無理に触れたところで、反射レベルの反撃をくらうだけ。
そんなことは百も承知。
だが、倒すには触れないと始まらない。
「自ら接近戦を望むか……自由、やはりおまえはつまらなくなったな」
斬々の眼前にたどり着いた頃。彼女の声が耳に届いた。
けれど、すでに拳は止まらない。
必殺の威力を秘めた一撃が、彼女へと迫る。
「その踏切も、速度も、すでに見切ったものだ。何度も同じことしか繰り返さないおまえに勝ち目はない」
ひときわ大きな輝きを放った直後、しかし。
人を殴りつけたはずの拳には、妙な感触があった。
「ウソだろ……」
まぎれもない、手の感触。
避けたわけじゃない。反撃されたわけでもない。一撃を受け止められた姿が、そこにはあった。
「これが現実だ、自由」
確かに、俺たちの力量差を考えれば、この状況は不思議なことではない。だが!
「仮に絶対的な差があったとしても、いま塗り替えるだけなんだよなぁ」
「ほう……ではやってみせろ」
あくまで動く気はないわけか。
なら、見せてやる!
掴まれている右手に<世界>による光が集中していく。
「――っ」
途端、弾かれたように斬々が後退した。
「フハハ、驚いたぞ」
自身の手のひらを見て、薄く笑みを浮かべる斬々。その手は、火傷したかのような裂傷が走っていた。
「まさかそういう使い方があるとはな。それで、終わりか?」
いまのはただの応用。光を瞬間的に集めたにすぎない。次はやる暇もなく腕を折られるだろう。
抜け出すのにひとつ技を潰さないといけないとか、やっぱりしんどい。
「終わらないし。あー、でも終わりにはしたい」
できれば、おまえの敗北で。
なんて、無理な願いだ。実力で倒さなくてもいい。ただ一度、偶然でもいいから勝てさえすれば。
「どうした? 前のように突っ込んでは来ないのか? 来ないのであれば、他の生徒どもをつまみ食いしてくるが――」
「やらせるわけないだろ!」
実戦投入は二回目。けど、もう失敗はしない。
リヴァイアサン級のときは届かなかったけど、絶対に!
『狙いが雑なんだ。あと、発想も雑だ。ただ伸ばすだけとは何事か』
一回目の実戦時、ほたるに言われたことを思い出す。
そうだ、ただ伸ばすだけではいけない。深く、深くイメージしろ。なんのための攻撃かを。意味を!
「俺が、守るための力を!」
右手を引き絞り、いままさにその狂牙を生徒たちに向けようとしていた斬々へと一気に伸ばす。投擲するように、鋭く早く、撃ち込む!
前は、ただ光が伸びるように進むだけだったが、変化は劇的だった。
光は俺の手から離れ、一発の弾となって飛んで行く。
イメージは確かに反映されているらしい。
光の弾――光弾は凄まじい速度で斬々に迫り、破裂音と共に彼女の側頭部へと激突した!
「さすがにこれなら……」
ダメージはあるだろ。そう、思ってしまったんだ。
だから――。
「面白い<世界>だな、自由。撤回しよう。これは初めてみた」
――煙が晴れ、無傷なあいつが姿を現したとき、少なからず恐怖した。
頭部だぞ!? 直撃しておいてノーダメージなんてことは……クソッ! 新しく用意したものも効かないとか、とんだチートだな。
これだから嫌になる。ひとつのことを極めた相手ってのは、それだけで最大の武器になるんだからな。
「さあ、遠慮するな。次はなにを見せてくれるんだ?」
簡単に言いやがって……おまえに効果のある使い方なんてそうそうあるかってんだ。
「やっと使えるようになればこのザマとか、笑えねぇな。本当に面倒な相手だよ、あんた」
「私は楽しいがな。こうしておまえとやるのも悪くない」
一歩、また一歩を間合いを詰められる。
逃げれるならそうしたいところだが、万が一姫さんたちの方へ向かわれたら終わりだ。ならせめて、俺だけが犠牲になった方が万倍マシ。
「とはいえ、好んで潰される趣味もないしな」
覚悟、決めないとか。だいたい、自動反撃の範囲外から仕留めようなんて、むしのいい話だ。
結局は我慢比べ。
自動反撃を崩すのが先か、俺が倒れるのが先か。
「いやいや、まるで釣り合わないな」
二択しかないのにどっちになっても俺はボロボロだ。ああいや、片方はまだ死んでないからいいのか。
生きて帰れれば儲けもんってな。
「なんだ、やはり近接がいいのか。いいぞ、やってみろ」
深く息を吐く。
このまま突っ込んでもさっきの二の舞。次掴まれれば片腕捨てる羽目になるかもな。
まともに防御体制も取らない相手に隙があればいいんだが……。
「考えるだけ無駄ってのもあるな」
向こうから攻め込まれたら応戦するしかなくなる。そうなれば、十中八九、自動反撃の餌食だ。
はあ……さっさとリヴァイアサン級を倒してくれれば、俺も逃げられるんだけど。
「やるか」
ここで世界のことを尋ねたところで、話してはくれまい。目の前に立つ女は、そういう人間なんだから。
だからこそ、とりあえずは倒せばいい。
前に一歩、足が出る。もう一歩。だんだんと駆ける速度は増していき、すぐに斬々へと迫る。
「またか。おまえはなぜ、そうも不合理なのか……」
どうして、あんたは答えを急ぐのか、俺も問いたいね。
命気操作をし、肉体強化をしてあるなら、話は別だろうが! おまけに、<世界>での強化だって忘れてはいない。
前回みたいな、咄嗟の行動での攻めじゃないんだ。
いつまでもやられてばかりだとは、思わないでもらいたい。
「おまえだけは、俺の目の前で倒されてもらうぞ。俺の、贖罪でもあるんだからな!」
体全体に宿る光が、輝きを増す。
どれだけ頑丈だろうと、反撃速度が早いとしても、人の身であることに変わりはない。であるのなら、当然弱点だって存在する。
過去に一度だけ、彼女に届いた連撃。
「これで、どうだ!」
両の拳を同一箇所へと向け放つが、斬々はここで初めて、予想だにしない行動を取った。
円をなぞったような動き。
「しまった――」
これは、回し受けか!? 空手で用いられる、受け技の最高峰。いや、彼女の受けはその域を超える!
「おまえは蒙昧だ。なにもバカ正直に受けてやる道理はない」
両の拳が捌かれる中、そんな言葉が耳に届いた。
「秘策があったのかは知れないが、飛び込んできたおまえの落ち度だ。読みが浅すぎたな」
受け流した姿勢から、足をわずかに上げる斬々。一歩踏み込んできては。
「虎爪」
掌底のように打ち込まれた右手を、引き戻した左手で防ぐ。
「ぐっ!?」
もちろん、ただの掌底ではない。爪を立て、めり込ませるように打ち込まれているのだ。
幸いにも、強化を施していたのが功をなした。
「薄皮一枚削ったところで、腕は潰せねえよ」
「ぬかせ。自由、おまえの拳も私には届かない。手刀と身体を硬めるだけが能と思ってはいないな? そんなものは枝葉に過ぎぬ。根幹は人体を一振りの刀へ変えること。これこそが空手の究極、化身刀だ」
名前を聞くのは、初めてだな。全身刃の、体そのものの武器化。拳を剣にまで昇華させた空手家。それが天羽斬々。
「家族だってのに、知らないこともあるもんだ」
「だろうな。おまえとて、まだなにかを隠しているだろう?」
本来であれば、鉄だろうと引き裂いたであろう一撃を受け、なお立っていられる幸運。
決めるなら、もうここしかない!
「悪いね。約束があるんだ。姫さんと、大事な大事な約束がさ」
視界の端に、リヴァイアサン級と対峙する姫さんの姿が映った。もう、作戦も終盤だろう。なにせ、姫さんのお出ましだ。最終局面だぜ、こっからは。
「ってわけで、さっさと退け、斬々!」
「一度防いだくらいであまり調子に乗るな。徒手同士の戦いは私の独壇場。おまえに一切の余裕はないぞ」
余裕? んなもんはなからないってーの。
ああ、なんだよ。姫さん、苦戦してるじゃないの。俺もいってやりたいが、そこに行くのは無理だ。
「ひとつ聞かせろ、斬々」
「なにをだ?」
「おまえが殺した、俺のパートナーについてだ。おまえ、あのときどうしてあいつを斬った?」
「もしもの話だが。もし、そのパートナーが生きていると言ったら、おまえはどうする?」
ここまできて、まだそんなくだらない話を俺に聞かせるのか!
「ふざけるなよ! んな都合のいい話があるか!」
「ある、と言ったら?」
「もういい。もう、いいだろ。もしかしたらと思ったけど、ハッキリわかった、俺とおまえの見ている世界は決定的に違う。俺が聞きたかったのは、そんなことじゃない」
いまさらどの面が言うんだ。
死んだ人が生きているはずがない。だって、彼女は俺の目の前で、他でもない斬々の手によって、<アンノウン>の口へと放り込まれたのだから。
「おまえが生きてると、また悲劇を呼ぶな」
静かに、右手を構える。
斬々の先では、姫さんと壱弥、千種たちがリヴァイアサン級へと最後の攻撃を仕掛けていた。
だが、あと少しのところで逃げられそうでもある。
「終わりにしよう。この作戦も、戦いも!」
どちらともなく、ぶつかりあっていた手を離す。
直後、自由になった左手をきつく握り、彼女の顔面めがけ振るう。
迷ってなどいられない。
光を帯びたその拳は、斬々の顔面を正確に捉え、無防備な体へ、確かな衝撃を叩きつけた――はずだった。
「がはっ……」
ズブズブと、耳障りな音が響く。同時に、視界が揺れた。
「自動反撃」
斬々の右手が、俺の腹へと突き刺さり、肉を抉る。
「やはり、おまえはつまらなかったか」
「勝手に、決めつけるんじゃねえよ……俺の価値は、俺が……決めるッ!」
構えていた右手に、極光が宿る。もう、ここしかない。誰かのために、拳を振るうのは、間違いなんかじゃないんだから!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおああああぁぁぁっっっ!!」
必滅の一撃。
仮に自動反撃がこようと、関係ない。
「言ったはずだ。何度も同じことを繰り返すおまえに、勝利はないと」
最後の最後。
受け切った上で反撃に出るかと危惧していたが、斬々は紙一重でこれを避けてみせた。
「この局面でわざわざ当てにくるようなモノを、受けるはずがないだろう」
「ああ、だと思った……一瞬ヒヤッとしたけど、助かった」
「なに?」
避けられた右手の光は、いまだ輝き続けている。それどころか、膨張し、大きさを何倍にも増していく。
当然だ。
「俺も、あんたに言ったはずだ。終わりにしようとな。この戦いも、そして――作戦も」
右手に宿る光は膨張を続け、やがて一振りの、巨大な剣へと変貌を遂げた。
「終わりだ」
斬々と向き合ったまま、笑顔で告げる。
タイミングよく、姫さんと壱弥の合体技と重なりあうように、光の剣がリヴァイアサン級の巨体をふたつに斬り裂いた。
「なん、だと……」
「あんたには恨みも、憎しみだってある。けどな、いつまでもあんただけを見てられないんだわ。俺には、守るべきお姫さまと、仲間たちがいるんでね」
「貴様……」
向かい合う彼女の瞳は、黒く黒く濁っていき、底の見えない不気味な目が、俺を見下ろしていた。
見下ろす……?
疑問に思ったころには、背中から衝撃が走り、海ほたるの上にいたはずが、轟音を立て、下へと落下していた。
体中が痛む。いや、それだけではない。
「ぁんのやろう……」
ところどころ、引き裂かれたような裂傷ができていた。間違いなく、彼女によるものだ。まさか、命気と<世界>の二段構えの防御を突き破ってくるとは……最悪だ。たぶん、怒らせた。
腹にもらった一発が、やけに痛む。どうやら、深く入っていたらしい。
「――ッ、ゲホッ」
込み上がってくる血が口から漏れ、空中へと飛び散る。
まずいな……加えて、目にも見えない速度で叩きつけられたか。いやはや、絶体絶命かね……。
さっきの剣でこっちはわりかし限界なんだよなぁ。
「……殺してやる」
上から、抑揚のない声が聞こえる。
視界の先には、大穴の空いた天井と、こちらに真っ直ぐに向かってくる、斬々の姿があった――。