遠くで総員起こしのラッパが聞こえている。結局一睡も出来ないまま朝になった。のろのろと食堂に行くと、朝食の盆を取って適当な席に着く。小さな鎮守府。出払った第一艦隊。残っている艦はたかだか知れていいた。
「前、いいかな?」
のろのろと食事を始めていると、向かいから声がする。顔を上げてみると、時雨が笑っていた。
「構わない。どうせ一人だから」
「じゃあ、遠慮なく」
そう言うと、時雨は椅子を引いて、私の前に腰を下ろし、朝食の盆を机に載せた。
「おーい、若葉も一緒にどう?」
給仕口の物音に気づいて、時雨はそう声を上げた。あまり活発な方ではなかったように記憶しているが、今朝の時雨は元気がいい。気づいた若葉も、おっとり頷くと朝食の盆を手に時雨の横に腰を下ろした。
「二人共、もう身体は大丈夫?」
朝食に箸を付けながら、時雨はそう聞いてくる。ああ、そうか。若葉もこの間の海戦で大破したんだっけ。
「私はもう大丈夫だ。次の作戦も問題ない」
若葉は私以上の仏頂面だ。普段はいつも淡々としている。だから、受け答えも素っ気ない。それは私も同じだけど。
「響は?」
「私も、問題ない。第二艦隊は私たちに由良旗艦なんだろう?」
箸を進めながら、時雨にそう聞く。この面子だと、大人しい時雨が少し賑やかに感じるくらいだな。私も、若葉もとにかく素っ気ないから。
「そうだね。由良さんが僕たち三隻を率いて、恐らく船団護衛だと思う」
時雨は時に笑みを浮かべながら、箸を進めていく。
「鎮守府の守りはどうするんだ?」
第一艦隊六隻、第二艦隊四隻が出払ってしまえば、この鎮守府は朝潮のみのがら空きになってしまうはずだ。旧式でかつては戦艦だった富士、敷島、朝日や摂津も、武装解除されて艦種変更された今では戦力としては私たち以下になってしまっている。
「心配ないとは言えないけどね。昨日工廠で龍田さん来たみたいだから」
穏やかな表情で、時雨はそう言う。そうなると、軽巡一隻、駆逐艦一隻は確保できてるのか。
「誰もいないより随分ましだと思うよ」
「龍田なら、私たちが三隻いるよりいい戦いができるはずだ。任せておいて問題ないだろう」
時雨と若葉は次々にそう言う。そう思う反面、他に海防艦でもいればなとは思う。来たばかりの私があまり役に立てないように、龍田も来たばかりだとあまり役に立てないのかもなとも思うからだ。朝潮の練度がどれくらいかは知らないけど、その双肩に鎮守府の守りは重くないのかな。
「なるようになるよ。提督はその辺も考えてるはずさ」
時雨はにっこりと笑う。その力の抜けた笑顔は羨ましくさえあるな。私はまだそんな風に笑えそうにない。
佐世保の時雨。
武勲艦でもあり幸運艦でもある彼女は、同じような幸運艦だった雪風と並んでそう呼ばれていたはずだ。全滅に近かったスリガオ海峡海戦で唯一生き残って、辛い思いもしていたはず。そして、終戦の日を迎えることなく海の底へ逝ってしまった時雨。なぜ、今そんな風に微笑えるのだろう。
「時雨ちゃん、若葉ちゃん、響ちゃん」
考え込んでいたようで、いつの間にか俯いてしまっていた頭が、由良の明るい声で上がる。
「護衛する輸送船団の準備が整ったみたいだけど、行ける?」
そう言ってから、由良は私たち三人の顔とテーブルの上を見比べてにっこりと笑った。
「食事は終わったみたいね。準備が済んだら第一岸壁に集合ね」
由良はそう言うと、くるっと踵を返し、片側に束ねた長い髪をリズミカルに揺らしながら食堂を出ていく。
「じゃあ、僕たちも準備を始めようか」
時雨がそう言って立ち上がる。若葉と私も頷いて立ち上がった。
一度部屋に戻り、艤装を点検する。朝日の修理は完璧で、まるで新品のようだ。艤装を収納すると、一度部屋の中を振り返ってから外へ出た。
また、ここに帰ってくるんだ。