サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話26 ゴーントの遺産

ゴーント家で見つけた魔法薬のレシピを翻訳したミネルヴァは、穢らわしいものでも扱うように羊皮紙の束をテーブルに放り出した。

 

「5分置きにシャワーを浴びたくなるぐらいいやらしい魔法薬だらけだったわ」

 

ウィリアムはその束を手に取り、ぱらぱらとめくって、ピュウイと口笛を吹いた。

 

「ものすごい愛の妙薬もあったものだな。これは愛の妙薬というよりセックスドラッグだ」

「ええ。間違いなくゴーントの娘はこれをトム・リドル・シニアに飲ませたでしょうね。村人の口が重かった理由はだいたい見当がつくわ。リドル家の墓を牧師館が引き受けなかった理由もね」

「あの村外れで、盛りのついた獣のように交わっていたのなら、村人も表現に困るし、牧師はそりゃあ顔をしかめるだろうな。それはそれとして」

 

またウィリアムはぱらぱらと羊皮紙をめくった。

 

「なに?」

「・・・ホムンクルスについての記述はなかったかい?」

 

ミネルヴァは目を丸くした。

 

「なぜわかったの? あったわ。おぞましい禁術よ」

「我が家に伝わる言い伝えでね。しかし・・・柊子がブルガリアから帰国するまで2週間か・・・弱ったな」

「なぜ?」

「いや・・・ウィンストン家にゴーント家のホムンクルスについて報告してくれたのはニコラス・フラメルなんだそうだ。詳しい話を聞きたいが、柊子を通さなければ居場所もわからない」

 

肩を竦めるウィリアムにミネルヴァは「わかるわよ」とあっさり言った。

 

「ええ?! 用心深い謎の人物じゃないか!」

「あのね、他人には用心深い謎の人物かもしれないけれど、柊子とその親友は娘扱いなの。むしろ柊子がいないときのほうが、こういう内容については口が軽くなると思うわ。ニコラスおじさまは、柊子が闇祓いをしていることがお気に召さないの。なにしろ中世の紳士ですからね。こういうことにレディがタッチするべきではないといまだに頑固に言い張っていらっしゃるわ。だからもちろんわたくしの前でも絶対に喋らないでしょうね」

 

ウィリアムが面倒そうに頭を振る。

 

「つまり僕がウィンストン家の当主として対面するしかないということか」

「もう少しやる気を出しなさいよ。もちろんわたくしが一緒に行って紹介はするわ。そうでなきゃ信用なさらないでしょうし、どんな爆発物を仕掛けられるかわからないもの」

「・・・爆発物?」

「ニコラスおじさまの得意技よ。ペレネレおばさまを射止めるために、ライバルのボーバトン男子部の友人たちをことごとく吹っ飛ばしたの」

 

ウィリアムは唖然とした。

 

「ボーバトンでは、当時は年に一度だけ、男子部と女子部の交流会が開かれていたそうよ。女子部の生徒たちは、大きな馬車に乗ってフランスを横断して、ピレネーの山岳地帯にある男子部を訪れて舞踏会に参加していたの」

「あ、ああ。クロエからも聞いている。パロミノ種の天馬が引く馬車だね」

「そうでしょうね。ペレネレおばさまはお美しかったから、あ、今でもそうよ。お年の割にはね。まあ比較対象がいない年齢だから、600歳の美貌の基準なんてないけれど。とにかく、当時のボーバトン女子部の中では上位に入る美貌の持ち主。ニコラスおじさまはすっかり一目惚れ」

「へえ」

「ところが、ニコラスおじさまは外見的には冴えないタイプなの。あなたは会ったことないからわからないでしょうけれど。善良なおじいちゃんよ。たぶん当時は、善良な童顔の青年に過ぎなかったと思うわ。やることがたまに善良からはみ出すだけで」

「・・・爆発物で友人を吹っ飛ばすのは、はみ出した、のレベルで済むのかな」

「誰も死んでいないから大丈夫。とにかく、ペレネレおばさまの周囲に群がる青年たちの足元に、今で言うネズミ花火のようなものを走らせて、それを乗り越えようとする勇ましい青年の脚の間ではちょっと大きめの爆発をするようにセットした。当然、ペレネレおばさまはひとりぼっちの壁の花だわ。そこへ、ニコラスおじさまが颯爽と現れて結婚を申し込んだそうなの」

 

ウィリアムはこの非常識さに思わずぎゅっと目を閉じた。ついでに脚もぎゅっと閉じた。

 

「ペレネレおばさまは、それ以上の被害を避けるために、舞踏会ではニコラスおじさまとずっと一緒にいたそうよ。でも結果的にはそれが良かったのね。なにしろ今ではあれだけの伝説的なおしどり夫婦ですもの」

「そ、そう、だね。ペレネレ・フラメルは勇者だと思うよ。イギリスだったらマーリン勲章に値する」

「大袈裟ね。とにかく、そういう人だから、わたくしが連れて行って、あなたの人物証明をして、あなたがゴーント家の情報を求めていることを無邪気な顔で提議する。わたくしはそれから、ペレネレおばさまと2人で席を外すことになると思うけれど、これなら柊子抜きでもあなたの安全は確保出来るわ」

 

力無く微笑んでウィリアムは「頼むよ」と呟いた。結婚を控えているのだ。脚の間で何かが爆発するのは絶対に避けなければならない。

 

 

 

 

 

おっかなびっくりミネルヴァの後について、デヴォン州にあるフラメル家の庭に入った。

丹精された魔法植物が茂る落ち着いた佇まいだ。

 

しかし。

 

ミネルヴァが素早く盾を張ってくれなかったら、間違いなく有毒食虫蔓の餌食になっていた。

 

「少しは自分で防御してくれない? 闇祓いでしょう」

「そうは言うけどね、友好的に教えを乞いに来ただけなんだから、攻撃されるとは」

「常在戦場の覚悟で生きるべきよ」

 

君はいったいいつの時代の人だ、と言いかけてミネルヴァの出自を思い出した。間違いなくスコットランド人だ。

 

「君に屈強なハイランドの強者の血が流れていることがよくわかった」

 

そこへ、とたとたと小柄なまるっとした老人が駆け出してきた。「やあミネルヴァ! パトローナスを貰ってから今か今かと待っていたよ!」

 

「お久しぶりですわ、おじさま。今か今かと待っている間に、庭の凶器を停止させていてくれると嬉しかったのに」

 

ニコラスおじさまらしき人物は額をパチンと叩いた。「こりゃいかん、忘れていたよ! だが、君が男性の友人を連れて来ると言ったから、わざと忘れてしまったのかもしれないね!」

 

「嫌だ、変な誤解はなさらないで。こちらはウィリアム・ウォレン・ウィンストン5世。ウィンストン家の今の御当主さまよ。わたくしや柊子の一学年上で、一緒にクィディッチを楽しんだ仲なの。彼がおじさまに直接ご相談したい件があるというから紹介するために連れてきただけ。わたくしはまだまだ仕事に夢中よ」

「いい仕事に変わってくれて本当に嬉しいよ。幼い生徒たちに変身術という夢のある深淵な魔法を広げて見せる仕事だ。柊子も早くあんな殺伐とした仕事に見切りをつけて欲しいものだね。でないと、シメオン・ディミトロフとかいう粗野な男との縁が切れないじゃないか。まったくあいつときたら、繊細さのかけらもない。我が家のこの庭でちょっと有毒食虫蔓に襲われたぐらいで、この美しい庭を焼き払おうとしおった。オーガスタはどうしてるね? ポピーは? ポピーも聖マンゴからホグワーツに転職したのだろう? まったくマグルの陸軍病院に紛れ込んで戦傷の治療に明け暮れるなんてことから離れてくれて安心したよ。もちろん国家に忠誠を誓う志は素晴らしいが、しかし、レディが粗野な兵たちの生臭い銃創を手術するなんてとんでもないじゃないか。そうは思わないかね、ウィンストンくん」

 

怒涛のような言葉の洪水に気が遠くなりかけていたウィリアムは急に呼びかけられて、意識を取り戻した。

 

「は、はい。おっしゃる通りです。私も女性が仕事を持つことには賛成していますが、仕事の種類は夢のあるものにして欲しいと考えています」

 

ニコラス・フラメルはこの回答に合格点を出したようだ。

 

「それから、いずれご紹介の栄誉に与る機会があれば、私の婚約者をご紹介したい。私の婚約者はフランス人の魔女でして、ランスにあるボーバトン女子部を卒業しています。イギリスに来ても、ランスの思い出を分かち合う方がいらっしゃると思えば彼女も心強いでしょう」

 

これでウィリアムの株価は急上昇したのか、爆発物にも有毒食虫蔓にも見舞われることなく、フラメル家の居間に通された。

 

「ペレネレ! 素晴らしい客人だよ! なんとデラクール家の令嬢を射止めた見所のある青年だ! 近々婚約者を我が家に連れてきてくれるそうだよ。楽しみだね。なにしろあの一族は美しいことにからっきし弱いが、様々な魔法種族を敬遠しない。きっと美しい令嬢だろう。ヴィーラの娘でも驚いちゃいけないよ!」

「・・・マーメイドの娘です」

「マーメイド! そいつはいい! マーメイドは地上の呪いの多くに耐性があるのだ。君に息子が出来たら素晴らしい魔法使いになるだろう」

 

おじさま、とミネルヴァが割って入った。

 

「ん? なんだい、ミネルヴァ?」

「ウィリアムのご相談の件なの。実はウィリアムはゴーント家という一族について調べているそうなの。当時のことを知るニコラスおじさまに詳しいことをお聞きしたいらしいわ。わかっています。わたくしが聞くべき内容ではないわ。わたくしはペレネレおばさまと新しいハイランドキルトの織りを研究することにするから、お2人でゆっくりお話しなさって」

 

そのスカートの裾に隠れたい気分だが、そういうわけにはいかない。ウィリアムはキリッと表情を引き締めて、例のジェミニオをブリーフケースから取り出した。

 

「これは現物ではなく、ジェミニオです。サー・ニコラス、現物をご覧になったことがあると、我が家の記録にありました」

「・・・嫌なものを持ち出してくるね。うむ。確かに私はかつてゴーント家に数回通って、かの一族が細々と血脈を繋いでいる秘密を探ろうとしていた」

 

ウィリアムはキリッと脚を揃え、軽く頭を下げた。

 

「サー・ニコラスからの忠言を受け、ウィンストン家ではゴーント家の死滅を見守ると誓ったのですが、まだ果たされておりません」

「ん。あまり乱暴な手段に出るのは品位に関わるからね。その判断は間違いではないと思うよ。なにしろ、ゴーント家の中だけの問題なのだし、こんなことが永遠に続くとは考えられないからね。衰退し、滅びる運命の一族だ」

「ええ。私の先祖もそう考えたのだと思います。ところが、近年になってゴーント家に動きがありました。まずそのご報告を申し上げます」

 

ニコラスは不安げな表情のまま、ウィリアムを促した。

 

「ゴーント家の最後の世代には、いつも通り、男女の兄妹がいました。2人だけです。モーフィンという名の息子、それからおそらくはメローピーという名の娘」

「うむ。その名はどこで?」

「モーフィンと、その父親のマールヴォロはマグルの警察に拘留されたことがあります。マールヴォロは筆談が出来たので供述が取れたようです。その際に家族の名は息子がモーフィン、娘がメローピーと答えています」

「ふむふむ。確かなようだね。それで?」

「マグルとのトラブルが多かったマールヴォロとモーフィンはアズカバンに収監されました。実はこの間に、メローピーに異変が起きたと考えられます」

「異変?」

「父親と兄の束縛から逃れたメローピーは、ある青年に恋をしたと思われます。ただ、モーフィンがそうだったように、メローピーにまともな英語が話せたとは考えにくい。恋を成就させるために、この中の愛の妙薬を用いたのではないでしょうか」

 

ニコラスはぎゅっと目を閉じて頭を振った。

 

「この中の愛の妙薬かね・・・ああ、うむ。他に穏当なものを知らないから仕方ないのか。とんでもないことになったのでは?」

「詳細は村人たちの口が重くて聞き出すことが出来ませんでしたが、青年の墓が教会墓地から拒否されていることを考えても、そうですね、とんでもないことになっていたのでしょう。青年とメローピーはついに駆け落ちをします。数ヶ月後に青年だけが村に帰ってきました。メローピーは行方不明。それで終わるはずでしたが、ウィンストン家としては、メローピーに子供がいなかったかどうかを確かめなければなりません」

「そうだろう、そうだろうとも」

「駆け落ちした青年の名はトム・リドル。メローピーの父親の名はマールヴォロ。実はホグワーツの卒業生にトム・マールヴォロ・リドルという者がいます。写真を確認しましたが、駆け落ちしたトム・リドルと同じ年頃のものではそっくりです。さらに、ホグワーツのトム・リドルはパーセルマウスなのです」

 

一種の奇跡だな、とニコラスは呟いた。「あの家系に子供を自然妊娠出来る女性が生まれるとは思えなかったが。しかも、ゴーント家の嗜虐的な性質やパーセルタングの能力を再現してしまった。マグルの血が、眠りにつこうとしていたゴーントの血を活性化させたのだ」

 

ウィリアムは微かに目を瞠って「若いトム・マールヴォロ・リドルをご存知なのですか?」と尋ねた。

 

ニコラスは渋い顔で頷いた。

 

「柊子から学生時代の事件のいくつかは聞いている。ポーペンティナ・スキャマンダーとトム・マールヴォロ・リドルのせいで柊子はあのような殺伐とした仕事を志してしまったのだ。私が今一番爆発物を仕掛けてやりたいのは、ポーペンティナ・スキャマンダーとトム・マールヴォロ・リドル、それからシメオン・ディミトロフだ」

「・・・シメオンは悪い奴ではありませんよ」

 

少なくとも脚の間に爆発物を仕掛けられるほどではない。

 

ニコラスはまた渋い顔のまま「ポーペンティナ・スキャマンダーはもう落ち着いた暮らしぶりの主婦だそうだから見逃すが、シメオン・ディミトロフはいかん」と首を振った。

ウィリアムは溜息をつき「トム・マールヴォロ・リドルひいてはゴーント家に話を戻しましょう」と笑顔を作った。

 

「ゴーント家の何を知りたいのかね?」

「当家の記録では、スリザリンの末裔であることを誇り、その血を薄めないための近親結婚を繰り返していた、という記述になっています。実際にお会いなさったサー・ニコラスの感触はいかがだったでしょう。実際にスリザリンの末裔だと?」

 

おそらくね、とニコラスは渋面を隠しもしないまま、ふくふくとした指を2本立ててみせた。

 

「ゴーント家では2つの家宝を持っていたよ。ひとつは金のロケットだ。おそらくゴブリンの精製によるものだろうね。表にスリザリンの紋章が浮き彫りにされていた。今では知る人は少ないと思うが、ホグワーツの創始者たち4人はそれぞれが揃ってゴブリンに自分を証する宝物の作成を依頼したことがある。グリフィンドールとスリザリンが決裂する前の話だがね。グリフィンドールが剣なのは有名な話だ。騎士道精神を重んじるグリフィンドールらしい。他の創始者がどんな宝物を依頼したかはわからないが、ロウェナ・レイブンクローはおそらく髪飾り、ダイアデムだろう。そういう伝説がある。私はあのロケットはその折に作られたスリザリンのロケットに間違いないと思うね。時代的な製法の特徴というものがある。かなり古い製法だった。その時代にスリザリンの紋章を偽造する意味がないし、またゴブリンという種族は贋作や偽作を嫌う。つまり、スリザリンがスリザリンの紋章を依頼するのでなければゴブリンが引き受けないだろうと思うよ」

 

ウィリアムは頷いて、手帳に「金のロケット、ゴブリン精製、スリザリンの紋章」と書き付けた。

 

「もうひとつの家宝は、指輪だった」

「指輪? 我が家にも代々当主の妻に引き継がれる指輪がありますが、そういった類のものですか?」

 

ニコラスはぷるぷると首を振った。

 

「あの家系には、当主とその配偶者という形式は存在しないよ。当主が常に横暴な専制君主、家族は・・・ホムンクルスの材料候補ばかりだ。あれは単なる家宝に過ぎないね。当時のゴーントの当主はスリザリンの指輪だと主張していたが、私はあれはぺヴェレル家の紋章だと見たよ」

「ぺヴェレル家? ゴーント家とぺヴェレル家には繋がりが?」

「そこは君が古い記録を調べるといい。私はそこまではしていない。当時の私はフランスから渡ってきたばかりの異邦人でしかなかったから、とてもじゃないがホグワーツ領時代の家系の記録に触れる資格はなかったし、またそこまで確かめたいとも思わなかった。まったく忌まわしい家だったからね」

 

そうですね、と溜息をついてウィリアムはそのことも手帳に書き付けた。

 

「指輪そのものは大した素材ではない。大事なのは、指輪についていた石だよ。そこにぺヴェレル家の紋章が刻まれていたし、強い魔力を発していた。あれはただの石ではないね。石の形をした魔法道具だ。ある種の錬金術によって、魔法効果を持たせるよう錬成された石だと思う」

 

ウィリアムは思わず顔をしかめた。ぺヴェレル家と魔法効果のある石との連想は「蘇りの石」に繋がってしまう。途方もない話になってきた。

 

「うむ。君の気持ちはよくわかるよ。だがね、現実から目を逸らすことは勧めない。蘇りの石かどうかは検証のしようがなかった。間近で見せてはくれたが、触れることは許されなかったからね。これは私の錬金術師としての直感だね。あの石が蘇りの石かどうかはともかく、ある種の錬金術によって錬成された魔法効果を持つ石であり、ぺヴェレル家の紋章が刻まれていたことだけは確かだ。ともかく、ゴーント家の宝はこの2つだ。ゴーントはこれをいずれもスリザリンの末裔である証として後生大事に抱えていた。もうひとつのゴーント家の特徴は英語を喋らないことだ。おそらく過去には本物のパーセルマウスがいたのだろう。パーセルタングか、それに似た発声の独自言語が家族間の言語であり、英語は筆談にしか用いない」

 

ウィリアムは頷いた。

 

「確かに、アズカバン収監中のモーフィン・ゴーントの聴取を担当した尋問官は会話が成立しなかったと言っています。パーセルタングというか、蛇が威嚇するような発声しか出来ず、筆談でしたが、語彙が少なく、話題も極めて限られた範囲のことしか理解していないようだったと」

「ああ、まさにそのような感じだね。私が筆談した内容も極めて限られた範囲のことだったよ。つまりゴーント家の子供の作り方だ。忌まわしい話題ばかりを嬉しげに、いや、誇らしげに筆談するのだからね。まず、あの家では女性、つまり娘や姉妹は殴って言うことを聞かせるものらしい。妻の心が離れていくことを危惧していると相談を持ちかけた私に『殴れ』と胸を張ってアドバイスするのだよ。次に『殴って言うこと聞かないなら薬ある』その薬が、そのレシピ集に記載のある極めて原始的な愛の妙薬・・・まあ、愛という言葉を使うことさえ気が引ける代物だね」

 

ウィリアムは気にかかっていたことを尋ねた。

 

「レシピ集ですが、これは全て古代ルーン語で書かれています。お伺いしたゴーント家では、筆談でなら英語が出来る。さらに古代ルーン語の読み書きが出来たということでしょうか? 2種類の言語の読み書きが出来たとなれば、かなりの教養です。もちろんホグワーツへの入学は義務ではないし、スリザリンの末裔と称する家系ではそういったケースは散見されます。ですが、マールヴォロやモーフィンの語彙の乏しさからして、家庭で高度な教養を身につけたとは考えにくいのですが」

「そのレシピ集の全てを理解していたわけではないだろう。おそらくは例の強力過ぎる媚薬とホムンクルスの製法だけだと思うよ。例えばの話、ある家族に母親が見出した効能の高い風邪薬があったとしよう。母親は娘たちにその風邪薬の作り方を教えるだろう? 兄弟が多ければ、風邪薬を調合する機会も多いわけだ。その風邪薬のレシピを母親が見出したのは古代ルーン語の書物からかもしれないが、娘や孫娘に伝わっていく間には、正確な材料や分量などわからなくても、なんとなくああだったこうだったと記憶を手繰りながら実作できるものだと思うがね。強力な媚薬とホムンクルスは、ゴーント家を存続させるために欠かせないレシピだ。しかも、一世代に5,6人の子供をホムンクルスとして作るわけだから、頻度も高い。強力な媚薬も同様だね。古代ルーン語が理解出来るだけの教養があったわけではなく、家族に伝わるレシピといった位置づけで考えるべきだと思う。尤も、古代ルーン語で書かれたこうした真っ暗闇の魔法薬のレシピ集もゴーント家の家宝のひとつであったかもしれないね」

 

ウィリアムは眉をひそめた。

 

「一世代に5,6人? ずいぶん多い」

「自然妊娠の可能な母体があれば無理な数ではないし、強力な媚薬があるわけだからね。また、ホムンクルスにも彼らは他家の血を入れることを拒んでいたから、ホムンクルスの材料用にも子供の数がそのぐらいは必要だっただろうね」

「では、マールヴォロに妻なり、同年輩の一族の女性がいなくて、しかも息子と娘1人ずつという最終的な状態はどう解釈なさいますか?」

 

ニコラスは唇を尖らせ、面白くなさそうに思案した。

 

「まだメローピーといったか、娘のほうが子供を産んでいなかった・・・ああ、駆け落ち以前はね、であれば、母親は亡くなったのだろう。父親が世代交代に思い至っていなかっただけで、母親に死産や流産のたびたび起こるような妊娠を強いて、それが死に繋がったばかりだったのではないかな。だとしたら、メローピーが自然妊娠の可能な母体であった確率は高くなる。あるいは・・・もはやホムンクルスでしか血を繋ぐことが出来なくなってきていて、ホムンクルスの材料にも事欠くほどに、成功率が下がっていた・・・そんなところだろうね」

「材料に事欠く?」

「うむ。主要な材料は、父の骨、しもべの肉、敵の血だが、そればかりではないよ。なんとか横丁あたりで仕入れて来なければならない材料もある。精製のための薬液作りに必要な材料だ。また、あのような暴虐性の強い家系だ、家族間の殺し合いも珍しいことではなかっただろう。私や君の先祖が、とにもかくにもゴーント家を急いで潰す必要があるとまでは考えなかったのはそれも理由のひとつだ。いずれ衰退していくことは火を見るより明らかだった。あの小屋の周りを掘り返してみたまえ。きっと想像を絶する数の人骨がでてくるだろう。しもべの肉も敵の血も、生きた相手から摂取せねばならない。暴虐性がより強められていけば、材料にする前に殺し合ったり、それこそ、言うことを聞かせるために殴ることが度を過ぎて殺してしまったり、あったのではないのかね。もっと忌まわしい想像をすると、マールヴォロという父親は、モーフィンという息子ではなく自分の子をメローピーに産ませたかったのかもしれない。生殖年齢に達していた娘が少なくとも子供を産んでいないのにはこれで説明がつくだろう」

 

ウィリアムはこの言葉に悪寒を感じた。

ニコラスは続ける。

 

「私が直接相対して得た印象では、彼の一族にはもはや一般的に我々が家族愛と呼ぶような感性は存在していなかった。なにしろ、ホムンクルスの最後の材料である『敵の血』さえも家族から摂取するのだ。この『敵の血』がホムンクルスの性別を決定すると言っていた。男児が欲しければ男の血、女児が欲しければ女の血を使えとアドバイスされたものだよ。ゴーント家ではしもべと言えば女性のことを指す。私が訪ねたのは1600年頃のことだ。リトル・ハングルトン村のゴーント家が家宝の中でも最も格の高いスリザリンのロケットを所持していたのだから、こちらが本家だっただろうね。1600年以前にアイルランドにもゴーント家から一部が渡っているはずだ。こちらはイルヴァーモーニー魔法魔術学校の設立にも関わった。イルヴァーモーニーにはスリザリンの杖を埋めた場所から伸びたとされる伝説の木がある。スリザリンの杖とロケットを互いに分け合うような平和な仕組みが存在していたのは1600年以前のことなのだろう。それもかなり以前であることは疑いない。アイルランドのゴーント家もやはり血族結婚を習慣としていたが、こちらは従兄妹同士の結婚だ。ホムンクルスだの強力な媚薬だのがリトル・ハングルトンのゴーント家の常識となるには、それなりの年月が必要だっただろう。あるいは、分家がアイルランドに渡ったことが、ゴーント家のありようを歪めたのかもしれない。いずれにせよ、一族の女性の中であまり役に立たない者を『しもべの肉』に利用し、一族の男性もしくは女性の中で敵対者である者が『敵の血』に利用されるわけだから、マールヴォロ・ゴーントとモーフィンはいずれ殺し合うことになっていただろう」

 

寒々しい話に二の腕に鳥肌が立った。

 

「そういう家系の最後のひとりであろうと思われるトム・マールヴォロ・リドルについてどうお考えになりますか? 彼は忌まわしい母方の家系をどう認識したでしょう?」

「本人に聞きたまえ。私としては同じことを繰り返さないように祈るばかりだ。だが柊子から聞いた限りでは、蛇やパーセルタングへの執着は見られる。これはゴーント家の特性だね。おそらく、母方のスリザリンの血にはこだわるのではないだろうか」

「本人がゴーントの小屋を訪ねたことはあると思われますが、その時に家宝やレシピ集に目をつけた可能性は?」

「スリザリンのロケットや指輪は、見ていれば持ち去っただろうね。レシピ集の方はよくわからない。かなり古い書体の古代ルーン語だから、そちらに堪能でない限りは捨て置くかもしれないね。誰かに翻訳を頼まねばならないだろうし、祖先の魔法的な唯一の遺産というか功績だと本人は感じるだろう書物を人に見せたがるだろうか? もし読んで、目をつけるとしたら、やはり強力な媚薬とホムンクルスだろうと思われる。聞く限りでは孤独な育ちの青年だ。ゴーントの名も背負っていない。強力な媚薬を用いて名家、君の家系や、あるいはブラック家のような聖28一族の娘との間に子供を持つことは考える可能性がある。またあるいは子供ではなく、自分自身を次々とホムンクルスに乗り移らせて永遠に近い生を望むかもしれない」

 

ウィリアムは眉をひそめた。

 

「自分自身をホムンクルスに乗り移らせる? このレシピ集にそんな技までは記載されていませんでしたが」

「ああ。ゴーント家では赤子のホムンクルスを作ることだけを伝えれば気が済んだのだろう。だが、ホムンクルスの製法自体はゴーント家のオリジナルではないよ。調べようはあるとは思うが、本来は死を超越する手段のひとつだ。父の骨、しもべの肉、敵の血に沸き立つ大鍋に自ら入るのだ。そして新しい肉体を得る。しかし、これはそうそう繰り返せないのだ」

「なぜです?」

「父の骨はひと組しかない」

「ああ・・・しかし、古い時代の話です。本当の父親だと信じていたけど実は違ったとか」

 

ニコラスは初めてにこりと笑った。

 

「そうそう! そういう失敗の例もあるよ! その場合も、肉体を得ることは可能だが、完全に過去の自分の姿は取り戻せないのだ。容貌は著しく衰え、手足の一部が痺れたり、最悪の場合麻痺するなどの不適合反応が出る。だからやはり繰り返しはしないね。ただ、面白いのは、これは魔力に大きな影響は与えないということだ。馴染んでしまえば、以前通りに魔法を使いこなすことは出来る。だから、一度きりの術だと決めてしまえば、多少の不自由さを魔法で補いながら、やっていくことは出来るだろうね。私なら嫌だけど!」

 

朗らかに笑いながらニコラス・フラメルは立ち上がった。大きく両腕を広げ「さあ、1日に耐えられる忌まわしさはもう充分話し合ったと思わないかね? 私の限界は超えてしまったよ! ペレネレとミネルヴァを呼んでお茶にしようじゃないか! 君の美しい婚約者の話を聞かせてくれたまえ! きっと今頃ペレネレがミネルヴァを質問責めにしているはずだ!」と急に賑やかな弾んだ声を上げた。

 

 

 

 

 

次には必ず婚約者を連れてくるようにと約束させられ、フラメル邸を辞去した。

 

「わたくしがハイランドキルトを犠牲にして、クロエについての怒涛の質問責めに耐えたのに値する収穫はあった?」

「あったけど、なぜそんなに不機嫌なんだい?」

 

ホグズミードまで姿現しで戻り、ホグワーツの校門まで送りながらウィリアムが尋ねると、ミネルヴァは渋い渋い顔つきになった。

 

「どうせ柊子から何か聞いているでしょう。わたくしは今は他人のロマンスを夢たっぷりに語りたい気分じゃないのよ」

「柊子からは詳しいことは聞いていないよ。君の頭がぼんやりしてるようだから、この夏の調査にこき使えと勧められただけだ。リハビリにちょうどいいとね。でもどうやら、アズカバンでも恐れられる地獄から来た魔女に、ロマンスに関するトラウマがあるらしいことはよくわかった。そんな弱みを自分から認めるなんて、焼きが回ったんじゃないか?」

 

ミネルヴァが黙りこくって足を早めた。

 

「ミネルヴァ」

「・・・なによ」

「君にどんなロマンスがあったか知らないが、その無愛想な君を好む変わり者の男は世間に掃いて捨てるほどいる。一度や二度の失敗ぐらいでホグワーツにひきこもるんじゃない。君は口の悪さや無愛想さを割り引いても、美しい魔女であることには間違いない」

 

僅かに足を緩め、ミネルヴァが呆れたように「婚約者がいるっていうのに、よくそんな歯の浮くようなこと言えるわね」とぼやいた。

 

「まったく。ロス家の推定相続人のくせに社交性のかけらもないな、君は。こういう賛辞は軽く聞き流せよ」

「はいはい、お世辞ってことね」

「そうじゃない。お世辞と賛辞は違うよ。美しく強く優秀な魔女だ。僕はそういう目だけは確かなんだから、自信を持つべきだ」

 

ウィリアムは真顔で長い脚を大股に伸ばして、ミネルヴァの前に立った。

 

「爆発物には賛成できないが、サー・ニコラスが君の新しい職業を喜んでいらっしゃることには賛成だ。法執行部なんかより重要な仕事だよ、ミネルヴァ。君は挫折したわけじゃない。より相応しい職業に就いたんだ。自信を持てよ。隙を見せるな。特に恋愛問題に悩んでいる時に、男の前で隙を見せるもんじゃない。恋愛トラブルが積み重なるだけだぞ」

「・・・隙を見せていたかしら」

「隙だらけだ。まったく。相手が僕だったから良かった。荒っぽいチェイサーだった君をよく知る僕としては、仮に婚約者がいなくても、どんなに美しい魔女でも、君と柊子だけは御免だからね。いつもの無表情はどうした? あの鉄面皮の君が一番強くて美しく魅力的だ。そのうえ、軽々しい男が絶対に近づけないオーラを発している。何にそんなに自信がないんだ」

 

しばらく睨み合っていたウィリアムとミネルヴァだったが、互いに同時に吹き出した。

 

「言わないわ。そんなことを喋るのが隙そのものだもの」

「その調子だ」

 

ウィリアムは得意げにニヤリと笑った。

 

「あなたって本当に・・・怠惰なくせに、女性にかける言葉だけは巧みね」

「フラメル邸の庭を丹精するお気持ちがよくわかる。僕の庭には、美しい花、棘のある花、毒のある蔓草、様々な花に咲き誇っていてもらいたい。さしづめ君は間違いなく有毒食虫蔓だ。近寄りたくはないが、遠目に見る分には美しいシルエットを構成する」

 

ここでいいわ、とミネルヴァは軽く手を挙げた。「もう大丈夫よ、ウィリアム。ありがとう」

 

「ああ。あ、おい!」

「なによ?」

「来週はゴーントの小屋にもう一度行くんだからな、忘れるなよ」

 

ミネルヴァは顔を思い切りしかめてさっさと歩き出した。


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