サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第15章 今日のハーマイオニー

『みんなお楽しみ、今日のハーマイオニーのコーナーだ。一昨日のハーマイオニーは、シドニーのオペラハウスで《セビリアの理髪師》とかいう、床屋の演劇を鑑賞したあと、ソフト・シェル・クラブ、蟹か? 蟹をたらふく食べて、腹痛で寝込んでいたね。今日のハーマイオニーはカナダでザリガニを釣っている? ん? なんだ、ジェイ。ザリガニじゃない? ああ! こいつがロブスターか! 悪い、ハーマイオニーはザリガニ釣りはしない。ロブスター釣りを楽しんだようだ。ジェイが言うにはめちゃくちゃ美味いらしいぜ。帰ったらロブスターをご馳走してもらおう』

 

 

 

 

 

右手にペットボトルを持った蓮は、自分に変身したスーザンの背中を眺めて眉をひそめた。

 

デカ過ぎてムカつく。

 

「どうしたの、《ハーマイオニー》?」

「いいえ、気にしないで、《レン》そんなことより、素敵に仕上がったわね。居住者の皆さんの居心地はいかがかしら?」

「アズカバンよりはマシに決まっているわ・・・決まっている。うん。アズカバンの看守の大半がこちらに移動してきたから、アズカバンはさぞ劣悪な環境だと思うけどね」

「別にいいわよ、気にしなくても。ルシウス・マルフォイたちをアレが脱獄させたから空っぽになったんだし」

 

収監施設を案内するスクイヴの看守が恐る恐る蓮を見下ろした。

 

見下ろされるとムカつく。

 

「・・・何かしら?」

「いえ・・・シドニーで腹痛だと伺っていたもんで」

「わたく、わたしはイギリス国外には出てません。こんな時に友人を置いて逃げたりする性格じゃないの。あれはこの人の悪ふざけよ。ね、《レン》」

「そうだよ。毎日毎日《今日のハーマイオニー》のネタを考えるのは大変なんだ。でも、ミスタ・アシュビー、ハーマイオニーがここに来たというのは内密にね。彼女、いずれ法執行部長から大臣になる気満々で、どうしても視察すると言って聞かないから連れて来たけど、普通に考えれば危険だってわかるでしょ?」

 

そりゃあそうですなあ、とアシュビーは苦笑した。「しかし、ミス・グレンジャー、いくらスクイヴばかりだからって油断は禁物ですよ。ここの職員には内々に処理された聖28一族の出の者もいます」

 

「・・・処理」

 

ハーマイオニーが引っかかりそうな単語を呟くと、アシュビーは神妙に頷いた。

 

「スクイヴの養子にされたって意味です。もとの家名を名乗らない代わりに、たまに金をせびりに行きゃあ、小遣いはもらえるんでね。死喰い人の一族とまだ繋がってる奴は少なくない。ここのことは、こちらの《レイ》と《アメリア》に任せちまって、もっと大事な仕事をなさった方がいい。アタシゃあ、《アメリア》《レイ》《ロムさん》《レムさん》《ジェイ》《今日のハーマイオニー》の誰が立候補したって、1票入れますよ。こいつぁ本気です。マグル生まれやスクイヴを先に助けようってことを考える人らが魔法省を牛耳ってくれるのが一番だ」

 

 

 

 

 

ラムズゲートの家に帰ってそれぞれシャワーを浴びて出てきた時には変身が解けていた。

 

「ハーマイオニーを尊敬する」

「あら、急にどうしたの?」

 

キッチンに立って夕食の支度を始めようとしていたスーザンは、短い髪をタオルでわしわしと拭く蓮の顔を見ずに応じた。

 

「あの短い脚と小さい身長で、よくあれだけのバイタリティを発揮できるものだ」

「・・・あなたね・・・ハーマイオニーは別に小柄ではないし、むしろスタイルは良いほうよ? わたしに言わせればあなたが大き過ぎるの。手足を持て余すというか。よくあんな身長で競技用箒を乗りこなせるわね。クィディッチプレイヤーは比較的小柄なほうが有利なのに」

「そうかなあ。クァッフルを奪うには手足は長いに越したことはないよ。そうだ!」

 

蓮がパチンと指を鳴らした。

 

「明日のハーマイオニーは、箒の練習をして芝生に落ちたことにしよう」

「何だった? サブリミナル? ハーマイオニーの名前を浸透させる作戦も、そろそろ完了じゃない? スクイヴに至るまで《今日のハーマイオニー》を楽しんでるわ」

「うん。サブリミナルはもう充分だけれど、ちょっとした娯楽だよ。毎日シリアスなニュースじゃ息が詰まる。小さいハーマイオニーが世界を飛び回ってるのを想像するだけで笑えるだろ? 《ハーマイオニー・ジーン・グレンジャー世界の旅》だよ。ダイアゴン横丁以外にも世界は存在するんだ。スーザンはどこに行きたい?」

 

ヘラで鍋をゆっくりかき混ぜながら、スーザンはしばらく思案した。

 

「日本かしら。キョウト、カマクラ・・・美しいと思う景色には日本が多いわ。苔生した石段を囲むようなアジサイ・・・」

「それは鎌倉の東慶寺かな。縁切り寺だ。旦那と離婚したい女性はみんなその寺を目指すんだ。簪、いや髪飾り1本、草履片方だけでも門に入ってしまったら、旦那はもう連れ戻せない」

「ハーマイオニーを行かせるには不穏な場所ね。だったら、キョウトにして。緑の真っ直ぐな不思議な木がたくさんある場所よ」

「わかった。京都で筍掘りをさせよう。真緑の真っ直ぐな木は、竹っていう植物だよ。新しく生えてくる芽を竹の子と呼んで、春の食材にする」

「あれって食べられるの?」

「小さいうちはね。繊維質の強い植物だから、小さくて繊維が柔らかいうちしか食べられないよ。大きくなってしまったら建材に使えるほどの強度になるんだ」

「詳しいのね?」

「京都にも家があるからね。春にはひいばあやひいじいと一緒に京都の家に避難することにしていた。ばあばやじいじと春を一緒に過ごすと、熊狩りに連れて行かれるから、生命の危険がある。熊狩りよりも筍掘りのほうが安全だ」

 

苦笑しながら、蓮がパーバティのエクエスに《今日のハーマイオニー》のネタを送る姿を眺めた。

 

「・・・あなたがハーマイオニーと気が合うのは、きっとそういうところもなのよね」

「うん? なに?」

「あなたとハーマイオニー。2人とも《世界》という物差しで測ることができる人たちだわ。ローマのカフェでサングラスをかけたハーマイオニーがエスプレッソとティラミスを楽しんでいる姿が目に浮かぶし、あなたがタオルを首に巻いてタケノコを掘る姿も、なんとなく想像できる。あなたたちの背景には、ダイアゴン横丁やホグワーツ以外の景色もとてもよく似合う」

「・・・どうしてわたくしだけ無駄に生活感に溢れてるんだ? わたくしだってパリのモンマルトルで」

「何をするの?」

「ローラーブレードぐらいなら出来る。スーザンだって出来るよ。どこで何をしたい?」

「・・・フランス?」

 

はっはーん! と蓮が腕組みをして、得意げに鼻を上げた。「さてはそろそろジャスティンが恋しくなってきたな? ジャスティンと夜のパリをデートするといい。オペラ座で《椿姫》を観たら、食事とお酒。緑色のアブサンを飲んで足元がおぼつかなくなってジャスティンに支えられて歩くんだ」

 

「彼はそんなにお酒に強くはないと思うわよ」

「そう? もしかしてスーザンのほうが強い?」

「そうね。蜂蜜酒で泥酔は出来ない。ジャスティンは燃費が良いから羨ましいわ。あなたは? ジョージより強い?」

「飲み比べたことはないけれど、わたくしも蜂蜜酒で泥酔は出来ないね」

「ジョージは《レイ》のキュートなお尻が恋しいそうよ。父が言ってたわ。時代は変わったね、魔法使いが魔法使いのお尻を恋しがるなんて父さんの時代には想像も出来なかった、って」

「・・・へえ」

「父のお気に入りの話題は《アメリアを賛美するジェイ》と《レイに愛の告白をするレムさん》ですって。たまには聴いてみたら?」

 

蓮が視線を逸らした。

 

「レン?」

「どんな答えを期待してる? レイとレムさんのボーイズラブ? それは難しいな。なにしろ週イチでしか生えて来ない。レンとジョージのガール・ミーツ・ボーイ? それはもう終わった話だし、レンは週イチでナニかを生やす身体になった」

「別にジョージじゃなくてもいいわ。でも、わたしやハーマイオニーのことを気遣うあなたは、もう恋を知らないアルジャーノンには見えない。こうして、紳士的な距離を保とうとする。ハーマイオニーに対してもだったわね。そしてロンやジャスティンの話題を出してくれる。楽しいデートや、楽しかった記憶を忘れないようにしてくれる。性別不明の幼いアルジャーノンには不可能な芸当だわ。あなたはもう、レンの心を取り戻してる。人に恋をすることを知ってる」

「だとしたらどうだと言いたいの?」

「それなのに、週に一度魔法使いになってしまう理由は、レンがそれを望んでいるからだと言いたいの」

 

生えてしまえば楽よね、とスーザンは蓮に背中を向けて、鍋をかき混ぜた。「ジョージとのことを改めて整理する必要がない。こういう身体になったから仕方ない。それで片付けられるわ。今は他のことも忙しいし、わたしは別に気にならないから構わないけど、いつかはソレを言い訳にしないでジョージと向き合って。レンとして、きちんと別れるなり、改めて恋をするなり、整理するべきだと思う」

 

「・・・生えたままでガールフレンドを作るかもしれないよ」

「それはあり得ません」

 

スーザンは断言した。

 

「なんでわかるのさ?」

「ハーマイオニーにもわたしにも反応しない人が、女性に鼻の下を伸ばすことは認められない。わたしたちのプライドに関わるわ」

「はい?」

「何ヶ月一緒に暮らしてる? こうして毎食ごはんを作って、日中はほとんど一緒に行動して、話し込んだまま同じベッドで眠ってしまったこともあったわね? わたしともハーマイオニーとも。一緒に眠った翌朝に生えていたことはなかったわ。これであなたが万が一女性に恋が出来る性質だったら、ハーマイオニーとわたし、朝まで飲み明かして屈辱を語り合おうと約束をしたほどよ。ジョージが嫌なら嫌で構わないけど、新しい相手はどうせ男性だと思う」

 

きっぱりと言ってやると、少しスッキリした。

 

「・・・あの施設の名前は、エルガストゥルムにしよう」

 

話を逸らしたな、と思ったが、あえて指摘はしなかった。同居生活の知恵だ。

 

「あなたのことだからきっとラテン語ね? どういう意味?」

「そのまんま。刑務所だよ」

 

 

 

 

 

ジーンズのポケットにリータ・スキーターから貰った懐中時計を差し込み、代わりにスーザンに腕時計を渡した。

 

「あなたに変身するたびに借りてるけど、いい時計ね」

「ヒューゴおじさま、ハーマイオニーのお父さまから成人の記念にもらったんだ。さあ、今日は昨日の続きだから怪しいよ、覚悟して」

「刑務関係者の居住地ね。ショッピングモールに郵便局、銀行・・・かなり規模の大きな開発だわ。キングズリーはウィンストン家の投資だなんて言ってたけど、本当に大丈夫なの?」

「さあ。ビジネスとしてうまくいくかどうかはわからない。でもわたくしとしては、スクイヴがイギリス国民として最低限の権利を確保して生きていく場所を用意する義務がある。それには新しい地区を作ったほうが早い」

 

ペットボトルからハーマイオニーのエキスを飲んで変身すると、またプライドが若干傷ついた。

 

「・・・縮んだ」

「わたしは引き伸ばされた気分よ。杖は2人とも出来合いのものを使うのよね?」

「うん。捕獲されてやろう。杖は奪われる可能性が高い。でもスーザン、血を取られるのは本当に構わないの?」

「ええ。あなたの血もハーマイオニーの血も渡すわけにはいかないわ。かといって、どちらも無しでは逃げ出せるものも逃げ出せなくなる可能性が高い。だったらわたしの血ぐらいがちょうどいい」

「マルフォイがこっちに合流したら、あいつから効能の高い何かの薬を分捕ってやろう」

 

玄関のドアを開け、施錠すると、スーザンの手を握って姿くらましをした。

 

ちゃぷん、とコートのポケットの中でペットボトルが揺れた。

 

「よし。ここからは、あなたが《ハーマイオニー》だ」

「了解よ、《レン》」

 

お互いにコートのポケットに手を入れて歩き出す。

 

「《レン》あれがショッピングモールよ。明日にはオープンするの。あなたのお母さまが、ロンドンにしかお店のないブランドのアウトレットを誘致したから、近隣の街からも集客が見込めるわ」

「・・・ずいぶん大掛かりだね。北側斜面に広がってるのが、スクイヴの官舎?」

「魔法省が買い上げたら官舎。魔法省が買い渋った分はあなたが家主になる借家扱いよ」

「わ、わたくしの貸家? あんなに?」

「ええ。スクイヴだけではなく、いずれは若い世代の魔法族が新しい住まいを求める時に提供したいから。もちろんマグルにも。ゴドリックヴァレー村同様に、マグルと魔法族が隣接して共存できるモデルケースの村にしたいの。残念ながらこれだけの開発を1年足らずで進めたから、没個性的な建築になってしまったけれど、あちらの西側斜面はまだ宅地の造成だけで終わらせてあるわ。個性的な、注文設計住宅はあちらに集める予定よ。あそこは土地が売れたら確実に採算の取れる物件だから安心して」

「・・・安心?」

 

スーザンが胡乱な目つきで見下ろす。

 

「大丈夫。もう何区画か契約済み。ショッピングモールの社長とか、そこのポストオフィスの局長とかね。財力のある人向けの区画、なの」

「《ハーマイオニー》レ、わたくしは、お金を惜しみはしないけど、ちょっと大掛かり過ぎない? こんな本格的なベッドタウン、本当に維持出来るの? ここはもともと廃村一歩手前の何もない土地だったでしょう?」

 

何もなかったからよ、と蓮はハーマイオニーらしく拳を握って力説した。「鉱山で保たれていた村だったから、閉山後は雇用がなくなったの。そこに雇用を生み出すことで、少なくともスクイヴというマグルに近しい人たちを誘致出来る。出来たわ。マグルと同じライフスタイルを必要とするから、それに伴って消費生活が生まれる。雇用が生まれるの。計算通りに行くかどうかは別にして、少なくともエルガストゥルムは公共事業ですからね! 公共事業を景気回復の契機にするのは、ニューディール政策からの基本中の基本よ! ちなみにニューディール政策はアーサー王時代を描いた小説に由来する名前。マーリンも出てくるマグルの小説よ!」

 

適当なことを言い募っていると、スーザンがこめかみを押さえて「《ハーマイオニー》もういい。もうわかった。それで村の名前は決めたの?」と話を逸らした。

 

「ええ、ウィークス。ラテン語で村という意味よ。正式なアドレスはもともとマグルが使っていた地名があるけれど、通称ウィークスタウンとして、もう宣伝を始めたわ。この中央の通りをウィークスストリートとかでもいいと思うけれど、そういうのは住民の方々にお任せね」

 

滅多にしない力説をしたせいで喉が渇いた。

ペットボトルをポケットから出して、真新しいガードレールにお尻を半分載せて休憩する。

 

腕時計で時間を確かめたスーザンも同じようにガードレールを長い脚で跨いで座り、ペットボトルから蓮のエキスを飲んだ。

 

少しくらい脚が長いと思って腹立たしい仕草である。

 

「なに、《ハーマイオニー》睨まないで」

「少しくらい脚が長いと思って・・・」

 

スーザンが困ったように頬を指で掻いた。

 

「こういうところが『手足を持て余す』って言ったんだよ・・・走ったりしたくない。脚が絡まりそっぷっ!」

「レっ! きゃあ!」

 

予定通り、背後から何者かに襲撃された。首に腕を回され引き摺られる。

 

「すぐに姿くらましをしろ! ここは奴らの新しい拠点だ! 不死鳥の騎士団が来るぞ!」

 

マルフォイの声が耳の横でビンビンと響く。「誰がここまでしろと言ったんだ、グレンジャー。痛い目に遭うぞ」

 

 

 

 

 

後ろ手に両腕を拘束されて、トムとベラの前に引き摺り出される。

 

「ふむ。間違いないようだな、ドラコ。このクソ生意気な顔は間違いなくあの女の孫だ。クッ・・・さすがに怯えているようだな? 怖いか? ん?」

「だ、誰が。パンツは穿いてるのかこのノーパンじじい」

 

スーザンが気丈に振る舞っている。

蓮の頬をベラトリクスの杖が滑る。

 

「マグルのお嬢ちゃん? ちょーっと本物の魔法族をナメ過ぎたねえ。あの馬鹿げたラジオとかいう代物をアタシたちが信じると思って、まんまと仲良しちゃんと一緒にとっ捕まっちまった! ひゃーっはっはははっ!」

「・・・本物の狂犬ね」

「なんだってえ?!」

「狂犬! って言ったのよ! もう耳が遠くなったの?! さては更年期障害も経験済み?!」

「殺されたいのかい!」

「殺せるものなら殺してみなさいよ!」

 

やめよ、とトムが熱に浮かされたように近づいてくる。蓮は奥歯の横に隠していた抗アレルギー薬のカプセルを噛み砕いた。「まだ殺すわけにはいかぬ」

 

ひゅう、と喉が鳴った。

 

「も、申し訳ございません、我が君! マグルの小娘! アタシの質問に答えな!」

「誰が!」

「クルーシオ! 答えたくなるまでコレだからね!」

 

磔の呪文を利用して堪えていた咳を連発し、噎せて体勢を崩した。

 

「っ! 《ハーマイオニー》! やめろ! わたくしが答えてやる!」

「どちらでも構わぬ。答えが出さえすればな」

「グリンゴッツ封鎖は誰の浅知恵だい? ああん? あんたの婆さんかい? 違うだろうねえ。国連が口を出すようなことじゃない。内政不干渉って知ってるかい? 賢いお嬢ちゃんたちだ。とーーーぜん知ってるはずの常識だよねえ?」

「・・・内政が原因でも、っげほ、他国に悪影響を垂れ流せばもうそんな言い訳は認められない、わ。テロリストの活動範囲は、っ! 限られていても、テロリストと判断されたら国連は制裁措置をとる、のよ」

「質問に答えな! クル」

「やめろ! わた、わたくしの祖母がやったことだ。わたくしたちは、グリンゴッツのことなんて、どうでもいい。わたくしたちの活動資金は、マグルの銀行口座に預けてあるから、グリンゴッツはわたくしたちとは無関係だ」

「そんな言い訳が通じると思うのかい?! じゃあなんでアタシがアタシの金庫に触れなくなってんだい! 説明しな!」

「知るか!」

「《レン》げほっぐっ、っはあ。わたしが、説明するわ。ハリーから、聞いてるから・・・ぶ、ブラック家の分家には、むっ、娘が3人。長女は、レストレンジ、三女は、マルフォイ・・・純血の一族に嫁いだ、から、正式に、登録を、解除、出来た。じ、次女は、マグル生まれとっ、駆け落ちして・・・げっごほっ! それを恥じた両親は、グリンゴッツに登録解除の、申請をしなかったのよ・・・シリウスが、当主になって・・・ドロメダおばさまに、可愛がられていた、から、マルフォイ家への持参金として失った3つの金庫以外、残った2つの金庫は、自由に使ってくれと、申し出た。ドロメダおばさまに、ね。ドロメダおばさまは、それでも、手を触れなかったけれどっぐほっ! 経済制裁でっ、ブラック家の金庫を、5個に、減らされる、からっ! せめて、御自分に託された2つの金庫だけで、も、ブラック家の家名から、外すために、めっ名義を変更、したの」

 

倒れたままそこまで話すと激しく咳き込んでしまった。

 

「っ《ハーマイオニー》!」

 

キィン、と眉間を貫く痛みが走る。蓮は歯を食い縛って、話した通りのイメージを思い描いた。

 

「・・・ふむ。作り話というわけでもないようだ。不幸な偶然、か」

「我が君! しかし!」

「うろたえるな、ベラトリクス・・・俺様は、その先を知りたい・・・」

「やめろ、わたくしが話す。わたくしが話すから《ハーマイオニー》を別室へ! 窒息する! マルフォイ! マルフォイ出て来い! なんでもいいから《ハーマイオニー》に気管支拡張薬を! 《ハーマイオニー》が死んだらおまえたちが困るんだろ! 死なせるな!」

 

顔色を変えたマルフォイが駆け寄ってきた。

 

「我が君、これは、喘息の症状のようですが、いかがいたしましょう? ウィンストンの言う通り、放置すれば死に至ります」

「薬はあるのか?」

「お許しをいただければ学校から持ってまいりますが」

「ふむ・・・良かろう。学校に行き、薬を持ってまいれ。剣が手に入るまでは生かしておかねばならぬ。その前に・・・あのガラス瓶を、これへ・・・」

「はっ」

 

苦しい呼吸の下から、何かがおかしいと違和感が衝き上げてくる。

 

「俺様の杖を血で汚したくはない・・・ドラコ、きさまがいたせ・・・なに、僅かな血で構わぬ・・・」

「マルフォイ! やめろ! 《ハーマイオニー》の血なんかどうするつもりだ! 取るならわたくしのを取れ!」

 

スーザンを無視して、マルフォイが蓮の傍らに跪き、左袖を切り裂いて、杖先で皮膚も切り裂いた。

 

流れ出す血を浮遊させ、小さなガラス瓶を満たす。

 

「良かろう・・・小娘はきさまの部屋にでも放り込め。見張りを置くことを忘れるでない。手配が済んだら、小娘のために薬とやらを手に入れてくるのだ」

「我が君、成功したならば、もうグレンジャーの命は不要のものとなりますが」

「俺様は物事には完璧を求める・・・我が分身の血が小娘と全く同一と言い切れるのか?」

「出過ぎたことを申しました。お許しを・・・」

「判れば良いのだ・・・行け」

 

そのまま蓮の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

「クッ・・・菊池柊子の孫よ・・・俺様を見切ったつもりでいたようだな? 『穢れた血』を我が身に入れるはずもないと・・・浅はかな、実に浅はかな計算だ・・・無論、俺様の玉体には用いぬ・・・俺様の『分身』を作るのみだ・・・穢れた血といえど、赤子から育てれば、きさまらのような出来損ないには育つまい?」

 

スーザンは呆然と大鍋を見つめた。

 

トムを恍惚の眼差しで見上げるベラトリクス。その右の手首から先が、飛沫を上げて大鍋に落ちる。

 

続いて蓮の紅い血が、大鍋につうーっと流れ落ちていった。

 

あああああああああ、とベラトリクスが歓喜に咽び泣く中、大鍋に浸されたトムの両手が、赤子を持ち上げた。

 

「ここに、闇の帝王が娘、デルフィーニアが誕生した! 仮母の大任をベラトリクスに命ずる!」

 

うそ、と呟くスーザンの顔を、右腕から血を流すベラトリクスが蹴り上げた。

 

「さあ、お話しよ! アタシの宝は! アタシの宝はどの金庫にあるんだい!」

「あ、あんたの、宝?」

 

そんなこともうどうでもいい、とスーザンは思った。ウィンストンの血が、闇の帝王の娘に流れてしまった。

 

「クソ忌々しい妹がアタシから奪った宝さ!」

「・・・ドロメダおばさまが? あんたの宝が何かは、知らない・・・貴重なものは、シリウスに、返した。ブラック家の家宝は、どうでもいいけど・・・歴史的価値が高いものだけは、最深部金庫だと、シリウスが。あんたの宝が、ありがちな魔法道具なら、ドロメダおばさまの金庫にそのまま・・・ブラック家の家宝なら、ブラック家の一般庫・・・歴史的価値があるなら、最深部金庫だ・・・」

 

道理だな、とトムが悦に入った声でもったいぶって、赤子をベラトリクスに抱かせた。「何も隠してはおらぬようだ」

 

スーザンの頭の中にはもう嘘も何も入り込む余地はなかった。ウィンストンの血が、リドルの娘として育てられる赤子に継がれてしまった。

 

「ロドルファス・・・菊池柊子の孫を、書斎に放り込め。こやつにもまだ使い道がある・・・」

 

 

 

 

 

「ウィンストン! 起きろウィンストン! 君はウィンストンだな?! 目は開けなくていいから口を開けろ! 早く!」

 

喉の奥にとろりと甘い液体が流し込まれた。

 

「くそっ。まさか君がグレンジャーだとは。てっきりボーンズだとばかり」

「・・・いろいろ、考えて」

「いいか? 杖を貸してやる。杖さえあれば君なら逃げ切れるだろう? 赤子のことは任せろ。全部片付いたら僕が殺す。奴は赤子を傀儡に育てるつもりだ。ロスとウィンストン、ウィンストンが本命で、いずれは君の血で再復活するつもりでいる。その時のための傀儡のロスを求めた。それだけ理解していればいい。薬を取りに行くフリでボーンズの居場所を確かめてくる。その間に回復しろ」

 

早口に言い募ると、慌ただしくマルフォイは出て行った。

 

 

 

 

 

軋む身体を抱き締めて、自分の身体に戻る痛みに耐えた。

書斎の机の陰で、蓮のジーンズの裾をロールアップしてコートを脱ぎ捨て、セーターをウエストに押し込む。

 

杖は奪われた。

蓮は意識不明。

書斎の外には3人の死喰い人。

屋敷の構造はわからない。

 

それでもなんとか蓮を連れて逃げ出さなければならない。

 

「ウェ」

「それは呼ぶな!」

 

窓の外から押し殺した声が聞こえてきた。

 

「・・・マルフォイ」

「いいか、ボーンズ。ウィンストンは意識を取り戻した。体力回復の時間を稼いでるところだ。必ずウィンストンをここに寄越すから、そいつだけは呼ぶな。ハウスエルフの裏切りをベラトリクスが警戒している。ブラック家のハウスエルフが従わなくなったから。そいつはウィンストンの奥の手だろう。ウェンディ・ザ・慎重だけは呼ぶな。ウィンストンを信じて待て」

「マルフォイ、教えて。あの赤ちゃんは」

「ウィンストンに説明した。ベラトリクスが欲しがったんだ。これでいいな? とにかくじっとして待て」

 

窓からマルフォイの顔が消えると、スーザンは書斎の机の陰で、悔しさに唇を噛んだ。自分の無力さが忌々しかった。

 

 

 

 

 

「おい、起きろ。起きろウィンストン」

「んあ・・・ヤバ、キッツい。マルフォイ、服貸せ。ハーマイオニーがチビだから、この服じゃ無理だ」

「だと思って用意してきた。僕のじゃないぞ。グリーングラスのだ。身長は同じぐらいだろうし、向こうのほうが女性的な膨らみがあるから、多少の余裕はあるだろう」

「嫌味かそれ」

「事実だ。向こうを向くから着替えろ」

 

不貞腐れた気分でグリーングラスの服に着替える。ジーンズとひらひらしたチュニック、胸のあたりがすかすかする。

 

「マルフォイ、杖は要らない」

「何? 馬鹿なことを言うな。僕を殴って杖を毟り取って逃げろ」

「そんな体力はない。さっき見たら、窓の下に池がある。あそこから逃げる。これを貸すからスーザンに渡してくれ。スーザンが魔力を通せばスーザンが透明になる。連れて来やすいはずだ」

 

マルフォイに懐中時計を託した。

 

「あ、ああ。それなら。しかし、池から逃げる? どうやって」

「河童ごっこは得意なんだ。わたくしたちが池に飛び込んだら、こう言え。河童が逃した、だ、マルフォイ。河童のせいにしろ」

「カッ・・・カッパは大事な戦力だろう? 我々がカッパを攻撃したらどうする」

「河童の撃退方法は?」

「キュウリを差し出してお辞儀をさせる」

「日本の河童はね、マルフォイ、わたくしにしかお辞儀はしないんだ。君たちが手に入れられるキュウリでは、日本の魔法種族の掟を破るほどの魅力はない」

 

何を、と言いかけたマルフォイの瞳を見据えた。

 

「河童に育てられた日本の女王を甘く見るな。河童は絶対にわたくしにしかお辞儀はしない」

 

 

 

 

 

透明になってマルフォイの後を追う。一時的に失神させていた見張りを蹴ったマルフォイが、憎々しげに「役立たずめ! ウィンストンはどこへ行った!」と怒鳴った。

 

思わず伸ばした手首を掴まれ、階段を駆け上がる。

 

ザパーン! と窓の外から盛大な水音が聞こえ、マルフォイがスーザンの手を引いたまま部屋に駆け込んだ。

 

「行け、ボーンズ。飛び込め。貴様ら! 何をした! グレンジャーがいなくなっているぞ!」

 

スーザンは急いで開いた窓に駆け寄る。池の中で蓮が両腕を広げていた。

 

「わたくしを信じて! 早く!」

 

背後でマルフォイが「池だ! カッパが逃した!」と叫び、それに押されるようにして、蓮の腕の中に飛び込んだ。

 

スーザンを抱き留め、勢いを殺すように水中で腕を巡らせた蓮が、そのままスーザンを抱えて身体を捻った。

 

がぼ、と飲んでしまった水が塩辛い。

 

「げほ・・・レン?」

「セント・マイケルズ・マウント。コーンウォールにある古い修道院、後から城塞になった。小さなモン・サン・ミシェルだね」

 

スーザンの身体を後ろから抱いて、古城に続く道の上に引き揚げてくれた。

 

はあ、はあ、と息を荒げる蓮の喉を摩った。

 

「ごめんなさい、わたしひとりじゃ何も出来なくて」

「そんなことはない。わたくしを死なせないための演技は完璧だった。あれがなかったらあのまま死んでた」

「でもこんな逃げ方、わたしじゃとても」

「河童に育てられたマーメイドを甘く見るな。でも、そろそろ限界。ラムズゲートに連れて帰って。ああ、時計で透明になろう」

 

わかったわ、と答えて、蓮の腕を肩に担ぐようにして立ち上がり、懐中時計に魔力を通すや否や、蓮を連れてラムズゲートの家の玄関に姿現しをした。

蓮を支えたまま玄関を開け、セキュリティを再度作動させると、もう蓮は気を失っていた。

 

「いろいろ考えなきゃいけないけど・・・《今日のハーマイオニー》にはもう無理よね」

 

濡れた髪をかきあげてやり、ペチンと軽く額を叩く。

 

「レン? レーン、少し起きて。お薬を飲んでベッドで寝ましょう」


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