艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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敵は提督

 江風は、浦風と谷風と合流してから、爆沈を始めたいそゆきの艦内へ潜り込んだ。既に艦内では艦の放棄が決まってまだ動ける怪我人を中心にタッカーに移乗する作業が進んでいた。通路には既に物言わぬ塊となった乗員が打ち棄てられている。

「ここはうちと谷風でやるけえ、江風は艦橋へ行き」

 浦風に言われて、江風は思わず浦風を振り返る。

「やることがあるんじゃろ? 今がチャンスじゃ」

 そう言って浦風は江風の背をぽんと押す。

「浦風…」

 呆気にとられる江風に、浦風はいたずらっぽく微笑む。そうして、谷風を振り返った。

「谷風は艦尾へ回り。うちはこの辺の要救護者を助けるけん」

「がってんだ」

 浦風の言葉に、谷風は江風を振り向くことなく艦内通路を艦尾へ駆けていく。浦風がもう一度江風を振り返って行けと顎で合図した。

「恩に着るぜ、浦風、谷風!」

 江風は声を上げると、艦橋へ続くラッタルを駆け上がった。

 左前に傾斜を深め、破壊もされている艦橋には、既に息を引き取ったブリッジ要員以外誰もいない。江風は足場の悪くなった艦橋をもう一度眺めた。どうせなら、佐々木にも戦死しておいてほしかった。そうすれば、自分たちの手を汚さずにすむ。江風は注意深く炎に照らされた艦橋内を見渡す。目的の佐々木はいないのかと思ったが、艦橋の隅に血まみれの二種軍装の足が見える。江風は注意しながら近づいていくと、佐々木が足を押さえて呻いていた。

「江風か?」

 脂汗を垂らしながら、佐々木は呆然と立ち尽くす江風を見上げた。その顔は、炎に照らされ悪鬼のようにも見えた。

「今すぐ俺をここから連れて脱出しろ! まだタッカーはあまってるはずだ!」

 佐々木は吠える。江風は放心したように一歩佐々木に近づいた。

「オッサン、なんで取り残されてンだ? アンタ、この艦隊の司令官だろ?」

「あいつら、総員退去命令を出したら怪我をした俺を置いて逃げやがった。帰ったら、全員厳罰にしてやる」

 佐々木はまたそう吠える。江風の表情が消えた。

 生き残った全員に見限られたのか。

 じゃあ、殺してもいいよな、姉貴。

 江風は、静かに魚雷発射管から魚雷を抜き取る。艤装を痛めた江風のとっておきだ。

「お前、なにを考えてる!?」

「死んでくれよ、オッサン。アンタをこのまま佐世保に帰すわけには行かねえンだ」

 江風は佐々木を見下ろしながら、魚雷を大きく構える。

「こんな至近距離で魚雷が爆発すれば、お前も助からんぞ、江風!」

「元より覚悟の上さ。佐世保の時雨の栄光は、この江風が守るのさ」

 明らかに狼狽が見える佐々木に、江風は冷たく言い放つ。この魚雷を床に叩きつければ、佐々木も江風も爆散して尽きるだろう。佐々木に比べて非力な江風には、そう言った作戦しか残されていなかった。

「この爆沈中のいそゆきの中でもう一つくらい爆発が起きても誰も気になんかしねえ。時雨姉貴を弄んだアンタは、許せねえンだよ」

「ふざけるなァッ!」

 佐々木は態勢を変えると、まだ動く右足で床を蹴り、江風に飛びかかった。不意を突かれた江風はよろめき、魚雷を奪われてしまう。床に激突した艤装が激しく背中を打った。

「時雨を弄んだだと!? あれは時雨が望んだことだ! お前たちの身代わりになるとな! それを好きにしてなにが悪い!」

 佐々木は江風に馬乗りになると、奪い取った魚雷を艦橋の外に放り投げる。魚雷は海へ落ちた。

「俺は死なん! 生きて佐世保へ帰ってやる!」

 佐々木はそう叫ぶと、江風の首に手をかけた。ギリと音がして、江風の喉が締まる。

「死にたいなら、俺が殺してやる。お前一人で死ね!」

 佐々木はギリギリと江風の首を締め上げた。江風はもがきながら声にならない潰れた声を上げるのがやっとだ。艦娘とて不死身で不死ではない。身体を何らかの方法で殺されてしまえば、艦娘としても死を迎える。轟沈だけが艦娘の死ではなかった。江風は精一杯の抵抗を試みるが、屈強な佐々木にはまるで歯が立たない。

 やべえ、死ぬ。

 脳裏にそんな言葉がかすめた。徐々に力が入らなくなってきている。ここで落ちてしまえば、それはもう死んだと言うことだろう。

 ごめん、時雨の姉貴…。江風、なんにもできなかったよ。

 江風は胸の奥で時雨に詫びてから、最後の力を振り絞る。それでも、喉にかかった佐々木の腕はびくともしなかった。

 江風の力が緩み、その指が佐々木の腕を離れた瞬間、轟音と共に佐々木の身体は江風の上から消えていた。ほんの少しの時間を置いて、江風は辛うじて蘇生する。その場から滑るように移動して大きく咳き込んだ。

「貴様、日向!」

 艦橋の壁に叩きつけられた佐々木は、驚いて声を上げた。その視線の先には、主砲を構えた日向の姿があった。

「大丈夫か、江風」

 声に顔を上げると、川内が艤装の隙間から背中をさすってくれていた。江風は、喘ぐ息の間に大きく頷いた。

「君にはここから出て行ってもらっては困る。艦娘の武器は人には無力だが、質量兵器として足止めすることくらいはできるさ」

 日向はそう言いながら、主砲を佐々木に叩き込む。その砲弾は爆発することなく佐々木を殴りつけた。佐々木が呻く。日向は、佐々木の抵抗がなくなるまで、何度も主砲を撃ち込む。やがて、艦橋の中に海水が流れ込んできた。佐々木の顔が青ざめてくる。足を痛めて泳げない状態で、死を意識し始めたのだろう。

「時雨、俺を助けろ! 時雨! 俺を助けてくれ!」

 佐々木はそう声を上げて喚く。日向の冷たい表情は変わらない。

「残念だが、時雨は先ほどの戦闘で大破して動ける状態じゃない。今は浜風が看ている」

 佐々木の顔に絶望が広がる。艦橋の中を海水が満たしていく。既に江風たちは海水に浮いている状態になっていた。佐々木は、もう胸まで水に浸かっている。

「時雨…助けてくれ…。俺を助けてくれ…」

 佐々木は震えながらそう言っていた。もうその目の焦点は合っていない。江風の胸に、やりきれない気持ちが湧いてくる。佐世保鎮守府を蹂躙した悪逆の独裁提督は、こんな弱い人間だったのかと。少しずつ、艦橋は水に浸されていく。

「時雨…」

 時雨の名前を最後に呟いて、佐々木の身体は海水の中に消えた。そうして、もう浮かんでこない。日向は遠巻きにその様子を確認する。艦の爆発はもうだいぶん進んでいた。ここもそろそろ巻き込まれそうだ。

「私たちも脱出するぞ。江風、行けるな?」

「ああ」

 江風は日向に頷くと、佐々木が消えた場所を一瞥してから、海面を滑り出す。

 自分がしたことは、これで良かったンだろうか。

 そんな淀みを心に残して、江風は時雨の元へ急いだ。

「いそゆき、沈むよ!」

 警戒に残っていた最上の声が無線から響く。時雨は、ぼんやりした顔でその声を聞いていた。大小の爆発を繰り返しながら、いそゆきは時雨の視界から消えていく。

 提督、助かったのかな。

 僕は、またやっちゃったから、川内さんに雷撃処分されるかな。

 そんなことを考えながら、時雨の意識はまた堕ちていく。

 最後に、江風の声が聞こえた気がした。

 


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