黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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逸見カリエの戦車道 14

 挫折というものは往々にして人の心を蝕んでいく。

 

 かく言うルミもそんな苦い経験を持つ極普通の人間だった。

 

 

00/

 

 

 ルミは幼少期から戦車道に対してそれなりの才能を有し、それなりの高校に進学し、それなりの成績を修め、それなりの地位を得ていた。

 

 絶頂とまでは言わないが、それなりに高いところを飛び続ける人生だったと言っても過言ではない。

 彼女はそんな毎日に割と満足していた。

 劇的な変化も、ドラマチックな試練も存在してはいないが、むしろそれが心の安定をもたらし、彼女の世界を優しく包み込んでいる。

 多少の上下こそあれど、ひょっとしたらこのまま一生が続いていくのではないかという予感すら抱いていた。

 そしてルミはそれが一番だと考え、幸福を繰り返す毎日を享受していた。

 ただ、高校一年生の冬、ちょっとした気まぐれが彼女の毎日を完膚なきまでに打ち砕き、甘い平穏な世界を二度と手の届かない場所へと吹き飛ばしてしまった。

 

 

01/

 

 

「いやー、調子に乗った自分が悪いんだけどさ、なまじ元いた高校で上手くやっていけてたものだから黒森峰でも大丈夫だと思い続けていたんだよね」

 

 砲弾の応酬が繰り広げられている。

 黒森峰特有の正確無比な射撃を、最小限の動きだけでいなしながらルミは笑う。

 

「でも現実は違った。それこそ井の中の蛙という言葉が ぴったりなくらい、私には実力がなかった。黒森峰の化け物集団の中でやっていくには、圧倒的に全てが足りていなかった」

 

 ナナのパンターが少しばかり後退した。するとルミは同じだけの距離を詰めてみせる。

 正面から殴り合うという、危険で非効率的な戦法ではあったが、ルミは躊躇しなかった。

 

「……そんな中さ、あの子は私を装填手に任命してくれたの。今考えても分厚すぎるデータ分析の書類を抱えて、『あなたに装填手をしてもらいたい』って。普通さ、控えの選手の装填時間の一覧表なんてつくる? ましてやそれを馬鹿真面目に分析して、実績のない無名の選手を自身の車両メンバーに抜擢する? ありえないよね。あの子は『データ分析は野球の基本。特にメジャーでは』なんて嘯いていたけどさ、本当に頭おかしいと思う」

 

 でもさ、とルミは微笑んだ。

 

「その頭のおかしさに私は救われた。私の道がその瞬間に開けた。あの子が、カリエが私を引っ張り上げてくれたからこそ、黒森峰での思い出は幸せなものになったし、今の私がある。だからこそ――」

 

 そして、静かに前進を始める。

 

「紛い物だけは、絶対に許せない。あの子のパーソナルを、私の憧れと誇りを貶められることだけは我慢できないんだ」

 

 

02/

 

 

 ナナの耳にルミの独白が届くことはない。

 当たり前だ。

 数十トンの質量を突き動かす強力なエンジンが奏でる重低音と、砲撃が織りなす爆音がその全てを打ち消している。

 

 だが不思議と、ルミが何を考えているのかおよその推測がついていた。

 

 第六感なのか、それとも四六時中カリエのことを考え続けている成果なのか、ルミが自身に対して抱いている感情を敏感に感じ取っていたのだ。

 

 大事なものを、心のより所を、その人の原点を辱められた怒り。

 

 それは人が人に抱く感情としては最上に重いもので、最も鬱屈したものである。

 しかしながらナナはその感情に恐れを抱くことはなかった。常人ならばその余りにも大きすぎる感情に萎縮していたのだろうが、ナナは常人の範疇にいない。

 ナナもまた、同じような感情を抱き続けたまま、この試合に臨んでいるのだ。

 だから怒りには怒りで返す。

 キレているのが自分だけだと思うなと、さらなる大きな怒りでルミに相対する。

 大事なものを奪われ、辱められたのはナナも同じだったから。

 ただ、カリエが教えてくれた、冷静さに裏打ちされた戦略眼だけは決して手放すことはなく。

 

「撤退します。ポイントE-3に転進。今一度態勢を建て直し、活路を見いだします」

 

 常日頃、カリエが重視していたのは如何に自身が相手に対して有利な状況をつくるか、ということだった。

 基本、彼女は不利な戦闘を行わない。例外としては今夏のグロリアーナ戦、そして大洗戦ぐらいだ。

 その戦い方を間近で見ていたナナがそういった戦法をなぞることは極当たり前のことだった。車長ではなく、操縦手が本職だと考えているからこそ、カリエの教えを忠実に守ろうとする。

 

「優花里さん、もう一度合流しましょう。不可能なら、二両でエリカ副隊長や西住隊長の所までこちらから向かうべきです」

 

 しかも車長としての実力はルミに数段劣るとも自覚していた。

 だからこそすぐさま自分以上の実力者たちに合流することを良しとした。

 自身の小さなプライドが疼きはするが、この試合の目的を見失ってはならないと自戒を強める。

 カリエがもう一度だけでも、一緒に戦ってくれるのなら、車長として導いてくれるのならば、そんなプライドなんて犬に食わせてしまえと思った。

 

 Ⅳ号戦車から返答が入る。

 それは優花里の声ではなかった。

 ナナが敬愛してやまない、求め続けた声だった。

 

『――それでいいと思うよ。佐久間さん。優花里さんならばきっとこの状況を建て直してくれる。それに、君なら必ず切り抜けられる。なんたって、うちのドラフト一位のエースオブエース、不動の四番打者なんだから。操縦手と車長の二刀流なんて余裕余裕』

 

 ああ――。

 

 何でこの人はこのタイミングで、こんなことを言ってくれるのだろう。

 これだから黒森峰の戦車道がやめられない。

 操縦手としての戦車道がやめられない。

 いや、それ以上に――、

 

 逸見カリエの戦車道がやめられない。

 

 

 03/

 

 

 メグミとアズミが黒森峰、プラウダ連合を押さえに来ていると判断した優花里の行動は早かった。

 追われている振りをしながら、遊園地の建物の間にフェイント交じりに滑り込む。

 そのフェイントはカリエを引っかけて見せた、人間の錯覚を利用したあのフェイントだ。

 すぐさま騙されたことにメグミとアズミは気がつくが、無理にⅣ号戦車を追跡する真似はしなかった。彼女たちもまた、目的を忘れていない。

 あくまで自分たちは高校選抜の最大戦力である黒森峰とプラウダを押さえに行くのだ、と理解していた故に。

 ルミがニ対一の不利な形勢になることだけが気がかりだったが、それも彼女に対する信頼が勝った。

 二人はルミがどれだけの努力を重ねてここまで上り詰めてきたのか知っている。それは生まれ持った才能や才覚と同じくらい信用に足るものであることも知っている。

 だから任せた。

 逃げたⅣ号戦車と、ルミが因縁を感じていたあのパンターを任せた。

 そこが彼女の戦うべき場であることを尊重し、任せた。

 

「……やはり追いかけてきません。こうなれば、尚更あのタイミングで佐久間殿のパンターと引き離された時間が惜しいです」

 

 離れていくメグミとアズミの気配を感じ取りながら、優花里が唇を噛んだ。

 ナナが撤退を即断したこともあって、両者の距離は徐々に詰まりつつある。このまま行けば、何とかルミに撃退されるよりも前に合流が可能だった。

 だが今はその僅かな時間すら歯がゆいものとなる。

 

「こうなっては仕方がない。しかしここでルミ先輩か。あの人の戦術は正直未知数。三人の連携を解いたとき、あの人はどんな戦いを見せてくるのかデータが存在しない」

 

「でもさでもさ、ルミさんはカリりんの装填手だった人なんだよね。なら、カリりんの戦い方を参考にしているかも」

 

 沙織の言葉に優花里が頷く。程度の大小こそあれど、全くカリエの戦法の影響を受けていないとは考えにくいからだ。

 だがそれが全てでないことも理解しているからこそ、優花里の表情は強ばったままだった。確かに根底にはカリエの考えが根付いているのかもしれない。しかしながら、不断の努力でコーティングされたルミの戦法は最早別の次元に達している可能性が高かった。

 いや、事実大学選抜のエースを名乗ることが許されている時点で、過去の彼女とは完全に別物なのだろう。

 

「……けれどもここでルミ殿を撃破できないようでは、わたくしたちに勝利の道はありえません。黒森峰とプラウダの隊が押さえられた以上、最悪わたくしたちだけで戦い抜かないと――」

 

 優花里の言葉は最後まで発せられない。

 何故ならほぼ最高速で撤退を続けるパンターとすれ違ったからだ。

 その僅かな一瞬で、優花里はナナが形作っていたハンドサインを読みとっていた。予め決められた符丁と照らし合わせた結果、導き出されたのは「敵車両急速接近」の合図。

 

「っ! 来ます! 冷泉殿、車両を左に!」

 

 黄色に輝く光の弾が脇を掠めていく。続いてそれに遅れるように、ルミのパーシングがⅣ号戦車の横をすり抜けていった。

 優花里は慌てて回頭を指示し、二両の後を追う。

 

「五十鈴さん!」

 

 カリエが装填をした傍から、華が砲の引き金を絞った。黒森峰で鍛えられた装填速度で次々に砲弾をたたき込むが、有効な命中弾が得られない。

 

「くっ、なんて技術ですか! ナナ殿を追いかけながらこちらの砲撃を予測してみせるなんて! ニ対一なのに追いつめられているのはこちらのように感じます!」

 

 逃げるナナと追うルミの距離が徐々に詰められていく。それとは反対に、パーシングとⅣ号戦車の距離は開きつつあった。

 一番最悪のパターンにはまり掛けていると、優花里は冷や汗を頬に滲ませた。

 

『秋山さん、こうなったらパンターを急停止させてパーシングを止めて見せます。一か八かの賭けですが、このまま黙してやられるよりはマシです』

 

 状況の悪さをナナも敏感に感じているのだろう。普段の彼女ならば決して下さない決断を口にしていた。

 ある意味で追いつめられたときのカリエのやりそうなことではあったが、それはいけないとカリエ自身が否定する。

 ここまで自身を慕ってくれた後輩たちにはとらせてはならない判断だと、カリエが声を上げかけたのだ。

 だがそれより先に、優花里が首を横に振った。

 

「駄目です! まだ目はあります! 諦めてはいけません! 何とか作戦を! 佐久間殿たちはまだまだこれからの戦いに必要な方たちです!」

 

 それに――、と続ける。

 

「パーシングとパンターの重量は僅か三トンの違いです。いえ、むしろ砲弾の消耗率を考えれば、今はほぼ同等の可能性があります。仮に体当たりで止めても、佐久間殿たちが無事に済みません! こればっかりは決して認められないんです!」

 

 優花里は自身の信念を口にしていた。

 彼女が目指すのは、万人が楽しむことの出来る戦車道。

 そこに負傷や不慮の事故が起こりうる戦法を持ち込むことは決して出来ない。

それは黒森峰という違う学園に在籍している人間も同じだった。誰かを切り捨てて勝利を目指すことは出来なかった。

 しかしそれは、ナナの逆鱗に触れる言葉でもあった。

 

『――ごちゃごちゃごちゃごちゃ言うな! あんたなんかに、あんたなんかに私達の気持ちがわかるわけないだろう! 諦めたと勝手に決めつけるな! 副隊長を、カリエ先輩を取り戻すためならば何でもするって決めたんだ! このパンターを切り捨てると決めた私達の気持ちなんてわかるわけない癖に! カリエ先輩のパンターを切り捨ててでも、あの人には学園に帰ってきて貰いたいんだ!』

 

 Ⅳ号戦車の車内が静寂に包まれる。ナナの慟哭にも近い叫びを聞いて、全ての人間が言葉を失っていた。

 特に、優花里とカリエは動きすら止めて目を見開いていた。

 

「……さくま、さん」

 

 沈黙を破ったのは小さなカリエの呟きだった。

 彼女の拳は砲弾を握りしめたまま、強く強く力が込められていた。

 

 篝火が揺れていた。

 

『――すみません。あと十秒で急停止します。大丈夫、私の代わりに操縦をしている先輩の腕も確かです。決して的を外しません。必ずパーシングを止めて見せます。ですから、必ず、撃破を……』

 

 力のないナナの声が無線越しに響く。

 カリエは手にしていた砲弾を静かに砲身へと送り込んだ。そして身につけていたグローブをそっと外す。

 

「……武部さん、もう一度無線を貸して下さい。あの可愛い後輩に伝えなければならないことがある。私のエースに伝えなければならないことがある」

 

 すう、とカリエが息を吸った。

 それは篝火に空気を吹きかける動作にも似ていた。

 そして空気が送られる。

 篝火が揺らめき輝く。

 

「ナナ、話がある。よく聞いてくれ。俺の話だ」

 

 

04/

 

 

 追いかけていたパンターが路地へと飛び込んだ。そしていつの間にか背後を取っていたⅣ号戦車までもが姿を消していた。

 だがルミは慌てない。冷静に、極冷静に耳を澄ませて両者の動きを探る。おそらく狭い路地の向こう側での合流を目指しているのだろう。

 定石で良手だと感心する。

 挟み撃ちという布陣を失うことにはなるが、これまでの状況を鑑みてみれば最適解ともいえる。

 おそらく二両同時にこちらに仕掛けることによって混乱を誘い、少しでも有利な戦局を作り出したいのだろう。

 

 でも甘いね。

 

 ルミは小さく笑みを零す。

 それくらいの状況予測ならとっくの昔に済ませており、なおかつ対応策は呆れかえるほどの訓練量で修得してきた。

 即ち連携が追いつかない速度でフィールドを動き回り、綻びを無理矢理作り出すのだ。

 私達バミューダトライアングルの十八番だと、彼女はさらに笑みを深めた。

 

 音が近づく。

 

 ルミの予想通り、二両の音が重なっている。

 方向はパーシングの正面。

 砲手にいきなり発砲しないよう指示を飛ばす。路地から飛び出すその瞬間が一番の撃破チャンスではあるが、直後はもっとも無防備な数秒間となる。ならば敢えて初手は見逃し、混戦に持ち込むことで決定的な隙を潰す。

 

「……来た。読み通りだ」

 

 路地から二つの鉄の塊が飛び出してくる。

 先頭がパンター、後続がⅣ号戦車だった。

 装甲や砲の威力を鑑みれば当然の陣容。

 おもしろくないな、とルミは息を吐く。

 パーシングを発進させ、二両に対して時計回りに動き始める。こうすることで、二両に側面を晒すことになるが、間違いなく動きは攪乱することが出来た。二両の連携の難易度をつり上げていくのだ。

 事実、走行性能で勝る黒森峰のパンターの動きに、大洗のⅣ号戦車がついていけていなかった。両者に微妙な速度差が生じていることをルミは見逃さない。

 

「――カリエ。君ならどうしたんだろうね。君なら今の私を見て、なんて言ってくれたんだろうね」

 

 遅れを見せるⅣ号戦車に照準を絞る。

 パーシングの主砲ならば、側面を穿てばほぼ確実に撃破が可能だった。

 あとは時を待つだけ。

 

「ありがとう。感謝しているよ。でも欲を言えば、車長の君と戦いたかった。私と真っ向からやり合って欲しかった」

 

 砲手の肩に手をおく。

 いつかカリエがしていた動作だ。

 あのときも、今のような静寂に車内が包まれていた。

 去年の決勝戦。

 すべての原点と栄光がそこにある。

 

「今だ」

 

 

05/

 

 

 真っ直ぐ飛来した砲弾が装甲と接触した。

 ルミの読みではその砲弾は間違いなく装甲を貫通し、Ⅳ号戦車を走行不能にするはずだった。

 

 そう、筈だった。

 

 

06/

 

 

 パーシングの車内では相変わらず静寂が支配している。

 だが先ほどの清廉なそれではない。

 むしろ、誰も言葉を発することの出来ない、不吉な沈黙がそこにはあった。

 ただ、それはある意味で仕方のないことかもしれない。

 

「……なんでパンターが」

 

 ルミの呟きが全てを説明している。

 パーシングの砲弾は真っ直ぐ空気を突き進み、鋼鉄と接触していた。

 だがそれは曲面に覆われたパンターの装甲であり、Ⅳ号戦車のものではない。

 見れば、急減速したパンターがⅣ号戦車の盾になっていた。まるで、ルミの読みをさらに読んで見せたかのように、パンターが先回りしていた。

 砲弾が放たれてからでは遅すぎる。

 完璧にパーシングの発砲のタイミングを掴んでいたからこそ成し遂げられた神業だった。

 

「嘘でしょ!?」

 

 初めてルミが動揺を見せた。

 まさかあの黒森峰の後輩にそんな技量があるなんて、と舌を巻く。

 確かに並いる車長に比べれば、あの後輩は秀でたものをもっていた。だが言ってしまえばそれだけで、西住姉妹や、逸見姉妹の域には決して達してはいない。

 けれども目の前の現状は、その隔絶した技量を示しており、ルミに嫌な予感を覚えさせた。

 

「――このままポイントDー7に後退。もう一度仕掛けるよ」

 

 もたもたしていれば二両に再び挟撃される、とルミは危惧した。だからこそ、相手に回り込まれないような、決して広くはない通りに飛び込む。砲身だけは後部に回転させて、警戒を続けた。

 盾となっていたパンターが真っ先に食らいついてきた。

 

「ちょっ、まさかここで連携を解くの!?」

 

 ルミの驚愕がさらに続く。Ⅳ号戦車との連携を保ったまま追いかけてくると踏んでいたのに、実際はパンターだけが通りに飛び込んできたのだ。残されたⅣ号戦車はもう仕事を終えたと言わんばかりに、アズミやメグミが向かったポイントへと舵を切り始めていた。

 

 つまりはタイマン。

 一対一で、パンターが仕掛けてきていた。

 

「なかなかどうして肝が据わっているじゃない。まさかこんな本性を隠していたなんてね……」

 

 相手を過小評価しすぎていたと、ルミは己を恥じた。

 自身が所属していた場所を改めて思い出していた。

 

 あそこは化け物の巣窟だった。

 

 彼女が抱いていたちょっとした優越感を徹底的に打ち砕いてきた魔窟だったのだ。

 たとえ、度を超えた訓練の先に生まれ変わっていたとしても、舐めて掛かって良い相手ではなかった。

 

「ふふっ、良いじゃない! 面白くなってきた! そうこないとね!」

 

 だがルミは怯えを見せない。むしろ楽しみが増えたと言わんばかりに、獰猛に笑って見せた。

 

 パンターに対してパーシングが砲弾を叩き込んでいく。パンターはそれを繊細極まったアクセルワークとブレーキングで回避していた。

 操縦手すら入れ替わったのか、と言わんばかりの動きだったが、ルミはそれすら面白いとますます笑みを深めた。

 

 二両はやがて中規模の広場に躍り出た。お互いの動きを綿密に読み合いながら、決定的な隙を伺う。

 直接視認をしなければ競り負けると、ルミは仲間の制止を振り切ってキューポラから上半身を覗かせた。

 視界の向こう側に、憧れと原点がいる。

 

 黒森峰の輝かしい思い出がそこにある。

 

 だからだろうか。

 

 ルミは幻影を見た。

 

 自身と同じようにキューポラから上半身を覗かせるシルエット。

 

 きっと、余りに多すぎる砲煙と砂埃が映し出した幻。

 

 でもそれは自身が一番認めて欲しかったいつかの後輩。

 

 碧色の瞳と、銀の髪が砲火の中で輝いている。

 

 

 

 ――君ってそんなに男前だっけ?

 

 ――君ってそんなに女らしく綺麗だっけ?

 

 ああでも仕方ないか。

 

 だってこれは夢だから。

 

 ――私の憧れが生み出した白昼夢だから。

 

 ただ、白昼夢だからこそ何を見ようが自由だ。

 

 さっきの後輩には申し訳ないけれど、今だけは醒めないで欲しい。

 

 ほら。

 

 彼女が私を見て戦ってくれているんだ。

 

 あんな真剣に、まるで実力者を見るように私を見てくれているんだ。

 

 なら夢で良い。

 

 夢であろうと、幸せならそれでいい。

 

 ねえ、カリエ。

 

 逸見カリエ。

 

 黒森峰で叶わなかった夢を、今叶えても良いよね?

 

 君と戦えるなら、私は世界一の幸せなんだよ。

  

 

07/

 

 

「いい、このままで。あちらも良い具合に燃えてきている。大丈夫、チャンスは必ずある」

 

 声が響く。

 

「ルミ先輩が強くて助かった。強くなければこんな挑発には乗ってくれない。強いからこそ、その熱量をぶつけてくれる。こんな先輩と一緒に戦えていたことは、今思えば本当に幸せだった」

 

 頭脳が命令を下している。

 

「ナナ、操舵は任せる。自分のタイミングで操作して欲しい。私はいつだってあなたを信じている」

 

 ふと、防弾ガラスの向こう側に影を見た。それはキューポラから身を乗り出したルミの姿だった。

 いつのことだったか、彼女に危ないから身を乗り出すなと注意されたことが懐かしい。

 なら答えなければ嘘になると、キューポラの蓋を開いた。

 

 硝煙と砂の香りが、残暑のむせかえるような薫りが鼻に届く。髪が熱風にたなびき、頬をパンターのエンジン音が撫でていく。

 

 

「……結局の所、足りていなかったのは私の、俺の覚悟。負けを受け入れる心だった」

 

 ただ暑さは一切感じない。あまりの熱気に陽炎が靡いていても、表情は涼しさをたたえる。

 何故ならもっと熱いものが体を支配しているから。

 篝火が巨大な炎となり、身を焦がしているから。

 

「有り難う。ナナ。君が思い出させてくれた。君の本音が活を入れてくれたんだ。そもそも男だったらウジウジ悩んでいる場合じゃないだろ。周りが俺を否定するなら、さらなる実力でねじ伏せれば良かったんだ。たく、前世を忘れて負けた癖に、それを忘れたままとか無能の極みだ。でももう、忘れない。逸見カリエの戦車道は忘れないし、見失わない。俺と私、どちらも逸見カリエだ。両輪揃ってこその、私の戦車道」

 

 キューポラから見た光景は、色鮮やかで鮮烈だった。

 美しい、と素直に感じた。

 ここが、自分のホームグラウンド。

 

 ただいまと、誰にも聞かれないように言葉を零した。

 

 ルミと眼が合う。

 何か驚いてはいるが、勝負を忘れているわけではなかった。むしろより楽しいと言わんばかりに、砲撃にも熱がこもっていく。

 パンターとパーシングが交差する。

 互いにパーソナルマークを背負ったエース同士。

 譲れない矜持と想いが交差した。 

 

 砲撃音は全く同じ。

 

 極至近距離で砲撃が炸裂する。

 極至近距離でカリエとルミ、両者がすれ違った。

 

 世界を切り裂く爆音の中、ルミが思わず零した言葉をカリエははっきりと聞いていた。

 

 ――おかえり。

 

 

07/

 

 

 端的に言って腰が抜けたし、言葉も失った。けれども、体を支配する満足感と、目の前に広がる光景だけは嘘をつかなかった。

 

「今まで何処にいたのさ。随分と待ちくたびれたよ」

 

 パーシングに対する回収車が到着するまでの僅かな時間、パンターの天蓋に二人は並んで座っていた。

 

「Ⅳ号戦車にいました。負けて自分を見失って、ぐちゃぐちゃになって引きこもってたんです」

 

「へえ、あの図太さの固まりだった君がねえ。人は変わるもんだね」

 

「変わってませんよ。元からそうでした。でもこれからは違う。もう迷わないとは言わないけれども、これまでの私とは違います」

 

「――頼もしい限りで。あーあ、折角バミューダトライアングルみたいな大層なネームを貰っていたのにここで脱落かー。まあ、メグミとアズミなら私よりも上手くやるでしょ」

 

「三位一体のコンビネーション技をここで潰せて本当に良かった」

 

「あ、こいつ、やっぱり変わってない! 図太さはそのままだ! あの時の逸見カリエだ!」

 

 ぐりぐりと、乱雑に頭を撫でられた。でも、カリエは心底嬉しそうに目を細めていた。

 

「でもさ、どうやって入れ替わったの? 路地裏でわざわざ乗り換えた? でもそこまで時間は掛かっていなかったし、何より車両を停止させた気配がなかったんだよね」

 

 ルミの疑問にカリエは答える。

 

「ええ、ルミ先輩なら音だけでも下手したらこちらの動向が読まれると思って、併走したまま飛び移りました。――ナナが抱き留めてくれなかったらちょっとやばかったかも」

 

 呆れたようにルミが息を吐く。

 

「はあ、人には無茶するなって怒る癖に、自分はいくらでも危険に飛び込んでいくところも変わってないね。後でエリカに怒られるよ」

 

「うっ、そういえばパンターに乗り換えたことをまだ全隊に伝えていないかも。優花里さんもそこまでの余裕はなかっただろうし」

 

 今更になって冷や汗を掻いているカリエを見て、ルミは苦笑を零す。

 

「ま、ヒーローは遅れてやってくるもんだから良いんじゃない? エリカだけはそれも通用しないけれど。なんたって彼女にとって君は護るべきヒロインだからね」

 

「まさか。ヒーローなわけないですよ。いいところ、悪の組織の参謀くらいです」

 

 いいや、とルミは否定する。

 

「私にとって、君はまさしく英雄だ。私の戦車道を教えてくれたとっておきのね。そして多分、私と同じ思いを抱いた人間がこの世界にはたくさんいる。ならそれはもう人々にとっての英雄さ」

 

 だからさ、行ってやりなよ。

 いろんなしがらみぶっ壊してさ。

 みんなを笑わせて、最後にエリカに怒られておいで。

 

 言葉のやりとりはそこまで。

 到着した回収車に乗り移ったルミはバイバイ、と手を振るだけだった。

 カリエもまた、控えめに手を振って、頭を下げてパンターに乗り込む。

 確かに山は越えた。

 道は開けた。

 でもまだゴールには届いていない。

 

「ナナ、東通用門を防衛している隊に合流しよう。T28とその取り巻きたちをなんとかしないと私たちに勝利はない。黒森峰は単騎でも強いってことを見せつけてやれ。なんたってこの車両にはエースに四番の二刀流の操縦手、さらには通信をさせれば正確無比なバットコントロールの首位打者に装填速度で他の追従を許さない盗塁王、あげくの果てには撃破数ナンバーワンの最多勝まで揃っているんだ。負ける理由がない」

 

「カリエ先輩、無理矢理野球に例えられても意味不明ですし、何より先輩は何なんですか?」

 

 茶化すように、明らかに喜びを押し殺したような声色でナナが突っ込んだ。他のメンバーも「そうですそうです」とカリエを見上げる。

 カリエはじっくりと一同を見渡してこう答えた。

 

「そんなもの、遙か昔から決まっているんだよ。私は扇の要、でも究極の裏方。キャッチャーが性に合ってる」

 

 

08/

 

 

「……ねえ、これって不味いわよね」

 

「あら? 今更怖じ気づいたの?」

 

「馬鹿言ってるんじゃないわよ。このカチューシャが怖じ気付くわけないでしょ。でも冷静に考えて、これは不味いわ」

 

 ティーガーⅡとT-34が並んだまま、建物の陰に身を潜めている。

 通りの反対側にある建物の傍では、みほのティーガーⅠが若干身を乗り出して警戒を続けていた。

 

「カチューシャが受けた通信によれば、こちらにパーシング二両が向かってきているみたい。しかも例のネームドよ。それに加えて――」

 

「継続の島田ミカと西住前隊長の車両をみほが視認、か。残念だけれどもあの子のことだもの。見間違いなんてあり得ないわ」

 

 だかららしくない警戒陣を敷いているのよ、とカチューシャが不満を漏らす。

 

「高校選抜の最大戦力を潰しに来ているのね。確かに黒森峰の西住みほとこのカチューシャを狙うのは良いセンスだわ」

 

「……そうね。でもそのおかげで東通用門組にも希望が残されている。私たちが頑張れば頑張るほど、向こうにも時間的余裕が生まれる」

 

 エリカの言葉に、カチューシャが眉をひそめた。

 

「自分で言っといてあれだけれども、あんたもう少し自分に自信を持ったら? もちろん向こうはあんたのことも潰しに来ているのよ。逸見姉妹の姉といえば全国的なネームバリューじゃない」

 

「まさか。そんな大層なものじゃないわ。何より、妹がやられた時に、情けなく擱座していた奴のどこか実力者よ。ちゃんちゃら可笑しいわ」

 

 その時、カチューシャは夏の敗北で心が折られた人間が一人でないことに気がついた。平気を装って、周囲を支え続けている人間こそもっとも消耗していることを知った。

 もっと早くに思い至るべきだったと唇を噛みしめる。

 

「――大丈夫よ。妹は必ず帰ってくるわ。平気な顔してプラウダの学園艦に乗り込んできたような人間よ。そう簡単に燃え尽きるわけがないわ」

 

 カチューシャの声に、エリカはすぐに反応を示さなかった。それから十数秒ほどの間を空けて、ようやく口を開く。ただそれも歯切れの良いものではなかった。

 

「――お礼は全てが終わってから告げるわ。見なさい。みほから手信号が届いてる。ええと、」

 

 エリカが即座に解読し、カチューシャにもわかるよう音読する。

 

「『ティーガー一両、パーシング二両の姿視認。戦闘準備を』」

 

「ねえ、黒森峰の」

 

「エリカよ。カリエの名前は覚えても私の名前は覚えられないの?」

 

「まだあんたのことは認めていないのよ。でも良いわ。エリカ、絶対に勝つわよ」

 

「……無論よ」

 

 二両のエンジンに火が入る。ドイツとソビエトの両雄が息を吹き返す。

 

「あの子が帰ってくるまで、負けるわけにはいかないのよ。たとえそれが前隊長相手でも」

 




いつも14話で覚醒している感じがする。

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