川内の改二申請はあっさり通り、川内は一足先に横須賀へ移動し、改二改装を終えて横須賀から出発する艦隊に組み込まれて出撃することになったようだ。まるで何事もないかのように日々は日常を重ねていく。江風は最後の調整を続けながら出撃の日を待った。
やがて、本当に何事もなく出撃の日が来る。佐々木の乗艦する司令艦いそゆきは、結局時雨と江風、海風の三隻でショートランドまで護衛することになった。
「じゃあ、行こうか」
いつも通りの時雨の笑顔が出発を告げて沖へ出て行く。江風と海風は頷き合うと時雨に続いた。
この日まで、川内からは何の連絡もない。横須賀を無事に出発できたのかもわからない状態だった。だが、便りがないのは良い便りだと思うことにして、江風はいそゆきの右後方を進んだ。何日も続く航海の途中から、時雨は護衛を外れて艦内に収容されていた。先頭を江風、後方を海風が守る二隻護衛の隊形になっていた。江風は任務にだけ集中して航海を続ける。ここでいそゆきを撃沈されてしまえば、佐々木のことなど知ったことではないが、他の乗員だけでなく艦内で無防備な時雨も失う可能性があるからだ。それはとにかく避けたかった。
長い航海の果て、ショートランド基地へ到着した。基地には、既に横須賀からの司令艦さわゆき、輸送艦おが、みうら、ちた、おとみ、トラックから移動してきた司令艦はまゆき、パラオから来た司令艦あさゆきがその大きな艦体を休めていた。
「江風たちが一番最後かぁ」
巨艦たちの脇を抜けて、江風と海風は上陸用スロープに移動する。接岸したいそゆきを見ると、時雨がタラップから上陸するのが見えた。艤装も展開せず、損傷しているわけでもないのに歩いて上陸する時雨の姿は、予想はしていたが江風には悲しく思えた。
上陸すると、江風と海風は時雨と合流して艦娘の控え室へ案内された。そこには、各基地から集められた精鋭が顔を揃えている。その中に、川内の姿もあった。
「先遣部隊は囮になって敵棲地へ突入する。その間にこちらもすませてしまうことになる」
日向が江風を見つけるなり、近寄ってきてそう声をかける。
「コロネハイカラ島へは艦隊を三つに分けて進むことになりそうだ。輸送艦隊の護衛隊、突入隊、遊撃支援隊ということだな」
日向はそう言うと、川内と最上を手招きする。
「バニラ湾には敵の妨害部隊が既に遊弋している。先遣隊は川内旗艦で最上、夕立、時雨、江風、浜風になりそうだ。夜間戦闘になりそうだから、調整しておいてくれ」
日向の言葉に、その場にいた川内、最上、江風が頷く。
「とにかく気負わず確実に行ってくれ。輸送艦隊が撃滅されればこちらの負けだ。主力部隊の働きも無駄になる。頼んだぞ」
日向は江風たちが頷くのを確認すると、他の艦娘の方へ離れていった。江風がちらりと川内の方を見ると、川内はニッと笑い返してくる。元の制服を改装した忍者のような改二スタイルだ。江風が首を巡らせると、時雨の方は扶桑と山城に話しかけられているようで、苦笑いを浮かべていた。
「時雨、元気そうだね」
「道中はほぼいそゆきの中だったンで、気疲れはしてると思います」
江風は川内にそう言って、また時雨の方を見る。「佐世保に移動してからあなた、瞳に光がなくなったわよ」という山城の声が聞こえてきた。時雨は苦笑いを浮かべるしかないようだ。
「わかる人にはわかるンですね」
「山城さんは西村艦隊で時雨と縁あるしなあ。元々横須賀時代でも時雨のことかわいがってたからな、あの二人は」
川内に言われて江風は頷く。自分が沈んだあとの壮絶な戦いのことは耳に挟んでいる。その中で、時雨がどんな風に戦ったかも。
「とにかく、仕事は仕事。確実にやろう」
川内の言葉に、江風はまた頷いた。
やがて、トラック基地を預かっている風間少将がやってきて、編成表を貼り出す。
「各隊分かれてミーティングを行う。この表を見て、みんな移動してくれ」
風間はそう言って表の横に立った。ぞろぞろと艦娘たちは集まってきて自分の部隊を確認する。
作戦に先立って先遣し、敵の主力をコロネハイカラ島から遠ざけ、作戦の成功率を上げるための囮部隊には、山城、扶桑、金剛、榛名、摩耶、加賀、矢矧、比叡、霧島、島風、朝潮、秋月が選ばれていた。指揮官は木村中将。作戦の要たるコロネハイカラ島への輸送を担う護衛部隊には、阿武隈、初風、雪風、天津風、時津風、海風、指揮官はトラックの風間少将。バニラ湾に突入し、敵の遊弋隊を蹴散らし輸送作戦を容易にする突撃隊には、川内、最上、夕立、時雨、江風、浜風、指揮官に佐々木大佐。突入部隊、輸送部隊を掩護する遊撃艦隊に日向、飛龍、蒼龍、磯風、浦風、谷風、指揮官にパラオの大沢中佐が充てられていた。
「海風は輸送部隊掩護ね」
「頼むぜ姉貴。おおすみ型輸送艦四隻はかなり大変な護衛相手だぜ」
そう言い合う海風と江風に、時雨が近寄ってくる。
「僕たちはあっちだね。行こうか」
「じゃあな、海風姉貴」
「気をつけて江風、時雨姉さん。無理はしちゃ駄目よ」
その海風に、江風も時雨も笑う。
「今しなくていつすンだよ、姉貴」
「そうだよ。ここは僕たちが何とかしないとね」
そう言うと、江風と時雨は踵を返して部屋を出て行く。海風の胸には胸騒ぎだけが残った。
突入部隊は隣の部屋の一角に集められていた。既に浜風と夕立はやってきている。
「時雨ちゃんと一緒はうれしいっぽい!」
時雨の姿を見かけるなり、夕立は飛びついていく。江風は苦笑いで見ているしかない。そうしていると、浜風が近づいてきた。
「パラオ基地所属、第十七駆逐隊の浜風です。よろしく」
生真面目そうな顔が笑顔もなしにそう言ってくる。江風はニッと笑顔を向けた。
「佐世保の第二十四駆逐隊、江風だよ。よろしくな」
そう言うと、浜風の唇が少しだけ綻ぶ。ああ、不器用なんだなと江風は理解した。
「時雨姉貴と夕立姉貴はいいの?」
「時雨と夕立とは、横須賀時代に一緒の艦隊だったこともあるから、面識はあるの」
「なるほどね」
浜風とはそんな会話を交わす。彼女の所属する第十七駆逐隊は遊撃部隊に三隻配属され、浜風だけがこちらに参加している。そのあと、浜風と他愛もない話をしていると、川内と最上もやってきた。その直後、廊下で大沢の大きな声が響く。
「ウチの所属艦に手を出したら、いくら上官でも許しませんよ!」
思わず江風も浜風も廊下を見た。佐々木と大沢が睨み合っている。
「お前んとこの所属艦って、そこの乳のでかいのか」
「なっ!?」
佐々木の無遠慮な視線と言葉に晒され、浜風は思わず声を上げて真っ赤になってしまう。さすがに江風も不憫だと思い、佐々木へ硬い視線を送り返した。
「許さないって、どうすんだ、若造」
「提督!」
佐々木が大沢に絡み出したのを境に、時雨の声が飛んだ。いつの間にか、時雨が大沢と佐々木の間に入ろうとしている。男二人の間で、時雨の身体はことのほか小さく見えた。その時雨の姿を見て、佐々木は舌打ちする。
「ま、聞いといてやるよ」
そう言って、佐々木は大沢に背を向けた。大沢は鬼の形相で佐々木の背中を見つめている。
「大沢中佐、すみません。浜風のことは、僕がちゃんと見ておきます」
時雨に頭を下げられ、大沢は一気に毒気を抜かれた。ぽかんとした顔で、時雨を見下ろす。
「君が何も大佐の代わりに謝ることは…」
「気にしないでください。浜風、お借りします」
時雨はそう言うと、また大沢に頭を下げて部屋の中に戻ってきた。
「なんか、幼妻って感じだなあ。大佐も時雨に操られてないか?」
川内が呆れたようにそう呟く。江風は返事を返さない。そこへ至るまでの時雨の痛みと悲しみは、想像に難くないからだ。真っ赤になって半泣き状態の浜風は、最上が声をかけて笑わせようとしていた。
「作戦を説明するぞ!」
そんな状態の江風たちを、佐々木が怒鳴りつける。全員佐々木の前に整列した。
「敬礼!」
川内の号令で、作戦説明が始まった。