南西へ島伝いに行っていた哨戒と船団護衛とは違って、今回の任務は鎮守府より南方へ少し離れた海域だ。いくつかの小さな島はあるようだが、産油地帯とは随分と離れている。そこまでは、まだ私たちの艦隊は手が出ないらしい。
海図を見ながら進む電の前を、警戒しながら天龍が進む。その右後方に私、左後方に雷。私たちの後ろで若葉と時雨が警戒を続けていた。
「敵の制海エリアだ、気を抜くなよ」
時折、天龍が振り向いてハッパをかけてくる。私が拾ってもらった海はもう遙か後方だ。
「この辺りが、司令官さん指定の哨戒エリアの南限なのです」
電が告げたのは、もう昼を随分と回ってからだ。それまで、敵方の艦艇との接触はなかった。
「結構遠くまで来たなあ」
天龍が感慨深げに来た海を振り返る。釣られたように私たちも振り返った。当然だが、鎮守府の影はもう見えないくらい遥か彼方だ。見えるのはただ果てしなく続く海原と空だけ。それでも、この海の南には産油地帯の島々が広がっていて、油槽船は危険を押して航海を続けている。もちろん、その被害は軽くないはず。
「救難信号受信」
少し離れたところにいた若葉が、ボソッと呟くように言う。みんな一斉に若葉の方を見た。
「我レ、敵水雷戦隊ノ攻撃ヲ受ク。至急援護ヲ求厶。ボ六十八輸送船団」
「ボ六十八輸送船団は、丸腰のタンカーの集まりなのです!」
若葉の声に、電が声を上げた。
「若葉、座標は!?」
「ポイントK七六五のG五」
雷の上げる声に若葉が淡々と答える。電が海図を覗き込んだ。
「ここから南西に約十六海里なのです!」
「微妙な距離だな」
「最大戦速で三十分弱ね」
電の声に、天龍と雷がそう言って黙り込む。急がないといけないな。
「意見具申いいかな?」
その沈黙を破るように、時雨の声が小さく響く。みんなの視線が時雨に集まった。
「若葉、天龍は三十三ノット、僕は三十四ノットしか出ないけど、電たち特型は三十八ノット出る。ほんの僅かな差だけど、隊を分けて先行してもらったほうがいいと思う。輸送隊が全滅して、敵部隊が撤退した後なら、乗員の救助にあたってもらえればいいし、敵部隊が残存しているようなら、牽制をしてもらえれば」
「その五分を稼いだほうが良さそうだな」
天龍の言葉に若葉が静かに頷く。電も頷いた。
「雷、響、行くのです!」
「任せなさい!」
電の声に、雷が応える。二人の視線が私に集まった。やるしかないんだ。
「行くよ」
いつものトーンでそう言ってから雷の横に歩み寄る。南海の温かい風が、髪を揺らした。
「天龍さん、後詰めお願いするのです」
「五分だけでいいから持ちこたえろ」
真剣な顔でそういう天龍に続いて、若葉と時雨が頷く。私たちも、視線をかわし合って頷いた。
「第六駆逐隊、最大戦速! 輸送隊を助けるのです!」
電の掛け声で、缶を最大圧にして、機関の出力を極大まで上げる。天龍たちの前を通り過ぎ、私たちは輸送隊が襲われた場所へ急いだ。
「煙が上がってるわ!」
十五分ほど過ぎたあたりで雷が声を上げた。遠くで黒煙が数本上がっているのが確認できた。後ろを振り返ると、少しずつ離されてはいるけど、天龍たちが三十三ノットで追いかけてきているのも確認できる。
「一人でも、一隻でも助けるのです!」
グッと電が拳を握るのが見える。雷も唇を噛んでいた。私も意識を集中する。音こそしないもののまた大きな爆発に続いて黒煙が上がる。
「まだ戦闘は続いてるようだね」
「あーッ、もう! もどかしいわね! なんであたしたちってば空飛べないのよ!」
私の声に、雷がとても無理なことを喚く。でも、気持ちはわからなくもない。早く現場に着きたいのはみんな一緒なんだ。幸い、最大戦速を出し続けてる缶は順調に動いてくれてる。あと、十分。
「生き残っている船はいますか!? こちら第六駆逐隊旗艦、電なのです!」
その間も、電は必死になって輸送隊と連絡を取ろうとしている。少しずつ、少しずつ戦闘海域が近づいてくる。
「響、初弾充填」
「了解」
雷と頷きあって確認を取る。十二・七センチ連装砲に弾丸を込め、測距儀を起動させる。六十一センチ三連装魚雷も、第一第二とも準備完了。
「敵は軽巡二、駆逐三! 輸送隊はまだ二隻が無事なのです! 十一ノットで北東に退避中! 三隻が被弾して戦闘域に取り残されているのです!」
電がそう声を上げた。
「突っ込むわよ! 電も初弾装填しときなさい!」
誰が旗艦かわからなくなりそうな勢いで言う雷に、電が「了解なのです!」と声を返す。その間にも彼我の距離は縮まってきている。相手に軽巡がいるということは、相手がよほどのヘマをしない限り先手を打ってくるはずだ。
「敵艦見ゆ! 情報通り軽巡二、駆逐三! 砲雷撃戦用意なのです!」
電が声を上げた。雷の「了解したわ!」の声を聞きながら、私は三番手の位置を堅持する。私たちの陣形は、いわゆる伝統とも言える旗艦先頭単縦陣というやつだ。電、雷、私という順番で突入する。敵艦五隻が急速に向きを変える。電もそれに反応して転進し航路を変えていく。まだ距離は遠いが同航戦になりそうだ。
「天龍! 会敵したわ! 軽巡二、駆逐三よ! 電がそっちに誘導するような航路に変えたから、後詰頼むわよ!」
「輸送隊の皆さんはそのまま北東に退避してください!」
雷と電が混乱しそうな状況の中、的確に指示と連絡を出していく。輸送隊から引き離しつつ、天龍たちと早く合流した方がいい。その間にも、軽巡からの砲撃が私たちの周りに水柱を作り始めていた。敵艦を吊り上げるような状態になったから、最後尾の私が露払いだ。魚雷はまだ距離が遠いから、主砲の照準を固定し、放った。しばらくして水柱が上がる。…外れたようだ。続けざまに、向こうからも砲弾が返ってくる。次弾装填しつつ回避に努めた。その間にも敵艦からの砲撃はどんどん水柱を上げる。「ってー!」という雷のかけ声も聞こえた。電も砲撃を始めている。二、三、着弾も出てるようだけど、私のは当たらないみたいだ。
「やっぱり、私たち三隻じゃ力不足ね」
「天龍さんたちと合流しないと」
砲撃を続けながら、雷と電がそう言い合う。天龍たちも全力で向かってくれてるけど、もう少しかかりそうだ。一瞬天龍たちがやってくるはずの方向を振り返ったその時。
「響っ!」
雷の声が響いた。ふっと視線を敵艦の方へ戻すと、ほぼ全艦の砲弾が私の方へ向いて飛んできている。可能な限り回避と言っても、弾幕を張られたようなものだ。その内の一発が私を穿つ。防盾をはじき飛ばした五インチの砲弾。続けて避けようがなくなって身体を打つ六インチの砲弾。そうして、もう一度、六インチの砲弾。私はその場所から吹っ飛ばされて宙を舞っていた。
「響!」
まるでユニゾンのような電と雷の声がする。ああ、油の臭いの中に、血の臭いまで混じってる。また、大怪我かな…。そう思った瞬間着水の衝撃が来て、それからしばらくしても私は立ち上がれずにいた。防盾を飛ばされた左腕は動かない。もし砲弾を腰の魚雷に食らっていたら、誘爆して助からなかっただろう。
「響!」
雷が反撃を続けながらも慌てて駆け寄ってこようとする。その奥で、電は必死に砲撃を続けていた。私のことはいいから、二人共…。
その私の肩をぐっと掴んで立ち上げさせた影。
「悪い、遅くなった」
見上げると、天龍だった。
「時雨はここで響を援護しろ」
「了解だよ」
そう言い捨てておいて、私を時雨に預けると、天龍は腰の得物を抜いた。
「電、雷、若葉! 吶喊だ!」
敵艦に斬り込むように天龍が十四センチ砲を放ったのを見た後、私は時雨の肩を借りたまま気を失ってしまった。
また、あの浅い海の底へ戻ることになるのかな…。今度は雷と電を置いて…。
暗い海の底へ落ちるような感覚が私を包んでいた。