息を吹き返したカリエのパンターは真っ直ぐ東通用門を目指していた。サンダースとグロリアーナが中心となって防衛戦を展開しているエリアだったが、T28という特大の隠し球が出現したこともあってか想像以上の苦戦を強いられていた。
無線連絡で状況を把握していたカリエは四の五の言う間もなく車輌を走らせたのである。何とか援軍となって状況を打開したいという思いが体を突き動かしていた。
だがカリエにとっての逆境はまだ終わりを告げていなかった。
それはナナが絞り出すように呟いたある報告が切っ掛けだった。
「――燃料がちょっと厳しいです」
ナナが告げた燃料計の数値をパンターの砲塔天蓋にチョークで書き込む。黒森峰で叩き込まれていた計算式を続いて書き込み、残り航続距離をカリエは割り出した。
間髪入れずに通信手が地図を差し出し、カリエにパンターの行動範囲がわかるようにアシストする。
数秒、カリエは何も言わなかった。
「――ご、ごめんなさい。カリエ副隊長。私が未熟な指揮をした所為で無駄に燃料を消費してしまいました」
ナナの悲痛な言葉に、先ほどまで操縦手を担当していた通信手が言葉を重ねた。
「いえ、私が下手くそだったからです。ナナは上手くやってくれました。私の操作に無駄が多かったから……」
いや、とカリエは首を横に振る。元はと言えば戦車に乗ることが出来なくなったカリエが招いた事態である。彼女の穴を埋めるために無理を続けた結果、パンターの致命的な燃料不足を招いていた。
「この航続距離だとグロリアーナの援軍に行ったのち、エリカ副隊長の援軍にとって返すことは不可能になります。逆もまた同じ。――私たちが救えるのはどちらか片方だけです」
通信手の指摘が全てだった。彼女の告げた通り、カリエ達は選択の岐路に立たされている。
すなわちエリカを救うのか、ダージリンを救うのか。
パンターが停車した。カリエがどちらを選んでも即応できるようにアイドリングする。だがその間ですらエンジンは燃料を消費し続けている。あまり時間を掛けすぎれば、それこそ両方の選択肢を失いかねない。
「――決めました」
カリエの選択に要した時間は十秒ほど。
車長席に深く腰掛けた彼女は乗員達を一通り見渡して、静かに口を開いた。
「東通用門に――グロリアーナとサンダースの救援に向かいます。殲滅戦である以上、T28を放置し続ける訳にはいきません。恐らく大学選抜最後の隠し球。それを撃破することができれば相手の士気に大きなダメージを与えることができます」
苦渋の決断だ、とナナが息を呑んだ。格上相手に苦戦を強いられているであろうエリカ達をほぼ見捨てることになる。
彼女達の実力を信じていると言えば聞こえが良いが、その実は強敵の丸投げだ。
西住まほと島田ミカ、そしてメグミとアズミをみほやエリカ、カチューシャだけで相手し続けるには無理がある。
しかしながら戦線が崩壊しかかっている東通用門組を放置することもできなかった。もちろんそこにダージリンがいるという贔屓目もあるにはあるのだろうが、それで戦略眼を曇らせるほどカリエは耄碌していなかった。
純粋に指揮官として両戦線を天秤に掛けたとき、支えるべきと判断したのが東通用門だったのだ。
「――多分、そこでの戦いがこのパンター最後の戦いになるでしょう。あとは優花里さんと、みほやエリカ、カチューシャさんを信じるだけです」
パンターが前進を開始する。
そうこうしている間にも燃料計は減り続けている。
援軍は片道切符。
カリエ最後の指揮が始まった。
01/
「ねえ、こんな言葉をご存知? 『祈るだけでは勇気は得られない。努力を重ねつつ祈るのだ』」
「イベンター・ホリフィールド。プロボクサーの言葉ですね」
オレンジペコの回答にダージリンは満足げに頷いた。彼女は車長席に備え付けられている防弾ガラスから外の様子を伺いつつ、言葉を続ける。
「――正直やれることは全てやったわ。幾つかの布石は打ったし、場面も整えてみせた。後は私たちにとって好ましい結果になるよう、祈るだけ」
ほぼ九十度、直角に傾いた車内。ダージリンは器用に紅茶を啜る。
「サンダースとローズヒップの陽動部隊が間もなく直上を通過します。17ポンド砲――ナオミさんは既に配置についたそうです」
それは上々ね、とダージリンが微笑みを零す。
彼女の視線の先には煉瓦造りのアーチ橋、その真下の光景が広がっていた。
そう、ダージリンにオレンジペコ、アッサム達が乗り込んだチャーチルは今待ち伏せを行っている。橋脚と橋脚の間に無理矢理車輌をねじ込み、車輌を地面に対してほぼ九十度傾けてまで、橋の真下から直上を狙っていたのだ。
「しかしダージリン、この布陣は我々の未来がありません。ケイさんのシャーマンの力を借りて体勢を整えましたが、元に戻すには馬力が足りないとのデータが。それに一度発砲して位置が向こうにバレれば嬲り殺しです」
アッサムはこのままでは脱出が出来ないと苦言を呈した。だがダージリンはやんわりと諭してみせる。
「いいのよ。私たちはここまでで。あとは優花里さんやみほさん、カチューシャにエリカさんが何とかしてくれるわ」
ダージリンの言葉にアッサムは眉尻を少しばかり下げた。
「カリエさんは――カリエさんはどうするのですか?」
ぴたり、とそれまで紅茶を傾けていたダージリンの手が止まった。見れば紅茶はとっくの昔に空になっており、彼女は口にするフリをしていただけだった。
オレンジペコもアッサムもこの時初めて、ダージリンが空のカップを手にしていたことを知る。
「――確かにあの人のために整えた道ではあった。けれどもそれはあの人の幸せには直結していなかったし、いらない負担を掛けただけだったわ。私はね、もう自分の身勝手さには飽き飽きしているの。今更、あの人に助けを求めるなんて都合の良いことは口が裂けても言えないわ」
嘘だ、と二人は言葉にしないものの同じ思いを同時に抱いた。
カリエに対する負い目や贖罪は真実だろう。
だが彼女の救援を期待していないという言葉は嘘だ。
間違いなくダージリンは救いを求めている。もう一度、カリエが無理矢理にでも自分を引っ張り上げてくれることを心の何処かで待っている。
だからこそ、この背水の陣を敷いた。
一度でも発砲してしまえば、間違いなく敵に囲まれて討ち取られる状況に自らを追い込んだ。もちろん高校選抜チームの勝利を諦めたわけではないが、自身の道はここまでで良いと思い込んでいた。
唯一この状況を打開することが出来るのは、思い人であるカリエだけだった。
恐らく叶わないであろう未来を夢見ながら、一方で高校選抜が少しでも戦い続けることが出来るよう現実を選んでいる。
何処までも矛盾を孕んだこの戦術こそが、ダージリンの想いの発露だった。
「――まもなくT28がこの橋を通過します。ダージリン、撃つタイミングだけお願いします」
車内の沈黙を破ったのはスコープを覗き始めたアッサムだった。ダージリンは二人から視線を外すと仕切り直すかのように防弾ガラスを注視する。
超重量からくる振動が橋を揺らしているのか、防弾ガラスに煉瓦の破片がいくつもぶつかっては弾けていた。
事が成るのはもうすぐ。
ダージリンは静かに息を吸い込み、その時を待つ。
02/
「斜めで受けて下さい!」
みほの叫びが全車の無線に鳴り響いていた。最早誰が何処にいるのかは解らない。一々それぞれのポジショニングを確認している余裕がない。
まほのティーガーⅠから放たれた砲弾がみほのティーガーⅠの装甲に弾かれて火花を散らした。斜めに侵入していなければ間違いなく貫通されていた一撃だった。
「こんの!」
未然に撃破を防いだとはいえ、被弾のショックで一時硬直したみほを救ったのはエリカだった。いつの間に回り込んでいたのか、まほのティーガーⅠの背後から砲弾を叩き込もうとする。
だが――、
「っ、元隊長は背中に目でも付いているの!?」
苛立ちを隠し切れていないエリカの声が、砲撃の結果をその場にいた全員に伝える。驚異的な反応速度で急発進したティーガーⅠは見事エリカの砲撃から逃れていた。
しかもカウンターと言わんばかりに入れ替わりで出現したミカのBT-42がティーガーⅡの装甲に砲弾を叩き込んでいった。
超重装甲が撃破こそ防いでくれたものの、着弾の衝撃でエリカの体は激しく揺さぶられる。
「エリカさん!」
「問題ない! 集中しろみほ! ――カチューシャ!」
「私に命令しないで! でも良いガッツよ!」
今度はカチューシャがカウンターを決める番だった。縦横無尽に動き回るBT-42に何とか追いついたT-34が砲煙を吐き出す。ただこれもまほと同じように急発進したBT-42を掠めるだけで有効打には至らなかった。
「――一度防御を固めます! 円陣を組んで下さい!」
こちらのカウンターが全て不発に終わったことを悟ったみほが直ぐさま集合を呼びかける。防御力に優れた三両の戦車を円形に配置し、ウィークポイントである背面や側面の装甲をカバーし合う態勢だった。
「ちっ! また姿を消した! カチューシャ、よそ見してたらただじゃ置かないわよ!」
「言われなくともそうするわよ! ていうか私の方が年上なんだから敬語を使いなさい!」
「二人とも落ち着いて! お姉ちゃんも島田流のお姉さんも、私たちの連携の綻びを狙ってきています!」
端的に言って雰囲気は最悪だった。互いの連携こそ取れてはいるが、ただそれぞれの技術と経験の上に成り立つだけのもの。そこにそれ以上の上澄みはなく、伸びしろもない。
事実少しずつ車輌にはダメージが蓄積しており、ジリ貧の様相を呈していた。
対するまほとミカは殆ど車輌にダメージを受けておらず、最初はややぎこちなかった連携も時間が経つにつれて完成されつつある。
このままでは幾ら数的優位にエリカ達が立っていても、何れ追い詰められていくことが容易に想像が出来た。
「……やっぱり無理矢理にでも風穴を空けるしかないのかしら」
カチューシャのぼやきを肯定するかのようにエリカは頷く。
「ならあとはあんたたちに任せるわ。みほとあんたなら何とかなるでしょ」
言って、前進を開始しようとするエリカをみほが押しとどめた。ティーガーⅡの前方にティーガーⅠをぶつけてまでエリカを止めた。
見た目とは裏腹の強引さにカチューシャが目を剥いたが、エリカは慣れたもので鋭くみほを睨み付けていた。
「駄目です! 自棄になってはいけません! ここを耐えきれば必ず勝機があります!」
「でももう時間が残されていないのよ! 時が経てば経つほどあちらが有利になる! 私たちが追い詰められていく! 大学選抜のネームド三人が合流するまで時間がないの!」
それでも! とみほは頭を振った。
「黒森峰の隊長として、仲間を犠牲にする戦い方を容認することはできません! 何よりエリカさんの友人として友達を囮の餌にするなんてできません! 私が必ず何とかしますから今は耐えて下さい!」
みほの鬼気迫る訴えにさすがのエリカも息を呑んだ。カチューシャはとっくの昔にその気迫に飲み込まれており、異を唱える余裕など微塵も存在していない。
「――お姉ちゃんが何を考えているのか、何となく私にはわかります。これはお姉ちゃんから私たちに与えられた試練です。だから三人一緒に乗り越えたい。いつも隣にいてくれたエリカさんはもちろん、良きライバルとして私たちと戦い続けてくれたカチューシャさんと一緒に」
「ふ、ふん! なら何か良い案でもあるの? カリーシャの姉が言う通りもう私たちには時間がないわよ」
照れくさそうに頬を染めながらも、カチューシャの眼光は策略家としてのそれだった。ノンナが崇拝し、この世で最も深きものと褒め称える知性が顔を覗かせている。彼女はみほの一挙手一投足を見逃さぬよう、じっと視線を合わせた。
「――仲悪そうだけれども本当は大親友だよ作戦を開始します。いいですか、エリカさん、カチューシャさん。今から作戦の概要を説明しますからどうか私を信じて下さい。絶対に勝ってみせます。私たちは負けませんから」
再び円陣を組み直し、それぞれの車長がキューポラから身を乗り出すことでコミュニケーションを進める。たとえ重戦車のエンジン音の中にあっても、みほの澄んだ声は残りの二人の耳にしっかりと届いていた。
「――いくらお姉ちゃんでも、こう何度も嬲るような攻撃をされると私とて腹が立ってきます。いい加減見返してやりましょう」
03/
時は成った。
ダージリンは差配を振る。
高所に待ち伏せをしていたナオミのシャーマンファイアフライが、T28の足下――つまり橋の一部を吹き飛ばした。煉瓦が砕け散り、そこだけ裂け目のように崩れた隙間がダージリン達の眼前に生まれる。
アッサムが繊細な砲身操作をしてやれば、チャーチル歩兵戦車の主砲がT28の底面をはっきりと捉えていた。
「終わらせなさい。アッサム。これが私たちのやるべきことよ」
主砲が撃ち出され、空薬莢が排出される。ダージリンの視界はチャーチル歩兵戦車の発砲煙によって完全に塞がれていたが、己の戦果を読み違えることはなかった。
橋を揺らしていた超重戦車が歩みを止める。
さきほどまでの振動が嘘のように、世界は静まりかえった。
「――T28、沈黙しました。ですがこのあとの私たちは」
「ええそうね。残念だけれどもここで終わり。アッサム、オレンジペコ、お疲れ様でした」
ダージリンが深く車長席に腰掛け直した。空になったティーカップに下から身を伸ばしたオレンジペコが紅茶を注ぎにくる。随分と傾いてしまった車内だったが、いつものお茶会のように落ち着き払った空気で満たされていた。
何処からかパーシング達のエンジン音が聞こえる。
二両か。思ったよりも少ない。多分、大洗が得意とするゲリラ戦に巻き込まれて、あちらも想像以上に消耗しているのだろう。
紅茶を口に含みながらダージリンは今現在の戦況の分析を続けた。決して有利とは言えないがまだ勝利の芽はある。あとは優花里やみほ、そしてエリカ達の奮戦次第だ。
ただ、心残りがないと言えば嘘だった。
やはり戦車に乗れなくなってしまったカリエの事だけは何時まで経っても気がかりのまま。
彼女に対する謝罪や後悔はいくら口にしても尽きないだろう。
「ダージリン様」
ふと、オレンジペコが何かをダージリンに差し出した。それはチャーチル歩兵戦車に積まれていた無線機だった。Ⅳ号戦車戦車が使っているチャンネルに繋げば、そこで装填手をしているカリエに声を届けることは出来るだろう。
だが、ダージリンの手は中々それに伸びなかった。
刻一刻と終わりが近づいているというのに、それを手にするのが怖かった。
痺れを切らしたオレンジペコが力強く、それをダージリンに握らせるまでは。
「ペコ?」
「駄目です。ここで言葉を残さなければ、ダージリン様はもっと後悔される筈です。それはここまであなたに付き従ってきた者として見過ごせません」
気がつけばアッサムもこちらを見ていた。親友と言っても差し支えのないくらいには長く深い時間を共にしてきた彼女がこちらを見ていた。彼女はただ一つ頷いた。
「オレンジペコの言うとおりです。ダージリン、今こそ気持ちを伝えるべきです」
残された時間は余りにも少ない。
パーシング達のエンジン音は直ぐそこまで迫っている。
搦め手でT28を始末した彼女達を討つべく近づいてきている。
「大丈夫、カリエさんもあなたの言葉を待っています」
アッサムの言葉に背を押された。オレンジペコの力強い支持に心動かされた。
ダージリンは無線機を握りしめる。
いつもの澄まし声ではない。
無様に。
震え。
怯え。
堪え。
必死に。
溢れ出る何かを精一杯押しとどめて。
言葉を繋いだ。
「あ、あっ、ご、ごめんなさい。カリ、エさん。私が出来るのはここまでです。とてもとても頑張ったのだけれども、ここまでみたい。あなたをこの戦いに引き摺りこんでおきながら、勝手にリタイアするのを許して。――私は最後まで信じています。あなたが蘇るのを。あなたがもう一度、私を引っ張り上げてくれるのを。好きよ。カリエさん。世界で一番愛してる。だから私、こんなにもがんばれ――」
美しくもなんともない、彼女らしくない言葉は砲音の中に消えた。
晴れ渡る夏空の下、チャーチルの車長席からは何処までも深い青い光が見えていた。
04/
もう折れない。
折れるわけにはいかない。
たとえこの後の道が続いていなくとも。
俺はこの人の期待に必ず応えてみせる。
これが逸見カリエの戦車道なんだ。
05/
「させるかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
怒りの絶叫は、夏の空気を切り裂いていった。
キューポラから身を乗り出したカリエは正しく敵の姿を見定めていた。
橋脚の間で擱座しているチャーチルを挟み込む二両のパーシング。その手前側、つまりカリエが邁進してきた通路側に陣取っていたパーシングに減速一切なしの体当たりを決行。
もう燃料も尽きかけ、砲弾も心許ない。
幾多の激戦をくぐり抜けたパンターは満身創痍だ。
だからこそ車体へのダメージは一切考慮しなかった。
もうここで終わっても良い。
ここまででも良い。
だがこの人だけは必ず救ってみせる。
そんな覚悟で為された体当たりはチャーチルに狙いを定めていたパーシングを吹き飛ばしていた。
「次!」
続いて対岸のパーシング。
斜めに擱座しているチャーチルの車体下にパンターの砲身を突っ込む。ナナの数センチ単位で繰り出される車輌操作と、砲手の神がかり的な砲身調整によって、無防備な車体側面を晒しているパーシングに狙いをつけた。
発砲のタイミングは完璧だった。
チャーチルの車体下部を数センチの距離を空けて飛翔していった砲弾がパーシングに突き刺さる。
橋脚とチャーチルの隙間から、撃破を知らせる白旗を確認したカリエは体当たりで体勢を崩していたパーシングを睨み付けていた。
「黒森峰副隊長その2、逸見カリエ! 東通用門組の援護に来ました!」
パンターが急発進をする。
それだけで反撃に転じていたパーシングの砲撃をくぐり抜ける。
両者、橋脚の袂での乱戦。
残弾が残り僅かのパンターはその身軽さで、平地での機動力に優れたパーシングは本来の性能で、それぞれ相対する。
それぞれの砲弾が掠め、車輌同士が接触する中、先に動きを取ったのはカリエだった。
彼女は左側面の装甲がパーシングの砲弾を弾いたことを確認すると、再びパーシングへと突進した。
まさか二度目があるとは考えていなかったパーシングがパンターに押される。
車重で勝るパーシングを押しとどめるのは至難の業だったが、ナナが微細な操作で上手く相手の動きをいなし、少しずつ相手を押し込んでいく。
そしてカリエの狙いは成就した。
彼女はありったけの声量で叫びを上げた。
「ダージリン!」
砲音が一つ。
それはパーシングの背後からだった。
擱座していたチャーチルの砲身がこちらを見ていた。
ダージリンはカリエの乱戦の意図を正確に読み解き、あらかじめ砲身をそちらに向けていたのだ。
手負いでもう動けないと判断していたパーシングのミスだ。
吸い込まれるように、砲弾がパーシングのエンジン排気口を打ち抜く。
砂埃と砲煙が立ちこめる空気の中、二つの白旗が風に靡いていた。
04/
牽引ロープを使って橋脚の間から引き摺り出されたチャーチル歩兵戦車もまた満身創痍だった。彼女達も東通用門で繰り広げられた厳しい戦いを何とか勝ち抜いてきたのだろう。
T28と幾つかのパーシングを撃破された大学選抜チームの攻勢は凪いでいた。一度態勢を整えに行ったのか、それとも何かしらの命令を受けて退却したのか、姿形が暫く見えない。
ダージリンの救援に遅れて駆けつけてきていたサンダースの車輌に囲まれながら、カリエのパンターとダージリンのチャーチルが向かい合っていた。それぞれの車長たる二人は、そんな車輌の眼前で邂逅する。
「遅ればせながら、逸見カリエ。ようやく参戦しました。本当にご迷惑をお掛けしました」
ぺこり、とカリエが頭を下げた。ダージリンは静かに「頭を上げましょう?」と微笑む。
「――信じていたと言えば嘘になるわ。多分カリエさんはこの戦いには来ないと思っていた。でもいつかのように私の期待を裏切ってくれるのね」
まあ、そうかもしれないとカリエは頬を掻く。思えばダージリンを裏切ってばかりの人生。良くも悪くも彼女の思い通りになったことは殆どない。
でもそれが、自分とダージリンの関係なのだと今なら割り切ることが出来る。
「……燃料が尽きる寸前でしたが何とか間に合って良かったです。ウジウジしていた分、最後の最後に一働きはできたかな、と思います。このままだと黒森峰に帰ることは出来ないかもしれないけれど、それでもやれる事はやりました」
見上げれば何処までも続く青空が広がっている。
それはいつかグラウンドで見た、高校最後の夏と同じ空だった。
あの時のように臆病風に吹かれてしまったが、もうそんな醜態を晒すことはない。
「燃料に関しては仕方がないわね。あなたの後輩さんが随分と頑張ってくれたんだもの。よくあの大学選抜の猛追を振り切ったと思うわ。まさに勲章もの」
言って、ダージリンは対面するカリエの肩越しにナナを見た。操縦手の覗き窓から顔をこちらを見ていたナナが慌てたように車内に引っ込む。
無駄に燃料を消費してしまったことを叱責されると考えていただけに、ダージリンの素直な賛辞に驚いていた。
「……ねえ、カリエさん。あなたはまだ戦いたい?」
ナナから視線を戻し、ダージリンはカリエの瞳を見定める。カリエは一切視線を逸らすことなくこう答えた。
「無論です。まだ私はエリカに借りを返していない。みほに礼を返していない。優花里さんに恩を返していない。途中でガス欠はするでしょうけれど、行けるところまでは行くつもりです。最悪、一両でも相手を撃破すればあとは彼女達が何とかしてくれます」
覚悟の定まった目だった。ダージリンは思わず溜息をつく。
そういえば自分はこの瞳にあてられたのだな、と笑みすら零した。
「そうね。あなたはそういう人だわ。だからこそ、私はあなたを見初めたのかもね。――アッサム、準備を」
ダージリンが何かしらの号令を掛けたのと同時、停車していたチャーチルから何かのホースを持ってオレンジペコが駆け寄ってきた。
ホースの口から漂う独特の香りを嗅ぎ分けて、カリエは目を見開いた。
「まさかダージリンさん!」
「……信じてはいなかったけれど、可能性を捨てることは出来なかった。莫迦な女の内助だと思って貰えれば結構よ。チャーチルには必要最低限の砲弾だけ積んで、あとは予備の燃料とパンターの砲弾を積み込んでいたの。全部みほさんにお願いして手配して貰ったわ」
そう、ダージリンはチャーチル専用の砲弾すら捨てて、パンターの砲弾を積み込んでいた。
車長に慣れていないナナが戦い続ければ、必然と燃料と弾薬の消耗が増えることを見抜いていた。もしもカリエが車長として返り咲いたとき、万全のコンディションで戦えるよう全てを用意していたのだ。
「本当に、本当にありがとうございます!」
ダージリンに駆け寄ったカリエがその手を取る。その目はようやく差してきた光明に輝いており、ダージリンが直視するのが憚れるほど美しかった。
「……速度に劣る私たちは正門で戦っているエリカさん達の応援に向かうには時間が掛かりすぎるわ。機動力に優れるサンダースの皆さんとカリエさんは先に向かって頂戴。ほら、給油も終わったし、砲弾の積み込みも終わったわ。全部で十五発。大切に使って欲しいわね」
息を吹き返したかのように、パンターが排気口から黒煙を噴き上げた。操縦席から顔を覗かせたナナが「行けます!」と親指を立てている。
「名残惜しいけれども一旦ここでお別れよ。次は勝利の報を片手に、私を迎えに来て」
ぽすっ、とダージリンがカリエの腕の中に飛びこんだ。
カリエはそれをしっかりと抱き留めると、耳元で「行ってきます」と囁く。
「副隊長、これを!」
ダージリンと別れ、パンターによじ登ろうとしたとき通信手から何かを投げられた。咄嗟にそれを受け止めてみせれば、今となっては懐かしさすら覚える黒森峰のタンカースジャケットがそこにあった。
ネームタグを見てみればしっかりと「逸見カリエ」と刻印されている。
「ナナから取り返しました。あいつ、洗濯する! 洗濯しないと恥ずかしさで死ぬっ! て喧しかったんですけれど、副隊長にお前のを着せるのか? って聞いたら素直に脱いでくれましたよ。まあ少し臭うかもしれないですけれど、それが一番お似合いです」
「臭くないです! しっかり消臭剤を振りかけました! ああでも、あまり臭いは嗅がないで下さい!」
足下から抗議の声を上げるナナに苦笑を漏らしながら、カリエはタンカースジャケットに袖を通す。ポケットにはあの黒い戦車帽。
「やっぱりそれが一番お似合いね。大洗の服装も悪くはなかったけれども、それが一番カリエさんらしい」
ダージリンの言葉に微笑みを返しながらカリエは車長席に腰掛けた。パンターの天蓋に書き込んだ航続距離のチョークを袖で乱暴に消す。
代わりにそれぞれのチームの残存車輌を手早く書き連ねていく。
「南門の知波単も気がかりですが、やはり相手主力と争っているエリカ副隊長達の救援が最優先だと思われます」
通信手の言葉にナナが力強く応答する。
「この遊園地のマップは頭に叩き込みました。ショートカットを駆使すれば十分以内にあちらへ合流できます」
カリエは了解した、と頷く。
「あ、副隊長、一応報告です。さっきパーシングに体当たりをぶちかましたとき通信機がちょっとおかしくなりました。目下修理中なんですけれども、完全復旧には少しだけ時間を頂きたいです」
それは仕方がない、とカリエは眉尻を下げた。思えば車輌の破損覚悟で吶喊したのだ。通信機の故障だけで済んだのが御の字だろう。
一応、ハンドサインで車輌同士の連携が取れるよう訓練はしているものだから、今はそれに頼るほかない。
「……ただエリカ副隊長にまだカリエ副隊長が復帰したことを伝えられていません。多分あとで滅茶苦茶怒られますよ」
砲手の言葉にカリエはますます顔を顰める。こうなることが解っていたら、Ⅳ号戦車から飛び移ったときに伝えておくべきだったのかもしれない。
だがもう今となっては後の祭りだと、カリエは頭を振り直す。
ならば自分の無事は自分で伝えれば良い。戦いぶりで見せつければ良いと表情を引き締め直す。
パンターが前進を開始する。
少し遅れてサンダースの三両が後に続く。
連戦に次ぐ連戦でカリエの体は疲労感に満たされている。
でもそれ以上にまだ戦えると、何処からか湧いてくる闘争心に支配されていた。
夏の太陽は天頂を少し過ぎたばかり。
傷だらけのパンターが二度目の救援を敢行するべく、熱を帯びた煉瓦造りの道を進み続けていた。