横須賀からは太平洋沿岸を航行し、佐世保に向かう。夜間航行の巡航速度で少し涼しくなってきた海原を進んでいく。
豊後水道から関門海峡を抜け、九州北岸を回り込んで佐世保鎮守府に近づいたのは翌々日の朝になってからだった。
「夕立ー! 海風ー! 江風ー!」
岸壁から声を上げる小さな影が見える。少しハネのある黒髪を一本の三つ編みに編み、左肩の前に垂らしている。一房、元気のいい髪が頭の上で大きく跳ねていた。
「時雨ちゃーん!」
夕立が大好きな姉を認識して大きく手を振る。江風と海風はその夕立に顔を見合わせて頷くと、同じように大きく手を振った。
「姉貴ー!」
「姉さーん!」
声を上げる二隻に、岸壁の時雨も大きく手を振り返した。
「この姿では初めてだね。僕は二番艦の時雨。よろしくね、海風、江風」
時雨はそう言うと、軽く会釈するように微笑む。海風と江風も初顔合わせの名乗りをすませた。
「改白露型一番艦の海風です。姉さん、よろしくお願いしますね」
「同じく三番艦の江風だよ。姉貴に会えるの楽しみだったから嬉しいなあ」
そう言って、江風は相好を崩す。つられたように、時雨も笑った。
「まずは提督のところに案内するよ。部屋とかはそれからね」
「その間退屈っぽいー! わたしも時雨ちゃんと遊びたい!」
歩き出した時雨に並びかけて、夕立がそう唇を尖らせる。時雨は微苦笑を浮かべた。
「夕立は貨物船の護衛しながら戻るんだろ? 準備しておいでよ。案内終わったらすぐに行くよ」
「じゃあ、村雨ちゃんと遊んでる! 時雨ちゃん、終わったら来るっぽい!」
夕立はそう言うと、時雨たちを置いて駆けだしていく。「村雨ちゃーん!」という大きな声が辺りに響いた。
「夕立ももう少し大人しくなったらなあ」
苦笑いの時雨に、江風たちも苦笑いを返すしかない。横須賀でも、夕立の突飛な行動には振り回されたのだから。
やがて、三人は司令本部のある本館へたどり着いた。
「ここが司令室。提督に用がある時とか、秘書艦やってる僕に用がある時とかは来たらいいよ」
そう言うと、時雨は慣れた手つきでドアをノックする。
「提督、時雨だよ。海風と江風が来たよ」
「入れ」
柔らかい時雨の声に対して、野太い険のある声が部屋の中から返ってきた。時雨はまるでそこが自分の部屋のように入っていく。
「入ります」
江風と海風はそう断ってから、時雨に続いた。時雨は司令机の脇に自然に立ち、その横には、厳つい目つきのがっしりした体格の男が座っていた。その威圧的な雰囲気は、江風と海風を多少なりとも圧倒する。
「改白露型駆逐艦、一番艦の海風です!」
「同じく三番艦の江風だよ」
少し声を上ずらせて、二隻はそう名乗る。男が立ち上がった。
「佐世保鎮守府司令の佐々木大佐だ。ここへ配属されたからには、俺の命令には全部従ってもらうぞ。異を唱えることは許さん。わかったな」
佐々木は二隻を睨みつけながら、そう言う。穏やかな表情の時雨とのコントラストは、とにかく違和感があった。
「はいっ!」
二隻はその威圧感に押され、またしても声を上ずらせてしまう。江風などは、内心「ヤバいところに来た」と本気で思っていた。
「僕があとも案内してくるよ」
「終わったら戻ってこい」
「わかったよ」
それだけのやりとりで、時雨は佐々木の脇を離れる。二隻の後ろに回って軽くその肩を叩いた。
「さ、行こう」
「失礼します!」
江風と海風は敬礼をしたが、もう佐々木は見ていない。もう一度時雨が肩を叩いて退室を促した。
「おっかねえオッサンだなあ。時雨姉貴、あんなのの秘書艦務めてるのか?」
「オッサンは失礼でしょ、ここの司令なんだから」
司令室を退出してしばらく経つと、江風と海風はそう言い合う。時雨は苦笑いだ。江風の言葉を否定はしない。
「時雨姉貴は平気なのか、あのオッサン?」
「もう慣れたよ」
江風の言葉に、時雨はそう言って薄く笑う。そこにあった一瞬の表情の揺らぎに、江風も海風も気づけない。
時雨は鎮守府内を一通り案内し、最後に二隻をあてがわれている部屋に連れてきた。第二十四駆逐隊と表札がかかっている。
「二人はこの部屋。五月雨と涼風が一緒だよ」
「おっ! 五月雨姉貴と涼風が一緒か!? いいねえ。アリだね!」
時雨の声に、江風はそう言って指を鳴らす。海風もすぐ上の姉と末っ子が同室なことに、悪い気はしていない。
「五月雨ー、涼風ー、入るよー」
時雨はドアを軽くノックすると、それだけ言って返事も待たずにドアを開けた。五月雨と涼風は煎餅をお茶請けにお茶をしているところだった。
「五月雨姉貴、涼風! 今日からよろしくな!」
「江風と、海風?」
「はい、そうです。五月雨姉さん、涼風、よろしくね」
「うわー、賑やかになるなあ! 嬉しいな、五月雨!」
一気に四隻でできた輪を時雨は入り口で見て微笑んでいる。そうして、それが一段落つくまで待っていた。
「じゃあ、僕は夕立に会ってから司令室に戻るよ。なにかあったら白露たちに聞いてもいいし、僕を訪ねてくれても」
「ありがとな、時雨姉貴!」
「姉さん、ありがとう」
そう返す江風と海風に微笑みを向けてから、時雨は部屋を出て行った。