秋は深まっていく。佐世保にも北風の声が聞こえてきた頃、一報がもたらされた。
「海風、江風、提督が呼んでるよ」
出し抜けに時雨が現れ、本を読んでいた海風は飛び上がりそうになった。五月雨と涼風は雑用にかり出されて留守だ。
「あれ、江風は?」
「江風は、訓練で疲れて眠ってます」
海風はそう言うと、立ち上がって二段ベッドの下段にある江風のスペースのカーテンを開けた。まさしく熟睡中の江風の姿がそこにある。
「なんか最近川内さんと夜戦の訓練してるんだってね。時折演習場からなにか聞こえることがあったから。江風も頑張ってるんだね」
そう言いながら、時雨は江風の肩を揺する。
「江風ー、提督がお呼びだよ。起きてくれないと困るな」
時雨がそう言ってしばらく揺すっていると、江風の目がゆっくりと開く。その目が時雨を認識したとたん、がばっと起き上がった。
「時雨姉貴!?」
「提督がお呼びだよ。着替えたらすぐ司令室」
いたずらっぽく笑ってそう言うと、時雨はふわりと身を翻して部屋を出て行く。江風は思わず呆然と見送ってしまった。
「海風も呼ばれたの」
「なんだろな」
江風はそう呟くと、ベッドから這い出て着替えを始める。いつもの服に着替え、髪を結んだら準備完了だ。
「行こうぜ、姉貴」
「うん、そうね」
頷き合うと、二隻は部屋を出て司令室に向かった。
佐々木から呼び出しがあるなど初めてのことだ。なにか勘ぐられたのではないかとヒヤヒヤする一方、さっき見た時雨の柔らかい笑顔はその考えを否定する。幾分悶々としながら、司令室へ着いた。
「海風、入ります!」
「江風、入るぜ」
二隻がドアをくぐると、中には佐々木と時雨以外に川内の姿もあった。時雨も、いつもの定位置である佐々木の横でなく、今日は川内の横に並び、佐々木に正対している。
「遅い! さっさと来い!」
「はいっ、すみません!」
海風がそう佐々木に反応して時雨の横に並びかける。江風は無言でそれに続いた。
「敬礼!」
時雨の声で、四隻は佐々木に敬礼をするが、佐々木は頷きもせず返礼もない。時雨に合わせる形で、手を下ろした。
「コロネハイカラ島への輸送作戦を支援することになった。艦隊司令部からの要請で、佐世保からはこの四隻が出ることになる。俺にも要請があったから、俺も艦隊の指揮を執ることになるとは思うが、その時はわかってるな」
そう言って、佐々木は四隻を睥睨する。海風が少し表情を動かした程度で、残りの三隻の表情は変わらない。佐々木は鼻を鳴らす。
「一週間後の十一月十二日に出発する。ショートランド基地までは俺の司令艦の護衛もしろ。いいな」
「敬礼!」
時雨の見切りは早い。佐々木の話が終わったとみると、まるで阿吽の呼吸で敬礼の指示を出す。佐々木はこの時ばかりは無表情ながらも頷いた。
「解散!」
「はいっ!」
時雨の声のあと、残りの三隻の声が揃う。時雨を残して三隻は司令室を出て行く。そうして、示し合わせたように食堂へ移動した。
「大規模作戦だったんですね」
「ま、順当なメンバーかな。あとは連れて行けそうなのって春雨くらいだしね」
海風にそう言って、川内は笑う。だが、江風は笑わない。まだなにか考えながら俯いていた。
「とりあえず、訓練は続けるよ。どうせならベストを超えたところで作戦に挑みたいしね」
川内はそう言ってまた海風に笑いかける。海風は江風の様子をちらっと見てから戸惑ったように頷いた。
その夜も、川内と江風は示し合わせたわけでもなく、夜の演習場へやってきていた。始めた頃に比べると、二隻の動きは格段に良くなっており、江風ももうへばるようなこともない。数時間の演習をびっちりすませたあと、岸壁で飲み物を分け合った。
「そろそろ改二申請しても通るかな」
川内はそう言って腕をさする。自分の動きに艤装が追いつかなくなっているのがわかるのだ。どちらかというと、艤装に動きを制限されている感じすらする。
「いいなー、川内さん改二か」
江風はそう言って、ペットボトルの液体を開ける。川内の動きにはまだまだ追いつけないが、それでもここへ来たばかりの頃の自分とは比べものにならないくらいの練度を重ねることはできた。今なら春雨も超えて佐世保の時雨の妹分としてはそれなりに申し分ないかと思えるのだ。だからこそ、この作戦の中で、何かしらのチャンスをつかみたい。昼に見た時雨は、自分たちに殆ど顔を見せてくれなかった。それが気になるのだ。隠したい、見抜かれたくないなにかがあるのかと思う。もう、限界なのではないのかと。
「川内さん、オッサン殺したら解体ですかね」
ぽそりと、江風は呟いてしまう。川内は少し驚いた顔をしたが、口元に笑みを浮かべる。
「そうだね。バレたら解体は免れないだろうね。反逆罪ってヤツになるのかな」
「ですよね」
江風はそう言うと、またペットボトルの飲み物を口にする。
「時雨姉貴を助けたいンです。川内さん、協力してください」
しっかりと川内を見据え、江風はそう言いきった。川内も真剣な瞳でその瞳を見返す。江風の瞳には揺らぎも迷いもなかった。
「時雨、酷い目に遭ってんだ?」
川内はそう言うと、江風から視線を逸らし、自分も飲み物を口にする。そうして伸びをした。
「佐々木大佐の噂は横須賀の時から聞こえてたけど、時雨を囲ってやりたい放題か。私たちの敵みたいなもんだね」
「時雨姉貴が自分の存在と引き替えにここの全部の女を護ったンです。今度は、江風たちが時雨姉貴を護る番だって」
江風は立てた膝に顔を埋めながら呟くように言う。
「それで私の夜戦訓練一緒にやってくれたんだね。強くなるために」
「強くなりたいンです。時雨姉貴を守れるぐらいに」
江風の横顔は真摯だった。川内の胸の奥にも熱い炎が点る。
「夜戦になればチャンスがあるかもね。戦場では、なにが起こってもおかしくない」
川内はそう言って笑いかける。その笑顔を見て、江風は頷く。
「逆襲されないようにしないとね。あとは、時雨に知られないようにすること。もう少し同志はほしいかな」
「海風姉貴も、このことは知ってます」
「海風じゃ残念だけど、戦力にはならないよ。彼女には、別の役目を考えた方がいい」
川内はそう言って空を見上げる。満点の星空は天啓をもたらしてくれた。だが、それを江風に言うわけにはいかない。
「改二で訓練して、あとはチャンスを待つだけだね」
そう言って川内は屈託なく笑う。江風は力強く頷いた。
「覚悟はできてます」
「できる限りのことはしとこうか」
川内はそう言うと、ごろんと寝転んで星空を見上げた。ベラ湾で時雨に看取られた江風が時雨を救おうとしているのだ。上手くいくかどうかわからないが、やるだけの価値はありそうだった。それは、この佐世保にいる妹たちのためにもなるはずだ。あとは、横須賀に行ってから考えよう。艦隊司令の木村は、どう考えてるだろうか。そんなことを考えていた。