艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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交錯する思い

 コロネハイカラ島への強行輸送作戦は、突入部隊の司令艦いそゆきの爆沈とその乗員十数名の戦死、さらに司令官佐々木大佐を失うという痛手を被ったものの、何とか完遂した。だが、敵中の最前線である島はいつも敵の猛攻に晒されており、場合によっては撤退も視野に入れる必要が出てくるだろう。それでも、作戦で届けられた物資は、しばらく島を持ちこたえさせてはくれるはずだ。

 佐世保鎮守府は、司令官が空席のまま、日常が戻っていた。

 時雨と江風は数日入院することになり、作戦から戻るなり病院に放り込まれている。

「え、あんなのハッタリに決まってるじゃない。私に時雨を処分する権限なんてあるわけないし」

 見舞いに来た川内に時雨が詫びると、川内はそう言って笑っていた。

「やっぱり。川内さんがそンなことするはずねえしな」

 苦笑いの時雨に、江風はかかと笑う。

「まあ、今後魚雷艇と当たることは多いだろうから、佐世保のエースとしてはどこかで克服しないと駄目だろうけどね」

「そうだね」

 川内の言葉に、時雨はまた細く苦笑いを浮かべる。

「ま、元気そうで安心したよ。退院したらみんなで祝勝会やろうな」

 川内はそう言うと、病室を出て行く。江風は手を振り、時雨は会釈で見送った。

 川内が病室から出て行くと、時雨は小さく溜息をつく。川内の見立てとは違い、佐世保へ戻ってきてから、時雨は元気がなかった。江風は、隣のベッドでその理由を模索するだけだ。佐々木がいなくなって解放されたはずなのにと思う。夜になっても、時雨はなかなか寝付けないようで、窓から見える星空を遅くまで眺めていた。

 怪我は江風の方が軽い。結局時雨の気落ちの理由をちゃんとつかめないまま、江風は二十四駆の部屋に戻った。

 部屋に戻った翌日、江風は船渠で最後の調整をしたあと、時雨の病室を訪れた。時雨は眠っていたが、その眉は苦しそうに寄っている。

「…なンでそンなに苦しそうなんだよ…姉貴…」

 江風はそっと時雨の頬に触れる。時雨の頬は温かく、彼女が無事に生還していることを証明してくれた。江風は時雨の頬から手を離すと、その手をグッと握りしめる。被雷したことによる足を中心とした怪我以外の大きな外傷はない。艤装も既に工廠で修繕ずみだ。だとすればあるのは心の痛みだろう。江風は大きく溜息をつくと、脇の丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。時雨がいない状態の鎮守府は、海風と春雨が秘書艦代理として駆け回っている。二人共、時雨の仕事量の多さに今更ながら驚いていると言っていた。

「…戻れねえなンてことねえよな、姉貴」

 江風はぽつりと呟く。最期に垣間見せた佐々木の弱さがふっと脳裏に浮かぶ。元々優しい姉だ。時雨だけがあの佐々木の弱さを知っていたのだとしたら。負の連鎖を断ち切ったはずなのに、時雨の全てを濁った海の底から引き上げられていない。

「畜生…。江風の力はこンなものだったのか…」

 江風は呟いて項垂れる。

 どれくらいそうしていただろう。

「江風」

 ふっと時雨の声を感じ、江風は顔を上げた。時雨が目を覚ましていた。見た目は、いつもの優しい時雨の笑顔だ。

「姉貴…。目、覚めたンだな」

 江風も胸の内は時雨に見せない。いつもの勝ち気な笑顔を彼女に向けた。

「どうかしたの?」

 その時雨の言葉に、江風は思わず胸を衝かれる。時雨に対しては、かなり厚く心を護っていないとすぐに胸の内を見透かされる。そう思い直して、江風はまた勝ち気な笑顔を向けた。

「なンもないよ。姉貴がいねえと寂しいなって思ってただけだ」

 底の底は隠したまま、江風はそう心情を吐露する。時雨は微苦笑を漏らした。

「なんか、鎮守府に戻ってきてから胸の奥がぽっかり空いたみたいになってるんだ…。前はこんなこと感じたことなかったんだけど…。ああ、そうだ。レイテから戻ってきた時…みたいな感じかな」

 時雨はそう言うと、江風から視線を逸らして窓の外を見つめる。江風の表情が厳しくなる。

「提督が戦死したって聞いてからかな…。毎日毎日、色々あって逃げ出したいこともたくさんあったのに…変だね、僕」

 つ…と時雨の大きな瞳から涙がこぼれ出す。江風は見ていられなくなって、時雨から視線を逸らす。その佐々木を見殺しにしたのは自分たちなのだ。時雨と鎮守府のためになると信じて。

「好きだったのかな、提督のこと。僕との約束だけは、最期まで守ってくれたから…」

「やめてくれよ! あんな腐れ外道のこと、好きだったなン…て」

 江風は立ち上がってそう声を上げてしまう。驚いて振り向いた時雨の前で、江風の表情が崩れていく。ボロボロと涙があふれ出していた。

「江風…」

「姉貴は幸せにならなきゃいけねえンだ! あんな腐れ外道が、姉貴を幸せになんてできねえよ!」

 江風は頭を振りながら子供のようにそう喚く。胸の奥が痛い。自分のしたことは何だったのか。心が千切れそうだ。こんなことなら、あの時佐々木に殺されていれば良かった。そうとさえ思える。佐々木と共に爆死していれば、時雨のこんな顔は見なくてすんだのだ。自分の迂闊さを呪う。だが、その江風に時雨は涙目のまま優しく微笑む。

「でも、終わったのは終わったんだ。僕は自由になった。それだけは間違いないよ」

 時雨の言葉に、江風は涙を拭いて時雨を見る。必要なのは時間と、時雨を支えてくれる別の存在だと気づいた。それは、自分ではない。白露型の誰かでもない。川内たちでもない。この優しい姉の心を護ってくれる誰かだ。佐々木が時雨に依存を深めていったのと同じように、籠の中で時雨も佐々木への依存を起こしていた。ただそれだけだったのだ。殆ど誰とも接せず、一年を佐々木と二人だけで過ごしていたようなものだったのだから。江風はもう一度乱暴に涙を拭う。

「姉貴、退院したら、川内さんが言ってたみたいにみんなで祝勝会やろうぜ。もう咎めるヤツもいないんだし」

「そうだね。楽しみにしてる」

 そう言う時雨は、微笑んでいた。今はまだ心の底から笑えなくても、それは仕方がないのだ。自分が何もできないもどかしさはあるが、それは自分の役目じゃない。自分は自分の、自分にしかできない仕事をした。江風はそう思い直して、時雨に勝ち気な笑顔を向けた。

「時雨姉さん!」

 そこへ、海風が慌てた表情で飛び込んできた。

「あ、江風もいたのね」

「どうしたンだ、海風姉貴?」

 江風を認識した海風に、江風はそう聞く。海風は江風に言われて思い出したように口を開いた。

「明日、新しい司令官が着任するそうです! 出迎えとか、準備どうしたらいいかと思って…」

 海風はそう言って手元のバインダーを見る。二十代半ばと思われる若い軍人の姿が写った書類が挟まっていた。

「寝てられないね」

 時雨はそう言うと、身体を起こす。時間はどんどん流れているのだと思わされる。そう、僕は佐世保の時雨なんだ、と自分に言い聞かせた。一番艦の白露を支えるのも、姉妹たちをまとめるのも、全て僕の役目だと思い返す。

「江風、海風、僕を船渠まで連れて行ってくれないか。時間はかかるだろうけど、入渠した方が早そうだ」

「ちょっと待ってろ、時雨姉貴。車椅子取ってくる」

 時雨の言葉に江風は病室を飛び出していく。海風は驚いたように江風の後ろ姿を振り返った。

「江風と、なにかあったんですか…?」

 赤い目の二人を見て、海風は思わず時雨にそう聞いてしまう。時雨は微苦笑を浮かべた。

「江風に気合いを入れられたんだ。僕がメソメソしてたから」

 時雨はそう言うと、窓の外を見た。冬の重い雲が空を覆い、そこから一筋の光が差し込んでいた。

「もう、江風ったら、怪我してる姉さんに酷いコトして。あとで叱っときます」

「いいよいいよ。江風のおかげで少し目が覚めたから」

 唇を曲げる海風に、時雨は苦笑を返した。江風のストレートな気持ちは、時雨の胸の奥の穴を少し埋めてくれた。こうして自分を思ってくれる人は周囲にいくらでもいるのだと気づかせてくれた。今の「佐世保の時雨」は、みんなに支えられて初めて成り立つんだと思わせてくれた。

「さあ、新しい提督が来たら、忙しくなるね」

 頷く海風の後ろから、車椅子を持ってきた江風の快活な笑顔が見えた。

 

 翌日、夕立に護衛されて司令艦はるゆきが佐世保に到着した。タラップから一人の青年将校が降りてくる。佐世保に所属する艦娘たちはその様子を整列して見守った。

「敬礼!」

 時雨の声が響く。ザッと全員の右手が挙がる。青年将校も返礼を返した。

「今日からここの司令官としてみんなの世話になる荻野誠大佐だ。司令職は初めてでみんなに頼ったり迷惑をかけることも多いと思うが、よろしく頼む」

 荻野はそう言うと、時雨に視線を送る。時雨は目だけで頷いた。

「敬礼!」

 時雨の声が凜と響いた。

 

「君が時雨だな。木村中将から話は聞いてる。佐世保を切り盛りしてる有能な艦娘だって」

 解散させたあと、荻野は時雨に声をかける。時雨は小さく首を振った。

「佐世保は僕が代表をしてるだけで、みんなで回してるよ。横須賀と違って、軽巡と駆逐だけの小さな鎮守府だし」

「そうか。控え目なんだな。駆逐では練度一番だと聞いてるぞ」

「それも、たまたま長く中将にお世話になって、色んな経験をしただけ。僕なんかよりそこの夕立の方がすごいし、トラックにいる雪風だって」

 時雨はそう言って細く笑う。その様子を見ていて、江風は退屈だなあと思ってしまう。そうして、思いついた江風は荻野の持つスーツケースをひったくった。

「お、おい!」

「提督! 早く司令室に行こうぜ! 立ち話なンかしてても仕方ねえだろ!」

「わたしも早くみんなと遊びたいっぽい! わたしも今日から時雨ちゃんのお世話になるっぽい!」

 江風と夕立がそう言って荻野の荷物を持って駆けだしていく。荻野は呆然とその二人を見送ってしまった。

「提督、案内するよ」

 時雨に見上げられて、荻野は一瞬間を置いて頷いた。

「ああ、頼むよ」

 並んで歩き出した荻野と時雨を遠くから江風と夕立は眺める。

「へー、結構似合いだな、提督と時雨姉貴」

「時雨ちゃんが嬉しいなら、わたしも嬉しいっぽい!」

 そう言い合って、江風と夕立は笑い合う。あの少し頼りなさそうな荻野が、これから時雨の心の穴を埋めていってくれたらなと、江風は思った。

 


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