黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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人吉ウォー!!! 2

 雲一つ見受けられない快晴の空の下。彼女たちはお揃いのタンカースジャケットに身を包んで、真っ白なキャンバス地のテントの下に集まっていた。

 人吉小学校とでかでかと書かれたテントは、役場が近隣の小学校から借り受けてきたモノだった。

 タンカースジャケットも、役場がこの日のために用意した特注品である。どことなく、黒森峰にデザインが似ているのは、やはり同じ熊本県だからだろうか。

 

「……これ、この県のゆるきゃらのカラーリングをイメージしたんだって」

 

「ちょっとカリエ。私語は慎みなさい」

 

 市内の大きな地図を前にして、地元の少女たちは作戦に関する最終打ち合わせを行っていた。

 基本的にはカリエが立案してきた作戦を全員で確認する作業である。そこはやはりというべきか、戦車道を履修している高校生組が中心となった作戦が立案されていた。

 

「サンダースに優勢火力ドクトリンを取られないよう、一部を除いて単独行動を禁止するわ。必ずツーマンセルで行動し、相手を追い詰めるのよ」

 

 エリカの唱えたとおり、車両性能で勝っているこちら側に対してサンダースは数の優位で押しつぶしてくる可能性が考えられた。カリエの考えた作戦も、それらへの対策が練り込まれている。

 

「……というわけで、怪我なく遺恨なく楽しく頑張りましょう。作戦会議終わり」

 

 カリエの気の抜けた宣言が、解散の合図だった。

 エリカが「もっとなんとかならないの」と愚痴をこぼすが、そんなことは何処吹く風。ヨシヒは相変わらずの姉妹のやり取りにケラケラと笑った。

 

「ええやん、ええやん。今ので年下の子達の緊張もほどよくとれたんやから」

 

 どういうことだ、とエリカが周囲を見回してみればどこか安心したような表情をした中学生達が目に付いた。

 何故か、と考えてみれば彼女達は自分とカリエに一種の警戒心を抱いているのだと思い至る。

 

「黒森峰のスーパーエリート姉妹がそろい踏みやからな。この子らは足を引っ張らんよう必死なんよ。やからカリエちゃんの良い意味で緩い雰囲気が、この子らの気を楽にしたんやな」

 

 見ればカリエの周囲には既に幾人かの中学生達が集まっていた。

 妹肌が身に染みついているカリエだが、何処かスポーツマンの雰囲気も持っており、後輩に慕われやすいというのはエリカも知っていた。けれどもいざ目にしてしまえば、それが自分の知らない妹の一面を見ているようで何かむず痒い気分になっていた。

 

「なんか変な感じね」

 

「ま、そう言わんと。素直に妹が人気なのを喜んでやったらええやん」

 

 中学生達に矢継ぎ早に話しかけられているカリエをぼんやり眺めていれば、ふとその垂れ目と目が合った。

 この世界で唯一自分と同じ顔をした人間。

 雰囲気が随分と違うのは、その性格の差なのか。

 ただその目線が自分だけに向けられる性質のものだと知っているエリカは、先ほどまでの釈然としない気持ちは何処へやら、やや勝ち誇ったように笑った。

 

「ほらほら、あんた達もそろそろ準備なさい。私とカリエは最後の打ち合わせをしてくるわ」

 

 中学生の輪からカリエの襟首を掴んで引っ張り出す。いつもなら抗議の目線を向けてくるであろうカリエも今日ばかりは大人しくされるがままだった。何故ならそれは彼女が望んだことだから。

 決して人付き合いが苦手な訳ではないが、それでも姦しい雰囲気が苦手なカリエを、誰よりも理解しているのがエリカなのである。

 中学生達も、目を輝かせながら姉妹のやり取りを見守っていた。

 自分たちが憧れたスーパーエースシスターズに触れ合えたことが嬉しいのだ。

 

「いくら私たちが黒森峰の人間だからって、あんた達も遠慮は無用よ。全力で試合に臨みなさい。急造とはいえ私たちはチーム。互いをフォローし、高めあって、サンダースを叩きつぶすわよ!」

 

 カリエの宣誓が余計な緊張感を解きほぐすものだとすれば、エリカの宣誓は必要な緊張感を与えてくれるものだった。

 黒森峰の逸見エリカに激励されて、やる気に満ちあふれないものはこの場にいない。皆が皆、また違った目の輝きを持って「はいっ!」と頷いた。

 エリカが先陣を切れば、カリエがそれに続いた。ヨシヒも後輩達を連れ立って、テントの側に並べられていた鋼鉄の獣たちに乗り込んでいく。

 その中でもひときわ目立つ存在――ティーガーⅡとパンターにはオリジナルのパーソナルマークが刻まれていた。

 戦車道を嗜むものならば、知らない者はいないと言われるまでになった、二匹の蛇のマーク。

 黒森峰で輝いていた円環の蛇は、逸見姉妹の故郷でも燦然と輝いていた。

 

 

2/

 

 

「Hey! Listen!」

 

 ケイのよく通る声色がサンダースの面々の間を通り抜けていった。

 

「突然の遠征試合だけれども、これだけのメンバーが参加してくれたことを私は誇りに思うわ!」

 

 彼女が告げたとおり、サンダースに人吉役場から試合の申し込みがされてから五日と経っていなかった。サンダースも他の高校の例に違わず夏休み期間中だったが、それはケイの人望がなせる業なのかほとんどベストメンバーで現地入りを果たしていた。

 

「たとえこれがエキシビションだとしても、私たちは決して手を抜かないわ。殆どが中学生で編成されたチームだからって、手心はNoよ!」

 

「「イェス! マム!」」

 

 大人数から成る声の連鎖が周囲に響き渡った。サンダース側で観戦していた町の人々も、その士気の高さに驚いている。

 

「……私はついこの間、黒森峰の逸見姉妹に負けたわ。それも完膚なきまでに。今回のエキシビションを受けたのもそれのリベンジのためよ! みんなはこんな私の我が儘に付き合ってくれるということで本当にいいのね!?」

 

 ケイの言葉に真っ先に答えた者がいた。先頭で直立不動していたアリサだ。

 

「隊長の仇は私たちの仇です!」

 

 その言葉に周囲にいた者達が「そうだ!」「そうだ!」と賛同の意を示す。

 自身についてきてくれる部下達の頼もしい姿に、ケイはとびっきりの笑顔を見せた。

 

「なら今日は絶対勝つわよ! 全員で黒森峰の蛇たちを叩きつぶしてしまいなさい!」

 

 

3/

 

 

 試合開始早々、真っ先に動いたのはパンターだった。それなりの機動力を誇るそれは勝手知ったるフィールドだと言わんばかりに、人吉の市街を疾走していく。それぞれの開始位置は人吉連合が人吉駅前から、サンダースは人吉駅から数百メートル離れた球磨川を挟んだ対岸からだった。

 

「全車両に告ぐ。サンダースは球磨川の向こう側からスタートよ。あっちは兵陵や人吉城があって不意の遭遇戦が予想されるわ。よって私たちは無理に川を渡るのではなく、このまま市街地にてツーマンセルの待ち伏せを行う。パンターとⅣ号Aは肥後銀行前の橋を速攻で渡り、威力偵察に努めて。やばいと思ったら特にⅣ号Aはすぐに引き返しても構わない」

 

 エリカの無線連絡に少女達は「了解」と返す。

 パンターもやる気に溢れたのか、一気に速力を上げて肥後銀行方面へと走った。駅方面から城側へと掛かっている三本の橋のうち、真ん中の橋がエリカの指定した渡河ポイントである。

 

『こちら先行の偵察隊。今銀行の横を通過した。橋までの視界はクリア。敵影はなし。パンターを先頭に人吉城方面へ偵察に向かう』

 

 カリエの無線連絡を受けて、エリカは地図を貼り付けたボードを見た。そして青いマーカーで橋にバツ印を描く。黒森峰でも採用している敵影なしのサインだ。

 

「こちら隊長車。人吉城方面の偵察を許可するわ。背部の兵陵にサンダースの待ち伏せがあるかもしれないから十分注意するように」

 

 今更妹にこんな初歩的なことを伝えても仕方がないとエリカは嘆息するが、黒森峰と同じような指示の出し方ではやってはいけないということも同時に理解していた。

 だからこそ無線での突然の連絡にも迅速に対応することが出来る。

 

『先行の偵察隊や! カリエの車両が橋を渡った瞬間に撃たれた。待ち伏せは城やあらへん。永国寺ちゅう、寺の前からや!』

 

 カリエとペアを組み、偵察に向かっていたヨシヒからの無線だった。エリカは素早く大判の地図を取り出すと、城の西側にある『永国寺』の文字を見つけた。

 

「今そこから橋を後退しても狙い撃ちにあうだけね。カリエとヨシヒはそのまま城の中へ向かいなさい。私たちは城へ向かう三つの橋のうちの一番東側からまとめてそちらに向かうわ。城で合流して、そこに防衛線を構築するわよ」

 

 そう指示を飛ばすや否や、エリカはティーガーⅡの操縦手の背中をつま先で小突いた。さすがに黒森峰の時のように軽やかに、とはいかなかったが、それでも中学生にしてはそれなりの練度でティーガーⅡは前進を開始した。

 エリカは黒森峰で轡を並べる、ある意味でライバルでもある副隊長のことを少しばかり思い浮かべながら、マイクに叫んだ。

 

「全車両、私についてきなさい! パンツァーフォー!!」

 

 

4/

 

 

 寺の正面から、パンターとⅣ号に正面を曝さないよう、やや斜めに車両を配置してサンダースは発砲を続けていた。

 

「隊長、人吉の奴ら、応戦しないまま城の中へ逃げていきましたね」

 

「うーん、てっきり本隊が到着するまで粘ると読んでいたのだけれど、私が想像していたよりも向こうは慎重みたいね。装甲と攻撃力に勝っていても慢心しない。良い指揮官だわ。ほんと」

 

 アリサの言葉にケイはキューポラから身を乗り出して応えていた。

 

「どっちの指示でしょうか。姉か、妹か」

 

「姉ね。妹のパンターは少しだけこっちと撃ち合う姿勢を見せたけれど、若干のタイムラグを挟んで城へ入っていったわ。あれはおそらく姉の指示を待っていたのね。あの姉妹、どちらが指揮官と言うこともなく、お互いベストなタイミングで指示を出し合っている。こういうところが厄介なのねー」

 

「つまりリーダーシップを本当の意味で発揮する役はいないということでしょうか」

 

「Yes。どちらもリーダーになり得るし、どちらもソルジャーになり得る。まさに円環(ループ)する蛇。ウロボロスそのものだわ」

 

 ケイが冷静に姉妹を分析している中、少し離れた場所で偵察活動を行っているナオミから連絡が入った。

 

『マム、人吉の本隊が一番東の橋に差し掛かっている。あれぐらいの橋ならファイアフライで叩き落とせるが』

 

「本隊にティーガーⅡは?」

 

 最大の脅威である王虎の所在をケイは問うた。

 

『先頭で他の車両の盾になっている』

 

「Shit! なら駄目ね。今ティーガーⅡを妨害しても撃破出来るとは限らないし、後ろの部隊を巻き添えに出来なければ、いたずらに位置情報を与えるだけになるわ。しかも妹が城の後ろの兵陵に陣取った以上、ちょっとしたアクションでナオミの存在もバレかねない。歯がゆいけれど、そのまま橋を渡らせて。プランCの通り、城を中心に包囲網を敷くわ」

 

『Yes。マム』

 

 ナオミとの交信が終わったケイはアリサに向き直った。

 

「そういうわけで包囲戦を開始するわ。アリサはβ小隊の指揮をお願い。私はαとδの小隊を連れて、城の南側に陣取るわ。あなたは無理に姉を妨害せず、けれどもそれなりにストレスを与えながら、城入りをさせなさい」

 

 命令を受け取ったアリサが自身の小隊を前進させた。それからわざと遅らせて、ケイも小隊の移動を始める。進軍速度を敢えてずらすことによって、全ての小隊が人吉の本隊の索敵圏内に入ってしまうことを防いでいるのだ。

 

「……しっかし中々不利なゲームね。地の利、装備の利は向こう側にある。私たちにあるのは乗員の練度の利だけれども、それがどこまで通用するか」

 

 城後ろの兵陵を見上げれば、木々に紛れたパンターとⅣ号がアリサの小隊に向けて発砲を繰り返すのが見えた。おそらく撃破は期待していない、無事に姉たちとの合流だけを狙った完全な援護射撃。

 それすら交互に、発砲のない時間がないように調整しているところを見ると、それなりに連携が取れているのも窺えた。

 思った以上に、練度の差もないかもしれない、とケイは溜息を一つ吐いた。

 

 

5/

 

 

 人吉城は戦国時代に活躍した武将、相良義陽の居城である。

 大きな石垣と堀に守られ、背後には兵陵がそびえた堅城だ。例え戦車といえども突破するルートは数カ所しかなく、防衛にはうってつけのフィールドだった。

 エリカとカリエが取った作戦はそんな城をいち早く奪取し、籠城を決め込むことだった。

 例え装甲と機動力で勝っていても、付け焼き刃のチームワークでは各個撃破される危険性があった。

 だからこそそれほど綿密な連携を要求されない防衛戦を展開し、サンダースの戦力に出血を強いる作戦を前半戦の要としたのだ。

 

「カリエ、サンダースの連中からは見えない頂上の林の中で合流するわよ」

 

『了解。最前線の指揮はヨシヒに預ける。ちょっとばかしサンダースを足止めして』

 

『こちらヨシヒ。了解したで。まかせとき。みんな地元の後輩やから勝手知ったるものやわ』

 

 サンダースの小隊達と直接撃ち合っていたカリエとヨシヒの車両がそれぞれ動いた。

 そのうちカリエは素早く兵陵を駆け上がっていく。

 頂上ではティーガーⅡの乗員達が双眼鏡などを使って、索敵活動を行っていた。エリカはティーガーⅡの車体に身を預けて、索敵の結果をボードに書き込んでいた。

 

「お待たせエリカ」

 

 車両から飛び降り、カリエがエリカに近づく。

 

「お疲れ様。ねえ、カリエ。この布陣はどう思う?」

 

 カリエが到着したことに気がついたエリカが、手にしていたボードを見せた。横から覗き込んだカリエは眉根を寄せながらボードを注視する。

 

「……ファイアフライがいない」

 

「ええ、うちの子たちが索敵をしてくれてはいるんだけれども、それらしき影が見当たらないのよ。連れてきていないと言うことはあり得ないから、文字通り『隠し球』なのかもね」

 

「隠し球か……」

 

 思わぬ野球用語に、カリエは言葉を濁した。

 エリカは自身の発言が妹の中で思わぬ波紋を呼んでいることに気がついて、慌ててフォローを入れた。

 

「べ、別にあんたの『隠し球』のことをとやかく言ってるわけじゃないわよ」

 

「でも昨日は滅茶苦茶反対したくせに」

 

「最後は納得したじゃない! だいたい囮になるだけって言ってたのに、いざ蓋を開ければさらに危険な役回りなら、そうそう賛成できるものではないでしょう!?」

 

 突如始まった姉妹の言い合いに、周囲の隊員達は皆目を丸くしていた。

 視線を感じたエリカが咳払いを一つ溢し、とにかく! と先を促した。

 

「ファイアフライの居場所がわからない以上、ますます単独行動は推奨されないわ。私のティーガーⅡは防御力には優れているけれども、小回りがきかない分、もっと連携を密にしていく必要があるわね」

 

「なら一度、編成も考え直した方がいいかもしれない」

 

 カリエの提案に「そうね」とエリカが肯いた。彼女がペンを手に取り、ボードに何かを書き加え始めたとき、ヨシヒの慌てた声色で、無線が窮地を知らせてきた。

 

『こちら前線の防衛隊や。味方が一両やられてもうた。徐々にシャーマン共が詰めてきてるで!』

 

「いくつかは撃破はできた?」

 

『向こうのシャーマン一両を撃破。もう一両を履帯破損の中破さしてる。でもこれくらいが限界ちゃうか?』

 

 ヨシヒの背後から聞こえる砲声が増していることに気がついて、エリカは舌打ちを零す。彼女がさらなる指示を飛ばそうとカリエの方へ視線を向けてみれば、既に彼女は己の車両に飛び乗っていた。

 

「ヨシヒと一緒に山を下る。あちらが私たち姉妹をマークしているのならきっと食いついてくるはず」

 

「次は何処で合流するつもり?」

 

 エリカの言葉にカリエは少しばかり考えた。 

 ややあって彼女はこう返す。

 

「橋を分散して渡ろう。駅前まで戦線を下げて街中で遭遇戦に切り替える。突貫のチームワークで遭遇戦は回避していたけれど、ここまでの戦いでこのチームの連携は完成したと思う。もうそろそろ地の利を活かした戦いをしてもいいんじゃないかな」

 

「わかったわ。街中の指揮は私が執る。カリエはヨシヒと一緒に、サンダースの車両を駅前まで引き摺りだして」

 

「了解」

 

 やりとりはそこまで。

 兵稜の柔らかい土を巻き返しながら、カリエの車両が急発進した。向かうところは前線で踏ん張り続けているヨシヒのところだろう。

 

「……はとこ同士、息が合えば良いのだけれど」

 

 一抹の不安を抱えながらエリカもティーガーⅡに乗車した。カリエが向かった方向とは逆方向に進路を取り、その他の車両たちを率いて撤退の準備を始める。

 試合開始およそ一時間。

 いよいよ互いの持ち味を活かした戦車戦が展開しようとしていた。

 

 

6/

 

 

「こちらβ小隊! パンターとⅣ号が正面から降りてきました!」

 

 アリサの悲鳴のような報告がサンダースの面々に届いた。その狼狽えぶりに訝しみながらもケイが返す。

 

『What? 何をそんなに慌ててるの?』

 

「あいつら、真っ直ぐ斜面を降りてきたんです! 迂回路も取らずにβ小隊に真っ直ぐ向かってきます!」

 

『Oh! クレイジー! まともに撃ち合っては駄目よ! ナオミのところには誘導できそう?』

 

 双眼鏡片手にアリサが答えた。

 

「いえ! 誘導できるほどこちらに車両が残っていません! 履帯破損の車両を庇いながらだと撃破されないようにするのが精一杯です!」

 

 アリサがそう報告している間にも、パンターは彼女たちの眼前に迫っていた。

 アリサのシャーマンが発砲するも、パンターの側面装甲に弾かれてしまい、撃破には至らない。さらには背後から追随していたⅣ号線車が少しばかり車線をずらして、アリサのシャーマンを打ち据えた。

 全身に響く衝撃に耐えながら、アリサは小隊に命令を下す。

 

「動けない子を一両が援護。のこり一両は私に付いてきて!」

 

 ただ命令そのものが少しばかり遅かった。アリサの指示通りシャーマンたちが動こうとした時、先頭のパンターの砲塔が火を噴いたのだ。極至近距離で叩きつけられた75ミリは動けない車両を援護しようとしたシャーマンを側面から穿った。

 運悪く装甲の薄い部分を貫いたせいか、一瞬のうちに白旗が揚がってしまう。

 突然の撃破に慌てた小隊の中を、我が物顔でパンターとⅣ号は通り抜けて行ってしまった。

 

「申し訳ありません! 一つやられました! パンターとⅣ号も川をもう一度渡っていきます!」

 

『了解したわ。大丈夫、まだ慌てるほどの損耗じゃないわ。アリサは小隊を立て直して逃げた二両を追って。私はナオミと一緒にこれから下ってくる姉の本隊を迎え撃つわ。市街地に入ったら死角には十分注意してちょうだい』

 

 アリサは己の失態に堅く唇を噛んだ。折角ケイに信頼されて小隊を預けられているのにいたずらに損耗を増やすだけで、全くチームに貢献できていない。

 

「……駄目だわ。向こうの行動が常に想定を上回ってくる」

 

 アリサの零したとおり、ここまで常に逸見姉妹の策に後手後手となってしまっている。

 目の前に横たわる明らかな実力の差が恨めしい。

 同じ車両に乗り込む隊員たちも、そんなアリサの苦悩を感じ取っているのか、言葉数は少なかった。

 

「……私がなんとかしなきゃ。もっと頑張らなきゃ」

 

 だからこそ、その呟きには誰も答えなかった。

 

 

7/

 

 

 カリエたちが街に無事撤退したことを確認したエリカは、残された本隊を率いて城の北側に車両を進めていた。

 既に一番東側の橋は安全確認が終了しているので、Ⅳ号たちを先頭に丁度隊列の真ん中をエリカのティーガーⅡは進んでいる。

 

「……妙ね」

 

 キューポラから身を乗り出し、彼女は周囲を見回した。

 やや遠くの方では妹が率いる隊が城の正面にいた敵と撃ち合いながら、後退している音が聞こえる。

 だがそれだけだ。それ以外の音。

 例えばサンダースの小隊のエンジン音などが一切聞こえなかった。

 

「……っ、不味いわね。先頭、急ぎなさい!」

 

 それは天性の勘と言うべきか、エリカが持つ超人染みた観察眼の成せる業だった。

 肌を突き刺すような不安を感じたのと同時、彼女は直ぐさま小隊に速度を上げるよう命じた。

 果たしてそれは正解だった。

 

 ティーガーⅡの足下が爆ぜる。いや、正確には足下の橋が爆ぜた。榴弾によって橋が吹き飛ばされたとエリカが気がついたときには、ティーガーⅡの重量を支えきれなくなった橋が崩壊を始めていた。

 徐々に後ろから傾いていくティーガーⅡが必死に履帯を回転させるが、瓦礫で空転してしまい余り意味を成さない。

 これが黒森峰の乗員であれば、何とか危機から脱することも出来たのだろうが、それは贅沢な要望だった。

 

「くそっ、こんなところで!」

 

 たとえ最強クラスの防御力を誇るティーガーⅡといえども、この高さから落ちたときのダメージは自重も相まって甚大だ。間違いなく一発で走行不能になるような、そんなダメージ。

 エリカはキューポラ近くの取っ手をしっかりと掴み取り、来るべき衝撃へと備えた。

 だがティーガーⅡは何時までたっても橋から墜落することがなかった。

 

「エリカさん!」

 

 声に振り返ってみれば、背後からⅢ号が二両、ティーガーⅡの背部へ密着しその車体を押し上げていた。

 崩落を続ける橋の上で、ティーガーⅡの履帯がまだ無事なアスファルトを噛み、安全な陸地へと到達する。

 だがティーガーⅡを押し上げた二両のⅢ号はそのまま橋の崩落に巻き込まれて、行動不能の白旗を揚げていた。

 

「馬鹿! あんたたち怪我はないの!?」

 

 エリカの必死の問いに、瓦礫の下のⅢ号の乗員たちは答える。

 

『大丈夫です! 怪我人はいません!』

 

『エリカさんさえ無事なら、サンダースなんかに負けませんよ!』

 

 伏兵の存在を完全に失念していたというのに、ここまで信じて付いてきてくれる後輩たちのことを思って、エリカは崩れていた表情を引き締め直した。

 彼女は直ぐさまその場から離れるように乗員へ通達すると、二両のⅢ号へ対して礼を述べた。

 

「ありがとう。あんたたちのお陰で私はまだ戦えるわ。必ず仇は取るから、特等席で見てなさい」

 

 最後の交信の後、彼女は崩落した橋の側の中州を見た。恐らく今まで川の中に隠れていたのだろう。

 装甲を水で濡らし、砲塔から発砲煙を吐き出したファイアフライが目に映った。

 

「ああやってずっと隠していたのね。……ったく、ムカつくわね。つくづく川は私たちの鬼門なのかしら」

 

 

8/

 

 

 Ⅲ号が二両、行動不能になったと街の郊外のパブリックビューイングで表示されたとき、周囲は悲鳴に包まれた。

 エリカとカリエの応援団扇を手にし、黒森峰のタンカースジャケットカラーのはっぴを身に纏ったコウゾウは頭を掻きむしる。

 

「なんたる卑怯な! 正々堂々勝負せんか!」

 

 そんなコウゾウの怒りに同調した人物が一人いた。コウゾウとよく似た顔つきの老人――相良ヨシゾウである。

 彼もまた、ヨシヒの顔写真が貼り付けてある団扇片手に、グレゴール高校のタンカースジャケットを模したはっぴに身を包んでいる。

 

「その通り! 武士なら卑怯なだまし討ちなど言語道断!」

 

「あなたたち、サンダースの生徒さんは武士じゃありませんよ」

 

 そんなヒートアップし続ける二人を諫めたのは、日傘を片手に観戦を続けるトヨだった。今日は萌葱色の着物を静かに着こなしていた。

 孫馬鹿なところは兄弟で似るのねえ、とトヨは溜息を一つ吐く。

 彼女がぼやくとおり、相良ヨシゾウは相良コウゾウの弟であり、ヨシヒの祖父だった。

 

「しかしな、二両やられたことで人吉連合が一気に不利になってしもうた」

 

 コウゾウがぼやくとおり、人吉チームはすでに三両が撃破され、残り四両。

 かたやサンダースは一両撃破のみの、残り六両だった。

 いくら車両性能で人吉チームが勝っていても、この数の差は大きなディスアドバンテージだ。

 

「たく、あれだけ孫を応援していながらなんとも情けない。二人とも、まだまだ孫を信じる力が足りませんよ」

 

 トヨは静かにパブリックビューイングのモニターを見つめる。

 

「あの子たちは昔から私たちの想像もつかないくらい、お互いを信頼し、競ってきた仲なんです。これくらいピンチでもなんでもありませんよ」

 

 トヨの言葉にコウゾウとヨシゾウは顔を見合わせた。そして互いに頷き合うと、それぞれが足下に用意していた巨大な応援旗を振り始めた。

 

「うおおおおおおおおおおお!! エリカああああああああああ!! カリエえええええええええええええ!! お爺ちゃんが応援しておるぞおおおおおおお!!」

 

「ヨシヒいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 人吉魂を見せちゃれえええええええええええ!!」

 

 また始まった、と頭痛のするこめかみをトヨは押さえた。

 だが直ぐに表情をふっ、と崩すと朗らかな笑みを浮かべながら、言葉を零した。

 

「三人とも、まだまだこれからたい。頑張りしゃいね」

 

 

9/

 

 

 Ⅲ号が二両行動不能に陥ったことは直ぐさまカリエの耳にも届いていた。

 だがエリカは無事だという報を聞いて、彼女は大きく胸をなで下ろした。

 

「……あの子たちには感謝してもしきれないかも」

 

『それもこれもあんたらの人望の成せることやね』

 

 カリエとヨシヒは二人して人吉駅前の商店街に展開していた。ここで東側から撤退してくるエリカたちを出迎える手筈だ。

 

「彼女たちのお陰であちらの編成が完全に判明した。シャーマンが残り五両。ファイアフライが一両。フラッグ車はシャーマン」

 

『で、こちらのフラッグ車はうちらのⅣ号やね。まさかこちらを狙わずにティーガーⅡを狙うとは、余程警戒されとるで、あんたら』

 

「仕方がない。でもこのネームバリューを活かさない手はない」

 

 そう言って、カリエは自身の車両を前進させた。ヨシヒがそれに追従しようとするが、それをキューポラから身を乗り出して制する。

 

「ここからはゲリラ戦になる。パンターが囮になってⅣ号が仕留めよう。大丈夫、パンターの装甲ならそうそうやられはしない」

 

 カリエの言葉にヨシヒは少しばかりの反論を返した。

 

「ええんか? エリカを待たへんで? それに私にはあんたら姉妹のような連携は出来へんで」

 

「エリカは直ぐにこちらの意図を読み取って私の作戦に参加してくれる。それと連携だけれども、ここまで二人でやってこれた。私はヨシヒを信じる」

 

 カリエの力強い視線を受け止めて、ヨシヒはごくり、と唾を飲み込んだ。

 そして日焼けした頬を一つ掻くと、よしっと頷いた。

 

「ええで、やったろやんか。うちは黒森峰に進めへんかった落ちこぼれやけれども、グレゴール高校の意地はある。サンダースなんかには絶対負けへん!」

 

「落ちこぼれじゃないよ。私なんかより、よっぽどヨシヒの方が凄い」

 

 そう言って、カリエは車両を発進させた。ヨシヒはそれとは違った方向に車両を進める。

 いつもの逸見姉妹とは違った、変則的な連携だが、パンターとⅣ号、両者の行軍速度は即席とは思えないほどに出揃っていた。

 

 

10/

 

 

 薄暗いシャーマンの車内でケイは無線に耳を傾けていた。

 

『マム、すまない。ティーガーⅡを仕留めたと思ったんだが、あちらが一枚上手だった。Ⅲ号二両が後ろから押し上げて、ティーガーⅡを救ってしまった』

 

 ナオミの報告にケイは素早く地図を広げる。地図の隅には敵の編成が走り書きでメモされていた。

 

「いいえ、上出来よ。ナオミ。これであちらは四両。この数的有利は大きいわ」

 

 ケイの表情には笑みが浮かんでいた。この試合で初めて見せた部類の笑みだった。

 やっとこちらに戦況が傾いたという、安堵からくる笑みだ。

 彼女も彼女で、隊員たちの前では決して態度には表さないが、今回のエキシビションではそれなりに緊張していたのだ。

 

「アリサの小隊は態勢を立て直したらすぐに市内に突入。妹をマークして。私とナオミは逃げた姉を追うわよ。その時は橋を使わずに、ナオミが待機している中州を経由して渡河を行うわ」

 

 ケイの目には黒森峰ではない、不慣れな人員を扱うことに手こずっている逸見姉妹が見えた。

 たしかにそれぞれのポテンシャル、能力は特筆すべきものがあるが、チームワークが重要視される戦車道に於いては最大の要因たり得ない。

 そしてチームワークに関しては決してあちらに負けていないという自負もあった。

 

「今のサンダースはあなたたちが知っているサンダースとは違うのよ。……ん?」

 

 力強い呟きと同時、彼女の鋭敏な耳が音を拾った。

 すかさずキューポラから身を乗り出した彼女は周囲を伺う。人吉城正面の市役所前に陣取っていた彼女はその音の正体を直ぐさま察した。

 

「なるほど! そう簡単には勝たせてくれないのね!」

 

 撤退したはずの橋を再び渡ってくる二つの影。

 装甲に優れたパンターが盾となり、その後ろをⅣ号が追従している。煙幕代わりの黒煙を撒き散らしながら、パンターとⅣ号はケイ率いる小隊の正面を横切った。

 

「応戦しなさい! でも深追いは禁物よ! 同士討ちだけは避けて!」

 

 ケイの指示は果たして正確だった。

 だが読み違えたモノもある。それはパンターとⅣ号の目的だ。彼女たちが攪乱目的で突っ込んできたと予測したケイは、車両をその場からいたずらに動かすことを良しとしなかった。

 そしてそれにパンターが食らいついたのだ。

 

『すいません、マム! 二号車やられました!』

 

 無線と同時、ケイは黒煙の幕間からこちらを狙い定めるⅣ号の主砲を見た。慌てて操縦手の背中を蹴り、急発進をする。掠めた砲弾は遙か後方で炸裂していた。

 

「落ち着いて! 指示を飛ばしているのは妹の乗るパンターよ! Ⅳ号の射線には入らないよう、パンターを追いなさい!」

 

 まだ黒煙も晴れやらぬ中、シャーマンは離脱していく二両を追う。

 だが最初から最大速力で接近し、離れていく二両には速度面で遠く及ばない。

 みすみす逃がしてたまるものか、とケイが唇を噛んだとき、意図しない方向から砲撃が炸裂した。

 それは混乱するケイたちの頭上を飛び越え、逃げゆく二両の鼻先で炸裂した。

 ナオミのファイアフライの遠距離狙撃だと思い至ったとき、ケイは今日一番の声音で叫んだ。

 

「大丈夫! 援軍のファイアフライよ! ここで取り乱せばあちらの思う壺! 車両陣形を整えて蛇を追うの! 勝利の女神は私たちに微笑んでいるわ!」

 

 

11/

 

 

「ごめん、エリカ。追ってきた車両をもう一両くらい削ろうとしたけれど、ファイアフライに邪魔された。あのファイアフライ、かなり上手い」

 

 車内で無線機に語りかけるカリエの頬は汗が伝っていた。

 ぽたり、ぽたりと膝元の地図に染みが広がっていく。

 

『……仕方がないわ。でもやっかいね。あんな砲手、去年までいなかったわよ』

 

 だが未知の戦力だからといって無策のまま挑むわけにはいかなかった。

 カリエは緑のマーカーで自身の進行ルートを書きなぞっていく。

 

「ちょっと早いけれどこちらの作戦を最終段階に移そう。もう二両は仕留めておきたかったけれどこれ以上長引くとこちらが不利だ」

 

『同感ね。私ともう一両のⅣ号で、西に展開しているサンダースの部隊の中央を突破するわ。集合場所はあそこでいいのよね』

 

「うん。幸いこちらの隠し球にも気がついていないと思う。彼女たちはしっかりとパンターに食いついている」

 

 カリエはサンダースの本隊とある程度距離が離れたことを確認して、操縦手に東へ進路を取るように指示した。

 丁度建物が死角となり、サンダースの本隊との視界が遮られる。

 彼女はキューポラの蓋を上げ、そこから身を乗り出した。普段は頭しか出さない彼女には珍しい仕草だったが、滝のようにかいた汗を袖で拭っていることから、風を求めていることは確かだった。

 ふと空を見上げてみれば、いつか懐かしい、故郷の空が広がっていた。

 本当の意味での故郷はもう前の世界の、手の届かないところへ行ってしまったが、懐かしみを感じるのは今の空だ。

 隣を見やれば、同じように身を乗り出しているヨシヒと目が合う。

 彼女と姉、三人でそれなりに遊び尽くした懐かしい街で戦えていることが何よりも嬉しかった。

 

「ねえ、ヨシヒ」

 

「なんや?」

 

「楽しいね。戦車道」

 

 言葉はそれだけだったが、ヨシヒにはカリエの言わんとすることが伝わっていた。

 

「それはな、うちらでするから楽しいんやで」

 

 ヨシヒの言葉と同時、Ⅳ号が右手の路地に入り込み急停車した。そしてそのまま息を潜め、サンダースの小隊が通り抜けていくのを待つ。

 一両、二両、と数える中で目の前をフラッグ車であるシャーマンが通り過ぎた瞬間に砲塔が火を噴いた。

 だがタイミングがやや遅い。近距離で穿たれた砲弾はフラッグ車のすぐ後ろを走っていた別のシャーマンを撃破していた。

 

「くっ、やっぱそう上手くはいかないか!」

 

 直ぐさまⅣ号は後退してその場を離脱する。カリエは直ぐさまⅣ号に別ルートで進軍することを指示すると、パンターを追いかけているサンダースの本隊を見た。

 

「これで残り車両は同数。あとは残された四両がどこまであの場所にたどり着けるか……」

 

 最後の作戦を前にして、珍しく彼女は笑っていた。

 それは姉のエリカも余り見たことのない、高揚した野球少年としてのカリエの顔だった。


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