秋山優花里の夢
やけに馬鹿でかい荷物を持って、秋山優花里は大洗女子学園の学園艦に戻ってきていた。
両手に掲げた紙袋には熊本銘菓と戦車道関連グッズがこれでもかと詰め込まれ、背負っていたリュックサックには包帯を巻いたクマのキーホルダー、「ボコ」が吊されていた。
「不肖、秋山優花里、ただいま帰還いたしました!」
勢い良く木製の扉を開ければ、そこは生徒会室。
中には既に先客が三人おり、それぞれ優花里に労いの言葉をかけた。
「お疲れ様。わざわざ熊本までありがとう。本当なら私たちが行かなければならないんだけれども、前の生徒会の引き継ぎに忙しくって」
「おお、秋山か。ご苦労だった。早速資料の方を見せてくれ」
「いやー、暑いところお疲れちゃん。どう? エキシビションは楽しかった?」
三人の生徒会役員はそれぞれ小山柚子、河嶋桃、角谷杏といった。
優花里は三人に手にしていた紙袋を手渡すと、備え付けのソファーに腰掛ける。
「さすがに生の試合はすごい迫力でしたよ。あ、生っていってもパブリックビューイングで、音だけが少し遠くの方で聞こえてくる感じでした」
向かい側に腰掛けた三人はそんな優花里に次々質問を飛ばしていく。
「そっか、そっか。で噂の西住姉妹、逸見姉妹はどうだった?」
「うーん、わたくし自身が戦車道未経験者なのではっきりとは言えませんが、間違いなく他の選手よりも目立っていましたね。西住姉妹のまほさんが3両、エリカさんが4両撃破しましたし」
「と、なると青チームだったか? 姉達が勝ったのか?」
桃の疑問に、いえいえと優花里は首を振った。
「僅差で赤チームが勝ちましたよ。殆どの車両を撃破されましたけれど、逸見姉妹のカリエさんがみほさんとプラウダの隊長と協力してまほさんを撃破したんです。あっ、今回の試合はフラッグ戦と言いまして、あらかじめ決められた特定車両を撃破した方が勝利なんです。青チームのフラッグ車がまほさんで、赤チームがみほさんでした」
「成る程成る程。保有車両の優劣が必ずしも試合結果に結びつくわけじゃないんだねー。これは戦車道で一山当てれるかもね」
にしし、と笑う杏に優花里は苦笑を溢す。
確かにフラッグ車を撃破さえすれば一発逆転の目はある。けれどもそのフラッグ車を追い詰めるまでの過程を実際に見てきた彼女は口が裂けても勝つことが簡単だとは言えなかった。
「大丈夫、大丈夫。そこまで甘くは考えていないよ。プロ野球選手だって素人相手に三振することもあるっていうものの例えだよ。可能性はあるにはあるけれど、それが限りなく低いということは理解しているつもりさ」
ぺらぺらと会場で配布されていたパンフレットを杏は捲った。
「秋山ちゃんはさ、実際に現地に行って戦車道の今後をどう見た?」
「今後ですか? そりゃあ、あれだけ華やかな選手の方々が揃っているんですし、しかも毎日のように全国放送されていますし、一時の熱気が戻ってくるんじゃないでしょうか」
優花里の告げたとおり、此度の黒森峰主催試合は異例の観客数となっていた。
開催地の熊本市も全力でエキシビションをサポートしたこともあってか、現地はちょっとしたお祭り騒ぎになっていたのだ。
試合後、自走できる車両に乗った選手らが市内の大通りを凱旋したことは、優花里の記憶にも新しい。
「そう、それなんだよ。本屋に行けば戦車道関連の書籍で溢れかえっているし、ビデオ屋に行けば決勝戦のDVDが全て貸し出し中。インターネットの再放送も人が多すぎてサーバーダウン。これはちょっとした社会現象なわけだ」
そこまで言って杏は手にしていたパンフレットを優花里に返した。
そして自身のデスクに戻ると、やや分厚めの冊子を一つ持ってきた。
「なんですか、これ」
「まあ見てみなよ」
言われて優花里が冊子に目を通す。
中身は文部科学省が発表した報道資料が纏められたものだった。
「全国戦車道活性化の手引き?」
「数年後に戦車道の世界大会があるらしくてさ、それに向けて国内でいくつかのプロチームを発足させるんだって。茨城にも予定では一つチームができるよ。で、それらの選手を確保するためか全国の戦車道を開講している高校は文部科学省から助成金を貰えるんだよ」
「おおっー、それは凄いですねえ! ていうことは大洗も!?」
「後期から戦車道の授業を開講するよん。結構昔に廃止になっちゃったみたいだけれど、書類上は戦車もいくつか残っている筈なんだよねえ。あとはそれを動かす人なんだけれど、それの指揮を秋山ちゃんに頼みたいんだ」
一瞬優花里は言われている意味がわからなかった。己のほっぺたを両方ともつねってみて、さらにはその場に立ち上がって周囲をぐるぐる回ってようやっと、現実を受け入れることが出来た。
「ええっー!? わたくしがですか!?」
「そそっ。わざわざ熊本まで試合を見に行って貰ったのも、少しでも戦車道の感覚を知って貰うためだよ。来年に向けて戦車道経験者の中学生に粉を掛けたりはしているんだけれども、当面は秋山ちゃんが頑張ってね-」
急な申し出に優花里は困惑した。
確かに戦車は好きだ。
生まれて初めての海外旅行はドイツの戦争博物館だったし、アルバイトで稼いだお金は全て戦車グッズに消えている。寝ても覚めても戦車戦車の生活と言っても良い。
もちろん、実際に戦車を操ることの出来る戦車道に興味がないわけがなかった。
けれども彼女には即断出来ない理由があった。
随分と返答に悩む秋山を見て、桃が首を傾げた。
「お前が無類の戦車好きなのは聞いているぞ。何をそんなに迷っている。普通なら即決じゃないか」
「いや、確かにお言葉は有り難いですし、わたくしは戦車が大好きです。でも、あの熊本の試合を見たあとだと、本当にそんな動機で戦車道を始めて良いのかわからないのです」
何を生意気な! と苛立ちを募らせる桃を押さえて、杏が優花里に問うた。
「聞かせて貰える?」
「はい、熊本の試合で見たのはひたむきに戦車道に打ち込んでいる選手の皆さんでした。とくに逸見姉妹のカリエさんは、今大会でパニック障害を患いながらも最後まで戦い抜いていました。水に対するトラウマで足が竦んで動けないはずなのに、彼女はチームのため身を挺して、川を下るという強襲作戦も成功させました。そんな覚悟をいざ間近で見せられると、わたくしのような半端者が同じ道を歩んではいけないと思ってしまうんです」
優花里の返答に杏はしばし考えた。
滅多に見ない杏の長考に、側に控えていた桃が「かいちょー」と情けない声を上げる。
だが、ややあって杏は意を決したように口を開いた。
「秋山ちゃん、戦車って、決められた、綺麗な道しか走れないのかな?」
杏の言葉に優花里は直ぐさま食らいついた。
「そんなことはありません! 戦車は道なき道を行くための乗り物です! 戦車は火砕流の中だって、川の底だって走れるんです!」
言って、優花里は「はっ」と言葉を失う。
「そうだよ。戦車は決められた道を行くものじゃない。黒森峰の逸見姉妹が行く道と、私たちが行く道が同じである必要はないんだ。秋山ちゃんは秋山ちゃんの動機で、秋山ちゃんの戦車道を見つければ良い」
「……わたくしの戦車道」
今度は優花里が長考する番だった。
彼女はテーブルに置かれていたエキシビションのパンフレットを見つめ、静かに考えを纏めた。
杏も、桃も、そして柚子も答えを焦らすようなことはしなかった。
凡そ五分が経過しようとしたその時、ぽつぽつと優花里が口を開く。
「私、幼い頃から本当に戦車が大好きだったんです。けれども、そのせいで周りから浮いてしまい友達は殆ど居ませんでした。両親にはたくさん迷惑を掛けましたし、わたくし自身も辛い思いをしました。だからせめて高校くらいは普通に過ごそう。両親に心配を掛けないような、普通の高校生になろうと考えたんです」
でも、と彼女は続ける。
「戦車に対する情熱だけはいつまで経っても捨て切れていません。正直、角谷さんから熊本行きを命じられた時は天にも昇るような気持ちでした。そしてこの目で見てきた戦車道はとても楽しそうで、私が憧れていたときのままでした」
優花里の中ではもう答えが決まっていたのだろう。
即決できなかったのは彼女が言うとおり戦車道の世界に飛び込んでいく資格が自分にあるのかどうか、迷っていたからだ。
誰かが背中を一押ししてやれば、優花里は決断することが出来た。覚悟を決めることが出来た。
「わたくし、戦車道をやります。やりたいです。やらせてください。素人も素人でどこまでやれるかは全くわかりませんが、みなさんに頂いたこの折角の機会を逃したくはありません! わたくしは、わたくしの内に燻った戦車に対する愛で戦車道をやってみたいです!」
優花里の力強い言葉に杏は笑った。笑って、その小さな手を差し出した。優花里がそれを掴むと、大きさはからは想像も出来ないような力で、がっちりと掴み返してきた。
「秋山ちゃんの思い、確かに聞いたよ。私たちに出来ることがあれば何でも言ってね。何でも協力するからさ」
「はい! よろしくお願いします!」
こうして、大洗女子学園の戦車道参加は決まった。
誰も覚えていないような昔に戦車道を廃止してしまった無名の弱小校。
保有車両は貧弱で、乗員は素人ばかり。
そんな泡沫の夢のような高校が、第63回全国戦車道大会において黒森峰女学園と歴史に残る名勝負を繰り広げるまで、まだもう少し時間が必要だった。
秋山優花里の夢 了
「お姉ちゃん大好き。だからチャンネル変えても良い?」
「お姉ちゃん大好き。だから風呂掃除お願い」
「お姉ちゃん大好き。だからこのお菓子買ってもいい?」
「お姉ちゃん大好き。だからもう少し寝かせて?」
「……あんたね、『お姉ちゃん大好き』と言っていれば、私が何でもしてくれると思ってんじゃないわよ!」