サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第25章 特別パトロール員

グリフィンドールの談話室までジニーを連れ帰り、フレッドとジョージに引き渡すと、ハリーとロンの部屋でネビルに遠慮してもらって秘密の会議を始めた。

 

「レン、どうしてあの場でクラウチの息子のことをダンブルドアに報告しなかったんだい?」

 

ハリーの疑問に苦笑を返して、蓮が杖を振り部屋の中の音声が外に漏れないようにした。

 

「わたくしは今のアラスター・ムーディを信用していないの。理由はいろいろあるから、機会があれば改めてね。ハーマイオニーとロンに最初から説明しなくちゃいけないわ」

「第3の課題の手掛かりがわかったとレンが呼びに来てからの話を聞かせて」

 

ハリーが「クィディッチピッチがまだ丈の低い生垣を育てている様子を見ただけだよ。でも、ただの迷路のはずがないだろう? レンの予想ではルーピン先生の試験みたいに、随所に厄介な仕掛けがあって、その中の1つは尻尾爆発スクリュートだろうってことだった。それを聞いて、僕、頭がぼんやりしてきたから、しばらく散歩して帰ろうと思ったんだ」と疲れた声で説明した。

 

「ハリーの顔色が悪かったから、わたくしとジニーは少し距離を置いてついていくことにしたの」

「ハグリッドの小屋を通り過ぎて、禁じられた森の入り口近くに来たとき、突然ミスタ・クラウチが森から飛び出してきたんだ。ダンブルドアに会わなきゃいけないと言ったり、ウェーザビーに仕事の指示を出してる気になったり、とても尋常な様子じゃなかった。困ってるとこへ、レンが来たんだよ」

 

ハリーにダンブルドアを呼びに行くよう勧め、クラウチと2人になってからの出来事を話すと、ロンが額に滲んだ汗を拭った。

 

「なんてこった。ジニーが失神させられただけで済んだのはほんとにラッキーだ」

 

ハーマイオニーは蓮の頭を胸に抱き抱え「ひどいものを見てしまったのね」と震える声を出した。蓮が「まだ実感は湧かないけれど」と言いながら、ハーマイオニーの腕から抜け出した。

 

「犯人の姿は見ていないんでしょう?」

 

見ていない、と蓮は首を振った。「たぶん森の中から死の呪文を撃ったのだろうし、もしかしたらわたくしがよくやるような目くらましや、あるいは透明マントを使っていたかもしれないわ。とにかく、犯人を追うより、ハリーとダンブルドアを待つことにしたの。でもジニーのことも心配だったから、拡声呪文を使ってハグリッドを呼んだのよ」

 

「ハグリッドを?」

「ええ。ハグリッドが今日からしばらくは小屋の前のかぼちゃ畑を掘り返す作業をすることを、昨日たまたま聞いていたの。拡声呪文で事情なんて説明するわけにいかないから名前だけよ。ハグリッドはすぐ来てくれて、ジニーを小屋に連れて帰るためにすぐに動いてくれた。でも、それと入れ違いにムーディが来たの」

 

ハリーが「うん」と頷いた。「僕がダンブルドアを連れて戻ったときにはムーディ先生がいたね」

 

「ムーディは、犯人を見なかったのか、わたくしに尋ねたわ。見ていないというと、足音を聞いたかと尋ねた」

「足音?」

「ええ。しかも、犬の聴覚を使おうとは思わなかったのか、とまで」

 

よっぽど足音が大事なのかな、とロンが呟き、ハリーが「まさか、君、それでムーディ先生を疑ってるの?」と怪訝な顔をした。

 

「わたくしはハグリッドの名前しか呼んでいないの。緊急事態だとさえ言っていない。なのに、ムーディはハグリッドと入れ替わるように現れた。ハグリッドを呼ぶ声を聞くまでどこにいたか尋ねたら、クィディッチピッチにいたのですって。しばらくクィディッチピッチにいたのは間違いないと思う。わたくしとジニーが箒の練習をするつもりで来たのに、一度戻って、次にハリーを連れて来たのを見たとおっしゃっていたから。ただ、わたくしとハリーがピッチを出るのを見たとまでは言わなかったわ。わたくしの声を聞いて駆けつけたならば、クィディッチピッチから禁じられた森の入り口まであの足で走る時間と、畑から禁じられた森の入り口までハグリッドが走る時間がさほど変わらないのって不自然だと思わない? だから、あの場で手持ちのカードを喋るのは危険だと思ったの」

 

ハリーは少し考え「でもムーディ先生は、カルカロフやスネイプをすごく嫌ってるんだ。死喰い人なんかじゃないよ」と首を振った。

 

それにさらに首を振ったのはロンだった。「ハリー、君が自分で言ったんだぜ。毒ツルヘビの皮がスネイプの研究室から盗まれてる」

 

「・・・あ! つまりポリジュース薬で成りすましてるってこと?」

 

その可能性はあるわね、とハーマイオニーも頷いた。「それにアズカバンに収監されるほどの本物の死喰い人にとって、カルカロフやスネイプは裏切り者なわけだから、反感を剥き出しにしてもおかしくないわ」

 

「犯人がポリジュース薬を使ってるとしたら、いったいどうやってダンブルドアに伝えることができるかな? 僕たち、今の校長室の合言葉を知らないし、先生に取り次いでもらうにしても、ムーディ先生じゃなく他の先生に変身してるかもしれないだろ? 僕、今日は校長室の前でたまたまダンブルドアに会って引っ張ってきたんだ」

 

ハリーの疑問に、蓮が答えた。「わたくしがマクゴナガル先生に伝えるわ」

 

「レン! マクゴナガル先生だって本物かどうか」

「わたくしならマクゴナガル先生が本物かどうかわかるし、マクゴナガル先生ならダンブルドアが本物かどうかわかる。たぶんね」

 

それしかないな、とロンが頷いた。「ばあさんの親友なら、レンはマクゴナガルの知られてないエピソードをいくつか知ってるだろうし、マクゴナガルにしたって、ダンブルドアの教え子で今は副校長と校長っていう長い付き合いだ。合言葉方式でいくのが確実だろうな」

 

夕食の後に早速行ってくるわ、と蓮は呟いた。

 

 

 

 

 

夕食の後、蓮はマクゴナガル先生の部屋を訪ねていた。

 

「どうしました、ウィンストン」

 

ドアを開けたマクゴナガル先生に、蓮は「わたくしの祖母と一緒にリトル・ハングルトン村の小屋から盗み出したものは何ですか?」と尋ねた。

 

マクゴナガル先生は眉をひそめ「なんです、出し抜けに人聞きの悪い。盗んではいません。ジェミニオを作ったのです。わたくしが1人で。柊子はわたくしにジェミニオ作りを押しつけたまま、竈門のあたりで哲学的思索に耽っていましたよ」と答えにならない答えを返した。

蓮は息を吐き「いつものマクゴナガル先生で安心しました」と呟いた。

 

「まあ、お入りなさい。そのあたりに座ると良いでしょう」

 

ドアを閉めると、マクゴナガル先生は声を低めた。

 

「つまり、人物確認が必要な事態を想定しているわけですね」

「はい」

 

蓮をソファに座らせたマクゴナガル先生が、向かいに座るのを待って蓮は口を開いた。

 

「ダンブルドア校長本人にだけ伝えたいことがあります。もちろん今ここでマクゴナガル先生にお話ししますから、ダンブルドアにお伝えください」

「お待ちなさい。なぜ、そのような用心を?」

 

蓮は息を吸い、一息に言った。

 

「スネイプ先生の研究室から毒ツルヘビの皮と、えら昆布が盗まれているからです」

 

マクゴナガル先生が目を眇めた。

 

「えら昆布を盗んだ人物に見当はつきます。どうせそんなことではないかと思っていましたよ。えら昆布を使うことを思いついたのは上出来ですが、入手の難しい代物ですからね」

 

蓮は力一杯に首を振った。

 

「ハリーではありませんし、わたくしたちの誰でもありません。ハリーが使ったえら昆布は、わたくしがわたくしの家のハウスエルフや河童を使って入手したものですから間違いありません。ただ、もちろんスネイプ先生はハリーが盗んだとお考えです。ですから、毒ツルヘビの皮の件もハリーの仕業だと決めつけていらっしゃいますが、わたくしたちは誓ってスネイプ先生の研究室から材料を盗んだことはないのです」

 

ウィンストン、とマクゴナガル先生は眉をひそめたまま尋ねた。「それにしては、あなたには変わった魔法薬の知識があるようですね」

 

「ポリジュース薬の材料だということぐらいはわかります」

「なぜポリジュース薬に興味を示したかについては追及しても手遅れでしょうね。グレンジャーが猫の髭と尻尾を生やした時点まで遡ることになりますから。なるほど、人物確認が必要な理由は理解しました」

 

2年前から既にマダム・ポンフリーから筒抜けだったことに顔をしかめないように気をつけながら、蓮は「おそれいります」とちっとも恐れ入っていない声を出した。

 

「察するに、バーテミウス・クラウチ氏の殺害に関する情報ですか?」

「はい」

「あの時点でダンブルドアに述べた以上の何かを知っていると?」

 

蓮は頷いた。

 

「バーテミウス・クラウチ氏のご子息が生きているということを、わたくしたちは知っています」

 

マクゴナガル先生が目を見開いた。

 

「・・・ウィンストン、あなたは自分が何を言っているかわかっているのですか?」

「亡くなったクラウチ氏は、ご子息を収監したあとに、奥さまと入れ違いに脱獄させました。アズカバンで死んだのは、バーテミウス・クラウチ・ジュニアではありません。ミセス・クラウチです」

「・・・誰からそれを聞いたのです」

「クラウチ家のハウスエルフだったウィンキーから」

 

表情を強張らせたマクゴナガル先生に蓮は畳み掛けた。

 

「わたくしは、今日ミスタ・クラウチが亡くなる直前に、幻覚状態でお話しになったことを覚えています。バーテミウス・クラウチ・ジュニアはOWLで12科目にパスするほど優秀だったとか。材料さえあればポリジュース薬ぐらい簡単に作れるのではありませんか? どなたか先生に成りすましていれば、ハリーの名前をゴブレットに入れることも出来ます」

 

ひどく平坦な声で「どの先生に成りすますというのです」とマクゴナガル先生が尋ねた。もう答えがわかっているような声だ。

 

「アラスター・ムーディです。他の先生に成りすますのは危険性が高すぎます。数年生徒と接触している先生ならば、大勢の生徒の誰かが違和感に気付くでしょう。ですが、防衛術の先生ならば、生徒のほとんどは初対面です。そして、1時間しか効果のないポリジュース薬を頻繁に飲んでも不自然でないのは、マッド・アイしかいません。マッド・アイの神経症は有名です。マッド・アイが自分のスキットルからしか飲み物を飲まないことも」

 

マクゴナガル先生は口元に拳を当てて考え込んだ。

 

「マクゴナガル先生? 何かまだ疑問点がありますか?」

「・・・疑問ではなく、重大なことがわかりました」

 

そう言うと、マクゴナガル先生は蓮の顔をまっすぐに見た。

 

「ウィンストン、あなたは第3の課題において、選手と同じように課題の現場に入ることが、さきほど決まりました。アラスター・ムーディからの絶大な信頼と、3校全ての校長に受け入れられた結果です」

「・・・わたくし、確か選手ではないと記憶していますけれど」

「第2の課題であのようなことがありましたから、誰かがコース内で監視に当たるべきだと判断されました。人選は難航していましたが、夕食前の会議で、ムーディがあなたの名を出すと満場一致・・・わたくし以外の満場一致で認められました」

 

蓮は顔をしかめた。

 

「第3の課題でハリーのついでにわたくしも始末する計画になったのでしょうか?」

「どうやらそのようです。である以上、逆に言えば、本物のアラスター・ムーディの命は第3の課題が終わるまでは保障されると考えられます。ポリジュース薬の性質上、生きたアラスター・ムーディを側に置く必要がありますから」

「・・・その前に、マッド・アイを救出するわけには」

 

マクゴナガル先生はためらいがちに首を振った。

 

「必ず成功するならば、もちろんそうすべきですが、成功の確率が極めて低い。アラスター・ムーディの持ち物はほとんど全てが、敵の侵入を感知する類のものですからね。もちろん、ここで話したことは全てダンブルドアに伝えます。アラスター・ムーディとクラウチの件は、わたくしとダンブルドアに任せなさい。あなたはポッターと共に第3の課題に対して準備をする必要があります。明日の夜に、選手とあなたが第3の課題の会場に呼ばれて課題と安全対策が発表されます。あなたは優勝する権利のない選手のような立場で競技に参加するのです。選手の誰より先にコース内に入り、危険を除去し」

 

蓮は軽く右手を挙げた。

 

「なんです」

「あの、わたくしのためにはどなたも危険を除去してくださらないのですか?」

「するわけがありません。そもそもあなたが除去する危険は、競技に無関係な危険です。選手が直面するべき危険は除去してはなりません」

「・・・選手はその危険を除去していいのですよね?」

「そういう課題ですからね」

「わたくし、選手が直面する危険に真っ先に直面しながら、それを除去せずに避けて通り、しかも選手をよりいっそうの危険にさらす何かを除去するわけですか?」

 

そうなります、とマクゴナガル先生は頷いた。

 

「・・・自分が不可能を可能にする女だと思われていることを初めて知りました」

「まだ終わりではありません。あなたは選手がコース内に入場してきたら、選手間の妨害行為にも目を光らせなければなりません。早くから服従の呪文にかかった人物をそれと識別するのは難しい。コース内で他の選手を害する行為に出た場合には、あなたが攻撃すると各選手に告知します」

 

蓮は空耳かと、しばらく耳を澄ませたが「冗談です」という谺は返ってこなかった。

 

「・・・それって、服従の呪文にかかった選手が真っ先にわたくしを殺しに来るだけのように思えるのですけれど」

「それも目的のひとつですからね。服従の呪文にかかった選手をわかりやすく真っ先に排除するには囮がいたほうが良いでしょう」

 

呆然と蓮はマグゴナガル先生を見つめた。

 

「なんです」

「基準がおかしくありませんか? わたくし、選手と同じ条件でコースに入って、しかもわたくしだけ、なぜか選手からの攻撃が可能な標的扱いですよね」

「そうですね」

「マグゴナガル先生がそんなにわたくしを殺したいおつもりだとは知りませんでした!」

「わたくしは一応反対したと言ったはずです。あなたを追い詰めて、本来の能力を大勢の人の前で見せることは得策ではありません。そもそもあなたが本気を出したら教師陣が全力を尽くして止めてもクィディッチピッチごと破壊しかねないというのに、そのような危険な人物を使うわけにはいかないでしょう!」

「だったら、ムーディだけでなくダンブルドアもわたくしを殺したがっているわけですか!」

「ダンブルドアは、あなたに全幅の信頼を置いていると言っておきましょう」

 

絶対嘘だ、と蓮は頭を抱えた。

 

「嘘ではありません。表現の問題です。正確に言うとダンブルドアの頭の中では、柊子の孫なら殺しても死なないだろう、という絶対的な信頼があるのです」

「そんな信頼要りません」

「ダンブルドアの信頼は、欲しいときには寄せられず、欲しくないところで寄せられるのが常です。第3の課題が無事に終了し、さらにボーバトンとダームストラングを無事に友好的に送り出すことが出来たら、あなたにはまた特別功労賞が贈られます」

「2回も3回もそんなものは要りません」

「まったく同感ですが、服従の呪文に操られた代表選手を衆目の面前で排除した自分をまず呪いなさい。第3の課題当日には回復する程度に」

 

溜息をついて蓮はふらりと立ち上がった。「とにかく、ムーディとクラウチの件はダンブルドアに御伝言よろしくお願いします」

 

言いながらドアに向かう蓮の背中にマグゴナガル先生が「ああ、ウィンストン」と声をかけた。

 

「まだ何か?!」

「GCSEの成績は、当然、全教科でA以上を獲得なさい。そうでないなら、素直に魔女として生きていくことを真面目に考えるべきです」

 

 

 

 

 

聞かされたハーマイオニーのほうが完全に蒼白になった。

 

「まさかそんなこと、出来るの?」

「大会ごとにルールや競技内容は変わるわ。選手じゃない在校生が審判につくことも、参加校が納得すればあり得たでしょうね」

「そうじゃなくて! ねえ、わかってる? それって、第3の課題が無事終わった時点であなたが無傷で生き残っていたら、もはやあなたが優勝者だと言っていいぐらいの難易度じゃない?」

 

わたくしもそう思う、と蓮は顔からベッドに倒れ込んだ。

 

「しかもGCSEで全教科A以上を獲得しろですって」

 

マクゴナガル先生は本気で自分を殺す気かもしれない、と思っていると、ハーマイオニーはさらに表情を強張らせた。

 

「そうだわ! GCSE! レン、わたしたちGCSEに集中しなくちゃいけないわよ。あと2週間しかないわ!」

「・・・あと2週間マグルの勉強をする間、ハリーとロンに課題を出しておくべきじゃない? また何か余計なことに首を突っ込んで、余計なトラブルを担いできそうよ」

「四方位呪文と武装解除呪文を完璧に仕上げるように言っておくわ」

 

ベッドに入っても、蓮には珍しくなかなか寝付けなかった。

 

あの明るい緑の閃光が瞼の奥にちらつく。あれが父を殺したのだ、と。あの光を母も見たのだ、と。

 

なぜ自分を魔法界に留めたがる人が多いのか、蓮にはずっと理解出来なかった。ホグワーツで知り合ったマグル生まれの生徒とも魔法族の生徒とも違って、蓮は幼い頃から魔法力を自在にコントロールすることが出来た。それこそ、家業でもある水に関わる魔法なら、息をするのと同じぐらい自然に出来るのだ。ホグワーツでは、悪目立ちするから杖を使っているけれど、本当は学校で学ぶ程度の魔法ならば、杖さえ必要ない。不意に魔法力を発揮して不自然な現象を起こすこともないし、成人さえすれば日常生活で使ったほうが便利な魔法は容易に使うことが出来るだろう。そもそも魔法教育を受ける必要を感じたことさえないままに、ホグワーツに入学した。

 

明治生まれの曽祖母からホグワーツに入学するようになったが、それ以前の菊池家では、特別な魔法教育を受けないままに、親から子への口伝だけで魔法を使って生きてきたのだ。その種の魔法は、だいたい七五三を済ませる頃には使えるように訓練する。

曽祖母がホグワーツに入学したのは、華族の娘として欧州の高等教育を受けるため。祖母がホグワーツに入学したのは、国際連盟を脱退したマグルの日本と日本の魔法界が一線を画すことをアピールするための、いわば人質。母がホグワーツに入学したのは、自分の趣味のためだ。

「留学をしたかった」という、非常にどうでもいい理由だったと聞く。

自分がホグワーツに入学したのは、さしたる理由のない、強いて言うならば、イギリスの祖父母の近くにしばらく住むための適当な方便に過ぎなかった。いずれは日本国籍を選択して、主に日本で暮らすのだから、他に孫のいないイギリスの祖父母のためにしばらくイギリスで学生生活を送るのが平等な気がした。

 

だが、今日の出来事はそんな自分を変えてしまうような気がして、どこか落ち着かない。

 

人の死を目の当たりにしたことでナーバスになっているせいだろうか。

 

まだカリカリとハーマイオニーが羽根ペンを走らせる音が聞こえてくる。

蓮はハーマイオニーに聞こえないように、ゆっくりと細く溜息をついた。

 

 

 

 

 

「さて、そこで安全対策だ!」

 

ルドヴィッチ・バグマンが蓮の肩をバシバシ叩いた。フラーが眉を上げるのが見える。

 

「こちらのミス・ウィンストンは、君たちも知っての通り、史上最年少の動物もどき、しかも闇の魔術に対する防衛術のムーディ教授によれば、服従の呪文も磔の呪文も効かない体質だ! 彼女がこの迷路内に一番に入ることで各校の校長は合意した」

 

体質、と軽く流されて蓮は軽く眉をひそめたが、あえて異は唱えない。

 

「君たちが迷路に入る前に彼女が迷路に入り、予定にない不審な物が仕掛けられていないかをチェックする。それが完了したら、1位の選手から順次スタートだ! 迷路の外側には先生方が巡回して、異状があれば救助に入ることになっているが、ここでもまたミス・ウィンストンにお手伝いいただく。この生垣には『動物だけは通過させる』魔法がかけられる。つまり、誰より早く異状を訴えた選手のもとに駆けつけることができるわけだ!」

 

ハリーとフラーが気遣わしげに蓮の表情を窺っているのがわかった。ディゴリーが小さく右手を挙げる。

 

「ん? なにかね? ミスタ・ディゴリー」

「彼女が優秀な生徒だということは知っていますし、動物もどきという能力を持っていることもわかっていますが、まだ4年生です。彼女に危険はないのでしょうか?」

「そのとーりでーす。救助するーにしても、危険はありまーす」

 

バグマンは得たりと頷いた。

 

「もちろんそれは十分に議論されたとも! だが、彼女を指導して来られた先生方がこぞって『ウィンストンが本気を出せば可能』と回答なさった! いいかね。ミス・ウィンストンは無抵抗で救助に当たるのではない。加害選手を排除することが彼女の仕事だ。それが可能であることは、第2の課題を思い返せば納得出来よう」

 

バンバンとまた蓮の背中を叩いた。本気を出せば可能と言い出したのがマクゴナガル先生1人ではないというのが本当なら、泣いてもいいような気がしてくる。本気を出していないことが大多数の教授に見抜かれていたとしたら、いい面の皮だ。

 

「ホグワーツに有利になるような工作をする心配は無用だ! なにせ、彼女にはイギリス人、フランス人、ブルガリア人、日本人の血が流れている。この対抗試合の参加校すべてから入学を許可された稀有な人材だからね!」

 

 

 

 

 

第3の課題の説明会の後、フラーとそのまま立ち話をしていると、クラムが近づいてきた。

 

「デラクール、に、話があり、ます」

 

フラーが返事をするより早く蓮が「わたくしもお付き合いさせていただきます」とキッパリ言った。

 

少し逡巡したクラムは気弱に頷いた。フラーに向き直ると、言いにくそうに口を開く。

 

「・・・あなたと、ハーミーニーは、その」

「アーマイオニーは、いもーとのよーな存在でーす」

「記事に、書いて、ある、ことは」

「記者がかーってに書きまーした。アーマイオニーの親族の家が、わたーしの家のすーぐ近所ーにありまーす。何年もまーえから、アーマイオニーは夏をフランスのおばーさまの家ーですごーします。わたーしたちは、たまーに家族のよーに食事をしまーす」

 

家族のように? と繰り返し、クラムが眉を寄せた。蓮がフラーの言葉を補足した。

 

「ミスタ・クラム、わたくしとフラーは親族です。そうですね、フラーとわたくしの関係は、ブルガリア・ナショナルチームのチェイサーのヴァシリ・ディミトロフと同じ関係に当たります。また、ハーマイオニーはわたくしの母のゴッドチャイルドでもありますので、デラクール家では一族の者と同じような扱いになるのです」

「一族と、同じ?」

 

理解出来ないと言うようにクラムが頭を振る。

 

「デラクール家は、そういう考え方をするのだと割り切っていただけませんか? 愛情深い一族なので、家族愛の対象がたいへん幅広いのです」

 

そーでーす、とフラーが頷いた。「マーメイドだろーと、ヴィーラだろーと、マグル生まれだろーと、強ーくて美しーい魔女なら、デラクール家のー魔女で問題あーりません」

 

しかし、とクラムは蓮の顔を見つめた。「ミス・ディミトロフ、あなたうぁ」

 

「あの、ミスタ・クラム。いい加減に、わたくしの名前を覚えていただけませんか? わたくしの家名はウィンストンです」

「失礼、しました。しかし、ゔぉくにとって、あなたうぁ、シメオン・ディミトロフの、孫だ。ゔぉくは、彼を、尊敬、して、います。ゔぉくの、家族を、苦しめた、闇の、魔法使い、を」

 

蓮は手を挙げてクラムを遮った。

 

「お気持ちは理解しました。祖父に伝えますわ。ただ、あなたが闇の魔術を嫌悪なさるのならば、服従の呪文に抵抗することが肝要ではありませんこと?」

 

クラムが顔を伏せた。

 

「わたくしがダームストラングに入学することを祖父は望みました。ダームストラングでは、闇の魔術に対する理解を深め、耐性をつける訓練をカリキュラムに組み込んでいるからです。既に耐性はありましたが、ホグワーツよりも危機意識の高い学校に入学させたいと考えていました。ですが、あなたはそうではなかった。わたくしはそれを疑問に思っています。極めて強力な術者によるものか、ダームストラングではそもそも耐性訓練をしていないのか、あなたが特別にその授業を免除されていたのか。お答えいただけません?」

 

わたーしも知りたーいでーす、とフラーが言った。「あーの頭で、アーマイオニーをどーやーって、たーすけるつもーりでーしたか?」蓮は頷いた。「救助手段に相応しくないのももちろんですけれど、変身術として危険極まりない変身でした。通常、人間から動物への自然な変身では陸棲生物以外には変身出来ませんから、あなたはおそらく首から上の骨格から皮膚までを無機物と見做して、ゴブレットを鼠に変えるようにそれらを鮫の頭に変身させたのだと思いますけれど、それがいかに危険なことか」

 

「のーみそがふたーつになりまーす。あぶーくあたーま呪文はかんがーえませんでーしたか?」

 

「ゔぉくは、あぶくあたま、呪文が、苦手、です」恥じるように顔を伏せたまま、クラムが唸った。

蓮は首を傾げ「変身術の常識もあまりご理解なさっている気はしませんけれど」と呟いた。

 

「アーマイオニーを、おどーろかせーると、おもーいませーんでーしたか?」

「その危険性もありましたね。人質を驚かせるような変身をしたら、人質がパニックに陥る可能性も想定できたと思います」

 

クラムがやっと顔を上げたが、今度は眉を寄せている。「あなたがた、は、知らなかった、のです、か?」

 

「なーにをでーすか?」

「人質は、試合が、終わり、魔法を、解く、まで、魔法で、眠る、ことです」

 

蓮は顔色を変えた。フラーが「知りーませんでーした。レーンは?」と尋ねる。蓮は首を振った。「人質は、前日の夜にダンブルドアの校長室に集められて説明を受けましたけれど、そのまま眠りの魔法をかけられました。また、今ミスタ・クラムがおっしゃった説明は間違いです」

 

「そーでーすねー。レーンは、スイメーンに顔をだーしてすーぐに起きまーした。魔法は、イトジチがスイメーンに顔をだーしたらすーぐに解けーる魔法でーした」

「・・・ミスタ・クラム、その情報は誰からお聞きになったのですか?」

 

マッド・アイ・ムーディ、とクラムは答えた。「ゔぉくが、船から湖に、飛び込んで、訓練をする、ときに。卵の、謎が、解けた選手には、教えると」

 

「・・・今後は、マッド・アイの言葉を鵜呑みになさらないことをお勧めします」

「なぜです。ゔぉくは、闇祓いを、尊敬、します。ゔぉくの、親族は、闇の魔法使いに、殺され、ました。ゔぉくは、カルカロフより、闇祓いを、尊敬、します」

 

フラーが呆れたように頭を振った。蓮は「闇祓いにもいろいろいますから」と曖昧に答えた。

 

「ミス・ウィンストン! マッド・アイは、あなたの、おじいさんの、ように、優れた、闇祓いだと、聞きます」

「かつてはそうだったとわたくしも思いますけれど、マッド・アイはもう高齢です。特に今年のマッド・アイには何かと不審な点が多い。近づくのはお勧め出来ません。フラー、あなたも」

 

フラーは肩を竦め『面食いなのよ、わたしは』とフランス語で答えた。

 

「ゔぉくは、マッド・アイに、騙された、ですか?」

「彼にあなたを騙す意図があったかどうかは、現時点ではわかりません。ミスタ・クラム、わたくしの祖父と若い頃のマッド・アイの口癖は『甘い言葉で助けようと近づく奴を絶対に近づけるな』です。第3の課題は、さきほどルドヴィッチ・バグマンが説明したことがすべてであるべきです。それ以上の情報を求めることは、同じ間違いを繰り返す可能性を高めます」

 

あなたは、とクラムは唸るように言った。「これほど、危険な、課題の、特別な、パトロールを、本気で、やる、つもり、ですか?」

 

蓮は頷いた。「ミスタ・クラムのお言葉を借りるなら、わたくしはシメオン・ディミトロフの孫ですから。必要ならば、いかに危険でもやり遂げます」

 

「・・・ゔぉくうぁ、確かに、カルカロフから、特別な生徒、だと、思われて、います。服従の呪文や、磔の呪文の、授業は、危険なので、免除されて、いました。ゔぉくうぁ、それが嫌でうぁ、なかった。禁じられた呪文など、使いたくない。でも、そのせいで、ゔぉくうぁ、簡単に、操られた、ですね」

 

蓮もフラーも黙っていたが、クラムは今度は顔を上げて、はっきりと言った。「2度と、闇の呪文にうぁ、かかりません」


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