黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 15

 雪が降っていた。真夏にはあり得ない、ふわふわのパウダースノー。

 大洗女子学園の学園艦には、季節に全く似つかわしくない雪が降り積もっていた。

 けれどもそれは異常気象や天変地異の類いではない。むしろ、学園艦の状況を鑑みれば当然とも言える事象だった。

 

「やっぱり高緯度の地域に赴くと雪が降るんですねー。こんなにたくさん降っているのを見るのは、数年ぶりかもしれないです」

 

 氷のように冷えた窓から秋山優花里は外を伺う。

 家々の屋根にうっすらと白い化粧が施されているのを見て、彼女は歓喜の声を上げていた。

 そんな優花里にコタツに足を突っ込んだ杏が笑いかける。

 

「やっぱり学園艦育ちの秋山ちゃんがそういうと説得力あるね。あ、そろそろ鍋も煮えたかな」

 

 最早おなじみの、生徒会応接室。

 けれどもその内装はいつもと違い、八月の初旬には似つかわしくない冬の様相を呈していた。

 理由は言わずもがな。

 準決勝のフィールドが高緯度地域の雪原に決まり、学園艦ごとその該当地域に赴いているからだ。

 そのため、夏でも冬のような天候と気温になっている。

 

「次はいよいよ準決勝。秋山さん、試合の準備の方はどうなっているのかな」

 

 コタツの上でぐつぐつと煮えているあんこう鍋を掻き混ぜながら、柚が問うた。

 その隣で、桃が小皿や食器達を取り分けている。

 

「ええと、一応雪中行軍の訓練プランは出来上がりました。それぞれの車両も、全部とまではいきませんでしたが、突貫で雪中迷彩を施しています。三突用のヴィンターゲッテンも用意が出来ました。あとは対戦校であるプラウダ高校のデータが……」

 

 言って、彼女は部屋の隅に置いてあったバックパックを引っ張り出す。そして中から膨大な量の紙束を取り出した。

 今更もう驚きはしないが、それでも圧倒されるだけの情報量に杏達の表情が引き攣る。

 

「いやー、春休みの間にプラウダ高校には偵察潜入もとい、練習の見学にお伺いしていたんですよ。こっちの束が保有車両で、こっちの束が戦車道履修者ですね。プラウダ高校は地吹雪のカチューシャ、と呼ばれる方が隊長を、ブリザードのノンナと呼ばれる方が副隊長を務められています。あと一人、留学生の方もいらっしゃって、一応幹部クラスなのですが、諸事情で本大会には参加していないそうです」

 

 つらつらと説明を続ける。

 

「プラウダは昨年、黒森峰と決勝戦で死闘を演じた高校です。あの黒森峰をかなり追い詰めましたからその実力は折り紙付きです。正直、胸を借りるつもりで挑みたいですね」

 

 優花里の「胸を借りたい」という言葉に杏の表情が曇った。いや、それは柚子も桃も同じ事だった。

 室内の雰囲気が急に変わってしまった事を察して、優花里は「あれ?」と狼狽える。

 

「あ、あの……」

 

 何か不味い事を言ってしまったのだろうか、と恐る恐る杏に視線を送る。

 けれども彼女は直ぐに何事もなかったかのように、笑顔を見せて出来上がったあんこう鍋を優花里に勧めた。

 

「今更秋山ちゃんにこいつの美味しさを語るまでもないだろうけどさ、そこそこ良い材料を手に入れて用意したんだ。普段頑張っている秋山ちゃんへの感謝の印みたいなものだから、食べてってよ」

 

 正直言って、何か誤魔化されている事くらい、優花里にはわかっていた。

 だがそれを追求しようという気は、不思議と湧かなかった。

 何故なら優花里はここまでの生徒会の厚意を知っていたからだ。彼女たちが自分を裏切らない事くらい、わかっていた。

 だから今は話す時ではないのでしょう、と大人しく鍋のご相伴に預かった。

 大洗にずっと住み続けている彼女からしたら、特別珍しい料理ではなかったが、それでも生徒会が手間暇掛けて用意してくれたそれはとても美味しかった。 

 

「……このコタツを含めてさ、この2年間いろいろと楽しい事ばかりだったんだよ。ねえ、小山」

 

 杏の問いかけに、柚子は微笑んだ。

 

「ええ、冷蔵庫やヒーターのために予算をやり繰りする日々は充実していました」

 

 そう言って、愛おしそうに目の前のコタツの縁を撫でる。まるで備品達を揃える日々を思い起こすかのように。

 そういえば、と杏は桃にも視線を送った。

 

「かーしまー。去年のイベントの写真とかあるかなー」

 

「はい、確かこちらのファイルに……」

 

 言われて、桃は一冊のファイルを用意した。中から出てきたはそれなりの量がある写真たち。

 それぞれ春夏秋冬の学園で執り行われたイベントの数々が収められている。

 

「この泥んこプロレス大会、桃ちゃんが大泣きしちゃって大変だったねー」

 

 写真の一枚を手に取って柚が思い出を語った。杏もプール開きの写真を取って優花里に見せる。

 

「秋山ちゃんはこの写真たちどれくらい覚えてる?」

 

「もちろん全部覚えていますよ。わたくし、学園のイベントごとはできる限り参加していましたから。まあ、友人も少なかったので、それなりに寂しい思いをしてきたことは否定しませんが……」

 

 

 えへへ、と優花里は頬を掻いた。

 彼女の弁が正しければ、まともな友人が出来るようになったのは戦車道を始めてからだという。

 それまでは生粋の戦車オタクっぷりがいけなかったのか、友人の縁には恵まれてこなかったと彼女は語っていた。

 けれども、その理由がどうにも腑に落ちていない人物がいた。

 それが杏である。

 彼女はそれが不思議なんだよねー、と箸を咥えがながらぼやいた。

 

「優花里ちゃんてさ、正直かなり対人コミュニケーション高いし、人も良いし、どう考えても友人が出来ないような人種には見えないんだけれど、その話は本当なの?」

 

 別に優花里が嘘を吐いていると疑っているわけではなかったが、それでも気になると杏は問うていた。

 優花里は「それがですね……」と言って良いのか悪いのかわからないと(しゆん)(じゆん)した。

 だが生徒会の事を基本的には信頼していたため、少し迷いながらも中学生までの自分について語り始めた。

 

「実はわたくし、中学生まで男装紛いのことをしていたんですよ。髪はベリーショートですし、ファッションも男の子が着るような服ばかり着ていました」

 

 初耳だ、と生徒会の面々が驚きの表情を見せる。

 三人の心を代弁したのは、やはりと言うべきか生徒会長たる杏だった。

 

「え、それは趣味で? それともそういう、その人格というか……」

 

 あの杏が言葉を言い淀んでいた。思っていたよりもデリケートそうな話題だったので、ずけずけと聞く事が憚ら(はばか)れたのである。

 しかしながら、優花里は笑いながら杏達の不安を一蹴した。

 

「別に性同一性障害とかそんなのではないですよ。中学生までは幼い頃の約束というか思い出を馬鹿正直に守っていただけなんです」

 

 それから優花里は自身の原点とも言うべき思い出について語り始めた。

 幼い頃のほんの一瞬だけ交わし合った、尊い友情の話を。

 

「小学生の頃、わたくし両親に熊本の戦車道博物館に連れて行って貰ったことがあるんです。で、そこで一人の女の子に出会いました」

 

 銀髪の綺麗な子でしたよ? と優花里は微笑む。

 

「その女の子、どうやら両親から戦車道をさせられそうになっていて、その事前学習に訪れていたそうなんです。けれどもその子、戦車が余り好きではないみたいで、館内の隅の方で膝を抱えていました」

 

 瞳を閉じれば今でも鮮明に思い出せる光景。

 薄暗い照明達の下、浮かない顔をする天使のような少女。

 

「わたくしとしては、お節介心というかなんというか、折角戦車を見に来ているのに、そんなに辛そうな顔をして欲しくなかったんですよ。だから今思えば完全に余計なお世話なんですけれど、その子を連れ回して戦車を案内したんです。逃げられても全然仕方ないような強引さだったんですけれど、優しいのか引っ込み思案だったのか、何だかんだ最後までその子は付き合ってくれました」

 

「ということはその子が男装の原因なのかしら?」

 

 柚子の疑問に「まあそういうことになりますね」と優花里は答えた。

 そして自身の思い出を続ける。

 

「その子、多分性同一性障害というか、性別があやふやというか、中身が男の子だったんですよ。一人称も俺で、だから女子が行う武道である戦車道が嫌だったみたいです。そしてその子、最後まで私の事を男の子と勘違いして接してきていたんですよね」

 

 あはは、と優花里の苦笑が漏れた。

 だがそんな軽い調子の優花里とは真逆の反応を杏達は示した。まさかこの優花里を男に間違うような間抜けがいるのか、と目も剥いていた。

 でもそれは仕方がないんです、と優花里は慌ててフォローを加える。

 

「当時の私は父の真似をしてベリーショートのパンチパーマでして……、しかも服装も動きやすいように短パンにTシャツという有様。正直、間違えられても全然仕方のない容姿だったんです」

 

 多分その時の写真がありますよ、と優花里は携帯電話を操作する。

 そして一枚の画像を呼び出した。

 杏達がそれを覗き込んでみれば、確かに少年チックな優花里が映っている。

 

「彼女は自身の性別に大層悩んでおられました。『俺』という人称に対しても複雑な思いを抱いておられるようで、これは完全に子供の浅知恵なんですけれど、わたくし、それまで『ボク』だった人称をその子の目の前で『わたくし』に変えたんです。これで変なのは君だけじゃないよー、って。男の子でも『わたくし』って言うんだよー、って。今振り返れば大分間抜けですよね。しかもその所為で自分が女の子だって、最後まで打ち明けられませんでしたし」

 

 ちょっと待て、と桃が突っ込みを入れる。

 

「お前が変な人称をわざわざ選択した意味はわかるが、それまでの『ボク』も大概じゃないか」

 

「そうですかね? まあ、父は男の子が欲しかったみたいで、私を小学校高学年までは少年のように育てていましたから、その影響かもしれませんね」

 

 秋山ちゃんも大概強者だよねー、と杏が感心していた。

 妙な心の強さというか、メンタルの強靱さが彼女にはあるのである。

 優花里は杏の台詞の意味も特によく考えないままに言葉を紡ぐ。

 

「で、男装の原因なんですけれど、その子との別れ際に約束したんですよ。いつか戦車道でなくても良い、けれども戦車に関わる何かで再会しようと。その時の私は戦車道に憧れはしていましたが、自分でやってみようとは考えていませんでしたからね。で、中学の時はその子が自分を万が一見つけても見失わないように、できる限り出会った当時の格好でいたんです。なんたって、戦車で出来た最初の友達でしたから」

 

 以上が優花里の口から語られた過去の(てん)(まつ)だった。

 要するに、人生で初めて出来た、戦車における友人と再会しても、優花里本人だと認識して貰えるように男装を続けた事が、中学以降で友人が出来なかった直接の原因という事らしい。

 律儀で義理堅い優花里らしい原因だと、杏は感心していた。

 

「いやー、そこまでいくとなんというか本当に美しい友情だよね。でもさ、秋山ちゃんはその子とそれから再会したの?」

 

 優花里はやや寂しそうにこう答えた。

 

「いえ、よくよく考えれば地元が熊本の子と茨城のわたくしでは会えるわけがないんですよね。だから、再会は今のところお預けです」

 

 いつか会えるといいね、と杏はそんな優花里の健気な友情を讃えていた。

 

 

01/

 

 

「こんにちは、優花里さん。久しぶり」

 

 何故彼女がそこにいるのか、と優花里は驚いていた。

 何処までも雪景色が広がる銀世界の準決勝会場。そこの選手達が控えている非交戦地域にて、秋山優花里は逸見カリエと久方ぶりの再会を果たしていたのだ。

 

「い、逸見殿?」

 

 本来あり得ない筈の人影を前にして、優花里の声色は上擦っている。

 

「それは駄目って、この前言ったよね。それに今日はエリカもいるからややこしくなる」

 

 カリエの非難染みた視線を受けて優花里は慌てて訂正した。

 

「か、カリエ殿!」

 

「うん、よろしい」

 

 満足げに笑うカリエに対して、優花里は思わず問いかけていた。

 

「どうしてこんなところに?」

 

「うん? 決勝の相手がどちらになるか気になるのはそんなにおかしいかな?」

 

 決勝の相手はどちらになるのか気になる。

 その言葉を受けて、優花里は胸の奥がじわりと熱くなっていくのを感じた。

 自分たちの実力が少しばかり認められたような気がしたのだ。

 けれども口からはつい、否定の言葉が出てしまう。

 

「相手はあのプラウダですよ? 私たちの勝利など万が一にもないと思いますが」

 

「いや、そりゃあカチューシャは強いけれど、だからと言ってあなたたちが負ける理由にはならないでしょう。野球ではジャイアントキリングなんて割とあることだし。それに――」

 

 カリエはこう続けた。

 

「12月に始めて練習試合をしたときよりも、あなたたちは遙かに強くなっているよ。その顔付きを見ればわかる。もう立派な戦車乗り。それに、結果も出ている。サンダースとアンツィオを破るなんて、運なんかじゃ絶対出来ないよ。優花里さん、あれから本当に頑張ったんだね」

 

 彼女の微笑みを受けて、優花里は不意に視界が滲んでしまった。けれどもここで涙を見せるわけにはいかないと、必死に目頭を服の袖で擦り上げる。

 

「ありがとうございます! カリエ殿にそう言って頂ければプラウダの一つや二つ、必ず打ち破って見せられそうです!」

 

「ふふふ、期待してるね」

 

 本当に綺麗に笑う人だと、優花里はその顔に一瞬見惚れた。前回の抽選会で出会ったときに比べて、数段美しく笑えるようになっていると、直ぐにわかった。

 まるで憑き物の一切合切が抜け落ちたような、そんな笑みだった。

 ただ、その笑みは次の瞬間には優花里には見せた事のない、()()りの色に染められていた。

 

「あら、カリエさん。浮気なんて感心しないわ。あなた、あちこちの女の子を惹き付ける魔性の魅力の持ち主だから、本当に心配だわ。ここに鎖でもつけて、互いの首を縛ってやりたくなるくらい心配だわ」

 

 ぞわわ、と優花里の背筋を悪寒が駆け上がった。

 思わず一歩退いてしまったが、恐らくその選択は正しいものだった。

 何故なら、いつの間にかカリエの背後にいたダージリンが、彼女の首にその白魚のような指を這わせていたから。

 

「あの、えと、ダージリンさん。オレンジペコさんのところに紅茶を受け取りに行ったのでは?」

 

 優花里がカリエさんもこんな顔をするんだ、と妙な関心を覚えるくらいには、カリエの顔は焦っていた。

 それはまさに、浮気現場を妻に押さえられた夫のような狼狽えぶりだった。

 

「あら、秋山さんじゃない。ご機嫌よう。まさかあなたたちがこの舞台に上がってくるとは、という驚きと、あなたが率いるチームだから当然、と納得している私がいて変な気持ちだわ。でも、その奮戦期待しているわね」

 

 カリエの台詞を無視して、ダージリンが優花里を見た。表情は極和やかで、親愛に溢れていたが、これ以上一歩踏み込めば無事では済まさないと、瞳が雄弁に語っていた。

 端的に言えばカリエに対する独占欲が剥き出しだった。

 

「え、えとお二人の関係はもしかして……」

 

 余り深入りすべきではない、と本能が告げていたが、それでも気になりすぎていたので、優花里は二人に問いかけてしまっていた。

 言ってから、しまったかな、と後悔したがもう遅い。

 けれども返ってきた反応は優花里を非難するものではなかった。

 ダージリンはあっけからんと言い放つ。

 

「結婚も考えたお付き合いをさせて頂いているわ。ねえ、カリエさん」

 

「まあ、うん。ダージリンさんが本当にそれでもいいのなら是非」

 

 微笑み合う二人を見て、優花里は開いた口が塞がらなくなった。まさか自身が尊敬して止まない二人の戦車乗り同士がそんな関係にあったなど、夢にも思わなかった。

 

「あら、やはり驚かれているのね。関係を打ち明けた全ての人が同じ反応だから、少し飽きてきたわ」

 

「表面上は同性愛の恋人だから仕方のない事かもしれないけれど」

 

「ふふ、やっぱりあなたの本当の姿を知っているのが私だけって言う事実がとても誇らしいわ」

 

「いや、エリカも知って……いてて、ごめんなさい、余計な事を言いました」

 

 ぐりぐりと、ダージリンの雪中用ブーツがしっかりとカリエの足を踏みしめていた。

 まさしく他の女の話題を嫌う女性の反応を見せるダージリンに、優花里は事の重要性を改めて認識する。

 

「まあ、この事についてはそのうち詳しく。とにかく優花里さんのことはしっかりと応援しているから。あ、あと雪中偵察の用意だけはしておいた方がいいかもしれない」

 

 ぐいぐいと、ダージリンに腕を引かれながらも、矢継ぎ早にそれだけをカリエが言い残して、嵐のように二人は去って行った。

 正直言って、まだ事態の全容を完全に把握したわけではない。

 むしろわからないことが多すぎて、優花里の思考は混乱の極地にあった。

 そんなわけだから、コーンスープとカイロを用意した沙織がやってくるまで、優花里はただ一人雪原の中に立ち尽くしていた。

 立ち尽くして、ダージリンの言葉に引っかかりを覚えている自分に気が付いた。

 

「……カリエさんの本当の姿って何なのでしょう?」

 

 おそらくこの時、もう少しばかりダージリンが嫉妬心を見せなければ、優花里とカリエ、二人の物語は違う結末を迎えていた。

 けれども運命の女神は浮気者。

 

 彼女は未来の勝者に、この時から微笑んでいたのだ。

 

 

02/

 

 

 試合が始まった。

 パブリックビューイングの大型液晶の前で、カリエとダージリンは二人してその様子を観戦している。

 

「あら、エリカさん達は来られないのかしら?」

 

 自分たちと共に、準決勝観覧に訪れていた筈のエリカやみほの姿をダージリンは探す。

 周囲には一般の観客の姿が見られるものの、黒森峰の制服を着た二人の姿が見受けられなかったからだ。

 カリエはそんなダージリンの疑問に答えた。

 

「……二人は野外観戦塔で、フィールド備え付けの監視塔で見てるよ。何でもみほのお母さんも観戦に来ていて、特別に同行を許可されてるみたい」

 

「あら、カリエさんはそちらに向かわなくて良かったの?」

 

 気を遣わせてしまったかと、ダージリンは困り顔でカリエに問いかけた。

 けれどもカリエは「そんなことないよ」とダージリンが差し出してきた紅茶に口をつけていた。

 

「ダージリンさんとこうして肩を並べて観戦するのも、私の夢だったから。だから今幸せなんだ」

 

 さらりとそんなことを言ってのけるカリエに対して、ダージリンは「やっぱり天性の垂らしね」と頬を膨らませた。

 膨らませて、そのまま自身の頭をカリエの肩に預けた。

 

「……大洗の隊長、私と練習試合を行ったときよりも遙かに強くなっていたわ。あなたはあの才能をいつ見抜いていたの?」

 

 試合開始の空砲と併せて、前進を開始する大洗の姿を見ながら、ダージリンはそんなことを零した。

 カリエはダージリンの絹のような金髪を撫でながら答える。

 

「去年の12月から片鱗はあったよ。たまにいるんだ、私たちの長年の努力なんて全部置き去りにして、一気に駆け上がっていく化け物が。戦車道は元々、個人の技量の差が現れにくい競技だったから、尚更かもしれない」

 

 カリエの言うとおり、戦車道は究極のチーム戦である。参加している車両一つ一つが、既に複数人からなる個の集合体であり、そんな戦車が十両も集まれば、参加しているメンバーの人数は莫大なものとなる。

 古今東西、これだけの人数が一度に一つの試合に参加する競技など中々ない。

 だからこそ、チーム全体の結束力が物を言う競技であり、如何なる強豪校でも不和を抱えたままでは勝ち進むことが難しい。

 黒森峰に置いても、結束力の向上は常に最大の課題だとされており、頻繁な泊まり込み訓練を以て、それらの改善に宛てられていた。

 カリエはさらに続ける。

 

「あんな風にチーム全体を鼓舞して、正確に状況判断し、相手の戦力の知識に長け、皆に有無を言わせない説得力のある命令を下せる人間が一人いるだけで、どんな高校でも恐るべき存在になるんだよ。……そういうところが野球に似ているから、ここまで私も続けてこれたのかも」

 

 どういうこと? とダージリンはカリエに問いかける。彼女は余り野球に詳しくなかった。

 カリエは「ええとね」と必死にかいつまんで説明した。

 

「野球は士気のスポーツなんだ。どれだけ戦力を揃えて、どれだけ他のチームを出し抜いても、監督が慕われていなかったり、チームの和を乱す選手が一人でもいると、あっという間に負けが込んでしまう。なんていったらいいのかな……、球場の雰囲気だったり、ベンチでの会話一つで勝てる試合も勝てなくなるんだよ」

 

 それはカリエの実体験に基づいた言葉だった。さすがに前世の記憶までは伝えなかったが、カリエなりの今世の教訓としている言葉をダージリンに伝えた。

 

 自身が怯えてしまったから、

 怖じ気付いてしまったから引き寄せてしまった苦渋の敗北。

 出来ればあの後悔を、隣に寄り添ってくれる大事な人に伝えたかった。

 

 そして、カリエにとって幸いと言うべきか、ダージリンもその聡明さ故に、彼女の言わんとしているところを何となく理解していた。

 彼女は小さく微笑みを零して、カリエの腕に自身の額を擦りつけて口を開く。

 

「――確かにカリエさんの言う通りね。私たちも、あなたの無限大に膨れ上がった欲望という名の士気に負けてしまったもの」

 

 ぶっ、と口に含んでいた紅茶を吹いた。そんなカリエをからかうように、ダージリンは「あらあら、お行儀が悪いわよ」と手にしていたハンカチで口周りを拭ってやっていた。

 相変わらず自分よりも一歩、二歩上手の彼女にカリエは苦笑が漏れた。

 

「……ひょっとして割と根に持ってます?」

 

 カリエの言葉に飄々とダージリンは答える。

 

「あら、根に持つわけないわ。ただその甘美な瞬間を忘れないように、心に刻んでいるだけよ」

 

 澄まし顔でトンでもないことを告げるのはどちらだ、とカリエは思った。けれどもそこで口にしない当たり、ダージリンのことを誰よりも理解していると言える。

 

「ところで、カリエさん。あなたは士気によって戦車道の試合結果が左右されるとおっしゃったわよね」

 

 すっと、ダージリンの瞳が鋭くなっていることにカリエは気がついた。自分をからかっていた時とは明確に違う、グロリアーナの女王としての彼女の目線だ。

 

「実は私、ついこの間プラウダにお邪魔していたのよ。カチューシャとの個人的な親交を深めるためにね。そこで私は何を見たと思う?」

 

 カリエは思考した。ダージリンの思惑を読みとるように、その瞳を真っ向から受け止めた。そしてややあってから一つの結論を導き出す。

 

「……もしかしてプラウダは私たち黒森峰打倒の為、かなりやる気に満ち溢れているんじゃないですか」

 

 ダージリンはすぐに答えなかった。

 手元のカップの紅茶を一口含み、パブリックビューイングの液晶に目線を送ってから、こう答えた。

 

「正解よ。カリエさん。プラウダの士気は過去たぐいまれないくらい高いものだったわ。そんなプラウダに今一番勢いのある学校がぶつかる――これほど楽しい試合なんてなかなかなくてよ」

 

 

03/

 

 

 秋山優花里はこれまで、常に相手の裏をかき続ける指揮を執り続けてきていた。

 逸見カリエに習って、対戦相手のことを徹底的にマークし、その弱点を突く戦術に終始していた。実際それは結果にも現れていたし、自身の戦車道に対する戦術の指針として正しいように思われていた。

 今はまがい物の劣化コピーでも、いつかはその頂に指先くらい引っかかることを夢見て頑張ってきていた。

 けれども彼女は失念していた。

 自分たちの勝利が、逸見カリエの戦車道の餌食になっていないチームを相手にしていたという、幸運の上に成り立っていたという事実を忘れていた。

 唯一サンダースが交戦の経験を持っていたが、準決勝以上の本格的な戦車戦ではない。アンツィオはそもそもそんな経験がなかった。

 だが此度は違う。

 此度の相手は、逸見カリエの戦車道の牙を、一身に受け止め苦渋と辛酸を舐めさせられたプラウダだった。

 カリエ個人の立てた作戦に敗北したことを自負し、戒めとしているプラウダだった。

 カチューシャは試合開始前から気がついていた。

 自分たちに挑戦しようとしている新設の無名校がただの弱小校ではないことに。

 彼女たちは、小さいながらもカリエと同じ牙を持っていることに。

 カチューシャは愚か者ではない。

 むしろ高校戦車道界きっての切れ者といっても過言ではない。やや傲慢なところが散見されることはあっても、自身を律する理性を失うほどではない。

 だからカチューシャは全力で大洗を叩き潰すことにした。決勝で待ち受ける王者に対する宣戦布告として、そして前哨戦として大洗を打ち砕くことに決めた。

 黒森峰対策として練った策は全て弄した。

 去年のカリエのように、わざとやられたフリをして、大洗を雪原の窪地に誘い込んだ。

 もともと正面火力で叩き潰してやろうと考えていた自分を捨て、搦め手で大洗を翻弄した。

 血反吐を吐くレベルで乗員たちに徹底させた、包囲殲滅陣を短期間で築き上げた。

 観戦するカリエとダージリンが息を呑むような鮮やかさで、大洗の戦車たちを教会の廃墟に閉じこめた。

 試合開始からわずか三十分弱。

 プラウダ高校の勝利がほぼ確定的なものになっていた。

 

 

04/

 

 

 荒い息を吐きながら、カチューシャは全車に停止を命じていた。眼前にそびえ立つ教会を忌々しく見つめながら、隣に控えるノンナに声を掛けた。

 

「……これが、カチューシャが一年掛けて築き上げた新しいプラウダよ」

 

 ただその言葉はノンナだけに手向けたものではなかった。どこかで見ているであろう、昨年の仇敵に向けたものでもあった。

 

「はい。その素晴らしさ、偉大さはよく存じ上げています」

 

 ノンナの言葉は決してお世辞ではなかった。言葉数は少ないものの、彼女が贈りうる心からの賛辞だった。

 カチューシャもそれを理解しているのか、汗に塗れた頬を拭いながら、全車に対する命令を下す。

 

「ここで(とど)めを指しても構わないけれど、それじゃあまだまだ黒森峰に対する備えを完璧にしたとは言えないわ。これから敢えてあちらの陣営を挑発。我々に突撃するようにし向けなさい。黒森峰はここまで追いつめても圧倒的な装甲火力と練度で包囲を食い破ってくるわ。これからはその練習だと思って、試合に臨みなさい」

 

 万全に万全を喫しなければ、自分たちには栄光が訪れないとカチューシャは考えていた。この準決勝を以て、自分たちのチームが完成すると本気で考えていた。

 だからこそ、あらゆる事態を想定するために、大洗をとことん利用し尽くす。

 

「わかりました。ですが挑発はどのようにすれば?」

 

「……降伏の使者を送るのよ。あちらが絶対に飲み込めないような屈辱的な条件でね。時間はそうね……一時間、いえ、そういえば向こうの砲撃で何両かダメージを負っていたわね。それに、あちらの車両もある程度動けるようにならないと意味がないわ。三時間でどうかしら?」

 

 カチューシャの提案にノンナは頷く。

 

「良いと思います。ですが向こうの偵察がこちらの陣容を把握するだけの時間も同時に与えてしまっていますが、こちらの対策はどうされますか?」

 

 ノンナの懸念にカチューシャは首を横に振った。

 

「むしろ偵察をさせなさい。私たちの陣容を掴んで貰わなければ、全く見当違いの方向に突撃される可能性もあるわ。対黒森峰を想定した訓練である以上、余計な動きをされても困るもの」

 

 やはりこの方はプラウダに栄光をもたらす方だと、ノンナは感極まっていた。たとえ無名の弱小校相手でも、次の戦いの礎にするその器量に感服していた。

 

「……悪いけど、その間の指揮をノンナに委譲するわ。ちょっと休ませてもらうわね。やっぱりカリーシャの真似は負担が大きすぎるわ。あの子、毎試合毎試合、こんな感じで戦術を立てているのだとしたらタフすぎるわよ」

 

 ただ、代償ももちろんあった。

 もともと体力的には優れているとは言えないカチューシャだ。カリエのように、常に戦況を把握して、指示の全てを、それこそ細かすぎるくらいに全車両へ伝達するという荒技は彼女の小さな体躯にはオーバーワークすぎた。

 堪え切れぬ疲労感と、張りつめた精神力からくる気疲れを感じて、カチューシャは休息を取ることを選択した。

 100パーセントのコンディションで指揮をすることが出来なければ、対黒森峰の総決算として試合をまとめ上げることが出来ないからだ。

 ノンナもそんな指揮官の事情を心得ているのか、柔らかな笑みでカチューシャの願いを受け入れた。

 すぐに野外用のベッドの用意を隊員たちに指示し、自身はTー34から降車するカチューシャを静かに抱き上げた。

 そして既に睡魔に身を任せ始めているカチューシャを抱いたまま、待機していた他の隊員に大洗への使者を勤めるよう告げた。

 

 このような経緯とプラウダの思惑があったことによって、大洗女子学園にはおよそ三時間の猶予が与えられたのだった。

 

 彼女たち大洗にとって、本大会最大の試練となり得る三時間の始まりだった。


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