艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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時雨を形作るモノ

 車は佐世保へ向かって快適に走り、やがて昼を少し回った頃には鎮守府に着いた。

「これでお節とか大晦日に騒ぐ分くらいはあるだろう」

 提督はそう言いながら、車から荷物を下ろす。僕も手伝ったけど、野菜と肉、魚だけで段ボール一つと大きな発泡スチロールの箱二つになってる。白露型九隻と川内型三隻、それに提督と大晦日の深夜勤の人たちの分くらいはあるのかな。

「酒保の冷蔵庫借りる手配してるから、酒保へ行こう」

 そう言う提督に頷くと、僕は肉の発泡スチロール箱を抱えて、提督のあとをついて歩いた。提督は野菜の段ボールと魚の段ボールを軽々と抱えて、歩いていく。意外に力持ちだったんだと感心するなあ。あれ二つで数十キロはありそうなのに。

 酒保に着くと、提督は酒保の担当者と少し話をして、冷蔵庫にどんどん荷物を運んでいく。

「料理してて必要になったらいつでも取りに来ていいぞ。一日までここの鍵を預かって管理は任された」

「うん、ありがとう」

 提督の笑顔に、僕はそう頷いた。

「おっ、お帰り、提督、時雨姉貴ー」

 酒保に荷物を運び終わって司令室に戻ると、江風と涼風がぞうきんと掃除機を手にして掃除の真っ最中だった。

「よう、終わったか掃除班」

「提督の部屋は綺麗だかんな。あたいたち二人もいらねえって言ったんだけどよ」

「ま、江風も涼風も料理では基本的に役に立たないからな」

 そう言って涼風と江風は笑う。部屋を見ると、司令室は出る前よりほんの少し綺麗になってる。というか、出る前から普通に綺麗な部屋だったんだけど。

「みんなの私室はもう終わったの?」

「散らかしてんのは夕立と村雨の部屋くらいじゃねえのかな?」

「あそこは夕立姉貴が物持ちだから、村雨姉貴も苦労してると思うぜ」

 涼風のあとを受けて江風はそう言うとキヒヒと笑う。もう村雨がげんなりしてる絵が見えて苦笑いするしかないな。

「提督、海風や春雨も呼んで、料理の準備しようと思うんだけど、いいかな?」

「おう、進めてくれ。明日は夕方から騒ぐ予定だから、お節は今日中だもんな」

 提督はそう言うとニッと笑う。本当に騒ぐつもりなんだなと苦笑いが自然に出る。

「じゃあ、行ってくるね。あとはよろしくね、江風、涼風」

「了解したぜ、姉貴ー」

「がってんだー!」

 妹二隻の声を背中に受けて、僕は司令室をあとにした。

 

 春雨と海風、それに掃除が終わっていた五月雨も加えて、お節の準備を始めたけど、煮物とかにはやっぱり手こずって、できあがったのはもう夜もずいぶん更けた頃になってしまった。途中で僕は普通の夕飯作りにも抜けたりして、結構バタバタしちゃったな。

「時雨姉さんは、提督に夕飯持っていってください」

「そうです、あとは私たちでやりますよ、はい」

「終わったらみんなにも夕飯配って、片付けて寝るね」

 三隻はそう言って僕に巻き寿司と付け合わせを持たせてくる。提督はまだ夕飯食べてないけど、僕たちはちょこちょこつまんだからなあ。でも、あまり提督を待たせても悪いし、ここはみんなの気持ちに甘えようかな。

「じゃあ、あとは任せるね。ありがとう」

「おやすみなさい、姉さん」

「おやすみなさいです、姉さん」

「おやすみ、時雨」

 手を振りあって、僕は調理室から出た。お節を作りながらの簡単な巻き寿司。それと付け合わせが今日の晩ご飯だ。お盆の上には、提督の分と僕の分が乗ってる。お茶は向こうで煎れたらいいか。

「提督、入るよ」

「おう、入っていいぞー」

 司令室のドアをノックすると、提督の声がドア越しに返ってくる。僕はお盆をひっくり返さないようにドアを開けると、司令室へ滑り込んだ。

「遅くなったけど夕飯持ってきたよ」

「おっ、腹減ってたんだよー。お節の進み具合はどうだ?」

 お盆の上の巻き寿司と付け合わせを机の上に並べる僕を見ながら、提督はそう聞いてくる。

「お節は海風たちに任せてきた。じきにできあがると思うよ」

「一日楽しみにしとくか。明日は餅搗いたりもしないとだしな」

 そう言って笑顔になる提督に、僕の頬も自然に緩んだ。

「お節作りながらだったから、簡単な巻き寿司だよ」

「時雨製?」

「うん。他の三人はかかりっきりになってもらったから」

「時雨の飯も旨いからありがたい。いただきまーす!」

「お茶煎れるね」

 提督は僕がそう言うよりも早く巻き寿司にかぶり付いてる。僕は苦笑いを浮かべながら、お茶っ葉を換えて湯を注ぐ。玄米茶の淡い米の香りが鼻腔をくすぐった。

「明日は午前中にお餅搗いて、午後からはパーティの準備でいいのかな?」

 提督の前に座って同じように巻き寿司を口にしながら、僕はそう聞く。提督はそうだと言わんばかりに破顔した。

「そのとおり。さっすが俺の秘書艦は優秀だな」

「褒めてもなにも出ないよ」

 楽しそうな提督に、僕は苦笑いを返す。褒められてるのは嫌じゃないけど、提督、どこまで本気かわからないからなあ。

「そうつれないこと言うな」

 さすがに提督も苦笑いだ。僕も改めてその苦笑いに苦笑いを返す。それでも、提督はおいしそうに巻き寿司と付け合わせを食べてくれる。時折お茶を飲みながら。なんか、少し心がほっこりする光景だな。作ったご飯をおいしそうに食べてもらうのは素直に嬉しい。

「ごっそさん! 旨かった!」

「どういたしまして」

 提督が箸を置いて手を合わせると、僕も食べ終わったので箸を置いて手を合わせた。あとはこれを片付ければ僕の今日の仕事は終わりかな。ふっと机の脇を見ると、書類の山は大方どころかほぼ片付いてるようだ。ホントに事務官としては優秀な人だと認識する。その中に、バニラ湾沖夜戦の戦闘詳報があるのが目に入った。

「…提督、これは?」

 僕は少し震える手でその戦闘詳報を手に取った。僕が魚雷艇にパニックを起こして、江風を大破させた上に、自分も大破して佐々木大佐が戦死した、滅茶苦茶だった戦い。思い出しても心が苦しい。僕が普段通り戦ってれば、結果は違ったかも知れなかった戦い。

「ああ、さっき手が空いたから読ませてもらった」

 提督はそう言うと、僕に戦闘詳報をよこせと手を差し伸べてくる。僕は導かれるまま、戦闘詳報を提督に手渡した。

「…時雨は、なんで魚雷艇が怖いんだ?」

「え…?」

 提督はぱらぱらとページを捲ると、静かな声でそう聞いてきた。僕にとって魚雷艇は、艦だったときの悔恨と恐怖の象徴だ。それは、提督も知ってると思ってた。

「僕は…スリガオ海峡夜戦で、山城たちを魚雷艇の攻撃で失って…」

「実際のスリガオ海峡夜戦の記録だと、西村艦隊は初戦で魚雷艇を撃退してるぞ。時雨も、被害はなしでその後の戦闘に参加してる」

 提督はそう言うと、僕に書類の束を手渡した。

「国際文書のアーカイブにアクセスして印刷した当時の戦闘詳報だ。西村艦隊を撃滅したのは、丁字戦法で待ち構えていた駆逐艦と戦艦だぞ」

 提督の言うことが旨く飲み込めない。でも、その見慣れた文字は艦だった僕の当時の艦長だった西野艦長の字だ。山城、満潮、山雲、朝雲が被雷。山城爆沈。山雲、朝雲もやがて爆沈した。満潮は火達磨になって更に砲撃を加えられて撃沈。扶桑も砲撃で撃沈された。最上も避雷して大破、僕も至近弾多数で艦体に亀裂及び破孔多数で舵や電信機、羅針盤なんかが故障して、撤退するのも大変だった戦い。

「当時の時雨は山城と扶桑を取り違えてたようだしな。時雨の記憶は、どこで入れ替わった?」

 提督の真っ直ぐな視線が僕を捉えている。この戦闘詳報は、恐らく本物のコピーだ。じゃあ、僕の記憶は? 燃えさかる炎の向こうに見える魚雷艇群は、いったいなに? 僕はきっと怯えた目で提督を見ていたと思う。自分の記憶が信じられなくなった瞬間。じゃあ、僕はいったいなに? 本当に、僕は駆逐艦時雨なの?

「…五月雨も比叡を誤射した記憶が飛んでるみたいだしな。何かしら、お前たちには記憶操作されてる形跡があるってことだ」

「記憶操作…?」

 自分の記憶に寄る瀬を失った僕の空洞に、提督の言葉は空虚に響く。それは、僕を救ってくれるのかな…。

「五月雨の場合、比叡を誤射したのは第三次ソロモン海戦のときだ。比叡はその翌日に沈没してる。その記憶は、もしかすると比叡と僚艦になったときに悪い方へ働くかも知れない」

 提督はそう言うと、一拍置いて僕を見た。その目には、鋭さと優しさが同居してる気がした。

「時雨の場合は、西村艦隊の僚艦への引け目となって出る可能性がある。お前はただでさえどっちかっつうと融通の利かない真面目な性格だ。一人だけ助かった記憶を元々の形で鮮明に覚えてたら、きっと山城や扶桑、最上なんかとも今の関係は築けてなかっただろうな」

 提督の言葉は、そうかも知れないと思えた。扶桑も山城も、最上も僕には優しい。今の僕は、そのことに引け目をあまり感じずにいられてる。単艦で生き残った記憶や奮闘したみんなの記憶は鮮明にあるけど、みんなの悲惨だった爆沈の様子はあまり覚えてない。

「それに、駆逐や戦艦は当初から戦う相手として確定だったからな。もしそんなの相手にいちいちパニック起こしてたら、今お前はここにいないだろうな」

「…うん。そうだね」

 やっと、喉を声がとおった。海上で拾われてから今まで、駆逐艦は数え切れないくらい戦ってきた。戦艦だって、何隻も沈めてきた。その相手と戦えなければ、僕は戦う意味もなかったはずなんだ…。

「ま、真実は闇の中だけどな。俺は軍令部にはいたが、そんな話は聞いたこともなかった。横須賀や前に佐世保にいたときもそうだ。艦娘は、艦の魂を持った少女たちだと言われてただけだったからな」

 提督はそう言って笑う。僕を和ませようとしてくれてるのかな。それでも、僕の胸には提督の言ったある言葉が引っかかった。

「提督、前に佐世保にいたの?」

 佐世保は去年開かれたばかりの新しい鎮守府だ。それまではただ中継基地としてあっただけで、根拠地じゃなかった。

「ああ、まだ言ってなかったか」

 提督はそう言うと、椅子から立ち上がって、椅子に座る僕の横に膝をついて、僕を見上げてた。…なんか、視点が新鮮すぎてどぎまぎする。

「今年最後の夜だし、白状しちまうが、俺は去年佐世保鎮守府が開かれたときに佐々木の副官としてここにいたんだ。奴とは同期だったが奴の方が結果を出しててな、階級は奴の方が上だった」

 衝撃の告白だった。まさか、提督が去年佐世保にいたなんて。

「でも、僕は提督を見た覚えがないよ?」

 心の動揺が声に乗る。いつもより掠れた声は震えた。なんで、僕は提督に知られたくないと思ってるんだろう。

 佐々木大佐との間にあったことを。

「それはそうだろうな。俺は副官と言っても、艦娘周りのことはなにもしてない。資材の手配、他鎮守府との連絡、軍令部との調整、全部裏方の仕事だ。会ったことはあったとしても、覚えてもらえるほどもいなかったしな」

 提督は僕を見上げながら、そう自嘲気味に笑う。

「俺は時雨のことを覚えてるぞ。佐世保に来たときのお前は、姉妹艦たちと明るく笑う普通の女の子に見えた」

 提督の声が、僕の胸をえぐる。ああ、僕も覚えてる。あの頃は、まだみんなでバカみたいに笑いあえてたんだ。あの日までは。

「ある日を境に、お前の顔から本物の笑顔が消えた。作り笑いだけが上手くなったお前の姿があった。他の姉妹艦もそうだ。みんな心から笑わなくなった」

 提督はそう言うと、ふっと目を伏せた。ああ、僕は観念した。提督は、僕と佐々木大佐の間になにがあったのか、全部知ってるんだ。

「お前が仲間のために佐々木に身体を預けたというのを知ったのは少しあとのことだ。勇気のある娘だと思ったよ。怖い娘だとも思った。そんなお前を見てて、俺もなんとかしなきゃって思ったんだがな…」

 提督はそう言うと、また僕を見上げてくる。その目には悔恨が浮かんでた。

「当時の俺じゃ力不足だった。佐々木とは何度もやり合ったさ。だが、軍令部は木村中将をゆくゆく廃して、佐々木に艦隊総司令を任せる気でいたんだ。だから、佐々木とやり合ってる俺は佐世保から軍令部に飛ばされた。ほとんどなにもしてやれずにな」

 提督はそう言うと、ゆっくりと頭を下げる。

「不甲斐ない大人ですまない。本当は、佐々木が戦死するより前になんとかしてやりたかった。軍令部では猫を被って、裏では木村中将とも綿密に連絡を取り合って佐々木の後がまを狙った。あのときの俺には、それしかできなかったんだ」

 鼻の奥がつんとする。顔を上げた提督の視線の強さが、僕の弱さを射貫いていく。提督は、僕のことを助けてくれようとしてたんだ…。僕が提督のことを知らない間にも…。

「軍令部で点数稼ぎをしてた甲斐もあって、佐々木が戦死したあとは木村中将の働きかけもあって、佐世保のことを少しでも知ってる俺がこうやってここの司令官になれた。そして、今やっとお前にこうして情けない過去を白状してる」

「そんなこと…ないよ…」

 僕はそう言うのがやっとだ。声が、ボロボロに震えてる。

「時雨…辛かったな」

 提督の優しい声が、僕の胸を射貫いた。噛みしめていた奥歯がカタカタと音を立てる。握りしめていた手の甲に、滴がこぼれた。

「泣いていいぞ、時雨。ここには俺しかいない。司令室は機密上の問題から防音されてる。姉妹艦たちに聞かれることもない。もう、我慢しなくていいんだ」

 ああ、色んな感情と過去がない交ぜになって溢れてくる。止めたいのに止まらない。もう、きっと限界だったんだ。やっと、自由になれた。

「うわああああぁぁぁぁぁ…っ」

 僕は声を上げて提督に飛びついた。中腰に近かった提督は僕を受け止め損なって、二人とも司令室の床に転がる。僕は、提督の胸を借りて思い切り泣いた。胸の奥の澱をはき出すために。提督は、そんな僕の髪をずっと撫でてくれていた。


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