蓮の話に静かに耳を傾けていたキングズリーは、やはり静かに頷いた。
「君がリーマスとトンクスの関係に頭を悩ませていることはよくわかった」
「うん」
だがね、とキングズリーは大きな掌でポンと蓮の頭を撫でるような叩くような、その中間の仕草をして言った。「リーマスに時間をあげてくれないか。黙って見守るしかないことも世の中にはある」
コンラッドによく似た瞳が、すうっと色を薄くした。
「今、私にムカついただろう?」
キングズリーは苦笑した。
「コンラッドもそうだった。私が思い通りにならないと目の色を薄くしてムカついていたよ」
「パパの話じゃないんだ」
「わかっている。リーマスとトンクスの関係がまどろっこしいのは君だけじゃない。2人をよく知る我々はみんなさっさとくっつけこの野郎と思っている。特にリーマスに対してだな。煮え切らない。だがね、レン、我々としてはリーマスにあまり強く説教が出来ないのだ」
「なんでだよ? ドーラお姉ちゃんを悲しませてる」
その真っ直ぐな視線にキングズリーは目を細めた。まったくこういうところがコンラッドによく似ている。実にシンプルな、紳士というか王子さまの義憤だ。
年下の女の子を悲しませるのは最低野郎のすることだ。好きになれなくても、ばっさり切ることないだろう。もっと言葉を飾り立てて、女の子がドン引きするぐらいに褒め称えながら、うまく逃げることぐらい出来ないのか?
馬鹿言うな。そんなことしたらますます思い詰めるだけだろう。
違うよ。自分から逃げるのにあんなに馬鹿げたお世辞ばっかり並べるなんてって思えば、悪い気はしないけど呆れて水に流せるってものなんだ。
俺はおまえほど器用じゃないんだ。
「不器用なのばかりが生き残ってしまった」
思わず漏れた独り言に、今度は怜によく似た形の良い眉がぴくりと上がった。
基本的な顔立ちは怜によく似た中性的な細面の美貌だ。そこに、コンラッドの表情豊かな眼差しが被さり、たまにキングズリーを混乱させる。この子は王子さまなのかプリンセスなのかよくわからない。
嫌な時代だった、とキングズリーは話し始めた。
「ビートルズ、フラワーチルドレン、ベトナム戦争。マグルの世界でも若者たちは大変な目に遭った。イギリスも同じだ。サッチャー、あの鉄の女がさまざまな強硬な政策を打ち出していった。魔法界は、互いの信頼を回復出来ないまま、なんとなくヴォルデモート失踪後の日常を取り繕いながら仮初めの平和をペタペタと塗り固めていった」
蓮はこの巨大な黒人の大人が、自分を言い包めないかどうか注意深く耳を傾けている。
「みんな大切な人を失った。コンラッドもそのひとりだ。フランクとアリスはまだ生きているが、あの状態だ。エドガー・ボーンズ、いい奴だった。頭の切れは姉上には及ばなかったが、極めて健全でまっとうな男だった。ギデオンとフェビアンのプルウェット兄弟。モリーはいつも2人の弟に手を焼いていると愚痴ばかり言っていたが、それはひっくり返せばいつも2人の弟を心配して面倒を見ていたということだ。彼女はいつも自分が愛する存在の世話を焼いては愚痴を言う癖がある。今でもそうだな。ジェームズとリリー。みんなの弟や妹のような存在だったが、早くに結婚して家庭を築いた。あれはリリーの功績だな。そんな人々を失って、残された不器用な我々は、傷を舐め合うように生きてきた」
しばらく逡巡して、キングズリーは言葉を選んだ。
「レイとアメリアがその典型だ」
「・・・ママが?」
「ああ。2人とも仕事に対する依存を深めた。誰とも個人的な関係を新たに築こうとせず、仕事に依存していくレイとアメリアは、逆に言えばお互いに依存していたようなものだ。特筆すべき個人的な交際をしていたわけではないと思うが、自分に鞭打つような仕事への依存は、レイとアメリアの共依存だと思う。私は、魔法界の人間を信頼しきれず・・・ああ、今の君に対しては相応しい単語ではないが、セックスライフはマグルと行きずりの関係を持って済ませてきた。怖いのだ。魔女も魔法使いも。事後に眠っているところを死の呪文ひとつで殺されるかもしれない。ふと背中を見せたら磔の呪文をかけられるかもしれない。もちろん信頼できる魔女や魔法使いはいるが、レイやモリーだね、親友の妻たちとどんな関係を築くわけにもいかないだろう? リーマスはジェームズ同様、我々の弟分のような存在だが、我々はリーマスの生活が荒れていることを知りながら、説教するわけにもいかない自分の現実逃避を理解していた。今そのことを後悔している。ドロメダの娘という、当時の我々が新しい時代を感じる愛らしい少女だった彼女と、こういう関係になって尻込みするような男になるのを黙認してきた。リーマスは、自分の人生をどこかで恥じているだろう。トンクスは、もちろんホグワーツ時代にボーイフレンドぐらいはいたかもしれないが、闇祓いの訓練生だった時点では誰とも深い関係にはなかった。また、闇祓い訓練生の生活はなかなか過酷なものでね。性欲や恋愛について考える余裕もない。1日の訓練を終えて、泥のように疲れた身体に鞭打って長たらしいレポートを書き、家に帰る。私もそうだったが、トンクスも同じだな、家に帰って母親の用意しておいてくれた食事を食べた時点で、ダイニングで朝まで眠ってしまったことは数えきれないほどだ。魔力、体力、気力を限界まで酷使するのが闇祓い訓練生の1日だから、やっとひよっこ訓練生時代を卒業したトンクスに深い関係の男はいたはずがない。もちろん成人した女性としての魅力はある。リーマスはそれにやられたのだろう。だがその一方で、非常に清らかな女性でもある。我々のような生き方をしてきた男には眩しいほどに清らかな女性なのだ」
蓮は思いがけない言葉を聞いたというように目を瞬き、眉を寄せ、腕組みをした。ぶつぶつ呟いているのは「成人した女性の魅力」だの「眩しいほど清らか」だのといったトンクスへの評価の部分だ。
納得がいかないのはそこか、とキングズリーはひとり苦笑する。
「君にとっては、自分はパンクファッションのくせにお行儀にうるさい理不尽なドーラお姉ちゃんかもしれない。しかし、我々にとっては、おろしたての真っ白なテーブルクロスのように眩しい。彼女が最初に我々の前に現れたときにはオムツをつけていた。ドロメダが駆け落ちして産んだ奇跡の七変化の赤ん坊だったのだ。次に現れたときには、マッド・アイ直々に訓練する期待を背負った闇祓い訓練生。こう考えるとどれだけ眩しいか想像出来ないか? 我々が鬱々とした、人に言えない現実逃避の私生活でなんとか生き延びてきた年月は、あのオムツの状態で髪の色が変わるわかりやすく便利な赤ん坊が、優秀な闇祓い訓練生になるまでの時間だったのだ」
ぽかんとして、蓮は「たしかに」と頷いた。「でも、どうしてそんなに自分たちを否定するの? 必要なことだったんだろ?」
「ああ、必要だった。折れずに狂わずに生きていくために、我々は必死に互いの傷を舐め合うように生きてきた。だが、トンクスやビル、フラー、チャールズ、それから双子をはじめとする君たちを見ていると、この鬱々とした年月の間の自分に染み付いた汚れが目についてならない。否定はしないが、現実は認めなければいけない」
「現実を受け入れたら、次は許さなきゃいけないと思うよ」
キングズリーはまた目を細めた。
「そうか」
「うん。ドーラお姉ちゃんは、リーマスが過去にどんなことをしてきたにしても、今生きていればそれでOKだと思う。わたくしだってそうだ。マダム・ボーンズとママがこっそり付き合っていてもいい。あ、もしそうなら教えてね。ママを慰めなきゃいけない」
慌ててキングズリーは首を振った。
「それはない。たぶん。おそらく。いや絶対にない。私が言ったのは仕事に対する姿勢が共通する2人の精神的な部分についてであって」
妙に勘が良いのか、蓮は仕方なさそうに一人前の溜息をついて言った。
「・・・やっぱり慰めたほうが良さそうだね」
親指を下に向けて襟首を掴まれ、ぐいと親指が上に向くようにシャツの襟首を捻られると、あっさり首が締まる。
薄く微笑む怜の、子供を産んでなお中性的な美貌に対してではなく、単なる酸素不足でキングズリーは喘いだ。
「申し訳・・・ない」
いったいどこでこんなチンピラじみた荒っぽい技を覚えてきたのかと説教したくなるが、怜には言っても無駄だ。おそらくこれは父親からの口伝だろう。怜の尋問は荒っぽい相手にはかなり手荒になるという評判だったが、魔法使いとしては大したことのないチンピラ相手にどんな荒っぽい魔法を使っているのか不思議に思っていた。なんのことはない、チンピラにはチンピラじみた尋問をしていただけだった。
キングズリーの襟から手を離すと「余計なことをうちのアルジャーノンに吹き込むからよ」と不機嫌な顔になり、コーンウォールのティンタジェル村にある騎士団本部の真新しい建物の中で、八つ当たり気味に泥水のように苦いコーヒーを出された。
「レイ、私はお茶のほうが」
そう言うと、なぜか真緑のどろりとした液体を出された。
「エンドウ豆のジュースか?」
「ジャパニーズ・トラディショナル・ストロング・ティー、というところかしら。ティーセレモニーで飲まれるお茶よ。最上のザ・おもてなし」
嫌がらせにしか見えない。
「君とアメリアの関係に対する私の勝手な考察をレンに聞かせたのは、確かに出過ぎたことだった」
殊勝に頭を下げたが、紅茶は出て来ない。
「だが、撤回はしない。自覚の有無はともかく、君にとってアメリアとの仕事にそういう効果があったのは確かだ。もちろん私やリーマスのライフスタイルについても。レンの精神年齢はともかく、そういうライフスタイルが存在することは頭の片隅に意識させておく必要もある。君にとっては可愛いプリンセスだと思うが、ヴォルデモートがベラの次に目をつける母体が誰かを考えたら、あまり教育を先延ばしにするわけにはいかない」
そういうことではないわ、と怜は冷淡に言った。「リーマスをそっとしておいてあげたいの。もちろんドーラの願いが叶うのなら、素晴らしいことだわ。でも、そのためにもリーマスに選択を強制したくない。今の蓮に、リーマスとドーラの関係が進展しないのはリーマスの側に原因があるような言い方をして欲しくなかったわね」
キングズリーは濃い眉を寄せた。
「リーマスを甘やかし過ぎだ。ドーラのように若い女性を、自分の人生に巻き込む覚悟もなく関係すること自体が甘えだろう。早く結論を出すべきだ。ドーラの人生をいたずらに浪費させないためにも」
「ドーラとリーマスがうまくいかないと思っているの?」
怜が目のあたりを険しくした。
「いかない。もしそうなるようなら、リーマスはさらに無責任な男ということだ。テッドとドロメダから娘を奪って、そのドーラに不自由な生活しか与えられないというのに」
呆れた、と怜ははっきりと顔をしかめた。「幸福とは人から与えてもらうようなものではないわ。ドーラの幸福はドーラが自分で勝ち取るものよ」
「刹那的な関係は幸福ではない。ドーラがどんなに頑張っても、刹那的な関係しかあり得ない」
「刹那の中に見た光が一生を照らすこともある。自分で選んだ刹那ならば」
確信に満ちた怜の言い方に、キングズリーは怯んだ。
「あなたがわたくしとアメリアの関係について誤解しているのはまさにそこね。確かに仕事に依存していたことは事実だし、個人的な会話を交わすことを楽しむ数少ない相手だったのは事実だけれど、アメリア個人への依存はわたくしには必要なかった。アメリアもわたくしにそんなものを求めたことはないわ」
キングズリーは頭を振った。魔女の強がりに過ぎないだろうと口にするのはやめておいた。
「君の考えは理解した。だが、私には私の考えもある。なあ、レイ、我々はそろそろ自分を叱咤して先に進むべきではないか?」
「先に進むためにこうして騎士団は動いているはずよ」
「もっと精神的な部分で、だ。リーマスは大人の男として、ドーラとの関係に尻込みするだけでなく、進んで責任を負うことを考えるべきだ。いずれにせよ、我々は皆、もう若くない。若かったこれまでのように、めちゃくちゃに仕事を詰め込んだり、めちゃくちゃな私生活で男女を渡り歩いたり出来るわけではないのだ」
「・・・わたくしが男性を渡り歩いたような表現はやめてくださらないかしら」
「わかっているくせにいちいち指摘するな。もう生き方を改めなければならない。違うか?」
怜は肩を竦めた。
「改めている最中よ。わたくしもシリウスも」
「ああ、その努力は賞賛に値する。君たちは速やかに現実に対処している、子供の存在のおかげだが、努力していることは事実だ」
「引っかかる言い方ね。そうね、わたくしに蓮がいなかったら、わたくしの生活は立て直せないままだったかもしれないわ。それが?」
「前回の続きではないのだ。これを終わりにしなければならないし、我々がそうして生き延びてきたような人生をあの子たちに繰り返させるわけにはいかない。そのためにも、リーマスは大人になるべきなのだ」
怜は溜息をついた。
「結局、リーマスとドーラに結ばれて欲しいくせに」
「私だって鬼ではない。リーマスがドーラと結ばれて、落ち着いた生活を送るようになることは、あいつの病状に悪影響は及ぼさないだろうが、ドーラがこのまま諦めて自分から離れていったら、若くもない身体で昔と同じような生活に逆戻りだぞ」
「同感よ。だからこそ、慎重に見守ってあげて欲しいの。リーマスが意固地にならないように。蓮はまるで方程式の解を求めるようにリーマスとドーラの関係に足りないものを探しているわ。x=リーマスの男気、だなんてそんな簡単なものではないでしょう」
キングズリーはしばらく考え、やはり眉をひそめた。
「・・・間違った解ではないと思うが?」
怜は愕然とした顔で「男って・・・」と絶句した。
あの表現はつまり娘を男のように見ているということにならないか? と、テレビに向かって、魔王から姫君を救出する作業に没頭している蓮の頭を眺めた。
マナーのレッスンが奏功しているとは思えない姿勢で、舌打ちしながらコントローラを操り、モンスターから金品を強奪している。民家を訪問すると必ず箪笥の中からやはり金品を盗んでいる。
水色の愛らしいぷにぷにとした生物がモンスターだからと、棍棒で撲殺しては小金を稼いでいるのを見て、キングズリーはたまらず声をかけてしまった。
「あー、その生物は撲殺するにはいささか愛らしい」
「まだひのきの棒しか装備がないんだ」
ひのきの棒。
ひのきの棒1本でぷにぷにを撲殺して回り、金品の強奪を続けるとは、どう見ても山賊の所業だ。
マグルは実に恐ろしい構想の玩具を子供に与えて育てている。
「その・・・空き家に入っては箪笥の中を覗いて回り、空っぽだったら舌打ちするのは、マナーの上でいかがなものだろうか」
「薬草を貯めなきゃいけないんだよ」
「そういったものは市場で・・・」
「お金がかかるんだ。モンスターを殺しまくって稼いでもいいんだけど、まだ体力がないからね。あまり遠征出来ないし、装備が貧弱だから、大きいの一発喰らったらアウトだ」
妙なところが現実的だ。
「魔法使いや魔女って夢がないよね。ファンタジーを受け付けない」
「・・・この殺伐とした遊具のどのあたりがファンタジーなのかね? ひのきの棒でぷにぷにを撲殺して、民家の箪笥から薬草を盗んで。山賊が姫君を救出出来るわけがないだろう。姫君には姫君に相応しい騎士が必要だ」
「相応しい騎士になるためにひのきの棒からスタートして、次第に良い装備と実力を身につけていくんだ」
山賊出身者が騎士になるとは悪くない。マグルの社会構造は実に平等に出来ている。
キングズリーは深く頷いた。
「山賊の所業だが、それが立身出世の手段なのだな」
「でも、このヒーローは英雄の血筋だよ」
「・・・なぜ英雄の末裔が山賊なのだ」
この玩具はキングズリーの価値観に大きな揺さぶりをかける。英雄の末裔ならばゴブリン製の剣ぐらい家に伝わっていそうなものだが、ひのきの棒で魔王討伐に旅立つとは如何なる理由があるのだろうか。なぜそのように過酷な条件から討伐の旅を始めるのだ。この王ときたら、いくら英雄の末裔とは言え、若者1人をひのきの棒1本で魔王討伐に放り出すよりも近侍の扉番の兵たちぐらいつけて戦力を強化しようとは思わないのだろうか。
「知らないよ。とりあえず魔王がいて物騒な世の中だから、王様も護衛を減らせないと思ってれば間違いはないんじゃない? 大々的な討伐隊を編成するより優れた英雄が少人数で攻め込む方が有利なこともあるだろ? 魔王討伐は少人数の英雄たちに任せて、王様は城塞や領民を守ることに大規模な武力を振り分けるってことだよ」
ふむ、とキングズリーは腕組みをした。「君が王様ならそう考えるのかな?」
「そうだね。後々のことを考えると、その方がいいと思うよ」
「後々のこと?」
「王様が騎士団や近衛兵を使って領民を守ったという実績を残す方が、領民感情に残るし、その後の治安維持が確実になる。騎士団や近衛兵の大規模戦力で魔王を倒しても、その過程で騎士や近衛兵の犠牲が多くなってたら、魔王討伐が出来ても治安は悪化する。治安の悪い社会からはまた新たな魔王が生まれかねないよ。英雄はひとりでいいけど、治安維持にはそれなりの数が必要になるだろ?」
キングズリーは頷いた。
「確かにそうだな。闇祓いはもともと少人数だ。闇祓いの犠牲が多過ぎては、後々面倒なことになる。だが・・・英雄か」
「・・・ハリーだよ」
誰が見てもそれに相応しいのは確かにハリーだろう。それにしては蓮の口調が苦々しい。
「私としては、ハリーをなるべく安全圏に置いて大人たちの手で決着をつけたいのだが」
「無理だと思う。ハリーが生き残ってる限り、トムくんは必ず復活するんだから」
その言葉だけがリビングにわだかまった。
キングズリーは蓮の背中を見つめる。
「・・・ハリーを危険な目に遭わせるつもりはない」
蓮は首を振り、自分の額に稲妻のように指を走らせた。
「ハリーのコレってさ、トムくんと繋がってるでしょ」
「うむ。そのようだな」
「開心術でビジョンを送ってくるようになったのは神秘部の件からだけど、その前からずっと、1年生の時から何かあるたびにハリーの傷は反応してた。死喰い人たちの闇の印なんかよりたぶん敏感にね。闇の印がきちんと機能するようになって、死喰い人たちがトムくんのもとに馳せ参じる気になったのはトムくんが肉体を得てからだ。トムくんとハリーの繋がりは、死喰い人たちより深いんだよ」
キングズリーは唇を引き結んで蓮を見つめる。
「・・・君はそのことをどう解釈している?」
「人をひとり殺すことで、ホークラックスがひとつ出来るんだろ? トムくんがハリーのママを殺したとき、ハリーはその場にいた」
「ホークラックスは基本的には、無機物に分断された魂を宿らせる術だ。ハリーは違う」
「ホークラックスそのものとは違うかもしれないけど、同じような作用は発生しておかしくない。ホークラックスを作ることを計算していたわけじゃないにせよ、殺害の瞬間に魂は分断されたはずだ。本来なら、分断された魂の小さな欠片は、ホークラックスを作る術をかけない限り、理性を保っている本体に吸い寄せられるんだろうけれど、あの時にはハリーを守る力でアバダケダブラの反発を受けてトムくんの魂の本体が形を保てなくなった。吸い寄せられるべき本体を失った魂の欠片は、主人の魔力が一番強く残る場所、つまりハリーの傷にぺったり貼りついたんじゃないかな」
今度は逆に蓮がキングズリーを見つめ返す。
「ハリーを殺さなきゃ、トムくんを完璧に滅ぼすことは出来ないよ、キングズリー」
キングズリーは軽く目を閉じた。
「いや・・・それでは意味がない」
目を開けたキングズリーを、面白そうに蓮が見ている。
「ハリー・ポッターを犠牲にして得られる平和など、紛い物だ」
「じゃあ、同じことを繰り返す? トムくんをボコボコにしてまたアルバニアだとか、あ、ハグリッドのペットがいるからルーマニアあたりに放り出してさ。力を蓄えて戻ってきたら、またまたボコボコにしてー。その繰り返し」
「繰り返しにしないためにも、抜本的に対策を講じなければならないな」
ふふん、と得意げに笑って「さすがキングズリー」と冷やかすように言った蓮は、またテレビ画面に向き直った。
首相官邸で、湾岸で戦って死んだマグルの若者たちの名簿を整えていたキングズリーは、ふと手を止めた。
「・・・まさか、私を試したのか?」
あの幼げな態度のどこからどこまでが本物の後遺症で、どこからが韜晦なのかわかったものではない。
そういうところはダンブルドアに近い、とキングズリーは思った。
成人を間近に控えた彼女は、新たな政治指導者を誰にするか選択を迫られているはずだ。
おそらく彼女はハリーを試金石として、新たな政治指導者を見出そうとしている。
「大人をナメるなよ?」
キングズリーは小さく小さくひとりごちた。
蓮の課した就職試験に、自分が合格したかどうかはわからない。
しかし、こちらにも考えがある。
ハリー・ポッターという若者を犠牲にしなければならないと主張する器の小さい女王に従ってやるつもりはない。
逆に、ハリー・ポッターを犠牲にせずに、これまでの鬱々とした時代に幕を引くと大上段に構える女王になら、いくら彼女が若くても迷わず忠誠を誓ってやる。
「コンラッドの正義感と悪ふざけ、君の頭脳と秘密主義。実に見事な遺伝子の混淆だ」
ティンタジェルの本部で怜に向かって肩を竦めた。
「他の遺伝子が混ざっていたら大問題じゃないの。言っておきますけれど、わたくし、男性はコンラッド以外に知らないわよ」
「だから・・・そちら方面の話ではない。混ぜっ返すんじゃない、レイ。私が女王による就職面接に合格していたとしてだが、法執行部長には君を指名するつもりだ。いいね?」
怜は渋い顔をした。
「おい」
「可愛い娘におやつを出してあげて、可愛い娘と毎晩ディナーを共にして、たまにはお手製のシチューやカレーを作ってあげる生活をしてみるとね、キングズリー。魔法省のオフィスがどんなに豪華でも潤いが足りないことを思い知るの。もうすぐ成人でしょう? それからホグワーツを卒業して大学に行くとしても、孫が出来るまでなんてきっとあっという間だわ。このまま専業主婦として孫の誕生を待って孫の子守を」
「レーイ。冗談混じりの願望のダダ漏れはそこまでにしろ。アメリア亡き今、法執行部を立て直す執行部長は君しかいないだろう。アメリアの遺志を無駄にするな」
どいつもこいつも、と怜は珍しく頬を膨らませた。
「レイ」
「さっさと先に死んで、わたくしに面倒な仕事を遺すのよね」
「依存云々は先日君から否定されたが、アメリアがなぜパートナーを家族に紹介することさえしなかったか、私は知っている」
「・・・やめてキングズリー」
「いいや止めない。アメリアが本当に愛していたのは君だからだ。わかっているんだろう、レイ」
「どんな意味の愛かは別にして、確かに愛されていたし、私も愛しているわ。でもね、私たちの間には、本当に、あなたが推定するような関係はなかったのよ。パートナーだった方は悲しみに暮れていらっしゃるの。その悲しみを分かち合う家族もなく。わたくしは出来る限りその方のサポートもしたいと思っているのだから、余計なことを今は言わないで」
「アメリアも罪なことをしたものだ。君の代わりになる相手に愛を囁くなど」
「・・・やめて。本当に、怒るわよ」
認めろ、とキングズリーは冷静な表情を崩さずに続けた。「君がコンラッドを唯一の伴侶として愛し続けている。だからアメリアは、君を保護して見守る形でしか愛を表現しなかった。君が新たな伴侶としてアメリアに寄りかかりたくなったらいつでも胸を与えるために、ずっと待っていた」
「違う、それは絶対に違うわ。アメリアはグレイスをきちんと愛していた。だからこそヴォルデモートの復活がわかってすぐに万一に備えて、別荘を売ったという形でグレイスに住まいを遺せるよう手続きをしていたの」
「逆だ。罪悪感さ。ヴォルデモートの復活で危険になる君たちを守るために、必要ならば殉じる覚悟を決めた。だからこそ先回りして資産を彼女に与えておいたんだ」
「あなたがどう解釈しているにせよ、わたくしはアメリアの友人としてグレイスの代理人になったわ。2人には2人の歴史があり、きちんと愛し合っていた。それはわかっているの」
「ああそうかもしれないな。長いことパートナーでいれば情愛は培われるだろうさ。それを愛と呼ぶのは各人の自由だ。だが、アメリアが臆面もなく家族に紹介した女性は君だけだ」
「・・・キングズリー、わたくしは長いこと部下だったし、アメリアの下で役職を得た。ご家族に紹介されるのは不自然なことではないでしょう」
「今日の君はずいぶんと言い訳がましい・・・はっきり言ってやろう。君はアメリアに愛されていることを自覚していた。その気持ちに応えられないから、上司と部下の一線を互いに守ってきただけだ。前回の魔法戦争の裁判に一段落ついた頃、君は一度魔法省を放り出した。弁護士事務所を構え、マグルを雇い入れ、ライフスタイルをすっかりマグル風にしてしまった。そんな無責任な真似が出来たのは、アメリアがいたからだ。アメリアが法執行部にいて権力をキープしている限りは、ウィンストン女伯の責務だなんて名目だけのことだ。傷つき失望した君に時間を与えるためにアメリアは魔法省の背骨を支え続けた。君はアメリアに甘え、アメリアは君を甘やかした。もうそろそろ言葉に出して自覚しろ。応えられなかったアメリアの愛に応えるには、君が新しい秩序の体現者に返り咲かなければならない」
怜は両手で頭を抱えて「キングズリー、本当にもうやめて・・・戦争終結後の新体制には、もちろん全面的に協力するわよ。それでいいじゃない」と呻くように言う。
「私は君を甘やかさない。残念ながら女性に甘い顔を見せる体質に生まれついていなくてね。コンラッドの妻としても、アメリアに愛された女性としても、君が果たすべき務めを果たすと誓って欲しいんだ」
「どうしてそんなことまではっきりさせなくちゃいけないのよ?! アメリアが口にしなかった気持ちを、そっとしておいてはいけないの?!」
「・・・仲間だからだ。アメリアの。アメリアの気持ちを、君にだけは認めて欲しい。認めた上で、アメリアの遺志を、コンラッドの遺志とまとめて引き受けると・・・君にだけは言って欲しい。そうじゃないと、アメリアに、私自身が申し訳が立たない」
アメリアは私の私生活を隠蔽してくれたんだよ、とキングズリーは静かに言った。
「キングズリー・・・」
「乱脈な生活を送っていた若い頃のことだ。マグルの警察のお世話になってね。レンの好きなジョージ・マイケル風の失態を演じてしまった。トイレで逮捕さ。その対応に当たったのがアメリアで・・・魔法省の記録にも残さず、マグル側の記録と記憶を消すことで済ませてくれた。私は無論、アメリアには手間をかけさせて申し訳ないと謝罪し、内々に処理してしまったものはともかく、別件で処分を課されても粛々と従うと申し出たのだが、アメリアはこのままなかったことにしていろと言って聞かない。こう言ったのだ。『人に言えず人に頼って解消出来ない欲望があることぐらい私にもわかる。誰かを一時的に代わりに据えてなんとかやっていくしかない。しかし、それでキャリアに傷をつけるのはいささか天秤の釣り合いが取れないだろう』とね。失礼だとは思ったが、はっきりさせておきたかった。アメリアの気紛れで助けられただけだとしたら不安だからな。『あなたは誰かの代わりに誰かを愛しているフリをしているのですか? それとも一夜限りの欲望の解消を習慣にしているのですか?』とね。アメリアは苦笑して答えてくれた。全部。『戦争終結以来、彼女と食事や酒席を共にする中で、そういう雰囲気になったことが一度もないわけではないが、一線を越えたことはない。やはり、コンラッドのことは忘れていないのだろうし、私はそういう部分を魅力的だと思ってしまうのだから、行き止まりの道なのだ。行動にも言葉にもしないまま、熾火になってしまった関係だよ』」
怜がきつく目を閉じた。
「レイ。知っていたのだろう? 応えられなかっただけで、アメリアの気持ちはわかっていただろう?」
「・・・それに答えられるほどには、まだ整理がついていないのよ。ねえ、キングズリー、自分が許せないの」
「アメリアも私も、君を責めるつもりはない。アメリアは君が自分に甘えて法執行部を任せて逃げ出した時だって、ちょっと苦笑して『まあ、託されたものぐらいは守ってやるがな。いずれ連れ戻す』と言っただけだった。君が自分に甘えていることぐらいお見通しだったし、託されたことを喜んだと思う。口には出さなかったが。だが、今度は君の番じゃないか? コンラッドが遺したもの、アメリアが遺したものを守ってくれないか。2人とも私にとっても大切な人だったのだ。無論、私もそうする。しかし、君もまた、その私の盟友として思いを共有して欲しい」
ミネルヴァ・マクゴナガルのホグズミードの小さな自宅を訪ねて、事の次第を説明した。
なぜだか、冷めきった渋いお茶を飲んだような表情で、ミネルヴァは「ふん」と頷き、壁に視線を向けた。
「・・・なんです?」
亡くした夫の写真がいくつか飾られた壁に自分も目を向けてキングズリーが尋ねても、ミネルヴァは渋い渋い顔のままだ。
「なんでもありません。キングズリー、怜とアメリアの、その行き止まりの関係とやらは、わたくし以外には明らかにしてはなりません。プライバシーの侵害が過ぎます。特に。特に怜の母親になど絶対に話してはなりませんよ」
「え、ええ。それはもちろん。ですが、まあ、ティーンエイジャーのロマンスでもありませんからね。コンラッドが亡くなった後、密かに精神的な繋がりを保ってきただけだ。戦争終結後のビジョンを話し合う際に、レイが法執行部長を引き受けた理由に関心を示されたなら、私としては、国連との関係は親密なものにしておきたいので何かしら話さないわけには」
「絶対に。絶対に、決して、あの国連議長になど話してはなりません。わたくしの名誉に関わります」
「は?」
「そのようなことはどうでもよろしい。とにかく! とにかくあなたは、蓮から試されたと感じたのですね?!」
ものすごく不自然な話題転換だったが、キングズリーは頷いた。
「知力は退行していないと伺っていますが、私にはその状態が今ひとつ理解しづらいせいかもしれません。ハリー・ポッターの傷の状態から、非常に高度な闇祓いのような仮説を述べたかと思うと、すぐにテレビゲームを再開して、いい加減な返答しかしなくなる。思考の筋道が読みにくいのです。ただ・・・印象としては、ダンブルドア的な韜晦で煙に巻かれた気分は残りました」
「・・・おそらくそれが正解でしょう。イースター辺りからアンブリッジに死の呪文を放つまでの間の幼児退行は、深刻な状態でした。まあ幸いなことに、今となってはポッターやグレンジャーたちの育児ノイローゼは笑い話にできそうですが。しかし、怜と渡米して、あちらの新鮮な環境の中、日英両国の祖父母と怜に囲まれて停学期間を療養に当ててからは、家族の観察では症状はかなり改善されているそうです。要するに、あなたを試すという目的は達成されたので、あとは面倒になって退行しているのを良いことにテレビゲームに戻っただけですよ」
キングズリーはぽかんと口を開けた。
「め、面倒に、なった?」
「キングズリー。あなたは騎士団でポッター、ウィーズリー、グレンジャーとはたびたび接触してきたと思いますが、あの3人は騎士団に出入りすることを誇り、騎士団員として役割を担いたがる点で、極めて騎士的な正道を歩む若者たちです。前回のあなたがたがそうであったように。蓮は違います。わたくしに言わせれば、あれはとんでもなく頭の切れる、しかし放蕩王子なのです」
「王子は理解出来ますが、放蕩、ですか?」
「ゴーストとハウスエルフ、それから一部の女子生徒。もはやハーレムですね。年々ハーレムは拡大しています。昨年度は特にひどかった。これまでは、グリフィンドールの女子生徒しか人間のファンの存在は確認していませんでしたが、昨年度は一気にレイブンクローにもハッフルパフにも『ウィンストンを信頼する』宣言をする者が現れたせいで、トイレのマートルが嫉妬に駆られ、50年ぶりにわたくしへの嫉妬心を思い出して、わたくしの寮監室を捜し当てて苦情を言いに来ました。ハウスエルフたちの中で、蓮が親しくしているのは3人ですが、その3人が蓮やグレンジャーに届ける夜食は、他のハウスエルフたちも総出で役目を取り合って作っている始末です。そして、王らしいことに、宰相や騎士の綺麗事だけじゃ満足出来ないからと、道化を雇い入れ、固定した価値観の転換を図るようになりました。リータ・スキーターは、蓮の重要な情報源のひとつです」
馬鹿な、とキングズリーはソファから立ち上がった。「なぜ彼女がスキーターを雇い入れるんだ! コンラッドの名誉を」
「落ち着きなさい! コンラッドの名誉を踏みにじる記事を書いたことは、蓮もよく理解しています。3年生の時にはスキーターのインタビューは絶対に受けないと頑なに拒みましたし、4年生の時には何らかの形で手酷く撃退しています。昨年度は、それでもスキーターを必要としたのです。おそらくはアンブリッジを退けるための手段として。そこで裏社会に情報屋を置くことの利を学んだのでしょう。わたくしもこの歳になれば、それを否定する気にはなりませんね。あなただって仕事柄、あちこちに情報屋を飼っているでしょう」
「・・・失礼しました」
ソファに座り直し「しかしよりによって」と繰り言を呟いてしまう。
「コンラッドとの友情から義憤を感じることを責めはしませんよ。怜はもちろん嫌がっています。ですが、コンラッドのことを抜きにして、裏道の情報屋として見れば、マンダンガス・フレッチャーのような小者とは比べ物にならない一流の情報屋と言えるでしょう。蓮は、コンラッドの名誉よりはるかに切実に守るべきものを守るために決断した、ただそれだけです」
「父親の名誉よりも強く守るべきもの、ですか?」
「自分と友人たちの未来」
キングズリーは両手で顔を覆って俯いた。
「ああ・・・そうか。いや、理解しました。それならば、手段を選ばず、過去の恨みを乗り越えるだけの理由になる。歳をとるのは嫌なものだ・・・私自身の視野が狭まっていることを、こんなに唐突に突きつけられる日が来るとは」
「キングズリー。あなたがたの若かった頃のことはたまに思い出しなさい。あの暗かった時代を」
「・・・ええ。忘れはしませんとも」
「違います、逆です。たまに思い出す程度になさい。忘れなければ思い出すことが出来ないではありませんか。恐怖や恨みを胸に新たな時代を構築するつもりですか? それならば、大臣になどなってはなりません。ホグワーツの放蕩王子は、父の名誉や母の哀しみなどよりも友人たちの未来を選んだのです。わたくしはその選択を支持します。暗い時代を終わらせると意気込むのではなく、新しい時代を立ち上げることにエネルギーを使わなければ。残念ながらどちらも抱えていくと言えるほど、わたくしは若くはありませんからね」
キングズリーは黙り込んだ。
「15年、20年、25年。確かに長い時間です。その長い時間をあなたがたは鬱々と、喪失をやり過ごしながら生き延びてきました。わたくしには、それを軽視するつもりはありません。しかしながら、その怒りや悲嘆が何を産むか、その点には冷静にならなくては」
「・・・おっしゃることはわかります。私自身、怜やリーマスにそう説教することはたびたびだ。しかし、言われる身になってみると、なかなか素直に頷けないものですね」
「そうでしょうね。わたくしたちの世代とて同じことですよ。ウィリアムやオーガスタは息子を喪ったのですから。ですが、だから、あの子たちなのです」
キングズリーは頷いた。
「わかります。我々が、政治の実権を掌握するだけというのは危険過ぎる。幸福な次世代のビジョンのために杖を振ることにシフトしなければ」
「その通りです。どうしても、わたくしたちの世代やあなたがたの世代を中心に考えると、復讐の色合いが濃くなってしまいます。今の若者たちの世代も、決して無邪気で明るいばかりではありません。親や叔父叔母を奪われた子供たちも少なくない。しかしながら、彼らにはより比重の重い未来があるのです。愛する者と結ばれて穏やかに暮らす未来、子供たちを健やかに育てられる未来が。若者たちに未来を保証する、そのためにこそ今度の戦いがなくてはならないのです」