サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第29章 神秘部

「ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー、ジニー・ウィーズリー、ネビル・ロングボトム、ルーナ・ラブグッド。ある人を助けに来ました。魔法省が先に助けてくれるなら別ですが!」

 

余計な皮肉をくっつけてハリーが受話器に叫んだ。

 

「ありがとうございます。外来の方はバッジをお取りになり、ローブの胸におつけください」

 

ぎゅうぎゅう詰めの電話ボックスの中で、ハーマイオニーが一番コイン返却口に近い。身をよじって6個のバッジを受け取り、手早く全員になんとか配った。

 

ハーマイオニー・グレンジャー 救出任務

 

ひく、とハーマイオニーの頬が引き攣る。

 

ハーマイオニー自身は、ここにシリウスがいるとはまったく頭から信じていない。救出任務を遂行することは出来そうにない。

 

騎士団は確かに魔法省のある場所をそれとなく警備するという困難な任務を交代で務めていたが、シリウスはそのメンバーではなかった。ミスタ・ウィーズリーやキングズリー、つまり魔法省職員の騎士団員がその任に当たっていたはずだ。

クリスマス・ホリディの前にハリーが見たという悪夢を、ダンブルドアやマクゴナガル先生が速やかに信じて対処したのは、その日の警備がミスタ・ウィーズリーの担当だったからだ。事実と照らし合わせて妥当な推察が可能だった。

シリウスが魔法省内部で拷問されているという悪夢には、事実の裏付けがかけらもない。

 

それでも、アンブリッジの暖炉を使ってでもハリーを納得させられなかった以上、ここに来るしかなかった。

 

スネイプが騎士団に連絡してシリウスの居場所を突き止めるなり、神秘部に騎士団員を送るなりしてくれることを期待する他ないだろう。

 

守衛のカウンターは無人だったので素通りした。エレベーターに乗り込みながらハリーが「守衛がいないなんて変だ」と呟く。

 

「変?」

「本当ならあそこで杖を登録しなきゃいけないんだよ」

「時間外だからじゃないか?」

 

ガタガタと音を立てるエレベーターの中でロンが言うが、ハーマイオニーは首を捻った。

 

「時間外だから外来者の杖の登録をしないということなら、そもそも時間外の外来者は入れないはずよ。ハリーの言う通り不自然だわ」

「まあ、来ちまったもんはしょうがない。それでハリー、こっから先はわかるんだろうな?」

「とにかく神秘部に行くんだ」

「それは何度も聞いたわよ」

 

ジニーが溜息混じりに言う。

 

「それから、えーと、扉がある」

「・・・あなたの夢から察するにリドルくんがさんざん迷った扉がね」

 

ハーマイオニーがそう言ったとき、エレベーターの扉が開いた。

 

「神秘部です」

 

 

 

 

 

エレベーターを降りて廊下を進んだ先は、1ダースほどの扉に囲まれた円形の部屋だった。御丁寧に床か壁かどちらかが回転し、目指す扉や帰り道をわからなくしている。

 

「どうやって戻るの?」

 

ネビルの不安そうな声は、全員が内心感じていることだ。

 

「いや、いまはそんなこと問題じゃない。シリウスを見つけるまでは出て行く必要がないんだから」

「でも、シリウスの名前を呼んだりしないで!」

 

ハーマイオニーは強張った声で言った。

ついてきて良かった。まったく。シリウスのこととなるとハリーの頭に血がのぼる。

 

「おうちに帰るまでが遠足だよ」

 

ルーナの言う通りだ。少なくともハーマイオニーだけでも、帰り方について頭を働かせなくてはならない。

 

「それじゃ、ハリー、どっちに行くんだ?」

 

ロンが聞く。

 

「わからな」

 

ハリーの声が途中で途切れ、何かを思い出すように眉を寄せた。

 

「夢では、エレベーターを降りたところの廊下の奥にある扉を通って、暗い部屋に入った・・・つまり、この部屋だ・・・それからもうひとつの扉を通って入った部屋は、なんだか・・・キラキラ光って・・・。どれか試してみよう」

 

ハーマイオニーは小さく溜息をついた。それしか方法はなさそうだ。相変わらず行き当たりばったりの探索行だ。帰り道さえわからない。

 

ハリーは自分の正面の扉へ、まっすぐに進んだ。みな、その後に続く。

 

「ルーナ、杖を持って」

 

また耳に杖を挟んでいるルーナに言うと、目をパチパチと瞬いて「そうか、ウィンストンも言ってた」と頷いて、右手に杖を構えた。

 

ハリーが、パッと押し開けた部屋はまるで水族館の小さな展示室のようだった。巨大な水槽を天井から吊り下げられたランプが照らしている。

 

「アクアビリウス・マゴット、水蛆虫だ!」ルーナが興奮する。「パパが言ってた。魔法省で繁殖してるって」

 

「違うわ」

 

ハーマイオニーは水槽を横から覗き込んで言った。「脳よ」

 

神秘部で働く職員を「無言者」と呼ぶことが不気味な実感を伴って思い出された。

いったい他の11の扉には何が隠されているのだろう。

 

「夢ではキラキラした部屋を通ってさらに奥の部屋に行った。水蛆虫も脳も出てこなかったよ。さっきの円形の部屋に戻って、また別の扉を試すべきだと思う」

 

ハリーがきっぱりと言い、ハーマイオニーは回転する中央の部屋に戻って闇雲に正面に来た扉を試して回る時間は無駄だと思った。何か目印をつけて、この脳の部屋を繰り返さないようにしなければならない。

 

「待って」

 

ルーナが最後に脳の部屋を出て扉を閉めようとしたとき、ハーマイオニーは制止して「フラグレート」と焼印の呪文を試してみた。

 

赤と金を帯びた焼印の印された扉がカチリと閉まると、またゴロゴロと音がして壁が動き始めた。見守っていると、回転が始まっても焼印は消えていない。

 

「成功ね」

「良い考えだ、ハーマイオニー」

 

そう言ってハリーはまた正面に来た扉に向かった。

 

 

 

 

 

今回の部屋は前のより広く、薄暗い照明の長方形の部屋だった。中央が窪んで大きな石坑になっている。穴の中心に向かって急な石段が刻まれ、今ハーマイオニーたちは一番上に立っていた。

 

「ハリー、ここは?」

「違う」

 

嫌な場所だ、とハーマイオニーは思った。さっきの脳の部屋もそうだが、神秘部という場所はどうも好きになれない。おそらくは魔法の、ある種の深淵とも言うべき研究をする部署であることは間違いない。脳が死を想起させる。脳や死について取り扱う部署に長居して良いことがあるとは思えない。

 

「だったら出ましょう」

 

踵を返しかけたとき、ネビルが「誰かいる」と囁いた。

 

「ネビル?」

「囁き声みたいだ。何か聞こえる」

「あそこからだよ」

 

ルーナが石坑の中心にある、古ぼけたアーチを指差した。

 

ロンもジニーも、ハリーも首を傾げている。

 

石段を下りようとするネビルのローブを掴んで止めた。

 

「行く必要はないわ、ネビル。たぶん・・・死にまつわるアーチなのよ」

「ええ? 僕? 死ぬの?」

 

そういう意味じゃなくて、とハーマイオニーは首を振った。「セストラルが見えるネビルとルーナだけ、誰かの声や気配を感じてる。死を見たり、死を理解していたりする必要があるということでしょう?」

 

「どっちみちネビル、ここから見下ろす限りじゃ人がいるとは思えないぜ。わざわざ怪しげなアーチに近づくもんじゃないな」

 

ロンも言ったが、ネビルは魅入られたように「うん・・・」とだけ言って、アーチに揺れる黒いカーテンのようなものを見つめている。

 

ロンとハリーがネビルの腕を掴んで振り向かせた。

 

「しっかりしろ、ネビル。あのアーチが何だかわからないけど、今の君に必要なアーチじゃないことは確かだ」

「うん・・・うん、そうだね」

 

ネビルはポケットに手を入れて、カサリという音を立てた。たぶんあの中にドルーブルの風船ガムの包み紙があるのだろう。

 

行くよ、とハリーが言って、全員アーチのある部屋を出た。ハーマイオニーがフラグレートをすると、ジニーが「なんでもいいけど、ここって気持ち悪いわ」と顔をしかめる。

 

「同感よ」

「シリウスがここに囚われて拷問されてるっていうけど、そもそも、騎士団が警備したり、例のあの人がシリウスを連れて来て拷問したり。いったい何が目的なの?」

 

まさにそこが問題なのよ、とハーマイオニーがジニーに言ったとき、ハリーが「鍵がかかってる」と言いながら、別の扉に肩からタックルした。「びくともしないな」

ロンが興奮に顔を輝かせた。

 

「それじゃ、これがそうなんじゃないか?」

 

 

 

 

 

「ここじゃないわ」

 

ハリーとロンのタックル、アロホモラの呪文、シリウスがハリーにプレゼントしたという「どんな扉も開けられるナイフ」を試した時点で、ハーマイオニーはそう結論づけた。

 

「でも、もしここだったら?」

「そんなはずがないわ、ロン。ハリーは夢で容易に扉を通り抜けてる。そう複雑な施錠がしてある場所なら、そのことも夢に見たでしょうね」

「・・・うん。ハーマイオニーの言う通りだ。扉そのものについて印象深い夢は見なかった。通り抜けられなくてイラついてるわけじゃなかったよ」

 

ハリーの言葉を受けてハーマイオニーはその扉にもフラグレートをした。

 

「次は隣の扉だ」

 

ハリーは微かな落胆を押し隠すように、杖を構えて扉を開けた。

 

「・・・ここだ!」

 

薄暗さに慣れた目にはあまりに眩しい照明が踊っていた。目が慣れてくると、ハーマイオニーはありとあらゆる時計が煌めいているのを確認した。

 

3年生の時に使った逆転時計に魔法省の許可が必要だったことを思い出し「脳に死に時・・・頭の痛くなりそうな抽象的な研究ばかりね」と呟きながら、ハリーについてその眩しい部屋を走り抜けた。

 

「時の向こうに何があるかなあ」

 

ルーナの声に、ジニーが「わかるわけないでしょ」と答えた。

 

「だからジニーはグリフィンドールなんだ。ハーマイオニーはわかると思うよ。レイブンクローとのハットストールだもん、ね。ハーマイオニー、時の向こうに何がある?」

 

ハーマイオニーはふっと笑って杖を構えた。

 

「まるでレイブンクローのドアノッカーね、ルーナ。答えは『未来もしくは過去』だわ。彼が占いの信奉者なら予言と言いたいところね」

 

行くよ、とハリーが緊張した声をかけて、扉を押し開けた。

 

ぎっしりと聳え立つ棚、棚、棚。他に魅力的なものはない。そのせいか、急な不安に襲われたように、全員が息を潜めた。

 

棚と棚の間に一定間隔で燭台が取りつけられ、棚に置かれた埃っぽいガラス球に複雑な輝きを与えている。

 

ハリーを先頭にじわじわと進む。なにも聞こえず、何かが動く気配もない。

 

「たしか97列目。そう言ったわね?」

「ああ」

 

囁き声で確認すると、ハリーが手近な棚の端を見上げた。53。

 

「左が52よ。右、右が54だわ。右に進みましょう」

 

ハリーが頷いた。「杖は構えたままで」低い声で皆に指示する。

 

延々と伸びる棚の通路を、全員が忍び足で前進した。通路の先は真っ暗で見えないほどだ。ガラス球の下の棚には、小さな退色するほど古いラベルが貼ってある。

 

84番目の列を過ぎた。85。

棚の数字が大きくなるにつれて、自分の心臓の音が大きくなるように感じる。

今もその辺りに死喰い人が潜んでいるのかもしれない。

 

「・・・97よ」

 

ハーマイオニーは囁いた。

 

 

 

 

 

ハリーが唇を噛んでじっと床を見つめている。ハーマイオニーは小さく頭を振った。

 

こんなに棚の立ち並んだ場所で、痕跡も残さずに拷問出来るものではない。ハーマイオニーの推測の通り、ハリーの夢は捏造されたイメージだ。おそらくはハリーを誘き出すために。

 

しかし、今は後悔している時間はない。

 

ハーマイオニーがそう言おうとハリーの肩に手を伸ばしたとき、ロンが「ハリー」と呼んだ。

 

「なんだ?」

「これを見た?」

 

ハリーは大股に通路をロンに向かって戻り始めた。「なんだ?」

ロンが棚の埃っぽいガラス球を見つめている。

 

「なんだよ?」

 

苛立ったようにハリーが言うと、ロンが「これ・・・これ、君の名前が書いてある」ロンが棚を指差しながら言う。

 

ハーマイオニーもハリーと並んで、少し背伸びして首を伸ばし、そのガラス球のすぐ下に貼りつけられているラベルを読んだ。

 

S.P.TからA.P.W.B.Dへ

闇の帝王そして

(?)ハリー・ポッター

 

「なんだこれ」

 

ハリーが呟くと、ハリーとハーマイオニーに場所を空けるために少し下がっていたロンが「僕の名前はないよ。僕たちの名前はどこにもない」と棚を広く見回しながら言う。

 

「ハリー、触らないほうが良いと思うわ」

 

ハーマイオニーが言うと、ハリーは伸ばしかけた手を引っ込めた。

 

「なんで?」

「どういう効果があるかわからないもの。無言者以外は触れないとか」

「・・・うん」

 

そのとき、ネビルが「あった」と声を上げた。

 

「君の名前か?」

「違う。レンだ」

 

ハーマイオニーは目を見開き、ネビルの姿を探した。

 

「ネビル、ネビルどこ?」

「こっち。96の棚だよ」

 

ネビルの居る棚に駆け寄り、示されたラベルを読んだ。

 

C.BからA.P.W.B.Dへ

東と西を統べる女王

レン・エリザベス・キクチ・ウィンストン

 

脚から力が抜けていく。

 

「・・・なんてこと」

 

記憶を読んだ限りで推察していたことではあったが、はっきりと文字に示されると、それが急に現実味を帯びてくる。

 

「このA.P.W.B.Dって何だろな? ハリーのにも書いてあった」

「たぶん、ダンブルドアのイニシャルだ。長い名前なんだよ、えーと、アルバス、パーシー、ウルなんとか、ブライアン、ダンブルドアだ。裁判の時に聞いた」

「嫌な名前が含まれてるな。なんで知ってるんだ?」

「・・・アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアよ。ホグワーツの歴史の最新版にはフルネームが載ってるわ」

 

ほとんど反射的に呟くと、ハーマイオニーは自分がネビルに支えられていることに気づいた。

 

「大丈夫かい、ハーマイオニー?」

「あ、ああ、ネビル。ありがとう」

「レンのフルネームだろ、これ?」

 

ハーマイオニーは頷いた。

 

「ええ、そうよ。ネビル、よくわかったわね」

「ばあちゃんから聞いてる。ばあちゃんの親友の孫だろ? その親友のファミリーネームはキクチなんだ」

 

帰ろう、と出し抜けにハリーが言った。

 

「みんな、悪かった。僕・・・僕、どうも騙されたみたいだ。このままここにいるわけにはいかない。なるべく早くホグワーツに戻るべきだと思う」

「ハリー」

「少なくとも、僕を誘き出した奴は僕らがここに来ると思ってるだろ。今のところ静かだけど間違いなくやって来るんだ。早くホグワーツに戻ろう」

「セストラルはさすがにもう使えないけど、どうする?」

 

ネビルが言うと、ハリーが唇を噛んだ。それはそうだ。ティーンエイジャー6人のうち、1人が鼻血をダラダラ流しながら、首相官邸も近いホワイトホールの路地に突っ立ってセストラルを待つわけにはいかない。

 

「暖炉を使おうぜ。通勤用に暖炉の並んだ玄関があるはずだ。帰りなら問題ないだろ? 出口をアンブリッジの部屋にしておけばいい。レンが留守番してるかアンブリッジをボコって空き部屋にしてるかどっちかだ」

「仮にアンブリッジがいたとしても、死喰い人の団体様よりマシね」

 

ハーマイオニーも、そうね、と頷いた。しかし、蓮の名前の印されたガラス球が気になって仕方がない。

 

「ハーマイオニー? どうしたんだい?」

「あ・・・いいえ、なんでもないわ」

 

他のガラス球とは違う。これなら触ることが出来ると思う。

 

ハーマイオニーはネビルを見上げた。

 

ロンとジニーにハリーが加わって、出勤用暖炉までのルートを検討している。

 

「あなたは、どうやってこれを見つけたの?」

 

ネビルは、冒険も終盤だとわかって、はっきりと安心したように笑った。

 

「これ?」

 

止める間も無く、ネビルがひょいとガラス球を持ち上げた。

 

「ネビ・・・」

「他のガラス球とはなんか違って見えたんだ。他のは触る気になれないけど」

 

名前、とハーマイオニーは思った。名前を預かる預けるという魔法効果で、ハーマイオニーと蓮が繋がっているように、蓮とネビルにも繋がりがあるのだろうか。

 

そっとネビルがガラス球を棚に戻すと、ハリーが「よし、行こう」と歩き出した。

 

 

 

 

 

あれはやっぱり予言だったのだろう、とハーマイオニーは数字を掲げた棚の脇の通路を足早に歩きながら、棚に置かれたガラス球の様子を素早く観察した。

 

97,96,95,94,と遡っていくと、ガラス球の輝きが急速に色褪せていく。

 

この数字は西暦の下2桁だ。蓮の成人の年は96年だし、ハリーの成人の年は97年。

それぞれの成人の年に、何らかの運命の歯車が動くのだ。少なくとも蓮の場合には確実なことがわかっている。成人と同時に、蓮はウィンストン家の当主となる。

 

80台に入るとさらに顕著だ。ハーマイオニーの仮説通りならば、これらは役目を終えた予言、あるいは成就されなかった予言の棚だ。

 

こんなに多くの予言がなされ、その全てが成就したとは考えにくい。

 

ハーマイオニーはぐっと顔を上げた。

ハリーの予言も、蓮の予言ももう構うまい。予言は予言だ。成就するとは限らない。


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