サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話24 大鍋の滾るケミストリー

「ええ、ええ。わかっていましたよ、可愛いニンファドーラ」

 

ドーラはこの言葉にいつものように顔をしかめようとして、まったく上手く生意気なしかめ面が出来なかった。

 

「あなたが生まれた時から知ってるの。モリーおばさんの目を誤魔化せるとは思わないことね。尤も、わたしはあなたがいつかチャーリーのお嫁さんになってくれるんじゃないかと期待したこともないとは言わないわ。ビルかチャーリーのお嫁さんになってくれたらいいと思ったことは何度もあるけど、あなたとうちの上の息子たちじゃ関係が近過ぎて恋にはなりそうにないと、ある程度のところで諦めはついたわ。アーサーとわたしの間にあったような、大鍋が熱く滾るようなケミストリーが発生しないもの」

 

ミスタ・ウィーズリーとミセス・ウィーズリーの間にセレスティナ・ワーベックの歌う「大鍋の滾るようなケミストリー」を想像することは難しいが、それは自分の両親でも同じことだ。

 

ニンファドーラ・トンクスはつい先日、リーマス・ジョン・ルーピンから「我々の関係はここまでだ」と断言されてしまっていた。

 

「それで? ドロメダやテッドはどう考えているの?」

「モリー・・・両親に報告するような関係じゃないわ。そうなる前にフラれちゃったんだから」

「少なくともドロメダは気付いていると思いますよ。母親ですからね。それに、うっかり早めに大鍋を滾らせた経験もあるし」

 

ドーラは呻いた。

 

「恥ずべきことではないわ。お互いの気持ちが固まっているのなら、待つ必要なんてないもの。もちろん慎重さが大事なこともありますけどね・・・うちのビルとか」

「・・・出会って1年で婚約、早過ぎるとは思わないけど?」

「文化の違いがあるわ。それを理解し合うには、いくらか時間が必要よ」

 

ぴしゃりとモリーが断言した。

 

「それにね、ドーラ。考えてみてちょうだい。フラーはフランスのデラクール家のお嬢さんよ。もちろんウィーズリー家もプルウェット家も誇るべき一族ですもの、引け目なんて感じることはないけど、例えばあちらが純血主義のお宅だとしたらどうするの」

「そんなことないったら。フラーのお祖母様はヴィーラよ?」

「いずれにせよ、2人の結論は早過ぎます。ウィーズリー家がウィンストン家のレディをお嫁にいただくようなものですもの。ちょっとバランスを崩したら、あっという間にうまくいかなくなるわ。でも、あなたとリーマスは違うのよ」

「・・・そういうことはリーマスに言ってよ」

 

リーマスもねえ、とモリーは溜息をついた。「女性のことには臆病過ぎるわ」

 

「彼が悪いわけじゃないわ。それはわかってる。自分をコントロール出来なくなる時期があるのに、誰かと深い関係を築くことに慎重になるのは当然よ」

 

モリーが「疑わしい」と言いたげにドーラをチラリと睨んだ。

 

「な、なに?」

「違う意味でコントロール出来なくなったことはありそうね。そういうことをしておきながら、やっぱり深い関係は困るだなんて、充分に大人の男性としては無責任だわ」

「・・・モリー。ちゃんとしたわ。その・・・うちのママみたいに、うっかり早めに大鍋を滾らせたわけじゃない。そういうことが彼の一番の心配事だもの。わたしだってそのぐらいは」

「ええ、ええ。わかっていますよ。リーマスの状況を理解してコントロールする自信があなたにはあるということもね」

 

ドーラは頷いた。

 

「もちろん、わたしなりに考えてる。わたしはもうホグワーツの女子学生じゃないんだもの。闇祓い局に勤務する闇祓いよ。これ以上何が必要か、こっちが教えて欲しいぐらいに考えてるわ」

「そのことはリーマスには言ったのね?」

「言ったわ! でもリーマスったら『頭で考えることだけで足りると思っているなら大間違いだ』って切り捨てておしまい。人狼への偏見だとか、そんな問題について言いたいんだと思うけど、それこそナンセンスだわ。そうじゃない? わたしは貧乏な人狼のリーマス・ルーピンがいいって言ってるのに」

「ええ、もちろんナンセンスよ。ただね、時間をかけてあげたらどうかしら。彼は長い人生の中で、長く深く傷ついてきたの。もちろん考え方を変えるべきなのはリーマスの方よ。でも長く深く傷ついてきた心の傷が、自分を無条件に理解して愛してくれる女性の存在を認めようとしない段階なの」

 

モリーがドーラの髪を撫でた。

 

「近頃では、髪の色が落ち着き過ぎね。レイは何も言わないの?」

「レイおばちゃまには話せないわ。ママに筒抜けになっちゃう。何か言いたそうにしてるけど、個人的な会話はわたしが避けてる。今ママとこんな問題について話し合いなんてしたくない」

「ドロメダやレイがリーマスとの関係を否定的に見るとでも? まさか。もちろんドロメダは最初はあなたの真剣さを試すでしょうね。わたしだってジニーがこういうことになったら、まず最初から大歓迎はしないわ。浮ついた気持ちだけで突進して娘が傷つくのは見たくないから。でも、あなたの真剣さを認めたなら、ドロメダほど頼りになる味方はいませんよ。レイもそう。リーマスが誰かの言葉に耳を傾けるなら、レイしかいないわ」

 

わかってる、とドーラは頷いたが、すぐに頭を振った。

 

「でもダメ。レイおばちゃまは、今はレンのことだけで手一杯よ。成人も近いっていうのに、子供になっちゃった。おばちゃまは悪いことばかりじゃないだなんて、やたら前向きなこと言ってるけど、わたしはアンブリッジをアズカバンにぶち込みたいぐらいに腹を立ててる」

「そうねえ・・・ロンとジニーも心配しているわ。ジョージは・・・何を考えているやら。せっせとWWWのビジネスを頑張っているようだから、何も言わないけど・・・ビルとフラーが合わない以上に、ジョージとレンも合わないから、これを機に諦めてくれるのを期待する気持ちもあるわね。3フクロウ、ホグワーツ退学の小さな悪戯用品店経営者がどうやってウィンストン家のお嬢さんを・・・ねえ? レンは良い子よ。そのことに異論はありませんとも。フレッドとジョージのビジネスにアドバイスもくれたみたいで、あの子たち、悪戯用品だけじゃなく、防衛術を組み込んだ商品を開発したの。アーサーが取り締まらなきゃいけないような怪しげな商品じゃないわ。魔法省がまとめて500個も注文するような、きちんとした商品よ。ただやっぱりジョージの真剣さを試したい気持ちはあるわ。ウィンストン家のお嬢さんに求婚する資格が自分にあるかどうか、本気で考えたことはあるのかしら」

 

いつの間にか我が子の愚痴にすり替わってしまった。

 

「フラーも悪い子じゃありませんよ。快活な雰囲気も悪くはないわ。でも気取り屋。フランス人はみんなそうなのかもしれないけど、お料理と鶏の世話以外にはここではすることがないだなんて! 他にもすることはありますとも! ロンのズボンの擦り切れを修繕したり、アーサーのローブが擦り切れないように当て布をしたり、ジニーのボーイフレンドからのフクロウをアーサーの目から隠したり、芋の皮を剥いたり。結婚して生活を共にするってそういうことなの!」

「・・・うん」

 

モリーの言葉に、ドーラは羨ましさが滲まないように努めて頷いた。

 

きっとそうなのだろう。

リーマスが考えているほど悲劇的な生活しか待っていないとは思えない。もちろん自分の家事能力が悲劇的であることは認めるが、その悲劇的な家事能力さえも笑い話に出来るような家庭にしてしまえばいいのだ。

 

人狼への偏見を気にして不幸になるぐらいなら、最初からリーマスに惹かれたりはしない。

 

「君にはもっと健康で若くて未来のある青年が相応しい」だなんて、わかりきったどうでもいいことを最後通告にするなんて、本当にリーマスは何もわかっていない。

 

そんなことぐらいとっくの昔にさんざん自問自答してきた。

 

曲がりなりにも魔法省勤務の闇祓いだ。周囲には、それなりに優秀で、将来性のある若者が掃いて捨てるほどいるのに、なんでこんなにリーマスが良いのかわからないと、何度も考えた。考えても結果が変わらないのだから同じことなのだ。

貧乏なおっさんで、しかも人狼のリーマスがいいと思ってしまったのだから、相応しいかどうかなんてこと、もう答えが出ていると言ってるのだ。

 

「うちのパパと駆け落ちしたくなったママの美的感覚よりはマシだと思う」

「・・・テッドは昔からお腹が出ていたわけではありませんよ。うちのアーサーだってそうです。みんな昔はそれ相応にハンサムでした。髪もふさふさだったわ。でも、そうねえ、アーサーの髪が薄くなってお腹が出てくるとわかっていても結婚したと思いますよ。ドロメダもきっとそうでしょう。レイは逆ね。コンラッドの第一印象はたぶん最低線を割っていたから、あとはプラス方向に加算される一方だったわ。そういう点で、あなたが今後リーマスに失望することはなさそうだから、わたしは安心していますよ。すでに充分に年を取っているし、実年齢より老けて見えるし、とうの昔に大きな病気を抱えていることもわかっているのですからね。それでもリーマスを選んだのだから、いまさらリーマスがあれこれ思い悩むのは殿方によくある馬鹿げた心配事だとも思うわ。でも、リーマスの心に深い傷があることを理解して待つことも愛の示し方のひとつだとも思うの」

 

モリーがドーラの肩を叩いて「気長に待つこともたまには必要よ」と囁いてくれた。

 

 

 

 

 

フラーが隠れ穴に帰ったとき、ちょうどドーラが出てきた。

 

「トンクス? 来ていーましたか?」

「うん。ちょっと愚痴を言いに」

 

フラーは皮肉に唇を歪め『どうせわたしの愚痴も聞かされたんじゃない?』とフランス語で囁いた。ドーラは苦笑して、同じくフランス語で答えた。

 

『えーと。ビルは、モリーの最初の息子。わかる? 誰と婚約しても、最初は気に入らないに決まってる。あなたへの個人攻撃だとは思わない方がいい』

『ビルもそう言うわ。別に気にしてはいないわよ。家族と親しむためにこの家にしばらく住むことにしただけで、永遠に毎日顔を合わせて暮らすわけじゃないもの。クロエ大叔母さまから貝殻の家を譲っていただくこともビルと一緒に決めたから、結婚式までの我慢よ』

 

あー、とドーラは頭を掻いた。

 

『そのことも、少し気にしてるみたい。あなたがウィンストン家の一族で、あなたのためにポンとあのコテージをくださるようなウィンストン家とウィーズリー家とでは不釣り合いだと思ってる』

『わたしとビルが不釣り合い? 冗談でしょう。わたしとビルはお互いがお互いを選んだの。不釣り合いに見える部分がいくらあっても、わたしたちは不釣り合いだとは思っていない。それじゃ足りない?』

 

まったくだ、とドーラは苦笑した。

 

『いずれモリーもわかってくれると思う。他人事のわたしには同情的だもの』

『そのことだけど、レイおばさまが気にしていたわよ。レイおばさまに相談したくないなら、がんばってショッキングピンクの髪にして行くべきだわ』

 

お互いの肩を叩いて、ドーラは保護結界の外に出た。

 

丸くて青白い満月が見えて、夜空から目を逸らした。

 

 

 

 

 

テムズ河畔に姿現しをしても、満月が追いかけてくる。

 

怜と蓮のペントハウスを訪ねると、ドレスシャツに目の細かいグレン・チェックのベストとパンツスーツを着た蓮が、恭しく玄関で跪き、「本日はお招き、ねき、ありがとう存じます。ユア・マジェスティ」とドーラの手を取り、甲にキスをした。

 

「・・・なにやってんの」

「レッスンの復習だよ。やっとドレスやスカートを諦めてくれたんだ」

「お招きねきした覚えはありませんけど?」

「アウチ! お招き。おマネきありがとう存じます。おマネきありがとう存じます」

「だんだんイントネーションが変になってくね」

「もう! 調子良かったのに余計なこと言うからぁ!」

 

くしゃくしゃと蓮の頭を乱暴に撫でて「食事は済ませたの?」と言うと、蓮は頷いた。「さっきママとフラーがいたから、レッスンも兼ねて。明日まではドーラお姉ちゃんでしょ? 明日の昼間はママがいないんだ。ケータリングのピザにしようよ」

 

「ドーラお姉ちゃんの日はテキトーなもん食える日だと思ってんの?」

「思ってるよ。あと、クィーンやジョージ・マイケル、クラウス・ノミを聴いていい日だ。フラーのときはセレスティナ・ワーベック以外なら何でもいい。どうせフレディ・マーキュリー知らないしね」

「レイおばちゃまが何て言うかな」

「決まってる。『聴くなとは言わないけれど、ママがいるときには頭の痛くなりそうな音楽はやめてちょうだい』キャロル・キングのナチュラル・ウーマンを12時間聴かされたら、わたくしのほうが頭痛がしてくるよ」

「キャロル・キングなんて聴くんだ。ビートルズだけかと思ってた」

「カーペンターズとキャロル・キングとビートルズをエンドレスで回しながら生きていける人だね。ニューヨークから帰ってくる飛行機の中で、リヴァプールのマージー・リバーとマージー・ビートについて解説された。よく眠れた」

 

寝たのかよ、と頭を小突いて立たせ「クラウス・ノミよりセレスティナ・ワーベックに拒否感があるフラーもかなりの強者だね」と言うと、蓮は「MTVは見せてない。声だけだ」と舌を出した。

 

「なるほど。クラウス・ノミの映像は見せちゃダメだよ。悪魔崇拝と思われる」

「見せないよ。でも、ふーん、ドーラお姉ちゃんもそんなこと言うんだ」

「・・・何のこと?」

「クラウス・ノミやフレディ・マーキュリーは、マグルの中の人狼だ。ジョージ・マイケルもたまにトイレで逮捕されそうになるけど、今のところ人狼病には感染してない」

 

ドーラは虚を衝かれたように黙った。かろうじて「・・・そういうラインナップをチョイスするのは悪趣味だよ」と応じた。

 

蓮は腕組みをし、頬を膨らませて「今夜は満月だよ」と言った。

 

「・・・だから?」

「リーマスはどこにいるの?」

「知らないけど、シリウスの家でしょ。シリウスの家なら安全」

 

言いかけると「今はハリーがいるからシリウスの家には行けないんだ!」と蓮がますます膨れた。

 

ぐらりと胃が重たく揺れる。

 

「せ、聖マンゴで脱狼薬を処方してもらってるから、ちゃんと隠れ家でおとなしく」

「心配じゃないの? 脱狼薬もらってるはずだからテキトーなところでおとなしくしてればいいやって感じ? そういうのを理解してるって言えるのかむんぐう!」

 

バスローブを着た怜が背後から娘の口を塞いだ。

 

「そこまでよ、蓮。ドーラとリーマスの関係は、お子様ランチじゃないの。あなたがつつき回すのはルール違反ね」

 

 

 

 

 

お子様をバスルームに追い立てて、怜がグラスに氷を入れる音が聞こえてきた。ドーラは疲れたように、ソファに身体を沈めた。

 

「心配要らないわ。夏の間はコーンウォールの邸の森番小屋を使うように言ってあるし、昨日のお昼から脱狼薬を飲んでいるから」

「・・・なんで教えてくれなかったの? グリモールド・プレイスにいないってこと」

「あなたが自分で聞くべきことだと思ったからよ。あなたとリーマスの間で共有すべき情報ならば、あなたがた2人の間で確認し合えばいいわ。もちろんそれもサマーホリディの間だけ。ハリーがホグワーツに戻れば、またリーマスとシリウスがルームメイトに戻る。わたくしはね、ドーラ、リーマスとあなたが結ばれることに反対はしない。けれど、こんなことさえ確かめ合わないようでは、関係を深めることはお互いに無理をすることになると思うの」

 

冷たいペリエを勧められて、ひと口飲む。微炭酸が口の中で弾けた。

 

「無理なんて」

「していないと言いたいのはわかるわ。でも、顔貌を変化させられなくなったわね。感情に左右されやすい能力だから、仕方ないとは思うけれど、無理をしていることは今の蓮にだってわかるみたいよ?」

「・・・あの朴念仁が急に感受性豊かになって」

「そうね。精神年齢はホグワーツに入学するぐらいにはなったかしら。どうやらハーマイオニーと2人で自己流の開心術と閉心術の訓練をしたみたいなの。かなり深いところで閉心して、偽物のイメージを開示するレベルまでね。ダンブルドアの診立てでは、瓶の蓋をきつく締め過ぎて開けられなくなった状態だということだったわ。16歳の自分自身を瓶の中に閉じ込めたまま。瓶を温めれば簡単に蓋が開くように、一定の安心感や安定感に達すれば自然と蓋は弛んでいくと考えられる。だからわたくしはあまり深く考えずに甘やかそうと思っているの。ねえ、ドーラ。リーマスも蓮と同じなのよ」

 

怜は両手で卵を掴むような仕草をした。

 

「こうやって、心の一番柔らかいところをこれ以上誰にも傷つけさせないために瓶の蓋を締め過ぎて、開け方がわからないの。わたくしはあなたのことは生まれた時から知っているわ。いいえ、生まれる前から知っている。だから、あなたが本当にリーマスを愛して理解しようとしていることぐらいすぐにわかる。あなたはそういう両親のもとで生まれ育った。ブラック家の令嬢とマグル生まれ。普通なら考えられない組み合わせの2人が、お互いを理解し合おうと寄り添う家庭があなたにとっては普通の結婚生活なのだと思うし、それは決して間違いではない。でも、それを自分から一番遠いものだと諦めながら育ってきたのがリーマスなの。率直に言うと、過去にリーマスには軽いお付き合いをした女性はいたわ。リーマスが女性を雑に扱うことを注意したこともある。その時彼は言ったの。『結婚するわけでもないし、避妊には充分な注意を払っている。誠意がないわけではない。自分なりの誠意は尽くしている。だが、私は自分の病気のことを打ち明けて余計な傷を増やしたくない。だからこれ以上深い付き合いはしたくないんだ。レイの心配するようなことにはならない』って。あなたがリーマスのコチコチに凍った心を溶かせるかどうかが問題なの。幸いにして、最初の一番大きなハードルをクリアした状態で出会ったわね。あなたは彼が人狼病という厄介な問題を抱えていることは理解しているもの。だから逆にリーマスは戸惑って、自分の殻に閉じこもっている。どこであなたとの距離感を保てばいいのかわからないの」

「距離感?」

 

ドーラは険しい表情で怜を見返した。

 

「距離を置くことが前提なら、もう結論は出てる!」

 

ちょっと待ってね、と怜が立ち上がり、リビングダイニングのドアを閉めて、サッと軽く杖を振った。

 

「ウィーズリーの双子が先日訪ねてくれたの。お店の商品をどっさり持って。蓮のお気に入りは伸び耳。デリケートな話題について話すときには邪魔よけ呪文が欠かせないわ」

 

コーヒーテーブルに杖を置いて、怜はやれやれと頭を振った。

 

「ね、ドーラ。わたくしはね、大人の男女の関係にはいろいろ形があっていいと思っているわ。実を言うと、先日亡くなったアメリア・ボーンズ、彼女には積年の恋人がいたの。リータ・スキーターにもドローレス・アンブリッジにも嗅ぎつけられていないぐらいにひっそりと結ばれてきた恋人がね。残念ながら、御家族にも紹介していなかったから、その方は一般参列者に紛れて会葬なさっただけ。アメリアは自分に何かあったときのために、その方の名義の財産を先に贈与していたから、これからも表に出ることはない。もちろんそれには事情があったの。その事情はさすがに伏せるけれど、あなたとリーマスがそういう形を選ぶことも出来るわ。あるいは、正反対にアーサーとモリーのような仲良し夫婦。あれも素敵よね。モリーったら、セレスティナ・ワーベックの『大鍋は灼熱の恋に滾り』を歌いながら家事をするんですって。ジニーとフラーはたびたびセレスティナ・ワーベックの音楽に合わせて2人で踊った思い出を聞かされているそうよ。なのに、ビルとフラーの間にある大鍋が滾っていることを認めないのには困りものだけれど」

「うん・・・」

「どういうわけか、この夏の我が家には滾った大鍋が2つもあって、大鍋のケミストリーについては6歳児相当だった我が家のプリンセスが急速に成長しているわ。わたくしは毎日毎日ベッドの中で、パパのキスが上手だったかとか、何年生の時に初めてキスしたかだとか、非常に答えにくい質問に晒されているわ。最悪の質問は、ママとアメリア・ボーンズは本当に秘密の関係じゃなかったか、だったわね。近頃、フレディ・マーキュリーだとかクラウス・ノミだとかを聴いているせいもあると思うけれど。それで、蓮は蓮なりに、あなたとリーマスが結ばれて幸せになる道は、御伽噺の王子さまとお姫さまみたいなめでたしめでたしじゃなくて、クラウス・ノミやフレディ・マーキュリーと、その闘病生活を支えたパートナーという形でもいいんだという結論を勝手に出したというわけ。本当に勝手にね。申し訳ないわ」

 

ドーラは力無く首を振った。

 

「そういうことなら、わたしたちこそ謝らなくちゃいけない。ビルとフラーは、モリーがどう思っていようと、ストレートに結ばれるハンサムな王子さまとゴージャスなお姫さまのカップルだもの。6歳児のロールモデルに相応しかったけど、わたしとリーマスじゃね。レンの前ではわからないように普通にしてたんだけど」

「ウィーズリーの伸び耳と・・・まあ、一番の原因はわたくしね。あのね、蓮は日本の年寄りに育てられたから、イギリスに来て初めて、家の中ではオープンな愛情表現をする家族を見たの。夫婦単位でもそう。特にわたくしの実家の両親は稼ぎ手が母で、家の中でドタバタ騒いでいるのが父という逆転夫婦だったし。蓮が情緒的に成長していく過程に、わたくしが不在だったせいもあって、あの子は一般的な魔法使いと魔女のカップルを知らないの」

「え? だって、グランパとグラニーは」

「あれはあれで極端ですからね。本当なら、わたくしが、コンラッド不在でもあの子ときちんと向き合って、パパとママが愛し合ってあなたが生まれたということを少しずつ少しずつ教えていかなければならなかったのに、そうして来なかった。リーマスに指摘されるまで、わたくしも深くは考えてこなかったけれど、あの子が3年生のとき、真似妖怪ボガートがコンラッドに変身したそうなの。あの子は2歳までしかパパを知らない。それでは生身の男性とはとても言えないわね。コンラッドはあなたも知っているように、決して理想の王子さまではなかったわ」

 

ドーラは苦笑した。「ハンサムだったけどね。悪い癖がいくつかあった」

 

「そう。まだわたくしたちが結婚する前にあなたがたの家を訪ねて、あなたがコンラッドの靴が臭いって言ったものだから、コンラッドったら靴を持ってあなたを追いかけ回して、捕まえたら匂いを嗅がせる悪ふざけをして、あなたを泣かせてドロメダに叱られたわね。本当に、小さな子供を泣くまでからかうような限度を知らないところがあったわ」

「うん」

「今の蓮は、情緒的には10歳か11歳。女の子ならハンサムな異性に関心を持つのと同時に、それこそパパの靴が臭いから同じシュークロゼットに入れないとか、そういう状態。でも、知力は17歳直前だから、そのアンバランスを埋めるために、男女間の大鍋の滾るケミストリーに殊更に敏感なの。さらに伸び耳も手に入れている。わたくしは、ビルとフラー、それからあなたとリーマスの大鍋が我が家で滾っていることは蓮にとって悪いことではないと思っているわよ。だってあの子はもう、お姫さまと王子さまが結ばれてめでたしめでたしじゃ済まないことを早速理解したわ。男女の関係にはいろいろな形があっていいと理解した。2つの大鍋を見比べて、ふむふむ、と観察して、なかなか滾らない大鍋に何が足りないのか考えるようになったわ」

 

滾らない大鍋、とドーラが呟くと怜は澄まして「滾りかけているのになぜか足踏みしている大鍋」と表現を変えた。

 

「結婚して、家庭を築いて、子供を持つ。そういうスタンダードな形にこだわる必要はないの。そう思わない?」

「思うわ。でもリーマスは」

「ええ。リーマスは自分がその基準に適合しないと最初から諦めてしまっている。でもね、ドーラ、リーマスがその基準にこだわることが、彼の誠意のひとつだと理解してあげて欲しいの。彼はあなたにきちんとした結婚、きちんとした家庭、健康な子供、そういうものを与えたいの。出来ることなら自分の手で」

 

ドーラは膝の上で頭を抱えた。

その髪を撫でながら、怜が「馬鹿げたこだわりだと思うかもしれない。特に今のあなたにはね。あなたはリーマスさえいればいいと思うでしょう」と囁いた。「わたくしもそう思ったことがあるわ」

 

「え?」

「わたくしがずっとコンラッドからの求婚に頷かなかったのは、リーマスと同じ気持ちだったからよ」

「レイおばちゃまが?」

「ええ。コンラッドにはウィンストン家の責務があった。それを支えて、彼の子供を産んで、英国魔法界のために生きることができる妻が必要だったわ。でも、わたくしにはわたくしの責務がある。100%彼のために生きられる立場でもなければ、そういう性格でもない。だからわたくしは相応しくない。ずっとそう思ってきたの」

 

だから今のリーマスの気持ちがわかるわ、と怜が優しげな声を出した。

 

「どうしろって言うの?」

「リーマスと2人で欲しいものを全部掻き集めて幸せになる、そういう覚悟が出来るまでは、じっとひとりで考えてごらんなさい。今のあなたがたの関係は、あなたが一方的にいろいろなことを諦めているようにリーマスは感じてしまうでしょう? あなたはただリーマスと一緒にいたいだけ。そのためなら他に何も要らない。でも、それに頷くような男性だと思う? あなたと家族の関係を壊すわけにはいかない、あなたの未来に影を落とすわけにはいかない、あなたから子供を産む機会を奪うわけにはいかない。そういうことをごちゃごちゃ考える男性よ。あなたに何かを我慢させていると考えるのに耐えられないの。だからといって・・・あなた自身にも、人狼との間に子供を持つ勇気まで今の時点であるかしら?」

 

ドーラは大きく息を吐いて、首を振った。

 

「強気に出られない原因はまさにそこでしょう」

「・・・うん」

「子供を諦めさえすれば2人だけで結婚するのに問題はない。あなたはそういう観点から攻め込んでいるけれど、まさにそれにリーマスは耐えられないの。彼は決して長くは生きられないのよ。人狼病そのものは致死性の病ではないけれど、人狼のライフスタイルの中で身体中に人狼同士の噛み傷が増えていく。そんなことでは、また別の感染症に罹患する確率が高い。脱狼薬はまだ副作用が解消されていない。ただでさえあなたとは年齢差があって、自分と結婚することであなたが家族や社会から切り離され、子供を持つことを諦めて・・・あなたにそんな人生を与えたまま彼が先に死んでしまうの。通常の魔法使いよりかなり早い時期に。あなたがリーマスの立場だったらどう思う?」

 

愕然としてドーラは怜の顔を見返した。

 

「あなたに足りないのは、その部分なの。リーマスがあなたを愛しているという前提で、なのに彼が自分を拒否するのはなぜか、その言動の裏にある深い感情を汲み取ってあげていない」

 

まったく面倒な男性よ、と怜が苦笑した。「わたくしが法執行部で裁判に明け暮れていた時期には、リーマスの証言を取るために頻繁に顔を合わせていたけれど、まあ・・・女性を取っ替え引っ換え。もちろんその時期の彼は一番孤独でもあった。親友3人がほぼ同時にいなくなったわ。ジェームズとリリーが死んで、シリウスが裏切ったと誤解して、ペティグリューまでシリウスの手にかかって死んだと思い込んでいた。リーマス・ジョン・ルーピンはね、自分の孤独を癒すために愛してもいない女性を利用することさえ出来ない、根っから善良な男性というわけでは決してないわよ、ドーラ。あなたをそんな風に利用出来ないのには彼なりの理由が必ずあるの」

 

ぼんやりとしたまま、ドーラは頷いた。

 

窓の外の満月が僅かに西へずれていた。

 

「ちょっと蓮にはまだ理解出来ない大鍋のケミストリーだから、しばらく迷惑をかけると思うけれど」

「・・・どうやら複雑さの度合ではNEWTクラスだね」


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