サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第16章 時間を巻き戻せ

校舎を出た瞬間にハリーとロンが「いったいどういうつもりだ!」と怒鳴り始めた。

 

「うるさいわね! わたしの言うとおりにして。まずロン、あなたはハウスよ。寮の自分の部屋にいて。ハリーが帰ってくるまで絶対に出ちゃダメ」

「な、なんでだい?」

「わたしとハリーは時間を巻き戻すわ。きっかり1時間。1時間前に時間を巻き戻せばミスタ・ブラックを助けられる。でも3人は必要ないの。あなたは寮にいれば自分に会うことはない」

 

ロンはハーマイオニーを見つめた。「本当だね?」ハーマイオニーは頷く。

 

「わかった。君を信じる」

 

ロンが寮の方へ踵を返すと、ハーマイオニーは胸元からチェーンと砂時計を引っ張り出した。

 

「ハーマイオニー?」

「これを首にかけて。1時間前の今、わたしたちは叫びの屋敷の中にいるわ。ミスタ・ブラックたちと話し合ってるはず」

「うん」

 

ハリーと自分の首にチェーンを掛けると、ハーマイオニーは砂時計をひっくり返した。辺りの景色に変化はないが月が東へ戻っていくのが見える。

 

「巻き戻ったの?」

 

ハリーに頷き、ハリーの首からチェーンを外した。

 

「いい? 自分や他の人になるべく見られないようにしなきゃいけないわ。するべきことはたったひとつだけなの。スネイプがルーピン先生を連れて行くときに、レンが変身して護衛につけばいいのよ。本当にレンが登録してくれてて良かったわ」

「レンが、護衛?」

 

暴れ柳までの道を小走りに進みながら、ハリーが尋ねた。

 

「レンの変身後の動物はピレニアン・マウンテン・ドッグ。オオカミ対策なら最高の犬よ。中にいるわたしも当然そのことを知ってる。ルーピン先生が変身したと言ってきても、あの混乱の中で『レンがいるから大丈夫だ』って言えるの」

「ハーマイオニー、僕、全然わからない」

「だから言うとおりにして!」

 

ハーマイオニーは小枝に「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」と呪文をかけると、杖を動かして暴れ柳の瘤に触れさせた。暴れ柳の動きが止まる。

 

「行くわよ」

 

ハリーを促すと、再び湿った通路に足を踏み入れた。

 

「スネイプをどうやって説得するの?」

「今スネイプは立聞きしているわ。そこにメモを落とす。『動物もどきウィンストンはオオカミ専用のガード・ドッグ。満月は上った』って。これでわかるはず」

 

叫びの屋敷の地下入り口でハーマイオニーはポケットから小さなメモ帳を取り出し、カバーに挟んである小さめのボールペンでメモを書き始めた。

 

「ボールペンなんて久しぶりに見た」

「マグルの道具も役に立つのよ。これはレンのだけど」

 

 

 

 

 

「シリウス、わたくしとアメリア・ボーンズは、あなたの事件を再捜査するように闇祓い局に指示を出しているわ」

 

蓮は目を見開いた。

 

「だからこそ、今あなたがペティグリューを殺すことを容認は出来ない」

「頼む、レイ・・・」

 

ハリー、と母が優しくハリーに呼びかけた。

 

「は、はい!」

「あなたの意見は尊重されるべきね。あなたはどう思って? あなたのゴッドファーザーのシリウスおじさんが、ペティグリューを殺したいみたいなんだけど」

 

嫌です、とハリーがきっぱりと答えた。「僕は、僕たちは、それを止めに来たんです。そんなことしたって、僕の両親は帰ってきません。僕、僕はシリウスおじさんに僕の人生にいて欲しい。僕、ハーマイオニーが羨ましい。マグル生まれだけどちゃんとした両親がいて、魔法界のゴッドマザーもいる。僕も魔法界に1人ぐらい・・・僕の親代わりが欲しい」

 

泣かせる話ですな、とねっとりした声が聞こえてきた。紙切れを握りしめながら、スネイプが入ってくる。

 

「・・・スニベルス」

「そういうことを持ち出すなって言ってるの! セブルス、どこから聞いていて?」

「我輩はルーピンを追ってきましたのでな」

 

そう言うとスネイプは蓮を睨んだ。

 

「なぜ変身しておらぬ! 今宵は満月だ! あの馬鹿でかい図体は何のためだ!」

 

ハッと気付いたようにハーマイオニーが叫んだ。

 

「ルーピン先生! 今夜のお薬は?」

「飲んでおらぬ。我輩が薬を持って行ったら、部屋はもぬけのカラ。我輩は親切にもルーピンを追ってきてやったのだ」

 

目を見開いた蓮は、大きく息を吸うと犬に変身した。

 

「・・・蓮、あなた」

「おばさま、レンの変身後の動物はピレニアン・マウンテン・ドッグです。オオカミから家族や家畜を守るための犬なんです」

「なるほどね。それで、セブルス。あなたはリーマスに薬を飲ませに?」

 

母の言葉にスネイプは「さよう!」と胸を張った。

 

「・・・薬はどこよ」

「あ、あー、それは、部屋に」

 

はあ、と溜息をついて母が「セブルス、あなたは昔から詰めが甘いわ」と頭を振った。

 

「リーマス、不愉快だろうけれど我慢してちょうだい」

「いや、構わないよ」

 

母がルーピン先生に目隠しをして、上半身を縛る呪文をかけた。

 

「セブルス、1人でリーマスを部屋までエスコートできる?」

「いや、1人では困る。この馬鹿でかい犬を連れて行く」

「蓮、できる?」

 

うぉう! とブランカになった蓮はよく響く声で返事をした。母は小さく頷くと、ルーピン先生に目を向けた。

 

「リーマス、あなたはセブルスと蓮のエスコートで部屋に戻って薬を飲んで、今夜はもう出てきちゃダメよ」

 

頷いたルーピン先生がスネイプと共に出て行くのに、ブランカは付き従った。

 

 

 

 

 

暴れ柳の下でハーマイオニーはハリーと共に、シリウス・ブラックを繋いでいたロープの痕を偽装していた。

 

「ハリー! 隠れて!」

 

ハーマイオニーはハリーの襟首を掴み、隠し通路の反対側に隠れた。

 

「ルーピン、上を向くな。もう月は出ている。目隠しをしていても万全とは言えん」

「わかった。セブルス、恩に着るよ。こんなに危険なことに付き合ってくれるなんてね」

「我輩は貴様のためにしているのではない。学校に危険な人狼がいる以上、教師として当然の警戒をするまでだ」

「照れ屋さんだなあ」

 

その後ろを白いふさふさの尻尾を揺らしながら歩くブランカを確認して、ハーマイオニーは「よし」と小さく呟いた。

 

「ハリー、あなたはここにいて。もうすぐスネイプが駆け込んでくる。ルーピン先生が変身したと言いに来るわ。そうしたら、『黒いの』が飛び出してくる。犬と猫よ。あなたはそれを止めるの。いい? ガード・ドッグは絶対にオオカミを禁じられた森に追い込むから安心してロンドンに帰れって犬と猫を説得して。すぐによ」

「絶対? 絶対ってなんでだい?」

「レンは他にオオカミを追い込む場所を知らないわ。あの人、犬になってクルックシャンクスと禁じられた森で遊んでたから、禁じられた森には詳しいの」

「君は?」

「ここにいるわよ、もちろん。でもわたしじゃ大型犬を止められない。わたしは猫を止めるわ」

 

遠くで犬が争う声が上がった。

 

「スネイプが来るわ!」

 

黒いマントを翻したスネイプが暴れ柳の動きが止まっているのを確かめて、隠し通路に飛び込んだ。

 

「来るわよ、ハリー!」

 

ハーマイオニーが杖を構えた。

 

黒い犬の首にハリーが飛びついた。ハーマイオニーは猫に向けて失神光線を放つ。黒い犬を引きずりハリーが「お願いだ、シリウスおじさん! ルーピン先生のことはレンに任せて!」と押し殺した声で言い募るのを聞きながら、倒れた黒猫を抱き上げ、再び暴れ柳の下に隠れた。

 

「声が遠ざかった」

 

暴れ柳の下の通路の入り口でスネイプが呟くのが聞こえた。

 

「良いな、ルーピンのことは動物もどきに任せるのだ! 決して追ってはならん! 校長室まで走れ!」

 

スネイプを含めた4人は、辺りを見もせずに走りだした。

 

「は、ハリー?」

「ダメだ、おじさん!」

 

変身を解いたブラックにハリーが覆い被さった。

 

「ミスタ・ブラック! 犬に戻って!」

「エクスペクト・パトローナム!」

 

ハリーの杖の先から銀色の牡鹿が現れた。

 

「ハリー? これはいったい・・・」

「すぐに叫びの屋敷へ!」

 

猫を抱いたハーマイオニーは叫んだ。

 

「行こう、おじさん!」

「今のは、ハリー・・・」

「いいから!」

 

ブラックの手を引いて、引きずるようにハリーは隠し通路に入った。ハーマイオニーもそれに続き、猫を抱いたままブラックの背中を体で押した。

 

 

 

 

 

「時間がありません。すぐに姿くらましを」

 

叫びの屋敷の部屋まで戻ったハーマイオニーは「エネルベート」で起こした猫に、すぐにそう言った。

 

「説明はあとです。ファッジが来ます!」

 

レディ・ウィンストンは目を覚ますとすぐにブラックの襟首を掴み、姿くらましをした。

 

「ハリー、わたしたちは校長室よ!」

 

 

 

 

 

ファッジがほくほく顔で階段を下りるのとすれ違いそうになって慌てて物陰に潜んだが、ファッジが通り過ぎた後に「アーモンドチョコレート!」と叫びながら走り、校長室に駆け込んだ。

 

ダンブルドアがハーマイオニーを見つめ「うまくいったかの?」と微笑み、ロンは隣にいたはずのハリーとハーマイオニーが背後から現れたことにしきりに首を傾げている。

 

「・・・ペティグリューを捕まえられませんでした」

 

悔しそうにハリーは言ったが、ダンブルドアは「欲張ってはいかぬ」と首を振る。「無実の者を助けるだけでも十分なのじゃ」

 

「ミスタ・ブラックはレディ・ウィンストンによって、姿くらましをしました」

 

よしよし、とダンブルドアが言ったところでファッジが叫びながら校長室に駆け込んできた。

 

「奴は逃げた! あの人狼が逃がしたようだ! だからダンブルドア、私は」

「そのことじゃが、ファッジよ。ひとまず魔法省で対策を講じてはいかがかな? 儂としてもこの満月にルーピンが見当たらぬのでは、対策に回らねばならぬ」

「ダンブルドア、人狼など雇うのはだな!」

 

ダンブルドアは右手を挙げて遮った。

 

「闇の魔術に対する防衛術の教師が人材不足じゃ。仕方あるまい。とにかくルーピンが見当たらぬのじゃ、儂は行かねばならぬ! おお、君たちはすぐに寮に戻りなさい。決して外に出るでないぞ」

「はい、ダンブルドア先生」

 

至極素直にハーマイオニーたちは声を揃えて返事をした。

 

 

 

 

 

「ルーピン先生?」

 

オオカミの喉から歯を離し、ブランカは鼻を鳴らした。

 

「・・・やり過ぎちゃった?」

 

オオカミは目を閉じて気を失っている。はあーあ、と犬らしい溜息をついて、オオカミの首の後ろを咥えた。

 

ずるずると獲物を引きずりながら、ブランカは得意げに胸を張る。大きな獲物だ。

 

「・・・う」

 

瞬間、頭の中まで犬になっていたと気づき、複雑な気分になった。

 

「おうい! ブランカよう!」

 

ハグリッドの大声にブランカは「うぉう!」と返事をした。どすん、とオオカミが落ちた。

 

「あ、いけないいけない」

 

再び首の後ろを咥えて、ブランカは胸を張って歩き出した。

 

「なんとなんと」

 

ハグリッドの傍らにはダンブルドアが立っている。

 

「最初の狩りのくせにでけえ獲物だなあ、ブランカ!」

「うぉう!」

 

どすん。

 

「実に見事じゃ、ミス・ウィンストン。変身を解かぬまま、グリフィンドール塔に戻りたまえ。君の友人たちが事の次第を説明してくれるであろう」

 

 

 

 

 

ロンドンに帰るホグワーツ特急の中でハーマイオニーが日刊予言者新聞を読み上げた。

 

「『魔法法執行部部長アメリア・ボーンズは、本誌記者のシリウス・ブラックへのキスの執行はいつになるかという問いに不快感を露わにした。曰く、脱獄の手段を明らかにせぬままキスを執行して、市民の安全を守れると考える大臣の意図と違い、法執行部ではアズカバンの警備体制の見直しのためにもシリウス・ブラックの裁判は必須だと考えており、大臣がキスの許可を撤回しない間はシリウス・ブラックの居所を明かさないとのことである』驚いた。法執行部部長がこんなにはっきり大臣の意図に反して平気なの?」

 

市民の安全、とロンが繰り返した。「そいつがシリウスと法執行部の味方さ」

 

「どういうこと?」

「君ならどう思うか考えてみなよ、ハーマイオニー。脱獄不可能と言われたアズカバンから脱獄した男が1人。こいつは魔法省の高官の手で監禁された。逆にアズカバンの中には『例のあの人』の手下がまだたーくさん。シリウス・ブラックに脱獄の方法を喋らせてから処刑するべきだと思わないかい? あと何人脱獄するかわからないんだぜ? 今頃ファッジの執務室は吼えメールの山さ」

 

ハーマイオニーが「そういうもの?」と確かめるように、蓮の顔を見る。しかし蓮は憮然とした表情のままだ。

 

「・・・釈然としないわ」

「まだ言ってる」

「あなたとハリーが大活躍する間、わたくしは延々とオオカミ狩り」

「その日はご機嫌で帰ってきたくせに」

「君はまだいいさ。僕なんか、寮で留守番しろと言われたらしいぜ。実際は校長室で留守番だったけど」

 

ハリーは窓の外をぼんやり眺めている。

 

それを見て蓮は「たぶんルーピン先生と一緒にいるわ」と言った。

 

「・・・うん」

「アメリア・ボーンズは絶対にシリウスにキスを執行させない。あの人は、優しさには欠けるけれど、法で市民の安全を守ることにかけては絶対に譲らない人なの」

「・・・知り合いなの?」

「母のボスよ。魔法省のインターン時代の指導教官で、母を無理やり今の地位につけた人。だから、わかるでしょう? あの人は動物もどきなら脱獄が不可能ではないことを知ってたはずよ」

 

マジかよ、とロンが呻いた。「知ってて放置してたのかい?」

 

蓮は頷いた。「わたくしの動物もどき登録試験の試験官だったの。母の影響で動物もどきを目指したのか聞かれたわ。あの人は母が動物もどきだって知ってた。母がボスに自分でそれを打ち明けるとしたら、アズカバンの弱点として報告する以外に考えられない」

 

「なんでそのときに対処しなかったんだろう?」

 

このロンの疑問にはハーマイオニーが答えた。「ディメンターの弱点が知られたら、魔法使いの刑は極刑、つまりディメンターのキス1択になるからだと思う」

 

「ハーマイオニー?」

「わたしのママが去年言ってたわ。『魔法使いに脱獄不可能な牢獄なんて信じられない。杖がなくてもなんとかなる魔法はあるんじゃないの?』って。現に動物もどきや姿現しは杖を使わない。レンのお母さまがインターンの時代にディメンターの弱点が知られていたら、ヴォードゥモールの時代はイギリス中でディメンターがキスをして回ったでしょうね」

 

ロンが顔をしかめた。

 

「・・・少なくとも、そのおかげでシリウスは助かりそうなんだ。僕に文句はないよ」

「ま、そりゃそうだな」

 

そのとき、ハリーが窓を大きく開けた。小さなマメフクロウがコンパートメントに転がり込んできた。

 

「シリウスからの手紙だ!」

 

急に明るくなったハリーの表情を見て、ハーマイオニーと蓮は顔を見合わせた。

 

手紙を楽しげに読むハリーをよそに「君たち、ワールドカップはどうする? 30年ぶりのイギリス開催だぜ?」とロンが言った。

 

「まあ、本当? 行きたいけど、チケットが手に入るかしら?」

 

ハーマイオニーの言葉にロンがニヤっと笑った。「魔法省勤務のパパを持つと、なんとかなるんだ。じゃ、ハーマイオニーは決まりだな。レンは?」

 

蓮は肩を竦めた。

 

「今年の夏は日本で過ごすことになってるの。ワールドカップは、そうね、祖父母が行きたければ連れて行ってくれるかもしれないわ」

「日本で?」

「わたくし、ホグワーツに入学して以来、日本に帰っていないのよ。特に今年の夏は母がまともに家にいられるかわからないし、いい機会だから」

 

ああ、とハリーを横目に見ながらロンは声を潜めた。「君のママがアメリア・ボーンズと計画してシリウスを匿ってるの?」

 

「誰が匿っているかは、絶対教えてもらえないと思うけれど、母かアメリア・ボーンズがシリウスの件を担当しているのは確かね」

「大丈夫なの?」

 

ハーマイオニーが新聞を軽く振りながら尋ねた。

 

「新聞?」

「シリウス・ブラックを擁護するなんて」

 

蓮はしばらく黙って「たぶん、あの人たちの職業倫理の問題だから」と苦笑した。


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