1.青髪ピアスと金髪少女
学園都市に入学してくる学生のほとんどが、心のどこかに抱えている思いがある。
「超能力を身につけてヒーローになりたい」
しかし、人の心を覗けたり指先から電撃を放てるような超能力者になるのはほんの一握り。
大抵の学生は能力を授かることができず、仮に能力者になれた所で保温ができたり傷の治りが早かったりと地味な仕上がりになるのが一般的である。
これは、とっくの昔に英雄になることを諦めたある高校生の物語。
ある夏の夜に、無力な少年が勇気を振り絞り、『怪物』に立ち向かった物語。
「ぐぬぅ…」
「どうした青ピ、さっきの授業でわからんことあったか?教えてやるぜい?」
「まじでなんなんあの三角比とやら…どう世界線が捻れたら数学にアルファベットが出てきよんねん…」
「…まさかそこからとは思わなかったにゃー」
八月九日。
夏休み真っ只中にも関わらず、教室に足しげく通う少年少女。
何のことはない。補習である。
4コマの特別授業を消化し疲労困憊の土御門と青髪ピアスは、机を付き合わせてだらけていた。
全力で自己主張する蝉たちの大合唱を聞きながら愚痴をぶつぶつ垂れ流していた二人に、勤勉にも自主的に補習に参加していた吹寄が鋭い視線を向ける。
「ねぇ、もう少し静かにしてくれない?」
「何やそないにピリピリして。ひょっとしてカミやんが心配なん?」
「あいつまーた入院したらしいにゃー。ひょっとしてお見舞い行こうか悩んでたり?」
「ええなぁカミやん。まじもげろ」
青ピの発言を鼻で笑う吹寄。
「何よそれ、馬鹿馬鹿しい。第一、あんな奴が入院したところで私は何も気にしないっての」
「でも見てる限り今日一日上の空だったんとちゃう?」
「ぐっ……」
「あららー?胸元のリボンが縦結びだにゃー」
「…洗面所行ってくる…」
土御門の指摘に頬を僅かに染め、教室からとぼとぼ出ていく吹寄。その背中にいつものような覇気は感じられない。
「罪な男だにゃーカミやん……しかしまぁ、カミやんだったら仮に片腕がパージしたところでけろっとしてそうな気がするぜい」
「ははは、それは言い過ぎやろ…でも確かにカミやんは主人公みたいな奴やからなぁ」
「? 主人公…ってどういう意味だ?」
土御門の指摘に青ピは少し沈黙し、唸ってから口を開く。
「いやなぁ、カミやんが怪我するときって基本誰かを助ける時やろ?して、そこには困ってる人やったり悪者やったり、要は物語があるんよ」
ため息を一つついた。
「カミやんの周りには、いつも物語がある。要はカミやんは主人公やねん」
「ほー。なんだか哲学的な話だにゃー」
土御門は納得したような返事を返したが、青ピは続ける。
「でもな」
「ん?」
「もしカミやんが主人公だとするなら、僕みたいな平凡な生徒は、やっぱり脇役なんかな」
気まずい沈黙が流れた。
「ははっ、ごめんな急に変なこと言ってもうて。柄にもない」
「…気にすんなよ。カミやんが凄いのは事実だが、お前にはカミやんとはまた違った良さがある。そんなこと考え始めたら、俺らの脳味噌じゃきっと足んないぜい?」
そう言って、土御門は大きく背中を伸ばした。
長いこと机に突っ伏していたためか、盛大に音がなる。
「さ、て、と!今日の舞夏とのデート、どこ行こっかにゃー」
「つっちーはえぇなー。僕なんか今日もこれからバイトやで?」
「ふっふっふ。精々美味しいパンで美女が釣れる日を夢見て精進するがいい」
「…くたばれやシスコン軍曹」
「全域ストライクゾーン男に言われたくないぜい」
土御門が足元から鞄を拾い、立ち上がる。
それに合わせて青ピも椅子から腰を上げた。
その顔にいつもの笑みを宿したまま。
自分の想像も及ばないようなステージで活躍しているであろう上条に、一抹の寂しさを抱えながら。
バス停『学舎の園前』から歩いて五分の老舗パン屋『サンジェルマン』。それが青ピの下宿先である。
「お疲れさんでーす」
「おう、お帰りー」
裏口から店内に入った彼を迎えるのは、この店の店主である長身の女性、誘波。
端正な顔つきに艶やかな黒髪を伸ばす年齢不詳(本人曰く二十代後半)の彼女には、その明朗快活な性分も合わさって大勢のファンが存在している。
「おい青ピ。こんな天気の良い日くらい、仕事サボって遊んできてもいいんだぞ?あたしとしては土日に働いてくれれば良いだけなのに、お前毎日来てるだろ」
「そう思うならバイト追加してくださいな。今この店僕と店長しかおりませんやん。どないです?ここらで一つ、フレッシュな女子高生とか」
「あはは、お前が発情するから却下」
「泣いてもええですか?」
青ピがいつも通りにパンを焼き、ひたすら並べる作業をしている内に日も暮れ、街頭に灯りがついた。急に鳴り出した電話をとり、誘波が渋い顔をする。
「悪い、ちょっと店番任せていいか?釧路がまたやらかしたみたいで、迎えにいかなきゃいけなくなった」
「あぁ、構いませんよ。ラッシュも落ち着きましたし」
誘波は、自分が寝泊まりしている安アパートに不良を居候させ、更正させることを生業としている。以前自分が同じように更正させてもらった過去から始めたらしい。
今までさして問題は無かったが、七月の終わり頃から匿っている少女が中々の曲者らしく、週一のペースで誘波が補導された彼女を迎えに行っている。
「毎度悪いね。給料値上げしてやろうか?」
「いやいや構いませんて。僕としては寝床をくれるだけでも充分感謝しとるんですから」
「そう言ってもらえると助かるよ。じゃあせめてアイス買ってきてやろう」
「あ、なら抹茶味頼んます」
よろしくなー、と残して裏口から出ていった誘波を見送って青ピは一息ついた。
ちょうど客足が途切れたので何をするでもなく売り場に出る。
店内を見渡す彼の視線がある一角で止まった。
「なかなか売れんなぁ、お前」
『鯖パン』。
上条が補習に来ないため土御門と共に三人揃って遊びに行く時間が減り、暇になった青ピが産み出した一品である。
自分が生み出した物が不評なのは、なんとなく虚しい。
「ふぅ…」
自然と口からため息が漏れた。
「はぁ…」
青ピがため息をついたのと時を同じくして、夜の路上で同じようにため息をつく少女がいた。
「もお最悪…結局、サバ缶売り切れだったって訳よ…今日の夜食…そこのパン屋で買うかぁ」
暗部の少女とごく普通の学生。
二人が出会う時、物語は動き出す。
「…やっぱ奇をてらい過ぎやったかなぁ」
隣のクロワッサンの籠が空っぽなのを見つつぼやく。
その時、入り口のドアベルが軽やかな音を立てた。
「あ、いらっしゃーい」
「中々いいお店ね」
「お褒めに預り光栄ですわぁ」
ドアから入ってきたのは肩まで届く金髪をなびかせた可憐な少女。
外国の血を感じさせる容姿にそぐわぬ流暢な日本語で青ピに話しかける。
「あなたここの店員さん?」
「せやで。まぁバイトの身やけど」
「そう。何かオススメとか教えてくれる?」
「そうですねぇ… 鯖パンなんてどないです?美味しくて栄養もバッチリですよ」
鯖と聞いて少女の目が見開く。
「…その鯖パン、見せてくれるかしら」
「はいはい」
青ピが棚から、こんがりと焼けた鯖の頭が生えているパンを取る。
「どないです?見た目はちょこっとあれやけど、美味しくて栄養満点ですよ」
「じゃあ、これ1つ…いや3つくらい貰っていい?」
「どうぞどうぞ。沢山あるから、遠慮せんで沢山買ってって下さい。せや、ここで食べていったらどうかな」
青ピが指差したのはカウンターの対面に設置された軽食スペース。
「ありがと。じゃあお言葉に甘えて」
そういうと少女は椅子に腰掛け、大きく口を開けてパンにかぶり付き、沈黙する。
「…どない?」
黙ってパンを咀嚼している。口に合わなかったかと心配したがそれも杞憂だったようで、パンを飲み込んだ少女はゆっくりと顔を上げた。
瞳が五割増しで輝いている。
「おいっしい」
青ピの笑みが深くなる。
「凄い美味しい!もう一つ買うわ!」
「まいどありー」
数分後、最終的に残っていた鯖パンを全て平らげた少女は大きく息を吐いた。
「ふぅ、結局もう食べられないって訳よ…」
「10個はあったのに…ぎょうさんたべたなぁ」
膝の上のパン屑を綺麗に集めてゴミ箱に捨て、少女が立ち上がる。
「ご馳走さま。すっごく美味しかった。この店贔屓にするね」
「おおきに」
最後に小さく手を振って、少女は夜の学園都市へと駆け出していった。
「なんや、えらい可愛い子やったな…」
「てなことがあってなー」
「なぁ青ピよ、お前が金髪美少女との邂逅を自慢したいのはわかった。とりあえず俺を煽ってると解釈していいのかにゃー?」
翌日、帰り道。
夏空に浮かぶ飛行船を見上げながら、土御門と青髪は並んで歩いていた。
「そうカッカすんなや。つっちーにしたって昨日はお楽しみだったんやろ?」
「出掛けた先で会った雲川先輩の妹に持ってかれたにゃー…」
「あぁ、なんかごめん、悪かった」
「結局一人で映画見てたぜよ…」
「さぁつっちー、このハンカチで涙を拭くんや」
「なぁ青ピぃ…俺達友達だよなぁ…」
「もちろんやて。僕たちずっと友達…あ!昨日の」
「こんにちは!パン屋さんの…えと、名前聞いてもいい?」
「あぁ、青ピでえぇよ。皆そう呼んどる」
「了解。私フレンダ。今日もお店寄るから、鯖パン残しておいてね!」
「はいはい。てかあのパン買ってくの君しかおらんのやけど」
「結局、皆食わず嫌いなだけって訳よ…って、あれいいの?」
「どないしたん?」
「グラサンの人、泣きながら走ってったけど」
「つっちぃぃぃぃぃぃ!」
その夕方。
「〜♪」
「相変わらず美味しそうに食べてくれるなぁ」
「ふぁっふぇふぉいふぃいんふぁふぉん」
「いや別に無理に返事せんでもええんやけど」
昼間の宣言通り来店したフレンダは、鯖パンを大量購入して口一杯に頬張っていた。
どことなくハムスターを連想させる姿に、青ピは内心笑いを堪えている。
「ぷはぁ。あぁ美味しかった、ご馳走さまでした」
パンを全て食べ終え、フレンダが顔に満面の笑みを浮かべる。
「お粗末さま。顔にパン屑ついとるよ」
「ありがと。あのさ、この店鯖パンの他にお薦めあったりする?」
「ん?まぁ確かにクロワッサンとかお薦めやけど…」
「待って。『まだ食うのか』みたいな顔しないで。友達にも食べさせてこの店の素晴らしさを伝えようと思った訳よ」
「おお、それは有難いなぁ…ふむ」
そう言って青ピは厨房に引っ込み、出来立てのパンを数個袋に詰めた。
「お代はええから、これ持ってってくれん?」
「何これ?新作?」
フレンダが袋の口を開くと、辺りに芳ばしい香りが漂う。
「その通り。鯖パンが好評だったから、魚シリーズで鮭パンも焼いてみたんよ。後で感想聞かしてくれればそれでええよ」
「このタイミングで麦野の好物…青ピ持ってるなぁ」
「何か言った?」
「ううん何にも。ありがと、きっと友達も喜ぶと思う!それじゃまた!」
「おおきに。これからもよろしゅうな」
「うん!じゃあね!」
フレンダを見送ってから数時間立ち、客足が完全に途絶える。
「さて、そろそろ店仕舞いやなーっと…げ」
その視線が軽食スペースで止まった。
床に落ちているのは、装飾の一切無いシンプルなスマートフォン。
今日軽食スペースを使った人は一人しかいない。
これが誰のものかは明らかである。
「…店長」
「どうした青ピ?なんか用か?」
「ちょっと外出て来てもええですか?」