サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第10章 クリスマスホリデイ

ロンドン行きのホグワーツ特急のコンパートメントで早めにマグルの服に着替えながら、ハーマイオニーが「しばらく魔法抜きの生活ね」と呟いた。

 

「寂しい?」

「意外とそうでもないわ。ホグワーツにいると、魔法に関してはどんどん覚えることがあって楽しいけど、たまに気が狂いそうになるの。スネイプの陰謀だの賢者の石だの・・・そういう狭苦しいところから解放されて嬉しい気持ちもあるわ」

 

ハーマイオニーがそう言ってシャツを脱いだ瞬間、コンパートメントの扉が開いた。

 

「おいウィンス」

「きゃあっ!」

「死ね」

 

ノックもせずにコンパートメントに入ってきたマルフォイに、ちょうどスカートを脱いでいた蓮は杖を向けて、マルフォイを吹き飛ばした。

 

制服の白いシャツにネクタイをしたまま、ジーンズだけを素早く穿いてコンパートメントを出る。

マルフォイは顔を真っ赤にして腰を抜かしていた。

 

蓮は杖を首に当て「ソノーラス」と唱える。

 

「監督生、もしくは首席の方、ただちに変質者の捕獲に来てください。スリザリンのドラコ・マルフォイが女子生徒の着替え中のコンパートメントに押し入りました」

 

大音量で車内に響く内容にマルフォイが今度は青くなる。

 

腰を抜かしたまま、慌てて逃げていく。

 

「これでよし、と。ハーマイオニー? 大丈夫?」

 

コンパートメントに戻ると、着替えを済ませたハーマイオニーが額に手を当てて、頭を振っている。

 

「あなたって本当・・・容赦ないわよね」

「害虫に容赦が必要?」

 

ネクタイを解きながら蓮が言うと「一応人権を認めてあげて」と答える。

 

「それより、レンはどうしてクィレル先生が怪しいと思うの?」

 

シャツを脱ぐ蓮は、微かに眉を寄せた。「わたくしは、スネイプがハリーを憎んでいることは否定しないけれど、それとこれとは別だと思うの」

 

ぱふっとパーカーを着て、シャツとネクタイをトランクに押し込んだ。

 

「スネイプのハリーへの感情は脇に置いて考えると、ここ1年の間に人格が変わるような変化をしたのはクィレルよ。スネイプの評判は上級生の間でもひどいもの。ところが、クィレルに関してはマグル学の教授だったときには、穏やかで落ち着いた優秀な若い先生として、むしろ人気があった。今じゃあの通り」

 

シートに座り、長い脚をハーマイオニーの足の間に伸ばし、蓮は続けた。

 

「ハリーの話じゃ、713番金庫に不審者が侵入した日に、クィレルはダイアゴン横丁にいた。それから、クィディッチの試合の日。スネイプが呪いをかけ、クィレルが反対呪文をかけていたとみんな考えてるけど、わたくしは逆だと思うの。スネイプがハリーを疎んでいることは誰でも知っていることよ。公衆の面前であんな危険な真似をしたら、スネイプが怪しまれて当然。スネイプのハリーへの悪感情を隠れ蓑にしたい人だけが、クィディッチの試合でハリーに事故を起こさせてメリットがある。スネイプにはないわ。あとは、わたくしの勘ね。一応闇の魔術に対抗する魔女の一族だから、あのターバンからはそういう気配を感じるというだけ」

 

ハーマイオニーは考え込んだ。

 

「わたしは一理あると思うけど、ロンとハリーは納得するかしら?」

「しなくてもいいんじゃない?」

「え?」

「ね、ハーマイオニー。スネイプがハリーを憎んでいることはどうしようもないわ。人の感情の問題ですもの。ハリーは身を守る必要は確かにあるけれど。賢者の石を狙っているのが誰であれ、渡すわけにはいかない。それとこれとは別問題として考えればいいの」

 

パラパラと蓮がカタログをめくり始めた。

 

「レンは賢者の石を渡さないことを最優先に考えるのね。どうして?」

「ハリーの身を守るのは、まずハリー自身が努力すべきことだからよ。賢者の石を渡さないというのは・・・ヴォードゥモールを復活させないため。あいつは、一度命の水を使って復活したことがあるわ」

 

蓮とハーマイオニーの間では「例のあの人」ではなく、フランス語の発音で呼んでいる。

 

ハーマイオニーは目を見開いた。「復活ですって?」

 

「だから、ヴォードゥモール、死を超えた男、と自己紹介するの」

 

ハーマイオニーは眩暈を覚えて黙り込んだ。

蓮はパラパラとカタログをめくる。

 

「蓮」

「ん?」

「さっきからずいぶんサイズの大きなシューズばっかり見てるけど?」

「ジョージにね。いつも裸足でジョギングについて来るから」

 

蓮の中では大した意味はないのだろうが、受け取ったほうは、深い意味を感じるのではないか、とハーマイオニーは思った。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーの懸念通り、クリスマスの朝早くにグリフィンドール寮で一人感激に打ち震えている少年がいた。

 

「ジョージへ」と宛名を書いただけの素っ気無さはまるで気にならないらしい。

 

「おいおい、ジョージにはランニングシューズで、俺は百味ビーンズかよ。この差はなんだ?」

「フレェェェッド!」

「なんだよ?」

「これはつまり、これからも一緒に走りましょうねって意味だよな?」

 

フレッドは双子の片割れの緩んだ顔に若干引きつりながら「いや、なんていうか、お前が裸足でついてくるのが不憫だったんだろ?」といなした。「だからスニーカーぐらい履けって言ったのに」

 

「だとしても、俺が一緒に走ってもいいって意味だよな?」

「いや、あの子はそこまで深い意味は込めてないと思うぜ」

「でも一緒に走るのは嫌がってないよな?」

「ま、まあ、な」

 

ジョージは満足したのか、ランニングシューズを早速履いて紐を締めた。

 

「うん、ぴったりだ」

「サイズ教えたのか?」

「いや。ただ、あの子、めちゃめちゃ目がいいんだ。湖の向こう岸にいるケンタウルスに気づくぐらいな」

「ケンタウルスって普通人間には近づかないよな?」

「ケンタウルス並みに目がいいってことだよ。だから、俺のローファーか何かのサイズを見たんじゃないかな」

 

フレッドは腕組みをした。

ーーもしかしたらレンはシーカー向きだったんじゃないか?

 

「で? ジョージ、お前は何贈ったんだ?」

「俺? ニンバス社のチェイサーグローブ」

 

お前小遣いほぼ全額つぎ込んだだろ、という言葉を飲み込んで、ジョージの肩をポンと叩いた。

 

 

 

 

 

「レン・エリザベスへ

ジョージ・Wより友情を込めて」

 

というカードを脇に置いて包みを開けると、ニンバス社のチェイサーグローブが出てきた。

 

ーーこれで3つ目・・・

 

背後で見張る祖父の視線が気になる。

 

「・・・蓮にはずいぶん友達が多いんだね」

「んー。ほとんど知らない人。蛙チョコの詰め合わせか何かをお返しにすればいいかしら?」

 

母の怜が溜息をついて「知らない人のには、お礼のカードだけになさい」と忠告する。

 

ハーマイオニーからは冬のランニングのためのグローブ。

ロンからは蛙チョコの詰め合わせ。

なぜかロンの母からは手編みのセーター。「お母さま、ミセス・モリー・ウィーズリーって、ロンのお母さまよね?」なぜか「ジョージの母」と付記してあるが。

パーバティからはヨガに使う厚手のゴムのベルト。

ハリーからは、箒磨きセット。

そしてジョージからのチェイサーグローブ。

フレッドからは百味ビーンズ詰め合わせ。

 

「お友達からはこれぐらいかしら。あとのは知らない人」

 

プレゼントの山を仕分けすると、母は溜息をつき、祖父のウィリアムは唸り、祖母のクロエは嬉しげに目を輝かせた。

 

「はぁ、蓮。あなたから贈っていない方にお礼のカードを出したら、庭に出てらっしゃい。グランパとシルバーアローの試乗をしなきゃいけないわ」

 

日本の祖母・柊子からはもちろんシルバーアロー40だ。

日本の祖父・シメオンからは、ゴブリンのゴルヌック1世が鍛えたという銀の短剣。

イギリスの祖父・ウィリアムからは、やはりゴブリン製のペーパーナイフ。

イギリスの祖母・クロエからは、カシミアのコート。

母からは、クロエからのコートに合わせたブーツだ。

 

「なんだか、プレゼントが大人っぽい」

 

新しいゲームソフトとかないのか、と蓮は首を傾げた。

 

「あのね、蓮。あなたには自覚がないけれど、もう子供じゃないから。成人前だから大人でもないけれど、そろそろレディらしくして。明日はハロッズに行くわよ」

「プレステのソフト?」

「・・・ブラジャーを買いに行くの。サイズが変わったでしょう」

 

母が額に手を当てて頭を振った。

 

ーーなんか、すみません

 

 

 

 

「う、わ・・・」

 

コーンウォールの邸にはもちろんマグル避けの魔法がかかっているので、庭で箒の練習をするのに問題はない。

 

祖父は楽しげに「はっは」と笑っている。

 

「どうだい、学校の箒とはまったく反応が違うだろう」

「全然違うわ」

 

蓮の顔から稚気が抜け落ちて、箒をコントロールすることだけに集中していくのがわかる。

 

クロエは庭が見えるサンルームで紅茶を飲みながら「ああ、コンラッドに似てると思っていたけれど、あなたや柊子に似てきたわね。とても綺麗な子」と吐息を吐くように呟いた。

 

「ご覧なさい、怜。あれが菊池家の魔女の顔よ」

「お義母さま、母の若い頃をご存知ですの?」

「わたくしは、ボーバトンを卒業してすぐにグリンゴッツに入りましたからね。あの当時はまだイギリスでも呪い破りの仕事があったの。何度か柊子と組んで仕事をしたわ。闇祓いの頃の柊子は、いつもああいう顔つきでしたよ。シメオンと結婚して、ホグワーツの理事会で再会したときは別人に見えたわ」

 

それは知らなかった、とティーポットから自分のカップに紅茶を注ぐ。

 

「自分ではわからないでしょうけれど、あなたも昔はああいう顔つきだったわ」

「・・・わたくしが?」

 

怜自身はクィディッチの選手になるのならないのという事態に陥ったことはない。

クロエは首を振り「ヴォードゥモールが勢力を伸ばし、コンラッドを亡くし、お友達を亡くした頃のあなたは、いつも張り詰めていたわ。本当に嫌な時代。わたくしはあなたが法律の仕事を楽しむようになってくれて嬉しいの」と微笑んだ。「ただ、蓮は何か気掛かりがあるみたい」

 

「その件でこのホリデイの間にデヴォンに行きます」

「サー・フラメルのところね。あなたももっと度々顔を見せてあげなくては」

 

そうしたいのは山々ですけれど、と肩を竦めた。「フラメルのおじいさまの残した残務整理が多過ぎて」

 

「長い人生ですものねえ」

 

よおし!とウィリアムが声を上げた。「ウロンスキーフェイントだ! 蓮、やってみなさい!」

 

クロエが顔色を変えて「ノン! ノン!」と叫んでサンルームを飛び出して行った。

 

怜は溜息をついて、紅茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

デヴォン州に向かうジャガーの中で、蓮は不服そうに唇を尖らせている。「付き添い姿現しならすぐなのに」

 

「隣の州に行くぐらいでいちいち魔法を使う必要はありません。それに、あなたには、いろいろと欠落していることがわかりましたからね。ゆっくりお話ししながら行きましょう。グランパがいると差し障りのある話題について」

 

まずクリスマスプレゼントよ、と母が言う。

 

「・・・はい」

「もうすぐバレンタインデーも来るから言っておくわ。よく知らない人からのものには、いちいちお礼はしなくていい」

「そうなの?」

「あのね、お礼をすると相手に気を持たせることになるの。たとえそれが蛙チョコであっても」

「百味ビーンズは?」

「ダメよ。とにかく、気のない相手からの贈り物には冷淡なぐらいでちょうどいいの」

 

ぷう、と頬を膨らませる。

 

「あなたは日本の山の中の学校で、男の子しかいない小学校にいたから、そういう面の成長が遅れていることが、お母さまにはよーくわかりました。おばあさまもおじいさまも、そういうところに疎い人たちだから仕方ないけれど、もう少しレディとして人様の感情の機微に敏感になりなさい」

「人様の感情を大事にするなら、贈り物にはお返しするべきじゃないの?」

「大事な人にはね。例えば、ドラコ・マルフォイからチェイサーグローブが届いていたけれど、あなたはマルフォイの息子を大事にしたいの?」

 

蓮は「まさか!」と叫んだ。「わたくしとハーマイオニーのコンパートメントにノックも無しで入ってきたのよ! わたくしたち着替え中だったのに! 可哀想にハーマイオニーなんて、ちょうどシャツを脱いだところよ。あんな奴、ただの変質者だわ」

 

母が蓮によく似た切れ長の目で横目に睨む。

 

「そのマルフォイに百味ビーンズとはいえ贈り物を贈ってどうしたいの」

 

蓮は、むぅ、と考えた。

 

「ハーマイオニーやハリーやロン、パーバティにフレッドにジョージは、あなたと交友関係にあるからわかるわ。まぁ、ちょっと・・・ジョージのプレゼントは他の兄弟に比べて頑張ってるし・・・モリーの反応も怖いけれど・・・」

「あ、そうそう。ロンのお母さまには、マリアージュフレールのお茶を贈ったの。フォートナムメイソンじゃ普通過ぎるから。一応お礼状に、ロンにはいつもお世話になっております、って書いて」

 

母はまた溜息をついた。

 

「ダメなの?」

「・・・モリーは、ジョージの母として、あなたにセーターを贈ってくれたんだから、そこはジョージの名前を書きなさい」

 

そんなの難しい、と蓮は唇をまた尖らせる。

 

「普通は難しくないから。迷った時はハーマイオニーに聞いて。お願いだから」

「・・・わかった」

「それと、あなたはまったく自覚がないけれど、今から胸のサイズはどんどん変わるわ。寝るとき以外はブラを外しちゃダメ。そこまで大きくはならないと思うけれど、人並みには育つはずだから、サイズには気をつけて。夏までは帰ってこられないから、フクロウで連絡なさい。新しいサイズのブラを送るわ」

「・・・サイズなんて自分じゃ測れない」

 

何のためにルームメイトがいるの、と母が蓮を小突いた。

 

「つまり、それもハーマイオニーに?」

「もう一人の子でもいいわよ。あなたが知らないだけで、女の子たちは測りあいしてるんだから」

 

わたくしの知らない世界だわ、と蓮は頬を膨らませた。

 

 

 

 

ニコラスおじいさまは、丸い顔をますます丸くして満面の笑顔で迎えてくれた。

 

「やあ、怜に蓮! 私の大事な家族たちだ!」

 

車椅子のニコラスおじいさまにぎゅっと抱きつくと、微かに火薬の匂いがした。「また悪戯グッズの発明?」

 

「うむ。花火を利用するものは人気でな」

「ホグワーツでも、ドクタ・フィリバスターの長々花火は人気よ。管理人のミスタ・フィルチが禁止してるはずだけど、誰も気にしないわ。クィディッチの試合の後はあちこちで赤や青の火花が30分は飛んでる」

「私がドクタ・フィリバスターだということは秘密だよ」

 

もちろん、と体を離して蓮は微笑んだ。「誰も信じないわ。ニコラス・フラメルが悪戯グッズの発明に夢中だなんて」

 

蓮、と母が促した。「箒のお礼は?」

 

「あ、そうだわ。ニコラスおじいさま、シルバーアロー40は、わたくしが使わせてもらうことになったの。来年からクィディッチチームに入るから。すごく素敵な箒だわ、ありがとう」

「おお! そうかね。柊子の試合はすべて観戦に行ったものだよ。蓮もシーカーかい?」

「ううん。チェイサー」

 

言いながら、蓮はニコラスおじいさまの車椅子の後ろに回った。

 

「しかし、今はもっと良い箒があるのでは? なんなら私が新しい箒を買ってあげるよ」

 

それがね、と車椅子の向きを変えて家に向かって押しながら蓮が言う。「プロフェッサ・マクゴナガルがおっしゃるには、現存する箒の中で最高の箒なんですって。今一番新しい箒はニンバス2000っていうんだけれど、ニンバスでさえシルバーアロー40には敵わない、って鼻で笑ってらしたわ」

 

「ミネルヴァらしい! 実にミネルヴァらしいね。その表情が思い浮かぶようだ!」

 

 

 

 

 

フラメル家のリビングは、雑多な魔法道具があちらこちらに飾られている。

 

ペレネレおばあさまがにこにこしながら紅茶を用意してくれていた。

 

蓮が入っていってハグをすると「まあ!」と驚かれた。「なんて背が高くなったのかしら。ホグワーツに入学する前に会ったときは、わたくしより小さかったのに、あっという間にわたくしと同じ身長よ?」

 

「そうかしら? ホグワーツでは身体測定がないから自分の身長なんてよくわからないわ」

「怜、あなたが気をつけてあげてちょうだい。もうすっかりレディの扱いをしなくちゃいけないわ」

「おばあさま、もっと言ってあげて。この子ったら自覚が薄くて、家では男の子みたいにジーンズとヨレヨレのTシャツばっかり」

「でも今日は素敵なコートにブーツね」

「コートはグラニーから、ブーツはお母さまからよ」

 

ペレネレは頭を振った。

 

「柊子はあんな時代だったけれど、お洒落は忘れない子だったわ。蓮も見習わなくては」

「ペレネレ! そんな話はどうでもいいじゃないか。私たちの蓮は、来年からクィディッチチームに入るそうだよ! 柊子の箒を使ってくれるんだ!」

「まあ! ぜひ観戦に行かなきゃ!」

「そうだろう? ちょっとアルバスの髭を抜いてポリジュース薬に入れてだな・・・」

 

テンションたか・・・と蓮が呟くと、ペレネレが中断した紅茶の支度をしながら、怜が「いつものことだけれど、箒の刺激が強かったわね」と他人事のように言った。

 

 

 

 

賢者の石について質問すると、ニコラスおじいさまは目に見えてしょんぼりした。

 

「ニコラスおじいさま? どうなさったの?」

「・・・私は、この件では柊子に申し訳の立たないことをしたのだよ」

「そうねえ。わたくしたちがまだ200歳ぐらいの時だったから仕方ないと柊子は言ってくれたけれど」

 

そのことならわかってるから! と蓮は慌ててニコラスおじいさまとペレネレおばあさまの手を握った。

 

「今は、賢者の石はホグワーツにある、間違いない?」

「ああ。私たちはもう使わないことに決めたからね。コンラッドが亡くなったときに」

 

思わず母を振り返ると、母は肩を竦めていた。

 

「あのね、蓮。わたくしたちは、ずいぶん長く生きたけれど、あの時が初めてだったの。愛する孫が伴侶を亡くすなんてこと。わたくしたちは、もう2度とあんな思いはしたくないわ」

「・・・それから、命の水は飲んでいないの?」

「まさか。飲んでいるとも。私の過ちは、命の水を他人に売ったことだ。精製してしまった命の水は2人で飲んでしまうつもりだよ。早くからアルバスに賢者の石を引き取って欲しいと言っておったが、あやつめ、引き取ると言ってきたのはつい最近のことだ」

「なんでも、命の水を欲しがりそうな若者がいると言っていたわ」

 

若者? と蓮は確かめた。

ニコラスおじいさまは「そうじゃ。まだ若い教師だと言っておった。金庫の番号を知られた形跡があるので、ホグワーツに移したいと言うてきおった。私はもちろん君の好きにしろと言ったとも」と答えた。

 

「ニコラスおじいさま、ペレネレおばあさま、賢者の石を使って命の水を精製して飲みたがる人物に心当たりはある?」

「あの男しかおるまい」

 

ニコラスおじいさまは吐き捨てるように言った。

 

「なあ、蓮。死を超えることなど、本当は良いことでもなんでもない。誰だって、少し考えればわかるはずだ。私たちが共にボーバトンで学んだ友はもう誰一人いない。ボーバトンで教えた教え子も、ホグワーツでの教え子も誰もいない。皆、私たちより先に去った」

「わたくしたちには、夢がありましたからね。命を長らえてでも叶えたい夢が」

「その夢が叶った。柊子という娘を得られた。怜という孫も、君という曽孫まで出来た。しかしだね、コンラッドが亡くなったときの怜の嘆きを見ることが、あんなにも辛いものだとは思わなかった」

「・・・命の水は、亡くなった人を蘇らせることは出来ないのよ、蓮」

 

母の静かな言葉に蓮は勢いよく振り返る。

 

「だったらなぜヴォードゥモールは蘇ったの?」

「蓮、それはあまりに忌まわしい術だったのだ。今の君にはまだ話せないほどに」

「だけど、蓮。今一番命の水を欲しがる人物は誰かと言われたら、ヴォードゥモールとしか答えられないわ」

 

 

 

 

それから2泊して、コーンウォールへの帰路についた。

 

運転席から手が伸びて、蓮の短い髪をくしゃ、と撫でる。

 

「簡単に言うとね、ヴォードゥモールは魂のバックアップをあちこちに作っていたの。おばあさまが闇祓いの最後の仕事として、ヴォードゥモールと戦ったとき、瀕死のヴォードゥモールがどこかへ弾き飛ばされたように消えた。そのとき、おばあさまは魂のバックアップがあった可能性に気づいた。そして、アラスターに引き継いだの。日本に帰国する時期が迫っていたから」

 

うん、と蓮は頷いた。

 

「バックアップだけの不完全な状態にあったヴォードゥモールは、マルフォイ家を頼ったわ。マルフォイ家はああいう家だから、何百年も昔、フランスからイギリスに渡ってすぐの頃、研究費を捻出するためにニコラスおじいさまが売ったたった一本の命の水を、まるでワインを寝かせるように保管して、ことあるごとに自慢していた。ヴォードゥモールは、不完全な体でマルフォイ家に行き、命の水を要求した。マルフォイは、命の水を差し出した。そして復活したの」

 

しばらく黙ってコーンウォールへの道を走った。

 

「マルフォイ家からの援助を受けながら、ヴォードゥモールはしばらく潜伏したわ。そして、わたくしたちがホグワーツを卒業する頃に、活動を活発化させた。そのとき、ニコラスおじいさまはひどく悔やんで、柊子に合わせる顔がないと言って今の家に引きこもったの。今はもちろん関係回復しているし、おばあさまは最初から怒りもしなかったのよ? バックアップがあることを想定しなかった自分のミスだとしか思ってないわ」

「うん・・・」

「コンラッドが亡くなったとき、ニコラスおじいさまは駆けつけてくれた。お母さまは取り乱して、アンブリッジを殺してやる、って騒いでたから、あまりまともな応対は出来なかったけれど、わたくしを宥めるために、何本もの命の水をコンラッドに振りかけてくれたの。お母さまが落ち着くまでずっとね」

 

くしゃくしゃと乱暴に蓮の頭を撫でて、信号待ちの間に頭のてっぺんにキスをした。

 

「賢者の石を守りなさい。ヴォードゥモールの手に渡らないように。そして・・・壊しなさい」

「・・・ママ」

「お母さま、でしょ。ニコラスおじいさまとペレネレおばあさまにとって、ヴォードゥモールの復活を命の水や賢者の石が果たすこと以上の心痛はないわ。正直言うとね、ダンブルドアじゃ、少し心配なの。ギリギリのところで、あの人、破壊出来ないんじゃないかって。偉大な魔法使いだけれど、ちょっとだけ俗物なところがあるわ」

 

わかった、と蓮は前を向いた。

膝の上に畳んで載せていたカシミアのストールを大判のマフラーのように首に巻く。

ペレネレおばあさまが大事にしていたストールだ。キャメルのコートに合うからとプレゼントにプラスしてくれた。

 

キュッと引き締まった蓮の横顔に、怜は苦笑した。

 

ーーレディらしく恋をするのは、この子の場合、リドルを始末してからなんじゃないかしら


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