黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 19

 カリエの戦車道の思い出の原風景は、いつも薄暗い博物館から始まる。

 

 

 01/

 

 

 一般的なサラリーマン男性としての人生を生きてきた経験があるカリエは、周囲から見れば随分と奇特な人物だった。

 逸見エリカという双子の姉と、若干歳の離れたもう一人の姉、そして母親という三人の女性たちに囲まれながらも彼女が会得し、日常で使い続けたのは立派な男言葉だったからだ。

 もちろん、普遍の日本語など前世から当然のように会得していたカリエからすれば不思議でも何でもない話だったが、周囲の反応は決して好意的ではなかった。

 両親は真っ先にカリエの性同一性障害を疑い、医学書を読み漁り、医者の所へ毎日のように通って娘への理解へ努めようとした。

 二人の姉も、子供心ながら末っ子が普通ではないことくらい理解していたので、日々妹への接し方に悩んでいた。

 カリエもカリエで、自分の言動や行動が家族のストレスになっていることに薄々気が付き始めていたので、ちょっとした動作にも気を使うようになり、気を滅入らせていく。

 そして、それが原因かどうかは今となっては結論の出しようがないが、突然全てを放り出してしまいたくなるような衝動に狩られることが増え始めた。奇声をあげてみたり、意味もなく暴れ回ったりしたのである。

 この行動は完全に悪手で、両親や姉たちからは情緒不安定を煩っていると思われてしまった。

 

 ここでカリエの気が違えていると結論づけてしまって、精神科なりなんなりに放り込んでしまえば、そこで逸見家はつかの間の安息を得ることが出来たのかもしれない。

 

 だが両親たちはそれをしなかった。

 むしろ、自分たちのカリエに対する態度がいけなかったのだ、と自分たちの行いや娘への子育ての在り方を責め娘をとことん庇ったのだ。

 そんな両親とカリエの関係を間近で見ていた姉たちも自分たち家族が上手く行っていないことを理解し、余計な不安と焦りを覚え始めていった。

 とどのつまり、逸見家はカリエを中心とした不協和音に苛まれ、誰しもが家族の崩壊の悪夢を見るようになっていったのだ。

 ましてや、その直接の原因だと自覚しているカリエからすれば、その環境は生き地獄に他無く、居場所などなきに等しかった。

 なまじ、双子の姉のエリカが気を使って来るものだから尚更だった。

 そんな絶望と混沌の毎日が続いていた頃、ついにカリエの母親は、学生時代の旧友に助けを求めた。

 同年代の女児を二人産み育てている友人に、悩みの全てを打ち明けたのだ。

 

『……そう、なら私たちが経営している博物館に一度連れてきなさい。戦車道に触れさせてみれば、何かが変わるかもしれないわ。お嬢様で気難しかったあなたが気の置けない友人に変わったようにね』

 

 (わら)にも縋りたい気持ちだった両親は、その週末にはエリカとカリエを連れ出していた。本当はカリエだけを連れて行こうとしていたのだが、妹を妙な施設に放り込まれてしまうと、慌てたエリカが頑なに反対し、ついには自分もついて行くと主張したのだ。

 両親も両親で、どうせなら双子揃って連れ出した方が良いのかもしれない、と考え四人で熊本市内の戦車道博物館に足を向けていた。

 博物館のロビーには旧友が手配してくれていたのか、逸見家専属の案内人がにこにこと待ち受けていた。

 ぴちっとしたスーツに身を包んだ彼女は、「西住」の紋章が眩しいバッチを左胸に付けて、双子に微笑んだ。

 並の子供ならば、「綺麗な微笑みの優しいお姉さん」と相貌を崩し、警戒心を解くのだろうがこの双子は違った。

 姉のエリカは妹のカリエをかばうようにして立ち、カリエも自分が連れてこられたみょうちくりんな施設を見て、不安げな表情を見せていた。何せ、前世には影も形も無かった、戦車道の博物館である。その突拍子もない発想に度肝を抜かれていたのだ。

 自身が余り歓迎されていないことを悟った案内人は、引き攣った笑みを携えつつも、鉄壁の営業スマイルを維持し続けた。

 

「ここは西住流が戦車道を社会にアピールするために立ち上げた博物館になります。戦車道は古き良き大和撫子を育て上げる武道として知られ、西住流は西日本最大の流派となっております」

 

 大和撫子という言葉にカリエはびくっ、と反応した。何せ、女性のような振る舞いを求められ続けてナイーブになっているところに、これなのだ。反射的に両親を睨みつけると、二人はバツが悪そうに視線を逸らした。

 

 そうか、二人は少しでもこの俺を矯正させたいのか。

 

 カリエはどこか諦めにも似た気持ちを抱いた。両親の真意としては、ちょっとした気晴らしと、何か打ち込める女子らしいスポーツを見つけてくれれば、といったものだったが、それはカリエに対して歪んだ形で伝わっていた。

 なまじ、中身が大人だからこそ裏の裏まで邪推してしまったのだ。

 ならば、とカリエは目の前に手を広げて立つエリカを押し退けた。そして案内人に対して静かに微笑む。

 

「逸見カリエです。今日はよろしくお願いします」

 

 

 02/

 

 

 カリエを原風景から引き戻したのは、こちらを覗き込んで来ている後輩のナナの声だった。

 

「副隊長、作戦の最後の打ち合わせをお願いします」

 

 細く白いナナの顎筋からぽたり、と汗が流れ落ちるのを見て、カリエは真夏の気温を思い出した。

 自身の様子を振り返ってみれば、汗でぐっしょりと濡れたパンツァージャケットが肌に張り付いていた。

 原風景で感じた、冷房の利いた薄暗い館内の空気は当の昔に消え去っていた。

 

 

 03/

 

 

 快晴だった。

 蝉が鳴き、日差しが地を焼き、数多の観衆が声を上げる決勝戦日和の夏の一日。

 逸見カリエはパンターの天蓋に腰掛けながら、試合前最後のチェックを行っていた。

 夏の日で装甲が熱くなっているだろうから、と気を利かしたナナが自身のパンツァージャケットをクッション代わりに差し出している。

 カリエはそんな即席クッションの上に、ちょこんと座り込んでいた。

 

「……作戦内容は前日のミーティングの通り。機動力に優れる私たちがあちらの主力を追い立て、追随してくる後方のみほやエリカたちと合流して殲滅」

 

 パンターの乗員全てに聞こえるように、口頭で作戦内容を確認する。

 互いに作戦に対する()()がないかどうか、念入りに()り合わせていくのだ。

 

「今回は、グロリアーナ戦のように斥候は送り込まないんですね」

 

 パンツァージャケットを脱いでいるからか、赤いシャツ姿でカリエの隣に腰掛けているナナが疑問の声を上げた。カリエはそんな後輩に対して優しく首を横に振る。

 

「去年まで決勝戦を行っていた富士の演習場ならやってもよかったんだけどね。今年から世界大会のことを考えているのか、会場は北海道の大平原。戦車の行軍をある程度限定してくれる街道も平地と殆ど区別がないから、車両を孤立して配置するのは悪手につながる。何より、あちらはそういった配置を逆手に取る、各個撃破が得意みたいだしね」

 

 大洗対プラウダで得た私見を下に、カリエは作戦を組み立てていた。

 各個撃破を繰り返しつつ、なんとかフラッグ車に食らいついてく大洗女子学園の作戦スタイルを考えてみれば、それに対するメタ。つまり、集団で押し潰していく戦術が最適であると結論を出した。

 大洗は特異な学校だ。

 新設校という事もあってか、戦術や思想、伝統という情報がこれまでの相手に比べても格段に少なく、メタを張りづらいチームであることをカリエは理解している。

 理解しているからこそ、黒森峰が最も得意とし、最も心血注いで来た戦法で叩きつぶしていく事を彼女は選択した。

 小細工を弄して、いらぬ隙を作り出すのではなく、あくまで王者として積み上げてきた自分たちのスタイルを貫くのだ。

 

「……でも、二回戦以来のフラッグ車になってどうしても緊張してしまいます」

 

 ただし不安がないと言えば嘘になる。

 ふとカリエが背後に振り返ってみれば、フラッグ車を指し示す青い旗が風に揺られてはためいていた。ナナの言うとおり、二回戦以来のフラッグ車をカリエが担当することになっていたのだ。

 理由は至極単純。

 大洗の機動戦術に対してティーガーⅡでは相性が悪いこと。隊長であるみほがフラッグ車を担当してしまうと、新生黒森峰の武器である柔軟な用兵に支障をきたすことだった。

 つまり、二回戦までのドクトリンに立ち帰っただけとも言える。

 

「まあ、でもあと一勝だから何とかなると思う。いや、何とかするためにこの一年間、頑張ってきたんだ」

 

 試合開始の空砲まで残り時間はそう残されていない。

 すでにスタート地点では複数の黒森峰の車両がエンジンをアイドリングさせ、試合開始その瞬間を今か今か、と待ち詫びていた。

 

 この日のために皆、血を吐くような訓練をこなしてきた。

 先人たちが積み上げてきた栄光に泥を塗らぬよう、全てを犠牲にして技量を磨き続けて来た。

 隊員たちはもちろん、三人の隊長格も同様だ。

 それぞれがあらゆる葛藤を乗り越え、今日のために頑張ってきていた。

 これまでの訓練に対する疑問は一切ない。己の力量に対する後悔や不信も存在しない。

 ただ、目の前の優勝という結果だけを見据えてきていた。

 

 だが、どうしても一抹の不安だけは拭えなかった。

 それは人である以上、誰しもが持ちうるものであり、頂だからこそ、王者だからこそ見えてしまう、ある種の闇だった。

 それはすなわち――、

 

「――本当、なんで今更前の夏みたいな日に、こんな大事な試合をしなくてはならないのか」

 

 雲一つない空を見上げながら、ぽろりと零された呟き。

 

 いつか味わった、己の弱さから招いてしまった屈辱の敗戦。

 王者として君臨し続けた今だからこそ思い出してしまう、絶望感に押しつぶされそうになった一瞬。

 そう、カリエは知っていた。

 

 栄光など、勝利など、ちょっとしたイレギュラーがあればこの手からこぼれ落ちていってしまう現実を。

 

 頂点だからこそ見てきた、他校が味わった数多の不運。

 

 黒森峰と同じブロックになってしまったが故に、優勝の可能性を捨てざるを得なくなってしまった中堅校たち。

 

 逸見エリカという特異な存在一つに破れてしまった継続高校。

 

 そして、逸見カリエという個人に執着させられてしまったが故に天候に見放され、敗北の泥水を啜らなければならなくなった聖グロリアーナ女学院。

 

 彼女たちに勝ち続けた黒森峰の逸見カリエだからこそ理解できる、勝負事の幸運と不運。

 これまでは実力という下駄を精一杯使って、幸運に乗り続けてこれた。だが、いつ不運に転落するかわからないということを、カリエは痛いくらいに理解している。

 

 たった一つの後ろ向きの配球が、カリエとエースを地獄にたたき落としたように、たった一つのミスが、黒森峰を準優勝という奈落に突き落とすのだ。

 

 あの時と何もかもが違うはずなのに、このヒリついた肌の感覚は取れそうにない。

 ナナはカリエの言葉をを聞いて、「どういうことなのか」と問いかけようとした。

 だが、天を仰ぐカリエの目元が不意に曇っていることに気がついて、彼女はそのタイミングを逸してしまっていた。

 涙に濡れているわけではなかったが、何処か諦観めいたその視線にナナは言葉を失っていた。

 

 

04/

 

 

「作戦は至極単純です。逃げます。とことん逃げます。逃げて逃げてとにかく逃げて、相手を攪乱します」

 

 大洗最後のブリーフィリング。

 天幕の中、全員が集合する中で優花里は壇上に立っていた。

 彼女の視界いっぱいに広がる大洗の仲間達は、自動車部とネットゲーム愛好家の二つのチームが増えてそれなりの所帯になっていた。

 だが、王者黒森峰とは比べるべくもなく、相変わらずの少人数チームだ。

 だからこそ、試合中盤から終盤に掛けてどれだけの車両が生き残ることが出来るのかどうかが、自分たちの運命を決定づけると豪語した。

 

「もちろん追いかけてくるであろう黒森峰の練度、チームワークはこれまで戦ってきた何処の相手よりも遙かに上です。天上の、それこそ王者の頂に立つチームと称しても過言ではありません」

 

 優花里の言葉に大洗の面々が息を呑んだ。

 これまでも決して楽な戦いではなかったというのに、それ以上の強敵に挑もうとしているのだから。

 けれども優花里の目は、決して曇ってはいなかった。

 

「だからと言って、私たちが萎縮する必要は無いでしょう。むしろ、黒森峰に比べれば重たくのし掛かる伝統も、十一連覇のプレッシャーもありません。廃校の話なんて、ここまで来られたことが奇跡みたいなものですから、そんなのどうでも良いのですよ」

 

 優花里の強がりであることは誰もが理解していた。

 その証拠に、彼女の堅く握られた拳は小刻みに震え、演説を垂れるその口元の下、顎先からは汗がぽたぽたと流れ落ちていた。

 それでも力強く、自分たちを鼓舞しようとするその姿を見て、彼女たちは覚悟を決め始めていた。

 

「勝てない戦いであることは重々承知の上です! けれども、皆さんと共に戦って悔いを残すことだけは絶対に嫌です! 全力でぶつかりましょう! 全力で、王者黒森峰に食らいついてやりましょう!」

 

 そこまで一気に捲し立てた直後、試合開始十分前のコールが鳴った。それぞれ天幕の外に待機していた車両達に次々と乗り込んでいく。その動作が余りにも手慣れているものだから、知らない人が見れば彼女たちが新設の無名校であることを見抜くことは不可能だろう。

 いや、もう新設の無名校という肩書きは古くてカビが生えかかっている。

 準決勝でプラウダ高校を下したその瞬間から、彼女たちの称号は改められていた。

 

 大番狂わせのダークホース。

 

 誰からも期待されない中、着々と試合を勝ち上がってきた彼女たちの、今世紀最大のジャイアントキリング目当てに、観衆達は色めきだっている。

 全ての人が黒森峰女学園の十一連覇という偉業を心待ちにしながらも、大洗女子学園の奇跡を心の何処かで望んでいる。

 

 試合が始まる。

 両校にとって、一番長い夏が始まる。

 

 

 05/

 

 

 速攻を仕掛けたのは黒森峰だった。彼女たちは装甲火力を全面に押しだし、機動力に長けたパンターを中心にした部隊で大洗の背後を強襲したのだ。

 だが、それに狼狽えるような時期はとっくの昔に過ぎ去っていた。度重なる激戦と、優花里の綿密な分析から、可能性を示唆されていた面々は落ち着いて、逃亡を図った。

 

「このまま北西に向かい、小山に陣取ります。Ⅲ突と三式を中心に防御陣地を構築。車高の高いルノーB1bisとM3リーはそのまま小山を超えて、迂回路を経由して森を通り抜け南進。私たちを強襲した前衛部隊の後方に待機している黒森峰後衛部隊の側面を突きます」

 

 淡々と優花里は指示を下す。黒森峰の前衛部隊が突き進んできたであろう森林地帯に赤くバツを描き、独自の主観に基づいた補足を書き連ねていく。

 

「……やはりあちらはもっとも得意とする戦術で攻めてきました。ですが、いつトリッキーな機動戦術に移行するかわかりません。決して油断することなく、各個撃破されないよう注意して下さい。試合中盤までどれだけ生き残ることが出来るか、それが我々の正念場です」

 

 背後から数多の砲弾が飛来する中、優花里は落ち着いて戦況を分析し続けた。ここで慌てて散開しようものなら、一つずつ、優勢火力で押しつぶされていくことを知っているのだ。

 なればこそ、その思惑に乗ってやる必要はないと、隊列を保ち続けたまま、北西の小山を目指した。

 

 ふと、優花里の頬に当たる風の向きが何故か変わった。

 

 何てことのない、ただの風向きの変化。

 人生生きていれば、いつだって感じることの出来る無為な自然現象。

 けれども不思議なことに、優花里には見に覚えがあった。

 この不穏な風の変化を何処かで経験していた。

 そしてほぼ反射的に、「不味い!」と振り返っていた。

 

 そこからの光景は優花里の網膜にしっかりと焼き付いていく。

 森林の暗がりで光る、たった一つの砲撃。

 

 その音は、忘れたくても忘れられない、思い出の音。

 戦車オタクである優花里からしてみれば、一瞬で判別することの出来る、パンターの砲撃音。

 しかも、よく手入れされた車体、一切の無駄のない姿勢、砲身の角度から放たれた音は轟音ながらも澄み渡っていた。

 まるでそれは、戦車を操る車長そのもののようで、優花里は銀色の人影を幻視していた。

 

「――カリエ殿!」

 

 そう、いつかの練習試合の時のようにカリエのパンターが森林の窪地から優花里のⅣ号めがけて、砲撃を仕掛けていたのだ。

 相手の挙動、思考、練度を全て考慮し尽くした、神業とも言うべき予測射撃。

 迂闊なことに、優花里はのこのことその射線に入ってしまっていたのだ。

 

 まさかこんなところで、こんな形で終わりが――、

 

 優花里は力一杯、瞳を閉じた。そして、来るべき衝撃に備えてキューポラをしっかりと掴む。

 砲弾が装甲を穿ち、致命的なダメージを刻む。

 一瞬で行動不能にされた車体からは、黒煙と敗北を告げる白旗が揚がっていた。

 

「…………え?」

 

 優花里は肌に感じる火焔の熱さに惚けたような声を出した。だがその熱も、Ⅳ号が歩みを進める事に消え去っていく。

 同時に、視界一杯に広がっていた三式中戦車が距離が開くに連れて徐々に小さくなっていった。

 

『あいたたた、あっさりやられちゃったぴよ』

 

『急に発進したかと思ったら、速攻でキルされたもも』

 

『ボクたちをこうもあっさりと討ち取るとは、恐るべし! 黒森峰!』

 

 そう、Ⅳ号の盾として代わりに撃破されたのは決勝の直前に加入したアリクイさんチームの三式中戦車だった。操縦に不慣れだった為か、意図しないタイミングで急発進してしまい、パンターとⅣ号の斜線の間に割って入ったのだ。

 そして、たとえ偶然とは言えそれが大洗女子学園を結果的に救うことになった。

 

『秋山隊長、無駄死にの私たちを許して欲しいもも』

 

『もし叱るのならボクを叱ってください!』

 

 そうとは知らない彼女たちは優花里への謝罪を口にしていた。優花里は咄嗟に、そんな三人をフォローする。

 

「いえ、アリクイさんチームのお陰で命拾いしました。あなた方がいなければ、ここで大洗は負けていました。それに……」

 

 何かを見落としている気がして、優花里は「それに」の続きの言葉を吐かなかった。Ⅳ号の盾になったこと以外にも、何か彼女たちがとてつもなく大きな功労を果たした気がして、優花里は一度言葉を切った。

 突如として押し黙ってしまった優花里に、やはり不興を買ってしまったとアリクイさんチームは慌てるが、優花里の冷静ながらも、何処か興奮が押し殺しきれない、といった声色にすぐに圧倒される。

 

「そうか……、それがカリエさん、あなたの唯一の弱点なんですね」

 

 もう一度、背後を振り返る。

 黒煙を吐き続ける三式中戦車の向こう側から、じりじりとカリエのパンターがこちらに接近してきていた。

 けれどもそれほど熱心に追いかけてきているというわけではなく、あくまで一定の距離を保とうとしている。

 パンターの両サイドに陣取った黒森峰の車両逹も、完璧な統制を見せながら。同じ動きを見せていた。

 その動きを見て、優花里は自身の仮説に対する確信を深めた。

 

「みなさん、唯一の勝ち筋が見えました。アリクイさんチームが教えてくれました。彼女たちの撃破は決して無駄ではありません。彼女たちが、示してくれた道が、我々の希望の道です」

 

 何が、とはまだ告げない。だが優花里は自身の指示に様々な修正を加えることで、ようやく見つけた希望の道をたぐり寄せていく。

 

「アリクイさんチームの代わりに、我々あんこうが陣地構築を行います。レオポンさんチームのポルシェティーガーは牽引ロープを使って、三突とヘッツァーに引っ張って貰ってください」

 

 新加入の重戦車であるポルシェティーガーの足まわりの弱さをカバーするべく、複数の車両で引っ張り上げる策を取る。これは、昨年の決勝戦で、逸見エリカが、妹のカリエの車両を川から引き上げた場面を思い出して、提案した作戦だ。

 また防御陣地の構築も、今年度の準決勝で黒森峰が聖グロリアーナに対して取った防御策を大いに参考にしている。

 

「我々が黒森峰に勝っているのは、伝統と校風に縛られないということだけです。その利点を最大限に活かして見せます」

 

 ぐっ、と握り込んだ拳からは、いつの間にか震えなど消し飛び、ただ彼女の意志の強さだけが宿っていた。

 

 

 06/

 

 

「みほ、カリエと小梅の中戦車部隊が大洗の背後を強襲。けれど、撃破は三式中戦車一両のみ。あいつら、思いの外やるようね」

 

 黒森峰の前衛部隊のやや後方。ティーガーⅠやエレファントなどを中心とした重戦車部隊は前衛の報告を受けて歩みを進めていた。

 エリカの言葉を受けて、みほは硬い表情で手元の地図を見る。

 

「……やはりあの学校はただの無名校ではありません。新進気鋭のダークホースとして警戒するべきです」

 

 正直、二人の中に動揺がないと言えば嘘になる。

 カリエと小梅の中戦車部隊の指揮能力は、日本一だと断言してはばからないほど、みほとエリカはその実力を評価していたからだ。

 その二人を全面に押し出した強襲作戦がここまで不発に終わるとは想定外のことだった。

 

「あちらの隊長の分析能力はカリエ並ね。こちらの行動パターンや戦術ドクトリンの殆どを読まれている。厄介な相手よ」

 

 エリカが忌々しそうに指を噛んだそのとき、ティーガーⅡの通信手がカリエからの無線を受け取っていた。

 すぐさまヘッドホンで妹からの前線報告をエリカは聞き取る。

 

『エリカ、向こうは北西の小山に防御陣地を構築した。そちらの重戦車部隊で、近づけるだけ近づいて砲弾をたたき込んで欲しい』

 

 戦車戦において、高所に陣取って籠城するのは一つのセオリーだ。そしてセオリーだからこそ、堅実性が高く、攻める側に少なくない出血を強いることが出来る。

 そういう意味では、間違いなく大洗はいやらしく強かな学校であると言えた。

 

「わかったわ。ただ、初手の強襲が成功しなかった以上、あんたはでしゃばっちゃ駄目よ。別にあんたの実力を疑っているわけではないけれど、万が一ということもあるわ。これからは、中心部での指揮に徹して、大洗を追いつめなさい」

 

 だからだろうか。大洗に対する警戒心の現れか、エリカは妹へ釘を差していた。こんなことを今更言わなくてもわかっているだろうに、言葉では言い表せられない不気味さを感じて、思わず口にしていたのだ。

 カリエもそんな姉の気心を感じているのか、特に反抗はしなかった。

 

「エリカさん、そろそろ……」

 

 気がつけば、所定の位置にたどり着いていた。

 既に砲撃の用意を整えた黒森峰の重戦車たちが、照準を小山の頂上に付けている。

 隊の長であるみほが、すっと息を吸い咽頭マイクに号令を下した。

 

「全車、一斉砲撃!」

 

 

 07/

 

 

 山が消滅してしまうのではないかと錯覚してしまうような、苛烈な砲撃が降り注いだ。カリエは自分たちより遙か後方から加えられている援護射撃を双眼鏡の分厚いガラス越しに見ている。

 

「……駄目だ、車体をドーザー代わりにして、壕を掘ってる。あれではこちらからの砲撃が届かない」

 

 素人が見れば、圧倒的な火力が大洗の戦車群に降り注いでいるように見えるだろう。だが、その実体は殆ど効果的なダメージを与えることが出来ていない黒森峰の歯がゆさだ。言わば、弾の浪費を強いられている。

 

「エリカ、支援砲撃に一つ注文を付けさせて。一定の割合で榴弾を付与。そして、こちらが合図したら砲撃ポイントを山の後方に転換。つまり、大洗の後ろをひっぱたいてほしい」

 

 姉からの返答は言葉ではなく、オーダー通りの砲火だった。小山に降り注いでいた徹甲弾に、榴弾が混じり始め、特大の土柱を打ち上げる。

 それを確認したカリエは、まだ黒森峰の砲火の冷めやらぬうちに、周囲の味方たちにこう命じた。

 

「今から突っ込む。エリカが大洗の背後を思いっきり小突きあげるから、その場で右往左往したところを各個撃破」

 

 突っ込むと言っても、小山には未だに味方の砲撃が降り注ぎ、多数の土砂が巻き上げられ、噴煙と火焔が渦巻いている。一歩間違えれば同士討ちの可能性すらあった。

 だがカリエは一切(ちゆう)(ちよ)しなかった。

 何故なら、エリカの支援砲撃が自らを穿つことなどありえないと確信しているからだ。

 双子の勘とも言うべきか、エリカもカリエがこの状況で防御陣地を強行突破する未来を見ている。だからこそ、いつでも砲撃目標を変更できるよう、咽頭マイクから手を離すことはなかった。

 そして、周囲の隊員たちもそれは同じこと。

 彼女たちは敬愛する副隊長たちを信じて、鋼鉄の獣をただただ前進させた。

 これに驚いたのはもちろん大洗だ。

 砲火が降り注ぐ中を、黒森峰の中戦車部隊が突っ込んできたからだ。

 さすがにフラッグ車のパンターは後方に陣取ってはいるものの、それでも戦術としては恐るべき強攻策だった。

 

 

 08/

 

 

 Ⅳ号から指揮していた優花里は、慌てて防御陣地の放棄を決断した。

 

「これ以上無理に籠城する意味はありません! 十分砲弾も消費させましたし、相手のおよその編成も砲撃音から推測することが出来ました! 背後から山を降りて、市街地方面へと逃走を図ります!」

 

 当初の目的は果たしたと、全軍後退を命じる。だがそれはカリエの仕掛けた罠に飛び込むことと同義だった。

 陣地から抜け出した大洗の車両たちに、砲撃目標を変更した黒森峰重戦車の砲弾が殺到したのだ。

 

『秋山あ! これ後ろに下がるのは無理だああああああ!』

 

『根性! と言いたいところですけれど、ちょっときついです! 近くに砲弾が落ちるだけで、車体がきしんでます』

 

 

 桃、典子をはじめとした大洗の面々の悲鳴が告げるとおり、籠城していたときよりもさらに苛烈な砲撃が彼女たちに降り注いでいた。

 砲弾の消費を度外視した意外な攻勢に、優花里は焦りを覚えた。

 まさかこの展開を読まれていたのかと、小山の麓を駆け上がってくるパンターたちを戦慄の視線で見つめる。

 だが迷ったのは一瞬だけだった。数多の猛者たちに揉まれ、そしてその戦術を学び続けた彼女は、即断で指示を下した。

 

「……山を、正面から降ります。危険ですがそれしかありません。パンターの間を抜けます。ここで用意していた煙幕を使いましょう」

 

 爆発によって奏でられる轟音と地響きの中、優花里の無線越しの言葉は大洗の面々にしっかりと届いていた。氷の剣を刺されるかのような、寒気を覚えるくらいには無謀とも言える策だ。

 けれども、それに異を唱えることも疑問を抱くこともない。

 

『ええい、ここまで来たならとことんやってやるぞ!』

 

 桃が吠えれば、柚子が応えた。

 

『その意気だよ桃ちゃん!』

 

『次こそは根性! ピンチはチャンスだ!』

 

 典子は狭い車内で、バレー部の後輩たちと肩を組み、

 

『徳川の大軍を敵中突破した島津の気持ちぜよ』

 

『だが、それも悪くない』

 

 不適な笑みを浮かべたおりょうとエルヴィンが視線を交わしていた。

 

「少々揺れる。気を付けてくれ」

 

 麻子の言葉を合図に、Ⅳ号が先陣を切って掛けだした。そして、黒森峰の隊列を通り抜けられるよう、随伴する車両たちが適度に散開してそれに続く。

 殆ど間を置かずに展開された煙幕が、大洗の車両を覆い隠した。そして、彼我の距離が恐るべき勢いで縮まっていく。大洗と黒森峰、どちらも一歩も引くことなく、砲弾を相手に叩き込んだ。

 

「みなさん! 山を下りた後は、黒森峰後方部隊に奇襲を仕掛けたウサギさんチームとカモさんチームに合流します! そして市街地に逃げ込み、散発的なゲリラ戦を仕掛けましょう!」

 

 果たしてどれだけの車両が生き残れるか、と優花里は薄暗い車内で表情を険しくした。

 前回の練習試合では市街地にたどり着く前に半数以上が撃破された。もし今回も同じような展開になれば、折角見えた勝利の希望も潰えることになる。

 

「おい、そろそろ煙幕が晴れるぞ」

 

 ふと、操縦桿を握る麻子がそんなことを言った。ならばすぐに視界を確保するべきだ、と優花里はキューポラから身を乗り出した。

 すると麻子の告げたとおり、煙幕の切れ目がすぐ目の前まで来ていた。

 鬼がでるか蛇がでるか、とキューポラの縁を握りしめる。

 

 視界が晴れる。

 

 晴天の青空の下、すぐ真横に陰を見つけた。

 

 煙幕の果てにいたのは蛇だった。

 

 燦然と輝くウロボロスのエンブレム。

 その栄光の中戦車を操るのは、黒森峰が誇る逸見姉妹の片割れ、逸見カリエ。

 月のように輝く銀髪を後ろに纏めた彼女は、いつか砲火を交わした、師匠でありライバルであり、古い友人だった。

 

 言葉は無かった。

 

 されども、いつかの冬の日のようにぶつかり合った視線は、互いに一歩も譲ってはいなかった。

 その刹那のひとときは、優花里に「やっとここまで来たのだ」と実感させるには十分すぎる瞬間だった。  




あと二話か三話で完結です。

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