ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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(非)日常編④ 世界に一つだけの夢

 【8日目】

 

 《個室(アラヤ)》

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 ドアチャイムの音を聞いて、俺はベッドから腰を上げた。特に急ぐわけでもなく入り口のほうへ歩いているうちに、ドアからはガチャリというカギの開く音がした。

 そのまま開いたドアから蒼神が顔をのぞかせる。

 

「おはようございます」

「蒼神、おはよう」

「お変わりの無いようで、何よりですわ」

 

 もはや日課となりつつある蒼神との朝の挨拶。これが、一日の初めに行われる生存確認である。

 俺がこの新家の個室に軟禁されたから、三度目の朝を迎えた。住めば都とはよく言ったもので、目を覚まして視界に映る景色もすでに見慣れたものになっている。毎朝生存確認のためにこの部屋を訪ねてくれる蒼神に対して申し訳ない気分になるが、こうしてコロシアイ生活を強制されている環境だとそれを欠かすことはできない。

 

「それで、平並君」

 

 薄ぼんやりとそんなことを考えていた俺に、蒼神が話しかけてきた。

 

「この軟禁の期限の話をしたいと思います」

「ああ……確か、三日間くらいのつもりだって言ってたよな」

 

 俺がこの部屋に荷物とともにやってきたあの日、蒼神は確かそんなことを言っていた。今朝でちょうど丸三日、ということになる。

 

「ええ、皆さんもだいぶ落ち着いてきましたし、そろそろ平並君の軟禁を終わらせようと考えております」

「……そう、か」

「あまり嬉しそうではありませんわね」

「まあ……」

 

 正直なところ、軟禁が終わるというのであればとてもありがたい話だ。半ば自分から望んだ生活とはいえ、この部屋の中は静か過ぎるし暇すぎる。【体験エリア】という新たなドームが開放されたのであれば、ますますそれを強く感じる。

 けれども、俺はこの生活を続けなければならないと思った。

 

「そもそもこの軟禁は俺がしでかしたことに対する罰だ。皆を裏切った罰としては軽いかもしれないが、それでも俺はこの罰を受け続けないといけない」

「……平並君。あまり思いつめすぎないようにと、以前申し上げたはずですが」

 

 少し不機嫌そうに、それでいて心配そうに蒼神は告げる。

 

「わかってる。思いつめてるわけじゃない。向き合いたいだけなんだ。俺の犯した罪に」

「それが分かっているのならよろしいですが……別に、軟禁が解かれたからといって罪を償えなくなるなんてことはありませんからね。罪を償う方法は、軟禁だけではありませんわ」

「……そうだな」

 

 それもそうか、と思った。具体的に何ができるかはまだわからないが。

 

「とはいえ、ここまで平並君を煽っておいて申し訳ありませんが、軟禁はもうしばらく続けることになるかもしれません。今日の朝食会で皆さんに軟禁の解除を申し出てみるつもりですが、皆さん全員を説得できるかは分かりませんから」

「ああ、分かったよ」

 

 無理もない。蒼神がなんと言おうと根岸は俺を許さないだろうから、俺の解放には断固反対するだろう。確か、大天も俺を軟禁すべきだといっていたし、彼女もまた同じだろう。時間が解決する問題が少なくないとはいえ、裏切られた恐怖はそう癒えはしないと思う。少なくとも、この短時間では。

 

「まあ、軽く掛け合ってだめだったら諦めてくれ。熱くなりすぎて口論にでもなったら大変だしな」

「ええ。もちろん分かってますわ。お気遣いありがとうございます」

 

 ……まあ、【超高校級の生徒会長】である蒼神にこんなことを言う必要もなかったか。

 

「では、そろそろこの辺で失礼いたしますわ。軟禁の終了に関しては朝食会が終わってからまた報告に参ります」

「ああ、頼んだ」

 

 その言葉とともに、蒼神はドアを閉めてガチャリとカギをかけた。そして、部屋の中に静けさが戻る。

 

「……朝食にするか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 適当に食べ物を口の奥に流し込んで、俺はまた静かな部屋でベッドに寝転がっていた。ちらりと時計を見ると、針が差すのは8時半。そろそろ朝食会が終わる時間だから、蒼神から俺の軟禁について話があるころだろう。

 もしも、俺の軟禁の解除を根岸が受け入れてくれたなら。その時は真っ先に根岸の元に向かおう。きっと化学室だろう。そして、ありったけの謝罪をするのだ。

 自己満足には違いない。根岸は嫌な顔をするかもしれない。

 けれど、俺のこの気持ちを伝えることは決して間違いなんかじゃないと思う。罪を償うために。罪に向き合うために。前を向くために。

 まあ、それもこれもこの軟禁が終わればの話だ。そうでなければ、俺は根岸と話す機会を得られないだろう。根岸はわざわざ自分を殺そうとしたやつのいる部屋を訪れたりはしないだろうし。

 そんなことを考えながら、俺は蒼神の鳴らすドアチャイムの音を待っていた。

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 

 けれども、その静寂を破ったのは、ドアチャイムの音なんかではなく、忌まわしき放送の始まりを告げる音だった。

 

「……なんでこんな時間に」

 

 朝7時を告げるアナウンスならもうとっくに鳴った。時報以外のアナウンスに、いい思い出はない。

 次の音を待つ俺の耳に、続けてモノクマの声が飛び込んでくる。

 

『オマエラ調子はどうすか? 新しいエリアが開放されてもやっぱり退屈だよね? ボクとしてはこんな茶番劇3分くらいで飽きたんだけど、さすがのオマエラもそろそろ飽きてきたよね?

 という訳で、全員メインプラザに集合! あ、生きてる人だけでいいからね! それじゃあ待ってるよ!』

 

 ブツッ!

 

 いつものごとく言いたい放題言って、モノクマの放送は終わった。『生きてる人だけでいい』なんて、わざわざ言わなくてもいい事を付け加えるあたり、本当に腹が立つ。

 ともかく、わざわざモノクマが俺達を集めるなんて、きっと用件はアレしかない。

 

 

 

 ──《【あなたの一番知りたいことはなんですか?】》

 

 

 

 俺達に絶望をもたらした、【動機】の配布に違いないだろう。

 また、あの悪夢が始まってしまうのだろうか。

 

「……嫌だ」

 

 あの絶望を、あの恐怖を、あの殺意を。俺はもう二度と味わいたくない。

 

「…………」

 

 放送からしばらくして、蒼神が俺を迎えに来てくれた。そんな蒼神とともに、メインプラザへと向かう。他の皆は先にメインプラザへ向かったらしい。

 

「それで、平並君の軟禁の話なのですが」

「ああ、どうなったんだ?」

 

 急ぎ足の道中で、蒼神が話しかけてきた。

 

「危惧していた通り、平並君の解放には反対する人も数名いらっしゃって、結局話はまとまりませんでした」

「……そうか」

「というよりも、話し合っている最中に例のモノクマの放送が流れたのです」

「ああ、なるほどな」

 

 モノクマとしても、収拾がつかなくなりそうだから話を打ち切らせたのだろうか。

 

「申し訳ありません。平並君にはもうしばらく軟禁を強いることになりそうです」

「わざわざ謝らないでくれ、蒼神。お前が気にするようなことじゃない」

 

 そもそも、俺が原因なわけだし。

 ともかく、軟禁解除の話は持ち越しとなったので俺の軟禁生活は続くことになるが、今はそれをどうこう言っている場合じゃない。

 もっと大きな困難が、俺達を待ち構えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《メインプラザ》

 

 いつもの集合場所であるメインプラザに到着すると、待機していた皆が一斉にこちらを向く。その数は12。心配そうに見つめる顔、特に気にした様子もない顔、おびえるように恐怖を露わにした顔、強くにらみつける顔……さまざまな顔が俺に向けられている。当然、新家と古池の顔はない。

 

「よ、よう……」

 

 何を言えばいいのかわからず、とりあえずそんな声を出して片手をあげて挨拶をしてみた。

 

「なんだ、案外元気そうだね、凡一ちゃん!」

 

 返って来た返事は、そんな露草の声だった。

 

『元気そうか?』

「元気そうだよ! もっと落ち込んで何もしゃべらないくらいかと思ったもん!」

『まあ確かにな。暗い顔でくるかと思えば、結構しっかりした顔つきだもんな』

「多分、一人で考えてる間に色々と吹っ切れたんじゃないかな?」

「吹っ切れた……まあ間違ってはないかもしれんが」

 

 急に始まった一人漫才にそんなボヤキをはさむ。

 

「いろんな人が話に来てくれたからだよ。それでなんとか、な」

『なるほどな。翡翠も話しに行けばよかったな』

「うーん。でも、わざわざ紫苑ちゃんに頼むのも面倒だし……」

「ともかく、それなりに実のある生活を送れたようで何よりです」

 

 そう口を挟んだのは、杉野だ。

 

「さすがに全員と話すことまでは出来なかったようですが、その言い方を聞くに満足にお話はできたようですね」

「ああ。ありがたいことにな」

 

 本当にありがたい話だ。無論、いいことだけじゃない。岩国には明確な拒絶を告げられたし、東雲は興味本位だけで俺を訪ねてきた。けれど、誰かと話ができるということは、できないよりもずっとましだ。

 

「ふ、ふん……み、みんなよくやるよ……よ、よくそんなやつと話せるよな……」

 

 そんな中、敵意の乗ったとげのある言葉が聞こえてきた。根岸だ。

 

「そ、そいつは、ぼ、ぼくたちを殺そうとしたんだぞ……! ど、どうしてそんな風に気軽に話せるんだよ……!」

「章ちゃん! そんなこと言っちゃだめだよ!」

「で、でも、ほ、ほんとのことだろ……!」

 

 確かに、そうだ。俺がしでかしたことはそう簡単に許されるようなことじゃない。話しかけてくれる他皆が優しいだけで、根岸のように俺を拒絶するのが当然なのだろう。

 それでも、謝りたい。謝らなくちゃいけない。

 そう思ったのに。

 根岸の元へ歩こうとして動かした足は、

 

「茶番はもういい」

 

 という声に止められた。

 

「俺はそんな話を聞きにここに来たんじゃない。全員そろったんだからとっとと始めろ、ぬいぐるみ」

 

 声の主は岩国だった。その視線の先にあった木製のステージには、絶望の象徴たるモノクマがすでに鎮座していた。

 

「いたのか……」

「平並クン、何だよその言い方! いたよ!」

 

 ぷんすかと擬音の出そうな身振りで怒るモノクマ。

 

「オマエのせいで開始が遅れたんだからな! ようやくメインプラザに来たと思ったらぺちゃくちゃしゃべり出すし! 偉いクマの前では静かにしろって習わなかったのかよ! あー、もうこれだから未熟者は……」

 

 モノクマは、そんな風に愚痴を垂れ流す。

 

「俺は、とっとと始めろと言ったはずだが」

「ああ、岩国サン、ごめんごめん。こんなガキンチョに怒り散らすなんて大人げ、いや大熊げのないことしちゃったよ」

 

 かと思えば、岩国の文句にケロっとした様子でステージに立ち直すモノクマ。

 

「はい! それじゃあ施設長からのありがたいお話です! 心して聞くように!」

 

 なんて前フリを入れて、モノクマは話し始めた。

 

「さて、この前初めて学級裁判をやったわけだけど、どうだった? 喜んでくれたかな? 喜んでくれたよね! 楽しかったよね!」

 

 俺たちに問いかけるような口調の癖に、俺たちの意見なんか聞く気はなさそうだ。あんな悪夢のような学級裁判が楽しいわけがない。喜ぶわけがない。「そうね!」なんて相槌を打っている東雲はもう無視しておく。

 

「で、あの学級裁判を経てオマエラは一回りくらいは成長したかと思うんだけど、学級裁判を続けてやっても疲れちゃうだろうから、ボクはここ数日オマエラに休憩を与えてたんだよね。あー、ボクってばなんてやさしいクマなんだろ!」

 

 チッ、という火ノ宮の舌打ちが聞こえる。同感だ。

 

「けど、いい加減休憩も終わり! そろそろ死体の一つでも見つかってくれないとボクとしてもつまらないんだよ! オマエラに分かるか!? 毎日だらっだらだらっだら過ごすオマエラを見せられてるボクの気持ちが!」

「分かりませんわ。 そう思うならわたくしたちを解放すればいいではありませんか」

「解放なんかするわけないっての! 黙って聞いてろよ!」

「オレ達に問いかけておいて黙っていろとは、随分ムチャな注文じゃないか」

「ああ言えばこう言う……オマエラはこれだから!」

 

 蒼神やスコットが口を挟むが、モノクマは話をやめそうにない。モノクマの方こそ黙っていてほしい。

 

「とにかく、ボクとしてはまた事件を起こしてほしいんだよ。というわけで、お待ちかねの【動機】のプレゼントだよ!」

「だ、だから待ってないって……」

「今度はどんな【動機】なの?」

「まあそう焦らないでよ、東雲サン!」

 

 そんなことを言いながら、モノクマはひょいとステージから降りる。

 

「ボクは考えました……オマエラがどうしたら殺人をしてくれるのかと……皆自分じゃ何にもできないひよっこじゃん? そんなオマエラでも誰かを殺してくれるようなすばらしい【動機】は何だろうなと考えて、そこで前回の【動機】を思い出して気づいたんだよ」

「気づいたってなににですか?」

「それはね、城咲サン! 前回の【動機】はアメとムチで言えばムチだったって事だよ! ま、情報をプレゼントするって意味だとアメなんだけど、オマエラを焦らせるのが目的だったからまあムチの【動機】で間違いないよね」

「……ということは」

「そう! 今回ボクがオマエラにプレゼントする【動機】は、アメって事!」

 

 アメでもムチでもどっちでもいい。【動機】の種類なんかどうでもよくて、問題なのはその中身だ。

 

「で、オマエラが一番欲しいものを考えたけど、それって一つしかないよね」

「一つ……?」

 

 欲しいもの、と言われて思いつくものはいくつかあるが、『一番』と言われて頭に浮かぶものが、確かに一つ存在した。

 

 

 

 

「──オマエラが失った、記憶。そうだよね?」

 

 

 

「記憶……」

 

 今の俺達に欠けている、大事な人生のピースだ。

 

「失ったんじゃなくて、てめーが奪ったんだろォが!」

「うるさいなあ。そんな些細なことはどうだっていいんだよ。肝心なのは、オマエラに足りない記憶があるってこと!」

 

 どうでもよくはない。しかし、それをモノクマに言ったところでどうしようもない。

 

「と言うわけで、今度の学級裁判を勝ち抜いたクロには、その記憶を返してあげるよ! これが今回の【動機】だよ!」

 

 記憶を返す……? そんなことが、いや、記憶を奪うことができるんだからその逆もできておかしくない、のか……? よく分からない。

 けれど、今更それがなんになると言うのだ。確かに、モノクマに奪われた2年間の記憶が取り戻せるのなら取り戻したい。一体2年の間に何があったのか、その記憶を思い出せるのであればそれに越したことはない。しかし、果たしてそれは皆の命よりも優先されることなのだろうか。

 想い出は、大切だ。俺があの日殺人を決意したのも、家族との想い出を忘れられなかったからだとも言える。そういう意味では、確かにこの【動機】は蠱惑(こわく)的な甘い()()になっている。

 

 だが。

 記憶そのものが、想い出そのものが。殺人のきっかけになりうるのだろうか。

 

「…………」

 

 仮に、なるとしても。

 

「……お前の思い通りになんかなるもんか」

「ん?」

 

 わきあがる感情をモノクマにぶつける。

 俺達は、俺は、立ち向かわなければならない。

 

「もう事件なんか起こさせない! 殺意なんか、抱かない!」

「ああ、誰かと思えば真っ先に人を殺そうとした平並クンじゃん。どうしたの? 早めの反抗期?」

「そんなんじゃ……!」

「はいはい、これを見た後でもう一回同じことが言えたらなんかプレゼントしてあげるよ。プラモを組み立てるときにあまった部品とか」

 

 いらねえ……って、

 

「まだ何かあるの……?」

 

 俺が反応するより先に、大天がそう声を漏らした。

 

「もちろん! 記憶を返すなんて言ったって、オマエラはどうせピンとこないだろうと思ってね。だから、『オマエラが失った記憶のヒント』を教えてあげることにしたんだよ!」

 

 記憶のヒントだって?

 

「余計なお世話だよ」

『まったくだな』

 

 七原と黒峰が反応する。

 

「まあまあ、短い人生何が起こるかわからないんだから、貰えるものは貰っておいたほうがいいと思うよ? じゃあ、前回みたいに『システム』に送っておいたから、見たい人は勝手に見てね。見たくなかったら見なくてもいいけど、オススメはしないよ。それじゃ、サイッコーのコロシアイを待ってるからね!」

 

 そんな言葉を最後に、モノクマはどこかへと消えてしまった。

 そして、例のごとくメインプラザに俺達が残されることになった。

 

「…………」

 

 皆、それぞれの『システム』を見る。何かを考え込むようにじっと見る人もいれば、一瞥しただけでそっぽを向く人もいる。

 そんな中、遠城が口を開いた。

 

「……それで、どうするのであるか?」

 

 どうする、とは、『システム』に送られたという記憶のヒントのことだろう。だったら、答えなんか決まってる。

 

「見るべきじゃない。こんなもの」

 

 前の【動機】が提示されたときもはじめはそんなことを思っていた。結局あの時は全員で【動機】を確認することにしたが、あの悪夢を経験した後なら、より強く見ないべきだと思える。

 

「これがどんな内容かは正直分からない。モノクマは記憶のヒントって言ってたが、どんな風になってるかも分からない。けど、これを見てしまえば、人を殺したくなるような……人を殺してでも、その記憶を取り戻したくなるようになってるはずだ。前回だってそうだっただろ。……俺が言えたことじゃないかもしれんが」

「いや、キミの台詞は誰より説得力がある。実際に明確な殺意を抱いた(絶望的な物語を描いた)キミの、ね」

 

 そんな台詞を放ってくれたのは明日川。彼女も、あの日とっさに包丁を持ち出してしまった。もちろんアレは俺のせいだから明日川が責められる謂れはないのだが、彼女としては思うところもあるのかもしれない。

 しかし、そんな俺達に反論があがる。

 

「……人を殺すなんて、考えなきゃいいだけだろォが」

 

 彼にしては珍しく、火ノ宮は静かにそう呟いた。

 

「殺人をしちゃいけねェなんて、倫理道徳の大前提に置かれるべきことだろ。『人を殺すべきかどうか』なんて悩むこと自体がおかしいんじゃねェのか? ……それに、てめー、言っただろ。卒業する気なんかねェって」

 

 

 

 ──《「学級裁判を終え、丸一日以上が経過した今、率直にお聞きします。平並君は、これから先、誰かを殺して『卒業』をする気はありますか?」》

 

 ──《ズバリと、杉野は俺の心に切り込んできた。》

 ──《その問いかけに、俺ははっきりと答える。》

 

 ──《「ない」》

 

 

 

 確かに、火ノ宮と杉野が個室を訪ねてきてくれたときにそんな話をした。

 したのだが。

 

「アレは、嘘だったって言うのか?」

「…………それは」

 

 返す言葉を探していると、杉野が口を開いた。

 

「火ノ宮君。その考え自体には賛同いたしますが、この状況下においては現実的ではありません。殺意は抱くものとして行動すべきだと、それこそあの時に伝えたはずですが?」

「…………チッ」

「では、この『しすてむ』に送られたひんとは確認しない、ということでよろしいのですか?」

「ええ、そうした方が賢明だと思いますわ、城咲さん。これを送りつけてきたモノクマの方も、見たくなければ見なくてもいいと断言しているのです。そんな状況下でわざわざ導火線に火をつけるような真似をする必要はありません」

 

 そう告げる蒼神。その言葉に異を唱えたのは、案の定というか、東雲だった。

 

「えー、つまんないじゃない。別に見たっていいんじゃないの? 減るもんじゃないでしょ」

「減るだろもし事件が起きてしまえば、さらにここで生活する人数は減ることになるんだからな」

「ああ、そうね、スコット。そうなったら1人か12人になっちゃうわね。今のは失言だったわ」

「……お主、何を反省すべきか、分かっているのであるか?」

「分かってるって。数字の計算が出来てなかっただけじゃない」

『瑞希の場合、いっつも失言だよな』

「失礼ね。人をなんだと──」

「とにかく!」

 

 東雲の台詞を打ち切って、蒼神が話をまとめる。

 

「『システム』に送られた記憶のヒントは、決して見ないようにいたしましょう。個人の自由に任せるのではありません。全員が、見ないようにするのです。規則のように強制力はない以上、この約束を守るどうかの判断は皆さんの良心に任せることになりますが……コロシアイが起きて欲しくない、という想いがあるのであれば、きっと守ることができると信じていますわ」

 

 それがいい。と、これで話し合いは終わったかと思ったのだが。

 

「そ、それでいいのかよ……」

 

 根岸から声が上がった。

 

「ど、【動機】には違いないけど……こ、これも情報には、ち、違いないだろ……? に、二年間の記憶のヒントだぞ……?」

「それはそうですが……根岸君、あなたがそれを言うのですか? 前回、【動機】を見て殺意を抱いた平並君に狙われたのは、他でもないあなたではありませんか」

「そ、それは……」

「あなたも、コロシアイが起きて欲しくないとはお思いでしょう?」

「…………」

 

 蒼神に反論されて根岸は黙り込んだが、それでもあのヒントが気になっているようだった。

 

「このヒントが気になるというのは、おそらく全員そうでしょう。何せ、自分の記憶のヒントなのです。……ですが、それこそが罠に違いないのです」

 

 そうだ。確かに俺も記憶のことは気になる。けれど、それに惑わされてはいけない。とは思いつつ、周囲のざわめきを聞くに、皆記憶のヒントに心が揺さぶられているようだ。

 

「では、このようにするのはいかがでしょうか」

 

 そんな中、杉野が声をあげた。

 

「事件の種はできる限り取り除いてしまうのがよいと思いますので、記憶のヒントを見ないようにするという意見には全面的に賛成です。賛成ですが、一方でそれを無視することができないという根岸君の気持ちも十分に理解できます」

「…………」

 

 おそらく、それがこの中の全員が思っていることだろう。

 

「この記憶のヒントというのは、すなわち僕達が失った2年間のヒントなのです。それを無視するというのは、(いささ)かもったいないのではないでしょうか。得られる情報はできる限り得ていくべきだと思います」

 

 一理、なくもない。なくもないと思う。が、

 

「じゃあ、ヒントを見るべきだっていうのか? それで事件が起きたら本末転倒だ。リスクが高すぎるだろ」

「ええ、その通りです、平並君。ですから、絶対に事件を起こさない人……殺人をしない人だけが確認すればよいのです」

 

 さもなげに、そんなことを言ってのける杉野。

 

「……杉野君。確かにその提案(プロット)に沿えば情報を得ることができるだろう。しかし、その絶対に殺人をしない(登場人物)とは誰のことを指している? どんな人間(キャラクター)であろうと、モノクマの策略(シナリオ)の元では誰しも殺意を持ってしまう可能性があるはずだ。ついさっき(たった数ページ前)、そういう台詞を放ったのはそれこそ杉野君だっただろう」

 

 明日川が、そんな台詞で杉野の提案を否定する。俺もそう思う。モノクマからの【動機】である記憶のヒントを見ても絶対に平常心でいられる人、なんて分からない。火ノ宮や蒼神、杉野なんかは一見問題ないように思えるが、何か致命的な心の弱点をモノクマが突いてくる可能性もある。その可能性が否定できない限り、杉野の提案は絵に描いた餅に過ぎない。

 

「ああ、そういう意味ではありません。言い方を変えましょう。殺意を抱く可能性はありますが、絶対に殺人を行えない人ですよ」

 

 ん? 妙な言い回しだ。殺人を、行えない人?

 俺が答えにたどり着く前に、蒼神が答えを告げた。

 

「……なるほど、平並君のことですわね」

 

 そこであがったのは、俺の名前だった。

 

「ああ、なるほど。俺は軟禁されるからか」

「その通りです。いかに殺意を抱こうと、鍵のかかった個室に閉じ込められてしまえば殺人を行うことはできないでしょう。というわけで、僕からは平並君だけが記憶のヒントを確認することを提案します。いかがでしょうか?」

 

 杉野がそうしゃべってから、少しの間が開いた。

 

「…………いいんじゃない?」

 

 ためらいがちにそう言ったのは、殺人を計画した俺を忌避していた大天だった。

 

「……いいのか?」

「この2年間の情報が手に入るなら、手に入れておいたほうがいいと思う、っていう根岸君や杉野君の意見には賛成なんだ。……それに、平並君が反省したとかはあまり信用してないから、平並君がヒントを見ようが見なかろうが、関係ないし。軟禁されるんだったら、もともと事件は起こしようがないしね」

「……そうか」

「他の皆さんはいかがですか?」

 

 杉野が周りを見渡す。

 

「ダメだよ!」

 

 否定する声。七原だ。

 

「軟禁されてるからって、関係ないよ! モノクマが用意したものなんだよ? 危ないに決まってるよ! 何が起こるかわからないし、そんなもの、見ちゃダメだよ!」

「……確かに、七原さんの意見も分かります。危険な代物には違いありません。では、当人に伺いましょう」

 

 そこで、杉野が俺のほうを向いた。

 

「平並君、あなたの意見をお聞かせください」

「俺は……」

 

 目を瞑って考える。欠けた記憶に思いを馳せる。

 七原の言ってることは分かる。こんなもの、見ないほうが絶対にいい。それでモノクマの思い通りになるのなんか嫌だし、殺意なんか抱きたくない。それに、【超高校級の幸運】の、俺を止めてくれた恩人である七原の言うことだ。その意見に乗るべきなのだろうと、思う。

 ……けれど。

 

「……記憶のヒントを、知りたい」

「平並君……」

 

 俺は、2年間の記憶を、無視することはできなかった。

 大丈夫だ。たかが、記憶のヒントだけだ。どのみち、俺に殺人はできないんだから、【動機】を見ようが、殺意なんか抱くことは無いはずだ。今一番安全な状況にいる俺が、確認するべきだ。

 そう、自分に無理やり言い聞かせる。

 

「そうですか」

 

 杉野は、そう言って軽くうなずいた。

 

「では、平並君。お願いします」

「……分かった」

 

 俺は蒼神の声を聞いて『システム』を起動した。衆人環視の中、それを操作する。

 メインメニューの【モノクマからのプレゼント】を選択すると、前回配られた『大切なもののビデオ』の【動機】の下に、新しく【動機2】という欄が増えていた。きっと、モノクマが言っているのはこれだろう。

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込んで、俺は【動機2】を選択した。

 

 

 

 

 

 すると、何の前触れもなく、画面にとある単語が表示される。

 前回のようなビデオではなく、たったの一言で完結していた。

 暗闇のような背景に浮かび上がる、白抜きの文字。

 これが、俺が失った、記憶──。

 

 

 

 

 

「平並君。何が表示されましたか?」

 

 ウィンドウ越しに、杉野が尋ねてくる。空中に現れるこの画面は、向こうが透けて見えるのに反対側からは見えないようになっているのだろう。けれどそれは、今はまったく重要ではなく。

 

「──ああ、ダメだ。これは」

 

 声にしようとは思わなかったのに、無意識に感情がもれ出てしまった。

 

「はい?」

 

 疑問符を頭に浮かべる杉野の声。それに反応するように、俺の口からその単語が発せられる。

 

 十数人の人生をかけてでも、なんとしてでも欲しいと思える()()の名を。

 

 

 

 

 

「【才能】……」

 

 それこそが、俺の失った記憶らしい。

 

 

 

 

 

「才能、ですか……」

 

 画面にはもうこれ以上表示されないようなので、『システム』を終了させた。

 才能……俺に、才能?

 希望ヶ空に入学してからの二年で、才能が開花したというのだろうか。【超高校級の凡人】の、この俺に……? 何をやってもぱっとしなかった、俺に、才能が?

 

 あれほど渇望して、

 それでも手に入らなかった、

 輝きに満ちた才能が、

 ただの凡人の、この俺に?

 

「平並君。大丈夫ですか?」

 

 その蒼神の言葉で、ようやく俺は思考のループから抜け出した。

 

「……皆」

 

 そして、なんとか、声を絞り出す。

 

「これは、見ちゃダメだ」

 

 その理由は、わざわざ言葉にしなくても伝わっただろう。

 俺の言葉を聴いて、蒼神が総括をする。

 

「ヒント、というには余りにも漠然としすぎていますわね。彼の場合、【超高校級の普通】という才能の詳細が判明したのか、それとも他の才能を手にしたのか。曖昧すぎて、情報としての価値はありませんわね」

 

 結局、アレだけじゃ2年間のことは分からない。ただただ精神が削り取られただけだった。

 

「とにかく、記憶のヒントがどれほどその人の心に刺さるかは明白ですわ。皆さん、決して見ないようにいたしましょう」

 

 そんな俺の様子を見て、蒼神がそうまとめた。

 ともかく、これで話し合いも終わるかと思ったが、

 

「すいません。もう一つだけ、提案をしてもよろしいでしょうか?」

 

 またしても、杉野がそんなことを言い出した。

 

「かまいませんわ。提案というのは?」

「今度は、明確にコロシアイを防ぐための提案です。前回の事件は、新家君が古池君に呼び出されて発生しました。そうですよね?」

『……その通りだな』

 

 『卒業』を企んでいた古池が、新家と明日川の口論を目撃して発生した事件。古池が、明日川のフリをして新家を呼び出し、ガラスの破片で刺し殺したのだ。

 

「そこから得られる教訓が一つ……殺人は、被害者側が自衛することができるのです」

 

 自衛、か。

 

「もちろん、世の中の事件すべてがそうであるとは言いませんし、新家君を貶める意図があるわけでもありません。強引に押し入られたり通り魔的に襲われたりした場合も当然その限りではないでしょう。ですが、事ここにいたった以上、積極的に自衛していくべきだと思います」

「要するに、何が言いてェ」

 

 杉野の回りくどい説明に痺れを切らした火ノ宮が、口を挟む。

 

「僕からは、今日一日、明日の朝まで全員が部屋に閉じこもることを提案します」

「へやに、ですか?」

「そうです、城咲さん。この後解散してから、僕たちはそれぞれの部屋に閉じこもるのです。誰かに呼び出されたとしても、何があっても部屋からは出ないようにするのです。そうすれば、事件は起こりえない。そうですよね?」

「確かに……そうであるな」

 

 遠城が相槌を打つ。

 杉野の言うとおりだ。もしも誰かが殺意を抱いて殺人計画を立てたとしても、相手が個室から出てこなければ殺しようがない。だからこそ、俺はあの日一番誘い出せそうな根岸をターゲットにしたのだから。

 

「ただ、これから先ずっと部屋にいるわけにもいきません。ですから、まずは今日一日を乗り越えるのです。……これが僕の提案なのですが、いかがでしょう?」

 

 それを聞いた蒼神は、

 

「概ね、いいと思いますわ。それで事件の発生を防ぐことは可能だと思います」

 

 と答えた。

 

「ただ、それでも日中は調理スペースの見張りが必要ですわね。全員が部屋に篭るのであれば、毒を食材に混入させようとする者が現れるかもしれません」

「ああ、そうでしたね」

「それでしたら、わたしは夜時間まで食事すぺーすにのこります。それならいかがでしょう?」

 

 城咲が案を出す。

 

「それじゃ城咲の安全が確保されねェだろォが。城咲が狙われたらどうするんだァ?」

「問題ありません。わたくしは【超高校級のめいど】としてごしんじゅつは身に着けておりますから」

「メイドってそういうもんだったかしら?」

 

 東雲がそんなツッコミを入れるが、論点はそこじゃない。

 

「それでも、万一って事があるだろ。もう一人見張りをつけた方がいい」

「でしたら、わたくしが城咲さんと一緒に食事スペースに残りましょう。城咲さん、よろしいですか?」

 

 蒼神の問いかけに、城咲がうなずく。

 

「それでは、話はまとまりましたわね。これで解散といたします。繰り返しますが、あの記憶のヒントは決して見ないように。そして、明日の朝まで、部屋の外へは絶対に出ないように。よろしいですわね?」

 

 その蒼神の呼びかけに、ほぼ全員がうなずいた。うなずかなかった岩国も、この場に残って尚異を唱えないところを見ると賛成なのだろう。

 

「明日の朝を、ここにいる14人で迎えましょう」

 

 蒼神は、そう締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼神の話が終わると、皆、ゆっくりと足を動かし始めた。不安そうな表情を浮かべてはいるものの、絶望しきった顔と言うわけでもない。

 ただ、そんな他人の心配よりも、今は俺自身のことを考えなくちゃいけない。

 

「…………」

 

 左手の人差し指にはめた『システム』に目を落とす。

 さっきウィンドウに表示された、【才能】の二文字。アレが本当に俺が失った2年間の記憶のことだと言うのなら、俺はその2年間で才能を手にしていたことになる。そうでなければ、希望ヶ空が俺につけた【超高校級の普通】という才能の本質を知ることになったかだ。どちらにしても、【超高校級の凡人】だなんて自嘲することはなくなるのかもしれない。

 俺が手にしていた才能とは、どんな才能だろう。これまで生きてきて、自分に向いた何かに出会ったことなど一度もなかったから、とんと見当がつかない。

 気になる。

 手に入れた才能が何だったのかさえ分かれば、記憶を奪われた今からでもその才能を再び手に入れることができるかも知れない。

 けれども。

 

「……平並君」

 

 ふと、そんな声がかかる。蒼神だ。隣には、七原も心配そうに俺の表情を伺っている。

 

「思いつめた顔をなさってますが、本当に大丈夫ですか?」

 

 よほどひどい表情をしていたらしい。

 

「ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事をしていただけだから」

「……そうですか」

「でも……」

 

 そうやって応えるも、七原は納得していないようだった。

 

「問題ないぞ。心配するほどじゃ……」

「…………」

 

 七原に見つめられる。ああもう、本当に敵わない。

 

「……悪かったよ。本当は全然大丈夫じゃない」

「やっぱり」

「けど、本当に、二人が心配するほどじゃないんだ」

 

 『システム』を一瞥して、言葉を続ける。

 

「【才能】っていう、俺がずっと欲しかったものを2年の間に手に入れていた、なんて言われて、ちょっと混乱してるだけだ。一人になって落ち着けば、多分大丈夫だろ」

「それならいいけど……」

 

 七原は余り納得していないような表情だが、それ以上の追求はしてこなかった。その代わりに、目を伏せてポツリと呟いた。

 

「やっぱり、見るべきじゃなかったんだよ。あんなもの」

 

 目を伏せてそうぼそりと呟く七原。七原はちゃんと警告してくれたのに、俺は記憶の誘惑に勝てなかった。

 

「……すまん、七原」

「もう見ちゃったものは仕方ないけど……もうちょっと、私の言葉を信じてほしかったな」

 

 七原のことは信用しているし、その幸運だって信頼している。……けれど、今それを口にしたところで、きっと薄ら寒い言葉にしか聞こえないだろう。

 

「…………」

 

 何を言えばいいか思考をめぐらせたものの、結局答えを見つけることはできなかった。

 

「無理、しちゃだめだからね」

「……ああ、分かってる」

 

 その後、七原は「じゃあ、また明日」と言い残して、七原はメインプラザを出て行った。

 そう、俺は混乱してるだけだ。

 確かに、この【動機】は俺に大きな衝撃を与えた。

 【才能】は、俺にとってはどんなことをしてでも欲しいと思えるものだ。しかし、俺はもう決めたんだ。皆と一緒にここから脱出すると。もう、皆を裏切ったりしないと。殺人なんて絶対にしないと。モノクマにだって、啖呵を切っただろう。殺意なんて、抱かないと。

 

「それでは、わたくしたちも参りましょうか」

 

 蒼神が、そう語りかけてきた。

 

「それとも、わたくしや城咲さんとともに食事スペースに残りますか? 一人でいるよりもそっちのほうが安心するのではありませんか?」

「いや、その必要はない。というか、皆だって個室に閉じこもるのに、最初から軟禁される予定だった俺が個室に戻らないわけにいかないだろ」

「……それもそうですわね」

 

 そんな会話を交わして、ふと思い至る。そうだ、第一俺には殺人が行えないじゃないか。俺は新家の個室に軟禁され、そのカギである新家の『システム』は蒼神が持っている。こんな状況じゃ、誰かを殺すなんて不可能だ。そうと分かれば、誰かに殺意を抱くこともないんじゃないか?

 もし俺が誰かを殺すには、カギをかけられる前に蒼神を殺すしかない。蒼神がカギをかける前に、適当なことを言って部屋の中にでも呼び入れて殺すのだ。それだと血痕が残ってしまうか? ……いや、だったら、絞殺にすればいい。タオルか何か、最悪靴紐やパーカーの紐だって凶器になる。そうすれば血は出ないから血痕は残りようがない。だが、抵抗されれば殺しきれない可能性が……だったら、先に手を縛れば……縛れるか? やはり刺殺か。血痕が気になるなら、このまま蒼神をどこかへ連れ出して……いや、蒼神はこのあと城咲と一緒に食事スペースに残るって話をしたばかりじゃないか。だったら、無理矢理夜に約束を取り付けて、そして──

 

「平並君?」

 

 ──その声で、俺は一気に現実に引き戻された。

 

 何だ、今、何をした?

 

 俺は今、何を考えていた?

 

 

 

 どうして俺は、蒼神を殺す方法を考えていたんだ?

 

 

 

「平並君、本当に大丈夫ですか? 苦しいなら苦しいと、辛いなら辛いと素直に仰ってください。泣き言を言わないのは美徳ですが、虚勢を張って余計苦しい思いをしては元も子もありませんわ」

 

 俺を叱るように、諭すような蒼神の声。

 

「…………なあ、蒼神」

 

 そんな彼女に、俺はこんな言葉を投げかけた。

 

「なんでしょう?」

「ちょっと、頼みがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《実験棟》

 

 初めて足を踏み入れた【体験エリア】。このエリアにも、案の定監視カメラの類は存在していた。その中で一番高い建物である実験棟へと、橋を渡ってやってきた。

 

「これが実験棟か……」

「ええ。もっとも、用途がピンポイント過ぎて、わたくしは探索の日以来近寄りませんでしたわ」

 

 蒼神とそんな会話をしながら実験棟の中に入り、階段を上っていく。そうして俺達は、目的地である化学室の前へとたどり着いた。

 

「電気がついてるな」

「ええ、きっと、彼がいるのでしょう」

 

 確かに、心当たりは一人しかいない。

 蒼神が、ガラリと音を立てて扉を開ける。

 

「やはり、根岸君でしたか」

「あ、蒼神と……ひ、平並……」

 

 思ったとおりに化学室の中にいた根岸は、棚の前に立って参考書を手に取っていた。一瞬驚いたような顔を見せ、そして俺を睨む。

 そんな根岸を見て、本来の目的とは違うが、やらねばならないことに思い至った。

 

「根岸」

「な、なんだよ……」

 

 蒼神の前に立ち、根岸のもとに歩み寄る。

 そして、告げる。

 

「すまなかった、根岸」

 

 その言葉とともに、大きく頭を下げる。土下座までするのは、逆に冗談染みてしまう気がして、あえてやらなかった。

 

「お前を裏切って、お前を殺そうとして、本当にすまなかった」

 

 その、俺の純粋な想いは、

 

「……あ、謝れば、い、いいってもんじゃないだろ……」

 

 根岸には、届かなかった。

 

「……それでも、ごめん」

「…………」

「それで、根岸君。あなたはここで何をなさっていたのですか?」

 

 俺達の空気に耐えかねたのか、それとも助け舟を出したのか。蒼神が根岸にそう尋ねた。

 

「べ、別に何も……きょ、今日も、じ、実験をするつもりだったけど、へ、部屋に篭らなきゃいけなくなったから……じ、時間つぶしのために、さ、参考書を持っていこうと思ったんだ……」

 

 根岸は、棚に並ぶ参考書を一瞥して答えた。

 

「なるほど、確かにそれはいいアイデアですわね」

「こ、ここの参考書は、ま、まだ読んだことないやつもたくさんあるから……」

 

 化学室の棚には、参考書がずらりと並んでいた。タイトルを見る限り、その中には原文で書かれたものも多いようだ。もしかして、根岸はこういうものも読めるのだろうか。

 

「そ、それで、お、おまえたちは何しに来たんだよ……ぼ、ぼくにあやまりにきたのか……?」

「いえ、それは目的ではありません。根岸君がここにいることは知りませんでしたから。彼が根岸君に謝りたいと思っていたことには間違いありませんけれど」

「そ、そうか……」

 

 参考書に向けていた視線を、根岸たちに向ける。

 

「平並君が、睡眠薬を欲したのです。一人でいると変なことを考えそうだから、いっそ眠ってしまいたいということだそうですわ」

 

 そう。

 俺の蒼神への頼みというのは、化学室にあるというモノクマの用意した睡眠薬のことだ。

 

 さっき、無意識に殺人計画を考え出したことにぞっとした。そうでなくとも、【才能】のことで頭の中はめちゃくちゃなのだ。いくら軟禁されていて他人に手出しはできないとはいえ、これで個室に独りきりになんてなったら俺が何をしでかすか、自分で自分のことが信用できない。

 だったら、無理にでも眠ってしまえばいいと思ったのだ。モノクマ特製という睡眠薬は、どうやらぐっすり眠れそうだと聞いている。()()モノクマ特製というところに不安を覚えないこともないが、説明欄に書いてあったという致死性がないというところは本当だろう。元々コロシアイのために用意したもののはずだから、そこに嘘があっては学級裁判が成立しなくなるはずだと思ったからだ。……自分自身も信じられないくせに、モノクマのことは信じられるなんて、とんだ皮肉な状況だと自分でも思う。

 

 ともかく、そんなことをさっき蒼神に説明し、今はそれを蒼神が根岸に伝えている。

 それをすべて聞いた根岸は。

 

「し、信じられるか……!」

 

 これまでの鬱憤を晴らすかのような声。

 

「信じられるか、とは?」

「こ、言葉通りだよ……ぼ、ぼくを殺そうとしたこいつのことだぞ……! ね、眠りたいからだなんて言って睡眠薬を手に入れたら、そ、それを殺人に使うに決まってるだろ……!」

 

 その言葉とともに、根岸は俺を険しい目つきでにらんだ。

 

「そんなことしない! 本当のことなんだ、信じてくれ!」

「ど、どうだか……」

 

 根岸から見たら、俺が睡眠薬をもらうのは殺人を意味するのか。

 ……当然か。

 

「大体、俺はこれから軟禁されるんだぞ」

「…………そ、それは……け、けど……!」

 

 軟禁、という言葉に根岸は一瞬ためらったが、その結論を変えるまでにはいたらなさそうだった。

 仕方ない、睡眠薬は諦めよう、と思ったが。

 

「根岸君。平並君はそんなことは考えておりませんわ」

 

 と、蒼神の言葉が発せられた。

 

「ど、どうしてそんなことが言えるんだよ……!」

「彼とはこの数日、度々話しましたから。その中で、彼は自分が殺意を抱くことに強い恐怖を抱いているようでした。だからこそ、睡眠薬を使って眠りたいと考えているのですわ」

「そ、そんなの根拠にならないだろ……! あ、諦めた振りをして、ま、まだ【卒業】を企んでるかも知れないだろ……!」

「【卒業】なんかしない!」

 

 と、反論はしてみるものの、俺が何を言った所で効果はないだろう。

 

「まあ、根岸君はそう思いますよね。実際根拠はあるようでありませんし。ですので、根岸君はわたくしを信用してください」

 

 俺がどうしたらいいのかと悩む横で、凛として声で蒼神はそう告げた。

 

「あ、蒼神を……?」

「ええ。先ほど平並君も仰いましたが、彼はこの後軟禁されるのです」

「…………」

「平並君が閉じこもる予定の新家君の個室のカギ、新家君の『システム』は、わたくしが持っていますわ。わたくしは、この後平並君を新家君の個室に閉じ込めます。それ以降は、翌日の朝になるまでカギを開けない事を約束いたします」

 

 胸を張って、蒼神はそう宣言する。

 

「まあ、もとよりそのつもりでしたが。第一、その前提があったからこそ平並君は記憶のヒントを見ることに決めたのです」

 

 確かに、その通りだ。

 

「根岸君がそれを信じてくれるのであれば、平並君に殺人を犯す余地はないと思いませんか?」

 

 そんな蒼神の言葉を聞いて。

 

「………………」

 

 無言でうつむきながら、根岸は考え込んで。

 

「…………や、約束だからな」

 

 そう答えた。

 

「根岸!」

「う、うるさい……! お、おまえを信じたんじゃない……あ、蒼神を信じたんだからな……!」

 

 相も変わらず俺をにらみつける根岸。それは俺もわかってる。けれど、これで個室で一人思い悩むということにはならなそうで、助かった。

 

「ありがとうございます。根岸君」

「ふ、ふん……」

「……ところで、この部屋の中には薬品の類が見当たりませんが……どうされたのですか?」

「あ、俺も気になったな」

 

 この化学室にはそれこそ『モノモノスイミンヤク』とやらをはじめとした薬品類がそろっている、と聞いていたのだが、どの棚を見てもその気配はない。

 

「あ、ああ……ひ、火ノ宮の提案で、よ、夜の間はぼくの部屋で管理することになってたんだ……そ、それで、ちょ、朝食会のときにモノクマに集められたから、や、薬品は全部ぼくの部屋にあるんだよ……」

「なるほど。そうでしたか」

「じゃ、じゃあ……も、持っていく参考書を選ぶから、そ、外で待ってて……」

「ええ、分かりましたわ」

 

 そんなわけで、俺達は化学室に根岸を残して実験棟の外へ出た。しばらくすると、数冊の参考書を抱えた根岸がやってきた。

 

「根岸、手伝おうか?」

「…………」

 

 根岸は、俺の言葉を無視したが、かといって先に歩き出すわけでもない。俺から目線をそらさないところを見ると、俺を警戒しているのだろう。

 

「それでは、参りましょう」

 

 その蒼神の声を合図に、俺達は宿泊棟を目指して歩き出した。橋を伝って向こう岸へと渡る。

 すると、

 

「いくらなんでも、その量は多すぎるんじゃないのか?」

「そうでもない。重量があることは否定しないが、丸一日という時間(ページ)があることを考えれば、これでも少ないくらいだ」

 

 そんな会話を繰り広げるスコットと明日川がいた。ちょうど橋のふもと、分かれ道の中央に二人は立っていた。

 

「何話してるんだ、お前達」

「おや、平並君に蒼神君、根岸君じゃないか」

「別にたいしたことは話してない。オレもアスガワも、同じ事を考えてたってだけだ」

「同じこと、ですか?」

「ああ。時間をかなりもてあますことになりそうだからな。個室からは出られないから、時間つぶしの用意をしてたんだ」

 

 そう語るスコットが持っていた手提げ袋には、毛糸や布の類が山ほど入っていた。編み針や縫い針などは見当たらないが、そのあたりの道具は個室にもうあるのだろう。

 対する明日川はといえば、足元に文庫本をこちらも山のように積みいれたカゴを置いていた。どう見ても一日で読みきれる量とは思えない。

 

「二人とも、こんなに必要なのか?」

「……オレは念のために、だな」

 

 俺の問いかけに、スコットは一瞬間を挟んでからそう応えた。俺に対して思うことがあるみたいだが、とりあえずはそれをそばに置いておいてくれるようだ。

 

「何を作るかはこれから決めるし、どんな色を使いたくなるかはまだ分からないからな。使いたい色がなくて妥協するのなんか御免こうむる。だから、使い切るって事はないだろう」

 

 そう語るスコットとは対照的に、

 

「さっきスコット君にも語ったけれど、ボクはもっと欲しいくらいさ。ただ、どうしてもボクが持てる重さの限界はあるからこの量に厳選(推敲)せざるを得なかったよ。ボクは実体のある紙の本のほうが好むけれど、電子書籍はこういったときに便利だね」

 

 と、残念そうに明日川は語る。

 そんな彼女に蒼神が尋ねる。

 

「ふと思ったのですが、明日川さんは速読を行っているのですか? 明らかに、本を読むスピードが早いですわよね?」

 

 明日川が読書している場面を見たことは無いが、そのかごに入ってる量を一日で読んでしまうのであれば、相当ずば抜けた速さで読むことになるはずだ。

 

「いや、別段速読を心がけているつもりはない。物語を一文字だって逃すつもりはないし、展開(ストーリー)をないがしろにするわけでもない。斜め読みなんて言語道断(発禁相当)だ。ただ、物語の世界にのめりこんでいると自然とそうなってしまうだけさ。ボクとしては、本を読むスピードはそれほどたいした問題じゃなく、どれだけその物語に深く触れられるかの方がよっぽど重視すべきだと考えているよ」

「そうでしたか」

 

 一文字も読み飛ばすことがないのであれば、それならむしろ読書スピードは下がってしまう気がするのだが、そうならないのは【超高校級の図書委員】たる明日川故なのだろう。明日川のことだから、本当に一冊一冊の本を大切にしているのだろうし。

 そんなことを考えていると、スコットが根岸の抱えていた参考書に反応した。

 

「見たところ、ネギシも同じ考えのようだな」

「う、うん……さ、さすがに、そ、そんなに沢山は読めないけど……」

 

 論文の類の参考書と物語とでは読み方も異なるだろう。

 

「ところで、平並君は何をしていたんだい?」

 

 そんな中、明日川が俺にそんな台詞を投げかけてくる。

 

「キミも部屋で時間を潰す(空きページを埋める)ために何かを取りに行ったのかと思ったが、手には何も持っていない。何か違う目的があったんだろう?」

「ああ、それは……」

 

 明日川の質問に、根岸を一瞥して答えようとしたその時。

 

「道の中央で群がるな。邪魔だ」

 

 という、氷のような声が耳に飛び込んできた。

 

「これは失礼いたしました。岩国さん」

 

 そう言いながら道端にずれる蒼神に倣って、俺達もずれて岩国の通る道を開ける。

 そのまま岩国は通り過ぎるのかと思ったが、岩国は俺を見て足を止めた。

 

「……どうした?」

「凡人、お前は宮大工の個室に軟禁されるんじゃなかったのか? どうしてこんなところをほっつき歩いている?」

 

 その質問は、言葉に強烈なトゲこそあれど先ほどの明日川の質問と同じものだった。

 どこまで話すべきか、とも思ったが、中途半端にはぐらかしてもいいことはないという結論に至った。

 

「……さっき、【動機】になってた記憶のヒントを見ただろ? それで、ちょっと不安になってな。部屋にいても変なことを考えそうだから、睡眠薬を飲もうと思ったんだ」

「睡眠薬をだと?」

 

 そう声を上げるスコットに対してうなずきながら、俺は話を続ける。

 

「それで蒼神に頼んで個室に戻る前に化学室に寄ったんだが、薬品類は根岸が個室で管理してるみたいでな。それで、根岸から睡眠薬をもらうために宿泊棟に戻るところだったんだ」

 

 それを聞いた岩国は、怒気を込めて強く俺を睨むと、

 

「あんな強力な睡眠薬を……またお前は殺人を企んでいるのか」

 

 と吐き捨て、自然エリアのほうへと歩き出した。

 

「ち、違う! 俺は何も──」

 

 と叫ぶ俺の声を彼女は気にすることもなく、そのまま歩いていってしまった。

 

「…………」

「……オマエは本当に眠るために睡眠薬が欲しいんだろうが、まあ、イワクニの気持ちも分かるな」

 

 と、スコット。

 

「実際、ヒラナミには前科がある」

「……分かってる」

 

 根岸にも同じような反応をされたし、岩国ならそういう反応になるだろうとは思っていた。

 

「だが、アオガミがカギをしっかりとかけるというなら、ヒラナミが睡眠薬を持ち出そうが関係ない。そのあたりはどうなんだ」

 

 スコットが蒼神の目を見てそう尋ねる。

 

「問題ありませんわ」

 

 蒼神は、胸を張ってそう応えた。

 

「ボクは平並君のことを信用しているし、蒼神君も皆との約束を破ることはないだろうと思っている。ただ、それとは別に気になることがある」

「なんだ?」

 

 なにやら語りだした明日川。気になること?

 

「その、キミが欲する睡眠薬というのは、化学室に用意されていた『モノモノスイミンヤク』だろう?」

「ああ」

「単純に、危険ではないのか? 致死性がないとは書いてあったが、安全が保障されているわけではないだろう。『一粒飲めば一晩ぐっすり。二粒飲めば一日ぐっすり。三粒飲めば三日ぐっすり。』などと書いてあったはずだ。その効果の強さは推して測ることが出来る」

 

 ……そのことか。

 実際、気にならないわけじゃない。モノクマが用意したものなわけだし。けど。

 

「致死性がないってのは本当だろ。それこそ、モノクマはコロシアイのために、犯行に使うためにこの睡眠薬を用意したんだ。ただ眠らせるつもりだったのにそのまま相手を殺してしまえば、トリックとか、アリバイ作りに影響が出るのは間違いないだろ」

「まあ、それは確かにそうなんだが」

「……それに、正直なところを言えば、俺はずっと一人で過ごすほうがよっぽど恐ろしい」

 

 明日川は俺のことを信用していると言ってくれた。

 けれど、あの【才能】の二文字を見てからの俺は、どこか様子がおかしい。こんな状態で何時間も一人で過ごしているとどうにかなってしまいそうだ。

 

「そうか。キミ自身がそう言うのなら、ボクはもう口を閉ざすとしよう」

 

 俺のそんな懊悩とした感情は明日川に届いたようだった。

 

「そ、そろそろいいか……?」

 

 明日川の話が一段落したのを見て、根岸が声を出す。

 

「ああ、すまなかったね。根岸君」

「べ、べつに……」

「それでは、行きましょうか」

 

 その蒼神の声を合図に、俺達は止まっていた足を宿泊棟へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

 その道すがら、宿泊棟から食事スペースへと向かう城咲とすれ違うだけで、他の誰とも出会うことはなく宿泊棟へと戻ってきた。もう他の皆は個室に戻ったんだろう。

 明日川やスコットと別れ、俺達は根岸の個室の前にいる。

 

「じゃ、じゃあ、く、薬を持ってくるから、ちょ、ちょっと待ってて……」

 

 そんな言葉を残して、根岸が部屋の中に入っていく。

 所在無く、視線を宙に漂わせて、記憶のヒントに思いを馳せると、

 

「……それにしても、平並君。本当によかったのですか?」

 

 ためらいがちに蒼神が、そんな言葉を投げかけてきた。

 

「よかったって、何がだ?」

「軟禁……というより、平並君のいる個室のカギをわたくしが持っていることについてです」

 

 どういうことだ? と、続きを目で促す。

 

「杉野君が提案した、個室の閉じこもりによって殺人を防ぐという手法ですが、これは各人がその個室のカギを自身で持ってるからこそ成立するのです。ですが」

 

 そこで、蒼神は自身の左手をちらりと見る。二つの『システム』が、その人差し指と中指にはめられていた。

 

「平並君の場合、個室のカギを持っているのはわたくしです。平並君のいる個室のカギを開けることが、わたくしの一存で決まってしまうのです」

「つまり、お前が裏切るかもしれないってことか?」

「……平並君からすれば、考えるべき可能性だとおもいますわ」

 

 顔を伏せてそんなことを言う蒼神。

 

「……そんなこと、考えてなかった」

 

 どうなんだろう、と考える必要もない。

 

「お前は、俺達を裏切ったりしない……と、思ってるんだが」

「そうですか」

 

 逆に、誰なら裏切るかと言われても思いつかないが、とりわけ蒼神は裏切って俺を殺そうとなんて思わないだろう。

 そう思えるだけの、信頼が蒼神にはある。

 

「頼りにしてるからな、蒼神」

「……ありがとうございます」

 

 そんな言葉を交わして、しばし待つ。

 

 ──ガチャリ

 

 ドアが開き根岸が廊下に出てくる。その手には一つのビンを携えていた。

 

「こ、これが睡眠薬……」

 

 その中には白い錠剤がいくつも入っていた。蒼神がそのビンを受け取って、説明欄に目を落とす。

 

「『一粒飲めば一晩ぐっすり。二粒飲めば一日ぐっすり。三粒飲めば三日ぐっすり』。……だ、そうですが。先ほど明日川さんも仰っていましたわね。平並君、何粒必要ですか?」

 

 そう言われ、考える。三日も眠る必要があるだろうか? それだけ寝てしまうと、逆に必要なときに起きられなくなってしまいそうな気がする。……明日の朝まで寝られれば十分か。

 

「二粒欲しい。いいか? 根岸」

 

 一応根岸に声をかけるが、根岸は何も答えなかった。それを俺は肯定と受け取った。

 それは蒼神も同じだったようで、ビンから二粒の錠剤を取り出して俺に手渡す。そして、ビンのふたを閉めて根岸へと返した。

 それを受け取った根岸は個室の中に戻るのかと思いきや、そんな素振りは見せなかった。

 

「……部屋に戻らないのか?」

「お、お前がちゃんと軟禁されるか、か、確認するんだよ……!」

 

 何気なく疑問を口にすると、根岸に強い口調で返された。なるほど……。

 ともかく、もらう物はもらったので、根岸に睨まれつつ新家の個室に戻ることにした。といっても、新家の個室は根岸の個室のすぐ右隣だ。すでに蒼神がドアを開けてくれていた。

 そそくさと、その中に入る。

 

「じゃあ、またな」

 

 二人にそう挨拶を投げかける。

 

「…………」

「ええ。また明日」

 

 返ってきたのは、根岸からの無言と蒼神からの再会を誓う言葉だった。

 直後、ドアが蒼神によって閉められる。

 

 ──ガチャリ

 

 そして、おそらくは蒼神が、ドアのカギをかける音がした。

 念のためにドアノブに力をかけてみるが、それが回ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

「……さて」

 

 俺の肌を伝っていた嫌な汗を流すためにシャワーを浴びた。

 睡眠薬と、軟禁されるときに持ち込んでいた水が机の上に乗っている。

 

「…………」

 

 

 思い返すのは、あの【才能】の二文字。

 本当に、俺なんかに才能があるのだろうか。

 もしも、本当に、才能が、あるのなら──

 

「ダメだ」

 

 頭を振って、嫌な考えを振り払う。それでも脳内にこびりついているような気がしたが、それには気づかない振りをした。

 これ以上、下手に考え事をすれば、いよいよ皆を裏切ってしまうことになる。それだけはダメだ。

 決めただろ。皆とここから脱出するって。皆を裏切らないって。

 前を、向こう。

 

「クソ……」

 

 寝てしまおう。そのために睡眠薬をもらったんだから。

 机の上に手を伸ばす、が。

 

「……」

 

 ふと、明日川の台詞を思い出した。

 

 

 

 ──《「単純に、危険ではないのか? 致死性がないとは書いてあったが、安全が保障されているわけではないだろう」》

 

 

 

 今更急に怖くなってきた。一気に二粒も飲んで大丈夫なのだろうか。

 

「……とりあえず一粒だけにするか」

 

 一粒だけ試してみて、問題がなければもう一粒も飲むことにしよう。一粒でも一晩と言い張るだけの時間は眠れるようだし。

 そう思い、一粒を机に残して睡眠薬を手に取り口に放り込む。それを水で流し込んだ。

 

「これでいいのか?」

 

 ともかく、これで眠れるはずだ。

 と、思ってベッドへと歩き出した瞬間、フラリ、と視界が揺れる。

 

「ぐ……これ、強、烈……」

 

 歩き出した惰性で何とかベッドに倒れ込んだが、俺の体が自由に動かせたのはそこまでだった。

 

 意識が、暗闇に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 




ナンバーワンは遥かに遠く、
オンリーワンすらなれやしない。

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