大学始まる前にこの話は終わるのだろうか。
(暑っづ……)
真夏の日差しを受けて、コンクリート舗装の道の上には陽炎が立っている。
炎熱地獄と化したビル街を、青ピは両手に買い物袋をぶら下げて歩いていた。
鯖好きの少女と出会ってから一週間強が過ぎた八月二十二日。
どこかに遊びに行こうと朝一でいつものメンバーに電話をかけた青ピだったが、
『すまんにゃー青ピぃ、今日は舞夏と買い物に行く予定が入ってんだ。悪いが同行できないぜぃ』
『青ピ!? ごめん今ちょっと立て込んでて…
「当麻さーん?」 わ、悪い、また掛け直す‼ 』
といった具合に都合が会う相手がいなかった。
某ツンツン頭の電話口の向こうから聞こえた女性の声に、休み明けの学級裁判を計画しつつ受話器を置き懐からスマホを取り出す。
連絡先一覧の先頭にはつい最近交換したフレンダの番号が鎮座している。
番号と数十分睨み合った末、厨房にこもって新メニューの開発でもするかと意気込んだ所までは良かった。
(チャーリー三世……お前のことは忘れんからな……)
商店街で材料を買い込み、いざ帰ろうと路駐していた愛車(ママチャリ)の所までやってきた青ピの目の前には、ただダイヤル式の鍵の残骸が転がっていた。
安物のチェーン一本程度では学園都市の自転車泥棒の魔の手は退けられない事が証明された瞬間である。
(ったく……このご時世に自転車ドロとか……あんなボロろくな金にならへんやろ……どうせやるならもっと派手なことやれや……)
的外れな恨み言を心の中で並べても、状況は一向に好転しない。
調子にのって大量に素材を買い込んだため、両手は重いわバス代は無いわ散々である。
もはや独り言を呟く気力すら残っていない。
(一回どっかで休むか?あぁでも一度座ったらもう立てん気がする)
実際のところかつて経験した真夏の着ぐるみバイトに比べればまだ楽な方である上、なにより両手の袋の中の生鮮食品が気にかかる。
寄り道をして時間を浪費したくはない。
そもそも寄り道するための金が無いのだが。
炎天下の強行軍を敢行してから数十分。
(……)
もはや思考すらも放棄して黙々と足を動かす。
道沿いの喫茶店で涼む人々を意識の外に締め出す。
眉の間を汗の滴が流れ落ち、鼻の横を通って顎から落ちる。
しばらくして今度はこめかみの辺りから汗が垂れ、落ちる。
汗が垂れた回数を特に理由もなく数え始め、いくつまで数えたかわからなくなる頃、サンジェルマンの目の前に辿り着く。
青ピにはろくに思考能力が残っていなかった。
そういう状態では、人は想定外の事態に滅法弱くなる。
それゆえ、
店の前で無様に大の字になり、その西洋人形然とした可愛らしさを台無しにしている少女。
それを見た青ピの行動は、「その少女がフレンダそっくりだと気づく」でも「救急車を呼ぶ」でも無く、「立ち尽くす」だった。
両手両足をまっすぐに伸ばして地べたに転がり無言で空を見上げる少女。
それを無言で見つめる汗だくの男。
傍目にも相当シュールな光景だった。
しばらく沈黙が流れるが、突然鳴り響いた音がそれを破く。
少女の腹の音だった。
「……………………何か、食う?」
その問いかけに、金髪の少女は一言。
「…………にゃあ」
「………んで?名前は?」
「ふふぇえあ。ふふぇえあふぇいえうん」
「うん僕が悪かった。それ呑み込んでからでええよ」
「ごくん。フレメア・セイヴェルン。五年生」
「フレメアちゃんか。……君、もしかしてお姉ちゃんいる?」
「いるよ。最近会ってないけど。フレンダっていうの」
「あー……やっぱり……」
少女をサンジェルマン店内に担ぎ込み(奇跡的に目撃者はいなかった)、生鮮食品を冷蔵庫に放り込み、ささっと鯖パスタを作って提供した。
満足した様子で、椅子の上で足をプラプラさせながら店内を見回している彼女は、フレンダ宅の写真に写っていた少女だった。
「そんで、どうしてここに?」
「らーにんぐこあで勉強しようと思って家を出て、道端で可愛い子猫を見つけて追いかけて、気づいたら知らない所で、歩き回る内にお腹空いて動けなくなった」
「ほうほう。んで?お家は?」
「住所とかよくわかんないけど、近くまでいけば大体わかる。にゃあ」
「まじか……」
特に深く考える事なくご飯を振る舞ったが、冷静に考えればこの状況は限りなく誘拐に近い。
かといって無下に追い出すのも気が引ける以上、さっさと家まで送り届けたい所だが、その場所もわからないとなると八方塞がりである。
(……いや、そうでもない、か……?)
「ちょっと待っとってな」
携帯を開き、フレンダに電話をかけた。
数コール待つと、電話口から快活な声が聞こえてくる。
『もしもーし、珍しいね青ピから電話なんて。てか始めてだよね。どしたの?』
明るい風を装っているが、焦りを感じる声だった。
「いや、ちょっとな。今喋れる?」
『あー、ごめん。長話はきついかも。今ちょっと妹が行方不明になったみたいで……』
「今その子うちにおるんやけど」
『は?』
唐突に声のトーンが凍りついたが、状況を説明するとまた明るい調子に戻った。
『あー、なるほどね。ビックリした。遂に青ピが誘拐犯になったのかと思ったって訳よ』
「いやまぁ、現状それに近いしな……そんで、この子の家、わかる?てか僕が連れてったら間違いなく職質くらうし、出来れば迎えにきてほしいなー、と」
『了解、話はわかった。……でもごめん、やっぱり青ピが連れてって!』
「え、いや、絶対家出た瞬間通報され……」
『その辺はなんとかするから!十三学区の中央図書館まで連れてけばフレメアでも道がわかるはず!お願いね!』
「ちょ、ちょっと待っ……切れてもうた」
携帯を閉じるとすぐ近くにフレメアが立っていた。
小首を傾げて青ピの顔を見上げている。
「お姉ちゃんと電話してたの?」
「聞こえてたん?そうそう。実は君のお姉ちゃんと僕、知り合いなんよ」
「にゃあ、いいな。大体私ですらお姉ちゃんの番号知らないのに」
「え、実の姉の連絡先知らないとかあるん?」
うっかり発した言葉に、しまったと思うが、もう遅い。
少女の目元がうるうるし始める。
「お姉ちゃん、私の事嫌いなのかな……」
泣き出しそうになるが、棚からクリームパンを取って与えると途端に笑顔に戻った。
青ピは安堵のため息をつく。
菓子パンで小学生を手懐ける高校生の姿がそこにあった。
「日差し、大丈夫?」
「にゃあ、大体これのおかげで大丈夫。ありがと」
「それはよかった」
サンジェルマンから出て十三学区まで歩く。
フレメアは青ピの物置から発掘された麦わら帽子を被って、その新鮮な感触にご機嫌である。
向日葵と一緒に写真を撮ったら大賞間違いないな、などと思いながらその横を青ピが歩いていると、フレメアがぽつりと口を開いた。
「二年生になる頃までは、お姉ちゃんとは大体毎日一緒にいたの」
「ほう」
「お姉ちゃんは優しいし可愛いし、自慢のお姉ちゃんだったんだけど、私が三年生になった頃から、急に会ってくれなくなっちゃった」
「……」
「にゃあ、別に、寂しくはないんだけど、友達も大体沢山いるし、でも、やっぱり、たまにはお姉ちゃんに会いたいなって……」
「……そっか」
会話が途切れた。
そのままどちらも喋らず、とぼとぼと歩く。
運良く通行人は一人もいない。
ぼーっと歩を進める内に、フレメアが顔を上げた。
「………あ!この道知ってる!大体もう大丈夫かも!」
「良かった良かった。もう迷子になったらあかんで?」
「うん!ありがと!……えっと……」
「ああ、僕は青ピや。その帽子、よかったら君にあげるわ」
「わかった!ありがとう青ピお兄ちゃん!にゃあ!」
そう言ってフレメアは走っていく。
その姿を見送って、青ピは踵を返し、すぐに固まる。
「よっ」
フレンダが、夕日を浴びて立っていた。
「んで?なんでそうまでしてフレメアちゃんから距離置くん?」
「やっぱり言わなきゃ駄目、かな」
「フレメアちゃん、私お姉ちゃんに嫌われてるって、悲しそうやったで」
フレメアを送った帰りにその姉と並んで歩く道中。
青ピは思っていたことを包み隠さず聞いた。
対してフレンダは暫くの間沈黙を続け、やがて観念したように口を開く。
「……いやさ、この前過激な仕事してる、って言ったでしょ」
そこで一度言葉を切り、空を見上げる。
その表情は青ピからは見えない。
「仕事上、命のやり取りをすることも結構あるっていうか、さ」
「……」
「結局、簡単に言えば」
またも言葉を切ったフレンダは、今度は青ピの顔を見る。
自嘲気味な笑みが浮かんでいた。
「人殺しって訳よ、私」
青ピの送迎の裏でフレンダが人払いをしていたという裏設定。