サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第8章 ハロウィンの夜

翌日、蓮とハーマイオニーが朝食のために大広間に向かっていると、ウィーズリーの双子がガシッと蓮の肩を捕まえた。

 

「ちょ・・・まだネクタイもしてな・・・」

 

蓮の掠れ声に、ハーマイオニーは呆れて頭を振る。

シャツのボタンを上まで留めずに寮を出る蓮にも(寝坊のせいだ)レディの身支度が整っていないのに乱暴なスキンシップをする双子にも呆れるほかない。

 

「聞いたぜ、君がチェイサーとしての特訓を受ける話」

「新しいシーカーに新しいチェイサーだ、ウッドが第九を歌ってる」

「わたくしはまだチームに入るわけじゃないから。マクゴナガル先生と訓練をするだけよ」

 

双子を振り払い、シャツのボタンを留め、ネクタイを締める。

いつも思うのだが、蓮のネクタイの形は常に品良く整っている。ネクタイの締め方はロンドンのおじいさまに特訓されたというけれど本当だろうか。

 

「はい、杖」

 

最後の仕上げにハーマイオニーが蓮の杖を差し出すと、蓮はいつものように太腿のホルダーに挿した。

 

「ちょ! 君、なんてところに杖を挿すんだ?」

 

双子の一人が悲鳴のような声を上げる。

 

ーーあ、男子がいたわ

 

ハーマイオニーもまだ少し寝ぼけているようだ。

 

「ま、まあ、とにかくだ。マクゴナガル先生が直接指導することなんて滅多にないから、俺たち期待してんだよ。俺たちはビーターだ。これからよろしくな」

 

慌てて片割れが蓮のスカートのあたりを見つめているのを、片割れが無理やり振り返らせて引きずっていった。

 

「なにあれ」

「クィディッチチームではよろしく、っていう激励。をしようとしてあなたの太腿に見惚れたの。ね、蓮、杖は制服のローブの内側のホルダーに挿したほうがいいんじゃない?」

 

歩きながら蓮は「うーん」と渋い顔をする。

 

「なにか理由があるの?」

「ローブの内側だと、すぐに杖を抜いちゃうから」

「抜いちゃダメなの? というか、杖を出すたびに太腿をチラ見せしてしまう現状に疑問を感じない? あなたって、顔がそれだし、最近は口調もレディらしくなってきたから、あなたの太腿にすごく価値がついてる気がするんだけど」

 

蓮は苦笑して「簡単に杖を抜けないようにしておかないと、無意識に校則違反の呪いをかけちゃうわ」と言った。

 

「まあ、あなただったら、強力な攻撃呪文の一つや二つ使えそうだけど」

「ハーマイオニー」

「なぁに?」

「この杖買ったときのこと覚えてる?」

 

ハーマイオニーは記憶を探り、頷いた。「ミスタ・オリバンダーが作った杖じゃなさそうだったし、反応も激しかったわね」

 

「ええ。だから、杖の癖みたいなものがわかるまでは安心して攻撃呪文を使えないの」

 

いずれは使う気か、と思ったが、そういう理由なら理解できる。

その自制のために、というのなら正解だろう。

 

「理由は理解出来たから、身支度は部屋で済ませましょうね。男の子の前で太腿をちらつかせないように」

 

 

 

 

 

マクゴナガル先生との訓練は、まずバスケットの能力を確かめることから始まった。

 

指定された教室に行くと、マクゴナガル先生が杖の一振りで蓮の服装を変化させる。

タンクトップにショートパンツ、ナイキのバスケットシューズは、蓮が小学校でプレイしていたときのユニフォームにそっくりだ。

それを確かめると、マクゴナガル先生が自分に向けて杖を振り、色違いのユニフォームに変身した。ただし、タンクトップの下には白いTシャツを着ている。

 

空き教室を拡大呪文で体育館並みの広さにし、机をゴールポストに変身させ(ただし高さの違う3つのゴールだ)椅子をボールに変身させた。

 

「最近のバスケットボールの感触をわたくしは存じませんから、戦前のボールですけれど、まあ、支障はありませんね。ラインも別に必要ないでしょう。このボールには魔法をかけています。あなたにどこからかパスが飛んでくる魔法です。わたくしがゴールを守ります。あなたはわたくしを躱し、一番確実にシュート出来るゴールにシュートしなさい」

 

蓮はボールを手にし、首を傾げた。

 

「先生のディフェンスを抜けないと判断したときに、わたくしが背後にパスすることは?」

「構いませんよ。その場合は、また新たな場所からパスが来ます」

 

まずは、定位置からのシュートで感触を確かめなさい、と言われ、蓮は目測でフリースローラインのあたりに見当をつけて構えた。

 

しゅ、とバックボードにも当てずにフープを潜らせるシュートを何度か繰り返すと、マクゴナガル先生は満足そうに頷く。

 

「よろしい。では、ワンオンワンを始めましょう」

 

マジか、と蓮は思った。祖母と同い年の人とバスケットをするなんて考えたこともない。

 

しかし、とセンターライン付近でボールを手にすると、蓮の表情は変わる。

 

ーーバスケットの経験者に違いないし、なにしろ魔女の年齢なんて基礎体力を憶測する要因にはならない

 

蓮は低いドリブルで突っ込んでいった。

 

 

 

 

ーーこの子は、

 

マクゴナガルはある意味で驚愕していた。

無論、柊子からバスケットボールの選手としてそれなりの好成績を収めたことは聞いていたが、高齢の自分を相手に本気で向かってくるとは想像していなかった。

 

年寄りだと侮ったところを突いてやろうとさえ思っていたのに。

 

敵を侮らないところは十分に躾けられているらしい。

 

キュキュ、とシューズを鳴らして、ターン。抜けないならば思い切りよく背後にパスし、ボール抜きでゴール下に入り込みパスを受けると、そのままマクゴナガルの手を弾いてレイアップシュート。

 

パンパン、と手を叩き終了を宣言する。

 

「バスケットボールの能力は素晴らしい。ですが、なぜレイアップシュートを?」

 

最初のフリースロー以外はすべてレイアップシュートだ。

 

「出来る限り、フープの近くで、ボールから手、を離したいからです」

 

多少息が上がっている。

 

「なるほど。そのセンスはチェイサーにも必要ですね。しかし、あなたにはまだ体力がない」

「・・・はい」

「わたくしでさえまだ余裕があるというのに」

 

マクゴナガルの自尊心は若干満たされた。呼吸の乱れ具合は自分のほうがまだマシだ。

 

「ホグワーツに来てから、何か体を動かす活動はしましたか?」

「いえ、特には」

「湖のほとりをジョギングするなどをあなたには勧めます。魔法使いや魔女は基礎体力の向上を疎かにしがちですが、あなたはどうやら全身を動かす能力に優れていますから、その強みを伸ばしましょう」

「はい。あの、マクゴナガル先生は・・・バスケットボールのご経験が?」

 

ふっとマクゴナガルは笑った。

 

「わたくしが育った村の教会には簡素なコートがありました。教会の裏の牧師館がわたくしの家でしたから、わたくしは毎日弟たちとバスケットをして育ったのですよ」

 

ひゅ、と魔法でふかふかのタオルを取り出し、蓮に向かって投げてくれる。

 

「あなたがグリフィンドールに組分けされたときはシーカーにするつもりで、特例枠の根回しをしたのですが、それはポッターに使ってしまいました。ですが、どうやらあなたはチェイサーにも向いています。クァッフルとバスケットボールでは形状が多少違いますし、そもそもドリブルをしませんから、ラグビーにも似ていますが、あなたの視野の広さやパスを有効に活用してゴールに極力近づく能力はチェイサー向きです。今年は、アンジェリーナ、ケイティ、アリシアの3人が決まっていますが、控え選手がいません。来年からはチームの一員として活躍してもらいます。毎週この時間は空けておきなさい。シルバーアロー40を乗りこなすには、相応の資質と訓練が必要です。柊子に借りて何度も使ったことがありますが、あの箒は急なターン、急降下急上昇に対する反応に優れています。その分、乗り手にかかる負荷も大きくなる。筋力トレーニングは欠かせません」

 

タオルで汗を拭きながら、蓮は素直に「はい」と頷いた。

 

マクゴナガルの読み通りだ。この少女はクィディッチの選手になることだけなら喜びはしないが、自分の能力を試されるとなると、静かな闘争心を燃やすタイプだ。

 

ーーいったいどういう育て方をしたのやら

 

親友に少しばかり呆れて、寮に戻るよう促した。

 

 

 

 

頭にマクゴナガルからもらったタオルをかぶり、よろよろとグリフィンドール寮の談話室に転がり込むと、ウィーズリーの双子がぎょっと目を剥いた。

 

「レン! 君、なんて格好してるんだよ!」

「・・・え? あ。杖を貸して」

 

双子の片割れが差し出した杖を受け取り、立ち上がると杖を自分に向けて「フィニート・インカンターテム」と呟き、制服のローブ姿に戻った。

 

「・・・何があったんだ?」

「マクゴナガル先生とバスケットしてきたの。杖、ありがとう」

 

そこへオリバー・ウッドが駆け込んでくる。

 

「レン・ウィンストン! 君は最高だ!」

「・・・え? ちょ、ミスタ・ウッド?」

 

駆け込んできたウッドはレンを抱き上げてくるくる回る。

 

「マクゴナガルとの練習を見たぞ! 君は最高のチェイサーになれる! 汗かいただろ? すぐに着替えを持ってこい。監督生の風呂に入るといい!」

「オリバー!」

「変態か!」

 

双子のウィーズリーが、オリバーの腕から蓮を引き剥がした。

 

「レン、君、汗かいたんだったら、女子寮の風呂に入れよ」

「オリバーが知ってる風呂は男子専用だからな」

 

よくわからないが、シャワーは浴びたかったので「ありがとう。そうする」と言い置いて女子寮への階段を上がった。

 

部屋に戻ると、ハーマイオニーがイライラしながら机に向かっていた。

 

「ただいま、ハーマイオニー?」

「ああ、おかえりなさい、レン。マクゴナガル先生との特訓はどうだった?」

「もうくたくた。ハーマイオニーは? なんだかイライラしてるみたいだけど」

「ハリーとロンよ! まるでわたしがお節介焼きみたいに避けるの」

 

蓮は「ああ」と頷いた。「しばらく放っておいたら?」

 

「そうしてるけど、わたしが近くを通るだけでコソコソするのは不愉快よ」

 

小さなクロゼットから着替えと入浴用品を取り出しながら、蓮は相槌を打つ。

 

「ロンって、そういうところあるわね。お兄さんたちはもっと鷹揚なのに」

「お兄さんたち? ミスタ・パーシー・ウィーズリー?」

「ううん。双子のほう。どちらかというと、小さいことを気にして、小さい嫌がらせするあたり、ロンはパーシー・ウィーズリーに似てるのかも」

「ハリーは?」

 

蓮は肩を竦めた。

 

「『生き残った男の子』ですもの。4階でケルベロスが何を守ってるかなんて、首を突っ込まなくていいことを、ネビルやロンとあれこれ話し合ってるわ」

「レンは知ってるんでしょ?」

「知ってるけど、言わないわよ。あれはもうわたくしの家の財産じゃなくてダンブルドアに譲ったものだから。ちょっとシャワー浴びてくるわね」

 

 

 

 

 

ハロウィンの朝は珍しく蓮が早起きをした。

顔を洗い髪を整え、シャツのボタンをきちんと上まで留めて、いつものように完璧なネクタイを結び、スカート下のホルダーに杖を挿す。

 

「わたしにとってはありがたいけれど、レン、どうしちゃったの?」

「美味しい匂いがするの!」

「・・・ハロウィンのパンプキンパイの匂いで目を覚ましたの?」

 

軽い脱力を覚えながら、ハーマイオニーが問うと、蓮は花がほころぶような笑顔を見せた。

 

「レン、あなた、そういう顔はパンプキンパイじゃなくて、ジョージ・ウィーズリーに見せてあげたら?」

「ジョージ? 双子の片割れ?」

 

パーバティの言葉にハーマイオニーは同意しかけた。

 

なにしろジョージ・ウィーズリー(たぶん)ときたら、蓮がハーマイオニーやパーバティの側に見当たらないと「レンはどうした?」と必ず尋ねるのだ。

 

ーーま、それは個人のプライバシーだわ

 

「ジョージ・ウィーズリーより大事なこと、今日のフリットウィック先生の授業では浮遊呪文の実習だもの。びゅーん、ひょい、よ」

 

ハーマイオニーの言葉に、パーバティも蓮も肩を竦めて「びゅーん、ひょい」と応じてくれた。

 

 

 

 

 

さて、そのフリットウィック先生の「妖精の呪文」の実習は、あちこちで惨状が発生した。

蓮の目の前のネビル・ロングボトムは、確かに羽を浮かせた。浮かせたというよりは、炎が点いて熱で浮遊したという感じだが。

「アグアメンティ」と蓮がすぐに消したので、大事には至らなかったのだが、ネビルは度々の失敗に顔を赤くして泣きそうだ。

 

そのとき「そんなによくご存知なら、君がやってみろよ!」と怒鳴り声が響き、蓮は目を覆った。

ハーマイオニーのきれいな発音で「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」と呪文を唱えると、羽は見事に1.2メートルほどの高さに浮かび上がった。

 

「さ、ネビル。もう一度やってみましょう。わたくしの羽があるから」

 

ネビルを励まし、なんとか浮遊呪文を成功させ、フリットウィック先生の前で自分も羽をハーマイオニー程度に浮かせる。

ふと、周りを見回すと、ロンは顔を赤くしてあからさまに不機嫌を撒き散らしていた。

 

散々な実習(羽を浮かせることに成功したといえるのはハーマイオニーと蓮、それから蓮がつきっきりで指導したネビルだけだ)にぼやきながら教室を出る生徒の群れを押しのけるようにハーマイオニーが飛び出していく。

 

蓮は教科書の角でロンを小突いた。

 

「なんだよ! あ、レン・・・」

「ハーマイオニーに何を言ったの?」

「誰だってあいつにはがまん出来ない。悪夢みたいな奴だって、事実を言っただけさ」

 

いくらか動揺の残る声だが、蓮の不快感は頂点に達した。

その後ろからパーバティが「がまん出来ないほど悪い子じゃないわ! わたしとレンは同室なのよ? むしろあなたとハリーの幼稚な態度が」と声を上げる。

 

そのパーバティの腕を叩き「わたくしはハーマイオニーを探しに行くわ」と告げると、ハリーが少し喉が詰まったような声で「ハーマイオニー、泣いてるみたいだった」と蓮に告げた。

 

蓮はハリーを切れ長の瞳で横目に見遣り、軽く頷いて駆け出した。

 

 

 

 

「ハーマイオニー?」

 

ずっと閉まったままの個室のドアをノックする。

洟をすする音が聞こえるけれど、返事はない。

 

そこへ、制服姿のゴーストが現れた。「マートル」

 

「その子、そこでずーっと泣いてるわ、いじめられたみたいね」けけっと笑う。

 

個室の前に立っている蓮を見てマートルは「なぜあなたがグリフィンドールのネクタイをしてるの? あなたはレイブンクローの人よ。なんだか縮んじゃったけど!」と叫んだ。

 

「マートル、それはきっと人違いだわ。わたくしは入学したときからグリフィンドールよ」

 

ふーん、と言ってマートルが主に住処にしているトイレ(嘆きのマートルのトイレとして生徒から避けられている)に戻ると、蓮はまた「ハーマイオニー」と声をかけた。

 

「一人にして」

「出来ないわ」

「・・・わ、わたしの近くにいたら、レンまで嫌われちゃう」

「誰に? ハリー・ポッターやロン・ウィーズリーに? 別に問題ないでしょう? 現時点で友達でもなんでもないんだから」

「みんなからよ!」

 

ハーマイオニー、と蓮は静かな声を出した。

 

「ロンの言葉をすごく大きく受け止めちゃったのね。ショックは想像出来るから、あなたの気が済むまでそこにいるのも有りだと思うわ。でも一人にはしない。わたくしはここにいる」

「授業が・・・」

「授業よりハーマイオニーが大事」

 

言い置いてトイレの床にバサバサと鞄の中身を投げ出しその脇に腰を下ろした。

 

「・・・汚れるわよ」

「あとでスコージファイするから平気」

「もう・・・」

「せっかく2人っきりだから、大事な話していい?」

「なに?」

「わたくしの杖のこと。ハーマイオニーは死の杖とか、宿命の杖って知ってる?」

 

ひっく、としゃくり上げながらも質問には答えようとする。

 

「あ、悪人エメリックから極悪人エグバートが奪った杖」

「うん。その杖は、ニワトコの杖といって、実在するんだけどね。わたくしの杖は、どうやらそのニワトコの杖の双子杖らしいの」

「・・・双子杖?」

「杖の材質は、ニワトコと桜で違うけど、芯がセストラルの尾。セストラルは高度な魔法生物だし、まだ見たことないかもしれないけど。尻尾は馬の尻尾みたいに長いから、一本の毛を2つに分けてそれぞれの素材に埋め込んだ、という意味で双子杖」

「ええ、よくわかったわ」

「この杖のことは、誰にも内緒にして欲しいの。ハリーやロンには特に」

「・・・っく。そもそもハリーやロンとは話さないわ」

「いずれ機会があっても、ってこと。約束して?」

 

約束する、とハーマイオニーが言って、蓮は「ありがとう」と微笑んだ。おそらくその微笑みをハーマイオニーやパーバティが見たら「そういう笑顔は男子に見せなさい!」と言うに違いない。

 

ハーマイオニーのしゃくり上げる声の合間から聞こえてくる愚痴は、だいたいにおいてロンを詰るもので、蓮は首を傾げる他ない。

 

ーーロンの言動を気にしすぎじゃない?

 

それを言ったらますますヒートアップするだろう。蓮はハーマイオニーの愚痴に同意するに留めた。

 

 

 

 

 

どのくらいの時間が経ったろう。

 

途中、心配したパーバティが来たが、ハーマイオニーが頑なに「ごめんなさい。わたしのことはいいから、パーティを楽しんできて」と言うので、蓮はパーバティに苦笑して「パーティのご馳走を部屋に持ち帰ってあげて。たぶんみんなが、部屋に戻る時間には出てくるから」と付け加えた。

パーバティは頷き「ハーマイオニー? ウィーズリーの負け惜しみなんかに負けちゃダメよ! 調子に乗ってるところを女子みんなで袋叩きにする計画練ってるからね! ご馳走はあいつらの目の前から取り上げて確保しておくわ!」と言い置いて、パーティに向かった。

 

「・・・レンも行けばいいのに」

「ハーマイオニー? わたくし、友達をトイレに置いたままパーティを楽しむ人間に見える?」

 

その時だった。

ーー臭すぎる!

 

蓮の嗅覚は敏感なほうだ。山育ちだからか、雨の降る匂いや、稲刈りの匂いを風の中に嗅ぎ取ることが出来る。

 

しかし、この異臭は未体験だった。魔法薬学のネビルの失敗であらゆる悪臭に耐性がついたと思っていたが、甘かった。

悪臭を放つ何かは、ぶぁー、ぶぁー、と音声を発しながらこのトイレに近づいている。

 

「レン、何かしら、変な匂いが・・・」

「ハーマイオニー。緊急事態発生。その個室ごと保護呪文をかけるから、しばらく黙って息を潜めて」

 

家族から聞いた昔話に嘘や誇張がなければ、これは

 

ーートロールだ!

 

急いで対策を考える。

この前の廊下にトロールがいる以上、今から脱出して逃げ出すのは下策だ。

 

あまり知能が高くないトロールは、視界に獲物が映らなければ興味を示さない。

 

スカートの下から杖を取り出し、慎重にハーマイオニーの個室に向かい「プロテゴ・マキシマ」と囁き、こつ、と杖を当てて目くらまし呪文をかける。

これでハーマイオニーは大丈夫。

自分にも目くらまし呪文をかけると、蓮は杖を構えて、トイレの入り口を睨んだ。

 

ぶぁー、ぶぁー、と言いながら、トロールが顔を覗かせる。

 

ーーそうだ、一回り見回せ、ここに獲物はいない、いないとわかったら失せ・・・

 

蓮は我が目を疑った。

 

トロールが入ってきたまま、開いていたドアが静かに閉まったのだ。

 

その上、かちゃり、と間抜けな音を立てて鍵が外から閉まった。

 

ーートロールと密室状態かよ!

 

いったいどいつの仕業だ引き裂いてやる、と頭が煮え返る中、蓮は透明のまま無言で杖を振り、トロールに会話が聞こえないようにした。

 

「ハーマイオニー。少しだけ作戦会議です」

「は、はい」

「わたくしたちは、トロールとここに閉じ込められました」

「・・・はい?」

「わたくしがトロールの気を引きながら、なんとかしてドアを吹っ飛ばすから、そしたら、ハーマイオニーはすぐに逃げて助けを呼んできて欲しいの」

「レン、あなた一人でトロールを倒すなんて」

「倒すんじゃないわ。時間を稼ぐ小技を使うだけ。お願い」

「わ、わかったわ」

 

震える声だったが、ハーマイオニーはきちんと答えた。

 

よし、とひとつ頷き、蓮は自分の目くらましを解いた。

 

トロールが振り向く瞬間、大声で叫んだ。

 

「トイレに鍵かけた馬鹿は、探し出してぶっ殺す!」

 

 

 

 

蓮の怒声で自分たちがしでかした最大のミスに震え上がったハリーとロンがトイレに駆け戻ったとき、トイレの入り口のドアが爆発したように吹っ飛んできた。

 

「ハーマイオニー! 今!」

 

個室から飛び出してくるハーマイオニーを受け止める形になったロンが慌てていると、怜悧な顔をさらに厳しくした蓮が「ロン邪魔! ハーマイオニーと一緒に助けを呼んできて!」と怒鳴る。

 

「いやよ! レン一人にトロールの相手なんかさせられないわ!」

 

蓮は舌打ちし、入り口付近に固まっている3人にまとめて「プロテゴ・マキシマ」と唱えた。

 

それから身軽にいくつかの洗面台を渡って合流しようとする。が、トロールが振り回す棍棒を避けながらでは難しい。

 

そこへハリーが飛び出した。トロールに背後から飛びつき、偶然にもトロールの鼻に杖を突き刺したのだ。

 

「レン! 今移動して!」

 

ハリーが背中に止まった蝿のようにトロールに不快感を与えているが、いつまで保つかわからない。

 

ハーマイオニーはトロールが破壊した洗面台の欠片を、咄嗟に習ったばかりの浮遊呪文で浮かせた。目の前に、ふらふらと浮かぶ欠片にトロールの意識が散漫になる。

 

「ハリー、今よ! 飛び降りて!」

 

ハーマイオニーの声にハリーは飛び降り、蓮の張った盾の中に戻る。

 

蓮は杖を構え「そうか、人間相手じゃないなら使ってもいい、それに危機的状況だ、うん」と呟いている。

 

ハーマイオニーの顔から血の気が引いた。なんだか知らないけど、やたらに強力な杖を全開で使う気だ。

 

「ステューピファイ!」

 

光線が真っ直ぐにトロールのがら空きの胸に当たる。

しかしまだ失神はしない。据わらない目が彷徨っているので、もう一押しだけど。

ハーマイオニーは自分がロンの腕にしがみついていることも忘れ「ロン、ロン。どうにかして!」と叫んだ。

頷いたロンは「あ、あの、う、う・・・ウィン」と言いかける。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサよ!」

 

違う僕はウィンストンを止めようと、と口にする間も無く、ロンはハーマイオニーの言う通り「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」と叫んでいた。

 

 

 

 

 

駆けつけたトイレの惨状にマクゴナガルは軽い眩暈を覚えた。

 

「あ、あなたがたはいったいどういうおつもりなのです」

 

蓮とハーマイオニーは視線を合わせ「すべてわたくしたちのせいです」と進み出た。

 

「わたくし、人間相手に攻撃魔法を使わないように家族から言われていましたから、トロール相手なら、失神呪文ぐらい試してもいいかと思って」

「わたしも、レン一人にさせるわけにはいかないので同行しました。同罪です。ハリーとロンは」

「わたくしたちがいないことに気づいて追いかけてきてくれました」

「わたしたち、トロールに殺される寸前だったんです」

「ハリーがトロールの鼻に杖を突き刺して注意を引き、ロンがトロールの棍棒を奪ってトロールをノックアウトしてくれました」

 

マクゴナガルはジロリと男子2人を見たが、ぽかんと口を開けている。

女子2人が流れるように嘘をつくコンビネーションは見事だが、男子はついていけていない。

 

「よろしい。もうそういうことにします。ミス・ウィンストン、ミス・グレンジャー両名からそれぞれ5点の減点です。それからミスタ・ポッター、ミスタ・ウィーズリー両名にそれぞれ10点差し上げます。ただし!トロールに立ち向かうなど、あなたがたの技量ではまだ早過ぎます。殺されてもおかしくなかった。そのことは心に留めておきなさい」

 

 

 

 

 

グリフィンドール寮に向かう長い廊下で、ロンが唐突に前を歩くハーマイオニーに「ごめん!」と叫んだ。

 

「・・・え、なに?」

「いや。その。君のお陰で浮遊呪文をマスター出来たってことだよ。うん」

 

それは間違いない、とは思うものの、蓮としては一言言わないと収まらない。

 

「ハリー、ロン、わたくしに何か言うことは?」

 

ひっ、と2人は身を縮めた。

 

「トロールの意識を引かないように、目くらましをして保護呪文をかけて、トロールが興味を無くして去っていくのをじりじりと待っているときに、なぜかトイレの扉が閉まり、鍵が外からかけられた事情は、何かご存知かしら? わたくし、トロールと戦う気はさらさらなかったのに。トロールと密室状態では戦うしかなかったのよね」

「す、すみませんっした!」

 

共通の最悪の体験から、友情が生まれることはままある。

体長4メートルを超えるトロールを倒すというのは、まさにそういった体験の一つだった。


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