新しい風
鎮守府が横須賀以外にも広げられてから、一年が経った。かつては横須賀に集められ、なにかあれば各地に派遣されていた艦娘たちも、それ以来それぞれ所属の鎮守府や基地、泊地で銘々の時間を過ごし戦っている。
一年前に七隻を数えていた白露型駆逐艦は、横須賀に留め置かれた夕立を除いて全て佐世保に集められた。駆逐艦の中で練度筆頭の時雨もその中に含まれている。川内型を中心とした水雷戦隊の中で、第二駆逐隊及び第二十四駆逐隊を形成する予定になっていた。
白露型の中でも改白露型と呼ばれるグループに属する江風は、この間の第二次SN作戦の最中、天龍隊に保護された。同作戦中に同じく保護された姉の海風と一緒に、横須賀で調整と訓練を行っている。
「日向さーん、今日も本気で行っていいっぽい?」
演習場で、江風たちの姉に当たる夕立が訓練を見守る日向にそう手を振っていた。日向は小さく頷いたように見える。
「ちょっ、夕立姉貴そりゃあ勘弁だぜ!」
江風は思わずそう声を上げてしまう。隣の海風も多少青ざめていた。ようやく改装が終わったばかりの二人にとって、時雨、電、浜風と並ぶ練度を持ち、「ソロモンの悪夢」と称される夕立は、いくら訓練とはいえ相手が悪すぎる。しかも、夕立は手加減する気が全くない。実際のところ、数日前にもコテンパンに打ちのめされ、その場から動けなくなって岸壁まで曳航されるという無残な状態も演じている。
「よし。演習始め」
それでも無情な日向の声が無線から届いた。
「素敵なパーティー始めるっぽい!」
「こんなのパーティーじゃねえよ、夕立姉貴ー!」
「そうですよー、姉さーん!」
一気に始動増速した夕立に、二隻は抗議の声を上げながら迎撃態勢をとる。猛進してくる夕立に主砲を放つが、夕立は右に左に避けながら、確実に間合いを詰めてくる。江風と海風は左右に展開しつつ砲撃を続けるが、その動きも予測ずみだったようで、移動しながら軽く放り投げられた魚雷で、まず海風が行き足を止められた。
「きゃあああッ!」
いくら訓練用の魚雷とはいえ、当たれば普通に痛いし、小さいながら爆発も起こす。海風の足元でその身体を隠すくらいの水飛沫が上がった。
「海風姉貴ッ!」
江風は声を上げたが、その間にも夕立は進路を変えてものすごい勢いで向かってくる。一瞬怯みそうになる気持ちをグッと堪え、江風も主砲を放ちながら増速する。
「いくら夕立姉貴でも、いつも負けっぱなしは嫌なんンだよ!」
江風は夕立の予測進路に向けて魚雷を放つと、夕立がその進路にしか行けないように砲撃での誘導を試みる。砲撃をかわした夕立は、魚雷の進路上になるコースへ移動した。
「よっしゃ!」
江風は思わず声を上げたが、夕立は魚雷を確認すると「ぽいっ」と一声上げてその魚雷を飛び越えてかわしてしまう。
「飛び越えるなんて反則だろっ!?」
江風が驚愕している間にも、夕立は空中で身体を捻りながら主砲を放ってくる。その全てが江風の身体を捕らえていた。赤いペイント弾が江風を汚す。
「勝負あり、だな」
無線から日向の声が響く。綺麗に着水した夕立の「ぽい!」という元気な声も聞こえてきた。
「ちくしょ~、今日も勝てなかった~」
「だが最後の機転は悪くなかったな。相手が夕立でなければ足を鈍らせることはできただろう」
項垂れる江風に、日向は淡々とそう言った。褒められたことがわかって、江風は顔を上げる。
「仕留めるにはもう一手必要だがな。そこはもっと海風と連携がとれていないとな」
「だよな~」
結局ダメ出しされ、また江風は項垂れる。海には秋の風が吹き始めていた。
「片付けて着替え終わったら、海風と江風は司令室に行くようにな。提督から話があるそうだ」
日向はそう言うと軽く手を振って演習場から去っていく。江風と海風はお互い顔を見合わせていた。
演習場から戻ると、江風と海風は着替えを手に風呂へ向かう。訓練魚雷が命中した海風はずぶ濡れだし、江風に命中したペイント弾は石鹸でないと落ちなかった。
「提督が海風たちに話があるなんて初めてね」
解いた髪を洗いながら、海風が隣で同じように長い髪を洗う江風に言う。
「そうだよな。提督からなんて、なンだろうな?」
そう言って、江風も思案顔になる。二人共、呼ばれている理由が全く思い当たらない。訓練を続けている以外には、時に他隊の駆逐艦と一緒に船団護衛や哨戒などの任務にかり出されているくらいだ。たとえ今回もそう言った任務だといっても、呼び出されての指示は今までなかった。風呂から出た二人は、首をかしげながら司令室へ向かう。
「海風と江風、参りました」
司令室のドアをノックしてから、海風が姉らしい配慮で司令室の中へ声をかける。すぐに「入れ」という木村の声が聞こえてきた。
「改白露型駆逐艦海風、江風、参りました!」
司令室に入ると、海風がそう言いながら敬礼を決める。その横で、江風も倣っていた。木村は席に座ったまま、軽く頷く。
「単刀直入に用件だけ伝える。二人共、佐世保鎮守府へ異動が決まった。今日これから準備をして、明日出発してもらいたい」
「異動!? 佐世保ですか!?」
「いよっしゃ!」
木村の言葉に、海風は単純に驚き、江風は単純に喜んだ。佐世保には、未だ発見されていない山風と、この横須賀にいる夕立以外の全ての白露型駆逐艦が配備されている。二隻にとって、姉だったり妹だったりする存在だ。彼女たちと同じ鎮守府に配属されるのは、望外の喜びだった。
「夕立を護衛につけるから、気をつけて行ってくれ」
そう言って、木村は笑顔を見せる。二人は顔を見合わせて頷いた。
「では、明日一九〇〇出発できるように準備しておいてくれ。以上だ」
「失礼いたします」
木村にそう敬礼をしてから、海風と江風は司令室を辞した。
「姉貴姉貴、佐世保だぜ、佐世保!」
部屋へ戻る道すがら、江風はそう言って子供のように顔を綻ばせる。艦だった頃の彼女たちも、佐世保に配属されていた。その様子を見て、海風も優しく微笑む。
「そうね。姉さんたちもいるし、夕立姉さんは横須賀だけど、他の姉妹はみんな一緒で嬉しいね」
「時雨姉貴も元気にしてるかなー」
江風はそう言って少し遠い目をする。駆逐隊は別だったものの、彼女の最期となったベラ湾夜戦では、僚艦として時雨がその最期を看取っている。
「江風は時雨姉さん好きね」
「そりゃあ、時雨姉貴だからな。佐世保の時雨は伊達じゃねえって!」
姉らしい優しい笑顔の海風に、江風はそう言ってニッと笑う。今でも、駆逐艦のエースとして他の駆逐艦を寄せ付けない戦果を誇っているのだ。それは江風にとっても誇りだった。
「準備して、夕立姉さんと一緒に行きましょう。明明後日の朝には時雨姉さんにも会えるわ」
「早く明日にならねえかなー」
江風はそう言って、暮れ始めた空を見上げていた。
前日の内に準備をすませ、時間前に岸壁へ着くと、護衛として同行してくれる夕立はもう海の上で待っていた。まるで踊るように、長い髪をなびかせて付近を航行していたらしい。
「夕立姉貴ー!」
江風は沖の夕立に手を振る。気づいた夕立は、ものすごい勢いで戻ってきた。
「待ったっぽいー」
「遅れてねえじゃん」
笑顔の夕立に、江風もカカカと笑い返す。海風は、その横で微笑んでいた。
「じゃあ、行きましょうか。姉さん、護衛よろしくお願いします」
「任せるっぽい! 向こうに着いたら時雨ちゃんたちも一緒にパーティーしたいっぽい!」
夕立はそう言うと、すーっと二隻を置いて航行を始めてしまう。江風と海風は顔を見合わせて苦笑いを浮かべると、スロープを降りて着水し、夕立を追いかけた。