ガールズ&パンツァー 短編集   作:司馬英司

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お姉ちゃんのアンツィオです! 〜その一〜

静岡県太平洋上 西住まほ 九月十日 AM11:30

 

拝啓 お姉ちゃんへ

 

お姉ちゃん、元気にしていますか。みほです。みほと大洗のみんなは元気です。戦車たちも多分元気です。

 

夏休みも終わって、暑い夏も終わりに差し掛かってきましたね。今ではあんなにたくましく鳴いていた蝉の声もすっかり聴こえなくなって、私はなんだか寂しいです。涼しくなるのは戦車乗りにとって良いことなのにね。

 

そういえば、ついこの前武部沙織さんが壊れてもいないのにメガネを新しくしたんだよ、虎柄のすっごい派手派手しいやつ。なんでも『ねぇねぇ、みぽりん! 今時の男の子は地味な娘には食いつかないんだって! だからこれ買っちゃった! 私、大洗一のモテ女になっちゃうかも!』だって。何だか笑っちゃった。おかしいよね、大洗女子学園はその名のとおり女子しかいないのにね。

 

 

あ、そうだ。

 

 

ついついうっかりして書き忘れちゃったけど、夏休みの時は本当にありがとう! あ、いきなり言われてなんのこっちゃかもしれないけど、ほら大学選抜チームとの対抗試合! もう何回言ったかもわからないし、愛里寿ちゃんと仲良くなったから結果オーライなんだけど……みほが言い足りないから何度でも言います!

 

 

お姉ちゃん。ありがとうね!

 

 

追記:ちなみにメールじゃなくて手紙なのは、お姉ちゃんが機械オンチだからです! いきなりでびっくりした? 心こもってたかな?

 

再追記:そうだ、お姉ちゃんテスト大丈夫!? 私は、やばそうです! なぜなら、戦車道ばかりで全然勉強してないから! だけどお姉ちゃんは大丈夫だよね? だって、小さい頃から勉強家だから。

 

再々追記:どうしようお姉ちゃん! 私、黒森峰に行くことになっちゃった! なんでも、今度の交流試合で隊長を交換して試合するんだって。お姉ちゃんもだよね? お姉ちゃんなら大丈夫……だよね? 私は、ちょっと心配です。

 

 

 

「ふふ……みほのやつ。相変わらず、慌てんぼうだな」

ボコられクマの便箋が同封された手紙を片手に、まほは独りごちた。何度目かも分からない

 

アンツィオへと向かう洋上の上、波に揺れる船がぎこちなく揺れている。世界に取り残されたのが、鳥の鳴き声と静かな波音だけかと錯覚するような、平穏と静寂に包まれた白昼夢だった。

 

まほは、陽光が降り注ぐ蒼穹を仰いで、独り思いを馳せる。

 

戦車道のこと。黒森峰のこと。母のこと。妹のこと。夏休みのこと――

 

「いっそこのまま、何処かに逃げてしまおうか……」

 

無意識に出た言葉が、自分の耳を打った。走馬灯のように巡り巡った逡巡が導き出した本音に、まほは狐につままれたような顔をする。

 

それは、彼女にとって――西住流にとって、禁忌の感情だった。逃走など、取るに足らぬ敗残者の行動だ。ましてや、戦車道と心根を共にする者が軽々しく口に出して良いものではない。

 

まほは自身を戒め、手摺へと乗り出して海面を見つめる。表情のない西住まほが、合わせ鏡のように彼女を覗き込んでいる。さっきの感情の答えは、出そうになかった。

 

――何故だろう。おそらく、『西住家の西住まほ』ではなく、『姉としての西住まほ』に戻っていたからだろうか。もしくは、妹の戦車道に私の戦車道が感化された……? いや、そんなことはどうでもいいか。

 

汐風が全身を凪ぐ無人の甲板上、誰に聞こえるわけでもなくその独り言は大海に霧散した。水平線の向こうに学園艦の影が見える、あらゆるしがらみから開放された心地よい昼時は、長くは続きそうにない。

 

「…………」

 

表情を、不器用な微笑ら従来の鉄面皮に引き戻し、まほは、妹からの封筒に同伴されていた一枚の写真を見据えた。

 

「お母様が――西住流家元がこれを見たら、何と言うだろうか」

 

写真。そこに写っているのはあの日、大学選抜チーム対抗戦で勝利を勝ち取った在りし日の少女たちだ。勝利の余韻ではなく、彼女の頑なな語彙では表現しがたい温かさが、それには詰まっていた。

 

――笑顔。みんなが笑顔で写っている。

 

大学選抜チームが、大洗が、聖グロが、黒森峰が――あの日あの場所に参集したすべての人間が、敵味方の区別なく互いに笑い合っている。後悔も絶望も悔しさも砲弾と一緒に打ち切ってしまったような、そんな清々しい一枚。

 

あまり感情を表に出さない西住まほも、写真の中央部で妹と微笑んでいる。その笑顔は、知らない笑顔だった。黒森峰も、母も、自分ですら知らない妹だけへの笑顔だ。

 

そして、敵と……それも敗者と戯れることを良しとしている西住流が、写っている。

 

「…………だが、私は西住流だ」

 

西住流に、負けは許されない。勝利を勝ち取るためならば一部の犠牲を容認し、戦車道に恥じないいかなる手段を用いてでも敵を叩き潰す。

 

――撃てば必中、護りは硬く、進む姿は乱れなし。

 

それこそが、西住まほが在ろうとした西住流の真髄。しかし、鋼鉄の掟にこのような日和きった思い出は必要なのだろうか。

 

毒気じみた一抹の迷いが、彼女の脳裏を駆け巡った。

 

まほは、写真を持った手を船の外へ延ばし、目を瞑る。風も、波音も、甘い思い出すら意識の埒外に置いて鉄のような無心へも心を転換させた。

 

なに、話は簡単だ。指先から伝わる紙の感触を脳内から押し出し、ただ一瞬西住流の自分に戻ればいい。何も起こらなかった、何も見なかった。ただただ鉄を貫き単純明快になればいい。

 

――海上を一陣の風が駆け抜け、まほの髪を揺らした。その突風は、まるで一時の迷いを静止するようにまほを優しく包み込んだ。妹の、声を聞いた気がした。

 

「やーやー、外はカモメが鳴いてて気持ちいいねぇー。空も青いし風も心地良い。絶好のパスタ日和だと思わないか?」

 

まほは、平静を装って素早い所作で写真を懐に収めた。

 

声のした方を無表情で見やると、ツインテール姿の少女が陽気に近寄ってきていた。学園艦に渡航するため、わざわざ清水港から船を手配してくれた案内人――黒マントと白タイツが特徴の制服、アンツィオ高校の戦車道総統『アンチョビ』その人だ。

 

「知らないのか、にゃあにゃあ鳴くのはウミネコだ」

 

挨拶がわりのそんな一言。勿論のこと他意は無いが、何故だかアンチョビは口を開けてたじろぐ。

 

「うっ……! って、そんなことはどうでもいいだろ! おまえ、私のパスタをご馳走してやるっていうのにこんな所で独りで黄昏て! 黒森峰は強いだけでノリと勢いがないのか! ふん!」

 

拗ねたように馴れ馴れしく吐き捨てるアンチョビに、まほはじっと彼女を見つめる。すると、謎のオーラに気圧されたのか、アンチョビは「うぐっ」と息を詰まらせた。

「…………」

 

「な、なんだ。怖い目で何か言いたそうに……まるで固ゆで卵みたいなやつだな! 言っとくけど『にゅるんべるくのまいすたーじんがー』は作れないからな!? パスタかピッツァ以外はNG! それがアンツィオの流儀!」

 

あくまでも、アンチョビは食の話から離れようとしない。いや、当人は食の話をしているつもりだ。

 

「……………………」

 

「だ、だから何か私が悪いこと言ったか!?」

「いや、私はあまり油ものが好かなくてな。パスタとピッツァだけと言われて少々げんなりしてきたところだった。もっとこう、栄養が偏っていないヘルシーなものはアンツィオにはないのか?」

「溜めといてその台詞か!? それにほら、一時のノリを本気にするなよ! それとアンツィオ馬鹿にすんな!」

「ああ、それとお前は間違っているぞ」

「何を!?」

「『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は食べ物じゃなくて楽劇だ。食い意地の張ったやつめ」

「あーあー! 恥じの上塗りはやめてくれー!」

 

閑話休題。独りでに墓穴を掘ったアンチョビが冷静を取り戻すまで、おおよそ一分半の時が過ぎた。

 

「……こほん。それで本題に入るわけだが――」

「なんだ、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でも奢ってくれるのか」

「もうその話はいいからさ!?」

 

両手を振り上げて取り乱すアンチョビの姿を、彼女は生粋のからかわれ役なのだとまほは確信した。

 

「あー、気が削がれたなぁ。……ま、いいや! で、これの話なんだけど」

「…………」

三秒で気を取り直したアンチョビが取り出したのは、日本戦車道連盟の印が押された一枚の公文書だった。まほの母校である黒森峰に届いたものと同一の書類――戦車道全国大会のベスト4校の隊長格を交換し、二週間後に交流試合を行うという奇妙なプランだ。

だが、アンチョヒは別段この企図に対して語らおうとこの書類を見せたわけではない。彼女の意図は、書類上にあるもっと別の大いなる矛盾に対してだ。

 

「いやさ、知っての通りウチは全国大会二回戦で大洗にコテンパンにやられちゃってるんだよね。ベスト4も夢のまた夢、ベスト8! アンツィオは決して弱くな……強かったはずだがノリと勢いが足りなか……いやそんなことはどうでもよくてだな!」

アンチョビの言わんとすることを、まほは瞬時に悟り述べる。

 

「言いたいことは解る。何故、この私黒森峰高の『西住まほ』がベスト8のアンツィオと交換することになったのか。……いや、そもそも何故、それほど強くないアンツィオ高校が四校で繰り広げられるはずの交流試合に特別優待で混ぜられているか――だろう?」

 

彼女が感じていたかねてからの疑問。それを理路整然と告げると、アンチョビは得心がいったように破顔して頷いた。屈託ない満面の笑みだった。

 

「そう、それだよそれ! ペバロニなら多分答えられなかったぞ!

あいつの頭の半分はパスタでできているからな! 寝ても覚めてもパスタ、パスタ! まぁ、それが我がアンツィオの気風なんだけどな!」

「…………」

 

話を進めてもいいか、といった無言の視線を送るまほ。

イタリアの血脈を含む学校柄だろうか……アンチョビは明朗快活していて実際好感を持てる性格なのだが、たまに自覚あってか無いのか話を脱線させるのが欠点だと思うまほだった。

それと同時に、アンチョビと語らいあっていると自分がどれだけせっかちで杓子定規な堅物か自覚させられる。

 

話には、要点と結論を。物事には、常に最適解を。

 

西住しほとアンチョビ――彼女らの個性こそ相反してはいるが、だからこそ、この両者にしか感じ取れない一種のシンパシーがあるのかしれない。それは、おそらく互いに自覚ならざる問題だが……。

 

波のせせらぎに合わせて、話は続く。

 

「……先に言っておくが、私は何も知らない。確かに今回の珍試合を企画したのは他ならぬ高校戦車道を束ねるお母様だが、何度話しても秘めた意図は話してくださらなかった。黒森峰を去り際に一言意味深なのを言い残しただけだったよ。『あなたが信じる戦車道を貫いてきなさい』……と」

 

まほが淀みなくそう述べると、アンチョビは腕を組んで「ふーん」と唸りながら暢気に欠伸をしだした。人に喋らせておきながら何がしたいのか理解し難い奴だなと、まほは鉄面皮の奥で囁いた。

 

しかし、それがアンチョビ特有の人徳というやつだろう。思えば、他愛のない会話というのは古今東西の薬に勝る万能薬だ。ふと気付けば先程の剣呑な感情も消え去っている。不思議なものだ。

 

案外、まほとの会話を欲しただけで、此度の題題などはどうでもよかったのかもしれない。まほとて、よくよく考えてみればそうだ。互いに、目先の問題に取り組むしかないのだ。いつだってそうだ。

 

そんなことをあれこれ脳内で巡らせているうちに、船の汽笛が鳴った。入港の合図だ。

 

いつの間にか目と鼻の先まで迫った山ほどの船を前に、アンチョビは客人を招き入れるようにまほの肩を叩いて言った。

 

「やれやれ、そうこうしてるうちにようこそ、ノリとパスタの国アンツィオへ――だな! さぁ、西住まほ新総統、アンツィオ戦車道の再建を期待しているぞ! 次に会う時は、敵同士だ!」

荷物が入ったスーツケースを点検しながら、まほは怪訝そうな表情でアンチョビを見やる。明朗快活な激励に、一抹の翳りが含まれているのを彼女の慧眼は見逃さなかった。

 

「安心しろ。どのようなチームであろうと、西住流が率いる限り負けは無い。アンチョビこそ、聖グロリアーナではノリと勢いだけで突っ走るんじゃないぞ。あそこは何よりも優雅と格式を重んじるからな」

 

それはまほなりに気を利かせた警告のはずだった。アンチョビと聖グロリアーナ――まるで紅茶とトマトソースを彷彿とさせる両者の相性をよくよく鑑みてのセリフだったはずが、アンチョビはどこか激励めいたものと勘違いしたようだ。

 

彼女は親指を立ててこう言った。

 

「ああ、任せろ! 聖グロリアーナでもノリと勢い――それと一杯の紅茶で突っ走ってやる!」

 

「…………」

 

――全然、全く何も解っていないじゃないか。

 

まほは心の中でそう呟いた。


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