「はじめまして、グレンジャーご夫妻、ハーマイオニーさん」
約束の時間に玄関に現れたのは、おそろしく小柄な人物だった。
「いきなり玄関に入る無作法をお許しください。私、この通り、マグルの方々の中では目立ってしまいますので」
確かにそれはそうだろう。
「改めまして。私はフィリウス・フリットウィック、ホグワーツでは呪文学の授業を担当しております。また、寮監を務める一人でもあります」
「はじめまして、フリットウィック先生」
ハーマイオニーが挨拶をすると、小さな先生はにこにこと笑ってくれた。
リビングに移動して、母が紅茶を勧め、父がソファの上に電話帳を積んで、違和感のない高さに調整する。
「早速ですが、お嬢様にはボーバトンからも入学許可証が届いたとか?」
「ええ。先日、ボーバトンから変身術の先生がみえてご説明いただきました」
「なるほど。変身術とは、先方は本気で勧誘に来たようですね。もちろん本校としてもぜひご入学いただきたいと思っております」
そこでこれです、と小さなブリーフケースを開けた。
濃紺のベルベットで内張りされたブリーフケースの中には、CDが一枚。
「これは?」
「私の教え子の一人は、マグルの世界で弁護士をしています。我が校の理事の一人でもありますが。彼女にマグル向けの学校のパンフレットの印刷を頼んだら、こういったものを作ってくれました。窓のナントカというマグルの装置で我が校の全景や、敷地内の風景、セキュリティに関する説明の・・・紙芝居ではなく・・・なにかそのような・・・」
「・・・スライドショー?」
パチンと手を叩き「それです!」とフリットウィック先生は嬉しそうに言う。
「マグルがプレゼンテーションに用いる手法だとか。我が校の概要については、こちらで後ほどご確認ください」
それでは、とフリットウィック先生が姿勢を正した。
「マグルの保護者の方々からよくいただく質問を例に、私から先に説明させていただき、後ほどご質問をお受けする形でよろしいですかな?」
「はい」
「一番よくいただく質問に、ホグワーツ校を卒業した場合の学歴はどうなるかというものがあります。ホグワーツ校を卒業する生徒の大半は、そのまま魔法界で職に就きますので、現実的にはあまり影響はないのですが、先ほどの教え子のようにマグル界の職を選ぶ場合」
両親もハーマイオニーも身を乗り出した。
大事なことだ。
「パブリックスクールを卒業するのと同じ扱いになります。マグル向けの大学受験資格試験を受けて、その成績に応じた大学を受験します。その場合、ホグワーツでは協力関係にあるパブリックスクールの卒業生名簿に該当する生徒の氏名を記載します。ただし、ホグワーツ内ではマグルの教科の授業は行ないませんので、完全に独学で大学受験することになります」
「・・・難関ではあるが、道は閉ざされていない、という解釈でよろしいですか?」
「まったくその通り。次に、魔法界での職業について。これはマグル界とさほど違いはないとイメージしていただいてよろしい。電子機器がないので、そのあたりは魔法道具の開発製作に変わりますが、医療職、公務員、教職、小売業などがあります。ホグワーツの卒業生には公務員の割合が多いですね。英国魔法省が、魔法界の立法司法行政を担っていますので」
「なるほど。しかし、先ほどの教え子の方はなぜまたマグルの弁護士に?」
ぴ、と長い指を立てて、フリットウィック先生は父に「良い質問です」と先生らしいことを言う。
「魔法界の法制度にマグル界との違いがあります。魔法界の法制度の中では弁護士が存在しないのです。魔法省の司法部門が法廷に持ち込み、被疑者やその友人知人が被告側証人として弁護する形を取りますので、制度としての弁護士はおりません。私の教え子は、その仕組みを変えたいと考えています。ホグワーツ卒業後、マグルの大学マグルのロースクールに行きましてね。今や魔法省魔法法執行部に籍を置いていながら、マグル界の弁護士業のほうが多忙のようです」
母が「まあ、優秀な卒業生がいらっしゃるのですね」と相槌を打つ。
フリットウィック先生は嬉しげに大きく頷いた。
「私の寮の、監督生から首席として卒業しました。私の寮は叡智を何よりの宝と考えています。それから、全寮制ですので、お嬢様の場合は、親御さんのご心配も多々おありでしょう。確か、ボーバトンでは、男子部と女子部に分かれているとか。ホグワーツでは、4つの寮があります。男女混合ですが、寮内では談話室以外は女子寮と男子寮の行き来は出来ません。いえ、実を言いますと、女子が男子寮に入ることは出来ますが、その逆は不可能な魔法が施されています。私の寮では女子寮に進入しようとした男子は、落とし穴から落とされます。3日間穴から出られません。また別の寮では男子が女子寮に進入しようとすれば、その階段が変形して、談話室まで滑り落とされます」
父はうんうんと頷いている。
「生活面においては、食事や洗濯はすべて専任のスタッフによって賄われます。食事の量は、本人の希望するだけいくらでも。ただし、女子によくあるように過度なダイエットを試みて体調を崩した場合には、常勤の校医による特別なメニューが用意されます」
「なるほど」
「ちなみに、本校の校医は、魔法疾患における王立病院の位置付けにある聖マンゴ病院で十分な臨床経験を積んでおりますし、若者に多いスポーツ外傷の診療に関してはイギリスで右に出る者がいません。治療に必要な安静のためなら校長さえも彼女にはかないません。さらに言えば、この校医はご両親ともにマグルですので、マグル界の治療法にも詳しい人材です」
「そんな方でもドクターに?」
フリットウィック先生がキョトンと首を傾げた。
「そんな方・・・とおっしゃいますが、校医のマダム・ポンフリーはご両親ともにお医者さんで、第二次世界大戦末期には、聖マンゴ病院の研修医でしたが、志願してマグルの陸軍病院での研修もこなされたそうです。優秀さも熱意も折り紙つきですよ」
言いながら、またパチンと手を叩いた。「ああ! マグル生まれが純粋な魔法族に劣るのではないかとのご心配なら、まったくの杞憂です。私のこれまでの教師経験上、純粋な能力での違いはありません。確かに、マグル生まれの子供たちは、咄嗟のときに魔法を使うとか、複数の魔法を組み合わせて使う面においては遅れがちになりますが、それも下級生の間だけ。要は環境と慣れです」
「いくつか質問がありますが、よろしいですか?」
今度は父が右手を挙げた。生徒気分にでもなっているらしい。
もし魔法学校に行くことになったら、父の順応性は高いほうだと思う。
「どうぞどうぞ」
「これまでのお話では、マグル生まれの子供たちは少なからずいるようなのですが、我々は魔法使いにお会いしたことがありません。娘の進学問題が出るまでは、ということですが。一つの省庁が管理しなければならないほど、魔法使いや魔女は多いのでしょうか」
フリットウィック先生はあご髭を掴んで「何と説明したものか」と呟いている。
「そうですね。魔法族の法律で、マグルに魔法族のしでかすことを明かすことは、魔法界では犯罪です。よって魔法族の家々には、守りの魔法がかけられます。マグルの目には廃墟にしか見えない小屋が、実は豪壮な邸宅だったり。なので、ミスタ・グレンジャーがお考えになるより、多くの魔法族が身の回りにいるものです。例えばこれですが」
フリットウィック先生は、コーヒーテーブルに差し出したままだったCDのケースをひっくり返した。
「レイ・キクチ・ウィンストン法律事務所」と書かれたシールを見て、両親がぽかんと口を開けた。
「こ、この方は私どものクリニックの顧問弁護士ですし、ほぼ毎月歯石のチェックやホワイトニングにいらっしゃる方です」
「ウィンストン伯爵家の奥様ですわ」
「ね? 割といるのです」
フリットウィック先生がみえてから、家族で何度か話し合った。
基本的には魔法学校で魔法をコントロールするトレーニングは受けなければならない、と結論が出た。
それは、2年ほど前の出来事が理由だ。
ちょっとだけ不思議なことをクラスの男子の前でしでかしたハーマイオニーは「フリークス!」と罵倒されたのだ。
以来、十分に気をつけて、不思議なことを起こさないように努力しているが、完全には防げていない。そんなときは「わたしは関係ないわ」という顔を作る。もちろんわかる人にはわかってしまうので、今のところハーマイオニーには、すごく親しい友人がいない状態だ。
いずれパブリックスクールに行くから構わない、と思うようにしてきたけれど、それが魔法力によるもので、コントロールの手段があるなら学ぶべきだ。
「それにレディ・ウィンストンは弁護士として優秀だという評判だ。パパとママが開業するときに先輩のドクターから紹介されて、顧問についていただいた。今のところ弁護士のお世話にはなっていないが、歯科医師会での評判は最高だよ」
「ハーマイオニーがホグワーツからマグルの大学に行くのであれば、同じコースでマグルの職に就いていらっしゃる方のアドバイスはお聞きしておくべきね」
少なくともランスのおばあちゃまより、と母が苦笑する。
ランスの魔法学校から入学許可証が届いたことを連絡したら、ランスの祖母はたいへんな興奮状態だ。
祖母によれば、ランスには美しい魔女の集まる魔法学校があるという噂が根強く残っているのだそうだ。
王妃や王女を守護する魔女の一団はランスで訓練を受ける。だから、ランスの魔女は素晴らしく美しくて優秀だとか。
そんなところにハーマイオニーが入学を許可されるとは名誉なことだと祖母は考えている。
しかし、両親の意見はまた別なのだ。
マグル界から魔法界に進学するのは、いわば留学するのと同じだ。
ただでさえマグル界から魔法界への留学なのに、国まで跨いでしまうのは遠すぎる。また、ランスの祖母はマグルだ。親族の家からの通学では、魔法界に馴染むのにも不利になるだろう。
よって両親としてはホグワーツ校に入学することで意思統一出来ているのだが、問題はヴォルドゥモールなる変な名前の人だ。
家にある本にはそんな名前の人は記載がない。マグルの本しかないから当然だけれど。
フリットウィック先生に尋ねても、キャッと叫んで電話帳の椅子から転げ落ちた。「死の舞踏、死の飛翔だなんて、ずいぶんなジョークですけれど」と母が言いかけると、パーティのダンスフロアでストッキングを脱ぎ始める無作法を目の当たりにしたように、ふるふると震えるのだ。
慌てた父がフリットウィック先生を助け起こし、「この質問はレディ・ウィンストンにお尋ねするべきでしょうか?」と尋ねると、フリットウィック先生は大きく頷いた。「ああ、レイ! レイならば必ずグレンジャーご夫妻の疑問にはすべて答えてくれます。そうです! 欠席ばかりですが、仮にも理事なのですから、こういうときは協力してもらいましょう」
「あのときのフリットウィック先生には驚いたね」
「死の飛翔だなんて、ジョーク以外の何に聞こえるのかしら? 変な名前をつけるのが流行っているのはマグルだけじゃないのね」
「ママ、変な名前が問題ではなくて、ヴォルドゥモールのしたことが恐ろしいという意味ではないのかな? 君たちはなぜか変な名前にこだわっているけれど」
父は母とハーマイオニーを呆れた目で見た。フリットウィック先生がキャッと叫んで電話帳の椅子から転げ落ちたのは、ハーマイオニーと母の無作法のせいだと思っているようだ。
「レディ・ウィンストンからは、今夜お招きを受けているけれど、変な名前とは言ってはいけないよ。あくまでも、おそろしく邪悪な魔法使いについて質問するんだから」
反論は許さない、という表情を装っているけれど、母とハーマイオニーにはわかる。
父は魔法界に興味津々過ぎるのだ。
調べたくても、インターネットには出てこない。ハーマイオニーや母が嫌いな不思議系統雑誌に書いてあることは沈んだ大陸とか、人類史以前のオーパーツだとかばかりで、魔法界のことは書いてない。
行けるものなら自分がホグワーツに入学したいに決まっている。
レディ・ウィンストンからお招きをいただいたのは「ロンドンの自宅」だった。
「ロンドンの」ということは「ロンドン以外の」自宅もあるのだろう。
待ち合わせたウィンブルドン・コモンの駐車場に入ってきたシルバーのジャガーを見て、父が「ああ、レディ・ウィンストンだ。相変わらずいいジャガーだ」と呟いた。
「パパも小さなクラシックカーばかりじゃなく、ああいう大きな最新型のセダンを買ってよ」
「クラシックカーはパパのロマンだ」
「狭苦しいロマンは迷惑だわ」
ピカピカに輝くジャガーが停車して、男の子が先に助手席から下りた。
すぐに綺麗なレディが運転席のドアを開け、サングラスを外しながら「お待たせして申し訳ありませんわ、グレンジャーご夫妻」と挨拶する。
父は、なぜか男の子を見つめていた。「・・・コンラッド?」
レディ・ウィンストンは「ドクタ・グレンジャー? コンラッドをご存知ですの?」と怪訝な顔を見せる。
父は慌てて「まさか、レディ・ウィンストン、あなたはコンラッド・ウォレン・ウィンストンの?」と尋ね返した。
「ええ。コンラッド・ウォレン・ウィンストンはわたくしの夫でした。これは娘の蓮」
「・・・お嬢さん? いや、てっきり男の子だとばかり」
「日本の田舎で育ちましたので、この通りですわ。さ、車にどうぞ。蓮、奥様とハーマイオニーにドアを開けてあげて」
蓮と呼ばれた男の子みたいな女の子は軽く頷くと、後部座席のドアを開けた。
静かに走り出すジャガーに感激することも忘れて、父はレディ・ウィンストンに質問を重ねている。
「コンラッドとはパブリックスクールが分かれてしまって会えなくなったのですが、まさか彼も魔法使いだったのですか?」
「ええ。魔法使いの家族はあまりマグルの小学校に通わせないのですが、ウィンストン家では政府高官や王室の護衛官になりますので、マグルの大学に進学する必要がありますの。代々ホグワーツ卒業後にマグルの大学に行きますので、ホグワーツ入学前にはマグルの小学校に通わせる方針のようですわ」
父があれこれ質問することに、レディは答えたり答えなかったりする。たまりかねて母が「あなた」と父に注意した。「運転中に込み入った質問をしてはご迷惑よ」
代わりにハーマイオニーが、蓮に質問をすることにした。
「ヴォルドゥモールって知ってる?」
「ハーマイオニー!」
「知ってる」
「すごく怖い人?」
蓮はしばらく考えた。「・・・ダースベイダーぐらいかな」
「ダースベイダー」
「ダースベイダーは基本的にライトセイバーを使った接近戦だけど、ヴォルドゥモールは魔法使いだから・・・ピストル使えるダースベイダーだと思えばちょうどいい」
「すごくわかりやすいわ。フォースと共にあらんことを」
「フォースと共に」