サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第22章 ウィンキーとウェンディ

翌日の朝食の大広間で、蓮は大広間中に聞こえるような大声で「フラー!」と叫んで駆け寄った。そして「家族の挨拶」を盛大に交わした後に、フラーの耳元に必要以上に唇を近づけて囁いた。『不快な記事でごめんなさい、後で読んで。わたくしとハーマイオニー、この記者をやっつけるプランを立ててるの』

 

フラーはニヤっと笑い『フランスから援護射撃が必要なのね?』と蓮の手から封筒を受け取り、やはり蓮の耳元で囁いた。もちろん蓮もニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。そこへハーマイオニーが「フラー!」と叫んで、蓮を押し退けて飛びつき、その肩に顔を埋めて泣き真似をした。蓮は憤慨したように肩を怒らせ、ハリーの隣の椅子を音を立てて引き、ドサリと座った。

 

ハーマイオニーまでもが『後で読んでね』と囁いて押しつけたフランス語のメモに目を通したフラーは、付き合いよろしく、朝食を済ませてフクロウを待ちながら、演技力たっぷりに互いにそっぽを向きながら紅茶を飲んでいた2人の間で、やはり演技力たっぷりに困惑気味に頭を振り、それぞれの耳元に『了解したわ。可愛いガールフレンドが1度に2人も出来て光栄よ』と囁いて、先に馬車に戻っていった。

 

 

 

 

「名付けて『緋色のおべべ作戦』よ。この噂を逆手に取って、あの女をぎゃふんと言わせるの」

 

怪訝そうに2人の異変を見守るハリーとロンにそう言ったハーマイオニーの前に、見知らぬフクロウがドサドサと何通もの手紙を落としていった。

 

「・・・なにこれ?」

 

横目に見た蓮がほとんど口の動きを見せない器用な喋り方で「開封するときはドラゴン革の手袋が必要だと思うわ」と忠告し、ロンは憮然と「スキーターをぎゃふんと言わせる前に君をぎゃふんと言わせたい『週刊魔女』の読者がいるのさ」と説明した。

 

「わたくしが日本で育つことになったきっかけがこれよ」

「え?」

「毎日のように吼えメールや呪い入りの手紙が送られてきたの、母やコーンウォールの祖父母のところに」

 

今でも覚えてるわ、と蓮が微かに笑った。「手紙の束を開封もしないで、赤くうねる龍みたいな炎を操って燃やし尽くしていたの。あれ、たぶん悪霊の火だと思う」

 

「子供の前でそんな術を?」

「こんなことまでしなきゃいけないような呪いが送られてくる家では子供は育てられない、って。だからわたくしは日本の祖父母に育てられたの。大急ぎで送ってきた嫌がらせだから、大した呪いじゃないわ。暖炉に放り込みなさい」

 

ハーマイオニーは演技ではなく、蓮の反対側を向いて、目頭が熱くなるのを堪えた。

メディアが日常を破壊する力を目の当たりにした気分だ。自分に送られてきた呪いではなく、13年前にウィンストン家に送られた呪いに、ハーマイオニーは滾るような怒りを覚えた。

 

 

 

 

 

「君も他人事じゃないぜ」

 

大広間を出るときに、蓮の襟首を引っ掴んだジョージが玄関ホールに出ると、真剣な顔で蓮を指差した。

 

「とんでもない。わたくしは真剣に考えているわ。絶対にスキーターを黙らせる」

「あんな女に関わるな!」

「わたくしに命令しないで」

 

ジョージの手を振り解き、蓮はジョージを睨んだ。

 

「関わるな? わたくしに関わる気がなくても、あの女がわたくしの生活をめちゃくちゃにするのよ。絶対に潰してやるわ。必要ならアズカバンにぶち込んででもね」

 

蓮の強硬な態度を初めて見たような顔でジョージが怯んだ。

 

「毎日のように『良識ある魔女』や『正義の魔法使い』から闇の呪いが送られてくる生活をしたことある? 屍肉をついばむカラスのように私生活を好き勝手に切り取られて、都合良く継接ぎされて、さも事実であるかのように父親の顔が毎朝新聞の1面記事になる生活をしたことは? イギリスではわたくしは外に出るどころか自分の部屋からさえ出られなかったわ。日本でもしばらくはそうだった。わたくしは、スキーターの時代を終らせてやる。さんざん人様を食い物にして儲かったでしょうからね」

 

ジョージが青ざめた。「待ってくれ、そんなつもりじゃ」

 

「わたくしと関わると、あなたもスキーターの食い物にされるわよ。怖いなら黙って隠れてなさい」

 

蓮はジョージを睨みつけ、足早に階段を上っていったのだった。

 

「ジョージ」

「ああ、ハーマイオニー。君は、大丈夫か?」

 

これのこと? とハーマイオニーは手紙の束を持ち上げて見せた。

 

「日刊予言者新聞を叩くのは、レンがやってくれそうだから、わたしはスキーターの『人に言えない秘密』を担当するつもりよ」

「君まで一緒になって・・・」

 

友達だもの、とハーマイオニーは憤然として言った。「わたしの友達は、スキーターの記事のせいで2歳の時から母親と離れて暮らさなきゃいけなかった。それを知った以上、スキーターの好きにはもうさせないわ」

 

 

 

 

夕食の後、ハーマイオニーと蓮は互いのマグルの数学の模擬テストを採点し合っていた。

 

「日本の数学って進みすぎじゃない? イギリスじゃ、たぶんこんなのGCSEのあとよ」

「母もそう言ってたわ。だから、わたくし、GCSEも受けるの。数学は勉強しなくていいから、地理や歴史中心にね」

「本当にOWLイヤーの前の年で助かるわ。OWLと一緒にこんな試験、とてもじゃないけど無理」

 

そこへハリーとロンが駆け下りてきた。

 

「レン! ハーマイオニー! たいへんだ、今すぐ厨房に行って!」

 

ハーマイオニーは眉をひそめた。「厨房? まだ片付けの忙しい時間でしょう? それにわたしたち、寮の外では親しくしない計画なのよ」

 

「いいから! ドビーが来たんだよ! ウィンキーを助けて欲しいって!」

 

蓮とハーマイオニーは顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

「こんなところ、フレッドもジョージも教えてくれなかったぜ」

 

エクレアを頬張りながら、ロンがぼやいた。

 

「誰でもいいからウィンキーを連れていらっしゃい!」

 

蓮が威丈高に命令すると、ハウスエルフたちが何人も奥の大きなオーブン窯に向かって駆け出した。ウィンキーは厨房で1番暖かいオーブン窯の前のソファに寝かされているらしい。

 

「レン、命令するのは」

「ハーマイオニー、隷属しているハウスエルフを素早く動かすには命令が必要なの」

 

ハーマイオニーと蓮のやり取りの間に、ぐったりと意識のないように見えるウィンキーを数人がかりで抱えてきた。

 

「ドビー、答えなさい。ウィンキーがどうしたの?」

「はい、姫さま。ウィンキーは今日もいつものように酔っ払っていました。ドビーはいつもウィンキーに言います。今のご主人さまはダンブルドア校長先生です。ホグワーツのために働かなければいけませんと、日に何度も言います。今日も3回言いました。ですが、3回目のウィンキーは返事をしません。揺り動かしても起きないのでございます!」

「わかったわ。ありがとう、ドビー。あなたには近くにいて欲しいから、ハリーたち3人のために食べ物や飲み物を持ってきて。他のハウスエルフは仕事に戻りなさい! ウェンディ!」

 

パチン! と音がして、ウェンディが優雅に顔をしかめて現れた。「姫さま、なんという場所にいらっしゃいますか。厨房など姫さまの来る場所ではありません」

 

「お説教は後回しよ、ウェンディ。ウィンキーを診てあげて。最近ずっとバタービールの飲み過ぎだったの。今日もバタービールで酔っ払っていたら、意識がなくなったみたい。どう手当すればいい?」

 

ふうむ、とウェンディは長い指を顎に当ててしばらくウィンキーの様子を見ていた。

 

「姫さま、水の魔法をお使いください。ウィンキーの中の水を良い水と悪い水に分けてしまうのです。悪い水は下水にでも流しましょう」

「わかったわ、ドビー。きれいな飲み水を持ってきて。生徒の食事に使うようなきれいな水よ」

「かしこまりました!」

 

ドビーが駆け出すと、蓮がウィンキーの頭に手をかざした。頭から足の先までゆっくりと手をかざしたまま、何往復かさせる。

 

「悪い水を分離したわ」

「悪い水は体から出してくださいませ。ああ、ドビー、そのきれいな水をウィンキーの口に入れてくださいね。ドバッと」

 

何がなんだか全然わからないぜ、とロンが呟き、ハーマイオニーが「急性アルコール中毒なんだと思うわ」と囁き返した。「1度に飲むお酒の量が限界を超えると、意識を失ったり、ひどいときには命に関わるの」

 

「バタービールでかよ?」

「バタービールはハウスエルフにとっては十分に強いお酒なんですって」

 

蓮が杖を一振りして、ウィンキーの口にコップから水を流し込んでいるドビーの方に向き直ると、再び手をかざした。

 

「そうです、姫さま。悪い水の分だけ、きれいな水を体に染み込ませるのです」

 

蓮がゆらりゆらりとかざした手を動かすうちに、ウィンキーが反応を見せ始めた。

 

「もうすぐ意識が戻るわ!」

 

ハーマイオニーが小さく叫ぶと、ウィンキーがパチリと目を開けた。

 

「あ・・・姫さま? ドビーに・・・ウェンディまで?!」

 

ウェンディの姿を見ると、ウィンキーは飛び起き、ウェンディは顔をしかめた。

 

「ずいぶんなご挨拶ですね、ウィンキー」

「そうです! ウェンディはウィンキーを助けるために来てくれたのです!」

 

ハーマイオニーは初めて周りのハウスエルフたちを見回した。皆、ウェンディを遠巻きにして、目を合わせないようにしている。

 

「ウェンディ」

「ハーマイオニーさま、これはいつものことでございます。『ようふく』のハウスエルフは、ハウスエルフの面汚しだと思われているのですよ」

「ドビーもこんな扱いを?」

「ドビーは平気でございます!」

 

ハーマイオニーと『ようふく』の会話をよそに、飛び起きたウィンキーを蓮が捕まえて目の前に立たせていた。

 

「ウィンキー、あなたは『ようふく』になって以来、ずっとバタービールを飲んでお仕事をしないと聞いたわ。それはどうしてかしら? ウェンディがダンブルドアにお給料を払うように言ったけれど、あなたはそれを断っても良かったはずよ。スカートなんかはかないで、みんなと一緒のキッチンタオルで働けばドビーの同類とは思われないでしょう? 『ようふく』は嫌だから、ちゃんとホグワーツ城のしもべにして欲しいと言えば、ダンブルドアは断りはしないと思うわ」

 

ウィンキーはテニスボールのように大きな目にいっぱいに涙を浮かべた。

 

「あた、あたしは、ご主人さまの良いしもべさんです!」

「あなたの今のご主人さまはダンブルドア校長よ。あなたが言っているのはミスタ・クラウチのことでしょう?」

「あたしは、クラウチさまの良いしもべさんです!」

 

ハリーがそこに割り込んだ。

 

「君がいなくなってから、君のご主人さまはたいへんみたいだ。ホグワーツに来る仕事も欠席ばかりなんだ」

「クラウチさまが、ご病気?」

「たぶんそういう理由だと思うけど、本当のところはわからないんだ」

 

説明を始めようとするハリーを遮り、蓮は穏やかな口調で諭すように言った。

 

「ウィンキー、ミスタ・クラウチは、新しいしもべを雇うことができるわ。屋敷しもべ妖精転勤室に申し込むだけでいい。あなたはホグワーツで新しい仕事をする、ミスタ・クラウチはミスタ・クラウチで新しいしもべに世話をしてもらう。それは受け入れられないかしら?」

 

ウィンキーはスカートの裾で涙を拭いた。

 

「あたしは、他のしもべさんとは違うのです! クラウチさまは、あた、あたしを信用して、だ、だ、大事な仕事を、お、お任せになります!」

 

今も? と、3つめのエクレアで口をもごもごさせながら、ロンがくぐもった声で尋ねると、ウィンキーはワッとスカートの裾に顔を埋めた。「ロン!」ハーマイオニーが鋭く叱る。

 

「おかわいそうなご主人さま! ウィンキーがいなければご主人さまは!」

 

ウィンキー、とウェンディが白けた声を出した。「『ご主人さま』と『クラウチさま』が違うということを説明しなければ、姫さまがたには通じませんよ」

 

「・・・『ご主人さま』はミスタ・クラウチじゃないの? だったらミスタ・クラウチに『ようふく』にする権利は」

 

ウェンディが大きな耳がパタパタ鳴るほどはっきりと首を振った。

 

「ウィンキーはクラウチ家のしもべでしたから、国際魔法協力部部長のバーテミウス・クラウチさまが『ようふく』にしてもいいのです。ウィンキーが主に仕えていた相手が、クラウチ部長ではないクラウチだったというだけです」

 

蓮は眉をひそめた。クラウチ家にはもうバーテミウス・クラウチしか残っていないはずだ。息子も妻も死んだのだから。

 

「ねえ、ウィンキー、僕、この前ミスタ・クラウチの名前を見たんだ。学校の中にいる人の名前を映し出す魔法の地図でね。夜中だったけど、ミスタ・クラウチは学校に来ていたよ。もしかしたら君に会いに来たのかもしれないけど、きっと元気にやってるよ」

 

励ますように言うハリーの言葉に、ウィンキーは目に見えてブルブル震え始めた。

 

「ウィンキー?」

「あた、あたしは、な、何も喋りませんでした! あたしは良いしもべさんでした!」

 

はあ、とウェンディが面倒そうに溜息をついた。

 

「姫さま、ウェンディは良いしもべではありませんから、さっくり申し上げますわ」

「・・・ウィンキーがショック死しない程度にね」

「バーテミウス・クラウチは2人いるのです。部長のバーテミウス・クラウチと、息子のバーテミウス・クラウチが。ウィンキーは息子のバーテミウス・クラウチのお世話が仕事だったのですよ」

 

蓮と、エクレアを飲み込んで目を白黒させていたロンが「まさか!」と声を上げた。

 

「ウェンディ! あなたは、あなたは何ということを!」

「ホグワーツの卒業生名簿を見れば誰でもわかります」

 

調べてみるわ、とハーマイオニーが頷いた。蓮は声を低め、ウィンキーに「ウィンキー、あなたは『ようふく』にされるまでバーテミウス・クラウチ・ジュニアに仕えていたの?」と質問した。

 

ウィンキーはガタガタ震えながら、必死に首を振る。

 

「ウィンキー、『姫さま』のお尋ねですよ。これ以上のハウスエルフの恥を晒すつもりですか? 『姫さま』のお尋ねを拒むことは『ご主人さま』の秘密を明かすよりも恥ずかしいことです!」

 

ばたり、とウィンキーの耳が垂れ下がった。

それを憐れみもせずにウェンディは歌うように言う。

 

「『姫さま』にご紹介いただいたお仕事もろくに出来ずにバタービールで飲んだくれて、もったいなくも『姫さま』に治癒していただいたのに、『姫さま』のお尋ねにも答えない。なんて恥晒しなしもべでしょう」

 

わたくしが仕事を紹介? と蓮はウェンディを睨んだが、ウェンディは澄まして「ウェンディの紹介は姫さまの紹介と同じことです」と返した。蓮は肩を落とし「ああそうですか」と呟いた。

 

「ウィンキー、もう一度尋ねるわね。はっきり答えたくないなら、首を縦か横に振るだけで構わない。あなたは『ようふく』にされるまでバーテミウス・クラウチ・ジュニアに仕えていたの?」

「・・・お世話をしておりました」

「ジュニアのお世話を?」

 

ウィンキーは、ゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

ウェンディにこの件を駄犬に教えるように頼んだ後で家に帰し、4人は厨房を後にした。

厨房前の廊下でロンが「本当だったら大変なことになるぜ」と、むっつりと言う。

 

ハリーが「何がそんなに問題なの?」と言うのを、蓮が遮った。

 

「機会を見計らって、ダンブルドアに伝えなきゃいけないわ」

「ああ、それがいいだろうな。シリ、駄犬の返事を待ってから、ダンブルドアに会おう。ただ、最近のダンブルドアは対抗試合の打ち合わせだなんだで、しょっちゅう人が訪ねてきてるから難しいな。滅多な人には漏らせない」

「ねえ、何が問題なのか、教えてくれない? わたしとハリーは、何がなんだか、さっぱりわからないのよ」

 

蓮がハーマイオニーとハリーを振り返った。頭を突き合わせ、囁くような小声で早口に告げた。

 

「アズカバンで死んだはずの死喰い人を、クラウチの屋敷でウィンキーがお世話していたということが問題なの」


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