さて、来たはいいが……入りたくないな。
寮の一室。それも、いまだ入れず扉の前で立った状態で、十分が経過した。
「入らねえなら帰ってもいいんですよ」
寮母はそう言ってくれるが、ここで帰ると余計に怒られそうだ。
「いや、入りますとも」
だってさ、寮に来た時点で俺の行動なんてバレてるも当然ですから。どうせ、いまも扉の向こうでは『まだ入ってこないなんて、ガッカリです』とか思ってるに違いない。小声で呟いてるまである。
俺、明日の朝は作戦に参加できてるんだろうな……。
とりあえず、ダメなら全力で逃げよう。
俺が覚悟を決めたそのとき。
「入るならさっさと入ってください。ここまで来て時間をかけるなんてガッカリです」
扉が開かれ、中から声をかけられた。
「…………そっちから開けるとは驚いた」
「心拍数が一気に上がりましたね。とりあえず、お茶でも持って来させましょう」
背後にいた寮母が、「へいへい、オレの仕事ですね」などと言って、部屋の奥へと消えていった。
「はやく入ってください」
「あ、ああ」
なんか、流れで入室できちまった……出会いざまに斬られなかっただけ運がいいと言ったところか、俺の思い過ごしか。なにはともあれ、助かった。
通されるままに従い、和装の部屋に連れ込まれる。
その部屋の隅に座らされると、机を挟み、眼前に少女が座り込む。
目を閉じたままの、小さな女の子。
左右に括られた銀色の髪。長い髪を括られたところには、大きな鈴が一緒に付けられている。
特殊な、制服要素を取り入れられた巫女服を身にまとう少女は、手に持つ刀をわずかに揺らした。
「おっかないな」
「割と普段通りに感じますけど」
「鼓動聞こえてんだろ? 心臓バクバクだっつーの」
彼女――因幡月夜は、おかしそうに笑みを浮かべた。わかっている、遊ばれているのだと。
おそらく、この神奈川において最も幼いだろう月夜は、しかし。神奈川でもかなり危険な人物である。
初めて三都市の会議に連行された日も、目の前の少女と眼目と約束があったのだが、その件は許しを貰えている。しかし、その前なんかはすっぽかしたら殺されかけた、なんて話を千種にしたことがあったな。
うん、厄介極まれり。
「それで、今日はなにをしに?」
「既に知っているとは思うけど、超大型アンノウンに対して、三都市合同での作戦を明朝に控えている」
「はい、外で皆さんが話していましたから、すべて聞こえています」
相変わらず、桁外れの聴力だな。
「話が早いな」
「大体、言いたいこともわかっていますよ。自由さんはこういうときほど、やる気を出す人ですから」
「なら――」
「嫌です」
ですよね、予想通りすぎる答えだ。
こいつはよほどのことがないと動かないからなぁ。自分の世話係のこととなれば即座に動くのだが、都市がどうたらなんてことでは決して動かない。
「どうしてもダメか?」
「絶対に、というわけではありませんが、私が必要ですか? 三都市の上位陣に加えて自由さんも動くなら戦力は十分です」
拳を前に突き出し、薬指を小指だけを立てる。
「理由はふたつ。いまのがひとつ目です」
お、おう……その前に、その指の立て方すっごい気になるんだけど……。
いや、聞くと話の腰を折ったことにされて不機嫌になるからやめておこう。
「ふたつ目は、自由さんがなにかを隠しつつ、私を連れ出そうとしていることです」
「――っ、やっぱりバレてるか」
今朝の戦闘時に気づいたことがあったのだが、それはまだ誰にも話していない。
どうしてこう、こいつにはわかるかね……。
「なあ、月夜」
「私が思うに、超大型を先導してきただろう相手でも見つけましたか?」
「……おまえ、人の台詞取るのやめない?」
「私、まだまだ小学生気分が抜けないので」
「ここに小学校はないぞ、月夜」
「そこに突っ込むなんてガッカリです。私がコールドスリープから目覚めたのは数年前ですよ? 年齢的には小学生でもおかしくないでしょう」
うん、おまえどう見ても小学生でしょ? 頑張っても中学生だと思う。
神奈川の全生徒が間違いなく先輩だろ。
ここ最近は、それほど幼い編入生が来たなんて話は聞かない。俺が知る限り、神奈川では月夜が最後ではないだろうか。
まだ眠っているこどもが何人いるのか、その明確な数を俺たちが知る術はない。
「ケホッ、話が逸れました」
「だな……で、だ。先導者のことはともかく」
「はい?」
カチャリ、と小さな手が刀の柄に触れる。
「すいません、待ってください。――それは俺にも見切れない」
「なら、話しますか?」
「もちろん」
話すに決まっている。柄を握られた瞬間から、俺は剣を首元に突きつけられたも同じこと。
従わない選択などない。
最も、それが最善でないのなら、斬られようとどうにかする算段もないわけではないが。
「なんですかお嬢、面倒事なら外でやってくださいよ。それとも、遊びたいなら――やっぱり、いい機会なんで外に出てきて貰えるとお嬢の健康面でも最高にいいんですがね」
いいタイミングで来てくれた寮母がお茶を置き、月夜に言葉をかけていく。
「……二度目はありませんから」
彼女の言葉のおかげか、月夜の手が柄から離れる。
まったく、なぜこうも俺が苦労しなければならんのか。
姫さんの相手だけでも相当体力、精神を持ってかれるというのに、お子さまの相手までとはな。いや、普通にしているぶんには、他の奴らより静かだしいいんですけどね?
「周りには黙っておけよ」
「話す相手も特にいませんから。そうですよね?」
チラリ、と隣に座る寮母――世話係を見る月夜。
「はあ……オレはお嬢に従いますよ。好き勝手に話でもしててくださいよ」
気にせず話していい、ということか。
今更チームメイトは疑うだけ無駄だしな。まずは、先日のことからか。
「先日、斬々に会った」
「そうですか」
「驚かないんだな」
「あまりお話したこともありませんでしたし、あの人から感じるイメージの中にいいものはなかったですから。ああ、でも――悪くもなかったです」
あっさりしてんな。まあ、月夜がチームに入ってすぐ、斬々は姿を消したしな。彼女があまり興味のない話なのも仕方ない。
「で、だ。あいつは言っていた。自分の<世界>が、故意に<アンノウン>を呼び寄せることもある、と」
「あの人が首謀者だと?」
「可能性の話だ。あいつはただの歯車で、更に巨大ななにかが出てくる可能性だってある」
前回見たのは二人だけ。だが、もしもそれでは済まなかったら……。
「可能性の話ですよね。今回も出てくるかはわからないじゃないですか。物事のすべてを、自分の中にある情報だけで決めつけるのはこどもの証です」
「決めつけるのは、大人だって一緒だよ。それにな、俺は確かに見た。撤退時に、前回現れた女が使ったのと、同じ移動手段の歪みがあったのを」
「…………面倒です。でも、わかりました」
これまでずっと目を閉じていた月夜が、目を開く。紅い瞳が、こちらを覗いたような錯覚を覚える。
全体の格好から、うさぎを連想させる容姿だな。
「対人戦に慣れた人が必要なのは、よくわかりました」
だが、そこから発せられるのは恐ろしく察しのいい言葉だった。
そうだ。同じ人だからという理由で倒せないのでは困る。ただでさえ、超大型の<アンノウン>を倒すのに各都市の代表はもちろん、大勢の生徒の力が必要なのだ。そこを邪魔立てされようものなら、戦線が崩れる。
「今回、もしも負けるようなことがあれば確実にこの生活は続かない。下手したら三都市共倒れだ。特に、代表が全員集まってたりするような場所なら、敵からすれば狙わない手はない、よな?」
本来の敵、戦う中で生まれていく敵。
これらをいっぺんに相手取るには、今回は都合が悪すぎる。
「加えて、なんか妙なんだよなぁ」
「はい?」
「超大型があまりに簡単に現れたもんだからさ。もしかしたら――いや、いい。ここは忘れてくれ」
まさか、人の前で言っていいことではあるまい。
焦った様子をまるで見せない管理局の人たち。どうやって入ってきたかも議題にはあげられなかった。まるで、いまのあり方を知っていたかのような……わからんな。まさか、管理局の中になにかが紛れ込んでいる、なんて話せるかよ。
だが、斬々たちに簡単に侵入を許すようなとこだしなぁ。重要なデータも管理しているはずなのに、クソみたいなセキュリティなはずがない。誰かが招いたはずなんだ……。
でもこれは裏を取ってない。推測にすらならない話だ。
迂闊に話すべきではない、な。
「状況が良くないことは理解しました。今回だけ、ですよ」
それ以上突っ込んで聞いてくることはなく、月夜は返事をくれた。
「そっか、ありがとな」
「いいです。大勢の生徒が参加するなら、どうせ友達も参加するでしょうし。彼女を守るためです」
「せめて、そこにチームメイトも入れてくれると嬉しいんだけどね」
「考えておきます。当分は、のの、ののと騒がしいともだちのため、ということで」
まあ、いいか。
仕掛けてくるなら、間違いなく明日。
だけど、明日仕掛けて来れば、ひとつ確実になることがある。あいつらが俺たちの行動を知っているのかどうか。もし知っているなら、そのときは――。
「自由さん」
「ん? なんだ?」
「起きているようには努力しますが、もし寝ていたら起こしてくださいね」
「お、おう……そこは年相応なのね」
さすがにずっと起きてるのはつらいか。
さて、ひとまず、久々に協力の要請はできた。ついでに眼目も連れていこう。俺の日常があいつに侵食されているんだ。ここらで働いてもらわないと割に合わない。
「<アンノウン>だけで済むかと思えばこれだ。加えて、信頼できる奴らが誰なのかわからなくなってきてる状態ってのも悪いな。はあ……なんか、狂い出してる気分だ」
「ため息ばかり吐いてると、そのうち幸せがぜんぶいなくなって、不幸になりますよ」
「幸せがいなくなると不幸になるのかよ……せめて普通にしておいてくれ」
なんなの、みんな俺に対して優しさを覚えませんかね。
特にほたる。あと暴言ってことなら千種と壱弥と明日葉。あれ? 代表って俺に対して口悪すぎじゃないの。
カナリアは俺とあまり話さないし、姫さんくらいしか癒しがない! チームメイトは厄介ごとしか持ってこないしな……。
「なんか疲れてきた。そろそろ行くわ」
「はい。では、明朝に」
なんとか斬られることもなく話を終え、俺は再び外に出る。
陽が沈み出したな。
あと数時間もすれば、移動開始か?
さて、できれば<アンノウン>を潰しがてら俺の疑問に答えてくれるといいんだが。
わからない点が多すぎるんだ。
一番わからないのは、斬々のあの一言。
「世界は決して、正しくない、ね……」
なぜか、ずっと頭から離れない。
「おーい、みゆちーん!」
遠くから、姫さんが駆けてくる。加速して、加速して――彼女の姿を捉えた直後、俺は衝撃に襲われ、地面に叩きつけられていた。
言うまでもないことだが、あえて言わせてもらおう。
「姫さん、人に突進かますのはやめろ」
「え? 突進じゃないよ? みゆちんがいたから、お話しようと思って」
人に馬乗りになり、上から笑顔で話す姫さん。まったく、なんの罰ゲームだこれは。
「で、なに?」
「あーえっと……なんだっけ?」
「話すことがあったんじゃないのかよ」
「ないよ? こう、みゆちんとちょっとお話したいなーくらいの気持ちだっただけだから」
そうですか、ノープランな上に俺は無駄に突進を食らったわけか。
「なら、俺からひとつ質問だ」
「うん、なに?」
「姫さんは、この世界が正しいと思うか?」
「――わかんないや。でもね、みんなと楽しく、平和な世界になれば、それが正しい世界だと思うな」
いまがどうかじゃなく、どうあれば正しいか、ってことか。
そんな答えもあるんだな。
「なら、そうしないとな」
姫さんが望むのなら、きっとそれがいい方向に繋がるのだろう。平和な世界を望む彼女の答えなら。
「あれ? ほたるちゃんたちだ! みんなー、こっちだよ!」
姫さんが俺に乗ったまま、他のみんなを手招く――って待てこら!
この状態はダメでしょ! ああ、ほたるがすっごい形相で走ってきてる! 銀呼も!? 柘榴もかよ!
全員手に持ってる武器捨ててから来てくれませんかね!?
呼んでも平気なの青生くらいなのに、こんなときに限ってあいついないし、どこ行ってんだよもう!
「ねえ、みゆちん。やっぱり、みんなが笑顔な世界が一番だよね!」
「そう思うんなら、俺にも平穏よこせやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
夜に近づく中。わずかに残る夕日の空の下、俺の叫びが神奈川に響き渡った。
このあとどう弁明するか。それだけが、俺の意識を支配していた。明日、無事に作戦に参加できるかしら……とりあえず、この明日より真面目に危険そうな夜を乗り切ることに全力を尽くそう!
あと姫さんはそろそろ俺の上からどこうか! どことは言わないけど、角度的に際どいんだよ……。