「……うぐ……」
気付けば、研究所の冷たい床の上に転がっていた。
体中に走る痛みに耐えながら目を僅かに開くと、途中で切断され天井から垂れ下がったケーブルが見えた。
口の中には血の味が広がり、辺りには物が焼け焦げる臭いが漂っている。
薄れゆく意識の中、自分はここで死ぬのだろうかという考えが頭をもたげる。
助けは、来ない。
十月九日。
学園都市の独立記念日である今日は、その内部に限り祝日になるが、元より学校に通っていない暗部の面々にとっては平日とあまり変わりは無い。
しかしフレンダは、すこぶる上機嫌で手元の鍋をかき混ぜていた。
鍋の中身は鯖カレー。
最近新しくできた友人から教わったこのメニューを青ピに振舞うため、彼を朝から家に呼びつけ、自分は台所で腕を振るっているのである。
「なんやえらくええ匂いするなあ」
「でしょ?結局私もやればできるって訳よ」
「まあ味噌煮食べた時点でフレンダが料理上手いのは知っとったけどな」
「そんな嬉しいことを言ってくれる青ピには山盛りのご褒美だ」
「よっしゃ」
完成したカレーを炊きあがった米とともに皿に盛り付け、食卓に並べる。
心底旨そうに頬張る青ピを見ながら、フレンダは穏やかな笑みを浮かべていた。
壁掛け時計が指す時刻は十一時。
少々昼食には早いが、それはこの後二人で遊びに行く予定があるからだったりする。
つい最近敵との戦闘で手傷を負ったフレンダの完治祝いを兼ねて、第六学区の遊園地に二人で遊びに行くのである。
青ピに遅れて自らの作品を口に含むと、鯖のうまみとカレーの風味が絶妙なバランスで口に広がる。
我ながらよくできたものだが、友人作のものに比べて何か足りない気がする。
また今度会って聞いてみようかなどと考えていると、早くも完食した青ピが皿を置いた。
「ふはー、ごっそさん。えらい旨かったわ」
「お粗末様。お代わりまだあるよ」
「あかん……人生初の彼女が最高すぎてもう泣きそうや……てか泣く……」
正真正銘恋人として青ピと一緒にいるようになってから、フレンダはなぜ自分は青ピの隣にいたいと思うのか、なんとなく分かってきた。
楽なのだ。
元から裏表の無い性格であるフレンダは、意図的に騙す場合を除き人の前で本心を隠すことはほぼ無い。
そういう意味では常に自然体だと言えるのだが、一方で彼女の胸中では常に、自分は暗部の人間で、人殺しなのだという意識が幅を利かせている。
その意識は、同じ暗部の人間といる時にはもちろん存在するが、暗部と無関係な友人を前にすると、より強くなる。
しかし、青ピの前では消えるのだ。
彼にだけは自分の口からその事実を打ち明け、そして面と向かって受け入れてもらえたから。
フレンダなりにそう結論付けたが、とにかく彼の前では、自分は人殺しだという意識が薄れ、どこにでもいる普通の少女でいられるのである。
別に彼女は、人を殺す仕事に罪悪感を感じていない。
ただ、自分の力を最大限に活かし、最も楽に生きることができる道を選んでいるに過ぎない。
しかし、この能天気に笑う青髪の恋人の隣にいると、形容し難い心の重しのようなものが取り除かれるのを感じるのだ。
結局泣きながら二回ほどお代わりし、今はお腹をさすりながら一息ついている幸せそうな顔を見つめる。
ぬるま湯のような、いつまでも続いてほしいと、そう思える日常。
しかしそれは、突如鳴り響いたフレンダの携帯の着信音に遮られる。
思い切り顔をしかめるフレンダと、それを見て苦笑する青ピ。
考え得る限り最悪のタイミングで舞い込んだ仕事の連絡だった。
「なるほど、それで今日のフレンダは超不機嫌なんですね」
「え、そんなに顔に出てた? 確かになんでわざわざこのタイミングで仕掛けんだ腐れスクール共とか考えてたけど」
「いや超露骨ですから。なんかもう文字通り人殺しの目をしてますから」
第十八学区、素粒子研究所。
フレンダ含むアイテムのメンバーは、同じ暗部組織スクールによる襲撃の予兆を掴んだリーダーによって、撃退のため襲撃予定地のここに集められていた。
相手の戦力を削る目的で研究所各地に爆発物を仕掛けたフレンダは、同僚の絹旗と並び、他のメンバーの待つ中枢部へと歩いていた。
「にしても何なんですかね、スクールの狙いって」
「さあ?結局深く考えて分かんないなら考えるだけ無駄って訳よ」
スクールの目的が何なのか、という点まではリーダーの麦野にも分かっていないようだが、とにかくやるなら誰にも迷惑をかけずにやってほしいものである。
「まさかこの研究所、素粒子物理学は超隠れ蓑ッ……!? 裏ではゾンビ量産技術の研究が!!」
「キワ物映画の見過ぎ」
曲がり角の先に敵が潜んでいる可能性にも気を配りながら、かつ馬鹿話をしながら歩く。
必要最低限の照明に照らされた薄暗い廊下に、ただ二人の会話が響く。
「そもそも今日本当に来るんですかね?案外麦野の勘違いだったりして」
実際、今日ここが襲撃される確率がかなり高いというだけで、襲撃が発生する確証は無い。
完璧な徒労に終わる可能性もあるにはあるのだ。
「まあ何も起きないならそれはそれでしょ。結局無事が一番って訳よ」
そんなことを言いながらフレンダが肩をすくめた時のことだった。
轟音が研究所内に響いた。
音が聞こえたと同時に、二人は麦野たちの待つ研究所の中枢部、大金庫へ向かって駆け出していた。
二人の間の空気は、既に通常時から戦闘時のものへ切り替わっている。
「早速引っ掛かりましたか……案外敵さん間抜けなんですかね」
今回の仕事は楽そうだと薄く笑う絹旗と対照的に、フレンダの表情は浮かない。
「いや、あの音は爆発じゃない。何か凄い質量で物を破壊した音」
「えっ、てことは今の敵の攻撃ですか?」
「しかもこの方角、外壁吹っ飛ばして直接ど真ん中叩くつもりって訳よ!!」
「……舐められたもンですね。 クリアリング無しで突っ込んでも楽勝とでも思ってんでしょォか」
会話を続けながら、殺風景な廊下をひた走る。
あっという間に麦野たちとの合流まであと少しというところまで来たが、曲がり角から現れた人影に行方を遮られた。
「あらいらっしゃい。そんなに急いでどうしたの?」
丈の短いドレスを着た、十四歳ぐらいの華奢な見た目の少女が、不敵な笑みを浮かべて立ち塞がる。
戦いが得意なタイプには見えないが、どんな能力を持っているか分からない以上、突っ込むのは得策ではない。
咄嗟にそう判断したフレンダだったが、隣の絹旗は違ったようだ。
フレンダの首根っこを掴んで軽々と持ち上げる。
当のフレンダはもちろん、目の前の少女も呆気にとられる。
「え、ちょ、ちょっと待って絹旗、嫌な予感しかしないんだけ
「おりゃあああああああああっ!!」
「にゃああああああああああっ!?」
豪快な投球フォームでぶん投げられたフレンダは、反射的に防御姿勢をとったドレスの少女の頭上を通り抜け、その先の床に落下した。
受け身をとってフレンダがケガ一つなく着地すると、背後から絹旗の声が響く。
「滝壺さんを守りながらだと麦野が全力で戦えません!! さっさと援護に向かっちゃって下さい!!」
「了解って訳よ!!」
絹旗の意図を瞬時に察したフレンダは、脇目も降らずに廊下の先へ駆け出した。
一対一の近距離戦であれば、相当のことがなければ絹旗は後れを取らない。
フレンダの注意は、既に背後ではなく前を向いていた。
絹旗と別れて数十秒。
交戦地点に近づいているのか、焦げ臭い臭いが強くなる。
衝撃を受けて作動したのか目の前を塞ぐ防火シャッターをいつもの倉庫から『取り寄せた』爆弾で爆破すると、開けた空間に出た。
辿り着いたのは、研究所到着時に一度四人で集合した、建物の中心部に位置する大広間。
最初にフレンダたちがやってきた時には、何もない空間に他の部屋へと繋がる出口があるだけだったが、今では天井に大きな風穴が開き、夜空が見えている。
穴の真下には、ゴーグルのような物を頭に付けた男の死体が一つ転がっていた。
「うっはー、隠す気ないなこりゃ」
周囲への損害を一切気にせず爆発物を仕掛けて歩いたフレンダが言えた話では無いが、それを指摘するものはいない。
麦野たちの援護に向かう足を止め、天井の大穴を観察する。
これだけの規模の破壊ができるとなると、相当な強さの能力者がいるのかもしれない。
穴越しに見えるのは、空を貫く緑の閃光。
麦野は急襲にも負けず好き放題に戦っているようだ。
「……今更だけどこれ助けに行く必要あんのかな」
戦場に滝壺がいると、麦野が戦いながら守る必要があるが、逆に滝壺の演算補助を受け麦野のビームが安全に連射できるようになる。
つまるところあの二人だけで戦うのは別にピンチではない。
そんなことを考えながら頭上を見上げるフレンダの視界には、もちろん大穴越しの夜空が映っていた。
だからその背後で、自らの能力で音を消して完全な無音で立ち上がった、死んだ振りをしていた男は視界に入っていなかった。
男はフレンダに向けて右手を掲げ、拳銃のような形に握る。
そして男は右手に力を込め、
振り向いたフレンダに銃で打ち抜かれた。
「があああああっ!?」
完全に不意を突く形で肩を打ち抜かれた男は、バランスを崩して再び床に転がる。
「はい残念。演技は完璧だったけど、結局麦野に負けたはずなのに死体が綺麗に残るはずがないって訳よ」
誇らしげに語りながら、フレンダは虚空から取り出した銃を掲げる。
男は何か言おうとしたが、それを待たずに頭に狙いを定めて二度引き金を引いた。
足元に転がった男が事切れているのを確認し、立ち上がる。
「どんな能力者か分かんないし誘ってみたけど、結局あっけなかった訳よ」
顔を上げ、気付く。
音が大きくなってきている。
麦野たちと敵勢力との闘いの場が、こちらへ近づいてきているようだ。
元から向かう予定だったので、向こうからやって来るならむしろ好都合である。
「しめしめ、挟み撃ちしてやるって訳よ」
再び取り寄せた爆弾を両手に携え、音がする側の出口に視線を向ける。
フレンダがじっと待っている間にも、音はどんどん近づいて来る。
恐らく敵視認まで、あと三秒、二秒、一秒。
結論から言って、フレンダの予想は当たっていた。
敵が進入経路を逆に辿って脱出しようとするなら、この広間に戻ってくるのは確実である。
しかし今回のケースにおいては、現実が常識を凌駕した。
轟音とともに吹き飛ぶ講堂の壁。
何もかもを薙ぎ払って登場した学園都市第二位は、不幸にもその視界に入ってしまったフレンダに向かって、獰猛に笑う。
「悪いな、邪魔だ」
目の前のホストのような男が、その背に生えた翼を振るった。
そう認識した瞬間、フレンダの意識は鋭い痛みとともに断絶した。
男が講堂を後にし、それを追って麦野たちが研究所を出た後で、フレンダは冷たい床の上で目覚めた。
横薙ぎに振るわれた純白の翼に吹き飛ばされ、大広間の隅まで転がされたようだ。
受けた衝撃の割には奇跡的に五体満足だが、体中が強烈に痛み、立ち上がることもできない。
(私、ここで死んじゃうのかな)
震える腕を無理やり伸ばし、すぐ近くに転がっていた自分の携帯を取る。
(いつか死ぬとは思ってたけど、まさかそれが今日だとは思わなかった訳よ)
慣れた指の動きで、電話をかける。
(……せめて最後に、声だけでも)
動くものの無い大広間に、無機質なコール音が響く。
待っている間にも、指先から力が抜けていく。
携帯が指の隙間から滑り落ち、顔のすぐ横に落ちた。
『もしもし?』
電話口から響く愛しい男の声に返事をすることもできずに、フレンダの意識は闇に吞まれていった。
短編って名目で始めたのに上条さんたちより長くなりそう