艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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出撃前夜

 新しい任務の出撃前というのは、なんとなくいつもと違った雰囲気になるものだ。この鎮守府に最初からいることもあって、全体の中で一番練度の高い電が旗艦を任されることが多いみたいだけど、電は頑張り屋さんな反面、少しどんくさくて気弱なところがあるから苦労してそう。もっとも、どんくさいに関しては、私も人のこと言えた義理じゃない。その夜も、緊張を見せていたものの、疲れ切っていた電は、「第六駆逐隊」に充てがわれている四人部屋の二段ベッドの上で、あっさりと眠りに落ちていた。私は、久々の実戦ということもあって、まだ眠れずにいる。夜の静寂に耳を澄ましていると、遠くで穏やかな波の音も聞こえる。ついこの間までいた「元の私」が眠っている浅い海の底を思い出す。元の暁、元の雷、元の電、姉妹たちから遅れること三十年、老朽化した私は実艦標的として爆撃訓練に供され、破壊されて海の底に沈んだ。武装も、装甲も、すべてを剥ぎ取られ、体中に標的をペイントされ、逃げることも許されずに味方の爆撃機に嬲られ、沈んだ。戦闘艦の一生なんて、こんなものだ。敵と戦って沈むか、味方の訓練の的になって沈むか、生き残っても鉄屑として解体され売られていく。武装解除されて民間へ売られていくような幸せな艦は殆どない。それでも…前の私は幸せだったと思う。戦闘艦として戦場を駆け回って、ソビエトに行ってからは訓練艦として育成に協力できた。こんな私でも、何かの役に立てたんだと思う。それだけは素直に誇りたい。

 ただ、この新しい世界で雷と電という妹たちに再び会うと、やっぱり思い出されることがある。やり残してたことと言ってもいい。いつかでいい。そのやり残したことをこの世界で遂げておきたい。

 そんなことを思っていると、隣のベッドから物音が聞こえた。雷もまだ眠れないらしい。

「雷、起きてる?」

 小声で問いかけてみる。向けられていた背中がくるっとこちらを向いた。

「起きてるわ。響も眠れないの?」

 そうは言いながらも雷の目は眠そうだ。今まさに寝入ろうとしているところを起こしてしまったらしい。

「少し…。電は他愛ないな」

「あの子は一番最初に来た子だから、本来天龍や由良がやるはずの仕事もやってるからね。司令官の相手もしてるし、疲れて当然よ」

 そう言って、雷も小さく欠伸をする。その電のバックアップをしているんだから、雷も疲れてるんだな。

「…暁のこと?」

 私がしばらく黙っていると、雷の方からそう聞いてきた。この辺りはさすが雷というべきなんだろうな。気が利くというか、人の気持ちに敏感で、それでいて知らんふりもできる。私には真似できそうにない。

「暁がこの鎮守府に来る予定はないんだね」

「今のところはね」

 雷はそう言って嘆息する。

「どういう順番なのかさっぱりわからないわ。あたしたちの前型のはずの睦月型はまだ誰も来てないし、特型だってⅠ型は白雪だけ、Ⅱ型が綾波、ⅡA型が潮、あたしたちの後継型の初春型が若葉、その後継型の白露型が時雨だけ。朝潮型もネームシップの朝潮だけ。陽炎型より後の駆逐艦も誰もいないしね。ホントあたしたち特Ⅲ型だけ三隻も揃ってるの奇跡だわ」

 そう聞くとホントにそうだ。バラバラだもんな。でも…。

「暁のこと、覚えてるか?」

 私がそう聞くと、雷はちらっと私の方を見て二段ベッドの低い天井に視線を向ける。

「忘れたくても忘れられないわ…。第三次ソロモン海戦の第一夜戦、警戒隊から夕立が行方不明になって、いつの間にか敵の向こう側に比叡がいて…。先頭艦になった暁が探照灯照射…。あとは見てられなかったわ。壮絶だったもの、暁の最期…。後方だった電は無事だったけど、あたしも大破しちゃうし…。敵も味方も入り乱れて、めちゃくちゃな戦いだったもの」

 それっきり、雷は黙り込んだ。

「私は、雷に教えて貰ったんだよ。暁の最期…」

 私もそう言って黙る。横須賀でアリューシャン攻略作戦時の損傷を修理していた私は、この戦いには参加できなかった。ようやく修理が終わって、南方への任務を貰った時に、私と入れ替わるように横須賀に帰ってきたのが雷だった。

「…覚えてるわよ。あたしは機関が無事だったから助かっただけ。沈んでてもおかしくなかったもの。横須賀鎮守府の入り口で、響に言ったわよね。『暁が沈んだ』って」

「ああ」

 落ちた声の雷に、私は頷く。今でも鮮明に覚えているあのシーン。雷は、前の私に負けないくらいボロボロになった姿で、笑顔でそう告げながら泣いていた。

「この世界ではね、誰も喪いたくないのよ。だから」

「わかってる」

 涙目の雷と視線が交差する。思い出して涙している雷に対して、私の瞳にも表情にも、なんの変化もない。薄情なと思われたかな。…でも、目の前で助けられなかった電だけじゃない。私がドックに入っている間に、私が行くはずだった海でたくさんの仲間が沈んだ。それは、私も繰り返したくはない。

「あたしたちが、海の底から暁を引き上げるの」

 眠っている電に配慮して小声ではあったけど、雷は潤んだ瞳のままそう言った。そうだよな。私たちが、暁の手を引くんだ。もうずっと離ればなれにならないように。

「余計眠れなくなったじゃない。どうしてくれるのよ、響」

 じっと見ている私に、雷は頬を膨らせる。私は思わず苦笑いを返すしかない。申し訳ないと言うしかないかな。

「眠くなるまで思い出話でもしようか」

「朝になるのがオチだと思うわ」

 雷はそう言うと、背中を向けて毛布を被り込んだ。その背中が動かなくなったのを見届けて、私も重たくなってきた瞼を閉じた。

 

 朝、総員起こしの起床ラッパで起こされ、私たちは身支度を整える。遅くまで眠れなかったこともあって、本来ならまだ眠いはずなのだが、高揚してしまっている気持ちは眠さを感じさせなかった。

 実戦。

 その二文字が怖れと不安を呼び起こす。

 誰かが沈んだら。

 自分が沈むことで、誰かが心を痛めたら。

 隊の中で一番練度の低い私は、後者を特に恐れた。

 電に、雷に、そんな思いをさせたくない。

 だから、私は生き残らなきゃいけない。

 もっと、経験を重ねて強くなって。

 同じ部屋で準備をすすめる電と雷も、少しの緊張感を見せているが、概ねいつもと変わった感じはなさそう。いつもより外洋に出る事だけが不安らしい。私は、まず足手まといにならないようにしなくちゃ。あの時のように。

「響、行ける?」

 前髪をピンで止めながら、雷は聞いてくる。心地のいいお節介が耳を通り抜けていく。

「ああ、行ける」

 そう言って、私は艦内帽を被った。電も頷いてくる。

「行くのです!」

 狭い部屋に、電の声が響いた。

 

 岸壁に出て行くと、既に天龍と時雨、若葉は来ていたようで、司令官の横で天龍が仁王立ちしていた。

「おっせえなあ! ちゃっちゃとやれよー」

 天龍の声が響く。首をすくめた電を見ていると、どっちが旗艦かわからなくなる。その横で、司令官は苦笑いだ。

「ごめんごめん。でも遅れてないわよ」

 明るく返す雷に、天龍が舌打ちする。いわゆる五分前行動って言うのはできてるはずだから、雷もそう言い返したんだろう。ちらりと電の方を見ると、電は困ったように眉を寄せて笑いかけてきた。ああ、いつものことなんだな。

「第一艦隊、第一水雷戦隊、集合しましたのです」

 先に来ていた天龍、若葉、時雨の横に並んで、電が敬礼しつつそう声を上げる。私たちもそれにしたがった。司令官の右手がゆっくり挙がって降りる。

「状況は昨日伝えたとおりだ。哨戒任務と言ったが、事実上制海権のない海域だから威力偵察に近い。敵艦隊を発見次第撃滅するように」

「はいっ!」

 電の元気な声が響く。その声を聞いて、司令官も頷いた。そうして柔らかく笑う。

「でも、みんな無事に帰って来るんだよ」

 その声に推されるように、私たちは出撃した。


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