だが、お前は一つ目の動機では殺人を決意しなかっただろ。【卒業】をして外に出て【言霊遣いの魔女】のことを調べることを、一度は我慢したはずだ」

 

 あの夜、大天は何もしなかった。

 

「だったら、どうして今度は【卒業】しようとしたんだ。……お前の失った記憶は、なんだったんだ」

 

 俺が、そう問いかける。

 お姉さんとの想い出じゃない。だったら。大天が皆を犠牲にしてまで取り戻そうとした記憶は。

 

「『【言霊遣いの魔女】の正体』。それが私が失った記憶なんだって」

 

 大天が、告げる。

 

「私は、二年間で【言霊遣いの魔女】の正体を突き止めてたんだ! お姉ちゃんの仇が一体どこの誰なのか、全部分かってたんだ! だったら、それを取り戻さないわけにいかないじゃん!」

 

 悲痛な声で叫ぶ。これが、大天が凶行に至った【動機】か。

 

「大天さん」

 

 静かに、城咲が彼女の名を呟いた。

 

「同情でもしてくれるの? だったら……私に殺されてよ」

「……それはできません。みなさんのためにも」

 

 城咲の返答に、大天は知ってたといわんばかりにため息をついた。

 

「ひとつ、聞きたいことがあるのです。大天さんは、もしも仮に【卒業】をして、【ことだまつかいのまじょ】の正体を思い出したとして……その後はどうするおつもりなのですか?」

 

 それを聞いた大天は、

 

「殺すに決まってるじゃん」

 

 と、あっさりと告げた。

 

「お姉ちゃんの人生を奪った、そんなヤツをどうするかなんて、一つしかないでしょ」

「そんなの、だめだろ」

 

 とっさに、言葉が口をついて出る。

 

「何?」

「復讐なんて、やっちゃダメだろ!」

「どうして?」

「どうしてって……そんなことしても意味なんかないだろ」

「意味ならあるじゃん。【言霊遣いの魔女】が、この世から消える。それが何より一番大事でしょ。それとも、平並君は、【魔女】のことを許せって言うの?」

「そうじゃないが……」

「ですが、ふくしゅうは何も生みません。殺人はしてはいけません」

 

 城咲も、大天の復讐に異を唱えた。

 

「何それ。なんでだめなの? 相手は殺人鬼なんだよ?」

「あいてが誰だとしても、法やるーるには従うべきです。人が人であるために、超えてはならない一線なのではないですか?」

「その一線を越えてきたのが向こうでしょ。先に法を破ったのはあっちじゃん。やられた方はそれを黙って受け入れろって言うの? そっちのほうがよっぽどおかしな話じゃないの?」

「法をやぶった人に罰を与えるのが、法だと思います」

「それは城咲さんの価値観でしょ」

 

 城咲の言葉にも、大天は聞く耳を持たない。

 

「私は、お姉ちゃんに殺人を犯させて、それを嘲笑っていた【魔女】を許せない」

「でも、復讐なんかお姉さんだって望んでないだろ! 【言霊遣いの魔女】にそそのかされて殺人したことを、自殺するほど後悔したんだろ? だったら、お前に仇をとってほしいなんて、人を殺してほしいなんて、思ってるわけない!」

「うるさい! これは私の問題なの! お姉ちゃんの気持ちなんか関係ない! 私が、【魔女】を殺したいんだよ!」

 

 大声で、大天が叫ぶ。

 

「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」

 

 そんな。

 そんな人生が、あっていいのか。

 大天の魂の叫びに、俺はそれ以上何も言い返せなかった。

 

「…………」

 

 城咲も、黙り込んでいる。どんな言葉をかけるべきか、見当たらないようだ。

 大天の語った心情に衝撃を受けていると、

 

「大体、平並君に言われたくないよ」

 

 彼女がまた口を開き、告げた。

 

 

 

()()、【卒業】を企んだくせに」

 

 心当たりのない、その言葉を、吐き捨てた。

 

 

 

「ちょっと待て、どういうことだ。『また』って、なんだ」

「シラを切る気?」

 

 じろりと、俺を睨む大天。

 なんだ、何が起こっている?

 

「ここに私を呼び出して、殺そうとしたんでしょ?」

 

 どうして、大天はそんな勘違いをしている?

 

「違うだろ、呼び出したのはお前の方だろ」

 

 いつの間にかカラカラに乾いた口から、言葉を搾り出す。ポケットから例の呼び出し状を取って二人に見せる。

 

「蒼神からカギを奪って、この手紙で俺をここに呼び出したんだよな。お前はここで待ち伏せして俺を殺そうとしたんだよな?」

「蒼神さんから……そんなことしてないよ」

 

 この困惑の表情は演技なのか、それとも本当に戸惑っているのか。

 

「私は、記憶のヒントを見て、誰かを殺そうと思って、でも、殺そうとしても誰も部屋から出てきてくれなくて……そんなときに、私の個室に手紙が届いてたんだよ」

 

 と、言いながら手を動かそうとして、城咲によって身動きが取れなくなっていることに気づく。

 

「城咲さん、もう離してくれないかな」

「……かまいませんが、少しでもみょうなことをすれば」

「分かってるよ。っていうか、城咲さんに敵う気しないし」

 

 そんな会話の後、城咲が警戒しながら大天の上から退き腕を解放する。

 そして、大天もポケットから一枚の紙を取り出した。

 

「……ほら、これ」

 

 

=============================

 

 大天さんへ

 

  大天さんに相談したいことがあります。

  0時丁度に工作室に来てください。

 

                     七原

 

=============================

 

 

 紙は、俺のものと違ってメモ用紙じゃない。何かのノートを切ったもののようだ。ノートなんてあっただろうか。

 それに、差出人も七原になっているし、筆跡も少し丸みを帯びている。

 けど、そこは余り重要ではないだろう。大事なのは、これが大天の個室に入れられたという事実だ。

 

「偽物だって、すぐに分かった。私を殺すために呼び出そうとしてるんだって。だから、返り討ちにしてやろうと思った。誰かを殺すためには、それしかないから」

 

 大天は更に話を続ける。

 

「呼び出した犯人に先回りできるように、30分くらい前から待って、それで、ずっと手紙の差出人が来るのを待ってたんだ」

「そこに……俺が現れたっていうのか?」

「……うん」

 

 本当か?

 つじつまは、合う。けど、それを信じられるか? 大天は俺を本気で殺そうとしたんだぞ。城咲が助けてくれなかったら、俺は絶対大天に絞め殺されていた。

 スッと締め付けられていた首を指でなぞってそんなことを考えて、ふと気づく。

 

「そういえば、城咲、お前は、どうしてここにいるんだ? どうして、個室から出ているんだ?」

「それが……わたしも、てがみをうけとったのです」

 

 城咲もまた戸惑った表情を見せながら、折りたたまれた紙を取り出す。今度は、俺が受け取ったものと同じくメモ用紙だった。

 

 

=============================

 

 城咲さんへ

 

  助けてください。

  12時に展望台で会いましょう。

 

                     蒼神

 

=============================

 

 

 城咲も、手紙を……。

 差出人は、俺のものと同じく蒼神になっている。けれど、こっちのメモは少し角ばった字で書いてある。

 

「それが、個室に入れられていたのです。それで、展望台でてがみの差出人をまっていたときに、中央広場で平並さんがころんでいるのをみかけたのです」

「見てたのか」

「はい。……それで、何かあったと思い後をおってみたら、大天さんが平並さんをおそっているところだったのです」

「そうだったのか」

 

 再び、手紙に目を通して、城咲にたずねる。

 

「お前は、これを信じたのか?」

「いえ……新家さんの事件のことがありますから、わたしもすぐに偽物だと分かりました。蒼神さんが、率先して個室に篭るという約束を破るとは思えませんから」

 

 確かに、その通りだ。

 

「じゃあ、なんでお前は展望台に行ったんだ」

「……私と同じでしょ」

 

 城咲にたずねたその疑問に、大天が返答した。

 

「相手を返り討ちにして【卒業】しようと思ったんじゃないの?」

「そんなこと、おもってません!」

「それ以外に、呼び出しに応える理由はないでしょ。じゃあ、何で?」

「もちろん、てがみの差出人を説得するためです」

 

 城咲は、はっきりと答えた。

 

「前の事件のとき、七原さんが平並さんを説得したように、わたしも事件をおこそうとした方を説得しようとおもったのです。わたしが呼び出しにこたえなければ、たしかに事件はおこりません。ですが、それでは、あしたの夜、そのつぎの夜に、たーげっとを変えて事件がおこるかもしれませんから」

「…………」

 

 大天は、何も言わない。

 

「せいしんせいい説得すればきっと殺人をおもいなおしてくれるとおもいましたし、もし説得できなくても、おみせした通りごしんじゅつには自信がありますから」

 

 確かに、そこに関して心配は不要かもしれない。罠と分かっていておそわれた、俺なんかよりもずっと安全だ。

 

「それよりも」

 

 城咲が話し出す。

 

「お二人がそれぞれ呼び出されたというのであれば、蒼神さんはどうなさったのですか?」

 

 そうだ。蒼神だ。

 

「平並さんがここにいるのであれば、手紙の差出人は蒼神さんの持っていた新家さんの個室のカギを空けたはずです。なら、蒼神さんの身に何か起きているはずです」

「ずっと、俺を呼び出したやつ……大天が新家の『システム』を奪うために蒼神を気絶させたと思ってたんだが……違うのか」

「だから、蒼神さんなんか知らないって! 私も呼び出されただけだし……それより、平並君が私を殺すために自由になろうと蒼神さんを気絶させたんじゃないの!?」

「そんなことはしていない! お前が嘘をついてるんだろ!」

「今更そんな嘘ついてどうするの? 私は全部話したよ! そっちこそ、嘘ついてるんじゃないの!?」

 

 大天も、呼び出されただけ?

 じゃあ、俺を呼び出したのは、誰だ?

 蒼神は、どこにいるんだ?

 

「いいあらそっていてもどうしようもありません! 蒼神さんをさがしましょう!」

 

 城咲が叫ぶ。

 大天も俺も、互いの様子のおかしさを感じ取ったのだろう。一瞬目を合わせる。異は唱えない。

 

「工作室や手芸室は誰かいないか確認したけど、誰もいなかったよ」

 

 工作室に潜んでいた大天の意見。自分でも言っていたが、今更嘘はついてもしょうがない気がする。ひとまず、ここは信用しておく。

 それに、俺や大天を呼び出したやつがいるのなら、呼び出し場所である製作場に蒼神は隠さない気がする。もしかしたら、気絶させた蒼神は蒼神の個室に隠した可能性もある。

 

「手分けして探すか?」

「すでになにかが起きているかもしれません。なら、さんにんで行動したほうがいいとおもいます。とにかく、外に出ましょう」

 

 確かにそうだ。

 城咲が先陣を切り、三人で製作場を飛び出す。

 目の前に広がるのは、大きな川。非常事態だというのに、川には雄大に水が流れている。

 

「なあ、一旦、宿泊棟に戻らないか? 俺達みたいに呼び出されたやつがいて、もしかしたら個室から出てるかもしれない。蒼神を探すなら、人出はあったほうがいいよな?」

「はい、そうしましょう」

 

 城咲が相槌を打つ。宿泊棟へ戻ろうとした城咲だが、その足がぴたりと止まる。

 

「どうしたの、城咲さん」

 

 城咲は、何かを見つめている。

 川下のほうだ。

 

 

「──あれ、なんでしょう」

 

 

 声を震わせ、城咲が呟く。

 その視線を追いかけると、流れる水が吸い込まれていく金網に寄り添うように、一艘のボートが浮かんでいた。

 

 それに、何かが乗っている。

 何かが、横たわっている。

 それは、人のように見えた。

 

 

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

「…………え」

 

 数日ぶりに、耳にするアナウンス。

 もう二度と聞きたくなかった、アナウンス。

 

 どうして、これが流れたんだ?

 

 アナウンスを聞いて、俺達三人は何かを確かめるように、何かにすがるように一歩ずつ足を進めていった。

 川沿いに道を下り、近寄っていく。

 

 次第に、ボートに横たわる()()の正体が少しずつ明らかになっていった。

 

 

 

 

 もしかしたら、初めから分かっていたのかもしれない。

 あの個室のカギが開いていた時点で、彼女の身に何かがおこっていることなんか分かり切っていた。

 その悪夢的な予想が裏切られると信じて、無理矢理救いのある展開を予想して個室を飛び出して。

 そうして必死に目をそらしていた現実が、川に浮かんでいる。

 

 壁際までたどり着く。

 ボートの中身が、はっきりと分かる。

 

 その人物は、水の入ったボートの中でうつぶせになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 長い紺色の麗しい髪の毛。

 

 しわのないセーラー服。

 

 顔をふせたままピクリとも動かない体。

 

 

 

 ああ、もう認めないわけにはいかない。

 

 あれが死体だというのならば。

 

 

 

 

────あれは、【超高校級の生徒会長】蒼神紫苑の死体に他ならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER2:【あるいは絶望でいっぱいの川】 (非)日常編 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




希望は緩やかに消えていく。
そして、死体が流れ着く。

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