いつの間にか、またウトウトしてしまっていたらしい。本当に、提督にここの司令が替わってから、僕は司令室で眠りこけることが多くなった。以前に比べたら確かにいい傾向なんだろうけど、ちょっと緩みすぎかな? 身体を起こそうとして、また提督のコートが僕の身体に掛かっていることに気づいた。慌てて身体を起こすと、ハンカチが目元から落ちる。提督は、司令机の向こうから、子供のような笑みを浮かべて僕を見ていた。
「よ、おはよう、時雨」
「お、おはよう…」
さすがに苦笑いするしかない。提督が仕事してくれてる間に眠りこける秘書艦ってのはさすがに様にならない。
「ごめん、提督。また寝ちゃってて…」
「目元の腫れは引いたみたいだな」
そう言う僕に、提督は鏡を向けてくる。少しぼーっとした僕の姿が映ってた。目元は、確かに元に戻ってる。
「ありがとう、提督」
「じゃあ、餅搗きに行くか。眠り姫」
そう言ってニッと笑う提督に、僕はまた苦笑いを返した。さすがに反論できないや。
餅搗きは、もう既にみんなが始めてくれていた。江風と涼風がいいコンビネーションで進めている。春雨や村雨、五月雨は搗き上がったお餅を適当な大きさにちぎって形を整えてくれていた。海風は次の餅米の準備をしてくれてる。夕立はどこからともなく砂糖きな粉を持参してつまみ食い、白露は監督をしているけど、誰も白露の言うことは聞いてない。川内さんたちは春雨たちに混ざって楽しそうに様子を見ていた。
「よーし、替わるぞ!」
提督は下へ降りるなりそう声を上げて、全員を振り返らせた。
「もう激励はよろしいんですか?」
海風が手を止めずに笑顔でそう聞く。
「公式行事的なものは終わったぞ。あとは遊ぶだけだ」
はっきり提督がそう言いきったので、夕立や白露、川内さんや那珂さんなんかが乗っかって声を上げた。
「よーし、こっちも搗き上がったぜ」
「時雨ー、交代してくれー」
江風と涼風もそう声を上げた。さすがの二人も少し疲れたみたいだ。
「時雨、回す方やってくれるか?」
「僕の手ごと搗いちゃヤだよ」
「誰も血染めの餅なんか食いたくねえよ」
そんな軽口を叩き合いながら、臼の前に行って指ぬきを外すと手桶を引き寄せる。春雨が搗き上がったお餅を引き上げて、海風が炊きあがった餅米を臼にいれた。さすがに二人は手際いいな。僕も見習わないと。
「よーし時雨、準備はいいか?」
「それ、僕の頭を搗く位置だよね?」
見上げる提督の杵の打点は、明らかに僕の頭にセットされてる。そもそも立ち位置がおかしい。わざわざ僕から見て杵と太陽が重なるようにまで計算して。完全におふざけだよね。ツッコミ待ちだから、しっかりツッコんでおかないと。
「はいはい、提督はちゃんと臼の前に立って立って」
「ウチのエース撲殺してどうすンだよ」
川内さんと江風がボケたままの提督を所定の位置へ連れ戻す。みんな笑ってる。僕も、自然に笑ってた。
「じゃあ気を取り直して」
「どうぞ」
そう言って、僕は餅米に冷めた湯を塗る。提督がその餅米を搗く。杵が上がったタイミングで今度は僕が餅米を回す。いつの間にか、提督が杵を下ろすタイミングでみんなが「よいしょー!」とかけ声を上げてくれていた。みんな楽しそうだ。提督は意外に上手くて、打点は正確でぶれもない。リズムもいい。手を搗かれる心配は全然なさそうだった。
やがて、提督と僕で搗いたお餅はできあがる。この回が最後だったみたいで、海風ができたお餅を引き上げると、もう餅米は残っていなかった。
「はいはーい。それではお二人にインタビューしてみましょう。提督、初めての共同作業、いかがでしたか?」
村雨が手でマイクをかたどってそう提督に振ったものだから、僕も提督も飲みかけだったお茶を吹き出してしまった。
「ちょっ、村雨!」
思わず抗議する僕に、村雨は涼しい顔だ。だが、提督はお茶こそ吹いたものの、もう切り替えがすんでるようだ。
「そうだな。ま、俺と時雨にかかれば、来年も旨い餅が食えるってことだ」
まるで当然と言わんばかりの表情を作って、提督はそう応える。やんややんやとみんながはやし立てた。さすがに、僕は呆然としてしまう。
「時雨は?」
少しにやけた顔の村雨が、こっちにも矛先を向けてきた。
「秘書艦だし、息があうのは当然だよ」
ほんの少し、頬が熱を持ってるのがわかる。村雨はその応えに不満なようだ。
「もうちょっと気の利いたこと言えないの、時雨?」
「気の利いたことって…」
「そうねえ…。提督を愛しているから当然だよ。とか」
つっけんどんな僕に、村雨はしなを作ってウィンクまでしながら、そう声を作る。
「なっ…」
「時雨姉貴にそりゃあ無理ゲーだぜ、村雨姉貴」
真っ赤になる僕に、江風がキヒヒと笑いながらそう言う。もう、いいオモチャだな僕は。
「ま、時雨をいじめて楽しむのはそれくらいにしてだな、手の空いたメンバーは臼と杵を片付けて、パーティ用の飯や広間の準備をしてくれるか」
提督も少しにやけながらそう言う。もう、本当にからかわれてんだなあ。まあ、みんなが楽しそうだからいいけど。
「はーい! 臼はものすごく重かったので、男の提督が片付けるべきだと思います!」
「賛成っぽい!」
白露が真面目ぶった顔でそう言うものだから、夕立もそれに乗っかって手を上げた。夕立ったら、口の周りがきな粉で黄色くなってるよ…。どんだけ食べんたんだろう。
ふっと提督の方を見ると、提督はちらっと僕の方を見てきた。ああ、手伝えってことかな。
「よし、じゃあ臼と杵は俺が片付けるから、ここの片付けは頼むぞ。時雨、手伝ってくれ」
提督はこともなげにそう言ってくる。というか、アイコンタクトの結果だろうなあ。
「うん。了解したよ」
「よおし! じゃああたしたちは、ここを片付けてパーティの準備するわよー!」
「おー!」
僕が頷いたのを確認して、白露が上げた声に、夕立や村雨の声が乗る。川内さんたちは笑うだけだ。提督を振り向くと、提督も楽しそうに笑っていた。
提督は水道のあるところまで臼と脚を運ぶと、ざーっと水を流しながら洗い出す。これまたあっさりと重い臼を運んでしまった。僕には、杵も結構重く感じる。艤装はもっと重いはずなんだけどなあ。
「さすがにこの季節の水は冷てえなあ」
提督はそう言いながら手についた水を払う。さすがに赤くなって冷たそうと言うより痛そうだ。
「替わるよ。僕なら水の冷たさは平気だから」
僕はそう言って、指ぬきを外して提督の袖を引いた。提督が笑う。
「そっか。お前たちこういうのも平気なんだな」
提督は僕と場所を入れ替えながらタオルで手を拭いていた。蛇口から流れ出す水はもう氷水のような冷たさだけど、僕たちにとってはそれを過度に冷たいとか痛いと思うことはない。いつもより少し冷たいかなと思う程度だ。臼に残ったお餅のカスを洗い流す僕の様子を、提督はじっと見ていた。やがて、臼は綺麗になり、杵も綺麗になった。
「終わったよ、提督」
「ホントに肌の色すら変わんねえんだなあ」
提督は感心するような呆れるような口調でそう言う。氷水に手を浸してたような状態だったけど、僕の手は全く色を変えてない。そもそも、提督はコートを着てるけど、僕たちはいつもと同じ半袖の制服だし、五月雨からあとのグループはノースリーブですらあるんだから。
「季節感ないよね、僕ら」
そう言って苦笑する僕に、提督も苦笑する。仕方ないよね、僕らはあくまで兵器なんだし。そう言うところはホント正直だなあ、提督は。
「寒くはないのか?」
「少し寒いなあ…とは思うけど、提督ほど寒さは感じてないと思う。ほら、冬でも北方の出撃とかもあるし、その場合は氷点下だから。艤装つけてたら、もっと寒さは感じにくいし」
「なるほどな。じゃあ、普段用のコート、全員分発注しとくか」
提督はそう言いながら、臼を担いで、脚を持つ。僕は慌てて杵を担いだ。
「提督?」
「少しでも寒いと思うんなら持っといた方がいい。お前らの体調を管理するのも俺の仕事だ」
振り返って提督はニッと笑う。
「全員同じのにする必要もないから、防寒具のリスト作ってみんなに選ばせるか。それもまた面白そうだ」
「ありがとう、提督」
歩きながらそう笑う提督に、僕はそう言って並びかけた。