サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第8章 マッド・アイ・ムーディ

翌日の朝食の時間に、再びダンブルドアが壇上に立った。

 

「昨夜遅くに本校に到着なさった先生を紹介しよう。闇の魔術に対する防衛術を担当していただく、アラスター・ムーディ先生じゃ。皆、盛大な拍手を!」

 

教職員テーブルから、ごとん、がたん、と音を立てて立ち上がった異様な風体の人物に、大広間は静まり返ったが、蓮がダンブルドアに促された通りに拍手をしたのにつられて、まばらな拍手が起きた。

 

「昨夜話した通り、本校では今年1年間に極めて重要な客人を迎えるのでな。ムーディ先生には、1年間の約束でおいでいただいた。この機会に長年闇祓いとして勤務なされたご経験からくる教訓を諸君にご教授いただきたいと考えておる」

 

ダンブルドアが席につくと、ハーマイオニーは「知ってる人?」と蓮に尋ねた。

 

「ええ。わたくしの記憶より、傷は増えたみたいだけれど」

「ロン、昨日の朝早くにアーサーおじさんが出かけなくちゃならなくなったのって、この人のところじゃなかった?」

「うん。マッド・アイ・ムーディだ」

 

ハリーとロンの会話に、ハーマイオニーは合点がいったという表情を浮かべた。

 

「ミスタ・ウィーズリーが、マッド・アイのところに?」

 

蓮が尋ねると、ロンが「そうだよ。昨日の朝早くっていうか、一昨日の真夜中に、マッド・アイが魔法をかけたゴミバケツの蓋が暴れ回ったんだ。僕のパパはそれを内々に処理するために出かけなくちゃならなかった」と説明してくれた。

 

「ああ。マッド・アイの神経症ね」

「神経症?」

「うん。ハリーもハーマイオニーも知らないと思うけど、マッド・アイは凄腕の闇祓いだったんだ。レンのおじいちゃんみたいなもんさ。アズカバンの独房を半分くらい埋める勢いで闇の魔法使いを捕まえた。ただ、ほら、あの傷だらけの顔見ればわかるだろ? 闇の魔法使いからもずいぶん狙われたんだよ。もう引退してるけど、いろんなところに闇の魔法使いが潜んでるって思い込んで、めちゃくちゃ大量のセキュリティ魔法道具に囲まれてなきゃ安心出来ないんだ。たぶんゴミバケツもそれさ。ゴミバケツの蓋に怪しい奴が近づくと暴れて知らせる魔法をかけたんだと思う」

 

蓮も肩を竦めて、トーストを取った。

 

「その怪しさの度合に問題があってね。ゴミを漁る野良猫まで検知してしまうとなると、用心深いというレベルを超えてしまうでしょう? だから、魔法省ではマッド・アイの神経症って言われるようになったの」

「結構ヤバいものに魔法をかけて仕掛けちゃうもんだから、僕のパパのお得意様ってわけさ」

 

ハーマイオニーが「でもあなたのおじいさまもおばあさまもグランパもそんなことないじゃない」と首を傾げた。

 

「グランパは王室の護衛。日本の祖父母は若いときに闇祓いとしては引退したもの。最前線で長く闇祓いをやると、ああなるのも仕方ないと思うわ」

「ビルやチャーリーなんかは、子供の頃にマッド・アイがヒーローだったことを覚えてるから、憧れてるみたいだけどね。やっぱりあまり長くやる仕事じゃないみたいだ」

 

言いながらロンは、先ほどマクゴナガル先生から配られた時間割表を眺めた。「薬草学、魔法生物飼育学、午後はずっと占い学かよ」

 

「わたしたちは、午後はルーン文字学ね」

「ハーマイオニー、あなた今年は占い学も数占い学も履修しないの?」

「無理はやめたの。言ったでしょう。今年はGCSEもあるのよ。去年全部の科目を履修したから、今年はその中から、続けたいものだけを継続することにしたわ。占いたいときは蛙チョコカードをシャッフルすればいいんだもの」

 

ハリーとロンは、みじめな占い学の授業を想像して互いに顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

ハグリッド、と蓮はこめかみに指を当てて小声で「実験的飼育禁止法違反よ!」と強く囁いた。

 

「心配はいらねえ」

「どうせあの尻尾爆発スクリュートって、マンティコアとファイア・クラブの交配をしたんでしょう! ファイア・クラブ飼育の特別許可証は持ってるの?」

 

ハリーとロンとハーマイオニーが、恐々と「尻尾爆発スクリュート」を観察している隙にハグリッドに詰め寄る。

 

「おまえさん、怜に似てきたぞ」

 

心配いらねえ、とハグリッドはまた無根拠に楽観的なことを口走った。「三大魔法学校対抗試合に、ちーっとばかし面白え奴を出せねえかってダンブルドアのご命令だ」

 

「ハグリッド、それを聞いた以上は、わたくし、本当にお母さまに知らせるわ。実験的飼育の許可を取っていない生物を対抗試合で使って事故が起きたら国際問題よ!」

「いらねえって!」

 

その態度が既に怪しいわ、と蓮は唸った。

 

 

 

 

 

ハリーに背後から呪いをかけようとして外したマルフォイが、ムーディによってケナガイタチに変身させられ、驚異的な勢いで跳ね上げられているのを笑っていると、マクゴナガル先生が「ウィンストン!」と蓮を怒鳴りつけた。

 

「はい?」

「わたくしはこのような悪戯のために変身術を教えたわけではありません! すぐにあの生き物を解放しなさい! 生き物をピンボール遊びに使うとは情けない!」

 

誤解です! と蓮が強く抗議した。「あれはムーディ先生が廊下で呪いをかけようとした生徒を」

 

それを聞くと、マクゴナガル先生が顔色を変えて「アラスター!」と怒鳴りつけた。「それは生徒なのですか!」

 

「む。後ろから呪いをかけるなど卑劣な真似をしおったのでな」

 

マクゴナガル先生がバシュっと杖を向けて光線を放つと、ケナガイタチはドラコ・マルフォイに戻った。「またケナガイタチですか・・・」と、つまらなそうに呟いたのを、ハーマイオニーははっきりと聞いた。

 

「よろしいですか、ムーディ先生。ダンブルドア校長が繰り返しお伝えしたはずですが、我が校では体罰には決して決して変身術は使いません! それからウィンストン! あなたもこのような場面を笑って見ていないで変身を解いてやりなさい!」

 

えー? と不平の声を上げる蓮の足をハーマイオニーは力いっぱい踏んだ。

 

「ちょ、ハーマイオニー?」

「忘れてたけど、あなたは変身術が極めて優秀だったことでホグワーツ特別功労賞を受賞したのよ。マクゴナガル先生のおっしゃる通りだわ」

 

カツカツと靴を鳴らして去るマクゴナガル先生の姿が消えるのを待って、ハーマイオニーは蓮の不平を封じた。

 

「自分も笑ってたくせに」

「ええ。わたしも反省すべきね。ところでケナガイタチに変身するのが他にも誰かいたのかしら?」

「・・・自分たちがマルフォイの祖父をケナガイタチに変身させて遊んでたんだと思うわよ。あと、わたくしの母がマルフォイの父親をやっぱりケナガイタチに変身させたはず」

 

この人たちの才能の無駄遣いはどうにかならないものかとハーマイオニーは心底から嘆いた。

 

 

 

 

 

「やっとこの時間だ! 待ってたぜ!」

 

興奮を隠す気もないロンの背中を指して「浮かれるほどのこと?」とハーマイオニーは蓮に尋ねた。蓮は軽く頷き「ジョージたちがスリリングな授業だったって自慢だけするのを聞かされたからよ」と答えた。

 

「スリリングな防衛術の授業? 素敵な響きね」

「しかも教授がマッド・アイだもの、不安しかないわ」

 

蓮の不安は的中した。ハリーとロンと並んで最前列に陣取ったハーマイオニーは(スリリングな授業を期待したわけでは決してなく、得るものの多い授業なら一言たりとも聞き逃したくはないからだ)特等席で、蜘蛛のタップダンスを見せられた。

 

「面白いか?」

 

蜘蛛のタップダンスを笑う生徒たちに、ヒヤリとする声でムーディ先生は問いかけた。「蜘蛛がタップダンス、なるほど面白かろう。だが、これが自分だったらと考えてみろ。タップダンスではなく高い塔から飛び降りろという命令だったら? 笑っていられるか?」

 

ムーディ先生は蜘蛛をつまみ上げ、ガラス瓶に戻した。「他の禁じられた呪文を知っているものは?」

 

ハーマイオニーはもちろん手を挙げたが、ネビルも挙手しているのに、少し驚いた。普段、ネビルが進んで答えるのは薬草学の授業だけだったからだ。

 

「おまえはロングボトムという名だな? して答えは?」

「・・・磔の呪文」

 

小さいがはっきりした声でネビルは答えた。

 

わかりやすいように蜘蛛を肥大させ、ムーディ先生は杖を振り上げた。その呪文はハーマイオニーもよく知っている。2年前に何度も意識の遠く彼方から聞こえてきた。

 

「クルーシオ!」

 

蜘蛛が七転八倒し、わなわなと痙攣しはじめた。まるで蜘蛛の悲鳴さえも聞こえてきそうだ。しかし、ムーディ先生は杖を蜘蛛から外さず、蜘蛛はますます激しくのたうち回る。ハーマイオニーはあまりの嫌悪感に、思わずそっと視線を逸らした。

 

「ノー!」

 

背後で蓮が叫んで立ち上がった。ハーマイオニーが振り返ると、蓮は教科書でネビルの顔を隠している。

 

「・・・ネビル?」

 

ネビルが机の上に出して握り締めた拳の関節が白く浮き上がっていた。蓮は睨むようにムーディ先生をきつい視線で見つめている。

 

「十分に拝見しました、ムーディ先生」

 

 

 

 

 

授業が終わり、ふらっと教室を出るネビルを蓮は追いかけた。

 

「ネビル!」

「あ、やあ、レン。とても面白い夕食だったね?」

「・・・大丈夫?」

「もちろんだよ。メニューの夕食は何だろう?」

 

全然大丈夫じゃない、と蓮は思ったが、何と言葉をかければいいかわからない。

あれは本当にアラスター・ムーディだろうか? あそこまでおかしくなってしまったのだろうか? ロングボトムとポッターとウィンストンの子供に、磔の呪文と死の呪文を見せることが出来る男ではなかったはずなのに。

 

背後から、義足が床を打つ音が聞こえてきた。

 

「大丈夫だ、坊主。わしの部屋に来るか? おいで、茶でも飲もう」

 

ムーディは、魔法の目を近くに来ていたハリーに向けた。

 

「おまえは大丈夫だな、ポッター?」

「・・・はい!」

 

やけにくっきりとハリーが返事をした。

 

「ウィンストン、知らずに済ませることは坊主のためにはならんのだ。おまえはなんともなかろうがな」

「はい、まったく」

 

ムーディがネビルの背を優しく押して部屋に戻っていった。

 

「レン・・・ネビルは、どうしたの?」

 

わからない、と蓮は嘘をついた。ゴッドマザー、ゴッドファーザーとして紹介されたネビルの両親のことは、ネビルが話さない限り、人には教えたくない。たとえハーマイオニーにさえも。


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