サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第19章 闇の魔術に対する防衛術

ロックハート先生が急なご病気で退職なさった、とダンブルドアが翌日の夕食の席で宣言すると、あちこちから歓声が上がった。マクゴナガル先生は澄ました顔だ。

 

「ハリー、いったい何があったの?」

 

ハーマイオニーが尋ねると、ハリーはちょっとだけ唇を上げて「君の忘却呪文の威力がありすぎてね」とだけ言った。その横からロンが「マクゴナガルが超クールだったんだ。平然とロックハートを肉盾にしたもんだから、イカれちまった」と補足するものだから、ハーマイオニーは口を押さえて驚愕の声を押し殺した。

 

「さらに朗報がある! マンドレイクがついに、互いの鉢に入り込み始めた!」

 

蓮が顔をしかめた。「お互いのベッドに潜り込むほど成熟したわけね」

 

「じきにマンドレイク薬が完成し、石になった生徒が教室に戻るであろう。よって、これから6月半ばまでの時間割に変更がある。授業に3週間以上出られなかった生徒に補習を行うことと、現職の闇祓いの講師を招き、闇の魔術に対する防衛術の特別授業を行なうためじゃ。各々の時間割は寮監の先生から知らされる」

 

ハーマイオニーは「よかった」と思わず呟いた。ハリーの演技指導だけの防衛術の授業にひそかに不安を抱いていたのだ。

 

「そして、さらなる朗報じゃ! 森番のルビウス・ハグリッドの嫌疑は晴れた! 明日にも森に戻ってくる!」

 

ピュウイ! とジョージが口笛を吹き、何人かのグリフィンドール生がそれに続いた。口笛が吹けない生徒も、ゴブレットをテーブルに叩きつけながら歓声を上げた。

 

 

 

 

 

 

「まだかな」

 

ハリーとロンがファングを連れて、そわそわと歩き回っている。

 

「レン」

 

ハーマイオニーの声に顔を向けると「ハグリッドはあなたのコーンウォールの邸にいたの?」と尋ねた。

 

「そうみたいね」

「大丈夫だったかしら? その・・・グランパやグラニーは、ハグリッドに慣れていらっしゃらないでしょう?」

 

蓮は苦笑し「心配しすぎ」と言った。「ハグリッドは昔からたまにコーンウォールに食事に来てたわ。貴族の家は落ち着かないからって泊まりはしなかったけれどね。今回は、たぶん狩の森の森番小屋にいたと思うわよ」

 

「あなたのグランパやグラニー、ハグリッドの、その・・・いろいろは気にならないの?」

「ならないんじゃない? グランパと2人で庭にお風呂作って一緒に入ったりしてたもの、昔から」

「グラニーは?」

「お風呂には入らないけれど、巨人の住居の魔法的構造について、ハグリッドから聞き取り調査をするわ。デラクールの人はヒト以外の魔法族を敬遠しないの。グラニーのお兄さまの奥さんに会ったことあるでしょう?」

「あの、フラーの綺麗なおばあさまのこと?」

「その人、ヴィーラだもの」

 

ハーマイオニーはぽかんと口を開けた。

 

そのとき、ハリーが「おかえり!」と叫んで駆け出した。

 

 

 

 

 

 

背の高い引き締まった体躯の黒人の魔法使いは、ハーマイオニーのイメージする「闇祓い」という特殊なエージェントに一番近いタイプの人だった。

 

「こいつはキングズリー・シャックルボルトだ。バリバリの現役の闇祓いだぞう」

 

はじめまして、と微笑んだあと、ロンに「君がモリーの息子さんだね? ギデオンやフェビアンより悪戯だといつも聞いている」と言った。

 

「ぼ、僕のママと知り合いですか? 叔父さんたちとも?」

「私はモリーの同級生だ。そして君がハリー・ポッターかい?」

「は、はい」

「在学期間は重ならなかったが、君はお父さんによく似ているね。でも雰囲気はお母さん似だ。目の色のせいかな。そして君がハーマイオニー」

 

はい、とハーマイオニーが返事をすると「嫌な経験をしたと聞いている。だが、君の精神力は素晴らしい。体を乗っ取られながら抵抗出来る人間は大人の魔女にもそうはいない。君は自信を持っていい。大いにね」と肩を叩いてくれた。

 

「そして君が・・・コンラッドの娘だね」

「はい」

「怜から聞いたよ。服従の呪文にかからなかったと。理由を聞いても?」

 

蓮が「母は知らないので」と口を濁した。

 

「じゃあ、内緒にしよう。私にだけは教えてくれないかな? 闇祓いの訓練のためにも」

「・・・詳しくは、ミスタ・ムーディにお尋ねください」

 

やっぱり、と呟いてミスタ・シャックルボルトが頭が痛いような顔をした。

 

「ホグワーツ入学前の子供になんてことを。虐待を訴えられるレベルだ」

 

ハーマイオニーは蓮の傍に寄って「まさかあなた、服従の呪文への抵抗訓練を?」と小声で尋ねた。蓮は小さく頷き「磔の呪文もね」と答えた。

 

 

 

 

 

「『禁じられた3つの呪文』というものがある。君たちはそれを詳しく知る年齢には達していないので、概要だけ説明する」

 

シャックルボルトが杖を振ると「服従の呪文」「磔の呪文」「死の呪文」の3つの文字が浮かび上がった。

 

「死の呪文以外の2つに抵抗するのに最も必要なものは、意思の強さだ。これは闇の魔術に対する防衛術全てに共通する大原則だ。意思の強さが全てを制する。今後君たちは様々な防衛術を学んでいくだろう。しかし、小手先の呪文をいくら覚えても、信念のない者はいとも容易く闇に堕ちてしまう。磔の呪文の苦しみに勝てる大人は多くはない。服従の呪文に抗える大人も多くない。なぜならば、大人には守るべきものが多いからだ。家族や、その家族を養う財産、仕事。あらゆる正しいはずのことが心を迷わせる。守るべきものが多ければ多いほど、磔の呪文の苦しみも増す。同じことは服従の呪文にも言える。大人は、様々な経験を持つ。心が浮き立つような幸福感や全能感を強く感じた経験が多ければ多いほど、服従の呪文がもたらす紛い物の恍惚感に引き摺られやすいのだ。だが残念ながらそれは紛い物に過ぎない。紛い物に過ぎないことを理解する必要がある」

 

シャックルボルトが手を振って文字を消した。

 

「闇の魔術に対する防衛術に最も大事な、多感な時期を君たちはホグワーツで過ごしている。闇の魔術に対する防衛術の教師が度々代わってしまう不運に見舞われていることは、私も聞いているが、それが不利になるとは思えない。闇の生物や呪文、それらへの対抗策など教科書を読めば良い。君たちには、ただ感じることが必要なだけだ。本物の幸福感、本物の陰りのない幸福感、あるいは本物の怒り、世界が終わる前にこいつだけは殺してやりたいと思ってしまうほどの怒りを。そして、それを歯を食いしばってやり過ごすことを学ばねばならない。怒りに任せて杖を振るな。ただ、自分と他者の幸福のために杖を振らねばならない。それを学びさえすれば、君たちは闇の魔術に抵抗出来るのだ」

 

ハーマイオニーは息を詰めて特別授業に聞き入った。率直に言って一番防衛術らしい授業だ。2年生の終わり近くになってやっと。

 

「身を守るための技は様々にある。だが、呪文や知識をいくら詰め込んでも、意思が伴わなければ使いものにはならない。逆に、そこに意思さえあれば、あらゆるものを武器に出来る。その意思を育てるのが今だ。君たちのこの多感な時期に、様々な感情を経験したまえ。闇の魔法使いにもいろいろいるが、私は鋭敏な感受性を持った闇の魔法使いにはあまり会ったことがない。なぜかわかるかね? 安易な手段を選ぶ者は、豊かな感受性からくる感情の揺れに耐えられない人間だからだ。イラつく奴を脅すのには、磔の呪文が一番手っ取り早いだろう? 自分の言うことを聞かせるのに説得する必要はないだろう? 服従させればいい。 だがそいつは腰抜けだ。素敵な女の子と付き合うのに服従の呪文を使う男は、どこからどう見ても腰抜けだ」

 

ロンがニヤっと笑い「愛の妙薬は?」と茶々を入れた。シャックルボルトは苦笑し「偽物の愛情で満足するぐらいなら猫でも可愛がれと言ってやるべきだな。少なくともペットとの間には本物の感情のやり取りができるだろう」と答えた。

 

眉を上げロンが「だってさ、レン、チワワを飼うように勧めるべきだ」と小声で蓮に囁いた。

 

蓮は横目でロンを睨み「ご心配ありがとう。ただ、残念ながらわたくしには愛の妙薬は効かないわ」と押し殺した声で応じる。ハリーは少し引きつった笑顔で「まさか、愛の妙薬にまで耐性があるの?」と尋ねた。

 

「わたくしの祖父を知ってるでしょう? そのぐらい平気でする人よ。おかげで愛の妙薬を頭から振りかけられても平気だったから不本意ながら感謝するしかないけれど」

「君、マルフォイのこと、じいさんに言えばいいのに」

「殺人犯の孫にはなりたくないの」

 

静かに! とハーマイオニーは3人を叱りつけたのだった。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーがマクゴナガル先生の部屋を訪ねると、眼鏡の奥からジロリと睨まれた。「また何か面倒な質問ですか?」

 

「いえ。今のところは平和です」

「ではまともな質問ですね」

 

よろしい、とマクゴナガル先生はハーマイオニーに椅子を勧めてくれた。

 

「まともかどうか・・・ロックハート先生の件です。わたしの忘却呪文の威力が強すぎたとハリーに言われて・・・」

「嘘です」

「え、で、でも・・・」

「トム・リドルは忘却呪文を使うような人間ではありません。口を塞ぎたいなら殺せば良いのですから。あなたの体と杖を使ってリドルがわたくしに放ったのは、磔の呪文でした。わたくしが些細な出来心でロックハートを盾にしたところ、僅か1回で使いものにならなくなりました」

 

唖然としてハーマイオニーが「あんなにいろいろ目覚ましいことをなさった方だったのに」と呟くと、マクゴナガル先生がきりりと眉を吊り上げた。

 

「あなたには珍しいことですね。ロックハートの著書を挿絵写真を隠して冷静に読み返すことを勧めます。矛盾を見つけ出せるはずです。さらに言いますと、あなたの体と杖で禁じられた呪文を使っても威力は落ちます。ロン・ウィーズリーは同じ磔の呪文を何度受けても立っていましたし、ウィンストンに放った死の呪文は一番簡単な盾の呪文で防ぐことが出来ました。死の呪文は普通は防ぐことは出来ません。あなたは杖に注ぐ魔力を絞ることでリドルに抵抗していたでしょう? もちろんロックハートは翌日の朝には正気を取り戻しましたが、様々な点をご理解のうえ退職していただきました。禁じられた呪文への耐性が2年生にも劣る以上、防衛術の教授には不適格ですからね。さらに、秘密の部屋で何があったかについては、余計なことを喋らないよう、対策は講じてあります。今後はマグル社会で暮らすそうです」

 

少なくとも蓮は喜ぶだろう、とハーマイオニーは思った。

 

「闇の魔術に対する防衛術の教授については、すでに来学年以降の教授に交渉していますから心配は要りません」

「・・・はい」

 

挨拶をして部屋を出ようとしたとき、マクゴナガル先生が「あなたがわたくしに放つ磔の呪文より、ウィーズリーに放つ磔の呪文にはより強く抵抗した可能性もあると思いますがね」と、ついでのように言った。

 

 

 

 

 

キングズクロス駅に降り立った蓮を迎えに来ていたのは、母だった。

 

「おかえりなさい」

「・・・ただいま」

 

言葉少なに挨拶を交わした。

 

そのまま、ジャガーで聖マンゴまでのドライブだ。

 

「お母さまが悪いとダンブルドアからさんざん叱られたわ。学生時代以来よ」

「そんなこと・・・わたくしが、ジニーから無理やり取り上げていれば良かったのだもの」

「それを言い出すならば、アーサーやモリーが子供たちの荷物を検査しないのも怠慢だったことになるわ」

 

それはあんまりだ、と思った。

 

「バックアップ、という表現で話したのはね、蓮、あなたにアレの危険性を伝えないためだった。でもそれは間違いだったわ」

「・・・危険なことは痛感しました」

「作り方が忌まわしいのよ。お母さまは、そんな話をあなたにしたくなかったの」

「作り方?」

 

魂のバックアップをひとつ作るには、と母が呟いた。「ひとつの殺人が必要なの」

 

蓮は進行方向を見つめたまま「マートル?」と尋ねた。「もしかしてマートルは、バックアップを作る実験台?」

 

「バックアップのためだけではないでしょうけれどね。秘密の部屋を開けてスリザリンの継承者だと密かにアピールする意図もあったでしょうし、バジリスクをどの程度コントロール出来るかも確かめたかったでしょう。ただ、バックアップを作るというのも動機のひとつだと思うわ」

 

ぎゅ、と拳を握りしめた。

 

「姑息で、狡猾で、自分以外の人の命の価値を感じられない人間にしか出来ない魔術よ」

「・・・これでバックアップがなくなったから、もう復活はしない?」

 

母はゆっくり首を振った。

 

「ひとつにつきひとつの殺人。リドルが殺したのはマートルだけじゃないわ」

「そんな・・・」

「ハーマイオニーのことだけれど」

 

唐突に母が話題を変えた。

 

「あなた、ハーマイオニーのゴッドマザーがお母さまだと聞いても、自分のゴッドマザーやゴッドファーザーが誰か聞かなかったわね」

「・・・聞いちゃいけないと思ってた」

「なぜ?」

「お母さまたちの世代は、たくさんのお友達を亡くした世代だって聞いたから」

 

今から会いに行くわ、と母が言った。

 

「闇の魔術に抵抗するということがどういうことか、あなたのゴッドマザーに教えてもらいなさい」


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