サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第9章 湖のジョギング

11月に入って、すっかり寒さの増したホグワーツで、蓮は毎日の放課後をジョギングに励んでいた。

 

自宅にフクロウを送り、トレーニングウェア一式を頼むとすぐに荷物が送られてきた。

しっかりしたランニングシューズを履くと、気分がすっと落ち着く。

 

だいたい毎日ランニングして、自室に帰ると、蓮の体力作りに影響されたパーバティが入学以来やめていたヨガを始めるので、それにも参加する。インナーマッスルを鍛えるには最適だ。

 

ちなみにこのヨガには、ハーマイオニーもおそるおそる参加するようになった。

体を動かすことに自信のないハーマイオニーだが、ヨガならスピードを要求されないので、試してみる気になったらしい。

 

3人でヨガマットを敷き、パワーヨガに耽っていると、訪ねてきたラベンダーあたりには怪訝な顔をされるが、3人は気にしない。

夕食前に良い汗をかいてシャワーを浴びて、夕食をたっぷり食べて。体の調子は最高だと言える。

 

「そういえば、ジョージとレンってどうなってるの?」

 

隣のシャワーブースからパーバティが声を上げる。

 

「どうって?」

「よく一緒に走ってるじゃない」

 

ああ、と頷き、あれは一緒に走っていると言えるのか自問する。

 

「たまにジョージがついてくるだけ。ローブのまま、ローファーと靴下脱いで裸足でね。わたくしを追い越すとか言ってペースを乱しにくるわ。ちょっと迷惑」

「・・・全然わかってない」

「レンってそういうところは中身が男子よね」

 

両隣のブースでハーマイオニーとパーバティは言いたい放題だ。

 

「箒の方はどうなの?」

「マクゴナガル先生厳しい?」

 

うーん、と蓮は唸った。

 

「厳しいといえば厳しいけど、論理的に納得できる動きを求められるから、バスケット部のコーチの精神論よりマシ」

 

根性で取りに行け!と言われても、物理的に無理なことは当然ある。

マクゴナガルの場合、急なターンの際の体重移動や、急下降急上昇の際の姿勢の維持に力点を置いた指導なので受け入れやすい。

 

 

 

 

 

談話室で4人で宿題をチェックしていると、試合が近づいてナーバスになったハリーが「スネイプのところに本を返してもらいに行く」と立ち上がった。

 

大丈夫かよ、と心配するロンに背中越しに手を振って出て行ったハリーが全速力で戻ってきたのは、ロンの宿題のチェックをまだハーマイオニーが済ませていない時だった。

 

「返してもらった? どうかしたのかい?」

 

息を切らしながらハリーが説明する。「職員室にはスネイプとフィルチしかいなかった。スネイプの片足が血だらけで、スネイプは言ったんだ! 『いまいましいヤツだ。3つの頭に同時に注意するなんてできるか?』って。わかるだろう、どういう意味か」

 

「ハロウィンの日、ケルベロスの裏をかこうとしたんだ。僕たちが見たのはそこへ行く途中だったんだよ。あの犬が守っているものを狙ってるんだ。トロールは絶対あいつが入れたんだ、みんなの注意を逸らすために。箒を賭けてもいい」

 

大きく出るわね、と蓮は膝に頬杖をついて微笑んだ。

 

「違う、そんなはずないわ。確かに意地悪だけど、ダンブルドアが守っているものを盗もうとする人ではないわ」

「わたくしもハーマイオニーに同意見」

「おめでたいよ、君たちは。先生はみんな聖人だと思っているんだろう。僕はハリーと同じ考えだな。スネイプならやりかねないよ。だけど何を狙ってるんだろう?」

 

ハーマイオニーと蓮は視線を交わした。しかし、蓮はそっと唇に指を当てただけだった。

 

 

 

 

翌日は、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合だ。

 

朝食の席で、アンジェリーナ、ケイティ、アリシアが蓮の肩を叩く。

 

「今年はまだ出られないけど、あなたには期待してるわ。今日の試合はきっちり観戦するのよ」

「スリザリンのラフプレイを見れば、チェイサーの控え選手がいない現状にきっと眩暈がするから」

「ほんとに控え選手がいないと、わたしたちも思い切ったプレイが出来ないの」

 

鬼気迫る発言に、ハーマイオニーは思わず身を竦ませたが、蓮は「はい。勉強させていただきます」と優等生らしい返答だ。

 

「レン」

「ん?」

「あなた、ほんとに来年クィディッチの選手になるの?」

「それはわからないわ。マクゴナガル先生とミスタ・ウッドの判断次第だもの」

 

食欲もなくげっそりした様子のハリーを見てハーマイオニーは頭を振る。

クィディッチの試合のたびにこうなってしまう友人を2人も抱えるのはごめんこうむりたい、というように。

 

 

 

 

「ハリーには、何か妙なものが取り憑いてるんじゃないの?」

 

前評判通りのスリザリンの汚い試合だが、グリフィンドールは善戦している。チェイサーのレベルは確かに高い。

コンパクトに箒を操り、速いパス回しでスリザリンを翻弄する。

これがマクゴナガル先生が育てたチェイサーか、と思うと、ふるっと武者震いが出る。

 

が。

ハリーの様子が明らかにおかしなことになっている。

 

ネビルはハグリッドのジャケットに顔を埋めて泣き始め、ハグリッドは「強力な闇の魔術以外、箒に悪さはできん」と震える声を出した。

 

ハーマイオニーはハグリッドの双眼鏡をひったくり、観客席のほうを見回しているが、蓮はそっと立ち上がった。

 

たぶんスネイプだとハーマイオニーは判断するだろうけれど、蓮はクィレルを目指して駆け出した。

 

なにしろ山育ちの蓮は視力が良すぎるほど良いのだ。さらには、祖母やその後輩であるアラスターおじさまの訓練によって、意識して遠くのものを見ればオペラグラスが必要ない程度には視界を広げることができる。

 

今、対象であるハリーから目を逸らさずに何か呟いているのは、スネイプだけでなく、クィレルもだ。どちらかが呪いをかけ、どちらかが反対呪文をかけている可能性が高い。

ハーマイオニーがスネイプに行くなら、自分はクィレルの注意を引く。

 

クィレルの立っている場所に行く途中、マルフォイが試合に夢中になっているローブから、無言呪文でエクスペリアームスの魔法をかけ、杖を奪った。誰も気づいていない。

 

ーーやっぱり杖ホルダーは脚のままにしようっと

 

杖ホルダーの必要性もアラスターおじさまに指導された。ジーンズの尻ポケットに入れるなど言語道断。制服のローブの内ポケットのホルダーからなど、杖を抜き取るのが容易過ぎる、と。

確かにその通りだった。

 

そっとクィレルの背後に近寄り、杖でターバンの後頭部付近を思い切り叩く。

 

「ひぃっ!」という悲鳴に混じって、微かな怒りの呻き声が聞こえる。

 

「な、なにを、ミス・ウィンストン」

 

ハリーの箒の不審な動きは止まった。

一瞬遅れて、スネイプが慌てて立ち上がり、ローブについた火を叩き始める。

 

「あ、申し訳ございません、クィレル先生。蝿が止まっていましたの」

 

にこ、と微笑む。ハーマイオニーが褒めてくれそうな会心の微笑だ。

 

「杖でそのようなことは感心できませんね。魔女にとって杖とは肌身離さず持つべき武器です。魂を載せるものですよ」

「はい。申し訳ございません」

「今日のところは見逃しますが、次はありません」

 

キリッとした表情を作っているが、声は震えている。

 

蓮は頭を下げてクィレルの前から去ると、スリザリン生の通り道にマルフォイの杖を投げ捨てた。

 

大きな収穫だ。

あのターバンの中には、ニンニクではない何かを隠している。

 

 

 

 

試合のあと、4人はハグリッドの小屋で濃い紅茶を飲んでいた。

 

「スネイプだったんだよ」とロンが説明した。

 

「ロン、ハリーからずっと目を離さずに何か呟いていたのは、スネイプだけじゃないわ。クィレルもよ」

 

蓮は指摘した。「どちらが呪いをかけてどちらが反対呪文を唱えていたかわからないから、わたくしはクィレルのターバンを叩いたの。そのとき、ハーマイオニーの火にスネイプも気づいたから、正確にどちらとは言えないけれど、スネイプだと決めつけるのはまだ早いと思うわ」

 

「クィレルのターバンを叩いた? マーリンの髭だぜ、あの臭そうなターバンをかい? 杖で?」

「マルフォイの杖でね」

 

ロンが驚愕に目を見開いていると、ハリーが思いつめたようにハグリッドに訴えた。

 

「僕、スネイプについて知ってることがあるんだ。ハロウィンの日、あいつ、ケルベロスの裏をかこうとして噛まれたんだよ。なにかは知らないけど、あの犬が守ってる物をスネイプが盗ろうとしたんじゃないかと思うんだ」

 

ハグリッドはティーポットを落とした。

 

「なんでフラッフィーを知ってるんだ?」

「フラッフィー?」

「あいつの名前だ。去年パブで会ったギリシャ人から買ったんだが、俺がダンブルドアに貸した。守るため・・・」

「なにを?」

 

ハリーが身を乗り出したとき、蓮は溜息をついた。「賢者の石をよ」

 

「賢者の石?」

「713番金庫は、レンのお宅が管理してる金庫だもの、フラメル家の金庫・・・え? フラメルのおじいさまって、ニコラス・フラメル?」

「そう。713番金庫には賢者の石しか入ってなかった。フラメルのおじいさまは、賢者の石をもう使わないからと、ダンブルドアに譲ったの。たぶん賢者の石はホグワーツにあるわ。そうでしょう、ハグリッド?」

 

ハグリッドは憮然とした顔で頷いた。

 

「だがもうこれ以上は言わん!」

 

 

 

 

湖のほとりをジョギングする蓮に、今日もジョージがついてくる。

 

「なあ、クリスマスはホグワーツに残るのか?」

「いいえ。家に帰るわ」

「残りなよ」

「高齢の家族がいるから、会える機会には会っておきたいの」

 

賢者の石、命の水について、ニコラス・フラメルに話を聞くことが、クリスマスホリデイの蓮の課題だ。

 

「君が残れば楽しいんだけどな」

 

蓮は眉を寄せた。

 

「ジョージ」

「なんだい?」

「どうしてわたくしのジョギングについてくるの?」

「そ、それは君、大イカに襲われかねないからさ」

「大イカも氷の下よ」

「それでもだよ。一人でこんなひとけのないところにいるもんじゃない」

 

ふうん、と頷いて、ジョージの裸足の足に目を向けた。

霜を踏んだせいで赤くなっている。

 

「家からクリスマスプレゼントを贈るわね」

「ひゅう、楽しみだ」

 

ところでさ、とジョージが話題を変えた。「君たち、いったい何を企んでるんだい?」

 

「何って?」

「4階のケルベロスが守ってるものは、賢者の石か?」

「・・・ロンに聞いたの?」

 

半ば呆れながら、蓮は応じる。まったくあの2人は秘密裏に事を運ぶことを知らない。

 

「ぼんやりした我が弟が必死で賢者の石の効用を聞いて回りゃ、俺たちだって気づくさ。ケルベロスは見に行ったしな」

「たぶん賢者の石、という憶測よ。ただ、賢者の石の守りに、ケルベロスだけじゃ足りないとは思うけれど」

「スネイプが盗ろうとしてるってロンとハリーは言うけど、君の見解は?」

 

クィレルよ、と蓮は囁き声で答えたが、ジョージには伝わったようだ。

 

「なるほどね。あのターバンは確かに怪しい。俺たちが1年の時は、あんな風じゃなかったんだ。マグル学の教授だったから授業を受けたわけじゃないけどね。1年の研究休暇を取って、今学期戻ってきたと思ったら、あのターバンだろ。しかも、やけにおどおどしてニンニク臭い。闇の魔術に対する防衛術の教授以前に、あいつが闇の魔術を頭に貼り付けてるんじゃないかと思ったね」

 

弟より鋭いな、と蓮は思った。


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