朝日から艤装を一式渡されると、思いの外しっくりくる状態になっていた。気にはしていなかったが、やはりどこか悪くなっていたらしい。歴戦の装備で、あの戦いの最後は物資の欠乏から満足な整備すら受けることができなかった。そんなことを思いながら、電たちがいるという談話室に向かう。艤装は、鎮守府では邪魔になるので収納しておいた。
「響、終わった?」
「大丈夫そうでホッとしたのです」
談話室のドアをくぐるなり、雷と電がそう声を上げた。慣れた姉妹たちの歓待といっても、やはり久々で照れる。思わず艦内帽を目深にし直す私を、同じ部屋にいた天龍と由良が苦笑いを浮かべながら見守っている。
「…終わった」
「なんか飲む? 朝日さんおっとりしてるけど、仕事は確実なのよねー」
「とりあえず、サイダーを持ってきたのです」
私が腰を下ろすと、雷と電が矢継ぎ早にそう言ってくる。一瞬面食らったが、電が持ってきてくれたサイダーのコップを手に取った。透明な炭酸水を口にするのはこれが初めてだ。
「…甘いのだな」
そう素直な感想を口にする。電と雷が顔を見合わせて笑った。
「そりゃあそうよ。そのままの炭酸水なんて、味がなくて飲めたもんじゃないもの」
「お砂糖と香料で味付けがしてあるそうなのです」
「そうなのか…」
雷と電の解説に、もう一度コップの中の液体を喉の奥に流し込む。甘さと炭酸の刺激が、喉を通り過ぎていった。風呂上がりの少し火照った身体には、心地いい。私はコップを置くと、休憩室をもう一度見渡した。広い休憩室は、休息する艦娘の数も少なく、電の言うようにこの艦隊…と言うよりも鎮守府に配属されている艦娘の数は本当に多くないらしい。海上では一緒じゃなかった時雨と朝潮の姿も見えた。
「…本当にこぢんまりした鎮守府なんだな」
「まだこれでも増えた方なのです」
私の言葉に、電が笑顔で応える。
「私が工廠で生まれた時には、執務艦の敷島さん富士さんや、工作艦の朝日さん、明石さん、標的艦の摂津さんや矢風さんくらいしかいなくて、戦闘艦は誰もいなかったのです」
「それがこんなに増えたのよ。いずれは戦艦や空母だってくるでしょうし、水雷戦隊は水雷戦隊で出番増えると思うわ」
雷はそう言って笑う。それが現実になればいいと思うけど。
「あ、電、こんなところにいました!」
声の方を振り向くと、潮と同じ特Ⅱ型駆逐艦のネームシップである綾波が入り口で声を上げていた。
「綾波さん、どうしたのです?」
かっくんと首を傾げながら、電は綾波を出迎える。綾波は小さく溜息をついて、私たちのいるテーブルへとやってきた。
「電は秘書艦でしょ? 司令官が探してましたわ」
困った顔でそう言う綾波に、電と雷は顔を見合わせる。
「ここへ来る前に報告は済ませたはずよ?」
「雷には聞いてません!」
ぴしゃりと言われても、雷はけろっとしてる。むしろ、首をすくめたのは電の方だ。
「とりあえず、司令官が探してましたから、電は司令室に行きなさいよ」
「わかったのです」
そう言いながら、電は立ち上がる。
「ちょっと行ってくるのです」
「いってらっしゃーい。あたしと響はここで待っとくわ」
ひらひらと手を振りながら、雷はそう笑う。私も、電に向けて頷いた。電は笑顔で小さく頷くと、パタパタと休憩室を小走りで出ていった。
「ここの司令は女の人でさ、あたしたちにはお姉ちゃんみたいな感じよ」
ニッと笑いながら言う雷に、私は奇異の目を向ける。前の世界で私たちに女性が乗る事はなかったからだ。それに…。
「若いのか?」
雷がお姉ちゃんと言うからには。
「そうね。歳の頃は二十四、五ってとこかしら」
まるで自分の姉を誇るかのように、雷は言う。相当慕ってるんだな。
「響も会えばわかるわよ。司令官の良さがね」
雷の言葉に、私は「そうか」と曖昧な返事をした。雷は工藤艦長のことをよく覚えてるだろうから、きっとそういう人なのだろうなと想像しておくだけにした。
「今、どういう状況なんだ?」
聞く私に、雷は唇を曲げて、自分のコップに視線を落とした。
「あんまり芳しくないわね。洋上の制海権はほとんど敵さんに握られて、やっと近海の制海権を取り戻して輸送船を護衛付きで島伝いに出せるようになったところ。まだこの国の周囲しかあたしたちは動けないわ」
雷は真面目な顔でそう語る。
「そんなにひどい状況なのか…」
ふっと沖縄に特攻した大和たちの姿が浮かんで消えた。あんな末期的な状況なら、私たち駆逐艦の仕事は輸送艦の盾になることくらいだ。
「と言っても、敵は水雷戦隊が殆どで潜水艦もいないし、まだ空母も見たことないわ。重巡クラスですら稀だしね」
雷はそう言って息をつく。
「軽巡と駆逐艦ばかりの後進国だと舐められている…?」
「かもしれないわね。でも、そう思ってもらってる内にこっちも練度を上げて軍備を整えなくちゃ」
雷は握り拳を作ってそう力説する。だとすると、私もまだ力になれそうだ。航空機でなく同じくらいのクラスの深海棲艦が相手なら。
「雷、響、明日以降のことで司令官さんが話があるそうなのです」
戻ってきた電が表情に少し緊張を奔らせてそう言った。こっちを見てくる雷に、チラッとだけ視線を送る。
「行くわよ、響」
強気な笑顔で、雷が立ち上がる。私も、頷いて立ち上がる。
「了解した」
「天龍さんもお願いするのです!」
電の声が響いて、天龍が力強く頷くのが見えた。
「電、戻りましたのです!」
司令室の扉を開け、電がそう敬礼する。その肩越しに見えるのは、海軍二種軍装に身を包んだ、長い黒髪の女性。確かに若い。切れ長の瞳が意思を持って私たちを見ている。
「天龍、来たぜ!」
「若葉、来たぞ」
「時雨、来たよ」
私の横で、次々と仲間が自分の名を告げる。雷がちらっと私の方を見て、強気な笑顔で小さく頷く。
「雷、来たわよ!」
雷の声は淡々としている若葉や時雨よりも随分大きい。雷の後だとやり辛いな。
「響、来たよ」
いつものように、淡々と私らしく言ったつもり。無愛想に見えていても、それが私だから仕方ない。
司令官の右手が上がりゆっくりと下りた。私たちは敬礼姿勢を解除する。
「お疲れ様。寛いでたところ悪いね」
さっきまでの厳しい表情を崩し、苦笑いを浮かべて司令官は言う。
「明日からの哨戒任務はこの六隻でやってもらう。旗艦は電だ」
「はいっ!」
司令官の声に、電の元気な返事が被さる。
「哨戒と言っても、敵の艦隊はこちらの通商破壊を目論んでる公算が高い。特に南方産油地帯とのシーレーンが確保できなければ死活問題だ。無理はしなくていいが、できる限り敵戦力の撃退に努めてほしい」
司令官の言葉に、息を呑む音が聞こえる。
「由良は連れて行かなくて平気か?」
天龍がそう聞く。軽巡は一隻より二隻の方が戦力的には上なのは間違いない。ましてや、練度の全然ない私を連れて行く意味はあるのだろうか。
「由良には潮や綾波、白雪を連れて船団護衛に行ってもらう。船団護衛にもある程度の戦力を割かなくてはならないからな」
納得したように天龍は頷く。私はとりあえず頭数か。実戦で練度を上げるしかないようだな。
「それじゃ、よろしく頼む」
「敬礼なのですっ!」
電の声で銘々右手が敬礼位置に挙がる。司令官の右手も挙がって下りた。その一瞬、ようやく司令官の頬に歳相応の笑みが浮かんだ。