「お誘いありがとう。湖の手前のベンチね。すぐに行くわ」
グリフィンドール塔の窓に向かって宙を舞ってきた銀色の猫がスーザンの声でそう言うと、蓮は立ち上がってパーカーを頭からかぶった。裾を引き下ろしていると、パーバティが「アルジャーノンの功績ね。スーザンったらこんなに早く守護霊の呪文をマスターしたわ」と口笛を吹いた。
蓮は「そのアルジャーノンの不始末を謝りに行くんだ」と、もの問いたげなハーマイオニーとパーバティを順に指差した。
「可愛かったのに」
「いくら可愛くても、異常言動のルームメイトの子守を他の寮の女の子に丸投げするな」
イースター休暇前の5日間ほどの自分を思い出すと頭が痛くなる。
休暇に入るとすぐにウェンディに頼んで、きちんとしたチョコレートを届けてもらった。ノイハウスのギフトボックスだ。
「ハーマイオニー、これで失礼にはならないよね?」
「ならないならない」
「真面目に考えてよ。本当はあなたたちもスーザンに謝罪とお礼をしなきゃいけないんだ」
「あのね、レン。スーザンは好きであなたの話相手を務めてくれたんだから、改まってお礼なんて」
「そうそう。それに何もスーザンひとりに任せっきりにしたわけじゃないし。わたしかハーマイオニーが必ず近くにいて、あなたが余計なことをしないか言わないか、魔法をぶっ放さないか見張ってはいたわよ」
「ただ頭の痛くなる話題に付き合いたくなかっただけで」
ハーマイオニーの言葉に、また休暇前の自分を思い出して頭を抱えた。
クリスマス休暇にクリアしたファイナルファンタジーの詳細を聞かされて困らない魔女なんかいない。思い出してみても、乗ってきてくれたのはディーンだけだ。「マジすごいなレン。僕はクリアするのに丸々1週間かかったよ。ママの目を盗んで夜中も徹夜でプレイしたのに、なかなかあの洞窟の鍵が見つからなくてさ」と。スーザンは「ジャスティンに教えてもらったわ。あの新作を4日でクリアするなんてウィンストンは天才だ。男だったらイートン校に行けるって。よくわからないけど、すごいことだけはよく分かったわ。やっぱりあなたってすごいのね、レン」とわざわざジャスティン・フィンチ-フレッチリーに内容を確かめてから褒めるという手間をかけてくれた。
「ヤバい、ヤバい人だ。恥ずかしくて死ぬ」
「まあそう深刻にならないで、ね? ほら、スーザンを待たせることになるわよ。早く行きなさい」
「うわヤバい!」
ギフトボックスを小脇に抱えて階段を駆け下りた。
「ところでアルジャーノンって何?」
蓮が出て行って、パーバティがベッドに横になったまま聞いた。ハーマイオニーは「マグルの小説のタイトルになった鼠よ」と答えた。「知的に急成長して、また急降下するという、人間と鼠の物語」指で大きな山を描いて見せた。
「縁起でもない」
パーバティが顔をしかめる。
「レンは逆なんだからいいじゃない」
「逆? じゃああれがどん底?」
たぶん、とハーマイオニーは答えた。「でもわからないわよ。波があるのかもしれないし、何かきっかけがあればまた低年齢化するかもしれない」
「サマーホリディまでに治ると思う?」
「さあ・・・もしかしたら、うん」
「なによ?」
「サマーホリディになって治るものなのかもしれないわね」
「結局そうなるかぁ」
ハーマイオニーは窓の外を眺めた。
ウィーズリーの双子の花火の夜「ごめんね」と言ったのはハーマイオニーだったのだ。それを聞き違えるぐらいに、実の母親に甘えたがっているくせにまったく素直じゃない。
「スーザンに先を越されたわ」
パーバティがボソッと言った。
「え?」
「パトローナス。呪いや無言呪文はわたしのほうがマスターするのは早かったのになぁ」
「あなたさっき、自分でアルジャーノンの功績だって言ったじゃない」
「レンが毎日毎日どうでもいいことで、あのでっかいパトローナスを送りつけてたから、感化されてマスターするのが早かったのかも。ほんっとにどうでもいいことにパトローナスを無駄遣いして。『スーザン! パーバティが怒った!』だの『スーザン! ハーマイオニーが蛙チョコカードを取り上げたんだ!』だの『ベッドに縛られて虐待されてる!』だの。パトローナスを杖無しに無言でほいほい出すなって感じよ。緊急事態でもあるまいし、通信手段がパトローナスってどうなのよ。しかも中身は幼児のワガママ」
ハーマイオニーは笑い出した。
「可愛げのあるのもあったでしょう。『スーザンにおやすみって言わなきゃ』とか『おはようスーザン、今日の蛙チョコのお告げは、ブリジット・ウェンロックだ。ハッフルパフ生の数占いには最高の日だね』とか」
「わたしとしては、同室、それどころか添い寝までしてあげてるわたしたちにおやすみを言わずにスーザンにはパトローナスを飛ばすってどうなのよ、と思ったわ」
パーバティの不満に苦笑してハーマイオニーは「わたしたちとスーザンと両方があって、やっとママ成分の不足を補うことが出来たのかもしれないわ」と言った。
「ええ?」
「ずっと一緒にいるママも足りなかったでしょうけれど、離れたところにいるママも足りなかったんじゃない?」
「どういうこと?」
「つまり。お父さまの死を理解していたのと同じように、お母さまと離れて暮らさなきゃいけないことも理解していた。だからワガママは言わなかったんだけど、おはよう、おやすみ、他には毎日の出来事を報告したり。離れていてもなんとか出来そうな関わり方が足りていなかったとしたら、スーザンにあれだけ連絡したがったことも理解できる。そう思わない?」
パーバティが顔をしかめ「いくらなんでもそんな母親じゃないでしょう」と言った。「頬っぺたを捻り上げたくなるような手に負えない子供ではあるけど、基本的には素直で賢く愛らしい、育ちの良い子よ、うちのアルジャーノンは。そこまで育児放棄されていたとは思えない」
ハーマイオニーは頬杖をつき「開心術で見た感じだと、お父さまが亡くなるまでは、お母さまとべったり一緒だったと思う」と呟いた。
「それがどうして」
「レン本人は以前、スキーターの記事のせいで家に日刊予言者の読者から呪いが送られてきたからだと言っていたけど、それだけでもないような気がしてきたわ」
まったく申し訳なかった、と蓮はノイハウスのチョコレートを差し出して深々と頭を下げた。
「レン?」
「イースター休暇に入って・・・昨日からかな、少しは大人に近づいたんだ。まだ言葉がアレだけど。もちろん忘れたわけじゃないよ。スーザンにどれほど迷惑をかけたかは覚えてる。いっそ記憶を失いたいぐらいに」
気にしなくていいのに、とスーザンは笑い出した。「レン、忘れたわけじゃないかもしれないけど、気づいてないことはあるわ」
「ん?」
「わたし、有体のパトローナスが出せるようになったのよ」
「あ、ああ! そうか、そうだったね。さっきパトローナスで返事をくれた。おめでとう」
「ありがとう。あなたのほど大きくはないけど」
「練習してたの? ハーマイオニーたちが言うにはDAの最後のレッスンがパトローナスだったって」
「そうよ。もちろんレッスンの時に有体のパトローナスを出せたのはほんの一部の人たちだったけど。わたしね、あなたのおかげだと思うの」
「・・・へ?」
きょとんとした蓮にスーザンは逆に「ありがとう」と言った。
「何もしてないけど」
「毎日パトローナスを送ってくれたでしょう?」
「送ったというか、送りつけたというか」
「ね、座らない?」
並んでベンチに腰掛け、蓮は首を傾げた。
「ハリーの教え方が良かったんじゃないかな?」
「確かにね。ハリーが有体のパトローナスを出せることは伯母から聞いてたからDAで習ったものの中で一番楽しみにしてたわ。でも、エネルギー源はあなたからのパトローナスよ、レン」
「そうなの?」
「考えてもみてよ。おはようとおやすみのためだけにパトローナスが届くことなんてまずないと思わない? 昼間もハーマイオニーやパーバティに叱られるたびにパトローナスよ?」
ぐう、と蓮は唸った。
「も、申し訳ありません」
「謝らないで。それが、有体のパトローナスを出せるぐらいに幸せな記憶になったんだから」
「幸せ?」
「あなたにとってはきっと手慣れた魔法なんだと思うけど、普通はすごく幸せなことだと思う。わたしにおやすみを言うために、プラスのエネルギーを放ってくれるんだもの」
言葉に困って、蓮はパーカーのポケットに手を入れた。
「小さな子供の頃にこれが出来ていたら、わたしも、例えば伯母や祖父母に、毎朝毎晩おはようとおやすみを届けたと思うわ」
「・・・わたくしも、有体のパトローナスが出せるようになったのは、四年生だったよ」
「そうなの?」
「うん。早くからいくつかの魔法は習ってたけど、守護霊の呪文は習わなかった。習いたかったけど、教えてもらえなかった。今考えてみると、スーザンにしたようなことをしちゃうからだろうね・・・母に。あの人はマグル界でも仕事があるから、小さな子供が時差も考えずにパトローナスを事あるごとに送りつけたら大変だもん」
「今してみたら?」
蓮は思わずスーザンの顔を見つめた。
「スーザン?」
「伯母から聞いたわ。魔法省をお辞めになったんですって? 伯母は残念がっているし、今の魔法省の状況が変われば何があっても連れ戻すつもりだけど、わたしね、あなたにとっては、今がお母さまに甘える最後の時間だと思う。もう半年もしないで成人するわ。ただでさえあなたは能力もびっくりするぐらい高いし、通常時なら大人びた人だから、成人しても学生気分の抜けないみんなと違って、成人したらお母さまには甘えなくなると思うの。別にこの休暇中とか急ぐ必要はないけど、こんな大変な目に遭ったあとぐらいは、甘えてみてもいいような気がする」
黙って脚を伸ばして足首を重ねた。
「伯母が言うには、前回例のあの人がゴドリックの谷で消息不明になったあと、死喰い人たちの裁判が何年も続いて、あなたのお母さまを頼りにし過ぎたって。まさか小さな子供を日本に預けているとは思わなかったから、家庭生活を犠牲にしていたとは気づかなかったんですって」
「・・・マダム・ボーンズの責任じゃないよ。家庭生活と仕事のバランスを取るのは本人の責任だ」
「ええ。あなたはきっとそう言うと思ったわ。でも、もしかしたらあなたは知らないのかもしれないとも思ったの。あなたのお母さまはね、レン、毎日毎日裁判に追われていらしたの。死喰い人の被告側証人に立ったこともあるそうよ。お辛かったと思う。わたしの親族の中に不死鳥の騎士団員だった人がいるから知ってるんだけど、あなたのご両親もそうだった。うちに写真があるの。不死鳥の騎士団員だったのに、法廷秩序を守るために被告側証人として死喰い人を弁護する役目まで果たしていらっしゃったわ」
スーザンは言葉を切った。
「・・・うん」
「伯母もそうだったからわかるの。わたしはひとりっ子だし、叔父叔母はみんな殺されたわ。父とアメリア伯母さんしか兄弟で生き延びていないし、伯母はご存知の通り独身だから、ボーンズ家の祖父母にとって孫はわたしだけ。伯母ももちろん可愛がってくれたけど、仕事の話になるとすごく怖い顔をして、子供に聞かせる話じゃないってわたしの相手をやめてしまう。どうして死喰い人の被告側証人なんかするのって聞いても答えてくれない。今は理解しているわ。死喰い人だから刑罰を与えるのではなく、どんな罪を犯したからどんな刑罰が妥当かを考えるのが裁判よね。だから」
わかるよ、と蓮は頷いた。
「・・・どうしても、あなたと向き合うことがお出来にならなかったのよ、レン」
「マダム・ボーンズには出来たのに?」
スーザンは首を振った。
「言ったでしょう。伯母は伯母。わたしには両親がいて、伯母は気の向いたときだけわたしを構えば良かった。でもあなたとお母さまは違うわ。あなたがわたしにパトローナスを飛ばしてくれたような話に耳を傾ける余裕なんてなかったのかもしれない。昨日ぐらいまでのあなたみたいな賢くて優しい小さな娘に、裁判で疲れきった母親の姿なんて見せたくなかったのかもしれない。わたしならそうだと思うわ。もちろんわたしは、あなたのお母さまや伯母みたいな有能な法律家じゃないだろうから、たぶん音を上げて家庭に入ってしまうと思」
そんなことないよ、と蓮はつい素っ気なく言った。「有能な被告側証人だよ、スーザン。ウィゼンガモットの年寄りの判事たちの涙を誘う」
「レン、そんな言い方・・・」
「ごめんね。確かに客観的に見ればスーザンの言う通りだと思う。判決は無罪だ。でも、無罪判決に納得できない感情は、誰がどこで解消するのかな。わたくしが自分でなんとかする問題。確かにそうだ。それを人に頼るのは甘えだ。その通りだ・・・そうやって育ってきた。そして、我慢できなくなったんだよ」
蓮の言葉だけが宙に浮いているように、スーザンは何もない宙を見つめていた。
「そっくりなのね、レン」
「え?」
「あなたとお母さま。似た者同士だから拗れてしまうんだわ。2人とも、ストレスの強い状況になると、自分がひとりで解決する問題だと言って、周りを拒絶してしまう」
蓮はぽかんとスーザンを見つめた。
「似てる? あの人と?」
スーザンは頷き、しかし、蓮の顔を見て、すぐに視線を逸らした。
「もちろんわたしはハーマイオニーのようにあなたと姉妹や幼馴染というわけじゃないから、あなたの言う『客観的な』見方しか出来ないけど・・・客観的に見ればそっくりだと思うわ」
それ以上言わずに、スーザンはチョコレートの箱を持って立ち上がった。
「チョコレート、ありがとう、レン。あなたの問題にはもう立ち入ったりしないわ」
「スーザン? そんなことは」
「不愉快な話をしてごめんなさい。この数日、本当に楽しかったわ、レン。ありがとう」
うちの可愛いアルジャーノンが、なんだかどんよりして帰ってきた。
ハーマイオニーとパーバティは首を傾げ、珍しくこちらに背を向けて自分のベッドに枕を抱いて横になった蓮を眺め、また首を傾げた。
「どうしたのよ?」
「・・・なんか、フラれた感じ」
ボソッと返事が返ってきた。
「アルジャーノンの不始末を謝罪に行って、どうしてフラれるの?」
「よくわからない。でもスーザンはもうわたくしの個人的な問題には立ち入らないらしい」
「・・・それが悲しいの? 珍しい」
ハーマイオニーが思わず口を滑らせると、蓮はガバっと起き上がった。
「珍しい?」
「な、なによ、その反応。だってあなた、自分の中に踏み込まれるの嫌いでしょう。開心術の術者をわたしにしたのだって、消去法というか・・・ねえ?」
パーバティも頷いた。
「レン、あなたって、躊躇いなく人に心を開くタイプとは間違っても言えないわよ」
「人の心の動きというか反応には敏感だし、それを積み重ねて先読みして何か企むのは得意だけど。その分、自分の内面を隠すのも得意よね」
「今のだって、後遺症でネジが2,3本弛んでるから口を滑らせたんでしょ?」
とにかく、とハーマイオニーは蓮に指を突きつけた。「どうせあなたが悪いんだからスーザンに謝りなさい」
「・・・そういう問題じゃ」
「だったらスーザンが悪いの?」
蓮はふるふると首を振った。
「そうよね。彼女があなたのためにならないことを言うはずがないわ」
「スーザンに謝りなさいよ、ほんとに。大事な介護要員なんだから」
「・・・介護?」
「またあなたにアルジャーノン発作が起きたらどうするのよ。スーザン抜きでアルジャーノン発作を乗り越えるのは無理よ」
「アルジャーノン発作・・・あの、幼児化のこと?」
そうよ、とハーマイオニーは殊更冷たく言った。
「もうあんなことには」
「ならないとは言い切れないわ。あれ、たぶん原因はアンブリッジ・ストレスよ。必要の部屋の前でアンブリッジに捕まって、校長室でやり取りしたでしょう。あなたに罪をきせたいアンブリッジに我慢しようとすると、アルジャーノン化するのよ。そうじゃないと耐えきれないから、一番無垢な精神状態まで退行するんだわ」
「一刻も早く、スーザンに謝りなさい」
パーバティがきっぱりと言った。
この推察はそう的はずれではないと思う。
蓮はアンブリッジを憎んでいる。それはハーマイオニーにも実感を伴って理解できる。トレローニー先生を解雇するアンブリッジの残酷さ。不必要ないたぶりを好む性癖には生理的な嫌悪を覚えたし、1ヶ月もの間、ひとりでそのいたぶりに耐えてきた蓮が、真実薬の副作用で抑制が効かなくなったならば、一番に考えられる危険はアンブリッジをいたぶり殺すことだ。それを、マクゴナガル先生の話をもとに考えるなら、蓮は無意識のうちに、かろうじて残った安全装置をアンブリッジへの憎悪にかけて、残りの人格を解放したわけだ。アンブリッジへの憎悪が深まれば深まるほど、より無垢な欲求が溢れてくることは不自然ではない。
「わたしたちはまたあなたがアルジャーノン発作を起こしても構わないのよ、レン。最悪の予想より、そのほうがずっとマシ。ただ、そうなったらあなたにはスーザンが必要だわ」
「・・・スーザンにもう迷惑は」
「わたしもハーマイオニーも迷惑だなんて言ってないでしょう。スーザンだって迷惑がってはいない。あなたひとりが、また何の見栄だか知らないけど、スーザンに対して壁を作っただけじゃないの。謝りなさい」
イースター休暇はあっと言う間に過ぎ去り、また日常が戻ってきた。
大広間の夕食のあと、スーザンをつかまえたハーマイオニーは、彼女を引っ張ってマートルのトイレにやってきた。
「レンがあなたに失礼なことしなかった?」
スーザンは笑って「レンの機嫌が悪かったからそんなこと聞くのね?」と確かめた。
「ええ。何があったかは教えてくれないの」
「わたしが余計なことを言っただけ。レンのせいじゃないわ」
「スーザン、どうせ悪いのはレンなんだから、何があったか教えてくれない?」
ハーマイオニーはそう断定している。スーザンは苦笑して「あの人、意外に信用ないのね」と言った。
「人格に大きな難点があるのよ。特に今は」
伯母の話をしたの、とスーザンは教えてくれた。
「伯母さま・・・魔法法執行部長の?」
「ええ。昔、伯母やレンのお母さまがどういう思いで法廷に立っていたか、一緒に考えて欲しくて」
ハーマイオニーは虚をつかれた。盲点だった。母親がなぜ子供の蓮から手を離したか説明できる人がこんなところにいたなんて。
「・・・レンは何て?」
「客観的に見れば、お母さまに対する判決は無罪だ、って。でも、無罪判決に納得できない子供の自分自身が、全部ひとりでそんな感情を押し殺しながら育ってきた。だから、わたし、言ってしまったの。お母さまとあなたはそっくりだって」
「あなたの目から見て、そうなの?」
スーザンは頷いた。
「レンのお母さまのことは、伯母からいろいろ聞いてるわ。特に昔の死喰い人の裁判の頃のこと。最近は、伯母もわたしの成人が近いせいか、やっと話してくれるようになった。レンって、何でも自分の中に押し殺してしまうでしょう? アンブリッジのスパイのことが良い例だわ。レンのお母さまはね、伯母もそうだけど、死喰い人の被告側証人に立って、判決のバランスを崩さないために必死だった」
「スーザン・・・でもあなたのご親族は」
「ええ。レンのご両親と一緒に不死鳥の騎士団員だった叔父がいたわ。伯母やレンのお母さまはね、死喰い人たちが、自分の弟や友人たちを殺したとわかっているのに、感情的な判決にならないように法廷をコントロールしなければならなかったの。時には悪役の側に立って。どれも胸が悪くなるような罪状ばかり。拷問や、殺人。死喰い人たちは、ある者は服従の呪文にかかっていたと主張する、またある者は闇の帝王は必ず蘇ると喚き散らす。そんな仕事をしている姿を、大切な娘に見せたくないと考える人なんじゃないかってわたしは思ってるわ」
ハーマイオニーは曖昧に頷いた。
「人の考え方にはいろいろあるわよね、ハーマイオニー。もちろん仕事は仕事として割り切って、家族との時間を大事にする人もいるし。でも、レンのお母さまがそういう方なら今のレンはあんなことにはなっていないと思う。伯母は、昔はとても気難しい人だったの。わたしを可愛いがろうとしてくれたけど、ある一線を越えると、子供とコミュニケーションを取るのに疲れたように、ふいっと自分の住まいに帰ってしまう。わたしには両親がいるから、伯母にそうされても深い傷は負わなかったけど・・・ね」
つまり、とハーマイオニーは掠れた声で問いかけた。「あなたは、そういう解釈をレンに示してくれたのね? お母さまは、当時、ひとりで抱え込むしかなかった。レンはそういうところがお母さまと似ている、そういうこと?」
スーザンは頷いた。
「レンにはそれがショックだったみたい。思ってもみなかったんでしょうね。一瞬ぽかんとして、それから・・・とても傷ついた表情になったわ。だからね、レンが悪いわけじゃないのよ、ハーマイオニー。どちらかと言うと、悪いのはわたし。レンの気持ちに土足で踏み込むようなことをしてしまったの」
ハーマイオニーは大きく首を振った。
「あなたにしか出来ないことをしてくれたわ、スーザン。当時の法執行部がどんな仕事ぶりだったかなんて、わたしたちではレンに教えてあげられない。あなたの言う通りよ。わたしもレンのお母さまには何度も会ってるけど、確かに綺麗な面しかわたしたちに見せたがらない部分は感じたことがあるわ」
蓮の杖を買うとき、フローリシュアンドブロッツの本棚、父と2人で書斎に引っ込んでしまったチェルシーの家。詳しいことを教えてくれなかったこともあって大事件に発展したリドルの日記。ダンブルドアの「中途半端な知識を与えた」と叱責する声。
いくつかのシーンを思い出して、ハーマイオニーは何度も頷いた。
「そうね。きっとそういう方だわ。汚ならしい裁判にどっぷり浸かった状態でレンを育てるより、レンを自分から遠ざけて、平穏な場所に預けた、そういうことだと思う」
「・・・伯母はそれを知らなかったことを後悔しているわ。小さな子供がいることは知っていたし、こんなに忙しい中で子供はどうしてるのか不思議でもあった。でも、いくら上司でもプライバシーに踏み込むのはどうかと思って、あえて聞きもしなかった。もし聞いていれば、何か出来ることはあったのにって。だからつい、わたしは上司でも友達でもないのに」
ハーマイオニーはぽかんと口を開けた。
「ハーマイオニー?」
「友達じゃない? 冗談でしょう、スーザン」
「え?」
「あなたにチョコレートを贈りに出掛けて、帰ってきたレンが何て言ったと思う? 『フラれた感じ』って言ったのよ。レンの中では友達のカテゴリに入ってるのは確かだわ。少なくとも、友達でいて欲しい人のカテゴリね。わざわざわたしにチョコレートのランクを確かめさせて、失礼にならないかしつこく尋ねて。ああ、それはレンの癖なの。対人関係のマナーはわたしに確かめるようにお母さまに厳命されてるから、大事なプレゼントは必ずわたしの検査を通過するのよ。だから、わたしの検査を必要とした時点で、あなたはレンの中の重要な位置にいるわ」
スーザンの顔が赤くなった。
「そ、そんなこと」
「あのね、レンはちょっとやそっと、厳しい指摘をされたぐらいで誰かを嫌ったりはしないの。そんな人ならわたしと一緒にいられるわけないでしょ? わたし、まず批判から始める女よ」
ハーマイオニーはドシーンと胸を張った。まったく自慢出来ることではないのだが、この点には自信がある。批判精神の塊だ。
「もともと欠点だらけの人だし、特に今はあちこちのネジがぶっ飛んだ欠陥品だけど、あなたをそんなひと言で嫌ったりはしない。絶対よ。あなたさえ嫌じゃなければ、たまにレンを構ってあげて。落ち込んでうっとうしいの」
「は、ハーマイオニー?」
「レンって、男の子ばかりの中で育ったみたいなの。だから、女の子と上手に友達になれないみたい。あなたと友達になりたくて、張り切ってチョコレート持って出掛けたら、あなたにフラれた感じなものだから、人生で初めての挫折感を味わってるところ」
「だって、ハーマイオニー、あなたは女の子よ?」
「ありがとう。そう言ってくれる人は、友達の中であなただけよ。ハリーとロンは去年やっとわたしが女の子だと気付いたわ」
「は?」
とにかく、とハーマイオニーはスーザンの手を握った。「レンにはあなたが必要よ」
そのときだった。
「人の部屋でごちゃごちゃうるさいわよ!」
マートルがトイレの床から出現し、スーザンは小さな悲鳴を上げてハーマイオニーの影に隠れた。
マートルはハーマイオニーとスーザンの周りをぐるぐる回り「はっはーん」と皮肉に笑った。
「ま、マートル、落ち着いて」
「あの子の周りにくっついてる2人ね!」
「今はくっついてないわよ?」
「これだからグリフィンドールはダメなのよ。修辞法に造詣がないわ!」
「み、認めます」
出て行きなさい! とマートルが叫んだ隙に、もちろんハーマイオニーはスーザンの手を掴んで駆け出した。
薬草学の授業で、スーザンが同じ作業テーブルの正面についた時、蓮は思わずハーマイオニーの腕をぐいっと引いて場所を交代しようとした。
「レン、あなたは16歳よ。子供みたいなワガママはやめて。まずスーザンに挨拶でしょう?」
ハーマイオニーに厳しく睨まれ、ボソッと「ハイ、スーザン」と挨拶をした。
スーザンは苦笑して「ハイ、レン。あなたが気にしなければ、ここで作業したいんだけど構わない?」と言う。
「・・・構わないよ」
言った瞬間にハーマイオニーから足を踏まれた。
「ハリーやロンじゃあるまいし。女の子にそんな言い方はないでしょう!」
うぐ、と返す言葉に詰まって「好きにすればいい」と言うと、ハーマイオニーが足をぐりぐりと踏みつける。
「ハーマイオニー!」
「台詞が違います。16歳らしくして」
なんて面倒なことを言うのだ。
「・・・スーザン、この前は失礼なことをして、ごめんなさい。えーと・・・作業台は、スーザンさえ気にしなければ、一緒に使って欲しい」
「ありがとう、レン。失礼はお互い様だもの。水に流してしまいましょう。そっちの堆肥、分けてもらっていいかしら?」
「は、はい。はいこれ!」
ハーマイオニーとの間にあったドラゴン糞の堆肥をスーザンの前にドスンと浮遊させて落とす。
スーザンがクスっと笑って「相変わらず、息をするように魔法を使うのね、レン」と言った。
「無駄にね」
ハーマイオニーが余計なことを言って、足をやっと引っ込めた。
ハーマイオニーとパーバティは、背後の2人の会話に聞き耳を立てながら温室から校舎に向かって歩いている。
「その・・・ごめんね、スーザン。スーザンは何も間違ったことは言ってない。わたくしが整理出来てないのが問題なんだ」
「そうやって自分を責めるのはやめましょう。なんでもかんでも、すぐに整理しなくてもいいのよ、レン。時間が解決することもあるわ」
「うん。そう言ってくれると助かる」
パーバティがハーマイオニーに耳に「典型的なハッフルパフ生よね」と囁いた。「許せる限り受け止める、あの姿勢はわたしたちにはゼロだわ」
ハーマイオニーは頷き、しかし、しばらく考えて頭を振った。
「なに?」
「・・・マグルの小説家がこう言いました。『小説の中に銃が出てきたなら、その銃は発砲されなければならない』このままじゃ、終わらないかも」
怪訝な顔でパーバティが後ろを振り返った。
「・・・まさか。だって、スーザンがいるわ。アンブリッジを殺すより、アルジャーノン発作を起こすんじゃない?」
「そうなってくれることを祈るしかないわね」