サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第14章 クリーチャーの巣穴

休暇の終わりが近づいてきた。

ジョン・オ・グローツ村の牧師館の留守番電話にメッセージを残すのにハーマイオニーが飽きてきた夜、やっと蓮からコールバックがあった。

 

「ごめんなさい。しばらくインヴァネスに行ってた」

「ロス家ね?」

「なんで・・・そっか、夜の騎士バスで聞いたんだったね」

「ええ。ちゃーんと調べ上げたわ」

 

くすりと電話の向こうで蓮が小さな笑いをこぼしたのがわかった。

 

「ごめん。さすがハーマイオニー。何か面白いことはわかった?」

「マクゴナガル先生はロス家の末裔で、推測だけど、マグルとの半純血。違う?」

「正解。文献が何かあった?」

「古い古い変身現代のバックナンバーをシリウスがくれたの。マクゴナガル先生のことは書いてなかったけど、バックナンバー発行時点では『マグルの牧師の息子』がロス家の邸を『相続』したと書いてあった。ね、ロス家って変身術の名家だって本当? 動物もどきの中には名前が出て来ないの」

 

本当、と蓮が答えてくれた。「自分が変身するだけが変身術じゃない。むしろそれは単なる派生であって、物質の変容を促す術としての変身術が魔法としては本道だ」

 

「そういうことね。それであなたの方は? ミセス・マクなんとかのアルコールは抜けたの?」

「あれはアルコールじゃなくてポリジュース薬だった」

 

はぅっ、とハーマイオニーは息を呑み、電話の向こうで蓮が眠そうな声で「あ、ごめん。トラウマだったね」と反応した。

 

「いいの。気にしないで。いったい誰がミセス・マクなんとかに? マッド・アイに擬態したクラウチを見破ったあなたが気づかなかったの?」

「全然わからなかった。祖母だよ、日本の」

「・・・国際魔法使い連盟の議長はお暇なの?」

「国連もクリスマス休暇らしい。ハリーが闇祓いを目指すなら女装を覚えることをお勧めする。諜報活動にはポリジュース薬だけじゃ足りないみたい。闇祓い時代に、スコットランドのマグルの女性に扮することに決めていて、その人が歳を重ねるごとに合わせて擬態することにしたんだって。本物のミセス・マクルーハンがアルコールに溺れたからどうしようかと思ったけど、逆に匂いや口調で自分本来の癖を隠し易くなったらしい。それで留守番電話にあったけどブラック家のハウスエルフの件って?」

「クリーチャー。年寄りのハウスエルフで、正直なところ、グレンジャーのリストに掲載することを迷っちゃうぐらいにいけ好かないの」

 

ああアレか、と蓮が呟いた。

 

「会ったことあるの?」

「わたくしの記憶で見たことなかった? わたくしはトンクスのお母さまに連れられてブラック家を訪ねたことがある。当時は空き家だったから、トンクスのお母さまの血族の魔法で中に入ることが出来た。そのときに腰を抜かして泣き出したハウスエルフがいた。『ベラさまベラさま!』って五体投地して拝んでた。確かにマルフォイの母親よりベラトリクス・レストレンジに似ているけど、狂犬ベラとドロメダおばさまの区別がつかないようじゃ、相当にボケてるよ」

「区別がつかない? 魔法的に弾かれるわけじゃないの? シリウスが言うには、あそこのタペストリーから名前を消された人はブラック家の一族とは見做されないって」

 

しばらく蓮が考え込む気配を感じてハーマイオニーは黙った。

 

「経年劣化する魔法だったか、術者の死亡で効果が切れる魔法だったか。そのどちらかだと思う。確かドロメダおばさまも『入れるかどうかわからない』って言いながらわたくしを連れて行ったから、もともとはそういう魔法だったことは確かだね。あ、そっか。クリーチャーはそう思い込んでいたから余計にドロメダおばさまを狂犬ベラだと思い込んだんだ、きっと」

「レン! それって問題じゃない? シリウスに教えて構わない?」

「ドロメダおばさまが入れたことは教えたほうがいいと思う。厄介なベラはアズカバンだし、忠誠の術もかかっているなら滅多なことはないと思うけど念のために」

「忠誠の術はかかってるけど・・・わたしね、クリーチャーが不安なの。ドビーはマルフォイ家に隷属した状態だったのにハリー救済のためにうろちょろしてたでしょう? でもシリウスは、クリーチャーには邸の中にいる限り好きにしろと言ってあるから問題ないって」

 

うーん、と蓮が唸った。

 

「シリウスって、少し大雑把なところがあるの。命令も、シリウスが考えてるイメージと違うレベルで受け取ることも出来るし、そもそもボケ気味のハウスエルフが命令をどの程度遵守するのか予想もつかないわ」

「・・・わたくし、ハウスエルフの専門家じゃないんだよ、ハーマイオニー。うちのハウスエルフはアレだし、ホグワーツのハウスエルフは平均年齢が若いから、そんな年寄りのハウスエルフなんて、見たことない」

「さすがにクリーチャーを『ようふく』にはしないわよ。今は騎士団の秘密を守るほうが優先だと思うから。だからこれはハウスエルフ解放戦線とは別問題。でも確かにそうね。あなたのハウスエルフ論はいつも微妙にズレてることはわかってる。それにしても、ハウスエルフをあんなに雑に扱っておいて家事雑事を任せきりに出来るなんて、魔法界って平和なのね」

「隷属の魔法があるからね。それに安心しきっている部分はあると思う。ま、そんなに嘆かないで。先々のあなたのハウスエルフ解放戦線のために調査ケースを蓄積しておくといい。たぶんそんな年寄りのハウスエルフは滅多にいないからね。ホグワーツに帰ったらウェンディを部屋に呼んでみるから、解説はしばらく待ってて。そろそろ時間切れだ。地の果てからの電話は不便だね」

 

挨拶を交わして電話を切ったあと、ふと蓮の雰囲気が変わっていたな、と思った。言葉遣いが雑なイントネーションになっている。また何か企んでいるのだろうか。

 

 

 

 

 

ホリディスクールの講義が終わると、グリモールドプレイスに立ち寄ることが習慣になった。

特にするべきことがあるわけではないのだが、お互いに顔を合わせて話したほうが安心出来ることは多い。今日はさらに特別だ。蓮と連絡がついたことを報告してやらなければならない。

 

「待ってたぜハーマイオニー!」

 

玄関に入るとロンとハリーが突進してきた。

 

「ちょ。な、なに?」

「僕ら重大なことに気がついた!」

「・・・わたしの性別とか?」

「なに言ってんだ、君は女の子だろ。去年から知ってる」

「はいはい。生まれたときから女性よ。それで? 今年は何に気づいたってわけ?」

「魔法史!」

「全然やってない!」

 

ちょうど階段を下りてきたジニーに「ねえ、ジニー。この人たちの頭をぶったら、わたしは理不尽な暴力を振るったことになるかしら?」と尋ねるとジニーが「知らないけど、わたしのことなら気にしなくていいわ。見なかったことにするから。それよりレンから電話だっけ? まだないの?」と応じた。

 

ハーマイオニーはテキストの入ったバッグでロンとハリーの頭を順に一発ずつ叩いてから「それを知らせに寄ったのよ。違います! あなたたちの課題のためじゃありません!」と答えた。

 

「ほんと? 元気だった?」

「大丈夫、元気だったわ。滞在先の牧師様が別の町に連れて行ってくださっていたみたい。旅行疲れで眠そうだったけど、他に問題はなさそうよ」

「良かったぁ。アンブリッジがピョンと跳ねて出てきたせいでややこしいことになってたらどうしようかと。あ、ハーマイオニー、クリーチャーにプレゼントをあげたでしょ? 昨夜やっと手をつけたわ。ほんとに嫌な奴。匂いを嗅ぎながらちょっとずつ齧るんだから。ただのチョコレートなのにね」

「『穢れた血の小娘がクリーチャーに毒を!』って疑っていても腹を立てないと誓うわ」

「お礼はちゃんと言いなさいって言っておいたから、会ったら聞いてあげてね。余計な飾りの部分は聞かない方向で」

 

 

 

 

 

「学校に戻りたくないって思うホリディは初めてだな」

 

羽根ペンを鼻と上唇の間に挟み、ハリーが浮かない顔をして言った。

 

「課題を終わらせない言い訳にはなりません。ほら、続きを書いて。国際魔法使い連盟の成立の経緯。あなたたちの友人のひとりは議長の孫よ。このぐらいは理解しなきゃ」

「だってハーマイオニー、アンブリッジの天下だぜ? 君はそんなところに戻りたいか?」

「アンブリッジがいようといまいと、わたしたちには魔法教育とその成果としてのOWL成績表が必要よ」

「出た、ハーマイオニーお得意のミニ・マクゴナガル」

「ハリー、あなた、DAを続ける意志はなくなったの?」

「・・・いや、あるよ。もちろんDAのために気力を振るい起こして戻るさ。ちょっとした愚痴だよ」

「うん。ハリーは特にそうだよな。箒も没収されてるんだし」

 

あれ取り戻せないかなあ、とロンが儚い願いを口にすると、ハリーの表情が曇った。素早くロンの脛を蹴り「ハリー、永遠に続くことじゃないわ。ね?」と急いで言う。

 

「うん、そうだね。ファッジとアンブリッジが失脚すれば終身クィディッチ禁止処分は有耶無耶に出来る。問題は、それに何年かかるかだ」

 

そうだ! とロンが脛の痛みから跳ね起きた。

 

「失脚させるのが得意な女がいたな。たしか」

「ああ、リータ・スキーターだ。レンとハーマイオニーに逆に失脚させられた」

「あいつを使おうぜ!」

 

ハーマイオニーはそのアイデアを頭の中のメモに書き込み「それにはレンが必要よ。学校に戻ってから相談しましょう。今はとにかく課題を終わらせて。お願いだから」と冷たく言った。

 

 

 

 

 

帰りの電車の中で、窓に映る自分の顔を見つめた。

 

ホグワーツに入学してからずいぶん身長は伸びた。まだまだ満足はしていないが、魔女としても成長してきたはずだ。

 

だが、この冬をマグルと魔法族と交互に接する中で、やはりハーマイオニーの中でマグルの大学に進みたいという気持ちは膨らむ一方だ。

 

魔女としての自分の人生を捨て去るつもりは毛頭ない。

 

それでも、魔法界だけを自分の居場所だとハリーのように一途に思い込むこともできない。ハリーにとって、ダーズリー家での不自由な生活からの脱出先が魔法界であり、長いこと存在を知らされなかった両親のメモリアルがそこここにある。魔法界こそがハリーが真実求めていたものを提供してくれる場所だ。

 

魔法界の中にハーマイオニーの求めるものはあるだろうか。

 

真に燃え立つに値する何かが。

 

この冬はそんなことを繰り返し考える冬だった。

 

少なくともリドルの撃滅にはそれほどの魅力は感じていない。撃滅されるべき勢力だとは思うし、そのための労を惜しむこともない。しかし、人生を賭する気になれないのも確かだ。考えてみれば、ハリーやロンと意見が合わないのはいつもその温度差によるものだった気がする。

 

ーーリドルを倒したあとの人生のほうが長いのよ

 

頭の中のどこかで、そんな自分自身の声が聞こえる。

 

ハーマイオニーの中にわだかまるのは、その問題だ。以前はマグル生まれであることが魔女として不利ではないかという不安から教科書や資料にしがみついていた。

ホグワーツに入学して5年目ともなれば、その不安はいつしか薄らいだ。

 

その代わりに芽生えたのは、どんな魔女になりたいか、そのイメージが、蓮に八つ当たりのように、ロールモデルが少ないと指摘されて以来、ハーマイオニーの胸から離れない不安だ。

 

駅を出ると、シティの上にどんよりとした雲がかかっているのが見えた。

 

まるで今の自分だ、とハーマイオニーは思った。先が見えない。

リドルを倒す、それだけを一途に思い込めるほどには、ハーマイオニーの中に根深い感情は存在していない。義憤はある。正しいことで、必要なことだ。

 

しかし、今のハーマイオニーが欲しい答えは「その先」にあって、ハウスエルフ解放戦線を構想しているのも、「その先」のイメージを求めているからだ。殊に、ドビーがハーマイオニーに応えてくれた日、ケニーが「お友達!」と誓ってくれた日を思い出すと、今でも心が震える。多種族との間に友情を交わす、その喜びを知った。

一方で、クリーチャーに対してはどうしても好意的になれないことも自覚している。

自分に好意的なハウスエルフにしか好意を抱けないのなら、これは一種の偽善だとも思う。

 

ハリーと違ってハーマイオニーは学校に戻る日が近づいていることを歓迎している。たとえアンブリッジがいようとも、アンブリッジの監視下にあろうとも、あそこには蓮がいる。口数少なく、ぼんやり考え事をするときにはまったく頼りにならないが、必ずハーマイオニーの話に耳を傾け、ハーマイオニーが言語化出来ないでいるささやかな襞まで掬い取ってくれる唯一の人間がいる。

 

この薄暗く寒い空の下では、十全に理解し合える人間にはそう簡単に巡り会えるわけではないのだ。

 

 

 

 

 

「クリーチャー?」

 

ボイラーの下の巣穴に向かって呼びかけてみる。

もう明日には学校に戻るというのに、あれからクリーチャーには会えなかった。もちろんハーマイオニーから探したわけでもない。

 

しかし、出来れば学校に戻る前に挨拶ぐらいはしておきたい。

 

巣穴にクリーチャーの姿はなかった。諦めて立ち上がりかけて、何か光るものが見えた。「クリーチャーの寝室」というプライバシーに触れることは躊躇われたので、その場にうずくまったまま、目を眇める。

 

「なるほど」

 

思わず声を出してしまった。

 

薄汚れた布地の間から、銀の輝きが見え隠れしている。

 

誰も主人のいない邸にひとりきりのクリーチャーにとって、孤独を癒すのは銀器磨きだったのかもしれない。

ハウスエルフには光り物を有り難がる傾向でもあるのだろうか。蓮によればウェンディの趣味は諜報活動と金貨を数えることだ。

 

ハーマイオニーはそのまま立ち上がった。

 

無くなったことを騒ぎもしないシリウスに教える必要はないだろうと判断した。シリウスはブラック家伝来の銀器を並べたディナーなどより、フィッシュ&チップスやピザを好んでいる。

 

しかし。

 

ひそかにウェンディにだけは教えよう、と気に留めておくことにした。

 

 

 

 

 

パチン、と軽やかな音と共に現れたウェンディは、まず蓮の髪がウェンディの規定より0.8センチ伸びていると小言を言ってから、ハーマイオニーに向き直り、スカートの裾をつまんでお辞儀をした。

 

「お久しぶりです、ハーマイオニーさま。先に姫さまにお小言をしてしまいまして、失礼いたしました。ウェンディは我慢ができないものですから」

「いいのよ、気にしないで。レンの身の回りのことはウェンディのお仕事だものね。わたしが勝手な用件であなたと話したいと思っただけ」

 

ウェンディは大きな瞳をパチパチと瞬いた。

 

「ウェンディ、あなたはブラック家のクリーチャーを知ってるかしら」

 

ああ、と顔をしかめ「ハウスエルフらしいハウスエルフですわ。最長老格ですの。要するに若干ボケの気配があるのですわ」とまとめて回答してくれた。

 

「あなたはブラック家の邸に行ったことはある?」

「ご主人様であるブラック家の方々がいなくなりやがってから何度か。ですが、忠誠の術がかけられてからはぱったり行きませんわ」

「忠誠の術はハウスエルフにも有効?」

 

ウェンディはパタパタと耳を鳴らして首を振った。

 

「あなたが行こうと思えば行けるの?」

「はい。ですがハーマイオニーさま、ウェンディは奥さまから魔法族の忠誠の術は尊重するように申しつけられております。よほど守りたい秘密がある時にしか使わない術ですので、出入りが見咎められては危険だからと」

「ええ、もちろんそうだわ。大丈夫、あなたが今までに知ったことを聞きたいだけ。クリーチャーのお部屋は知ってる?」

「ボイラーの下の巣穴のことでしたら」

「クリーチャーはそこにどんな宝物を仕舞っているのかしら」

「たいていは、ブラック家の銀器ですわ。ゴブリン製のものが多いので売れば金貨になるのですが、クリーチャーにとっては主人であるブラック家の方々の宝物ですから売る気は無いそうです」

「か、買わないから問題ないわよ。そういうことって、ハウスエルフにとっては正しいこと? つまり、お仕事のためとはいえ、銀器を自分の部屋に持ち込むことは」

「主人を失ったクリーチャーにとっては、銀器を磨くことが唯一お仕えする方法でしたから、仕方ないのだと思いますわ。もちろん正しくはありません。新たにきちんとした主人が出来た以上は銀器はあるべき場所に戻さなければいけないのです」

 

でも、とウェンディは顔をまたしかめた。「あの通りボケていますから、正しいかどうかわからないのでしょう」

 

ハーマイオニーは胸を撫で下ろした。どうやらハーマイオニーの察するところとウェンディの察するところに大した差異はなかったようだ。

 

「わたしは気づいたけど、クリーチャーのご主人さまに言わないまま来てしまったの。やっぱり知らせるべきかしら」

「今のご主人さまは駄犬でしたわね。言わなくてもいいと思いますわ。銀器とアルミホイルの区別もつきませんから。それに、クリーチャーはあの銀器から命令を受けているので」

「・・・は?」

「そういう妄想だと思いますわ。とにかく『レギュラスぼっちゃまのロケットがクリーチャーに正しいしもべの在り方を忘れさせないようにしてくださる』としか言わなくなりましたの。あの中にレギュラスぼっちゃまのロケットがあるのでしょうね。とにかく下手に取り上げると、たいへんな騒ぎにしてしまうことは確かですから、放っておくのが平和かと」

 

ハーマイオニーはぽかんと口を開けた。

 

「ロケットが、命令?」

「ウェンディもロケットに命令されるしもべはクリーチャー以外に存じません。たぶん妄想ですわね」

 

黙って髪を魔法で切りながら耳を傾けていた蓮が口を挟んだ。

 

「例えばどんな命令?」

「存じません。正しいしもべの在り方を教えてくださると言っていましたから、具体的な命令というわけではなさそうです。単にレギュラスぼっちゃまをお慕いする気持ちが掻き立てられるのではないでしょうか」

「慕う相手はレギュラスだけで、シリウスのことは慕っていなかったの? ブラック家の直系ならシリウスもそうだよ」

 

ハーマイオニーがこれに答えた。「シリウスは子供の頃からブラック家の家風に合わないとクリーチャーから辛く当たられたそうよ」

 

「その通りでございます、ハーマイオニーさま。クリーチャーは駄犬のことは尊敬していませんでした」

 

しばらく考えた蓮は眉をひそめて、またウェンディに尋ねた。

 

「レギュラス以外でクリーチャーが慕う相手は?」

「ベラトリクスのことは慕っているわけではありませんでしたが、恐れていました。ナルシッサの名前はほとんど聞いたことがありません。ドロメダさまがタペストリーから消されていなければ、ドロメダさまをお慕いしていたと思います。タペストリーの焼け焦げを指で撫でて泣いていましたから」

 

これにハーマイオニーの胸は締め付けられた。しかし、蓮にはその種の感傷の持ち合わせはないようだ。

 

「ドロメダおばさまのしもべに対する接し方は、お母さまと同じタイプだよね?」

「はい姫さま。ウェンディは奥さまがレイブンクローにいらした頃、何度かスリザリンのドロメダさまにお手紙を届けに行きました。まったく正しい魔女のお振る舞いでしたわ」

「とすると、レギュラスも正しい魔法使いのお振る舞いだったのかな」

 

独り言のように蓮が呟くとウェンディは大きく頷いた。

 

「そうだと思いますわ。あれだけ長生きしていますから、ブラック家の隷属の魔法に拘束された範囲でも多くの魔女や魔法使いに会ったことでしょう。中にはしもべに対して礼儀正しい魔法使いや魔女もいたはずです。いくら隷属の魔法に縛られていても、その中で正しく扱ってくださる方をよりお慕いする気持ちは止められません。駄犬に辛く当たったのも、駄犬の扱いが悪かったせいもあるでしょう」

 

そんな、とハーマイオニーが声をあげた。「シリウスはそれほどひどい接し方はしなかったわ。いないもののように振る舞いはしたけど、小さい頃に傷つけられたから心を許せないだけだって」

 

蓮がこめかみを指でぐりぐり押さえながら「ハーマイオニー、それはたぶん・・・」と言いかけるのにかぶせて、ウェンディが「ウェンディがフライパンで性根を叩き直しました!」と断言した。

 

「・・・あ」

 

忘れていた。シリウスはグリモールドプレイスに帰るまで約1年の間、ウェンディのもとで飼われていたのだ。

 

「だったら、それほど間違った扱いはしないわよね」

「シリウスの方はね。問題はクリーチャーが今そういうシリウスの変化に気づくかどうか、それから、ナルシッサ・マルフォイがクリーチャーのことを思い出すかどうか」

 

蓮の呟きは甚だ不吉な予感に満ちていた。

 

 

 

 

 

夕食の席で早速アンブリッジから呼び出しを受けた蓮が部屋を出て行くのを見送って、ハーマイオニーとパーバティは顔を見合わせた。

 

「めっずらしい。レンが制服を着崩してる」

「それに、言葉遣いも少し雑ね。入学前に戻りつつある感じだわ」

「入学前?」

「ええ。ほら、わたしは9月生まれ、レンもそうなの。許可証が来てから入学までに1年ぐらい時間があったから、その間に会ったことあるのよ。まるで男の子みたいだったわ。うちのパパがひと目でレンのパパを思い出すぐらい。今のあの言葉遣いやきちんとした制服の着こなしは入学前の特訓の成果よ」

「休暇中に何かあったのかしら」

 

ハーマイオニーは首を捻った。マクゴナガル先生の監視下にあったのだから、それほどひどい環境ではなかったはずだ。

 

「そういえば・・・お母さまには会ったのかしらね」

「え?」

 

パーバティの疑問にハーマイオニーはまた首を捻った。

 

「お母さまの話、しなかったでしょう、ずっと。ウェンディのことも滅多に呼び出さなかったのに、今日は素直に呼んだじゃない? 心境の変化があったのかも」

「良いほうに? 悪いほうに?」

「それはハーマイオニー、あなたのほうがわかるんじゃない?」

「うーん・・・悪くはない、と思うけど。レンって、怒ると温度が下がるタイプよね。目の色が薄くなって冷たい感じになるの。今日はそんな感じしなかったもの」

「でも服装と口調だけは荒んでる」

 

ハーマイオニーは頷いた。

 

「ま、しばらく様子を見ましょう。あの人、意外と手がかかるの」


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