サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

34 / 210
第12章 リドルの日記

ハーマイオニーは数週間医務室に入院することになった。

 

 

 

 

 

目くらましで透明にしたハーマイオニーを同じく透明になったロンが背負い(透明なんだから誰にも見えないんだ! といくら説きつけても嫌がるので、フードを深く被り、ロンが背負うことで解決することにしたのだが、ロンはハーマイオニーのお尻の下に揺れるふわふわの尻尾が気になって仕方なかった)ハリーが食べ過ぎたフリを装いながら、心配するネビルと蓮が医務室に先導した。

 

ハーマイオニーの症状を確かめたマダム・ポンフリーは、全員をジロリと見回し「薬の出来に間違いがなくても相手の一部を入れる詰めを間違うとこういう結果になるのです」と言った。

全員が体を縮めてマクゴナガル先生にこっぴどく叱られることを覚悟したが、マダム・ポンフリーは「強迫神経症のため4週間の入院加療を要する」という診断書をでっち上げてくれたのだった。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーの枕元で、ハリーとロンはハーマイオニーが積み上げた教科書の山にうんざりしていた。

 

「君、尻尾と髭を生やしてもまだ勉強する気かい?」

「当然だわ! 4週間も授業を受けられないんだから!」

 

ハリーの耳にロンが「あの診断書、でっち上げじゃないぜ。立派な強迫神経症だ」と囁いた。

 

「ところでレンは? わたし、レンにストックの羊皮紙を頼んでおいたのに」

「レンならハグリッドの小屋に行ってるよ。鶏が元気かどうか確かめに」

 

2人も石にされハーマイオニーが尻尾を生やした状況より鶏を心配するなんてそっちも神経症だ、と言いたげにロンが頭の横で指をくるくる回した。

 

「・・・まさか1人で?」

「いや。ジョージがついて行ってる。最近レンと仲が良いんだ。パパみたいにレンを構ってる。頭が心配だからね」

 

その形容は絶対違う、とハーマイオニーは思ったが、2人の解説に黙って耳を傾けた。

 

「今日も僕らがここに来るかハグリッドのところに行くか相談してたら、ジョージが『ハグリッドの小屋に行きたいなら、俺がついてくよ』ってレンに言ってくれた」

「僕らだって鶏の数ぐらい数えられるけどね」

 

どうやらロンとハリーはジョージに追い払われたらしい。

 

「鶏、鶏・・・ねえ」

「蜘蛛もだよ。よりによって僕に最近蜘蛛の行列を見たかって聞くんだ」

 

ぶるっと唇を震わせてロンが忌々しい生き物の名前を口にした。

 

 

 

 

 

「鶏がそんなに気になるのか?」

 

のんびり歩きながらジョージが尋ねると、蓮が「すごく大事なの」と頷いた。

 

そうして急に「そうだわ」と足を止めると、杖を抜き(ジョージは慎み深く反対側を向いた)寮の部屋にずっと置いていたものを呼び寄せた。

 

いつもフレッドやリー・ジョーダンと一緒にいるジョージにはなかなか1人だけに渡すのが難しい品物だ。

 

「ジョージ、これ。ドクタ・フィリバスターからのプレゼントよ」

「へ?」

 

差し出されたジョージの手にポトリと、たった1つの「ドクタ・フィリバスターの遠隔装置付きピクシー花火」を載せた。

 

「スリザリンとのクィディッチの試合、お忍びでドクタ・フィリバスターが観戦に来ていたみたい。わたくしをロックハートの被害から守った少年にご褒美ですって。遅くなってごめんなさい。1つしかないから、フレッドやリー・ジョーダンの前では渡せなくて」

「き、君、ドクタ・フィリバスターの知り合い?」

 

家族がね、と曖昧に答えた。

 

 

 

 

 

「鶏は死んでいない?」

 

もう一度蓮は確かめた。ハグリッドはなぜ蓮がそんなことを尋ねるのかわからない様子で「そりゃあ、ちいっとは締めたがな。先生方に来客があって、別メニューの食事を出すときなんかにゃ。んだが、俺にわからねえ死に方した鶏はいねえ」と答えた。

 

「雄鶏も?」

「雄鶏の肉は固くて美味くねえからな。締めちゃいねえ。どいつもぴんぴんしとる」

 

蓮は考え込み、ハグリッドはジョージに「おまえさん、叫びの屋敷の道はしばらく使わんほうがええぞ」と教えた。

 

「なんでだい?」

「マクゴナガル先生が、秘密の部屋の騒ぎが収まるまではホグズミードに夜間に行くこたあ許すなって、わざわざ言いに来なさった。なんでも夜にホグズミードの薬局に買い物に行った奴がいるんだそうだ。俺あ、ゾンコの店ならともかくウィーズリーどもは薬局に行くようなタマじゃねえって言っといたがな。誰か友達に教えたんなら、そいつにも使わんように言っとけや」

「助かるよ、ハグリッド」

 

ジョージが胸を撫で下ろしたとき、蓮が顔を上げた。

 

「ありがとう、ハグリッド。雄鶏が死んでいないのはグッドニュースだわ」

「そうかい? 雄鶏といやあ、たまーに卵を産むって知ってっか?」

 

ジョージは「またからかって」と苦笑するが、蓮は目を見開いた。「ハグリッド、それほんと? 人為的じゃなく自然に?」

 

「引っかかるなって、レン。雄鶏が卵を産んだように思えても、あれはただの糞玉だ」

「よく知ってんな。ウィーズリーの家じゃ鶏飼ってんのか」

「飼ってるっていうか、住み着いてる感じだけどね」

「まあ、雄鶏が産むのは卵じゃねえが、むかぁし俺が見たのは、卵を抱いて温めちょる雄鶏だよ」

 

まだ俺が森番見習いだった頃だがな、とハグリッドが続けた。

 

「何を思ったか知らねえが、雌鶏の産んだ卵を温めたがる雄鶏がいてなあ」

「それ、どうなるの?」

「ひよこが生まれる」

 

へえ、とジョージがわざと感心したように鼻を鳴らした。「バジリスクでも産むかと思ったよ」

 

ハグリッドが「今のガキどもは知らねえか」とジョージの頭を小突いた。「闇の魔術のひとつだっちゅうて、校長になったときにダンブルドアがあの本を図書館から取り上げなさったもんなあ。ええか、バジリスクは雄鶏が生んだ卵をヒキガエルが抱いて孵したときに生まれるんだ。腐ったハーポっちゅうギリシャ人が実験して作り出した闇の生き物だ。蓮が言った人為的に雄鶏に卵を産ませたっちゅうのがこいつだ」

 

蓮が「たまご」と呟き、ハグリッドを真剣な顔で見上げた。

 

「ハグリッド、雌鶏が生んだ卵を温めてた雄鶏はどうなったの? 母性愛に目覚めて卵を温め続けたの?」

「いんや。いなくなっちまった。なんべんか卵を温めてひよこに孵したが、なんべんかめにまた卵を温めちょると思ったら、次の日にゃいなくなっちまったよ。卵ごとな。よっぽどでけえ蛇にでも呑まれたんだろって、昔の森番のグレゴール親父は言いなさった」

 

いなくなった、と蓮が小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

上機嫌で城まで帰るジョージが、前方を見て、むむっと眉を寄せた。

 

「ロンとハリーだ、君を呼びに来たんだな」

「ハーマイオニーに何かあったのかしら」

 

小さく溜息をついて「じゃ、付き添いはここまでだ。花火ありがとうな。ドクタ・フィリバスターにもよろしく」と言って立ち去った。

 

「レン! たいへんだ、ちょっと来て!」

「ハーマイオニーに何か?」

「ハーマイオニー? 違うよ! マートルだ! マートルをなんとかして!」

 

マートル? と蓮は眉をひそめた。マートルの担当者扱いされるのは若干心外だ。

 

息を切らしたハリーとロンが「何かあって取り乱してるんだ。3階の廊下は水浸しだよ。僕ら、ハーマイオニーのところから寮に帰ろうとしただけなのに、モップがけするフィルチから殺されかけた」「マートルに文句言えないもんだから、僕らに八つ当たりするんだ」と口々に言う。

 

それが走って自分を呼びに来るほどのことか、と蓮は少しばかりムッとした。

 

ーーせっかく久しぶりにジョージとゆっくり話していたのに

 

ブルストロードに殴られてから、まだ8週間経っていない。マダム・ポンフリーが8週間は脳に衝撃を与えるなと禁じたのでジョギングも休んでいるのだ。その分、ジョージと関わる時間は足りていない。関わらないなら関わらないで問題はないのだが、習慣だった会話がなくなると調子が狂う。

 

「わたくし、マートルの責任者じゃないのよ」

「冷たいこと言うなよ。君が宥めてやればマートルは落ち着き、フィルチも安らぐ。ホグワーツの平和に貢献しろ」

「マートルの相手ぐらい出来るでしょう」

「女子トイレに女の子抜きで入ったら、僕、パーシーとママに殺されるよ!」

 

溜息をついて蓮は「わかったわ」と降参した。

 

 

 

 

 

「マートル?」

 

マートルの動揺はたいていすすり泣き程度なのだが、今日は違った。わんわんと泣き喚いている。蓮はローブの裾を慎重にたくし上げたまま、マートルに近づいた。

 

「どうしたの、マートル?」

「わたしにこれ以上何を投げつけようっていうのよ!」

「マートル・エリザベス、わたくしよ。どうしてわたくしがあなたに何かを投げつけるなんて思うの?」

 

ザブンと水音が聞こえ、マートルがぽたぽたと(おそらくは)便器の水を滴らせながら、奥の個室から現れた。

 

「わたし、ここで誰にも迷惑かけずに過ごしてるわ」

 

蓮は黙って水浸しの足元を見て「それは控えめに見ても客観的事実とは思えない」と考えたが、賢明にも口に出さずに飲み込んだ。

 

「そうね」

「なのに、わたしに本を投げつけて面白がる人がいるの!」

 

極めて遺憾だ、という表情で蓮は頷いた。「それはひどいわね。いったい誰が?」

 

マートルは喚くのをやめ、しくしくとすすり泣きの段階まで回復した。

 

「知らない。U字溝のところに座って、死について考えていたの。そしたら頭のてっぺんを通って落ちてきたわ」

 

おそるおそるハリーとロンが廊下から覗き込む。

 

「そこにあるわ。わたし、逆流させてやったから」

 

マートルが示す手洗い台の下を、出番だとばかりにハリーとロンが隅々まで探した。

 

ハリーが手に取って見せたのは小さな薄い本だ。ロンが「少しは用心しろって。変な魔法がかかってたら」と溜息をつく。

 

「日記帳みたいだ、誰のかな・・・名前は、T.M.リドル」

 

目を見開いた蓮が、ローブの裾のことも忘れて咄嗟に杖を抜き、ハリーの手からそれを取り上げた。

 

「レン?」

 

マートル、と蓮は静かに尋ねた。「この本だったの?」

 

「たぶんそうよ」

 

「もし誰かが」ゴクリと息を呑んだ。「自分のしたことを後悔してこれを探しに来たら。あなたに本がどうなったか尋ねたら」

「あなたに渡したって言ってやるわ!」

「流してしまってもうわからない、と答えて欲しいの。わたくしはこれを湖に捨ててしまうから、同じことでしょう?」

 

マートルは首を傾げて少し考えた。

 

「それはわたしのため?」

 

白々しい自分を少し嫌悪しながら「もちろんよ、マートル」と蓮は出来るだけ優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

「あれは何なんだい、レン?」

 

びちゃびちゃと水をはね散らかしながら、ハリーとロンが追いかけてくる。

 

「あの本のことは忘れて。闇の魔術がかかってるわ。わたくしが預かる」

「そんな危険なもの、君が持ってちゃダメだよ!」

「わたくしの家族は闇祓いだらけよ。保管の仕方や破壊の仕方を相談するわ。ただ、わたくしが持っていることはもちろん誰にも言わないで」

 

蓮の厳しい表情に、ハリーもロンもそれ以上の追及は出来なかった。

 

 

 

 

 

部屋に戻ると、机から真っ白な和紙を取り出して、四隅を塩で押さえた。その中央に日記帳を置くと、ふっと息を吐く。

 

「バックアップ、発見」

 

その時、部屋の扉が開いてパーバティが入ってくる。

 

「おかえり、レン」

「パーバティ」

「なあに、それ?」

 

机の上の日記帳にパーバティが目を留める。

 

「不潔なものだから触らないほうがいいわ」

 

蓮が笑ってみせると、パーバティが目を眇める。

 

「不潔というより、穢れたものね?」

「・・・どうして?」

「わたし、インド系よ? アジアの魔法を少しは知ってるわ。浄めるために日本人が塩を使うことぐらいはね」

 

息を吐いて「かなわないわ」と蓮は肩を竦めた。

 

「近いうちにどこかに移すから、しばらく我慢してくれない?」

「いいわよ。わたしが香を焚いて構わないなら」

「ハーマイオニーの入院中ならノープロブレム」

 

 

 

 

パーバティが寝息を立て始めたあと、蓮は静かに「ウェンディ」とハウスエルフを呼んだ。

 

パチン、と音がして蓮の枕元にメイド服に身を包んだウェンディが現れる。

 

「パーバティが寝てるから、静かにね。このメモをお母さまに渡して欲しいの」

 

一番速く確実に家族と連絡を取るならばウェンディを呼びなさい、と母から言われていた。ウェンディならばあなたがたとえどこにいても呼べば来てくれるわ、と。

 

「かしこまりました、姫さま」

「ありがとう。お母さまから美味しいものを貰ってね」

 

ウェンディの頭を軽く撫でた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。