サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話28 ハリーの個人授業1

1日の授業を終えて、柊子はレイブンクロー寮の自室で素早く着替えると駆け出した。

 

2年生になった今年からクィディッチチームに入れてもらうことになった。シーカーだ。

レイブンクローは決して強いチームとは言えないが、ベストを尽くさなくてもいいということにはならない。無論ベストを尽くすつもりだ。

 

生来負けず嫌いな柊子の性格は、時に手に負えないほど傲慢にすらなる。それが欠点だと日本の母にはよく叱られたが、いつも家でおとなしく魔法薬学の研究をしている父は、負けず嫌いが努力に繋がるのなら大いなる美点だと褒めてくれた。

なので柊子は、努力をしたうえで決して負けずに傲慢になれば良いと決めたのだ。傲慢にならないとまで決意するのは無理だろう。そもそもそう言う母こそ、かなり傲慢な人だ。なにしろこんな時代に日本の魔法大臣なんてやっていられる人だ。大日本帝国の戦争に魔法族の関与を禁じた。魔法族も日本人として日本政府の戦時体制に従うし、徴兵にも応じなければならないが、その際には魔法使いの若者にも非魔法族としての軍隊生活を送らせる。そう天皇陛下と首相と3人だけの御前会議で決定してきたのだ。その決定は国際魔法使い連盟にも伝えられ、日本魔法省の判断を好意的に受け止めるという結論を得た。ただし「1人で構わないのでホグワーツ魔法魔術学校もしくはイルヴァーモーニー魔法魔術学校に子女を入学させてはいかがか。日本魔法界が完全に国際魔法社会から取り残されてしまわないためにも、必要な措置だと考えられる」という一文がついてきたから大変だ。まさにこれは体の良い人質だ、なぜなら選択肢にダームストラング専門学校が含まれていない、と父は憤慨した。「イギリスかアメリカしか選択の余地がないではないか」と。

父がいくらぶうぶう言っても、国際魔法使い連盟からそんな提言が来たのが、柊子が10歳の時だ。喑に柊子が指名されているようなものだった。

 

また母という人には、悲しみや苦悩を他人に預けてはならないという気位の高さがあって、つまり誰かの子供をホグワーツかイルヴァーモーニーに送るぐらいなら、自分がその悲しみを背負えばいいのだ、と考える人だから、母がその話を持ち帰ってきた時点で、柊子には速やかに覚悟が出来た。

 

そんなことは今のところどうでも良いのだ。母の母校のホグワーツで、母と同じレイブンクロー寮でうまくやっていける。不便はない。

 

「む」

 

柊子は森の入り口で運動靴の紐を締め直している少女に気がついて足を止めた。

 

「ミス・マクゴナガル? 何をしているの?」

 

グリフィンドールのミネルヴァ・マクゴナガルだ。変身術の授業で一緒になる。教科書を丸暗記しているのか、ダンブルドア教授の口頭試問に毎回ぴょこぴょこ手を挙げる。母が変身術が得意だと言っていたから柊子も変身術を頑張ろうと思っていたのに、同じ教室にミネルヴァ・マクゴナガルがいたせいでやる気が失せた。

 

「森で運動をしようと思って。あなたは?」

 

 

 

 

 

ミネルヴァはレイブンクローの菊池柊子の顔を見て、「むむ」と思った。2度ほど同席したスラグ・クラブではスラグホーン先生から魔法薬の天才だと大絶賛、呪文学では一度もミスをしない完璧な杖捌きと有名だ。それなのに、グリフィンドールと合同の変身術の授業ではやけに静かで、そのくせ、ミネルヴァがぴょこぴょこ手を挙げるのを真似して小さく舌を出して笑っているのを見ると、勝ちを譲られているように思えて仕方ない。

 

「あなたと同じよ。森で軽く運動」

 

裾を絞ったコットン編みの運動着をそれぞれ着ている時点でだいたいわかっている。

 

「まさかクィディッチ」

「まさかチームに」

 

同時に言い出したのがなんだか腹が立つ。

 

「ポジションは?」

 

偉そうに聞いてくるから「ふふん、チェイサーよ」と言ってやった。

柊子の方はぷっと笑って「1回10点のチェイサー。コツコツ型のあなたにぴったりね」などと言う。「わたくしはシーカー以外はやりたくないわ」

 

これを聞いてミネルヴァの生来の負けず嫌いの血が燃えた。

 

 

 

 

 

「あれはあれで仲が良いと思う」

 

森の中で薬草摘みをしているポピーが、ジョギングというより全力疾走で競争している柊子とミネルヴァを見て溜息をつくと、グリフィンドールのオーガスタ・ロングボトムがそう言って声をかけてきた。

 

「そう思うの? すごく敵視し合ってるように見えるけど」

「似た者同士だからに決まってる。ところであなた、ミス・ポンフリーでしょ? あなたから薬草の見分け方を習ってくるようにスラグホーン先生に言われたの。ニガヨモギってどれ?」

 

ニガヨモギのある場所に案内していると「ミネルヴァって、すごい負けず嫌いよ。ミス・キクチもそうなんじゃない?」と言うので、ポピーは頷いた。「負けず嫌いというか、プライドは高いわね。人に負けるのは我慢ならないみたい。だから変身術は手抜きするの」

 

「どうして?」

 

目を丸くしたオーガスタに、苦笑して「ミス・マクゴナガルには勝てないとわかったから・・・だと思う」と答えた。

 

「勝つまでがんばれよ、って言っといて」

「ああ、あの人、そういう熱血が苦手なの。涼しい顔して出来ることだけで充分満足みたいよ」

 

オーガスタはまだ全力疾走で走り続ける2人の2周目を眺めて「今はかなり熱血よ?」と首を傾げた。

 

「いつまで続くかわからないわ。でも、そういえば、レイブンクロー対グリフィンドールは毎年の最終戦だから、今学年いっぱいはあのままかもしれな」

 

言いかけたポピーは、目の前に吊り下がったものを見て、森に響き渡るのではないかと思うほどの悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

「ポピー?!」

「どうしたの! オーガスタ?!」

 

全力疾走中の2人が、また全力疾走で駆け戻ってきた。オーガスタは泣いているポピーの肩を腕を回して叩いてやりながら、顔をしかめて「アレよ」と顎で示した。

 

「アレ?」

「兎の死体。吊り下げてある。まだ新しいわ」

 

運動着のミネルヴァと柊子は躊躇いなく兎の死体に近寄っていく。気味が悪いと思わないのだろうか。

 

「誰かが血抜きでもしているのかしら」

 

ミネルヴァが呟くと、柊子が「違うと思う」と首を振った。「ほら、ここ。脚の腱を切ってあるわ。這いずるような血痕があっちから続いてる。脚の腱を切った兎がどうやって逃げるか試してみたんじゃない? 飽きたからその辺で首を切った」

 

オーガスタの腕の中でポピーが震えた。

 

「ちょっとあなたたち! グロテスクな話やめなさいよ! ミス・ポンフリーはショックを受けてるの!」

 

振り返った2人は同時に「兎で?」と目を丸くした。

 

 

 

 

 

「わたくしは日本の田舎で育ったの。近所の農家では鶏の血抜きをよく見ていたから」

「わたくしはハイランドの地の果て。兎の血抜きはよく見ていたわ」

 

柊子とミネルヴァは顔を見合わせた。目の前に顔色を悪くしたポピーと、なぜかぷりぷり怒っているオーガスタがいる。

 

「オーガスタ、何を怒ってるの?」

 

ミネルヴァが尋ねるとオーガスタが「ミス・ポンフリーが怖くて叫んだっていうのに、あなたたちときたら、ミス・ポンフリーを慰めるより先に死体の検分を始めたのよ。人としてどうかと思うわ!」と憤然と言う。

 

「人としてどうかと思うのは、あの兎を殺した犯人のほうよ、ねえ?」

「ミス・キクチの言う通りよ。食べるためでもなく小動物を殺すなんて悪質だわ」

 

そうじゃなくて! と言いかけたオーガスタの腕をポピーが叩いた。

 

「ミス・ロングボトム、ありがとう。でも柊子ってこういう人よ。わたしも癒者になるならこんなことじゃダメなんだけど、誰かさんたちと違ってロンドン育ちだから、お肉はお店で買うものだとつい思ってしまうの」

「普通はそうよね。誰かさんたちが吊り下がって血の滴る肉を見慣れてるのがズレてるのよ」

 

森を出たところで立ち話をしていると、そんな失礼なことを言われた。

 

失礼ね、と躱して柊子はミネルヴァに尋ねる。「そういう悪質な兎の死体の件、森番のミスタ・グレゴールにお知らせしたほうがいいかしら?」

 

「わたくしはそう思うわ。森の中では薬草摘みみたいな採集は認められているけど狩りは禁止だもの」

「そうね。じゃ、ミスタ・グレゴールの小屋に行きましょう。ポピー、あなた具合が悪いなら早く寮にお帰りなさいよ。ニガヨモギだっけ? 摘んでおいてあげるから」

「ちーがーう! ニガヨモギが必要なのはわたし!」

「柊子・・・わたしは、ヤドリギの実・・・」

「オーガスタ、あなたまさかミス・ポンフリーに本気でニガヨモギをねだったの? まだ覚えてないわけ?」

 

柊子は両手を挙げて「はいわかったわかった」と場を仕切った。「つまり、わたくしがポピーにヤドリギの実、ミス・マクゴナガルがミス・ロングボトムにニガヨモギをお土産に持って帰ればいい。そういうことよね。じゃあ、2人は先に城にお帰りなさいね」

 

 

 

 

 

変身術のダンブルドア教授の部屋に呼び出されたのは翌日の夕食前だった。

 

「変わった組み合わせだな」

 

ミネルヴァと並んだ柊子を見て、ダンブルドア教授が少し戸惑い顔を見せた。

 

「最初に発見したのはレイブンクローのミス・ポンフリーと、うちのロングボトムですが、2人は血の滴る死体を見て驚いただけで、ミスタ・グレゴールにお知らせしたのはわたくしとミス・キクチですから」

「・・・ミス・ロングボトムはなぜまたミス・ポンフリーとそんなに奥に入ったのだね?」

「・・・ニガヨモギの採集がまだ出来ないので、ミス・ポンフリーに尋ねたら彼女が穴場を教えてあげると言ってくれたとか」

 

ダンブルドアは額を押さえて「ホラスもそろそろ諦めて欲しいものだな。ミス・ロングボトムの性格ではヨモギとニガヨモギの区別などつかぬ」と唸った。

 

「それで君たちは、死体を検分したわけかね?」

「触らない範囲で。誰かが狩って血抜きをしているのかと思いましたが、こちらのミス・キクチが脚の腱を切ってあることに気づきました。長時間の狩りで脚の腱を切るのは珍しいことではないと思いましたが、森から持ち帰らずに狩ったその場で血抜きするなら無意味です」

「使った刃物も小型のポケットナイフのようなものだと思います。首の切り口が雑というか不器用でしたから」

 

ダンブルドアは頭を抱えてしまった。

 

「先生?」

「いや・・・レディの口から兎の死体について、これほど詳細な観察を聞かされるとは思ってもいなかった」

 

気を取り直すように頭を振ると、ダンブルドアが「それで悪質な学生の仕業だと考えたわけかね?」と尋ねるのでミネルヴァは頷いた。隣で柊子も頷き「こういうことをする人はだいたい繰り返すものだと思います」と応じる。ダンブルドアはぎょっとしたように柊子を見た。

 

「以前にもやったことがあるとか、もしかしたらこれからも続くかもしれません」

 

ミネルヴァも頷いた。

 

「村に1人いました。家畜が妙な死に方をすると、大方その少年の仕業だと言われていました。実際にそうでしたけど」

「だんだん獲物が大きくなるからいずれわかるのよね」

「そうそう。鶏や兎ぐらいならまだいいけど、犬や猫になるともうダメね」

「最終的には人間になるわ」

「さすがに牛や馬は無理だものね」

 

ダンブルドアがなぜか遠い目になった。

 

「先生?」

「大丈夫ですか?」

 

 

 

 

 

「結局のところ似た者同士なのよ」

 

オーガスタがきっぱりと言い、ポピーは深く頷いた。

 

ミスタ・グレゴールの畑の上で今度は箒飛行を競い合う2人を下から見上げている。

 

「気が合い始めると早かったわね」

 

ポピーが言ったとき、青白い顔をしたスリザリン生があたりをキョロキョロ見回しながら森に入って行くのを見て、オーガスタが鼻でせせら笑った。

 

「あれ絶対1年生だわ。森の中で何をする気だかわからないけど、あんなにびくびくしちゃって」

「まだ小さな男の子だけど大丈夫かしら」

「スリザリンだったから別にどうでもいいわね」

 

ポピーは目を丸くした。

 

「スリザリンだから、どうでもいいってことはないでしょう? あんなことがあった森に小さな男の子が1人で行くなんて」

「じゃ止める?」

 

オーガスタが面倒くさそうに言い、ポピーも面倒くさくなった。

 

「止めまではしないわよ、他人の勝手だもの。でも先生方も少しは注意するように告知したらいいんじゃないかとは思うわね」

「ミネルヴァと柊子がダンブルドアに呼び出されたのに、それ以来何も動きがないんじゃねえ」

 

 

 

 

 

「森の中を飛ぶのは良い訓練になると思わない?」

 

ミネルヴァが箒の上から森を眺めやってそんなことを言い出した。

 

「森の中? 本気?」

「本気。昨日、グリフィンドールの練習日だったの。実戦形式の練習。ブラッジャーを避けるのって本当に大変だったわ。森の遊歩道上を低空飛行するの。なるべくスピードを上げて。木の枝を避けながら飛ぶのは訓練になると思う」

「ヒトを跳ね飛ばさない訓練にもね」

「なおさらちょうどいい。どう?」

 

挑戦的にそう言われると、柊子としても後には退きたくない。

ギュンっと宙返りして森に箒を向けた。

 

入り口付近で並び、遊歩道上を競いながら飛ぶ。確かに樹々の茂る森の中では、箒飛行には十分な注意が必要だ。神経を研ぎ澄まして、箒を操る。と、小さな人影が、先日兎の惨殺死体のあった茂みの方に曲がるのが見えた。

 

「ちょっとあなた!」

 

柊子が箒の速度を落としたのがわかってミネルヴァも並んだ。

 

ビクっと振り返った青白い顔をした少年に柊子は言った。「ニガヨモギの採集をするなら別の場所を探しなさい。そちらの茂みには近づかないほうがいいわ」

 

「兎みたいに殺されたくなきゃね」

 

ミネルヴァの補足が怖かったのか、少年は返事をせず、青白い顔をいっそう白くして立ち尽くしている。

 

「とにかくそちらの茂みには悪質な悪戯をする学生が出入りするわ。あなたまだ1年生でしょう。そういう奴と関わり合いにならないことをお勧めするわよ」

「せっかくのニガヨモギの穴場なのに気の毒だけど」

 

言いたいことだけ言って、さっさと飛行を再開した。

 

なんだかざわざわと鳥肌が立っているのがわかる。呪詛の類に近づくとこういう反応が出るのだ。

 

箒の柄を掴んだ左腕を右手で擦っていると、ミネルヴァが怪訝な顔で並んだ。「どうしたの?」

 

「今まで森の中でこんなことなかったのだけれど、鳥肌がね」

「風邪でもひいたの?」

「そうじゃなくて、呪詛・・・ああ、イギリス風に言うと闇の魔術かしら、そういうものに近づくと反応してしまうの。家が闇の魔術を祓う専門家なものだから」

 

ミネルヴァは眉をひそめて「先日あんなことがあった場所だからじゃない?」と解釈する。

 

「そうね。悪質で不気味な一件ではあるけれど、あれって魔法というほどでもなかったでしょう?」

「マグルの少年がやりそうなことね」

「そういうのにまで反応するとなると不便だわ」

 

肩を竦めて言うと、ミネルヴァが「あまり気にしないほうがいいわ」とぶっきらぼうに言った。「ダンブルドア先生に詳しくお話ししたんだから、何か対策を考えてくださるわよ」

 

 

 

 

 

#####

 

「このスリザリンの1年生が、入学当時のトム・マールヴォロ・リドル」

 

柊子の声にハリーは我に返った。

 

「・・・小さい、ですね」

「そうね。まあ誰でも1年生の時はあんなものだけれど、彼は顔色も悪かったから特に頼りなげに見えたわ」

「森の中をみんなこんなに自由に使っていたんですか?」

 

そうよ、と柊子は頷いた。

 

「オーガスタさんとか、ポピーさんとか・・・」

「オーガスタはミスタ・ネビル・ロングボトムの知る人ぞ知る有名な『ばあちゃん』で、ポピーはマダム・ポンフリー。みんな若かったわね」

 

理事会がいつも開かれる「円卓の間」で、ハリー・ポッターは小さく見えた。

 

「この年、この種の事件がたびたび起きたわ。わたくしたちが最初の発見者になったのはこれだけで、あとは他の生徒たちが似たような小動物の死体を見つけたという噂が流れてくるようになったの。さあ、ハリー、少し考えてみてちょうだいね」

「は、はい」

「こういう形で小動物を殺す人間は、一般に何を求めていると思う?」

 

ハリーはしばらく考え込んだ。

 

あまり恵まれた幼少期ではなかったと聞いているが、本質的に真っ直ぐな少年だ。リドルのような歪んだ性癖を理解するのは難しいのかもしれない。

 

「・・・命とか、死とか?」

「とか? 悪くない着眼点よ、もう少しがんばってみて」

「えーと、つまり、命とか死とかに対する実感・・・先生たちは小さい頃に村で鶏や兎の肉を食べるために吊るしているのを見慣れていたとおっしゃいました」

「そうね」

「でも、そういう育ち方をしていない人、僕もそうですけど、命とか死とかを知りたいと思ったら・・・あ、普通はしません。僕もしませんけど、もしかしたら中には生き物を殺して命の形を確かめようとする人も、いるのかも」

 

正解、と柊子は微笑んだ。

 

「リドルは入学当時からすでに、死というものに対して強く興味を惹かれていたことがこれでわかるでしょう。食べるためではなく、その実験として小動物を殺していたの」

「でも、どうしてナイフで」

「そうね。魔法で殺すほうが簡単だったでしょう。そこが、逆に死を研究するためだったという根拠でもあるわ。小さな命を手に取り、鼓動や体温を感じ、それに傷を負わせ、苦しむ様を観察し、致命傷を与えて冷たくなる過程を繰り返し体験するには、魔法では実感に欠ける」

 

ハリーが苦い表情で俯いた。

 

「不快な記憶を見せてごめんなさいね」

「いえ、いいえ。僕、これが大事なことだってわかってます。平気です」

「そうね。大事よ。いいこと? 闇の魔術に魅せられる者は決して少なくはないの。でもリドルのようにひとつの集団を形成して、勢力を構築していく者はひと握りの存在よ。闇の魔術にもいろいろあるわ。バジリスクのような呪われた生命を創り出すこと、人を苦しめる魔法や魔術具を創り出すこと、あるいは魔法によって死をもたらすこと。たいていの闇の魔術はひとりでできることなのよね、本当は」

「あ・・・確かに」

「闇祓いの仕事は実はとても地味で、華々しい決闘をして正義が勝つというものではないの。こそこそと裏庭や地下室でやっているいかがわしい研究を取り締まることが大半。このスリザリンの1年生だったリドル少年も、森で兎を殺すだけなら・・・まあ、非道で無益な残虐趣味ではあるけれど、ひとりでコツコツやっていれば良かったでしょうね」

 

ハリーは頷いた。

 

「でも、どうしてそんなに死に強い関心があったんだろう・・・」

 

その呟きをきっかけに、柊子はまた別の記憶の糸をペンシーブに流し入れた。

 

 

 

 

 

#####

 

「よっこらせ、と。重いったらないわもう」

 

変身術の大会で獲得してきた優勝杯を、トロフィー室の棚に収めたミネルヴァはひとり悪態をついた。

 

台座に自分の名前があるのを一瞥して、すぐに興味を失った。

 

能力を試され、課題をクリアしていくことは楽しいのだが、トロフィーの始末には毎度困っている。最初の2回はジョン・オ・グローツの家に持ち帰ったが、母の態度が不自然に冷淡なものだったので、もう持ち帰るのはやめにした。学校のトロフィー室に全て寄贈します、と言うとディペット校長は喜んで引き受けてくれた。まあ引き受けてくれなかったとしても「必要の部屋」に放り込んでしまうつもりではあったが、一応確かめてみたのだ。

 

並んだ「ミネルヴァ・マクゴナガル」のいくつもの以前のトロフィーには一瞥さえ向けず、さっさとトロフィー室を後にする。

 

背筋を伸ばして廊下を歩いていると、ミネルヴァを見て小さく舌打ちするトム・リドルとすれ違った。

 

消灯時間にはまだ間があるし、個人的に挨拶を交わす仲でもない。

互いに無言のまますれ違い、廊下の角を曲がったミネルヴァは即座に猫に変身した。

 

この廊下の先にはトロフィー室の他には、得体の知れない、長年教鞭を執ってきた教授たちが遺した魔法道具を収めた物置しかない。リドルがその部屋から何か盗み出すならば、その場面を確認しておきたいではないか。

 

その予測に反して、リドルが入って行ったのはトロフィー室のほうだった。

 

「ない、ない、ない、ない、ない・・・クソっ」

 

トロフィー室のドアが半開きだったのを良いことに中に猫の身体を滑り込ませた。

 

「そんなはずはないんだ。リドル。リドルが魔法族のはずだ。行き倒れた移民の女なんかじゃ・・・」

 

ひとりごとを言いながら、この百年ほどの間の卒業生名簿を積み上げて「リドル」の名前を探している。

 

「リドル、リドル、リドル。リドルが優れた魔法族の家系のはずだ。なのに、なんでだ、なんでないんだ。いや・・・マールヴォロか? リドルはあの行き倒れて僕を産んだ移民の女のファミリーネームか? だったらマールヴォロ? マールヴォロが僕の父親のことだろうか」

 

 

 

 

 

#####

 

ペンシーブから顔を上げたハリーは、ひどく胸が痛んでいた。

 

初めてトロフィー室で父ジェームズの名前を見つけた日のことを思い出してしまった。

 

「・・・大丈夫かしら?」

 

ハリーはブルっと頭を振って頷く。

 

「すみません、僕、つい同情しちゃうなんて」

「謝る必要なんてないわ。この記憶を見る人は、たいてい多少の同情を感じるものよ。スリザリンに組分けされた生徒にしては珍しいケースだけれど、トム・マールヴォロ・リドルには両親がいなかった。マグルの孤児院で育ったの。両親のいない少年が、11歳を迎えたある日、君は魔法使いだ、と告げられたと想像してごらんなさい」

 

ハリーは苦笑して「想像する必要なんてありません。僕自身がまったくその通りでしたから」と応じた。

 

「・・・そうだったわね」

「僕もトロフィー室で両親の名前を探したことがある。ジェームズ・ポッター、リリー・エヴァンズ、ジェームズ・ポッター、リリー・エヴァンズ、って」

 

でもわからないな、とハリーは首を傾げた。「行き倒れた移民、って何なんだろう」

 

「そこがあなたとトム・リドルの違いなの。あなたにとって、リリーはちゃんとしたママでしょう。誇るべき、自分を愛して守ってくれたママ。リドルは、孤児院で生まれて孤児院で育ったの。母親は、今にも子供の生まれそうなお腹を抱えて、英語を話すことが出来ず、飢えて凍えていたそうよ。その女性を孤児院が保護して、リドルが生まれたの」

 

ハリーは納得したように小さく何度か頷いた。

 

「それを、リドルはもっとずっと小さい頃から聞かされてた? 『あなたの母親はたぶん移民だった。英語を話せないまま、飢え死にしそうになってたから、仕方なく保護してあなたが生まれるのを孤児院がサポートしたのよ』って?」

「そのようね。だからリドルは、母親が魔女のはずはない、と判断していたわ。自分とお腹の子の命を守るために魔法を使うことが出来なかったから」

「本当のところ、どうだったんですか? どちらか、あるいは両方が魔法族だと確認出来たんですか?」

「ちょうどこの夏に、蓮が同じテーマのレッスンを受けたわ。今度はそれを見ましょう」

 

 

 

 

 

#####

 

「うえー。気持ち悪いよ、グランパぁ」

 

蓮が顔色を悪くして、未舗装の道の脇にうずくまった。

 

「やっぱり感じるか・・・柊子もこの小屋では使い物にならんからなあ。しかし、我慢だ、蓮。その気持ち悪さで、避けて通っちゃダメだとわかるだろう?」

「お菓子で出来た魔女の小屋になら喜んで行くけど、闇の魔術で出来た小屋なんて、ほんとに気持ち悪いだけで役に立たないよう」

「ウィンストン女伯がこの問題を知らずに済ませるわけにはいかないからね。我慢だ」

「足元に死体が埋まってるよ、これ絶対」

 

埋まっててもおかしくない、とウィリアムは頷いた。

 

「まあいいや・・・これがゴーント家?」

「そうだ。ぺヴェレル家に嫁いだスリザリンの娘、その娘が生んだ娘が嫁いだゴーント家の成れの果てさ」

「スリザリンの孫娘って、もうちょっとぐらいマシな家に嫁げばいいのに。小屋じゃん」

「当時は壮麗な屋敷だったかもしれないが、近親結婚とホムンクルス精製ばかりに血道を挙げているうちに、財産を失い、屋敷を維持する魔力を失っていったのだろう。西暦1600年頃、サー・ニコラスが訪ねたときには、もうこのような小屋の状態になっていたそうだよ。さあ、腰を上げて、もう少し近くまでおいで。小屋の建築魔力が感じられるかどうか」

「うえー・・・いや無理もう無理。闇のノイズが多過ぎて、建築魔力どころじゃない。ていうか・・・これ、建築魔力、もう無いんじゃないかなあ。中身はともかく、建築的には、完全無欠の掘っ建て小屋で決定だ」

 

青白い表情、額に脂汗を滲ませた蓮が、じりじりとスニーカーを進めては、立ち止まる。

 

「そうだ。グランパもそう思うよ。グランパがここに来たのは1950年頃のことだが、君のアレルギーはグランパにはないからね。かなり明晰に魔法的痕跡を辿ろうとしたが、辿るほどの魔法的痕跡は存在しなかった。この小屋は、はっきり言ってしまえば、魔法使いの小屋と呼べるものではない。小屋の中での生活に、魔法がほとんど使われていないからね。近親相姦とホムンクルス精製だけが、この小屋の中で行われていた行為だ」

「気持ち悪さが増す解説ありがとう」

「どういたしまして。蓮、そこでストップだ。ストップ。そして回れ右」

 

言われた通りに、蓮が身体の向きを変えた。

 

「あの屋敷をどう思う?」

「どうって・・・んー、まあ、小振りなマナーハウスだよね。狩のための別邸ってところかな。あの高台から馬で駆け下りてくるなら、ちょうどこの辺りの森が狩場? こんな小屋が無ければいい狩場なんじゃないかなあ。森番小屋と勘違いする人もいそうだけど、住人がそもそも森番じゃなくて英語も話せないっていうんだから、話にならないけどさ。あの屋敷からは、この森と小屋がよく見えるはずだ。よくこの小屋を放置しておく気になったね。相当目障りっていうか、景観を損なうと思う。そんなところかな」

 

ウィリアムは軽く頷いた。

 

「あのマナーハウスのもともとの持ち主は、隣町のミドル・ハングルトンに屋敷を構える領主だった。ハングルトン地方の領主だ。よってあの屋敷は、君が感じた通り、狩のための別邸として建てられた。ところがね・・・我が家でもそうだったのだが、君のひいおじいちゃんの若い頃というのは、イギリス貴族の受難の時代だった。労働者階級が莫大な資本を持つようになり、投資が活発になり、古くからの貴族的な生活が非現実的なものに変わりつつあったのだ。我が家では、領地の大半を小作人や賃借人に、安価で払い下げ、ティンタジェルの屋敷と周辺の狩の森、ロンドンのタウンハウスだけを残して身軽になることにした。グランパが生まれた頃のことだ。オープンハウスと称して、人々に屋敷を解放する日を設け、それまでの小作料や家賃収入を一時的に補い、堅実な投資で暮らしを賄った。無論、魔法界の役職があったから、生活だけならなんとでもなるという幸運もあったがね。使用人たちの賃金の引き上げにはオープンハウスで対処していたものだ。このハングルトン地方の領主には、なかなかその決断が出来なかった。領地を切り売りすることが出来ず、貴族的な生活を意地になって続けるうちに、負債は莫大なものに膨れ上がった。ついには破産だ。ミドル・ハングルトンの本邸も、目の前のあの別邸も、この辺りの森も、一気に競売にかけられた。あの別邸を購入したのは、労働者階級の中でも資産家だったのだが、森までは要らないと考えたのだろう。今でもこの小屋周辺の森は買い手のないままほったらかされている。ゴーント家にとっては幸いなことにね。勝手にこの狩の森に棲みつき、勝手に掘っ建て小屋を建て、立ち退きを求めても会話が成立しない。力ずくで追い出しにかかっても、何かしら超自然的なことが起きるので、村の小作人たちが立ち退き騒ぎに関わることを嫌がるようになって、領主も諦めた」

 

蓮が肩を竦めた。

 

「そんな状態なら、ずいぶん買い叩かれたんじゃない?」

「まさに。森を買わなかったのも計算ずくのことだ。買う必要などない。薄気味悪いゴーントが住む森など、村人たちは立ち入らない。この森を買う必要はなかった。貴族の真似事として狩をしたければ勝手に使えばいいわけだから。多少目障りでも、金を払うよりはマシだと思ったのだろう。しかし、子息の結婚を意識するようになると、貴族の別邸だけでは社交には不足があることを理解するようになってきた。金はある、屋敷もある、ないのは爵位だ。ひとり息子の結婚は、完璧な上流階級入りの唯一のチャンスだ。金に困った貴族の令嬢を招き、狩やパーティを開催して、貴族的な生活を保障することが出来れば、爵位付きの嫁が手に入る。ひとり息子は毎日のように乗馬を嗜み・・・目障りなゴーント家を穏便に追い出すことを目論んだ」

「まあどうせ、会話が成立しないんだから説得の必要はないよね。とりあえず出てってくれさえすればいいんだし」

「子息もそう考えたのだろう。たびたび乗馬でこの道を通り、糸口を探して娘に微笑みかけて、優しく話しかけた」

 

勇者だ、と蓮が顔をしかめる。

 

「村人たちから敬遠されるどころか、うっかり村の中心に出向こうものなら石を投げられるような暮らしを当たり前のこととして育ってきた娘には、夢のような出来事だった。話している内容は『君は知らないかもしれないけど、君たちの暮らす森は、僕の父親の土地なんだ。他に移ってくれないか? 費用はもちろん我が家が負担するから何も心配要らない』という類のものだっただろうが、娘に意味はわからない。ハンサムな青年が、優しげな響きの声で自分に語りかけ微笑みかけてくれるのだ。あっという間に恋に落ちた。それが悲喜劇の始まりだった」

 

娘は愛を語る手段を持たなかった、とウィリアムが呟いた。「唯一、それに近いものは、『結婚のための薬』極めて強力な愛の妙薬だ。ゴーント家では、抵抗する娘や妹と生殖行為に及ぶ際に用いられる。理性を失い、家族間の続柄さえ忘れてひたすら交配活動に勤しむための魔法薬だ」

 

「・・・グランパ、気色悪くて死にそうなんだけど」

「孫にこんなことを話す羽目になったグランパの方がもっと気色悪いのを我慢しているのだから君も我慢しなさい」

 

はいはい、と蓮が溜息をつく。

 

「あー、でもまあ、父親や兄弟との間で使うよりは、まあ、比較的、まともな相手だね」

「相手はな。しかし、効能が異常過ぎた。道の脇の草むらや、木立の中。ありとあらゆる場所で獣のように・・・本当に気持ち悪いな。とにかく、そんなことになったわけだから、妊娠するのはあっという間だった。娘の肉体への欲望を強く掻き立てられていた子息は、人目のある村を離れ、駆け落ちを決行した。非常に強い魔法薬を頻繁に飲まされていたから、欲望と愛の区別はもうつかなくなっていた。ところが・・・ロンドンに出てしまうと、娘はもうその魔法薬を調合することが出来なくなったのだ」

「どうして?」

「ロンドンなど、娘にとっては未知の大都会だ。森に行けば手に入っていた素材をロンドンで調達する術を知らなかった。何百年もの間、一族の誰一人としてホグワーツで正規の魔法教育を受けていない。ダイアゴン横丁やノクターン横丁を知らない。そうこうするうちに、子息から薬の効果が切れ始めた。彼は悪夢から覚めたように、何もかも振り捨てて村に逃げ帰ってきた」

 

あらら、と蓮が他人事のような合いの手を入れた。

 

「既に遅かったがね。駆け落ち前の素行が教会の牧師に知られて破門。得体の知れないゴーントの娘と駆け落ちするような労働者階級の青年になど、いくら資産家であっても貴族の娘は嫁いでくるはずがない。こんな小さな村の村娘にとってはなおさらだ。破門者との結婚は、すなわち村のコミュニティからの追放を意味する。これがトム・リドル・シニアの人生だった」

 

蓮がやっと目を瞠った。

 

「・・・こんなに近くにいたんだ」

「そうだよ。一方で、ロンドンに置き去りにされたゴーントの娘、メローピーはその後どうなったと思うかね?」

「英語を話せない、魔法らしい魔法を知らない、魔法界との接点も持たない・・・生きていけないよね?」

「でも出産までは頑張って生きたのだよ。リドルくんは決して認めないとは思うが、グランパはメローピーが必死で命を繋いだと思っている。ハンサムな青年トムの子をなんとか産み落としたい一心で生き延びたと、誰かが認めてあげなければ、あまりに彼女が気の毒だ」

「うん・・・」

「駆け落ち当初は、トム・リドル・シニアが多少の資金を持っていただろうから、部屋を借りていたかもしれない。汽車賃に充てろと、いくばくかの現金は握らせたかもしれない。そのあたりは不明瞭だが、とにかく、メローピーは救世軍の炊き出しの列に並ぶようになった。移民たちに混じって、妊娠した身体を養うにはあまりに粗末な一碗のスープをもらうために。当然ながら、倒れるなりして、周囲の人が不調に気付く。英語を話すことができなかったメローピーは、不本意な妊娠をさせられた気の毒な移民の娘と誤解され・・・孤児院に担ぎ込まれたのだ」

 

 

 

 

 

#####

 

「だから・・・だから、レンたちはヴォルデモートのことを名前で呼ぶんですか?」

 

たぶんね、と柊子は頷いた。「挑発している面もあるでしょうけれど、ひとつには、彼自身の母親の存在を喚起したがっているのだと思うわ。トム・リドル・ジュニアのために生き延びようとした、それが充分に母親の愛情だと認識しているのでしょう。もちろんリドルはそんなことは認めない。こういう両親を否定するために、リドルはヴォルデモートの名を名乗るようになった」

 

柊子がペンシーブから記憶の糸を掬い上げ、ガラス瓶に戻した。

 

「リドルにとって、母親は魔女ではなかった。魔法が使えるならば、子供を産み落とすや否やこの世を去るような結果になるはずがない。バカンスで長期に家を留守にするマグルの家に入り込んで快適な生活を楽しむ癖のある寮監を知っていればなおさらね」

「・・・スラグホーン先生ですね」

「そう。アロホモラでちょっと裏口の鍵を開けて、台所を使って、ふかふかのベッドでお腹に赤ちゃんのいる身体を休める。魔女ならそのぐらい出来て当たり前だ。魔女なら、傷ついた兎のように弱々しく死んでしまうことなどあるはずがない。よって、自分の魔法使いとしての血脈は父方にあるはず。しかし、トロフィー室の資料を探しても探しても、父親の名前は出てこない。母親に失望し、探しても痕跡のない父親を諦め・・・パーセルマウスである自分にスリザリンの血脈を感じた。実際にそれは正解ではあったのよ。ゴーント家の先祖の中には、スリザリンの孫娘がいたし、彼女以来、ゴーント家の者たちの中には時折本物のパーセルマウスも生まれてきたわ。それでも、リドルがあれほどまでにパーセルマウスにこだわり、執拗にヴォルデモートの名を名乗り、支配欲を満たそうとするのは、全て彼のコンプレックスの裏返しなの。死に対する態度もそう。死ぬことは彼にとって弱さでしかないの。鼠や兎のような小動物の弱々しい死を観察し続けて、母親の死を重ね合わせ、このような弱々しさと無縁の人生を誓った。父親は恥ずべきマグル。両親なんかどうでもいいじゃないか、僕はパーセルマウスだ。スリザリンの末裔だ。そういう幼さが彼の根底にあるのよ」

 

でもパーセルマウスならレンだってそうだ、とハリーは呟いた。

 

「そうね。わたくしもよ」

「スリザリンの末裔しかパーセルマウスがいないわけじゃない」

「ええ。わたくしや蓮がパーセルマウスなのは、スリザリンとは無関係。だから、彼には特にわたくしたちが目障りなのだと思うわよ? 彼のコンプレックスを和らげる、パーセルマウスという特徴を、スリザリンと関係なく有しているから。わたくしたちの存在自体が彼に対する許し難い否定だもの」

 

そうか、とハリーは呟いた。「コンプレックスやトラウマ。それも鍵のひとつなんですね?」

 

柊子は微笑んで頷く。

 

「でも、コンプレックスやトラウマぐらい誰だって持ってる! だからって闇の魔法使いなんかにならないのに。どうしてあいつは」

「それはわたくしにもわからない。例えばハリー、あなたとリドルにはいくつかの共通点がある。嫌かもしれないけれど、それは認めてくれるわね?」

「はい、認めます。僕は早くに両親を亡くして、本当にはどうやって両親が死んだかさえきちんと教えてもらえないまま11歳まで育った。里親にすごく愛されたってわけでもない。しぶしぶ引き取ったダーズリー家の物置が僕の居場所。でも、両親不在の子供時代というなら、レンやネビルもそうでしょう? 僕もレンもネビルも、そんなことを言い訳にはしてない。あー、レンはちょっとだけぶっ放しちゃったけど・・・あれは、パパのことが理由じゃなかった。アンブリッジがスーザンを巻き込もうとしたからキレたんだ。ハーマイオニーはマグル生まれだ。だから、入学してすぐの頃は、めちゃくちゃ真面目で緊張してて、鼻につくぐらい優等生ぶってた。でも彼女はそうやってマグル生まれっていう不利を跳ね除けようとしてたんだ。ロンやジニーは、経済的にはパパやママに甘えられないと思ってる。でもそれでいじけたりなんかしてない。ジニーは古い箒だけど自分でメンテナンスも改造もするし、かなり優秀な箒乗りだってみんなに認められてる。ロンは、パパやママを安心させる仕事に就くことを真剣に考えてる」

 

失礼、と声をかけて、柊子がハリーの額髪を撫で上げ、そのまま頭のてっぺんを撫でた。

 

「あと9ヶ月で成人する紳士には失礼かもしれないけれど、あなたは素晴らしい男の子ね、ハリー。まったくあなたの言う通りよ。どんなに恵まれたように見える人にだって、その人なりのコンプレックスやトラウマはあるわ。それを受け入れたり、跳ね除けたり、方法はいろいろあるけれど、みんな自分なりに折り合いをつけて大人になっていく。今日見た記憶の中で、よくもまあ提供する気になったな、と意外だったのはミネルヴァよ。あの時、ミネルヴァは何をしにトロフィー室にいたのだったかしら?」

「変身術のコンクールで優勝したトロフィーを置きに。なんで家に持って帰らないのかなって思ったけど。マクゴナガル先生は、変身術の名門の末裔だってハーマイオニーに聞いたことがあるのに」

「そう。変身術の名門の末裔。でも、ミネルヴァのお母様には、それほどの才能はなかったわ。ミネルヴァが優秀な魔女に育っていくにつれて、ミネルヴァとお母様の関係は複雑なものになっていった。トロフィーを家に持ち帰って、母親を刺激することを避けるようになっていた時期の記憶なの。おそらく彼女が一番恥じていた場面だと思うわ。わたくしたち友人は、その部分には触れないようにしてきた。そうね、あなただって、ネビル・ロングボトムに『やあネビル、パパとママの具合はどうだい?』って尋ねはしないでしょう?」

 

ハリーは首を振り「そんな無神経な真似絶対出来ない」と答えた。「そんなことを話し合わなくたって僕らは友達だ」

 

「そうね。わたくしたちもそう。ミネルヴァのお母様のことには出来る限り踏み込まなかったし、オーガスタの息子夫婦の病状は、オーガスタが自分から言わない限り触れはしない。でも祈ってはいるわ。ネビルが立派な若者に育ってくれることをね。他の友人たちにだってそうよ。彼らの人生が穏やかな幸福に満たされるように。ここで本題に戻りましょう。トム・リドルは、そんな風に誰かの為に祈りを捧げる人間かしら?」

 

ハリーはぶんぶんと首を振った。

 

「ハーマイオニーには偏見だって叱られるかもしれないけど、僕には、わかる。あいつは、誰のためにも祈ったりしない奴だ」

「きっとね。なぜかわかる?」

「・・・わかる。わかります。あいつはまだ囚われてる。弱々しく死んでいった母親のことを乗り越えていない。だから、ヴォルデモート、じゃなくて、フランス語っぽい発音なんだっけ? 死を超えた高貴なる者、って名乗るんだ。レンもハーマイオニーも、2年生の時にリドルに説教した。母親がつけてくれた名前を、子供じみた言葉遊びにするな、って。今、僕、それが正解なんだってわかりました。レンのおじいちゃんが言ってましたよね? お腹の赤ちゃんをこの世に送り出すために必死で生き延びたことを誰かが認めなくちゃいけない、って。その通りだと思う。少なくともヴォルデモート自身がそのことに気づかなきゃいけないんだ」

 

柊子は頷いた。

 

「大丈夫。今のあなたの瞳は偏見で曇ってはいないわ」

「僕は、ヴォルデモートの死の呪文で殺されたにせよ、パパとママが僕を守ってくれたことは確かだと思ってる。それは鼠や兎の弱々しい死とは違う。ヴォルデモートのママだってそうだ。言葉もろくにわからない大都会に放り出されて、救世軍の炊き出しっていうシステムを見つけ出すまでどれだけお腹を空かせていたか。それでも必死だったんだよ、絶対だ。ヴォルデモートはお腹の中でママに守られて、望まれて、パパに似たハンサムになりますようにってパパの名前をつけてもらったんじゃないか。僕、ホグワーツに来てからやっとパパやママの話を聞かせてくれる大人に会ったけど、それまでだって、9歳や10歳の頃だって、パパやママを兎みたいな死に方をした弱々しい存在だなんて思ったことなかった。ただ謎っていうだけだった。なんでリドルは、そんな風に思い込んだんだろう・・・」

 

次回のテーマが決まったわね、と柊子は笑ってハリーの両肩を持って立たせた。

 

「リドルにとって、魔法とは支配のための力。ホグワーツ入学前に、彼はもうそのことに気づいていたわ。それを捜査した闇祓いやダンブルドアの記憶を用意しておきましょう」


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