サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

113 / 210
第12章 黒い川

2日空けてグリモールドプレイスを訪ねると、ハリーは目に見えて機嫌が良くなっていた。ジニーが「例のあの人に取り憑かれたわたしにどうして確かめないのよ?」と一喝しただけで憑き物は落ちたようだ。たった3年前とは見違えるほどに成長したジニーは、どういうわけかハリーを深く理解するようになっている。ジニーの一言は効果抜群なのだ。

 

「まったく現金なんだから」

 

ハーマイオニーは首を振り、ジョージを探した。

 

「やあハーマイオニー、連絡はついたか?」

 

探すまでもなく向こうから出てきたが。暇過ぎて玄関を見張ってでもいるのだろうか。

 

「ついたわ。元気そうだったわよ」

「いったいどこにいるんだい?」

「スコットランドで最も尊敬するべき偉大な牧師様のいらっしゃる牧師館」

「話電は出来るのか?」

「わたしはね。レンのほうからかかってくるだけだから、あなたが話すのは無理だと思う。ついでに言うと、話電じゃなくて電話よ、ジョージ。マグルの元非行少女とシェアハウスなんですって。機密保持法と話電の組み合わせを考えると、ちょっとね」

 

ジョージの表情が暗くなった。

 

「元非行少女? 大丈夫なのか、そんなところで」

「ちゃんと牧師様が監督していらっしゃるわ。ただ限られた時間しか話せないの」

「どうして?」

「電話には料金がかかるのよ、ジョージ。そうそう長電話は出来ないの」

 

不便だな、と言いながらジョージが1冊の雑誌を差し出した。

 

「シリウスがこれを君にやるってさ。何の研究だい? ずいぶん古ぼけた『変身現代』だ」

 

ハーマイオニーはジョージの手からひったくるように受け取った。

 

「最高だわ」

「だから何が?」

 

メモにはシリウスの走り書きで「私が学生時代に読んだインヴァネスのロス家に関する記事が載っている。なかなか面白い。ザ・クィブラーにスタビィ・ボードマンよりロス家の特集をしろと勧めるべきだ」と書いてある。

 

「なんてことよ。変身現代は真面目な雑誌なのに、クィブラーと一緒にするなんて」

 

いたく憤慨しながら、ハーマイオニーはそれを大事にバッグに仕舞った。

 

 

 

 

 

ウィンブルドンの自宅に帰るや否や、ハーマイオニーは自室に飛び込み、コートを脱ぐのももどかしく、シリウスから貰った古い「変身現代」を開いた。

 

特集記事の最初の見開きは、おそらくネス湖のほとりに建つアーカード城だ。特集記事のタイトルは「ハイランド地方の古城における古代魔法」となっている。

 

最初の写真がネス湖という時点で胡散臭い。

 

ハーマイオニーは腕組みをして唸った。蓮がいみじくもルーナを表現するのに使った「ネス湖のネッシーみたいな話」は母とハーマイオニーの苦手分野だ。自分が魔女でさえなければ、魔法の存在など信じはしなかった。

 

しかし、偏見を排して考えるならば、ハイランド地方の古城という意味ではホグワーツも同じだ。ロウランドとの境界近く、グレン・フィナンという西部ではあるが、ホグワーツは間違いなくハイランド地方の古城のひとつである。マグルには見えていないだけで。

 

急に焦りは消えて、ひとまず上着を脱いでお茶を淹れることにした。

 

キッチンでは母がランスの祖母と電話で話している。

 

『そうなの。ハーマイオニーがね』

 

わたし? と自分を指差して顔を出すと母は顎の先で頷いた。

 

『ええ。この休暇は帰ってきてるわ。マグルのためのホリディスクールに通っているの。そうよ。だからスイスなんかにスキーに行ってる場合じゃないの。はいはい、スキーはヨーロッパに限るわ。それはもちろんよ。でもね、ママ、ハーマイオニーはもう16歳なの。ランスの優秀な魔女学校の生徒に負けないぐらい優秀な魔女と認められるために欠かせない試験がある年齢。ええそう。学校にいる間はマグルの勉強をする時間が足りないから、ホリディに集中して頑張っているの。そうよ、ママの孫ですからね。どちらの世界でも頑張り屋よ』

 

ティーポットとカップを持って足音を立てないように部屋に戻る。

 

スイスに一緒にスキーに行くのを楽しみにしていた祖母には申し訳ないが、はっきり言って、両親と祖母に囲まれてスキー、というホリディの過ごし方に魅力を感じないのも確かだ。

 

カップに紅茶を注ぎ、変身現代に目を落とす。

 

「ホグワーツ特急が通過するグレン・フィナン高架橋からの景色を覚えている読者も多いはずだが、ご存知の通り、ホグワーツはハイランドにおける古代魔法の牙城と言われる。しかし、ホグワーツに限らずハイランド地方と言えば、マグルにも知られた古城があちこちに残された、まさに呪い破りにとっての楽園だ」

 

呪い破りといえば、魔法界における考古学者だ。確かロンの長兄はこの夏までエジプトでピラミッドの調査をしていたはずだし、蓮のコーンウォールのグラニーも若い頃に呪い破りとしてイギリスに来たはずだ。

ハイランドの古城それぞれに秘された魔法的守護についての記事を興味深く読み進めるうちに、やっとハーマイオニーの探す名前が登場した。

 

「スコットランド王国に仕えたロス家が高名な変身術者を輩出してきたことはよく知られているが、なぜイングランドのウィンストン家のような防衛術の専門家ではなく変身術の専門家がスコットランド王国では重用されたのか。その謎がまさにハイランド地方の古城には隠されているのである」

 

思わず「防衛術の専門家」と呟いた。確かにそうだ。代々の闇祓いといえば、防衛術の専門家と表現してもおかしくない。

 

「グリンゴッツ呪い破り部によれば、マグルにも有名な古城のほとんどはすでに調査が完了している。ここまで縷々述べてきたように、ハイランドの古城における魔法的守護の多くは、呪いではなく変身術による武力増強が特徴である。ハイランド兵がヨーロッパ屈指の屈強な武力であったのと同様に、ハイランドの魔法的防衛は変身術により力を付与されたガーゴイルや甲冑が屈強な武力として機能していたのである。残念ながらロス家はもはや直系の血族は断絶してしまっており、城砦守護の手法に関する詳細なインタビューは不可能である。しかし、マグル側の資料を調査してみると、ロス家の邸はあるマグルの開業医によって相続されていることがわかる。スコットランドのロード・オブ・パーラメントの地位を築いていたロス家には、当然ながらマグル界の資産も残されており、その相続人がマグルであっても不思議ではない。しかし、残念ながら彼は牧師の息子であり、親族に魔法族がいたことすら知らない可能性が高いため、編集部としては魔法族の秘密保持の義務により、直接取材を断念せざるを得なかった。もしそうでなければ、古代変身術の宝庫たるハイランド地方の古城について、逐一調べ上げることも出来たであろうに」

 

シリウスがクィブラー並みの眉唾ものだと評価したのも頷ける、なんともはっきりしない結論に終わっていた。

 

しかし、ハーマイオニーはシリウスの持たない情報を持っている。

 

マクゴナガル先生の実家は牧師館なのだ。

 

 

 

 

 

ハイランドの川の水は黒い。ごく稀な晴れ間を見つけて岬まで散歩する。なだらかな荒地の合間を流れる小さな川もやはりグランパの飲むスコッチの色より濃いアンバーだ。荒地ではハイランドキャトルと呼ばれる長毛種の牛がアザミらしき草を食んでいる。岬の向こうには、晴れていればオークニー諸島がぼんやり見える。

 

長い毛が縒れて凍った牛たちが僅かに与えられた陽光を楽しむように、蓮は僅かな休暇を味わっていた。

 

最初に晴れた日には、ロバート氏に頼んでインヴァネスまで買い物に連れて行ってもらった。

ホグワーツで着ていた衣服でケイスネスのクリスマスを過ごすのは無謀だ。家の中ならともかく、付近を散歩することも出来ない。そのため、衣類をまとめ買いしなければならなかった。

 

ジ、とダウンのインナー付きのマウンテンパーカーのファスナーを一番上まで上げて、がっしりしたワークブーツで足元を固める。

 

この夏にはただの1秒も与えられなかった孤独が、ここにはたっぷりとある。

 

ミネルヴァは自室に閉じこもるか居間でスコッチを飲むだけ。ミセス・マクルーハンも同じ。たまにミセス・ロングボトムが来る。

 

ミセス・ロングボトムがプレイステーションに化けの皮剥がしの呪文をかけるのに居合わせた時には血の気が引いたが、発音が不正確だったのか呪文が不発でホッと胸を撫で下ろした。

 

マダム・ポンフリーも来ているようだ。お茶を飲むだけの短い滞在がほとんどらしく、蓮には最初の訪問の際に、真実薬の大量長期間投与の後遺症がないかを検査した時以外は顔を合わせない。

 

不死鳥の騎士団婆さん支部はどうやらデイケア施設らしい。少なくとも大して活動的ではない。

 

しかし、とオークニーを眺め遣りながら、蓮は目を眇めた。こういうメンバーが揃っていながら、1人足りない。

おそらく祖母は日本かニューヨークにいるはずだ。年末の神社業に精を出しているなら日本、もしかしたら神社を人に任せて国際魔法使い連盟に専念しているのかもしれない。

祖父がカルカロフの後任が選任されるまでの中継ぎにダームストラングの校長になってしまったから、日本の魔法省に掛け合って近隣の神社に業務を委託する話が出ていることは夏に聞いた。

 

蓮は、日本の自分の居場所まで失いつつある。

 

「進路、か」

 

アンバー色の波打ち際で蓮は呟いた。

 

昨夜、ミネルヴァが4月の進路指導までに将来の職業を選ぶようにと無愛想に言った。「選ぶのはあなた自身です。あなたの将来なのですから」

 

大人たちは勝手な言い草ばかりを、蓮に押しつける。「選ぶのはあなた自身だ」と言いながら、ポンコツなイギリス魔法界以外の居場所を奪っていく。

 

「・・・めんどくさいな。闇祓いでいいじゃん」

 

イギリス魔法界以外に居場所がなくて、結局ウィンストン家を継がなければならないのなら、闇祓いでいいだろう。ダイアナの護衛官になればウェンディも喜ぶ。

 

なげやりにそう考えるたびに、ドーラに言われた「闇祓いには向かない」という言葉が脳裏をよぎり、ざらりとした違和感を無視できなくなる。「闇祓いなんて大臣様の御意向には逆らえない」という言葉がさらに蓮の中にあるアンブリッジへの怒りを思い出させる。

 

ホグワーツを我が物顔に、悪趣味な指輪をはめた、ずんぐりした醜悪な手で弄り回すアンブリッジ。

ホグワーツに、不和と不信と敵対を蔓延させるアンブリッジ。

死喰い人やディメンターのほうがまだマシだ。アンブリッジは自分の権力基盤のためだけに、不和と不信と敵対の構図を作り出そうとしている。学校での蓮はまんまとその道具にされている。

その中でなんとか足掻いてはいても、口を塞ぎ、手を捥ぎ、足を斬られていくのだろう。次々と出される教育令によって。

 

闇祓いになるとはこういうことか、と思うと、「闇祓いを目指します」とさえも言えなくなる。

 

泥炭質の土壌を潜り抜けて流れ出す、ハイランドの黒い水。その黒く澄んだ流れの中に答えはない。

 

 

 

 

 

ハリーとロンのチェスを横目に、ハーマイオニーは実践的防衛術の本をめくっていた。休暇明けからハリーの予定では守護霊の呪文の練習を始めることになっている。

しかし、DAはともかく、騎士団ジュニアとしてのハーマイオニーは、死喰い人に対抗するには何が必要かを考えずにはいられない。

 

「陣地取り、よね」

 

チェスの盤面を見て思わず呟いた。ロンが「そうさ。チェスは陣地取りでもある」と頷く。

 

「本物の戦争もだろ」

「キングを取る、つまり城を取れば勝ちだな、うん」

 

そうなのよね、とハーマイオニーはぼんやり呟いた。ハリーが顔を上げ「ハーマイオニー?」と怪訝な顔をする。

 

「リドルくんはやっぱりホグワーツ城が欲しいはずよ」

 

君さあ、とロンもチェスの手を止めた。「ハリーも言ってたけど、なんていうか、例のあの人のことをなんでそんな風に呼ぶんだい?」

 

「ロン、君もだよ。例のあの人じゃなく『ヴォルデモート』! 名前を恐れることは、奴の虚像に力を与えることになる」

「ハリー、その名前、どういう意味かわかってる?」

「え? 我はヴォルデモート卿、トム・マールヴォロ・リドルのアナグラムだろ? 意味なんてあるのか?」

 

ハーマイオニーは「フランス語なの」と溜息をついた。「ヴォー・ドゥ・モール。直訳すると、死の飛翔とか死の跳躍。アイ・アム・ロード・ヴォルデモートじゃなくて、アイ・アム・ロード・ヴォードゥモール。我は死を超えた高貴なる者と言いたいんでしょうね。だからわたしは彼を死を超えた者とは呼ばない。テロリスト、裁かれるべき犯罪者よ。犯罪者らしく登録された本名で呼ぶわ。出生証明書に書かれた名前でね」

 

ハリーとロンはじっとハーマイオニーを見つめた。

 

「ハーマイオニー、このままじゃヴォルデモートは犯罪者ではなくなるんだよ。アンブリッジみたいな奴が魔法省の高官だ。レンのママはもうそうじゃない。キングズリーやトンクスだって思うように動けない。ヴォルデモートを捕まえて裁くことは難しい。ダンブルドアでさえアンブリッジみたいな奴をホグワーツから追い出せないでいる」

 

ハリーがそっと言う。ハーマイオニーは頷いた。

 

「もちろんわたしだって簡単なことだとは思ってない。でも何事も基本を見失っちゃダメだと思うの。ヴォルデモートだから倒すのではなく、禁じられた手段で魔法界に混乱と恐怖を与えた犯罪者。その根幹を忘れちゃいけないのよ」

「ハーマイオニー、君、そんなことを考えてるなら魔法法執行部に入るべきだな」

 

ロンが茶化すように言い、ハーマイオニーは頷いた。「そのつもりよ。でもその前にハウスエルフ解放戦線をどうにかしたいし、マグルの大学でマグルの法学も勉強するべきだと思うの。魔法界の法律ったら本当にめちゃくちゃ。あの教育令の連発だけでもパパやママが知ったら魔女なんかやめろって言われるに決まってる」

 

「パパやママには秘密なのかい?」

 

言うわけないでしょ、ぴしゃりとハーマイオニーは言った。「わたしはこんなこと両親に教えるほど馬鹿じゃないわ」

 

「君が魔法法執行部に入ったら、闇祓いになった僕らは君の指示で働くことになるわけだね」

「あら、嫌なの?」

 

悪くないよ、とハリーは笑って言った。「君とレンが決めるプランに間違いはない。僕はそう信じてる」

 

「レンはどうするんだい? 君たちそのぐらいは話すだろ?」

 

ハーマイオニーは首を振った。

 

「わたしたち、今年は本当にシリアスなことは何も話さないの。そう決めてるわけじゃないわよ。でも、アンブリッジの部屋から毎晩疲れて帰ってくるのを見てると、シリアスな話を持ち出して余計に疲れさせたくないと思っちゃう。いくら耐性があっても毎晩真実薬なんて強い薬を飲まされて尋問よ。これって犯罪者の扱いだわ。本当に腹が立つ。そんなときに、将来の進路だなんてストレスになる話題だと思う。レンは特に国籍の問題もあるでしょう? だから、それは避けて、もっと気楽な話ばかりね」

 

怪しいなあ、とハリーとロンが顔を見合わせてニヤニヤ笑う。

 

「なにが?」

「レンはゴーストを掌握したように、一部のハウスエルフも掌握したんじゃないかな? なあ、ロン」

「ああ。今までは、僕とハリーが厨房に夜食貰いに行くと『ハリー・ポッターとそのお友達!』だったのに、最近じゃ『姫さまのお友達のお友達!』って格下げされて大歓迎されるんだぜ。もしくは『ハーマイオニーさまのお友達!』『パーバティさまのお友達!』ってな」

「君の言う『陣地取り』なら、レンは少しリードしつつあると思うよ。ホグワーツ城のハウスエルフは『姫さまとそのお友達』の味方だ」

 

ハーマイオニーは「鋭いわね」と苦笑した。「でも進路のことは本当に話してないわよ」

 

「なんでだい? 君は何だかわからないけど、目的が定まってるだろ?」

「レンは迷ってるのよ。迷ってるし、参ってる。目の前のアンブリッジに対処するだけで精一杯だわ。それにはっきり言ってしまうと、レンの将来の仕事なんて決まりきってると思う」

「ウィンストン家の後継ぎだもんな、やっぱり闇祓いだ」

 

ロンの言葉にハーマイオニーは首を振った。

 

「じゃ、なんだよ?」

「教授よ。変身術か・・・闇の魔術に対する防衛術の。最終的には校長かしらね。なにしろ現時点ですでに『ホグワーツ城の姫さま』なんだから」

 

ああ、とハリーはこっくりと頷いた。「イメージ出来る。教える仕事はすごく合ってると思う。特に防衛術だな。変身術はマクゴナガルがいるけど、防衛術は毎年毎年・・・ルーピン以外は、みんな何かしらヤバかった」

 

ハーマイオニーは重ねて言う。

 

「防衛術の教授は、ヴォルデモートが最初に欲しがった職なの。ダンブルドアがその求職を断った。それ以来、じつは1年以上防衛術の教授でいられた先生っていないの。ヤバかったかどうかはわからないけど、ルーピン以外の3人を見れば他の人もお察しね」

 

うええ、とロンが身を震わせた。「例のあの人の呪いだって噂だろ。やりそうだよな」

 

「そうなの。ホグワーツをリドルくんだとか他の闇の魔法使いから守る為には、教授陣が強固な防衛陣地でいなきゃいけないのに、防衛術っていう大切な一角に常に穴がある。これって問題じゃない? リドルくんが復活したこの大事な時期にアンブリッジなんかの介入を許したのは、防衛術の教授が見つからないからよ」

「よくわかるよ、ハーマイオニー。DAをやってて僕思うんだけど・・・DAは応急処置だ。みんなに大なり小なり危機感があって、そんなときの教授がアンブリッジみたいな奴だから、身を守る為に必要な最低限のことをトレーニングしてる。それはそれで大事なことだけど、ほんとならDAを必要としない体制が整っているのが一番いい」

「本当にそうだと思う。普通の魔法使いや魔女がリドルくんを怖がる理由のひとつは防衛する自信がないせいじゃないかしら。大臣までそうだわ。ディメンターを護衛につけてクラウチ・ジュニアと面会する大臣よ。とんでもないでしょ?」

 

ロンが目をパチパチと瞬いた。

 

「護衛をつけなきゃいけないなら仕方ないんじゃないのか?」

 

これにはハリーが頭を振った。

 

「ロン、ディメンターは護衛なんかじゃない。ハーマイオニーがワールドカップのときに言っただろ。SPだよ。きちんとした訓練を受けた専門家・・・魔法界なら闇祓いとか。闇祓いは護衛も任務のうちだから、闇祓いを連れて回るべきだ。ハーマイオニーはそう言いたいんだろ?」

「ええ、そうよ。闇の生物に護衛してもらう。そういう発想しか出来ないのは問題よ。そういう人が育ってしまうのは、防衛術の教育に問題があるからだわ」

 

でもそれは、とロンは抗う。「レンに押しつけるのはやめようぜ。君が防衛術の教授になればいいなんて。消去法みたいだ」

 

ハーマイオニーもハリーも頷いた。

 

「別にレンじゃなくても構わないのよ、ロン。リドルくんをやたらに怖がらず、理論を理解して噛み砕いて教える知性があり、実習のときの事故を防ぐだけの実践力がある人なら」

「あまり思い当たらないけどね」

「ウィンストン家が代々闇祓いを輩出してきたという暗黙の了解を切り離して考えるなら、っていう仮定の話だもの。その部分が解消されない限り、こんな話、レン本人に余計なストレスを与えるだけでしょう。でもわたしとパーバティはそうなると良いと思ってるわ」

 

 

 

 

 

「あなたは進路はどうなさるおつもり?」

 

ラストボスとのバトル、大量に投入した召喚獣のバトルエフェクトが延々と派手に続く合間に、ミセス・ロングボトムが杖先で、テレビを検査するような目付きをしてコツコツ叩きながら不意にそんなことを切り出した。

 

「まだはっきりとは決めていません、ミセス・ロングボトム。あの・・・杖はちょっと・・・魔力はテレビに悪影響があって」

「弟ロバートの言うことなど気にしなくてよろしい。ネビルはいったい何を考えているやら。両親ともに立派に戦った闇祓いだというに、よりによって薬草学しか出来ない有様では」

 

極めてマイペースに自分の求める話題を貫き、嘆くようにふりふりと頭を振る。

 

「ネビルの薬草学は素晴らしいと思います、ミセス・ロングボトム。スプラウト先生に代わって、ほとんどの温室を管理出来るのですから。新しい植物の栽培にも熱心で、ミンビュラス・ミンブルトニアをスコットランドの冬に栽培出来るのはネビルだけでしょう」

「気を使わずとも結構。あの子には気概と機転が足りません」

 

コントローラでアクションを入力しながら蓮は小さく笑った。

 

「言わないだけだと思います。スリザリンのドラコ・マルフォイをノックアウトしました」

「まあ! いったいどうして」

「ご両親のいらっしゃる病棟を侮辱するような発言が許せなかったからだと。ネビルはご両親を誇りに思っていますから」

「誇りに? しかし、ハリー・ポッターたちと病院でばったり出会ったときは顔を赤くして物も言いませんでしたよ」

「・・・わたくしも、隠しているわけではありませんけれど、家族のことを赤裸々に友人に打ち明けたりはしません。学校では他にたくさんの面白可笑しい話題がありますから、機会がないのです。打ち明ける機会がないまま病院でばったり出会ったのなら、そういう反応になると思います。決して恥じていなくても」

 

釈然としない顔のミセス・ロングボトムだったが、しばらく考え、何かしら得心がいったのか大きく頷いた。

 

「まあ良いとしましょう。マルフォイ家のイタチを成敗する気概は評価できる。ときにあなたは、あの子の両親のことを知っているのかえ?」

 

蓮は頷いたが「お会いしたことはありますが、ネビルは知りません。それこそマルフォイをノックアウトしたあとに、打ち明け話のように聞かされたので、お会いしたことを言い出しにくくて」と注釈をつけた。

 

「柊子の孫のくせにデリケートですこと」

「・・・はあ」

 

祖母もこの人にだけは繊細さについて評価されたくはないだろう。

 

「息子も嫁も立派な闇祓いでした。任務に忠実に、守るべき秘密を守ったからこそ、ああなるまで拷問されたのです。ネビルにもそれだけの気概を持ってもらいたいもの」

「・・・ミセス・ロングボトム、命に匹敵するほどの秘密とは何でしょう? ネビルにはセストラルが見えます。ご両親の容体をずっと見てきたからだと言っていました。もちろん任務に忠実でいらっしゃったことは素晴らしいことだと思いますが、出来れば嘘を告白して逃れるとか、他の手段を講じていらっしゃればと思わずにはいられません」

「ああ、そういうところはやはり柊子の孫だこと。常識外れなあなたがた一族以外の者が、磔の呪文を受けながら巧妙な嘘を考え出す余裕などありませんよ。歯を食い縛って秘密を漏らさない。それが精一杯ですとも」

 

蓮は黙ってコントローラを操作した。

 

「お待ちなさい! なんです、その魔法は?! このテレビとやらには録画が映し出されるのでは?!」

「・・・召喚獣です。これはゲームの映像に過ぎ」

「召喚、つまりパトローナスのようなものですか?! しかし攻撃力のあるパトローナスなど・・・しかし、ふむ、この魔法を身につければ戦力が飛躍的に増大するのではないかえ?」

 

そうですね、と蓮は力無くうな垂れた。

 

 

 

 

 

クリーチャーの陰気な呟きに、さすがのハーマイオニーもいささかうんざりしてきた。

 

「シリウス、クリーチャーのことだけど」

「何かやらかしたかい? 首を刎ねる口実を探しているのだがね」

「・・・そんなに嫌いならせめて『ようふく』に出来ない?」

 

シリウスは「ダメだ」と言下に断った。「ハーマイオニー、君がハウスエルフの地位について心を痛めているのは知っている。素晴らしく開明的だと感心してもいる。しかし、クリーチャーは別に考えて欲しい。あいつはダンブルドアより年上だ。その長い生のほとんどをこのブラック家に仕えてきた。ブラック家の血を引き、かつあのタペストリーから抹消されていない者を崇拝するように長い年月をかけて洗脳されてきたわけだ。死喰い人の中にどれだけブラック家の血を引く奴がいると思う? 『ようふく』にして敵方に引き渡すわけにはいかない。私がブラック家の当主である限りにおいて、奴は私の命令に逆らうことはできない。目障りだが仕方ない」

 

ハーマイオニーは溜息をついた。

 

「だってシリウス、ハウスエルフは本心からそう望めば、自由に外出出来るのよ。クリーチャーが騎士団側に忠誠を感じてくれるようにするべきだと思うの。まずはクリーチャーの主人であるあなたから」

「おいおいハーマイオニー。この邸で純血主義を否定しながら育った私がどんな思いでいたと思う? その半分くらいはクリーチャーによってつけられた傷だ。心から優しく親しく接することは無理だ。下手に甘い顔を見せてつけあがらせるわけにもいかない。少なくとも私は奴に家事仕事を命じてはいない。邸の中で過ごす限りは好きにしろと言ってある。弟の遺したローブに執拗にアイロンをかけても構わないし、母のブルマーの中に埋まって寝ても構わない。私を相変わらず侮辱することさえ許している。これ以上の譲歩はさすがに難しい」

「そう・・・でもシリウス、ハウスエルフの血に訴えてこちらの『お友達』になってもらう方法がないわけじゃ」

 

シリウスは面白がるようにハーマイオニーを見下ろした。「レンが成人したら頼んでみよう。そういう答えでいいかな?」

 

「・・・知ってるの?」

「私も高貴なる由緒正しきブラック家伝来の知識というものを持ち合わせていないわけじゃない。だがハーマイオニー、それが全てのハウスエルフに通じるとは思わない方がいい。クリーチャーは、もう年寄り過ぎる。私の母ならそろそろ首を刎ねることを本気で考える頃合いだ。ハウスエルフの血の訴えに鋭敏だとは考えにくい。むしろブラック家の血の濃さに反応する可能性のほうが高い。トンクスを嫌って激しく罵るのを見ただろう。あれは、トンクスがクリーチャーにとって丸っきりの他人じゃないからだ。タペストリーから抹消されたアンドロメダがマグル生まれとの間に作った娘。クリーチャーにとって、崇拝するべきブラック家の血が濃いにも関わらずタペストリーに記載されていない、激しく憎むべき存在だからだ。その状態ではハウスエルフの血の訴えと、長い年月かけて刷り込まれた価値観に引き裂かれたなら、精神状態が健全さを維持出来るとは思えない。今でさえまともとは言い難いのだから」

 

ハーマイオニーだってわかってはいる。ハウスエルフというのは、ヒトたる魔法族が盲点にしているからこそ、情報を得たいと思うならば利用されやすい。

 

「わかったわ、シリウス。騎士団の秘密を漏らさないことは重要だものね。でも、衣服以外のプレゼントを贈ったりおしゃべりするぐらいは構わない?」

「それは別に構わない。しかし、あんな奴だよ、ハーマイオニー。君に無礼を言うのは目に見えているが、それでもかい?」

「『穢れた血の小娘がクリーチャーに話しかけるぅ』の類の独り言なら聞き流すわ」

 

ドキっとした顔でシリウスがハーマイオニーを見た。身長からすればハーマイオニーを見下ろしているのに、なぜか上目遣いに見られているような気がする。

 

「・・・そんな言葉で自分を貶めるのはよせ」

「ちゃんとレンやロンから説明されたことがあるから、どんなにひどい言葉かはわかってるつもり。それより、わたしが知ってるのはそんなに驚くこと?」

 

いや、とシリウスがハーマイオニーから目を背けた。「リリーを思い出しただけだ」

 

「ハリーのお母さま? ああ、そういえばマグル生まれよね。ハリーの伯母さまは完全無欠のマグル純血主義らしいから」

 

シリウスは頷いて長椅子に腰を下ろした。

 

「リリーはもちろん優秀な魔女だったよ。正義感が強くて、優しげに見えるが芯は強かった。魔法薬学が得意中の得意でね。当時の魔法薬学の教授のお気に入りだった。レンの母上のレイにも可愛がられていたのはよく覚えている」

 

その隣に腰掛けて「同い歳だったの?」と尋ねると、シリウスは頷いて「ああ。リーマスと一緒に監督生を任されていた。ハリーには言うなよ?」と苦笑した。

 

「言わないけど、なぜ?」

「ハリーは当然と言えば当然だが、両親の足跡を追いたがる傾向がある。聞けば、クィディッチでシーカーになったときから、ジェームズに似ていると言われることを誇ってきたようだ。私にはハリーはジェームズよりもリリーの気質を受け継いでいるように思えるが、それを言うと今度はリリーの学生時代の姿を自分と比較するようになるだろう。監督生になれなくて魔法薬学の教授と致命的に相性の悪い自分とリリーを比較するのは、あまりに分が悪いじゃないか」

「・・・スネイプ、教授?」

「ああ。セブルス・スネイプ。あいつも同い歳だ。スリザリンの油ぎった髪をした、陰気な奴さ。ハリーと相性が良いはずがない。ジェームズとスネイプの相性も最悪だったのだから。ハリーにしてみれば理不尽なことだが、スネイプの目にはジェームズによく似た顔をしているというだけで憎む理由になる。だが、できれば君は奴に偏見を持たないで欲しい。私が言うのも説得力はないと思うが」

 

なるべくね、とハーマイオニーは頷いた。

 

「私だってクリーチャーを本心から許すことがまだ出来ないように、奴には奴なりの理由がある。もちろんおとなげない。私もスネイプもな。しかし、大人なんてものは、中身は単なる成人したガキなんだ」

「みんなそうだとは言えないんじゃないかしら。たとえばモリーおばさまは、すごく母性的な方だから、大人の責任を深く身につけていらっしゃると思うわ」

 

シリウスは首を振った。

 

「子供たちの母親としての責任感は素晴らしいよ。でも、彼女にも彼女なりの、若い頃の悲嘆や怒りはこのあたりに」とシリウスは自分の胃のあたりで手を振った。「押し込められたまま燻っている。モリーはね、ベラトリクス・レストレンジの同級生だったんだよ」

 

「ああ、アズカバンにいるあなたの従姉の?」

「そう。君たちがマルフォイやパーキンソンと相性が悪いように、モリーとベラの相性も最悪だったようだ。そのベラに弟たちを殺された。彼女の怒りがどんなものか想像できるかい? それは時間が経てば解決する問題か? 違う。身体の芯に刻まれて、いつまでも生々しく疼くのだ。そういうものを大人は皆隠し持っている」

 

ハーマイオニーはしばらく黙って考えた。

 

今の自分にはそこまで根深く強烈な感情の蓄積がない。それは幸福なのだろうか。

 

「・・・わたし、まだ子供なのね」

「ああ。だが、君のご両親は今のままの君でいて欲しいと願っているはずだ」

「ハグリッドも同じようなことを言っていたの。ハリーにはセストラルが見えないままでいて欲しいって」

 

同感だ、とシリウスは頷いた。「もちろん永遠に見えないままというわけにはいかない。だが、出来る限りゆっくりとその時を迎えて欲しい。なるべく安らかな形で」

 

「・・・安らかな?」

「親しい人の死に直面するにもいろいろなケースがある。戦いの中で唐突に若い命をもぎ取られるのではなく、年老いて病を得て、といった具合にあるべき段階を経て迎える死はある種の安らぎだろう」

「悲しくはないもの?」

「残念だがハーマイオニー、私はその質問に対する答えを持っていない」

 

首を振るシリウスの横顔は、ひどく老けて見えた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。