物語もやっと後半へと向かい始めましたが、ここの話は長いぞ。――ついてこれるか?
と、それはさておき。クオリディア学園の方も書き出したので、更新の際はわかりづらくなってしまうかもしれませんがご了承ください。
最新話から飛んできて読んだことある話だったら一度目次まで飛んでくだされ。きっとクオリディア学園が更新されているでしょう。
生きていく上で、人は人との線引きをしている。
境界線。立ち入ってはならない側面。誰しもが持つ、自分だけの領域。
そこに考えもなく踏み込めば、関係性なんてものは一瞬のうちに消し飛ぶだろう。
許可もなく、資格もないままに人の内に触れることは許されない。
なぜなら、人は強くないから。
脆く、儚く、ただの言葉ひとつで壊れてしまうほど、繊細だから。
言わないと、決めていた。
触れたくないと、避けてきた。
だって、傷つけてしまうのは嫌だったから。
傷つけられることは、許容できた。昔からそうだった。自分の痛みは、我慢できた。誰かの前でなら、自分は自分らしくとはいかなくても、強く在れた。
笑顔になれた。
側にいてくれた。
そうだ、いつだって支えてくれていた。
今日も世界を救おうと、同じ意志を掲げてくれた。
いつだって隣で微笑んでくれていた。ずっといてくれると、そう思い込んでいた。決めつけていた。
一度だけ、本気で戦ったことを思い出す。
投げかけられた問いは、向けられた怒りは、正当なものだったと何度でも考えさせられる。
そんなことがあったからかもしれない。
正面からぶつかって来てくれたからかもしれない。
受け入れるのに、そう長くの時間はかからなかった。最初は少しだけ居心地の悪そうだった、嫌そうだった表情からも嫌悪の色が消えて、いつしか、ずっと前からいたかのように馴染んでいた。
わからなかった。
言葉でも、力でもなく関係性を築いていく、適当そうに見えるあの姿からは、想像もできなかった。
強くて正しいだけだと思っていたのに。
けれど、いつからか力を振るうことをやめてしまった。前に出れば、多くの人を救えるのに。一緒に戦ってくれれば、とても心強いのに。
彼はいつだって、私と同じように前を向いていたから。
きっと、甘えていたんだ。
思想も、在り方も、同じだと思いたかった。それがいけなかった。
彼は私と同じでも、他の誰とも同調してもいなかったんだ。あるのはただ、自分だけ。私の見ていた彼の中にあったのは、他者への気遣いでも、否定でもなくて。ただ、ポツンと自分だけが立っている。
一歩引いた世界から、私たちの世界をずっと見ているような。そんな、いまにも消えてしまいそうな人だった。
おかしい。
一緒にいれば、彼の目は私に向けられる。でも、そこに私は映っていなかったと思う。
それが嫌だったから、なんとかして、気を惹こうとした。
彼に、ちゃんと人を見て欲しかった。自分の守った世界を見てほしかった。誇りでも、意志でもなんでもいい。彼に直接的に作用する感情がほしかった。
でも、気づいた頃には彼は変わっていた。
これまで以上に、普通に話してくれるようになっていた。なにがあったのかは知れなかったけど、いい変化が訪れ出したんだと思えた。
やっと、本当の意味で仲間になれたと。
それからは、楽しかった。
彼は何度も私の力になってくれた。神奈川を、ほたるちゃんを救ってくれた。
その辺りからだろうか? 彼が私のことを『姫さん』と呼び出したのは。
ああ、嬉しい。
私の周りに、神奈川に、平和が溢れていく。
そうだよ、私は世界を救えているんだ。
彼がいてくれる。ほたるちゃんが、みんながいてくれる。
ならあとは、世界を救いきればいい。
私がいる世界。私がいたい世界。みんなのために、なにがなんでも、取り戻すからね――。
人が脆いとは、よく言ったものだ。
「――舞姫。おまえはもう、無理してまで世界を救う必要はない」
彼女のコードを破壊し、<アンノウン>でもないことを確認させた俺が真っ先に伝えたことは、これまで避けてきた、彼女の在り方そのものだった。
言わなければ、先には進めないと思った。
彼女の無理は、よく知っている。今回も、神奈川の主力を残す選択だってあったはずだ。それを拒否したのは、舞姫自身だろう。
このままでは、いずれ彼女は破綻する。
押し付けられた願いで、成そうとする姿勢に無理がくる。
それがいつかなんてわからないが、もう見ていられない。向き合うなら、ここしかないのだ。俺が彼女に伝えられる機会があるとすれば、邪魔者のいないこの瞬間しかない!
「もう遅いかもしれない。おまえを苦しめるのかもしれない。けど! けど……言わせてくれ。自分を犠牲にするやり方で救った世界に、俺たちの求めているモノはないんだ」
「求めている、モノ――?」
どこか焦点の合わない胡乱気な舞姫の瞳が、俺を見つめる。
わかっている。彼女にこの言葉を向ける危険性は、過去何度も考えてきた。そのたびに、蓋をしてきた!
様子を見ていれば、もしかしたら変わるかもしれないと、受け止めきれないものを、俺たちにも分けてくれるのではないかと、そうしてまた、新しい重荷を彼女に背負わせてきた!
「これは俺の――ああ、俺の罪だ」
無意識に、彼女の肩を掴む。
意味があるかのように、無意味な行動をとってしまうのは、俺が話し切れるのか、いいものか、一人では怖いからだ。
「舞姫、無理しているのは知っていた。俺も、ほたるも気づいていた」
「ほたるちゃんは……うん、そうだね。ほたるちゃんだけは、ずっと私のことを支えてくれた。わかっていてくれた」
抑揚のない声が、争いの終えた静かな世界に響く。
「そっか……ほたるだし、よく見えてるし、甘えさせもするか」
でも、否定まではしきれないよな。それはほたるにさせることじゃない。
親友相手に掲げた意志を否定させてはいけない。
であればこそ、やはりこれは俺が言わなければならないのだろう。
「世界を救う――大事なことだ。必要なことだ。力のある者たちが前に立ち、率先しなければならないと言うのも、理解できる」
「なら、私が一番前に出ないと……」
「ああ、一番前に出るだけなら、きっと俺も、まだ甘えていたと思う。おまえの力に、意志に、委ねていたと思う」
もしもだ。もしもの話が許されるのなら、俺はいま、この場に四天王のみんながいることを願っていた。激戦だろう。ここまでうまく作戦は事を運べなかっただろうし、コウスケの力も借りていたはずだ。遠距離射撃を行ってくれた二人にも、近距離での牽制を頼んでいたかもしれない。
結果、舞姫の手によって殺されていたとしても。
きっと、それならそれで満足しただろう。あいつが一人でなく、仲間と共に残っていてくれたなら――。
「これは持論だが……自分一人残って仲間を逃すってのは、ある種最低の裏切りだと俺は思う」
人形のように無機質な彼女の表情がわずかに崩れる。
過去、それをしようとした人間が言えた台詞ではないが、現在実行してしまっている相手に対してなら、許されもするだろ。第一、こいつには言えるくらいの実績があるからな。
「正直な……おまえのしていることは立派なのかもしれない。他の生徒たちからしたら、弱者からすれば、まさに救いの女神だったのかもしれない」
逃げることに成功した、多くの生徒たちの安堵の顔が思い浮かぶ。
誰も、きっと舞姫のことを気にかける余裕などなかっただろう。あったとすれば、四天王の誰かが舞姫と一緒にいた場合だ。彼女たちなら、嘆いていることだろう。
「一人で守り通すって言うのは、実は簡単だ。目の前で誰が傷つくわけでもないし、守れなかったと後悔するわけでもない。その場限りではあるが、仲間が逃げていく様を確認できるんだから、確かに守れたと実感できるだろうさ。だが――その守った相手を、本当に仲間と呼べるのか? 自分はそいつらに仲間だと正面から言えるのか?」
「仲間、だよ……? みんな、みんな私の友達で、仲間だよ……」
「説得もせず、望みも聞かず、自分の意見だけを通す相手を、仲間とは呼べないよ。そんなの、ただの人形じゃないか」
「違う、違う……」
なにが違うと言うのだろう。
自分の言うことだけを聞いてくれる奴を友達とは呼ばせない。呼ばせてはならない。
これまで彼女たちが人形に徹してしまった場面がないわけではない。けど、舞姫の危機にはいつだって、馳せ参じてきた、神奈川の仲間じゃないか。
「本当は、巻き込んで欲しかった……」
力なく漏れた言葉は真実で。
「いつだって、なんだって一人で解決しちまうおまえに、連れて行って欲しかった……」
俺は抑止力。
わかっている。自ら前線に立つことをやめた俺の本当の理由。
「おまえの隣にいても、おまえが俺を頼ることはなかった。利用してもくれなかった。ただ、隣に居てほしそうな眼だけが印象に残ってて……だから消えてしまうこともできなくて」
愛おしい。
こんなにも求めているのに、彼女にはそれが見えない。
いつだって世話を焼いていたのは、前線から退いてなお、抑止力として後方で待機していたのは。
戦況をそれとなく把握していたのは。
「自分一人でじゃなく、みんなと立とうとしてくれる日があるんじゃないかって、勝手に思い込んでいた……呼ばれる日が――望んで呼んでくれる日が来るんじゃないかって、あいつみたいなことにはならず、守れるんじゃないかって、みっともなく思い込んでいた……」
人は強くない。
いつだって誰かを求めるし、いないと不安で潰れそうになる。目の前で失うことがあれば、悲しみも痛みも、そいつのぜんぶ自分が俺に返ってきて、余計に苦しくなる。
なのに、人は他人と線引きをする。
踏み込ませないように、悟られないように。そのくせ、自分のことをわかってくれと、思いを知ってくれと強請るのだ。
「その罪の象徴が……俺たちの――俺の犯した罪の在り方が、おまえ苦しめていると言うのなら!」
ああ、みっともない。なんて酷い有様だ。
これまでの自分を、いまの自分を否定してなお、彼女に委ねている俺が醜くて仕方がない! けれど、逃げないと決めた! 彼女を受け止め切ると願った!
そんな俺が逃げれるはずがないんだ。目を、背けてはいけないんだ。
「おまえはもう、一人で行くな! なんでもかんでもやろうとするな! おまえには、おまえを慕う友が、仲間が、大勢いるはずだ! そいつらを、そいつらの思いも一緒に見ろよ、背負わせろよ!」
「できない……できないよ、そんなこと!」
彼女の肩を掴む俺の腕を、小さな手が握り込む。震えながらも、強く、痛いほどきつく。
「なんで決めつける! 仲間を頼ることが、そんなにも難しいか!? おまえは俺に、側に居てくれと言うのがそんなにも難しいか! いいや、言えるはずだ。俺の知る天河舞姫は、一人でしか戦えない程弱くないはずだ! ここで誰かを頼れないようなら、戦うことなんてやめちまえ! 世界を救う資格は、いまのおまえにはない!」
腕を掴む力が緩む。
彼女の視線が下に向けられる。
「どうして?」
けれど、向けられた言葉はどこまでも冷たくて。
「どうしてキミが――私を否定するの?」
そして、どこまでも鋭く、俺の心に刺さった。