佐世保鎮守府には、第二駆逐隊、第二十四駆逐隊以外に、川内型軽巡の三隻が配属されていた。川内、神通、那珂の三姉妹だ。この内、那珂が最古参だが三隻とも練度はあまり高くない。神通に至っては最近配属になったばかりでもある。那珂と川内が交代で対潜哨戒や船団護衛の旗艦を務めるのが精一杯という状況だった。川内は、その状況を良しとせず、夜な夜な演習場に出ては夜戦の訓練をしていた。結果、演習場に面した区画は深夜の騒音に悩まされることになっている。
「んじゃ、訓練に行ってくるなー」
「姉さん、たまには休んだら?」
「そうそう、アイドルには休養も必要だよー」
部屋を出ようとする川内に、神通と那珂が次々にそう言う。その妹たちに川内はニッと笑う。
「夜戦の目は闇の中でしか鍛えられないからね」
川内はそう言うと、ヒラヒラと手を振って部屋を出て行く。そのまま迷うことなく演習場へ向かう。演習場の岸壁まで来ると、人影が見えた。
「川内さん」
「江風…だっけ?」
挨拶の時にしか顔を合わしていない新任の駆逐艦の姿を認め、川内は怪訝な顔を向ける。その江風は既に艤装を展開してフル装備状態だ。
「どしたの? アンタも夜戦の訓練?」
「ご一緒してもいいか?」
軽く笑いかけたつもりだったが、江風から返ってきたのは真剣な眼差しだった。川内は少し虚を突かれた。時雨を除けば春雨が練度一番だったはずの白露型で、こんな眼差しを返してくる艦はいなかった。
「いいよ。教導が希望?」
「川内さんの戦い方を見て自分のものにしたいだけさ」
江風はそう言うと、スロープに足をかける。あっという間に着水して沖へ向かう。
「へえ…」
川内は思わず鼻を鳴らした。自分も艤装を展開して江風のあとを追う。
「いい心意気だね。連携できる?」
江風を追い越しながら、川内はそう声をかける。江風が頷く気配がわかった。沖の演習標的はもう起動している。
「じゃあ、右舷砲撃戦行こうか!」
川内はそう言いながら左に舵を切っていく。少し離れて江風が続くいた。月のない夜だ。演習標的は夜戦慣れした川内でも見つけにくい。微かな星明かりで標的を探す。海影の中にちらりと標的の影が過ぎった。
「テーッ!」
川内の口から漏れ出したかけ声で、右腕に装備した主砲が火を噴く。着弾の火花が演習標的から上がる。江風も続いた。いくつかは命中したようだ。
「そのまま接近して雷撃戦!」
川内はそう声を上げると右に舵を切って回り込むような航路を取る。きっちりとは見えないが、江風が長い髪をなびかせながら後続するイメージはつかめる。川内は必中距離まで来ると、魚雷を放った。江風も川内から少し遅らせて同じ目標に魚雷を放つ。二段攻撃を狙ったのだろう。しばらくすると、ゴバッと演習標的から水柱が上がった。川内の口角が嬉しそうに上がる。
「次、左舷で行くよ!」
川内の声が次の訓練を宣言していた。
川内と江風が演習場の岸壁へ戻ってくると、まだ夜明けではないものの、見上げる星の位置はずいぶんと動いていた。江風は肩で息をしている。
「ほーい、飲みな」
川内は先に持ってきていたスポーツドリンクを投げてよこした。そのペットボトルは江風の頭に当たって転がっていく。
「あらら。初日からちょっとキツすぎたか」
転がっていくペットボトルを拾い上げて、改めて江風の脇に置いてやる。
「…毎晩こんなことやってンすか?」
喘ぐ息の隙間から、江風がやっとの声を絞り出す。川内も江風の脇に腰を下ろす。息も絶え絶えの江風と違い、川内は少し息を弾ませているくらいだ。
「んー、毎晩ってことはないけど、今日は連れがいたからちょーっと張り切っちゃったな」
そう言って川内はペットボトルの蓋を切る。軽い空気の抜ける音がして、中の液体は川内の喉を潤した。そうして、川内は江風の息が整うのを隣で待ってやる。声はかけない。やがて、江風の手が脇に置かれたペットボトルに伸び、一気に蓋を切ると飲み干した。
「明日も付き合っていいですか」
顎に流れた液体を袖で拭うと、江風は川内を見据えてそう言う。川内はニッと笑った。
「大歓迎だよ」
それから、川内が鎮守府にいる夜は毎晩江風との特訓が続いた。江風が部屋に戻ってくるのは夜明け前になることもある。翌日に任務がある日でもそれは続いた。非番の昼間、江風は毎日死んだように眠っていた。その様子を、同室の三隻は心配そうに見ていることしかできない。
「川内さん」
「お、海風。珍しいね、こっちの建物まで来るなんて」
朝食…もとい川内にとっては寝る前の夕食を採っているところに、海風がやってきた。神通は訓練に出ていて、那珂は第二駆逐隊を率いて船団護衛に出ている。川内は一人で食事をしていた。
「お食事中すみません。江風のことなんですけど…」
「座りなよ」
川内はそう言って、自分の隣の椅子を引いて、海風を促す。海風は少し躊躇してからその椅子に腰を下ろした。
「江風は根性あるね。私でも音を上げそうな内容、気合いでこなしてくるからこっちも負けてられないよ」
川内はそう言って笑いながら、食事の箸を進めていく。目の端に海風の心配そうな顔を置いたまま。
「江風は、大丈夫でしょうか…。夜戦の訓練ばかりで、昼間は死んだように寝てるから心配で…」
「心配ないと思うよ」
川内はこともなげにそう言いきった。海風の顔に驚きの表情が浮かぶ。
「江風は何も言ってこないけど、なにか考えがあってやってると思うから、そう簡単にはくたばらないよ。なにかあるんだろ?」
川内は味噌汁を飲みながら、視線を初めて海風に向けた。海風は躊躇いながらも小さく頷く。
「その内ちゃんと話してくれると思うから、今は詳しく聞かないよ。私も一緒に訓練できる相手がいて、正直張りがあるしね。ま、壊れそうになったらちゃんと止めるからさ」
「ありがとうございます」
海風はそう言って頭を下げる。川内は箸を置いて手を合わせた。
「私も一番艦で下ばっかりだから、姉のアンタが気を揉むのはよくわかるよ。私だって那珂がもう少し大人しくなんないかなとか、神通は普段からもう少しあの鬼神のような気合いを見せればいいのなとか思うこともあるし」
そう言って、川内は身体ごと海風に向けた。海風は思わず姿勢を正してしまう。
「でも、アンタの妹は本物だ。心配しなくてもいいし、信じてやりなよ。きっとやろうとしてることは成し遂げられるよ」
「はい…。江風のこと、お願いします」
川内の笑顔に、海風は小さく頷いてその席を辞した。
「川内さん、江風のことよく見てくれてる。海風もできること探そう…」
海風はそう呟くと、部屋へ戻る足を速めた。