サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第16章 ロンドンへ

ホグワーツでの最初の1年が終わった。

トランクに荷物を詰め(もちろん魔法で。ハーマイオニーが同じ魔法を使うときちんと衣服を畳んで収納されるのに、蓮の場合はくしゃくしゃに丸まった状態でしか収納されないのは不思議だ)て、ホグワーツ特急のホグズミード駅発車時刻までの時間をどう潰そうか考えていると、どこからともなく飛んできた紙飛行機がベッドに落ちた。

 

「マクゴナガル先生からだわ」

 

机で本を読んでいたハーマイオニーが「まさかサマーホリデイに罰則?」と顔を曇らせる。

 

賢者の石を守る騒動のあと、4人はマクゴナガル先生から「賢者の石を守った功績と粉々に破った数多の校則をプラスマイナスした結果が10点ですからね」と釘を刺されたので、ハーマイオニーは罰則にナーバスになっている。

 

「いいえ。わたくしだけ呼び出し。たぶんクィディッチのことだと思うわ。ちょっと行ってくるわね」

 

ひょいとベッドから長い脚を下ろして、蓮は立ち上がった。

 

 

 

 

 

「帰宅前の慌ただしい時間にすみませんね」

「いいえ。もうパッキングは終わっていますから、時間を持て余していました」

 

マクゴナガル先生は、蓮にソファを勧めず、向き合って立った。

 

「ウィンストン、あなたはよくやりました」

「え?」

「ヴォルデモートの目の前で賢者の石を破壊したことです。わたくしはあなたを誇りに思います」

 

面と向かって褒められると、なんだか身の置き場に困る。

 

「あの日、校長室の前でわたくしはあなたに『サー・フラメルのためにも賢者の石を破壊しなさい』と言いましたが」

「・・・はい」

「まさかあれだけ鮮やかに成し遂げるとは思いませんでした。賢者の石を守りきり、ダンブルドアかわたくしが破壊することになると予想していたのです」

 

蓮は慎重に言葉を選んだ。「あの状況では、守るより破壊するほうが容易でした」と答えた。

 

「座りなさい、ウィンストン」

 

蓮は素直にソファに腰を下ろす。向かいにマクゴナガル先生が座り、魔法で紅茶を用意した。

 

「わたくしの立場で言うべきことではありませんが、校則など、緊急事態の前には二の次で良いのです」

「・・・はあ」

 

お飲みなさい、と紅茶を勧められた。

 

「わたくしと柊子が、いったい何度校則を破ったか、数えるのも億劫なほどですよ。しかし」

 

蓮が紅茶を一口飲むのを確かめるように、マクゴナガル先生は言葉を区切る。

 

「そのほとんどは、リドルが原因でした」

 

カップをソーサーに戻し、蓮は頷いた。

 

「わたくしたちが2年生のとき、彼は入学してきました。当時の森番ミスタ・グレゴールの鶏が殺される事件が続きました。死体は森の中に吊るされ、鶏の他に小動物の死体までありましたよ。当時は森は禁じられていませんでしたから、わたくしや柊子は1年生のときから、森をジョギングのコースにしたり、森の中の魔法生物と触れ合いながら遊んでいたのです。他にも多くの生徒が」

「それは、魔法で?」

「最初の頃は刃物、次第に魔法で甚振り殺すようになりました。わたくしと柊子がそれを見つけたとき、最初は素直にダンブルドアに報告しましたが、結果は生徒全員が森への立ち入りを禁じられただけ。犯人がホグワーツを追われた形跡もなかった」

 

蓮は眉をひそめた。

 

「ダンブルドアのお考えは、今ならば理解出来ます。リドルをホグワーツから追放していたら、マグル界で同じことをするようになったでしょうから。ホグワーツで教育して、その性質を矯正するのが教師の務めでもあります。ですが、当時のわたくしたちには許せませんでした。わたくしたちは、ダンブルドアに隠れて犯人を締め上げることにしました」

 

ふふん、とマクゴナガル先生が鼻を鳴らした。

 

「リドルが失禁するまで柊子が甚振ったこともあります。リドルは、自分の魔法使いとしての才能に極端な自信を持っていましたが、柊子の才能の前では見るべきところのない平凡さでした。あなたもそうでしょうが、柊子はリドルに理解出来ない種類の魔法の訓練をすでに受けていましたからね。以来、リドルは表向きスリザリン寮の優等生としてホグワーツで過ごしました。ですが、わたくしたちは分かっていました。あの性質は、決して変わらないと」

 

だからわたくしたちは度々校則を破ってはリドルを先回りしてとっちめてきたのです、とマクゴナガル先生は溜息をついた。

 

「あなたにこんな話をして良いものか迷いましたが、あなたはもうリドルの前で柊子によく似たその顔を晒しました」

 

蓮は自分の顔を指差して首を傾げる。マクゴナガル先生は手を伸ばして、蓮の頬を軽く摘まんだ。

 

「ウィンストン、覚えておきなさい。リドルを挫いたのは、幼かったハリー・ポッターと、もう1人、菊池・アナスタシア・柊子です。あなたたち2人が揃ってリドルの前に現れたことは、彼にとって恐怖に他ならない。あれは本質的に臆病な男です。臆病な男は自分を大きく見せるために、小さく弱き者を殺して、自分に箔をつけます。そして大言壮語を吹聴します。ヴォルデモートという名が、あれのそんな性質を端的に表しているのです」

 

ヒリヒリする頬を撫でながら、蓮は頷く。

 

「ハーマイオニーは、変な名前だと、入学する頃はしきりに言っていました」

 

マクゴナガル先生も頷いた。

 

「ミス・グレンジャーはボーバトンからも入学を望まれたのですから、当然フランス語が出来ます。フランス語圏の人にとっては、悪趣味なペンネームにしか聞こえなくて当たり前です。死の飛翔だなんてね。闇の魔術によって死を回避したがることそのものが臆病者の証です。そんな臆病者に、サー・フラメルの真摯な研究の成果である賢者の石並びに命の水を使わせることは、許しがたい冒涜です」

 

蓮は深く頷いた。

 

「ですが、あなたとポッターの学生生活は極めて困難なものになるでしょう」

「・・・はい?」

「先ほど言いましたね。あれは、小さく弱い者を殺すことによって、自分を大きく見せたがります。あなたとポッターが一人前の魔女や魔法使いになる前に殺したがるはずです。そして言うのですよ、生き残った男の子は、ただの偶然で生き残ったにすぎない。ヴォルデモート卿はその証拠に生き残った男の子を容易く打ち倒した。菊池柊子などただの老ぼれた婆さんだが、自分はその後継者をもポッターとまとめて始末した」

「・・・わたくしもハリーも、小さく弱い者ではないつもりですけれど」

 

その通りです、とマクゴナガル先生は蓮の瞳を見つめた。「魔女や魔法使いの強さは、年齢や経験などで平面的に割り切れるものではありません。様々な要因が絡み合って魔法が成り立つのと同じこと。魔女の強さも様々な要因が絡み合います。あなたやポッターを、あれは侮っています。侮っていないにしても、一人前になる前に殺したがることは変わりありません。一人前になってしまえば自分の手に負えなくなるのですから。それがあれの弱点です。たかだか強大な闇の魔術をいくつか身につけただけで、魔法の深淵を超えた気でいます。闇の魔術に魅せられる者は往々にして、その陥穽に陥るものです。数値的かつ平面的に強さを測りたがります」

 

マクゴナガル先生は紅茶を飲み干して立ち上がった。

窓の側に行き、腕組みをすると外を眺め遣る。

 

「サー・フラメルは、学生時代のわたくしたちに魔法の深淵の美しさを実感させてくださいました。様々な魔法生物たちの驚くべき能力、魔法植物の驚異の性質、素材の組み合わせを芸術的なまでに変化させるときに起きる数限りない変容。魔法とは、この年まで生きてなお、その全体像を掴むことの出来ないものです。わたくしたちの人生の半分ほどを霞の状態で過ごしたリドルごときに掌握出来るものではない。あれの存在そのものが魔法に対する冒涜です」

 

ですから、と窓に背を向け、蓮に向き直る。

 

「わたくしはあなたに命じます。蓮・エリザベス・菊池・ウィンストン。どんな校則違反をしても構いませんから、自分自身の命を守りなさい。ついでにハリー・ポッターも」

「・・・ハリーが『ついで』ですか?」

「人の命まで背負えるほど、あなたは熟達していません。同行する機会が多いことから、あなた自身が自分の命を守ることがポッターを守ることに繋がります。むしろ、ポッター自身が自分の身を守らなければならないのです」

 

わかりました、と頷いて、蓮はマクゴナガル先生の前から退室しようとした。

だが、先生は蓮を呼び止める。「ああ、ウィンストン」

 

「はい?」

「わたくし、校則違反をしても良いとは言いましたが、減点や罰則を課さないとは言っておりませんから、そのおつもりで」

「・・・はい?」

 

見つかるような不器用な真似をするなと言っているのですよ、とマクゴナガル先生は腕を組んで、にやりと笑った。

 

ーー食えない婆さん・・・

 

 

 

 

 

キングズクロス駅に迎えに来ていたのは、なぜか日本の祖父母だった。

 

「おじいさま、おばあさま」

 

よっ、と祖父が蓮を抱え上げる。

 

「ちょ、おじいさま、やめて」

 

体格の良いブルガリア人の祖父ならば、蓮ぐらいは軽々と抱えられるのだろうが、まだ周囲にホグワーツ生の目がある。

 

「蓮、諦めなさい」

「おばあさまも止めてよ!」

 

ジタバタともがく蓮の背中を祖母がポンポンと叩いた。

 

「いいや、下ろしてはやらん。怜から聞いたが、うちの蓮をつけ回す不逞の学生がいるそうではないか!」

「なにそれ」

 

祖母は額を押さえて頭を振っている。

 

「悪い虫どもには思い知らせてやる必要がある。貴様らがつけ回しているのは、このシメオン・ディミトロフの愛する孫娘だとな!」

 

周りがザワザワと騒がしくなる。

 

ロンがぽかーんと口を開けた。「シメオン・ディミトロフ?」

 

「お願い、忘れて、ロン」

 

蓮の懇願虚しく、ハリーはハーマイオニーに「シメオン・ディミトロフ?」と尋ねる。

 

「ハリー!」

「ブルガリアの伝説的な闇祓いよ。イギリスで言えばマッド・アイ・ムーディね。ブルガリアの魔法使いの監獄ヌルメンガードの半分以上をシメオン・ディミトロフが逮捕した闇の魔法使いが占めていると書いてあったわ」

「ハリー、シメオン・ディミトロフと言えば、ブルガリアのヒーローなんだぜ。グリンデルバルドと最終決戦をしたのはダンブルドアだけど、それまでに闇の勢力の勢いを削いだのはディミトロフだ!」

 

よく知っているな、と祖父が片頬を上げた。

 

「今はただのおじいちゃんだから!」

「何を言うか、蓮! ホグワーツのガキどもの2人や3人や4人や5人や6人、まだ捻りつぶすことに造作もないわい」

 

 

 

 

 

ハーマイオニーは溜息をついた。単なる爺馬鹿なのだろうけれど、蓮の周囲でそれをやると無駄にスケールが大きくなる。

 

「あら、ジョージ」

 

シメオンの肩の上から蓮がジョージに手を振る。

ジョージもおずおずと片手を上げた。

それを横目に見て、ハーマイオニーはなかなか天晴れだ、と思う。

 

「ぬ?」

 

シメオンがこちらを振り向いた瞬間にバッと手を下ろしたけれど。

 

「ハーマイオニー、変なことになっちゃったけれど、フランスの件はグラニーと相談して近いうちにお返事するわね。ウィンブルドンならそんなに遠くないから、フクロウですぐよ。おばあさま、おじいさまとこのまま付き添い姿くらましするわ。荷物をお願い。おじいさま、早く帰りましょう」

 

バッチン、と大きな音を立てて、蓮とその巨大な祖父が消えると、蓮の祖母がハリー、ロン、ハーマイオニーに次々に目を留めた。

 

「あ、あの。レンのおばあちゃんですか?」

「ええ、そうですよ、あなたがたはハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニーね? 蓮から聞いているわ。あんなおじいちゃんがくっ付いてるけど、蓮をよろしくお願いね」

「どっちかっていうと、僕らがよろしくされてるけど」

 

赤毛の頭を掻くロンの肩を叩いて「ミネルヴァにチェスで勝った子が何言ってるの」と笑った。「そうそう、ミスタ・ロングボトムはどちら?」

 

フレッドがネビルの背中を突き飛ばすように押し出した。

 

「は、はじめまして・・・ぼ、僕、ネビルです」

「そう、ネビル。あなたのおばあさまに伝言をお願いして良いかしら?」

「・・・ばあちゃんに?」

「ええ。箪笥貯金は危険だと言ってちょうだい。713番金庫の件以来、箪笥貯金だなんて馬鹿なことをやっているの。グリンゴッツに預けるように言ってちょうだいね」

「た、箪笥に? わかりました、必ず伝えます・・・まだ何も盗られてなきゃいいけど」

 

なんて平和なのだろう、とハーマイオニーは思った。

 

両親がハーマイオニーの肩に手を置く。「ママ、パパ!」

両親に久しぶりのハグをしながら、ハーマイオニーは「さてこの1年のことをどこまで話そうか」と考えた。

 

ついこの前、蓮とハリーがヴォードゥモールと戦ったなんて言えない。

 

「レンは? 夏のフランス行きの話をしたかったのだけれど」

「それがね、ママ、レンのおじいさまが来て、レンを連れて姿くらまししちゃったの。後から連絡くれるわ。ウィンブルドンならすぐだって言ってたから、たぶんチェルシーの家だと思う」

 

トランクを載せたカートを押した父と一緒に柵に向かって走った。

サマーホリデイの間だけの、ごく普通のロンドンに向かって。


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