――八月某日、快晴。
第十四回ガンプラバトル選手権世界大会の幕開けを三日後に控え、国内はまるでガンダムファン達の熱気を形にしたかのように、全国的な日本晴れを迎えていた。
「ふんふんふーん♪
ピーカンの空に超カックイーデス様!
YES! 本日は絶好のガンプラ日和デース」
右手に段ボール、左手には新聞紙。
ご機嫌なオリジナル鼻歌ソングを披露しながら、暁切歌がベランダへと飛び出す。
眩いばかりのハイテンション少女を遠目に、室内の翼が苦笑を洩らす。
「随分とご機嫌なようだが、ガンプラを作るのに空模様が関係あるのか?」
「モチのロンデス!
袖の無いビルダーは天気予報くらいチェックしとけって師匠が言ってました」
「プラモ作りと言う趣味一つのために、屋内に塗装ブースを確保するのは大変ですから……」
リュックサックからコンプレッサーを取り出しながら、月読調が切ちゃんの台詞を補足する。
「換気や消臭、後片付けの手間を考えるなら、いっそ屋外で塗装した方が合理的。
けれど塗料は湿気を嫌う。
雨天に塗装に強行すれば、乾燥に時間がかるのみならず、塗膜のムラや白化の原因になります」
「成程。
暁はあれで、別段ピーカン晴れに浮かれているだけではないのだな」
調の言葉に素直に相槌を打ちつつ、翼が手にした竹串へと視線を戻す。
おでん作り、ではない。
防人は料理などしない。
おでんダネの代わりに防人の手に運ばれていくのは、洗浄、乾燥を終え、今や細やかなパーツ単位に再分解されたフェニーチェであった。
「ベランダの養生、オッケーデス」
「ああ、こちらも今、準備が出来た」
切歌の言葉に頷いて、パーツを取り付けた竹串の剣山をベランダに運ぶ。
軍手にマスクを身に着け、よし、と一つ気合いを入れる。
「さて、塗装のやり方にもイロハと言うのはあるのだろうか?」
「ええ、本塗装に入る前に、まずはサフですね」
「さふ?」
きょとん、と首を傾げた翼の眼前に、調がグレーの液体が入った小瓶を取り出す。
「サーフェイサー。
成型色を統一して塗料の発色を良くすると同時に、塗膜の食い付きを向上させ、パーツの細やかな傷を見つけやすくします。
本塗装に入る前の、いわば下地作りです」
「下塗り、か。
塗装一つとっても手間のかかるものなのだな」
「塗装の仕方に正解はないので、一概にサフを吹くのがベストとも言えないんですが。
翼さんのフェニーチェの場合、大胆にカラーリングを変える事になるので、まずはオーソドックスな手順を踏むのが良いかと思います」
「黒みたいな強い色は、重ね塗りでも中々隠しきれないんデス。
デスサイズのイメージチェンジにも、サフは必需品なんデスよ!」
ひょこりと、会話に割り込んできた切歌が、真夏の晴天に似合わぬ真黒な機体をかざす
「けど、切ちゃん。
切ちゃんのデスサイズを、
「あぅ、ガ、ガンプラは自由なんデス!
ライムグリーンとパールホワイトのツートンなデス様がいたっておかしくないはずデス」
「……じ~」
「ないデスか、さいデスか」
素組みのガンプラ片手に大袈裟に肩を落とす切歌の姿に、翼の口から微笑が漏れる。
「所詮ガンプラを知って日も浅いこの身、是非もなし。
今はこの道の先輩たる月読の薦めに従うとしよう」
「良かった。
それじゃあまずは、手前のパーツから……」
カラーリング道の先輩、月読調のレクチャーを受けながら、竹串の一本を手に取り、鈍色のガンを向ける。
たちまちフシュッ、とエアが噴き出し、細やかなグレーの粒子が、深い緑の胸甲の上に乗る。
「そう、ノズルはあまり近付けすぎないで。
一回の吹き付けで無理に塗り切る必要はありません」
――フシュ、フシュ、フシュ。
快晴の青空に、逞しい蝉の声とコンプレッサーの音が響く。
竹串を取り替え、吹き付け、染め上げる。
こつこつ、黙々と、盛夏の暑さも顧みず、地道な作業が淡々と続く。
「……これで、サーフェイサーとやらも終了か?」
「はい、お疲れさまです。
この後は、パーツを色ごとに選り分けて、マスキングを進めていきます。
このまま乾燥を待つ間に、エアブラシの洗浄をしておきますね」
「あったかいもの、じゃなくて、冷たい物をどうぞデス。
日本の夏は侮っちゃダメだってマムも言ってました」
「ええ、ありがとう」
受け取ったスポーツドリンクを口元に運びつつ、翼がちらりとパーツの山に目を向ける。
あの鮮やかなトリコローレは、もはやそこには無い。
ツインアイを取り外されたグレーの頭部が、じっ、と乙女を見つめている。
「当たり前の話なのだが、元の機体のカラーは、本当に塗り潰されてしまうのだな。
寂しい、と言うよりも、何だか恐ろしい事をしているような気がするわ」
「塗装作業と言うのは、一端の商品として完成されていた代物をやり変える工程ですから。
初めての時は、誰だって今の翼さんのように、不安を覚えるものだと思います」
「けれど、失敗を恐れているだけではビルダーとしての成長はないんデス!
あのリカルド・フェリーニだって、最初はきっと恐怖を克服して、愛機ウィングを己の色に染め直したんデス」
「そうか、良い事を言うな、暁は」
「すごいよ切ちゃん。
素組みのデスサイズを握り締めながら言っているとは到底思えないくらいカッコいい台詞だ」
「うぅ、それは言わない約束デス……」
ぶんぶんと頭を振って、誤魔化すように切歌が声を張り上げる。
「そ、それで翼さん、ここからフェニーチェはどんな風に仕上げるんデスか?」
「どのように、と言われても……。
皆の薦めるように、青系統を基調にまとめようと思うのだが?」
「一慨に青と言っても、パーツの塗り分けや仕上げ次第で、ガンプラはいくらでも姿を変えます。
特にエアブラシがあれば、単純なスプレー吹きよりも細やかな調色が楽しめますし」
言いながら、調がいそいそと小瓶の入ったボックスを開ける。
「例えば、このシルバーをベースとして、上からクリアブルーを重ねたならば……」
「ギンギラギンにさりげなく! メタリックカラーの完成デース」
「塗装の仕上げ一つとっても、プラフスキー粒子は解釈を変え、機体に様々な特性を付与します。
ガンプラの世界は本当に奥が深い」
「ふむ、月読はすごいな、まるでガンプラ博士だ」
と、珍妙な防人の世辞を受け、月読調が気恥ずかし気に俯く。
「別に、これくらいは普通です」
「ふふ。
普通一般の女子高生は、エアブラシなどと気の利いた物は持ち合わせていないと思うのだが?」
「……ザンスカール帝国を愛する女子高生なら、普通です」
珍しくもからかうような翼の言葉を、調はそう言い換えて、どこか寂しげに笑った。
「ガンプラの世界は日進月歩です。
アニメのイメージそのままに塗り分けられたパーツに、抜群のプロポーション。
驚くほど広い稼働域と、素組みでも目立たぬように配された合わせ目。
最近のキットは出来が良くて、二十年前のコンティオではどうしても見劣りしてしまうから」
「そうか、周りの機体に合わせるならば、塗装や改造はどうしても必須。
必要に求められて身に着いた技術と言う事か。
趣味嗜好というは、どうにも難儀なものね……」
「ええ、けれどだからこそ私は、ガンプラのポテンシャルを知る事が出来た」
そして調はリュックサックの奥から、一体のガンプラを取り出した。
甲虫であった。
他の一般的なMSよりも一回りは大きく、ザンスカール特有の猫目が獲物を捉える。
人目を惹く鮮やかなヴァイオレットの装甲に、そそり立つカブト虫の大角が逞しさに漲る。
「HG『アビゴルバイン』
ガンダムフェニーチェと同様に、プロのビルダーが製作した機体のレプリカです」
「う、む。
何と言うか、随分と独創的で力強い機体ね」
「原形機のイメージを崩す事無く、実戦レベルにまで引き上げられたボディバランス。
パワーと火力、加えて機動力と重装甲を高い次元で兼ね揃えたトータルファイター。
しかもこの機体は、ただ強いだけじゃない。
小さじ一杯分の遊び心の中に、富野アニメへの深い敬意と情愛が見え隠れする。
これこそが聖戦士、もといプロの仕業。
まさしく愛の成せる技です」
「愛!? ここで愛なんデスか!」
「そうだよ切ちゃん、これこそが愛だよ」
力強く断言した調の姿に、ふっ、と翼の口から微笑が漏れる。
(エルフナインと買い物した時も思ったものだが、ガンプラへの愛着は千差万別。
月読も暁も、それぞれに侵されざる独自の世界を持っている)
ならば、自分の場合はどうか、ふと思う。
一目ぼれにも近い形で引き寄せられた片翼のウィング。
これからの塗装で、あの機体には、どのような想いを吹き込むべきなのか……?
「……そう言えば、マリアの方はどうしているのだ?」
ふと、思い出したように翼が顔を上げた。
「二人とも、私の事を手伝ってくれるのは大いに有難いのだが、
同じイベントに参加するマリアだって、今は大変な時期では無いのか?」
風鳴翼の当然の疑問に対し、二人は互いに困ったように顔を見合わせる。
「あ~、えっと、マリアはあれですっごい凝り性デスから。
大事な所は自分でやるんだ、って、機体に触らせてもくれないんデス」
「こっちは自力で何とかするから、代わりに翼さんの様子を見て来てくれって」
「なるほど、らしいと言うか、妙に気を使ってくれるな」
ふと自室で一人追い込みをかけるマリアの姿を想像し、思わず呆れたような笑いがこぼれる。
「もっとも、トレーズ推しのアイツの事だからな。
どうせ本番で使うのは、トールギスか何かなのであろうが……」
「「 あ 」」
防人が地雷を踏んだ。
愛らしい笑顔のきりしらコンビが、たちまち萎れた花のようにしょんぼりした。
「ひ、酷い……、翼さん、今のはあんまりデス」
「え? そ、それはどう言う事?」
「マリア、本番ではこの機体で風鳴翼のド肝を抜いてやるんだって、凄い頑張ってたのに……」
「そ、そうか、何だかすまぬな」
迂闊な己の言葉に、戸惑いつつも謝罪をする。
なるほど、こんな調子ではいつまで経っても、可愛くない剣などと言われてしまうワケである。
「まあ、それはそれとして。
ところで翼さん、今日はエルフナインはお休みではないんデスか?」
ケロリと表情を一変させ、あっけらかんと切歌が尋ねる。
「うん、確かに彼女がいてくれれば、私たちの助太刀なんていらなかったと思うけど」
「エルフナインか……。
いや、彼女も社会人なのだから、あまりプライベートを詮索するのも悪いかと思ってな」
言われ、翼も思い出した。
昨日、エルフナインがイオリ模型店を出た際に手にしていた紙袋。
あの中身は、結局は何であったのか?
今頃は彼女もまた、どこかでガンプラの製作をしているのであろうか……?
ベランダからは、相変わらずけたたましい蝉の声が響いていた。
夏の風物詩、ガンプラバトル選手権の開催が真近に迫っていた。
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防人たちが、和気あいあいと塗装工程を進めているのと同じ頃。
話題の主、エルフナインは一人、薄暗い地下室の一角にあった。
『――Please set your Gunpla』
目の前に置かれた小型のGPベースからアナウンスが流れる。
少女の小さな手が、赤く輝くメタリックの装甲を掴む。
「エルフナイン、戦国アストレイ影打、行きます」
ガンプラビルダーの流儀に倣い、名乗りを上げる。
真紅の具足が一段輝き、厳つい面頬の裏で、青い目のサムライに力が宿る。
加速する鎧武者がベースを飛び出し、一直線に青く輝く電脳空間へと降り立つ。
戦国アストレイ。
風鳴翼のフェニーチェと同様、かつて第7回ガンプラバトル選手権において会場を沸かせた、往年の名機のレプリカである。
ファイターはニルス・ニールセン。
さながら戦国の鎧武者そのものの真紅の具足。
銃火器の類を一切帯同せず、太刀捌きと奇妙な体術のみで強敵たちを屠り去るその姿は、RGシステムを携えたイオリ・セイのスタービルドストライクと並び、粒子変容技術の先鞭として会場を大いに驚嘆させた。
『―― Practice mode』
短いアナウンス同時に、どたまに大仰なハイメガキャノンを拵えたハイモックが、前方のフィールド上へと降り立った。
「チャージカイシ! チャージカイシ!」
ハイモックからご機嫌なハロの声が響き渡り、同時に頭部のキャノンに白色の光が漲り始める。
「えっと、まずはビームの粒子帯をリサーチして、刀身の粒子と同調させる」
手製のマニュアル片手に、エルフナインが粒子の波形を慎重に調整していく。
菊一文字の刀身に塗られた粒子変容塗料から、徐々に薄緑の輝きが溢れ始める。
「チャージカンリョウ! ヤッテヤルゼ! ヤッテヤルゼ!」
「刀身を垂直に構え、正面からビームを……、わあっ!?」
やる気満々なハロの予告と同時に、極太のビームキャノンが発射された。
圧倒的なビームの奔流を堪えかね、たちまちアストレイが尻餅を突く。
しかし奔放な暴力の渦は、真紅の胸甲を掠めはすれど、破壊するには至らない。
装甲の前にかざされた刀身によって、ビームが縦に裂け、すり抜け、遥か後方に流れていく。
三秒、五秒、十秒……。
やがて光は潰え、ハイモックの頭部からぶすぶすと金属の灼ける匂いが立ち上り始めた。
「プラクティスシュウリョウ、ヤッテヤッタゼ! ヤッテヤッタゼ!」
どこまでも能天気なハロの声に合わせ、空間が解け、テーブルの上には乙女坐りのアストレイだけが残された。
「ふう」
一つ安堵の息を吐き、エルフナインが室内の照明を入れる。
「流石に昨今のプラモ技術の進歩は凄いです。
八年前の機体とは言え、真打の性能の七割がたまで再現出来ています」
テストの結果に確かな手応えを感じつつ、小さな手が役目を終えた機体を拾い上げる。
「第7回、ガンプラバトル選手権。
当時のニルス・ニールセン選手は、粒子変容の粋たる二本の太刀と、奥の手としての徒手空拳『粒子撥剄』を武器に、ガンプラバトルの世界に乗り込んだ。
一つの武器を盲信せず二の矢を用意する周到さは、日本刀が容易く折れる事を知っている武術家ならではと言えるでしょう」
一人呟き、しかし、すぐに軽く頭を振って顔を上げる。
「けれど、防人の剣は、例え神話に背いたとしても、折れず、曲がらずであるべきです」
そう断言し、手狭な地下室を見渡す。
未分類のまま並べられた幾つものバインダー。
覚書、ともつかぬほど雑多にまとめられた書類の山。
そして、狭い室内の片隅を占拠する、ちっぽけなGPベース。
超先史文明期の巫女・フィーネ……。
当時の特務災害対策機動二課所属、櫻井了子が収集していた資料の名残である。
かつてのルナ・アタックを生き延びた、特機部二の頭脳の置き土産であった。
傍らの机に置かれたレポートの一つを、そっと手に取る。
八年前のガンプラ・バトル選手権。
決勝戦の静岡会場を襲った『アリスタ暴走事件』の顛末。
アリスタと呼ばれる結晶体の暴走によって現実に溢れだした『ガンダム』の世界。
当時の関係者の一人であったニルス・ニールセン……、現在のニールセン・ラボ所長、ヤジマ・ニルス氏とアリスタ、新プラフスキー粒子の関係。
事件の中、忽然と姿を消してしまったPPSE社代表のマシタ。
同様に行方が知れていない、大会参加者のレイジ、そしてアイラ・ユルキアイネン。
レポートは超先史文明期の遺産や様々なブラック・アート、果ては錬金術との関連性に至るまで幾つもの仮説を交え、しかし何ら確証を得るものが無いままに途絶えてしまっていた。
「先任の櫻井女史が、プラフスキー粒子の解析に興味を持っていたとは聞いていましたが……。
この分だと、随分と本格的な利用を考えていたようですね」
ふっ、と呆れたような笑いがこぼれる。
後の歴史を鑑みれば、結局、これらの研究が日の目を見る事は無く、フィーネの興味は人とギアとの融合症例第一号、立花響の臨床実験へと向かう所となるのであった。
エルフナインは知っている。
現在のヤジマ・ニルスにあって、当時のフィーネに欠けていたもの。
「プラフスキー粒子は、ガンプラが大好きな子供たちのために与えられた奇跡ですから。
ガンプラを愛してもいない大人のために、真理の女神は微笑みませんよ」
にこりと一つ微笑んで、エルフナインはいそいそと、錬金はんだゴテの設置作業に入った。